2006年11月18日
Invisible
とある科学研究所で透明人間になる研究をしていて、とうとうそれを発明する。しかし主人公のマッドサイエンティストはそれを悪用するようになってしまい、以下略。よくある禁断の科学ネタだ。
ごく普通の映画ながら、一箇所だけ見所がある。それは主人公が同僚の女性研究員をレイプするシーン。まず、動機が嫉妬という時点でこいつダメすぎる。そして透明人間がレイプするということは男のほうの姿は見えないわけで、
女が一人であえいでいるようにしかみえない。ここがこの作品最大の傑作だと思う。いろんな意味で。無論、俺は笑い転げた。
爆発オチはあるし、人は脈絡無く死ぬし、テーマは何を伝えたかったのかさっぱりわからない。レビューの文章のも、そりゃしかたがないってもの。
正しいB級映画の姿がここにある。
2006年11月14日
笑の大学
開始と同時に竹久夢二の絵が飾ってある壁が映される、その後10分間延々とまともなセリフが無いまま物語が進行するなど、のっけからこの作品はただものじゃないと思わされた。説明が不要なほど有名な、三谷幸喜脚本の映画である。借りてから気づいたが、舞台が浅草六区なので、自分がこれを借りたツタヤ浅草店はまさにその場所、ということになる。ちょっと驚きだ。
ストーリーはちょっとでも話すと笑い所のネタばれになるので伏せるが、爆笑はした。構成そのものは単純な、いかにも三谷幸喜な作りで、最後の最後だけ意外な事実でシリアスになり、全部は明らかにせずちょっと余韻を残す。名作『王様のレストラン』が、「それはまた、別のお話」で閉めたように。
音楽がいい味を出している。けして表に出てこないが、トランペット調のいかにも戦前な、「モダン」な雰囲気をかもし出す。実際矛盾した時代ではないか、鬼畜米英なんて言ってたのに、文化は半分洋風から抜けて出せず、そのままになっているなんて。
あと、どうでもいいことにつっこむと、さすが戦前だと思ったのは劇場の建物の内装。すごい狭い通路にすごい狭い客席。現代だったら、確実に消防法に引っかかって営業停止だ。きっとこういうところにも再現に凝ってるんだろうな、とも思ったが、ひょっとしたら場末の劇場なんて今でもこんなもんかもしれない。この映画自体のテーマが「大衆芸術とは何か」をひどく「小」上段に振りかぶって考えてるものだから、このどうでもいいつっこみそのものが、この映画を見た感想としては正しいものなのかもしれない。
2006年11月12日
trueman show
マスメディア時代を象徴したような、大変奇妙な映画。ある男「トゥルーマン」が生まれたときから、24時間365日彼を撮影し放映し続けるという番組「トゥルーマンショー」。それだけならまだ誰もが思いつきそうなシナリオだが、この映画のすごいところはこの番組トゥルーマンショーは、「やらせ有」なのだ。
なんとこの番組、彼の今日中する町がまるごとセットである。天候もセットで、ときどき人工的な雨が降る。住人も全員役者で、彼の勤める会社もセット。もちろん、彼の妻も役者である。現実的に考えたら人権侵害とか言う前にとても採算が取れない番組なのだが(CM流している暇が無いしね)、そこら辺は「映画というフィクション」なので勘弁して欲しい、というのは虫が良すぎるだろうか。
最も衝撃的なシーンは、彼が生き別れた彼の父親と再会するシーンだろう。彼の父親はドラマのためにセットから連れ出されていたが、隙を見つけて戻ってきてしまった番組にとってイレギュラーな存在である。しかしそれさえもドラマ性を上げるためにでっち上げた「やらせ」にしてしまう。この一見すれば感動的な光景を、何台ものカメラが彼に見えないように隠れて放映しているシーンは、非常にシュールだ。
しかし、これだけ無理な番組はいつか崩壊する。この父親との再会を機にトゥルーマンに番組の事情がばれてしまい、彼は逃亡を図る。果たしてその結末は?ここでそれを書いてしまうのは野暮というものだろう。
この映画は少々古いものであるが、最大のポイントは昨年、同じく24時間放映し続けるサスペンスのテレビ番組「24」が始まり、そして大ヒットを飛ばしていることだろう。もっともこちらはあくまでテレビ番組であり、リアルタイムなサスペンスとしておもしろいのであって、トゥルーマンショーのようにテレビ番組をメタ的に取り扱っているわけではない。しかし、トゥルーマンショーが映画館で放映されていた10年前に、「24」のようなテレビ番組が放映されるなどということを、誰が想像できただろうか。そこを意識してみるのが、21世紀人の楽しみ方ではないだろうか。
2006年11月10日
beautiful mind
統合失調症にかかった数学者がノーベル賞を受賞するまでの、ノンフィクションストーリー。とは言っても,割りとフィクションの部分も多いらしい。
最初からそのことを知ってても、初めて見た人は主人公と一緒にだまされることだろう。実は映画の前半がある一定の割合で主人公の幻覚なのだが、どこまでが幻覚で、どこまでが現実なのか、真相が明かされるまでさっぱりわからなかった。彼の幻覚はそれくらい自然なのだ。
映画の後半は病状が明らかにされ、妻が献身的な介護を始める。まあぶっちゃけてありがちな「愛が全てを救う」話なわけだが、むしろ彼自身の懸命な努力が自分の心を打った。映画の結末のネタばれというか、ノンフィクションなわけだから、ノーベル賞受賞という事実がこの映画の結末を物語っていると言えるだろう。奇抜なテーマに平凡なストーリーではあるが、一定の感動は与えてくれると思う。
主演のラッセル・クロウといい、皆名演技だった。ラッセル・クロウはグラディエーターのイメージしかなかったので、いいイメージの刷新になった。他だと特に幻覚の役を与えられている人々の迫真的でかつ気づいてみるとどうみても怪しいという、微妙さを要求される演技はおもしろかった。
最後に。まあ自分が心配することではないがこの映画は、天才と何かは紙一重、という風説をより流布してしまうのではないか、と思わないでもない。まあ、理三とか見てると風説じゃないような気もするが。
2006年11月07日
アドルフの画集
画家志望だったヒトラーが、ユダヤ人の画商にその才能を見出されて親交を結んでいたらどうなっていたか、というifの話。名作の匂いしかしなかったので、借りてきた。
ベジタリアンで酒もタバコもせず、個人に関してはショーペンハウアー信奉者で、とヒトラーの細部に関して描写してあるのが素敵。演じるノア・タイラーがはまりすぎてて怖かった。ユダヤ人が画商なだけだって、当時の美術状況を垣間見ることができたのもおもしろかった。「モネの『睡蓮』はださい」なんて今じゃ聞ける話ではない。
もちろん美術状況だけじゃなくて社会状況もよくわかって、特に「プロパガンダは新しい科学だ」と発言する軍人の姿はなんでも科学っぽく扱えば正当化できてしまう近代の病理をよく象徴しているんじゃなかろうか。それにしても当時のユダヤ人の描写が裕福すぎる。本当にあれだけの格差があったとしたらそりゃユダヤ人排斥運動も起こることだろうに。もっともあの画商はユダヤ人の中でも裕福な部類に入るのだろうが。
ヒトラーとユダヤ人画商の美術討論もおもしろい。ヒトラーは、進歩主義でかつ古典主義で、「芸術は完璧に向かって前進する」とか「調和こそが美だ」とか主張する。そしてヒトラーの美術理論は政治に適用するとそのままナチスの思想になるわけで、非常に納得がいく。
対してユダヤ人の画商は相対主義的で、当時のはやりだった抽象的なエルンストを画廊のメイン看板にすえている一方でヒトラーの写実的な絵画も許容している。最初ユダヤ人の画商はヒトラーの絵に関して「技術は高いが感じるものが無い」とけなしつつも、生活の面倒を見るようになる。一方ヒトラーはその恩義を感じつつも、自分の絵が画商になかなか認められないことに苦悩する。
やがてヒトラーは軍での上司に誘われ政治の世界へ傾いていくが、皮肉にもそのことが絵に活力を与え、ユダヤ人の画商にとうとう認められることになる。果たして政治家になるべきか、画家になるべきか悩むヒトラー。エンディング付近は特に凝った演出が多くて非常に感動した。こういう芸術性の高い映画は貴重だ。ぜひ自分の目で、結末を確かめてみてほしい。
2006年06月16日
12人の優しい日本人
原作三谷幸喜のちょっと古い映画。日本にもし陪審員制度があったとして、ごく普通の日本人が陪審員を務めたらどうなるだろうか。それが殺人事件で、死刑の可能性のある裁判だったなら…という、日本人の性質を知っている人ならすぐわかる、恐ろしく皮肉のきいたストーリーである。
優しさって何だろう。被害者に加担することか、それとも加害者に情状酌量の余地を認めることか。ご想像のつく通り、12人の優しい日本人たちはなかなか判決を決められない。
具体的にどういう事件でどういう判決になったかは映画を見てもらうことにして、最後まで判決は二転三転する。なあなあで何でも済ませたい日本人、自分が責任を負うことに弱い日本人、他人に対する関心の薄い日本人、平和ボケの日本人。12人がそれぞれの、いかにも日本人的な要素を持っていて、その全ての要素が、明確な判決を下すことには向かないのだ。無用な議論を繰り返すことには、とても向いているが。
ゆえに笑いどころがわからないと延々と冗長な議論をしているだけの映画に見えるかもしれない。日本人のための映画といえるだろう。外国人には「日本人の特徴を極端にするとこうなりますよ」と紹介して見せると、おもしろいかも。
実はこれパロディ映画で、元ネタが「12人の怒れる男」という、ほぼ同設定のハリウッド映画。もちろん登場人物は全員アメリカ人で、議論が活発に交わされ「正義」とか「人権」とかが議論の中心的なテーマとなる。このギャップを楽しむのもおもしろい。
三谷幸喜の笑いの作り方とか、ブラックジョークが笑える人なら、抱腹絶倒間違いなし。現在日本では裁判員という、陪審員とは似て非なる謎の制度が09年に、試験的に導入される予定である。そんな今だからこそ、見る価値が増した稀有な映画であるとともに、もしこの事態を予見していたなら三谷幸喜の観察眼に改めて驚嘆するしかない。
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2006年06月10日
saving private ryan
リアルな戦争描写で有名なこの作品だが、他の戦争映画では考えられないような血しぶきの飛び方をしていてびびったことは確かだ。真っ赤に染まる海と、腸のはみ出た死体。史上最大の作戦と呼ばれるノルマンディー上陸作戦だが、公開当時アメリカでは15禁になったというのもうなづける話だ。日本は規制が無かったが、緩いのか、それとも日本人が死んでるわけじゃないからか。ちなみに98年だから、当時は自分は15歳じゃなかった。
ストーリーのアウトラインはいかにもハリウッド的スピルバーグで、フィクション100%という感じだが、珍しいのは陸軍上層部を批判していたこと。3人の兄弟が戦死したライアン一家のために、末の弟を前線から故郷へ連れ戻す、という話なのだが、この無茶な命令を出したのは司令部なわけで、実際ライアンを助けるために部隊は多大な被害を受けることになる。それ以外にもよく見ると、随所に「前線を理解して無い司令部」を批判してる節が見られ、ここはハリウッド的じゃないな、と思った。
インディペンデンスデイとかアルマゲドンとか見てチープだなあと思ったら、この映画でもどうぞ。
以下、ネタばれ。
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2006年02月06日
マグノリア
名高き芸術映画。芸術の部分は電波と読み替えてもらってもいい。まずこの映画、主人公が何人かいて、不自然なタイミングで切り替わるのでしっかり見ていかないと今は誰の話なのかわからなくなる。一応メインはトム・クルーズが演じる講師なのだが、彼の主催するセミナーのタイトルは「誘惑してねじ伏せろ」。セミナーの内容は言わずとも想像がつくだろう。観客は皆ぶさいくな男たちである。この講演会の様子はまるで宗教のようで、ひょっとしたらそれを揶揄しているのかもしれないが、まさかトム・クルーズ自身が宗教にはまるなんて、この映画を作った時点では想像がつかなかったのだろうか。(映画は6年くらい前)
またこの映画はやたら皆Fuck!と言いまくる。映画中に200回くらいは聞いた。180分映画だから一分に一回聞いたと考えると、やっぱりこの数は大体正しいと思う。まあ登場人物は皆ありえない現象が起きて不幸になるので、仕方がないのかもしれない。しかし文句の言葉をFuckで統一したのはうまい。トム・クルーズのセミナーといい、この映画どこか退廃的であって、Fuckという汚い言葉は、それによくあっている。
何よりもこの映画を有名たらしめているのはやはり「カエルの雨」だろう。映画中にテレビの天気予報で「曇時々蛙」と出てくるが、何も知らずにこの映画を観た人は見逃すか、目の錯覚だと思うことだろう。だって、本当にカエルを降らすなんて、知っていても想像がつかなかったのだから。あのシーンは、とてもえぐい。多分一千匹単位でカエルを降らせているのだと思うが、当然アスファルトに当たればぐちゃっと音を立ててつぶれ、赤い血が吹き出す。かなりスプラッターな光景である。我が母は両生類が大嫌いだが「マグノリアは最悪の映画だった」と言っていたのもうなづける話だ。
このカエルの意味は何か。カエルであることに意味はあるのか。こういったことを考えさせるこの映画は、やはり芸術映画なのだと思う。180分なのでとてつもなく長いが、おもしろかったので映画好きなら観ても損は無いだろう。
ちなみに自分ではカエルだと表面がぬめぬめしていていかにもグロテスクなことに加えて、カエルの丸みが一番つぶれたときに血が吹き飛びやすかったからではないかと思っている。では、カエルが降ってきたこと自体の理由はというと、映画の退廃的な雰囲気にとどめとして、スプラッターな印象を加えたかったからではないかと思う。エロとグロはよく似合う面がある。もっとも、そのためにカエルの雨という演出をもってくるのは、ずいぶん奇抜だと思ったが。観たことある人はどう思ったか、ちょっと聞いてみたい。
なお、マグノリア(magnolia)とはモクレンという花のことで、薄ピンクの花を咲かせる、妖しげな雰囲気の花である。この映画のタイトルにはぴったりだが(その割に映画中にこの花は目立って出てこない)、花言葉が「威厳」というのは、あまりにも似合わない。
2006年02月04日
空騒ぎ
ケネス・ブラナー監督の『空騒ぎ』。シェイクスピアの映画化というと、この人だ。それでこの作品は原作自体喜劇であるからか、ごく普通の娯楽映画という感じに仕上がっているし、実際すごくおもしろかった。もうね、ベネディックとベアトリスのツンデレカップルっぷりがたまらなく笑える。ツンデレは男もそうでなければうまく成立しないと言われているが、これは好例だ。ベアトリス役とヒーロー役の女優さんがものすごく美人なのがすばらしい。
男役も見事なまでにイケメンでそろえている。それにしても、キアヌ・リーブスが悪役というのは珍しい。いや、もっと不可解なのはその兄がデンゼル・ワシントンだということだ。兄弟で肌の色が違うぞ。それはともかく、ベネディックがかっこよすぎる。単なるイケメンというわけではなくて、立ち居振る舞いが堂々としていて、それでいてコミカルだから、なんだか全面的に敗北したような気がする。男として。
どうせなら原作知らないうちにこれ見たかったかも。せっかくの陰謀も、最後どうなるか全部わかっちゃってるわけで、いまいち緊迫感には欠けた。シナリオは原作に非常に忠実だった。セリフ回しまで忠実で、そのまま映像化した感じ。まあこの作品に余計な味付けはいらないかもしれない。
さて、問題はアダプテーションの助けになれば良いと思って映画を見たわけだが、いい映画すぎてアダプテーションが浮かんでこないということだ。やっぱりいっそのこと学園ものにしてしまうか。いや、それだと『空騒ぎ』のシナリオを知っている人ならわかると思うが、完全なただのギャルゲーになってしまうので、教官が評価してくれるのかどうかが果てしなく疑問だが。あの教官なら、大丈夫かな?
2006年01月30日
Lost in translation
ソフィア・コッポラ監督の、大橋教官が「私を激怒させた作品」と言っていた映画。一方でツタヤには大量においてある上常にDVDの半分は借りられている状態ということを考えると非常に人気なのだろう。このギャップは何だろうと思って観賞。
結果は……大橋教官ほど酷評はできないが、彼の言いたいことはわかる気がする。テーマがさっぱり伝わってこない。ダンディなおっさんと若奥様が刹那的な不倫をするだけの話で、別に美しい恋愛の話というわけではない。もしこれがタイトル通り「翻訳不可能性」という難解なテーマを掲げたつもりなのだとしたら、そりゃもう"I raged against it!"と言われても仕方が無いだろう。
舞台が東京であるにもかかわらず、外国人から見た東京の光景であるがゆえになぜか旅情を感じさせられてしまうところが、この映画が一般受けしている理由なのではないだろうか。脚本でアカデミー賞もらっているだけあって、物語の流れ自体はうまいと思うし、物語に伴って流れる東京の風景もよくもこれだけ美しく撮ったなあという感じがした。むしろ、風景を楽しませるために中身は無いが流れはわかりやすい恋愛映画にしたんじゃなかろうかと思わないでもない。
具体的にどこが出てきたかというと、渋谷が中心だった。Q-Frontから道玄坂やセンター街にかけての街並は何度も出てくる。図らずもマツキヨのどやかましいお兄さんはハリウッドデビューしてしまったことになる。ものすごく恥さらしな気がするが。映画の撮影がどうも選挙中だったらしく、選挙カーが道を走っていた。世界に名が売れるなんて、あの政治家も幸運だ。もっとも彼が当選したかどうかは、知る由も無いが。
地下鉄にも乗っていたが黄色の路線図なので、おそらく銀座線だろう。あとはゲームセンターのシーンがあったが、そのとき思いっきり映っていたのがギターフリークスと太鼓の達人。海外のゲームセンターに、ああいったものはあるのだろうか?それとも「日本人は奇特だ。本物でやればいいのに」とか思ったのだろうか。新幹線に乗って京都へ。新幹線は700系だった。京都では朱塗りの建物を見学していたが、あれは多分八坂神社だろう。
何より日本の恥さらしてるなあと思ったのが、主人公が日本のトーク番組に出演するしたその番組がマシューTVだったということ。冷静に見ると、藤井隆が痛すぎて見てらんない。あれがハリウッドに流れたのだと思うと、同じ日本人として泣けてくるんだが……
そしてラストシーンは首都高。これはかっこいい演出だった。けして悪い映画ではない。「異郷としての東京」を観てみたいなら、むしろお勧めするが、ストーリーとかテーマとか求める人は、回避すべきだろう。
2005年12月17日
テンペスト(後編)
見終わった瞬間眠くなったデレク・ジャーマンの「テンペスト」。めげずに今日もレポートの草稿代わりに考察してみんとす。まず、大橋教官が言っていたわけだが、監督のデレク・ジャーマン自身がゲイ。「ゲイ的演劇的センスが爆発している」らしいのだが、爆発しすぎて意味不明だった、というのが正直な感想。「シェイクスピア作品のアダプテーションというより(前衛)芸術映画として扱われることが多い」らしいのだが、おおよそにおいて芸術映画≒電波なわけで。
まず毎度注目のエアリエル。今回は白人男性で安心かと思いきや、やっぱりゲイ。で、今回はキャリバンもゲイ。というかこいつが最高にキモイ。常に「ゲハハ」笑ってるし、太ってるし。生理的に何かがヤバイ。原作には登場しない、キャリバンの母親のシコラックスも一瞬だけ登場するんだが、この女性も生理的にヤバイ。もちろん太ってらっしゃる。なんていうか、ヤバイ以外の形容詞を使いがたい。
こうなると全部疑わしい。キャリバンと行動を共にすることになる、ステファノーとトリンキュローもゲイっぽい。トリンキュローが原作と違って太っている。そういえば、前回見た南北戦争の「テンペスト」にはこの二人登場してないな。確かに考えてみると、大した役をしていない二人だから、必要ないといえばそうだ。これは比較した成果かもしれない。
プロスペローもどことなくゲイっぽい。というか若すぎて不自然。とても16の娘がいるとは思えない。ゲイ的センスといえば、エアリエルとファーディナンドという、作品でも若い男二人がしばしば裸体で登場する。そこまではまだ理解の範囲として、モザイクが時々ずれてナニが見えてしまっているのもゲイ的センスなのか。正直ゲイはもう飽きた。
さて、他の部分に突っ込みを入れてみる。まず基本的なところから。舞台は19世紀ヨーロッパの古城らしい。ただし、セリフはわりと原作に忠実。ときどき原作とは違うが。なんだかファーディナンドが原作よりも荒れっぽい気がする。これは仕方ないが、映像が古い。さすが80年制作。しかし、画面全体が暗くて見づらいのは芸術作品だからか。BGMも無い。テーマ的には最後の和解に重点を置いている。あそこだけ、やたら緻密で長かった。まとめるに、ゲイ的センスのためにいろいろ犠牲にした作品だなあと。まあこれで、完全に字数書けそうなので、今からがんばってみる。
2005年12月16日
The Tempest
とかなんとか言いつつ眠気に負けて映画を見終わったところで寝てしまった。仕方が無いので朝更新とかしてみようと思う。テンペスト2作を鑑賞した。英文学のレポートの草稿も兼ねて報告してみる。
一作目は、1988年制作。監督はジョン・コリー…らしいのだがこの人もこの映画も、どれだけぐぐっても出てこない。(ジョン・コリーのほうは唯一手がかりになりそうな情報が、最近ラッセルクロウ主演の映画「マスターアンドコマンダー」の脚本をやっていたとのこと。)当然教官のリストにも載っていない。レポートに書いていいのは教室で紹介したものだけらしいので、これは使えない。もう一作見る必要があるようだ。しかも制作BBC、協力NHKなのに、発売ポニーキャニオンって何だろう。ひょっとして無名?というか何で渋谷のツタヤに入ってたのか気になるところだ。映画界の神秘に触れてしまった気がした。
内容はいたって普通。原作に忠実にストーリーが進んでいく。ミランダもそこそこかわいかったし、ファーディナンドもかっこよかった。この映画を見た最大の感想は、いままでずっと女だと思っていた風の妖精エアリエルが男だったという衝撃の事実だ。それだけならまだいい。しかも黒人男性。そしてゲイ。動きがなまめかしいんだよね……致命的なのは、妖精たちが集う宴のシーン。さすがに女性も出てくるのだが、なんでお前ら皆太ってるんだ。ギリシア美人とでも言いたいのか。んで、男ども。さすがにゲイかどうかまではわからなかったが(あまりに出番が少ないので)、なんで皆動きがなまめかしいんだ。これがゲイの美学ってやつか。いろいろ超時空な作品だった。
二作品目。1998年制作。ジャックベンダー監督。こちらは割りと有名な作品らしい。舞台は原作とは大きく変わって南北戦争時のアメリカ。89分と短く、しかも序盤ちんたらちんたらしてるので期待はずれかなと思いきや、後半けっこう面白かった。なにより、テンペストを基礎にしつつも当時のアメリカの奴隷制度の問題を絡めて論じているところがおもしろい。原作では黒人はキャリバン一人だったのに対し、この作品ではエアリエルが黒人、キャリバンがむしろ白人になっているのにもメッセージを感じる。あ、今回のエアリエルは黒人男性でもゲイではないのでご安心を。
原作ではプロスペローの魔力が強すぎて一方的に話が進んでいくところに、「銃VS魔法」という二項対立を設定して物語をわかりやすくしているのも興味深い。この作品、原作のテーマである「和解の精神」と「奴隷問題」、加えて「信じる力」と3つもテーマを設定していてしかも重層的に絡んでいるので、物語自体は原作よりもストレートにしないと89分に収まらなかったのではないかと思う。だったら時間長くしろよ、と思わんでもないが。89分でだいぶ短くないか?何よりミランダが美人だったのがよかった。なんせこの作品、ミランダ以外の女性がほとんど出てこないむさい作品だから、とオチにしてしめておく。
2005年12月05日
マルコヴィッチの穴
ジョン・マルコヴィッチを知らないとどうしようもないわけだが、まあ有名で気難しいアメリカの俳優さんだと考えてくれればかまわない。
この物語は、うだつのあがらない主人公が入社した会社で、マルコヴィッチの脳内と直結しているトンネルを発見するところから始まる。突拍子も無い発想で、よくこんなアイデアがひらめいたなと思う。加えて、単純な設定かと思ったら意外と練りこまれた設定で驚いた。SFと言っていいかもしれない。
どこを離してもネタばれになるので大したことは書けないのが残念だが、これは非常におもしろい。全く先の展開が読めないわけではなく、後から考えるとけっこう伏線だらけだったりするのだが、驚きの連続で飽きないだろう。人間の意識とは何か?という命題を扱っていると聞くとお堅い内容に思えてくるが、ユーモアで装飾されているのでそうは感じさせない。
しかし、よくマルコヴィッチがこの映画を許可したなあ、というのが、一番の感想だったりする。
以下、ネタばれ。白抜きにしてある。
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2005年11月18日
ルーブル美術館の秘密
ルーブル美術館の開館する前の様子を記録した映画。なかなかに興味深かった。学芸員の方々のこだわりが、やはりすごい。照明の光の角度や飾る順番による印象の違いにとことんこだわっている、1cm勝負の世界。作品の運搬も大変な仕事だ。何しろ数メートル級の大物が多い。狭い廊下や段差に差し掛かるとひどく手間になる。
驚いたのは、作品の修復作業だ。飛鳥大仏が改修されすぎて正式に現存してるのは既に鼻だけ、という話を聞いたときも驚いたが、ルーブルの作品たちもけっこう大胆に改修してしまっている。色重ねて塗ったり、やすりで削ったり。カビも大敵だが、カビの生えた部分を惜しげもなくばっさりと切断してしまったときには衝撃を受けた。残しておけば作品全体がやられてしまうわけだから切り落とすのは当然なのだが…一人の裁量でできるものというのが驚きだった。
作品の収集や選別、管理も重要な仕事だが、35万点もあるとどうしても管理しきれないらしい。とある学芸員のおじさんが「あのティツィアーノどこだっけ?」とぼやいていたのを聞いて吹いた。確かに一つ一つは貴重なものばかりなのだが、こうプッサンやらレンブラントやらがごろごろしていると名作の投売り状態で、感覚も変わってくるのかもしれない。特に美術史上重要な作品でも一般に有名でないものなんかは、表に出さず倉庫に置きっぱなしなようだったし。
どの種類にしろ、作品への愛と情熱、知識、そして何より体力が無いとやっていけない仕事ばかりだ。学芸員の資格は欲しいが、自分に一番足りてないのは体力だろうか……
2005年11月13日
真珠の耳飾りの少女
絵じゃなくて映画のほう。
感想だが、映画としては微妙。無用な描写が多かった。自分が理解できてないだけなのかもしれないが、伏線なのかなと思ってみていると全然関係なかったり。そもそも少女の恋人役として精肉店の跡取り息子が出てくるのだが、こいつの存在理由がよくわからない。確かにラストでちょっと出番が必要なわけだが、恋人である必然性を感じない。少女の聖性を表現したいなら、むしろ逆効果だった。
だがほめるべき点もけっこうある。まず絵画一枚、それもこのような名画からこれだけのストーリーを想像し映画にしたという試み自体に賞賛したい。これは歴史物全体に言えることだが、記録に残っているデータや伝承に残っているその人の性格や容姿に反しないという鉄則さえ守れば、あとはどんな妄想でも繰り広げて構わないと思う。その意味でこの映画は非常に正しい。フェルメールの像を崩さず、少女以外の登場人物は実在の人物を使い、かつ想像のぎりぎりの範囲で物語を仕上げている。
もう一つは、芸術家としてのフェルメールの描き方。多分この監督さんは、芸術家の像に何か確かなビジョンを持っているんだと思う。芸術を解する者への温かさ、芸術以外のものごとへの無関心さ、それでいて機械にはなりきれない人間臭さ。ここまできちんと描けているのは見事だと思った。
絵に興味があれば、どうぞ、という程度。
2005年11月08日
GLADIATOR
グラディエーターを見た。まず、史実と違うとか云々言う前に普通におもしろかった。歴史モノに欲しい要素、つまり合戦の圧倒的な迫力とか、男のロマンとか、そういうのを全部コンスタントに表現できていたのが勝因だと思う。個人的にほめたいのは、致命的な時代考証ミスがあまり無いということ、そして致命的な史実とのズレはおそらくストーリー展開上仕方ないものか、ある程度ローマ史に詳しくないと逆に不自然に感じてしまうものしかなかったので納得してみれたということだ。
たとえば主人公マクシムスが皇帝に戦勝の褒美を聞かれると帰郷を願い出たが、これは実際のローマであれば将軍をクビにしてくれと願い出ているようなものであり史実に忠実にするならばおかしい。しかし、現代人から見ればこれはヒューマニティの表現であり、不自然でないどころか主人公に親近感を持たせることに一役買っているだろう。詳しくは『ローマ人の物語11 終わりの始まり』で塩野七生が詳しい考察をしているので、興味をもたれた方はこの本を読んでから映画を観るとおもしろいと思う。
この映画は暗君コモドゥスに対する、彼に家族を殺された元将軍マクシムスの復讐劇なのだが、コモドゥスの描き方がおもしろい。コモドゥスの父は有名な最後の五賢帝、マルクス・アウレリウス帝であるが、コモドゥスには父ほどの力量は無かった。マルクス・アウレリウス帝のような清濁を合わせ飲む懐の広さも無く、純粋で精神が弱かった。父にも姉にも見放されていて、家族内でも孤立無援だった。
つまりピカレスクロマンに浸らせてくれるような悪役ではなく、むしろ彼自身歴史の被害者だったのではないかと思わせる描き方をしている。民衆のためにがんばってはいるのだけれど、何をやっても裏目に出る。野心や虚栄心は強いけど、それは父やマクシムス、特に姉に対する嫉妬の裏返しだったりするところも、確かに彼は悪に徹しているにもかかわらず、なんだか憎めない印象を演出していると思う。何より俳優さんの微妙に情け無さそうな顔がはまりすぎていた。むしろこの映画の見所はマクシムスではなく、コモドゥスではないかと思う。
2005年10月24日
Life is beautiful
昨日のブックレビューとイタリアつながりで、というわけではないが「Life is beautiful」を見た。戦場のピアニストと似たような路線で、要はホロコーストの話だが内容は大きく違う。
戦場のピアニストは主人公がけっこう静かな人で、ポーランド系ユダヤ人。つまり迫害の理由十分な人で、これでもかというくらい次第に最悪な状況に追い込まれていく。期間も非常に長い。作中では詳しく語られていなかったように思うが、10年近い逃亡生活だったのではないだろうか。そして、彼は常に一人である。生きる意志は最初はいろいろな理由があったのだが、物語途中から(特にワルシャワ陥落直前あたりから)純粋に生きたい、という自己目的化しているような感じが強い。
一方Life is beautifulの主人公はすごく陽気な人で、典型的なイタリア人だ。ユダヤ人と言われても納得がいかないくらい。さらにイタリアということでユダヤ迫害開始も遅く、終戦も早い。こちらも詳しくは語られていないが1年か2年じゃないだろうか。主人公の陽気さもあって、また彼が一緒に連れてこられた妻や子供のため生きようとしている姿もあって、あまり悲壮感は無い。「楽しくなくては生きる意味が無い」というよりも、「生きているからこそ楽しくしよう」というのが伝わってくる。
両者に共通していることは、「とにかく生きよう」という意志だ。しかしその根源も結果も違う。偶然ではあるが、うまく好対照となっている。細かな共通点としては、両者とも現地民、すなわちポーランド人とイタリア人の妻がいるということだ。これは簡単に別離の悲劇を演出できるし、再会の喜びも演出できるという物語構成上の理由だと思われる。しかし、これは単純に戦場のピアニストを先に見てしまったという理由であってLife is beautiful自体は悪くないのだが、正直二度も同じ手段を使われると冷めてしまった。
自分としては「生きているからこそ楽しい人生を」という姿勢には非常に共感できるし、この姿勢こそまさしく美しい。特に、ウィットの効いたジョークがたくさん出てくるところがおもしろかった。だからLife is beautifulも好きだが、単純な映画としてのインパクト、感動できる具合としては、戦場のピアニストのほうが上だと思う。やはりあれだけの衝撃は絶望的なまでの悲劇じゃないと演出できないのだろう。あとシンドラーのリストを見れば、ホロコースト系の有名作品はコンプリートと言えるかもしれない。悪いが、東大教官がなぜか口をそろえて賞賛するショアーは講義中少しだけ見たが、長い&歴史は動いた的誇張が多いので、見る気がしない。
2005年10月19日
薔薇の名前
さてようやくツタヤで借りて来れたので、見た映画のレビュー。珍しくマイナーな映画でも。というかまた古いな…(1986年制作)
原作は有名なイタリアの文学者ウンベルト・エーコー。主演はショーン・コネリー。けっこう本格的な推理物だった。時代は1327年。つまりバリバリの中世。主人公はアリストテレス信奉者の現実主義者だから、現代から見ると当然の行動なのに中世ゆえに白眼視されている光景がおもしろい。訪れた修道院で殺人事件が起こってそれを解決しようとするわけだが、キリスト教内の宗派同士の教義による対立、権力争いが重なって実におもしろい。確かにこれは時代設定を中世にしないと描けないだろう。
何より際立つのが、書物の希少性。たった一部屋の書庫で「この修道院には何て本が大量にあるんだ!」と感動する主人公に、共感を覚える現代人はほとんどいないだろう。当然この書庫が事件にかかわってくるわけだが、それは見てからのお楽しみ。けっこうグロいので、耐性が無い人はやめといたほうがいいだろう。と言ってもパッションよりは相当マシだ。構成がまとまっていて、無駄な部分が無い。さくさく話が進むので飽きないだろう。
この映画で最大の問題点は、古いということだろう。DVDが借りられていてビデオで見たせいもあり、画像が荒い。音声も時々飛んでるし。文化財保護活動者で、テクストの重要性を訴えたエーコーの作品がぼろぼろになっているというのも、何とも皮肉な話ではある。中世ヨーロッパの様子とか、推理物が好きなら是非。
2005年08月31日
永久に美しく
どうにも暇なので、再び昔の映画でも観賞した。今日は映画から「永久に美しく」。
観賞開始1分後での感想。メリル・ストリープが若い!(笑)そういえば今何歳よ?
この映画、何度観てもおもしろい。永遠の若さとは何かと訴える映画ではあるが、このハイレベルなギャグタッチは何とかならないものか。演出が細かい。けしてストーリー自体は複雑では無いし、テーマもよくある話なのだが、話の流れが滑らかなので飽きない。
この映画の最大のポイントは、永遠の生命、若さを手に入れる薬を飲んでも、肉体の死を止められるわけではないということだ。すなわちこの薬は老化を止め、二度と死なない体にはするが、別に体の自己修復能力を向上するわけではない。だから、肉体が本来の自己修復能力を超えた致命傷を受けると、魂は生きているのに、肉体は腐っていく。薬を飲んだ登場人物たちも、腹に穴が空いたり首が180度回転したりしているのに生きており、生きながらに体が腐っていく。
こう書くとなんだかえぐいが、だからこそ話が明るくギャグタッチなのだろう。ところでこの映画のテーマは何か。さっきは「よくある話」と書いたが、それはどうとでも取れるからだ。自分はあえて、「老いたら無理するな」という見方をしてみたい。登場人物で、若返ろうとしたり薬を飲んだ人物の行動によって迷惑を被っているのは、全て老いた人々だからである。テーマを考えながら見るのも、おもしろいだろう。
2005年08月05日
ローズ家の戦争
あまりに暇だったので、家にある古い映画を見た。その名も「ローズ家の戦争」。無論,イギリスのばら戦争が名前の元ネタである。
円満な家庭を築いてきたローズ夫妻だったが、妻の神経質な性格が災いしてやがて離婚へ。ところが、二人とも共同で購入した家を手放したくないという。話合いで決まるはずもなく、離婚戦争は言論から体力勝負へ移行していく、基本的にはコメディー映画。
この映画、構成がおもしろかった。夫の顧問弁護士が離婚相談でやってきた別の男性に、回想という形で語るところから始まるのだが、回想と現在が細かいところでリンクされていて、ラン・ローラ・ランのように細部に注目して楽しむことができるようになっている。またメインである離婚戦争も、次第にエスカレートしていく様子がおもしろい。最初はささいな事故だったのに、恨みから次第に故意の色が強くなり、最後はほとんど殺し合いに近い。古い映画だから特殊効果などは無く全部スタントなのでいまいちリアリティには欠けるが、CGを多用した現代の映画のほうがリアリティがあるというのも妙な話だ。
この映画の残念な点は、離婚の原因が客観的に見て妻のほうにしか無いこと。男性特有の意見かと思い母に聞いてみたが、母もそう思うらしいので偏った意見では無いだろう。そのせいで、どうも男性よりにしか見れない。離婚の原因が平等にあれば、さらにおもしろかったと思うのだが。ネタばれになるので書けないが、オチがたまらなくシュールなので「なんだそりゃ!?」と叫ぶかも。俺は叫んだ。見事な伏線処理だった。かなりお勧め。暇ならぜひ。
2005年07月07日
the PASSION of the Christ
文字や想像力では、表せないものがあると思う。想像力がいかに無限といえども、理性がストップをかけることだってあるから。そういった場合、五感から受容する。そしてそのパワーはすごい。
とにかくグロかった。リアルすぎる。ほんとに12禁?バトルロワイヤルよりよほどエグイよ?日本人で汎神論な自分でこれだけ衝撃的なんだから、西洋人のショックは計り知れない。釈迦の入滅やムハンマドの死があれだけ穏やかだったのに対し、キリストはこれだからね……ピラトーが有能で、キリストを黒海追放の刑にしていたらキリスト教はこんなに広まらなかっただろうと塩野七生が言ってたけど、磔刑のシーンにはそう思わせるだけの破壊力がある。
キリストの復活で終わったけど、ラストが圧巻だった。そう来たか、という感じ。一見の価値有。
ちなみにご存知の通り、この映画ラテン語とアラム語とヘブライ語で演じられている。ピラトーのラテン語はかすかに数字とか基本動詞くらいは聞き取れたような…アラム語とヘブライ語は、区別すらつかんかった。(登場人物が何人か考えればわかるけど……)アメリカ人にとっては、久々に字幕で見る映画になったと思われる。そう考えると、普段字幕でしか映画を見ない我々にとってはなんだか奇妙だ。
2005年06月22日
TVアニメ版「AIR」
あまりこういう話題はここでは出さないつもりだったけど、萌えとか抜きですばらしかったので、残しておこうと思う。普通にレビューしてもだたのオタクの叫びになってしまうので、なるべく普段の映画レビューと変わらないように。
最初は20時間かかるこのゲームを、約6時間ばかりでまとめることなんてできるはずがないと思っていたけど、そんなこともなかった。確かにかなり駆け足だったが、過不足無くまとまっていた。
特に、監督を褒め称えたい点がある。こういう多数分岐できるゲームのアニメ化でよく失敗するのは、全てのシナリオを追いかけようとするあまりに主人公の動きが不自然になることだが、今回はそれが無かった。まず最終的にメインとなる観鈴以外のヒロインとは、恋仲にはならないように設定を変えた。もともと恋愛要素の薄いゲームだったので、それは簡単だったと思う。さらに、観鈴を他のヒロインと絡ませることによって、不自然さを打ち消した。またそれによって、観鈴の「友人ができない体質」という伏線や、観鈴が主人公に惹かれていく描写が際立ち、作品により深みを与えたというのは、制作側としても予想外の出来事だったと思う。
シナリオは言うまでも無く。ゲームプレイヤーは昔の感動を思い出すだろうし、初めて見る人は涙を流さずにはいられないだろう。美しい、そして悲しい物語。むしろアニメのほうがゲームよりも、流れが一本線な分、伏線の処理の仕方がうまく、疑問点の残らない終わり方をしている気さえする。
音楽は完全にゲームの使いまわし。ゲームのBGMが神がかった出来だったので、あきらかに手抜きであるとは思いつつも、文句を言えない現実がある。しかし、時間の都合とはいえ、ボーカル曲を途中で区切るのはいかがなものか。このアニメ唯一ともいえる不満点である。
グラフィックは、本当に神の仕事。人物はさることながら、海や空の描き方。夏のイメージをうまく増幅している音楽とあいまって、本当に田舎の夏を体感できるだろう。原画が独特なので受け付けがたいかもしれないが、そこは慣れるしかないだろう。これを理由に見るのをやめるにはあまりに惜しい出来だ。
2005年06月20日
最狂絶叫計画
なんか急激に内容の品が下がったが、気にしちゃダメだ。たまたま友人が泊まりに来たので、前述の通り映画を見ることにした。本当はTaxi NYを借りようと思ってたんだが、DVDが既に貸し出し中でアウト。仕方が無いからこっちを借りてきた。
で、内容だけど……正直パワーダウンか。いや、品の無さは変わってないけど。少々内容がシリアスすぎた気が。前作ほどぶっ飛んで無い。その癖あのオチは…なしだろう。うん。
今までのはノリがどっちかというと
「ホットショット」に近かったけど、今作は
「オースティンパワーズ」とか
「フリントストーン」のノリに近かった。まあそんなところ。2まで見て、3も見ないと気が済まない気質の人はどうぞ、という感じ。
やっぱ「ホットショット2」を超えるパロディ映画は、もう作られないのかなあ……てかどうせなら「ホットショット」をぱくるくらいの根性は見せて欲しい。次世代のパロディ映画には。てか俺、ギャグ映画ばかり観すぎ?なんかアメリカ人と笑のツボが似てるらしくてね……
一応判明している元ネタ。
・リング
・サイン
が機軸で
・マトリックス(またかよ!)
・マトリックスリローデット(また(ry
・シックスセンス(同上、パクリやすいっぽい)
・インディペンデンスデイ
・ジェイソン
・永久に美しく
・オースティンパワーズ
・マイケル・ジャクソン(映画じゃないけど裁判ネタが)
以下ネット調査。
・8mile
・アザーズ
・ロードオブザリング(二つの塔だそうな)
・裸のガンを持つ男
今回もわからんの多すぎ。
はあ。今度集団で見るときは久々に見たくなった「ホットショット2」でも借りてくるか。いや、いい加減「Taxi NY」もみにゃならんし…
2005年06月10日
「最新絶叫計画」(scary movie2)
パロディ映画の傑作、「最終絶叫計画」の続編。とにかくオリジナル要素がなく、しかも徹底して下品である。前作は「スクリーム1・2」を機軸にして、「シックスセンス」「氷の微笑み」「ラストサマー」等々30作品近くをパロディした。中でも見ものだったのは、「マトリックス」避けをワイヤー無しでやっていたこと。役者はぎっくり腰になったそうな。
さて、今作もさぞパロディが多いだろうと思ってみていたら、出てくる出てくる。
映画知識の乏しい自分でも以下の通り。
・ホーンティング
・ヘルハウス
が機軸で
・エクソシスト
・ゴーストバスターズ
・スターウォーズ(エピソード6?)
・ハリーポッター(1作目?)
・マスク
・インビジブル
・アリーmyラブ
・タクシー2
・マトリックスリローデット
・チャーリーズエンジェル
…多分まだあるだろう。わからなかったのが多かったから。これで3分の1くらいだと思う。
しかし、なんかパワーダウンしてるな〜と思いあとでネットで調べてみたら、どうやら「手の障害者をバカにするシーン」があったらしく、輸入するときにそのシーンをカット。あろうことかその手の悪い障害者が最初からいなかったかのようにするよう、映っているシーンを切りまくった。その結果、なんと映画の長さが3分の2近くまで減ってしまったらしいのだ。
これはひどい。……一応「完全版」の日本語字幕付も存在はしているらしいのだが、ひどく希少で物理的にも金銭的にも入手不可能に近いんだとか。ううむ、しかし見たいな…英語はがんばって聞き取るとして、海外版を探したほうが早そうだ。にしても日本の映画業界は心が狭い。R制限つけるなりしてくれてでも、最初から完全版を見せて欲しかった。
見た後気づいたのだが、こういうおバカ映画は、数人で見たほうが楽しいと思った。一人でケタケタ笑って、ちょっと寂しくなった。実は既に続編「最狂絶叫計画」(scary movie3)が出ているので、次は友人たちでも呼ぼうと思う。
2005年05月31日
ラン・ローラ・ラン(ドイツ語名 ローラ・レント)
ドイツ映画第二段…と言っても授業中に見たのだが。内容は、ローラは麻薬の運び屋だが、相棒でもある彼がへまをしたせいで、要は20分以内に10万マルク作って彼のところへ届けなくてはならなくなった、そのために彼女がベルリン市内を奔走する、という話。
この映画のおもしろかった点は、ゲームにはしばしば使用される技法だが、並行世界を何度もやり直すことによって、少しずつ彼女の未来が変化していくという点。本筋とは全く関係ないような登場人物の未来までも描写することによって現実感を生み出している。また、一見わかりづらい伏線が、うまく明らかになっていく様子は構造的にうまい。あと、映像効果にこだわりを感じる。アニメを入れてみたり映像を重ねてみたり、部分的に再生を遅らせてみたりしていた。少々くどかった気もするが。1時間半という長さも短くていい。
難点を言うなら、確かにスピード感あふれる映像なのだが、並行世界とは言え、同じ映像を何度も見せられても正直飽きる。一周が短いだけに。しかも大半がローラが疾走しているシーンなのだから、そこを飽きさせない工夫が足りてないと思う。しかし、面白い映画ではあった。授業外で見たらもっと面白かったと思う。
TAXi3
今度はフランス映画ということで、もはやおなじみTAXiシリーズ。1、2と笑わさせていただいたが3は全然ヒットにならず、つい最近まで知らなかった。というか4(NY)も出てるのね。なぜヒットにならなかったのか検証すべく鑑賞。
この映画の見所はしびれるカーアクションとくだらないギャグでそれは今作も変わっていない。そのカーアクションは音楽の効用が大きいように思う。タクシーが爆走するシーンの、アップテンポなフレンチミュージック。ボンドカー顔負けの改造車も見逃せない。これまでもルパン3世がやるようなことを実写でやってきた。今作ではとうとうジェットエンジンが搭載され、時速400kmを超えた。4ではきっと羽が生えるに違いない。目指せチョロQ。ギャグも相変わらず。ばかばかしすぎて笑える。オースティンパワーズにつながるものがあると思う。普通に下ネタ出てくるし。
じゃあなぜヒットしなかったかというと、一つはマンネリ化だろう。毎回ストーリーが同じ。俺はそれを求めてたから不満には思わなかったが。あとは今回の舞台設定が失敗だったと思う。ネタばれになるため詳しくは書けないが、あそこでカーチェイスやられてもねえ…発想は面白かったけど、迫力に欠けた。でも大コケするほどの失敗作ではなく、続編ものとしては相当優秀な部類に入ると思う。個人的には大好き。TAXi in NYも借りてくることにしよう。要は観客の期待が大きすぎたのが最大の原因じゃないかと思われる。
2005年05月21日
グッバイレーニン!
ドイツ映画では最も有名、でもドイツ映画自体が超マイナー(苦笑),そんなわけで初めてドイツ映画見た。
内容は簡単に説明。1989年10月、東ベルリン。生粋の社会主義者である母が、息子が反社会主義デモに参加しているのを見て心臓発作を起こし倒れてしまう。8ヶ月後,母は奇跡的に目を覚ますも、時は1990年6月。母は、社会主義政権は崩壊したことも、ベルリンの壁が壊れたことも、街にコカコーラの支社ビルが建ったことも知らない。だが、医者は「簡単なショックを与えただけで、また心臓発作で倒れるだろう。次は命の保証はできない」と言う。ここから主人公の涙ぐましい努力が始まった…
この映画、すごく笑える。主人公が、母の生活環境の周りだけ東ドイツ時代に戻そうと努力する様子が非常に滑稽。まずは押入れに閉まってしまったぼろぼろの家具を元に戻し、東ドイツ時代の商品を探し回ったり、果てにはテレビのニュースをごまかすために、自分で番組撮影までする。その無茶っぷりがおもしろい。
でも皮肉なことに、母が治れば治るほど母の行動範囲が広がってしまい、ごまかしきれなくなっていく。そしてとうとう母は…ラストは一転して感動できる。この映画のすごいところは、単なる家族愛で終始しなかったところだと思う。特に、早すぎる時代の流れについていけない人々をうまく描いている。「東西ドイツ合併は成功だったか?」というアンケートをこの間ベルリンでとったところ、意外にも失敗だった意見が多かった、というニュースを耳にした。15年経って、こうなのだ。直後の混乱なんて想像できない。
それに、社会主義崩壊のドラマなわけだけど、けっして資本主義を称揚してない。コカコーラやハンバーガーチェーンが東ベルリンに「侵略」してくる様子を、生々しく描いていた。もちろん、社会主義だって賞賛しているわけじゃない。この映画の描く東ドイツの貧しさは目を覆うものがある。本当にここは西ヨーロッパか。結局どっちもどっちなのだ。
こうした多くのメッセージを載せつつも、家族愛をメインテーマにして、2時間でよくまとめていると思う。心にいやしが欲しい人はどうぞ。ドイツ語の勉強にもなります…多分。
2005年05月15日
戦場のピアニスト
思ったよりかかった。最大の原因は借りてきたDVDに傷がついてて途中から見れず、店まで戻って交換してもらってたからなんだが……気にしないでおこう。見てない人のために、一行で内容を解説すると、ユダヤ人ピアニストがドイツ軍に占領されたワルシャワで必死に生き延びようとする物語。
感想は、思ったより良かった。自分は割りとバッドエンドが好きだが、今回ばかりはハッピーエンドで良かったなと思う。これで主人公死んだら救われませんな……まあ実在の人物なので生き残ること自体は最初からわかってるんだけど。それでもけっこう緊張した。
一番のポイントは、主人公が弾く曲はポーランドらしく全部ショパンなんだけど、一番有名な曲を弾いたのは(エンディングを除く)ラストであること。ここで持ってくるとはね。やられた。曲名を失念。ぐぐっても出てこない。悔しい。ノクターン13番だっけ?
普通に良かったんだけど、うまいなと思った点を二つ。最後はハッピーエンド、とは書いたけど、本当にそうとは言い切れるだろうか。場所はポーランド。この後、ソ連に占領されるという悲劇が続く。最後の最後でそのことをほのめかしつつも、映画自体は完全にハッピーエンドに向かうギャップ。もう一つは、ソ連は当然として、アメリカ軍を「ドイツを解放に来た正義の軍」として美化していない点。新たな占領軍としてきちんと描いてる。逆にドイツ軍を完全な悪役にもしていない。と言っても史実通り作ったらそうなっただけかもしれないが。
しいて文句を言うなら、ちょっと不親切なところがある。ワルシャワ市民が蜂起するんだけど、失敗する、そしてその直後不自然なタイミングでソ連軍が侵攻する、というシーンがある。このシーンは史実通りで、本当はソ連のワルシャワ侵攻と同時に蜂起する手はずになっていたんだけど、ソ連軍がワルシャワ解放後に市民の発言権が強くなるのを恐れて侵攻のタイミングを遅らせた。そのせいで失敗した。蜂起した市民が全滅した直後、ソ連軍はワルシャワを占領した。
けど、この映画ではこの事実の説明を全て省いている。普通はこんなこと知らない。おそらく大抵の視聴者は何も気にならなかっただろう。しかしそれでは、この直後主人公は瀕死の状態でソ連軍に救出されるのだが、ここら辺の脈絡を知ってないと完全にこの救出シーンの不可思議さを理解できないと思うし、感動し尽くしたとはいえないと思う。
ここまで書いてひょっとして思ったのは、ヨーロッパ人にとってはこんな事実当然だから説明されなかったという可能性があるということ。日本人は南京大虐殺や東京大空襲のことは詳しいのが当然のことと同じで。だったら仕方ないかな、と。