2026年05月31日

2026年5月前半に行った美術館・博物館(尾形光琳,教皇庁図書館展,ブーダン)

 根津美術館の尾形光琳とその周辺展。「琳派」というと本阿弥光悦と俵屋宗達から始まって鈴木其一か神坂雪佳あたりで終わりにする一連の芸術家群であるが,そうではなく尾形光琳とその周辺の芸術家たちだけを扱った展覧会である。本展のメインは尾形乾山と渡辺始興で,実際に尾形光琳の周囲の二大巨頭であろう。渡辺始興は私はあまり知らない画家であったのだが,狩野派を覚えてから光琳に師事したので基礎的な技術が抜群に上手いということで本展のおかげで印象に残った。その分,光琳よりもデザイン的ではなくなっていて,琳派としてはかえって傍系にあたるのかもしれない。
 両者の燕子花図屏風が並べて展示されているので見比べると,そのデザイン性の違いが見えて非常に面白い。 尾形光琳のものは金地から突然燕子花が生えているが,絵としての構図が重要なのでこれでよい。デザインなので無から植物が生えていても不自然ではないのである。一方で渡辺始興はそのリアリティの欠如が許せなかったようだ。金泥で燕子花の根本が隠されており,湿地の靄の中で燕子花が咲いていると見て取れ,明確な情景がある。琳派としては前者が正解なのだろうし,だからこそ彼が琳派の王道なのであろう。しかし,個人的には後者の方が好きだ。リアリティと情景があった方が趣深く感じる。その靄の描写がすばらしい。この比較を見るためだけでも行く価値があった展覧会であった。
 本展は4月末から5月に開催されていたという時期が肝要で,根津美術館の自慢の日本庭園には燕子花が咲き誇っていた。ちょうど作品と重なっているのである。そのためか経験したことがないくらい根津美術館が混雑していた。また,欧米系の観光客がかなり多かった。そういう観光客は上野に行くものだと思っていたが,こちらも紹介されているのだろう。確かに根津美術館は常に日本美術の企画展が開催されていて,規模は小さいが茶器の常設展もあり,日本庭園も本格的であるから,コンパクトに”日本”がまとまっていると言える。考えてみるとちゃんと推奨される理由があった。




 印刷博物館のヴァチカン教皇庁図書館展。名前に反して,割と印刷博物館の所蔵の本が多いが,いずれにせよ稀覯本だらけでの展覧会で,世界史か倫理に関心が強い人は絶対に行くべきだろう。見せ方がよく,鑑賞者が見たいと思うだろう,有名なフレーズが入ったページをちゃんと開いているので素直に嬉しい。以下,自分の記録も兼ねて,見たものをざっと書き留めておく。マルシリオ・フィチーノが注釈を入れたプラトン著作集。『禁書目録』は見るとちゃんとIndexとヘッダーに書いてあって,そんなことでもちょっと感動する。デカルト『方法序説』はデカルトの自筆のメモ書き付き。もちろんガリレオの『天文対話』もあり,これは明星大学の所蔵だが,この企画展に出す意義はある。その他にも近世の科学書は充実していて,フックの『ミクログラフィア』,ニュートンの『プリンキピア』もあった。パスカルの『パンセ』は「人間は考える葦である」のページが,『ガリヴァー旅行記』はラピュタのページが開かれていた。極めつけはディドロとダランベールが編纂した『百科全書』である。さすがに量があって展示室の一角を堂々と占領していた。この近世の科学書・哲学書・小説はほぼ印刷博物館の所蔵で,意識的に集めていると思われる。
 近代に移って,カントの『純粋理性批判』は「コペルニクス」という文字を探しておきたいところ。ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』も「超人(ubermensch)」の文字が,ゲーテの『ファウスト』も「Verweile doch! Du bist so schon.」の文字がちゃんと読める。前2冊は教皇庁図書館の所蔵で,自分に向けての批判でもちゃんと集めている。その他,印刷博物館所蔵で20世紀の書籍や近代日本の書籍もあったが,さすがに近世のものと比べると感動が薄かった。



 SOMPO美術館のブーダン展。ブーダンはこれまで印象派やそれに近い様式を扱った様々な企画展でちまちまと作品を見る機会があったが,まとまってみるのはこれが初めてである。印象派の先駆者と言われているのがよくわかる,ほぼ印象派な画風で,今まで持っていたイメージよりもかなり印象派に近かった。印象派に入っていないのはグループに入っていないからだと思われるが,モネの師でもあるので近い存在ではある。
 「空の王者」というあだ名の通り,層を重ねる構図とその上半分に空を配する構図が最も特徴的。色の置き方はバルビゾン派と印象派の間くらいで,割と筆触が残っているように見えた。数は少ないが,抽象度が高く,ターナーの晩年の作風やポスト印象派の画風に近いものもあった。配色も空の色が細かく,北フランスで描いていたこともあって,明確な青空は少ない。むしろくすんだ空の,雲の動きを見せたくて作品を描いていたのではないだろうか。この配色の絶妙さは,実物よりも明るく見えがちなディスプレイ上の画像ではよくわからないので,実物を見る意味が大きい。SOMPO美術館のホームページ上で見えるようには実物は発色していない。ただし,個人的な好みで言うと中途半端であり,もう少し印象派に寄って明るく塗るか,もう少しバルビゾン派に寄って対象を固めに描くかしてほしい。
 なお,当人が「人間も描きたいのに海景画の注文ばかり注文が来る」とぼやいていたり,牛の発注が来たと思ったらトロワイヨン風という条件がついていたりという逸話がある。生前から評価されていた割にままならない人生だったのかもしれない。