本書を読むきっかけとなったやり取りについて,先に書いておきたい。それはある日twitterでこのようなtweetを見かけたところから始まる。
「12世紀のドイツ、フランスじゃあ人口の9割が農民、そのうちのほとんどが非キリスト教徒、という記述を読んで、ほおーっと思う。4世紀末にローマ帝国国教化、と話したから、ヨーロッパ全体がそこですっかりキリスト教に染まると勘違いしている学生が多そうだな。」
え,いやそんなはずはないだろう,というのが初見での感想であった。後半の感想もおかしい。4世紀末での国教化時点でローマ系住民はかなりの割合で改宗しているはずで,ゲルマン人に対してもアリウス派の布教が広まっていたはずである。そしてカトリック教会もゲルマン人への布教は熱心に行なっており,だからこそクローヴィスのアタナシウス派改宗やグレゴリウス1世は重要人物として歴史に名を刻んでいる。
ではこの情報のソースは何かというところで,本書が紹介されていた。そして著者名を見てまた驚いた。酒井健氏はバタイユ研究で有名な方で,そうそういい加減なことは書かない人だからである。ただし,本職とは別の分野であることはやや気にかかった。この本は後日読むこととして,TLでとある方と話し合って出た結論としては,
「実際に聖職叙任権闘争が解決するまでは,まともな(カトリックの)聖職者が存在しない地域(教区)も多かった。いわゆる冠婚葬祭の形式統一が図られ,生活にカトリックが浸透するのは中世末のことであった。また,13世紀まではまだカタリ派などの異端も生き残っていた。これらのことを考慮すると,表面的・アイデンティティとしてクリスチャンであっても,実態として異教徒であった人の割合が12世紀時点で90%であったということを言いたかったのではないか」
ということであった。で,本書を読んでみた結果としては,半分ほどはこの結論で推測として間違っていなかったようである。該当部分を引用する。
「大開墾運動の始まる十一世紀半ば,フランスの総人口の九十パーセントは農民だった。そして彼ら農民のほとんどは非キリスト教徒であった。たとえキリスト教に帰依していても,それは表面上で,生活の中で彼らは異教の信仰と風習をしっかり維持していた。」
元tweetが間違っている点を指摘するとすれば12世紀とは本書に書かれていない点で,実はこの100年の違いは大きい。1050年から1150年の間に中世ヨーロッパは大きな変化を遂げているからだ。大開墾が進み,商業が復活し,叙任権闘争が起き,十字軍が始まり,レコンキスタが激化し,12世紀ルネサンスが始まった。そしてまさにこれらを要因としてゴシック様式が生まれたのがこの期間であった。(中世ヨーロッパの社会変化については以前書いているので,そちらの記事参照のこと。→ 中世ヨーロッパの11世紀以前・以後)ところで,あえてリンクを張らなかったがこの元tweetをした人,どうも学者のようなのだが,この辺のことを知らなかったとするとすさまじく危ういような。中世ヨーロッパ史の根幹がすっぽ抜けているわけで。
閑話休題。ともあれ本書は決して怪しげな本ではなく,やはり信頼できる著者によるちゃんとした精神史の書物である。前半はゴシック様式の誕生した経緯について,精神史の観点から説明している。すなわち,「森林から抜け出た元農民たちは,都市でも母なる森林を必要とした」結果としての高層・過剰装飾・列柱のゴシック様式なのだということを語っており,様々な論拠を挙げていて強い説得力を持っている。特にバタイユを引いて聖性の二極面を説明し,死や自然への畏敬が教会へ入り込んでいったことを紹介したあたりは,とてもこの著者らしくて良い。
しかし1つだけケチをつけるなら,精神史を焦点としているといえど周辺的な事情についてはばっさり省いた説明になっている点を挙げておかねばなるまい。商業の復活と都市人口の増加により城壁の内側の面積が不足し,高層化の傾向が強まったこと。その延長線上にゴシック建築があることや,建築技術の発展はイスラーム文明の流入(12世紀ルネサンス)に負うこと等もほとんど記述が無い(12世紀ルネサンス自体は「スコラ学とゴシックの関連性」のところで触れているにもかかわらず)。完全に精神史に焦点を当てたはいいがそれで全て説明しようとしているところは,危うい。何より叙任権闘争に関連する事項は全くと言って記述が無かった。叙任権闘争があったからこそ教会は教義や儀式を西欧中に行き渡らせることができたのではなかったか。ずらずらと説明しろとは言わないが一言二言添えるだけでも違ったはずで,よく知らずに本書を手にとった読者が,(それこそ上記のtweetの類の)勘違いしないか心配である。
後半はルネサンス以後の精神史,ゴシックに対する毀誉褒貶を追う章となっている。こちらもおもしろいし,簡潔にまとまっている。こうして読むとルネサンスはゴシックの反発として全てをひっくり返しているなぁと。宗教改革はまだしも,ルネサンスがこれだけ残念系で語られる書物もなかなか無い。ゴシック=リヴァイヴァルの部分ではイギリスの庭園文化やピクチャレスク・廃墟・崇高などにも触れており,アレグザンダー・ポープやジョゼフ・アディソン,エドマンド・バーク,ホレス・ウォルポールといった,イギリス園芸について調べたことがあれば必ず知っている面々の名前も上がっている。この辺りの簡潔なまとめとしても優れている。一方,ところどころに著者のど直球な感想が入り込んでいるのも興味深い。特に宗教改革ではカルヴィニズムにはかなり手厳しい記述になっているが,著者は何か恨みでもあるのか。「エッフェル塔は崇高ではない」という著者のコメントも,これ自体意見の分かれるところだろう。
ゴシックとは何か―大聖堂の精神史 (ちくま学芸文庫)
著者:酒井 健
販売元:筑摩書房
(2006-05)
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