2026年09月12日
『魔法少女まどか☆マギカ ワルプルギスの廻天』感想
ネタバレ解禁期間に入ったが,一応ネタバレ改行をしておく。
【物語の整理】
まどかが本編12話で作った救済制度は,システム部分の「円環の理」と,浄化と同時にまどかが降臨して抱擁する感情面の救済のセットだった。このうち後者を引き剥がして人間の鹿目まどかとして復活させた。ここまでが叛逆までの物語。
しかし,見滝原市を自分の結界で覆ってまどかを閉じ込めたり,円環の理と見滝原市の接点をなくすために魔法少女仮免システムを運営したりして,ほむらが過剰に負担を負う世界になってしまった。しかも,女神のまどかから人間まどかを強引に引き剥がしたので円環の理にも綻びが生じてしまった。宇宙の外にあったはずの名塚底根と見滝原市がつながってしまったり,そこを通って3人の魔女が来ちゃったりというのが廻天の始まり。来訪した魔女3人はそれぞれ,
・感情面の救済無しでは魂は救済されないという一般魔法少女からの抗議の代表の役割を負ったのが紫丁香。本来彼女が抗議すべきはほむらだったのだが,勘違いでまどかを襲撃。まどマギは逆恨みが成功しない世界観なので順当に敗退。
・そもそも救済なんて不要,「私の絶望は私だけのもの」という救済の拒否がセルマ。魔法少女は魔女化して宇宙の延命に役立たなければ存在価値が無いとまで言い切った。実際の欲求は承認欲求だったわけで,自らの願いを履き違える人は勝てない世界観なので敗退。ついでに今回のラスボス役。
・ワスさんは名塚底根という新設定のために引っ張り出されて,ついでに本編で残っていたワルプルギスの夜の設定を消化。自分と同じ願いを,自分と違って完璧に成功させたまどかに会いたかったし,それを毀損したほむらのことは許せなかった。とはいえ元に戻す具体的な方策がなく,セルマが暴走して状況に流されているうちに話の本筋からは外れていった。まさに「舞台装置の魔女」。
そしてグレートヒェン降臨阻止の戦いの後に,綻びを見過ごせなくなった円環の理さんが世界に介入し,人間まどかを回収しにきた。神の力を取り戻したまどかは矢を放ってまどかの悪魔の力を打破し,望んで円環の理に帰っていく。ほむらは自分自身の正当性を信じていないこともあって一度は拒絶されて心が折れたが,さやかが「諦めるな」と叫び(この役がさやかだったのは大変良かった),仲間たちの背中を押されてほむらが奪還阻止に動く。しかし,あっけなく敗北し,代わって人間まどかが円環の理と何か交渉して映画が終わる。
あの交渉の結果として,救済制度自体は本編終了時点に戻ったものの,本編終了時点と何かしら違うポイントがある(まどかのことを皆が覚えているまま?)ということだと解釈。
【感想】
こうして書き出してみると,物語の骨格と結末はやっぱりよくできている。まどかはほむらのことを「最高の友達」としか思っていないが,ほむらはまどかに執着している(声優の斎藤千和さんは「初恋」と評していた)というすれ違いが改めて強調された。それを象徴するエンディング曲『彼方』は本当に名曲で,思わず涙腺が緩んでしまった。歌詞はどこを切り取って重いのだが,「この世界をあと一度だけ ただ信じてみようかな」等と言われてしまっては,私は放心状態で頷くだけで何もできることがない。
しかし,冒頭の魔法少女仮免システムとか,お茶会や遊園地とか,ワルプルギスの夜の真相とかの本筋ではない部分で時間を使いすぎているのでバランスが悪い。『廻天』に対して多少なりとも批判的な感想を述べている人の多くは,要するにまどかとほむらの行く先を見たかったのであって,ワルプルギスの夜の真相は副次的な関心でしかない。作品の前半が無駄だったというわけではない。あの結末を描くためには,ほむらが救済されなくなった魔法少女たちから嫌悪感をぶつけられたり,円環の理に人間まどかを回収させるためにほむらの気づかないところでまどかを魔女化させる必要があった,そのためにほむらにぶつけられそうな敵役がワルプルギスの夜くらいしかいなかった,というような事情は最後まで見ればわかる。しかし,それにしても本筋との関連性がわからない映像を流されていたという印象が強く,まどかとほむらの話だけだと120分もたないので,劇場版として成り立たせるために話を引き伸ばしているように感じられた。同じような感想は『叛逆』でも抱いたので,劇場版のまどマギが継続して抱える欠点なのかもしれない。
過剰演出優先で話の展開がわかりにくいのは明確な減点要素である。画面の情報量が多すぎて,話の本筋を追うのに必要な情報なのか単なる演出なのかの切り分けだけで脳にかなり負荷がかかっていた。その上,上述のように本当に欲しい情報が最後の30分になってやっと出てきたのだから,映像作品として印象が良いはずがない。なお,演出が過剰気味な点については「本作は舞台のほぼ全てがほむらが作った結界の中なので,実質的にずっと魔女の結界の中にいるのと同じ状態だから」という理由付けがあるという考察を読んで一定程度納得した。それでもそこは映像作品としてのバランスをとってほしかった。わかりにくすぎて,本筋から言えば些事とはいえ,紫丁香のトラウマが何なのか何周も見ている人たちの間でさえ議論があるのはかなりまずい(大きく分けると売春説と性的虐待説と小児がん説で,小児がん説が有力か)。視聴者に物語を伝えることに失敗していると言わざるを得ない。
また,今回で完全な完結とはならなかったことにも不満がある。Twitterでも同意見を頻繁に見かけるので安心したのだが,13年も待たされたら流石に今回でまどかとほむらの物語が完全決着すると思うだろう。ところが今回も次回を作れる設定だけ残して,またまどかとほむらのすれ違いが描かれて終わってしまった。泣くほど感動させられておいて何だが,まだすれ違いで泣かせにくるのかとは思ってしまった。しかしながら,「まどかとほむらの問題が決着するには,ほむらが孤独であってはならず,他の見滝原組の応援が必要である。だから今回はほむらのやってきたことが皆に知られ,まどかの存在が皆の記憶に残る形で再び世界が再構成される必要があったのだ。作品としても世界改変の度に区切る必要があるから,今回で完結するはずがない」と言われてしまえば,それはそうである。それならそれで「実は前後編です。後編は3年後です」というような発表があると期待するところだろう。
とはいえ,視聴者にできることはまどかとほむらの物語の決着を見届けることだけである。本作は商業的に成功していることだし,真の完結作の到来を,『彼方』を聞きながら待つことしかできない。願わくは,次は13年も待たされないことを。
まどかが本編12話で作った救済制度は,システム部分の「円環の理」と,浄化と同時にまどかが降臨して抱擁する感情面の救済のセットだった。このうち後者を引き剥がして人間の鹿目まどかとして復活させた。ここまでが叛逆までの物語。
しかし,見滝原市を自分の結界で覆ってまどかを閉じ込めたり,円環の理と見滝原市の接点をなくすために魔法少女仮免システムを運営したりして,ほむらが過剰に負担を負う世界になってしまった。しかも,女神のまどかから人間まどかを強引に引き剥がしたので円環の理にも綻びが生じてしまった。宇宙の外にあったはずの名塚底根と見滝原市がつながってしまったり,そこを通って3人の魔女が来ちゃったりというのが廻天の始まり。来訪した魔女3人はそれぞれ,
・感情面の救済無しでは魂は救済されないという一般魔法少女からの抗議の代表の役割を負ったのが紫丁香。本来彼女が抗議すべきはほむらだったのだが,勘違いでまどかを襲撃。まどマギは逆恨みが成功しない世界観なので順当に敗退。
・そもそも救済なんて不要,「私の絶望は私だけのもの」という救済の拒否がセルマ。魔法少女は魔女化して宇宙の延命に役立たなければ存在価値が無いとまで言い切った。実際の欲求は承認欲求だったわけで,自らの願いを履き違える人は勝てない世界観なので敗退。ついでに今回のラスボス役。
・ワスさんは名塚底根という新設定のために引っ張り出されて,ついでに本編で残っていたワルプルギスの夜の設定を消化。自分と同じ願いを,自分と違って完璧に成功させたまどかに会いたかったし,それを毀損したほむらのことは許せなかった。とはいえ元に戻す具体的な方策がなく,セルマが暴走して状況に流されているうちに話の本筋からは外れていった。まさに「舞台装置の魔女」。
そしてグレートヒェン降臨阻止の戦いの後に,綻びを見過ごせなくなった円環の理さんが世界に介入し,人間まどかを回収しにきた。神の力を取り戻したまどかは矢を放ってまどかの悪魔の力を打破し,望んで円環の理に帰っていく。ほむらは自分自身の正当性を信じていないこともあって一度は拒絶されて心が折れたが,さやかが「諦めるな」と叫び(この役がさやかだったのは大変良かった),仲間たちの背中を押されてほむらが奪還阻止に動く。しかし,あっけなく敗北し,代わって人間まどかが円環の理と何か交渉して映画が終わる。
あの交渉の結果として,救済制度自体は本編終了時点に戻ったものの,本編終了時点と何かしら違うポイントがある(まどかのことを皆が覚えているまま?)ということだと解釈。
【感想】
こうして書き出してみると,物語の骨格と結末はやっぱりよくできている。まどかはほむらのことを「最高の友達」としか思っていないが,ほむらはまどかに執着している(声優の斎藤千和さんは「初恋」と評していた)というすれ違いが改めて強調された。それを象徴するエンディング曲『彼方』は本当に名曲で,思わず涙腺が緩んでしまった。歌詞はどこを切り取って重いのだが,「この世界をあと一度だけ ただ信じてみようかな」等と言われてしまっては,私は放心状態で頷くだけで何もできることがない。
しかし,冒頭の魔法少女仮免システムとか,お茶会や遊園地とか,ワルプルギスの夜の真相とかの本筋ではない部分で時間を使いすぎているのでバランスが悪い。『廻天』に対して多少なりとも批判的な感想を述べている人の多くは,要するにまどかとほむらの行く先を見たかったのであって,ワルプルギスの夜の真相は副次的な関心でしかない。作品の前半が無駄だったというわけではない。あの結末を描くためには,ほむらが救済されなくなった魔法少女たちから嫌悪感をぶつけられたり,円環の理に人間まどかを回収させるためにほむらの気づかないところでまどかを魔女化させる必要があった,そのためにほむらにぶつけられそうな敵役がワルプルギスの夜くらいしかいなかった,というような事情は最後まで見ればわかる。しかし,それにしても本筋との関連性がわからない映像を流されていたという印象が強く,まどかとほむらの話だけだと120分もたないので,劇場版として成り立たせるために話を引き伸ばしているように感じられた。同じような感想は『叛逆』でも抱いたので,劇場版のまどマギが継続して抱える欠点なのかもしれない。
過剰演出優先で話の展開がわかりにくいのは明確な減点要素である。画面の情報量が多すぎて,話の本筋を追うのに必要な情報なのか単なる演出なのかの切り分けだけで脳にかなり負荷がかかっていた。その上,上述のように本当に欲しい情報が最後の30分になってやっと出てきたのだから,映像作品として印象が良いはずがない。なお,演出が過剰気味な点については「本作は舞台のほぼ全てがほむらが作った結界の中なので,実質的にずっと魔女の結界の中にいるのと同じ状態だから」という理由付けがあるという考察を読んで一定程度納得した。それでもそこは映像作品としてのバランスをとってほしかった。わかりにくすぎて,本筋から言えば些事とはいえ,紫丁香のトラウマが何なのか何周も見ている人たちの間でさえ議論があるのはかなりまずい(大きく分けると売春説と性的虐待説と小児がん説で,小児がん説が有力か)。視聴者に物語を伝えることに失敗していると言わざるを得ない。
また,今回で完全な完結とはならなかったことにも不満がある。Twitterでも同意見を頻繁に見かけるので安心したのだが,13年も待たされたら流石に今回でまどかとほむらの物語が完全決着すると思うだろう。ところが今回も次回を作れる設定だけ残して,またまどかとほむらのすれ違いが描かれて終わってしまった。泣くほど感動させられておいて何だが,まだすれ違いで泣かせにくるのかとは思ってしまった。しかしながら,「まどかとほむらの問題が決着するには,ほむらが孤独であってはならず,他の見滝原組の応援が必要である。だから今回はほむらのやってきたことが皆に知られ,まどかの存在が皆の記憶に残る形で再び世界が再構成される必要があったのだ。作品としても世界改変の度に区切る必要があるから,今回で完結するはずがない」と言われてしまえば,それはそうである。それならそれで「実は前後編です。後編は3年後です」というような発表があると期待するところだろう。
とはいえ,視聴者にできることはまどかとほむらの物語の決着を見届けることだけである。本作は商業的に成功していることだし,真の完結作の到来を,『彼方』を聞きながら待つことしかできない。願わくは,次は13年も待たされないことを。
Posted by dg_law at 13:45│Comments(0)