2024年02月18日

2024年1-2月に行った美術館・博物館(和食展,ウスター美術館展)

都美のウスター美術館展。ウスター美術館はアメリカ,マサチューセッツ州のウスターにある美術館だが,フランスの自然主義・印象派の収集の他に自国アメリカの印象派収集にも注力してきた歴史がある。これを活かし印象派の国際的な広がりが展覧会のテーマになっていて,日本の美術館所蔵の明治期の画家の作品も展示されていた(このため展覧会名に反してウスター美術館所蔵品以外も多かった)。異国から来た画家たちはパリで最先端の文化を学んでフランスの風景を描くが,故郷に錦を飾ると自国の風土を描くようになる。ロマン主義とは別の意味で故郷への愛着・ナショナリズムを否応なく内包してしまう自然主義や印象派を思ったりした。故郷の風景はロマン主義的に選抜したり加工したりしなくても十分に美しいのだ。最初は明治期の画家がノイズに感じたが,見終わってみると納得であり,パリから遠く離れた西洋美術の辺境としての日本とアメリカという共通点がちゃんと明らかになる構成であった。本展のテーマ設定は成功だと思う。ただ,宣伝の段階でもう少しウスター美術館所蔵品以外の展示も多いことは示しておくべきではないか。

また,アメリカのロマン主義風景画というとハドソン・リヴァー派であるが,アメリカ印象派は新たにゼロからフランスから直輸入したもので,ハドソン・リヴァー派とは全く接続していないのが興味深かった。ハドソン・リヴァー派は全く別のトーナリズムという様式に接続するらしい。本展ではそのトーナリズムの作品も展示されていた。ハドソン・リヴァー派は面白さの割に後ろが無いので語りにくいという欠点がありそうで,ドイツ・ロマン主義に近い。実はドイツ・ロマン主義がビーダマイヤーに転じていくのと,ハドソン・リヴァー派がトーナリズムに転じていく流れもよく似ていて,ロマン主義的風景画は若々しさを失うとどうしても感傷主義に陥りがちなのかもしれない。

アメリカの印象派で印象に残ったのは(ダジャレではない),やはりチャイルド・ハッサムで,都市を遠景にとった室内風俗画はエドワード・ホッパーを連想させる寂しさが少しあって,そこにアメリカらしさを感じた。アメリカ特有の都会の侘しさ,あれは一体何なのだろうか。

どうでもいいオチとして,本展はウスターソースとコラボしていた。ウスターソースのウスターはイギリスのウスター市から来ていて、アメリカのマサチューセッツにあるウスター市とは無関係である(しいて言えば両ウスター市は姉妹都市らしい)。しかし,そんなことは織り込み済の上でコラボする精神は割りと嫌いじゃない。買わなかったけど。




科博の「和食」展。和食に用いられてきた食材や日本人の料理法の歴史の展示がメインであった。食材では硬水と軟水の違いや,日本の地域ごとの食材の紹介などが面白かった。日本はヨーロッパに比べると軟水に寄っていて,だからだしの文化が発達したというのは知っていたが,日本の中では南関東が比較的硬水で愛知県が超軟水というのは知らなかった。火山が多い県が硬水というわけでもなく,法則性が見えないのが面白い。野菜がいつ日本に来たかの表もだいたいのところは知っていたが,何度見てもレタスと白菜は詐欺だと思う。地方ごとの食材では大根の地域差が大きくて面白かった。割りと食べたことがあるような気はするが,何個かは見たことすらないものも。出雲おろち大根,概ねマンドラゴラでは。大丈夫? 引き抜いたときに叫んだりしない?

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料理法の歴史では過去の上流階級や庶民の食事の再現模型が展示されていた。卑弥呼や長屋王等の食事はTwitterで何度かバズっていたので見たことがある人も多いのではないか。長屋王や平安貴族の食事は現代の基準でも豪華な食材を使っているが,食材の種類や調理法の少なさのため,現代人が食べると短い日数で飽きそうである。近世初期の織田信長くらいまで来るとやっと和食の片鱗が見え始める。現代人は贅沢というよりも豊食である。明治期の洋食の展示もあり,本展の最終的なオチの一つは現代の和食は様々な要素の積み重ねで成立したものであって境界も曖昧であるというところであるから,明治期の洋食もその源流の一つという解釈なのだろう。

個人的には「日本食」と言われたらラーメンもカレーライスも入れていいが,「和食」と言われたらそれが作られた伝統だろうと純粋な和食だけを指してほしい。「洋食」や「日本式中華」も日本食の一つだと思うが,和食ではない。その意味で本展の結論は受け入れがたいというか,「日本食」という概念を示さずにあえて和食と洋食と日本式中華を混ぜ込んだのは乱暴だったのではないだろうか。もちろん和食にもゆらぎはあって,一番わかりやすい例で言えばカリフォルニアロールを認めるかどうか等は人によって意見が分かれるところだろう。本展でも世界に広がる和食としてカリフォルニアロールも取り上げていたのであるが,ラーメンとカリフォルニアロールを同じ次元で扱って「和食にもゆらぎがあるでしょ」という主張をしたかったようであるが,普通にカテゴリーエラーでは。生物分類や水質の話題に比べると後半の展示は突然雑になったように感じられた。科博とはいえ,もう少し文化史に丁寧な展示を期待したい。  

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2024年01月30日

2023年8-12月に行った美術館・博物館(ポーラ美術館,テート美術館展,キュビスム展他)

溜め込んでしまったので一気に書いていく。

ポーラ美術館のシン・ジャパニーズ・ペインティング展。宝永山に登って富士屋ホテルに泊まり,翌日は無計画という状況だったため,都内で開催されているポーラ美術館展には何度も行っているのにポーラ美術館自体には行ったことがないことに気付いて,良い機会と捉えて行くことにした。したがって,ねらって行った企画展ではなく,行ったら偶然この企画展だったという形である。「新たな日本画の創造」をテーマとして所蔵品から明治から現代までの作品に,加えて現代作家から出品してもらったものを加えて大規模な展覧会を構成していた。とはいえ所蔵品からの出品は所蔵品であるがゆえの制限からそこまで統一性が無く,また現代の作家が「新たな日本画の創造」等という抽象的なテーマで素直な出品をするはずもなく,結果として総花的な展覧会と化していたのは否めない。が,個々の作品はなかなか面白かった。有名な現代作家では金魚の人こと深堀隆介や李禹煥の作品があった。しかしまあ,なんだかんだで同行者ともども一番盛り上がったのは天野喜孝の巨大な作品であった。

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常設展的な展示では,やはり印象派からアール・ヌーヴォーあたりが充実していて良い。ハンマスホイの作品もあり,抜け目なく所蔵しているものだなと。ちょうどメアリー・カサットの新収蔵品があって,これが目玉となっていた。


サントリー美術館の虫めづる日本の人々展。虫は多くの地域で描かれるモチーフであるが,江戸時代の江戸の日本人は虫との距離が近く,草虫図がよく描かれた。江戸では虫を飼うことがしばしば流行していて,鈴虫などを売る店や蛍狩りの様子もよく画題になった。画家からすると細かい部位が多い虫は腕を振るうに適した題材だったのだろう。そうした虫が描かれた絵画や工芸品を,江戸時代のものを中心に紹介する展覧会であった。個人的には,虫は生き物の中では好まない部類であったが,登山をするようになってから割りと慣れたくらいの存在だったりする。本展も怖いもの見たさが2割くらいの感覚であったのだが,やはり実物と描かれたものは違い,どれだけリアルであっても嫌悪感はゼロであった。

なお,虫というテーマ設定ゆえに普段のサントリー美術館よりも親子連れが多かった。多くの美術館は自らの公共性を自覚して子供が来館しやすい展覧会を心がけるものであるが,虫というテーマはテーマ自体がよく効くようだ。自分とほぼ同じペースで鑑賞していた親子は,男の子が親に画中の虫の名前を全部教えてくれていて頼もしかった。楽しんで帰ってもらえたなら,美術の側が好きで見に来た赤の他人ながら非常に嬉しい。




テート美術館展。現代アート混じりだったので行くかどうか迷ったが,19世紀までの作品もけっこう豪華であったのと,Twitterのフォロワーが何人か行っていたので,まあ行き惜しむことはないかと考えを改めた。本当はサントリー美術館の虫展とはしごする予定であったが,大混雑で60分待ちであったためにあきらめ,平日に有休をとって出直した。一応「光」というテーマ設定ではあったものの,「光」などという抽象的テーマ設定で総花的展覧会にならないはずが無いだろうということで,実際にテーマはそこまで重要ではなかったように思われる。そういうものだと割り切れば展示品自体は悪くなかった。来ていたのはライト・オブ・ダービー,ウィリアム・ブレイク,ジョン・マーティン,ターナー,コンスタブル,ラファエル前派の面々,ホイッスラー,印象派の面々,カンディンスキー,マーク・ロスコ,ゲアハルト・リヒター等。やはりイギリス人が多い。現代アートはキャプションによる説明不足であり,また体感型のものが多かったのでコメントのしようがない。

ちょっと嬉しかったのはハンマスホイの作品があったこと。本展は写真撮影可の作品が多かったが,作品保護のためか,「光」というテーマ設定を活かすためか会場が非常に暗く,あの環境下でフラッシュ無しにちゃんと撮影するのは相当に厳しい。意外と一眼レフが活躍する場面だったかもしれない。ハンマスホイの部屋は照明が比較的マシだった。

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国立西洋美術館のキュビスム展。2023年はキュビスム関連の展覧会が2つあり,2023-24年でマティスの大規模な回顧展も2つあり,20世紀初頭の流行年だったのかもしれない。このキュビスム展はわかりにくいキュビスムの流れがよく整理されていて面白かった。感想はほぼ全て直後のTwitterに書いてしまったのだが,Tweetが消える危険性も考慮して,ここに加筆しながら転記しておく。キュビスムの成立前史から1925年頃の下火になる頃までを追う展覧会で,前史から成立までの抽象化の過程や,これが抽象表現主義・シュールレアリスムに変わる過程が描かれたのは面白かった。一方,盛期のピカソやブラック,レジェの作品はやはり何も理解できないという感想になる。結局,私の理解が及ぶのはセザンヌやマティスから一歩はみ出たところまで,ということなのだろう。とはいえ,今まで敬遠していたキュビスムが少しは理解できるようになったので嬉しい。

キュビスムは地域的な広がりがちょっと面白く,エコール・ド・パリと同時代の潮流であることに加えて,伝統より理論で組むために,異国出身の貧しい前衛芸術家にキャッチアップしやすいという特徴がある。このため広がりやすかったのだろう。これは新しい発見だった。近代西洋によらず美術は中心から周辺にかけて広がっていくので周辺の流行は遅れがちになるのが普通である(それゆえに前近代だと古い様式の作品は周辺の方がよく保存されているなんて言われたりすることもある)。前衛の概念が誕生すると,この法則も崩れるようだ。

ロシアでは,フランスのキュビスムとイタリアの未来派が同時に入ってきたので,どうせなら合体させてみようという発想から立体未来主義(Cubo-futurism)が成立したこともあったらしい。全く相容れない概念を無理やり合体させていて,周辺だからこそできる荒業という感じもした。実際の作品を見るとキュビスム異常によくわからない。

また,そういう国際的な潮流だったことに加え,ピカソがスペイン人であり,ピカソやブラックのパトロンがドイツ人の画商だったため,一次大戦時に愛国的な美術ではないと因縁をつけられ,フランス人のキュビストが怒って論争になったということもあったそうだ。21世紀の現在はそのキュビスムがフランス現代美術の象徴になっているのだから,未来のことは予測がつかない。なお,キュビスムの発想の源泉の一つにプリミティヴィスムがあり,それが多分にオリエンタリズムを帯びていたものであったことはちゃんと指摘されていた。それだけに同じ西美で開催されていたブルターニュ展でオリエンタリズムの視点が欠如していたのは返す返すも残念である。

  
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2023年08月14日

2023年7月に行った美術館・博物館(ガウディ展,古代メキシコ文明展)

近美のガウディ展。前回の展覧会の感想のマティス展でも書いたが,19世紀末の芸術家は修業時代が面白く,ガウディもやはりいろいろなものに触れて広く勉強している。歴史主義建築が流行った時代であるから過去の建築の勉強をみっちりしておくのには意味があり,特にスペインであればムデハル建築に触れられるのは強みであった。その中でガウディが関心を持ったのはゴシック建築らしく,ガウディの建築業のベースはネオ・ゴシック建築になっていったようだ。と同時に発想が理系よりと言えばいいのか,幾何学模様にも関心が強く,これが合わさって「両端を固定した紐を吊り下げて放物線上の形の建築物を構想する」パラボラ・アーチという奇抜な発想に至ったのだろう。その流れがよくわかる展示になっていた。

それがわかったところで展示の後半はガウディの超大作,サグラダ・ファミリアに焦点が当たる。このサグラダ・ファミリアも最初はガウディ以外の設計者がネオ・ゴシック建築として構想したところから始まり,ガウディ自身もネオ・ゴシック建築として引き継いだはずであった。しかし,ガウディがそれで終わる人物ではなく,すぐに魔改造が始まる。この流れはガウディ自身がネオ・ゴシック建築から離陸して独自の作風を築いた流れと重なっていて,この観点でもサグラダ・ファミリアはガウディの代表作と言って差し支えないのだろうと気付き,展示の配置が絶妙である。言われてみるとサグラダ・ファミリアは骨組みやゴテゴテした外装にネオ・ゴシック建築の面影があり,それがわかるのが本展覧会の効果だろう。手っ取り早いところで下のTweetに貼った画像を参照してほしい。

ガウディ自身が「サグラダ・ファミリアの建設はゆっくりとしている。なぜなら,この作品の主人(神)が急がないからだ。」と述べている通り,建築の長期化は明らかであったが,ガウディは交通事故で不慮の死を遂げた。その後も彼が残した資料を元に建設が進んだが,元のコンセプトが「寄付金で建てる」であったところにスペイン内戦とフランコの独裁政権があり,寄付金が集まらず,しかもスペイン内戦の戦火でガウディの資料が燃えるという最悪の事件もあって,建設は神でも苛立ちそうなほど遅々として進まなくなった。20世紀末以降に急速に建設が進んでいるのは技術革新と観光地として開花して寄付金が急増したためである。展示の最後にあった寄付金のグラフも面白かったので,ぜひ確認してきてほしい。会期は長く,9/10まで。




東博の古代メキシコ文明展。高校世界史でも学習する通り,古代メキシコ文明は紀元前10世紀頃のオルメカ文明から始まり,メキシコ高原のテオティワカン文明,ユカタン半島のマヤ文明,最後にメキシコ高原に戻ってアステカ王国と続く。本展はオルメカ文明はさらっと触れるのみであったが,その他の3つは展示物が多く,珍しいものを見ることができた。展示の順は成立した時代順に沿ってテオティワカン→マヤ→アステカであったが,地理的に異なるため文化が少し異なるマヤ文明が挟まれて差異が強調される形になっていた。

改めて見るにテオティワカン文明は血生臭すぎる。トウモロコシで人が生えてくるから人が安く,マヤと比べても技術発展の方向性が偏った感じはした。少しずれるがメソポタミアに対するエジプトが比較的近い対比かもしれない。これに比べるとマヤは文字があって装飾品も繊細優美で,しっかりとした都市文明だなという印象になる。これだけいろいろと発展したのに鉄器も車輪も釉薬も無いのは不思議に思えてしまうが,それは旧大陸目線かもしれない。最後のアステカ王国はメソアメリカ文明の集大成になるが,地理的に当然ながらマヤよりはテオティワカンの影響の方が強そうに見えた。

今回の展示で気づいたのは釉薬が無いことの特異さである。鉄器や車輪が無い,文字もマヤ文字以外は無いか絵文字の段階というのは有名だし私も知っていたが,釉薬も無いというのは意外であった。3つの文明に共通して建築・彫刻・土器の成型技術が非常に高く,それぞれ同時代の旧大陸の文明と比べても遜色がない。にもかかわらず,である。鉄器が無いのも合わせると炉に関心が無かったのだろうか。インターネットで簡単に調べただけだと有力な情報は出てこなかったので,詳しい専門書を読まないとわからないのかもしれない。それにしても,土器だという認識で展示物を見ると,よくもまあ割れやすい土器でこれほどの造形を驚かされる。これを知ってしまうと縄文土器は世界史スケールでそこまで特異ではないのかもしれないと思わされた。と同時に,釉薬が鉄器や車輪ほど強調されない理由も気になった。釉薬が無いという言い方だと伝わりにくいかもしれないが,要するに陶器が無いというのは文明の比較として大きいと思うのだが,どうか。


  
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2023年08月12日

2023年6月に行った美術館・博物館(ブルターニュ展2つ,マティス展)

SOMPO美術館のブルターニュ展。偶然か作為かはわからないが(事情を知っている人がいればコメント欄でご教示いただけるとありがたい),2023年の6月に西美とSOMPO美術館でブルターニュ展がかぶった。ブルターニュはフランスの辺境で独自の文化を維持した地域であり,近代になって鉄道が通ると観光地として人気を博すことになった。そこには都会化し,過度に洗練化されたパリとは異なる,粗野で素朴で敬虔な人々と,波高く険しい断崖に代表される荒々しい風景が都会に疲れた人々を出迎えてくれるのであった……という説明だけで気づく人は気づくところで,数々の絵画を鑑賞して感じたのは,どう考えてもこれは身近なオリエンタリズムである。しかも距離が近すぎるがゆえに当事者たちが気づきにくいたぐいの。とするとそこを批評するのが展覧会の役目なのではないかと思うのだが,どちらの企画展もその方向性での批評性は高かったとは言いがたい。SOMPO美術館の方はブルターニュのカンペール美術館から借りてきた作品がほとんどであるから忖度が働いたのかもしれない。一応,SOMPO美術館は画家たちの注目がブルターニュ人の粗野なイメージに集まった点をクローズアップした展示になっていて,その方向性でゴーガンやポン=タヴァン派が登場する構成になっていた。ゴーガンだからこそ説得力がある。

これに比べると西美のブルターニュ展はまだ薄っすらとしたオリエンタリズム批判が見えていたように思われる。パリジャン目線のブルターニュを「国内的異郷」と表し,ミュシャのポスターや当時の観光案内等も展示し,またブルターニュの先にタヒチや日本があることはより明示的であった。また黒田清輝や藤田嗣治などブルターニュに赴いた日本人画家の作品を展示していた点は西美らしく,彼らの作品は特徴のないフランスの一地方を描いたものにすぎなかった。実際にはブルターニュの先に日本はないということを暗示した仕掛けなのかもしれない。これが深読みでないなら良い仕掛けである。しかしながら,やはり西美ならばもっと学術的な展示にできただろうと思う。

なお,旧称Twitterで検索すると,自分と同じ気付きを得た人はいないわけではないという程度に少数であった。私としては気にする方が過敏すぎるとは思われないものの,ブルターニュ展を聞いて心惹かれて美術館に行く層で,かつそれをTwitterに書く人となると,オリエンタリズムに関心がある人はそれほど重なっていないということなのかもしれない。それにしても少なく,正直に言えばやや残念である。ブログまで拡張すると東京藝術大学お嬢様部の人が全く同じ感想を書いていた。「もしドイツや英米の美術館が「日本美術における東北展」をやったら、描かれる対象についてだけではなく、東京に対する権力勾配や見られるものとしての東北など、かなり政治的な部分まで確実に踏み込むでしょう。」という指摘はお見事。




都美術館のマティス展。言わずと知れたフォーヴィスムの大家。19世紀末・20世紀初頭頃の画家の個展で面白いのは,新ジャンルを切り開く以前,すなわち画家たちの修業時代の作品である。彼らは概ね写実主義(自然主義)辺りから印象派・ポスト印象派と単線的な美術史の発展をたどるのだが,マティスも例外ではなく,ポスト印象派から次第に個性を出してフォーヴィスムに向かっていく。これがもう少し後の時代のデュシャンやモンドリアンになると,学習過程が少し伸びてフォーヴィスムやキュビスムに一度かぶれてから自己流になっていく。それにしてもマティスの場合は思っていたよりも強くポスト印象派にかぶれていて,もろに点描だったりセザンヌだったりする作品が多かったのが面白かった。同時にセザンヌからフォーヴィスムに変わっていく過程も見て取れたのも本展の収穫であった。回顧展の面目躍如である。

下に貼った旧称tweetにも書いたが,自分としてはこの辺が勉強ではなく楽しみとして鑑賞できる限界ラインであるところ,マティス自身が「極限まで要素を削ぎ落として,どこまで絵として成立するか」を攻めて成立したのがフォーヴィスムらしく,図らずもマティスと感覚が近いのかもしれない。ただ,最近は自分もいろいろと見て理解度が上がってきたのか,歳を取って寛容性が上がってきただけなのか,確かにこれを極限と思わずに一歩踏み出すとキュビスムやモンドリアンになるわけで,守備範囲が広がってそこくらいまでは許容できるようになってきた自分もいるな……というような自己の振り返りになった点でも,このマティス展はなかなか思い出深いものになった。

一方でマティス自身も本当にフォーヴィスムが絵画の極限かという自問自答があったようで,大家となっても晩年に至るまでキュビスムを取り入れたりセザンヌに戻ってみたりとマイナーチェンジが忙しく,それを追っていくのは勉強になる以上に単純に面白かった。画家の様式を細かく追えるという点でも回顧展らしい回顧展だったと言えよう。会期は8/20まで。

  
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2023年07月06日

2023年4月-5月に行った美術館・博物館(重要文化財,芸大の買い上げ展,吹きガラス)

近美の重要文化財の秘密展。明治期以降の美術作品は国宝に指定されているものが無いため,指定の最高ランクが重要文化財ということになる。その重要文化財68件のうち51件を集めて一挙に展示した空前絶後の展覧会である。重要文化財に指定されるということは歴史的に重要な作品か質が高い作品ということであり,またそれが指定されたタイミング=歴史的重要性か質の高さが広く認められた時期も重要ということになる。そのため本展は制作年と指定年がキャプションで併記されていて,作られて割りとすぐに指定されたものも,随分経ってから指定されたものもあり,その比較が面白かった。その事情もちゃんとキャプションで説明されていて納得しやすい。往々にして歴史的重要性が高いものとは,制作された当時にあっては革新性が高すぎてスキャンダラスな評価を受けやすいものであるから,重文指定まで期間が空いてしまったものもある。かと思えば,何らかの事情で指定を受けずに埋もれていて,ふとある年に突然発掘されて指定されたようなものもあり,作品それぞれに歴史がある。工芸作品が遅れがちというのも特徴だろう。世界遺産もそうだが,こういう作品と評価や公的な制度の間に横たわるエピソードは面白くなりがちなので好きな人も多かろう。これからもこういう展覧会を近美には期待したい。


東京芸大美術館の買い上げ展。奇しくも同じようなコンセプトの企画展が続く。芸大は制度として優秀な卒業制作(戦後は修士卒や博士卒を含む)を大学が買い上げる制度があり,大学のほぼ創設時から現代まで続いていて,これが各学科ごとの首席卒業と見なされている。芸大の教員が何を評価し,逆に学生は何を志向したか。これも時系列で見ると時代の変遷に面白みが出てくるのは制度の良いところである。第一部の戦前の場合,歴史に名を残す後の巨匠の若かりし頃の作品が並んでいて,後の作品につながるものから,卒業後の作品とジャンルが全く違うものまで。後者では板谷波山が木製の彫刻で卒業していたのはインパクトがあった。明治末頃から大正時代は自画像が多いのはいかにも時代を表している。和田三造も青木繁も藤田嗣治も買い上げられたのは自画像だった。

第二部の戦後はやはり様式の移り変わりが面白い。日本画や工芸,デザイン,メディア映像といったジャンル別に現役の教員が4〜6作品ずつ選んで展示されていた。全体として戦後の芸大の教員は自身も前衛志向であるためかかなり早い時期から柔軟で,当時としては斬新と思われるような作品がよく選ばれていた印象である。その中で,様式の移り変わりなんて知るかといわんばかりに女性作家縛りでそろえていた彫刻科は一番新しいもので1973年とパンチが効いている。その後の芸大生はむしろ女性が多くなっていったという社会変化まで考えると本企画展の趣旨を押さえているに思われた(にもかかわらず作家は男性が多いという現代に残る非対称性も想起したい)。文化財保存科(作品修復を学ぶ学科)も一番新しい作品が1974年であったが,これは近年の卒業制作が振るわないということなのかどうなのか。工芸科は逆に1作品1965年卒だった以外の4作品はかなり新しかったが,これは素材を5つばらばらに選出することを優先したためだろう(銅・木綿・陶土・銀・乾漆・真鍮とアルミ)。笑ったのは作曲科で,楽譜も物には違いないから展示する価値はあるが,それを展示されてもほとんどの鑑賞者には何もわからないというw。美術館側もそれは理解していて,一応それらが演奏されている様子を流すタブレットも用意されていた。第一部と第二部を総合して2023年の上半期で一番面白かった展覧会かもしれない。



サントリー美術館の吹きガラス展。世界中の吹きガラスを集め,古代ローマから始まり,近世の見事なヴェネツィアングラス,技術的に劣っていたために制約があった近世日本のガラス(日本で発展したのはカットグラス,つまり切子),産業革命以降の日本のガラス,現代日本の作家によるガラスという構成。一番見応えがあったのはやはりヴェネツィアングラスで,質量ともに満足の行くものであった。ヴェネツィアングラスはレース模様が美しく,今回の展示では白いガラスを封入する製法も紹介されていた。近世日本の吹きガラスはたしかに切子に比べると少なくて珍しいが,サントリー美術館の所蔵品の代表作の一つという印象も強い「藍色ちろり」の発色の見事なものよ。現代アートとしてのガラスもガラスの特性を上手く使った作品が多くて嫌いではなかった。あえて文句をつけるなら,やはりサントリー美術館は常設展示を作って「藍色ちろり」くらいは常に見れるようにしてほしいところ。
  
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2023年07月04日

2023年1月-4月に行った美術館・博物館(江戸絵画の華第2部,佐伯祐三,青木木米,東福寺)

出光美術館の「江戸絵画の華」第2部。第1部の感想はこちら。良くも悪くも伊藤若冲の作品群に焦点が当たりがちだった第1部に比べると,第2部はより江戸時代の絵画の優品を並べたという様相で,落ち着いた雰囲気であった。円山応挙と円山派,江戸後期の琳派が多く,完全にプライスさんの趣味が出たコレクションだろう。素直に優品を並べられたので,素直に喜んでおきたいところ。


東京ステーションギャラリーの佐伯祐三展。佐伯祐三は1898年生まれ,つまり明治も中期に入ってからの生まれで,藤田嗣治や梅原龍三郎よりも10歳以上も年下なのだが,そのような印象がない。夭折して画業が途中で止まったからかもしれない。佐伯祐三は東京美術学校に入って優秀な成績で卒業,早々に結婚しているが,夫婦ともに実家が太いので名家同士の結婚と言ってもいいのかもしれない。それゆえに嫁と娘を連れてパリに渡航し,画業に打ち込んだ。渡航してすぐにブラマンクに会うも画風を徹底的に批判されて天啓を受け,印象派あるいは自然主義らしさのあった画風が急激に前衛化していく。今回の回顧展ではその過程を丹念に追うことができて面白かった。佐伯祐三は短い画業の中で,最終的にヴラマンクらしい荒々しさと,セザンヌらしい立体の崩れ,ユトリロらしい都市景観画を融合させつつあったように見え,夭折しなければより大きく大成していたのではないかと感じさせられた。結核により30歳の若さでこの世を去ったのは日本の美術史における大きな損失だった。傑作が多いのはやはりパリの街角を描いた作品群で,大都市パリの街角が持つ独特の雰囲気が切り取られている。特に文字の表現が面白く,異邦人たる身には(フランス語が読めたとしても)こう見えるという感覚が伝わってくる。




サントリー美術館の青木木米展。青木木米は江戸後期の文人で,日本美術史の教科書に必ず載っているとは言いがたいが,江戸後期の陶磁器・美術に詳しい人は必ず知っているくらいの立ち位置だろうと思う。京都に生まれてそのまま上方で活躍し,京焼や山水画に従事した。交友関係が広く,友人・知人に木村蒹葭堂,頼山陽,田能村竹田など錚々たる名前が挙がる。本展覧会では木米が記した手紙も展示されていたが,現代語訳からは常に笑いを絶やさないようにしていた人物だったのだろうと推測された。

陶工としての青木木米の特徴は,とりわけ煎茶の茶器を多く焼いたことが挙げられる。実際には青木木米は普通の茶器も含めて何でも焼いていたが,青木木米はより手軽に飲める,なんなら野外でさっとたてられる煎茶にこだわりを持った。他の陶工の作品だと茶道で使う茶器が多いので,青木木米の焼く一流の煎茶用の茶道具は相対的に貴重ということになる。今回の展覧会では形からして明らかに他の茶道具とは違う,涼炉や急須を多数見ることができたのは良い経験だった。画業の方はいかにも南画という山水画が多く,煎茶の茶道具に比べると独自性は薄いが,かえってこの時代を代表する文人らしさがある。


東博の東福寺展。東博で開催される巨大な寺社の特別展らしく,単純に端から端まで国宝・重文という豪華な展覧会であった。私自身は,東福寺は臨済宗の巨刹で,室町時代の京五山に入っていた……ということくらいしか予備知識がない状態で見に行ったから,普通に勉強になることが多かった。特に明兆や虎関師錬がここの出身だったのは,そう結びつけて覚えていなかったので新鮮な知識であった。開山の円爾は南宋に留学して無準師範に師事したというだけあって室町時代には大陸との結びつきが強かったようで,そのことを強調する展示が多かった。その他に明兆の作品は1章与えられて多く展示されており,ここで見られると思っていなかっただけに僥倖であった。特に「五百羅漢図」は異常なまでに保存状態が良く,退色せずに残っている。どうやら「五百羅漢図」は14年かけて修復し最近になって作業が終わったそうで,本展覧会はそのお披露目会を兼ねていたのかもしれない。修復や東福寺での初公開の様子が映像で流されていた。虎関師錬についても言及しておくと,高校日本史の鎌倉時代の文化のところで登場する当時の高僧・文筆家であり,代表的な著作に日本初の仏教史の通史である『元亨釈書』がある。本展,なんとその虎関師錬の直筆の『元亨釈書』が展示されていた。残っているものなのだな。  
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2023年02月15日

2022年12月-2023年1月に行った美術館・博物館(智積院展,ボタニカル・アート,江戸絵画の華第1部)

サントリー美術館の智積院展。智積院は真言宗智山派の総本山で,元は和歌山県の根来寺内に建てられていた。その後,江戸時代の初期に京都市内の現在の位置に移転した。その移転先は元々,豊臣秀吉が夭折した鶴松の菩提寺として創建していた寺であり,秀吉は長谷川等伯の工房に障壁画を依頼していた。そのため智積院が長谷川派の障壁画も引き継ぐことになり,現在まで伝えている。この経緯は知らなかったので,智積院が長谷川等伯を抜擢したものと思っていたから少し驚いた。今回の目玉展示もその「楓図」「桜図」である。
 では,智積院は「楓図」「桜図」以外に何を持っているの? と思われた方も多かろうが,実際に障壁画以外は真言宗の他の名刹でも持っていそうなものが展示されていた。もちろん貴重は貴重なのだが,なにせ真言宗も名刹が多いので,美術館で企画展をずっと見ていると物珍しくもないという贅沢な感想になってしまう。実際に文化財指定があるものは国宝の障壁画を除くとあまり多くなかった。実質的な創建が16世紀末という古刹としては新しい部類に入るのも不利に働いているかもしれない。鎌倉時代の掛け軸もあったので,根来寺時代からの伝世品もあるにはありそう。肝心の「楓図」「桜図」はさすがに見応えがあったが,けっこう退色していて修復が必要な段階かもしれない。


SOMPO美術館のボタニカル・アート展。正式な企画展名は「おいしいボタニカル・アート 食を彩る植物のものがたり」で,イギリスのキューガーデンに保管されている食用植物のボタニカル・アートの展示である。SOMPO美術館は動画を用意してくれるので紹介が早くて助かる。

見に行った感想としては,果物は描き起こしてみるとけっこうまずそうに見えるというのが私的な発見で,産毛や種を強調されると意外と食欲が失せるのだなというのは新鮮な感覚だった。実物だとそこまで引かない気がするので絵画限定の現象かもしれない。また,研究のための記録が主眼で人出も必要だった事情であろう,けっこうインド現地の(現地生まれの白人かおそらくはインド人の)画家たちの作品がけっこう多く,本展はその観点で見ても楽しめるかもしれない。あとは植物の模様を用いたミントンやロイヤルクラウンダービー等のティーセットや食器,当時のレシピの展示もあり,美味しい食材を調理して良い食器で,ということで企画展の筋が通っていたように思う。


出光美術館の「江戸絵画の華」第1部。COVID-19の流行で延期に延期を重ねていたプライス・コレクションのお披露目会である。あまりに優品が多いので1回では展示しきれず,展示期間を分けての二部制になってしまった。これがまあ伊藤若冲以外もすごい。満を持して公開できるまで時機を待っただけのことはあった。誰がいたとかそういうことは横においておくとしても単純に優品が多く,さすがの目利きである。一方で,動物の描き方で比較すると,やはり伊藤若冲が一歩飛び抜けて細かく優美である。
 でまあこの展覧会といえば触れざるをえないのが「鳥獣花木図屏風」の真贋論争である。以下のサイト等が詳細に述べていて詳しい。
・プライスコレクション 伊藤若冲『鳥獣花木図屏風』真贋論争まとめ(artistian)
・【ポップさに包まれた狂気】若冲のモザイク屏風(升目描き)を語ろう(note,ちいさな美術館の学芸員)
佐藤康宏氏の授業を直接受けていた身としてはそちらの肩を持ちたくなるが,残念ながら私に真贋を判断するような目と知識は無い。本展覧会では完全に伊藤若冲の真作として扱っている。プライス・コレクションとして譲られた以上,プライス夫妻の主張を丸呑みにせざるを得ず,出光美術館としても当然真作と信じて購入したのであるから,展覧会として論争を伏せるのは仕方がないところである。しかし,この論争はすでにあまりにも有名であるので,鑑賞者には自分なりの決着をつけるべく作品を凝視しに行った人も少なくなかろう。かく言う私もそれなりに混んでいる中,言われてみるとまあ確かに形態が歪んでいるような……等と能力に見合わない思考をしながらじっくりと眺めてしまった。ということで見終わった直後の感想ツイートも歯切れが悪いものになってしまった。

適当にググってみると,展覧会の感想をブログに書いているような人たちはやはり論争を気にしていて自分なりの真贋を論じている様子が出てきてけっこう面白い。これはやはり学術上の決着は専門家に任せて,思考と感情の整理のために本作と向き合うのが市井の美術好きの取るべき態度なのだろう。ともあれ,「鳥獣花木図屏風」を除いても面白かったので第二部にも期待したい。  
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2023年02月14日

文京ふるさと歴史館に行ってきた

吉田博《植物園の睡蓮》文京ふるさと歴史館。そういえば近所なのに行ったことがなかったなと思い。文京区の歴史資料館。入館料は100円。年間数千人程度の入場者数らしいので,明らかに採算度返しである。倍とっても入場者が減らないと思うが……1・2階が常設展で地下1階が企画展になっている。文京区は「弥生時代」の語源になった弥生地区が含まれているように古代は出土品が多く,狭いスペースの割には弥生土器を中心に展示が充実している。一方,中世はほとんど資料が残っておらず,常設展でもほぼすっ飛ばされていた。資料が残っていないというよりも,発掘しても生活の痕跡がほとんど見当たらないそうで,本郷台地も白山・小石川も,何らかの理由でそもそも人があまり住んでいなかったのではないかと疑われているらしい。これはこれで興味深い。

近世に入ると江戸幕府が成立したため,一気に建築物が増加し,現在の本郷には中山道と日光道中が通り,加賀藩の藩邸が建てられて栄えた。文京区民には有名な言葉「本郷もかねやすまでは江戸のうち」は実際には特に根拠がなく(大岡忠相がかねやすよりも内側は火事対策で土蔵造りとすることを命じたためという説は胡散臭い),語感が良すぎて広まったのではないかという話は面白かった。実際には現在の本郷三丁目よりも奥も建物が並んでいて江戸と見なされていたらしい。そもそも加賀藩邸がかねやすよりも奥なのだから,それはそうである。19世紀初頭の朱引では,文京区は全域がはっきりと江戸の内側であった。なお,江戸時代のかねやすは歯医者・歯磨き粉売りであったそうで,近代のどこかの時期に雑貨屋となり,それが2017年頃に閉店したため,現在はかねやすという店舗が存在していない。

明治時代以降は東京(帝国)大学ができて一気に文教地区になっていく。さすがに居住した文学者・知識人が多く,出版社も激増し,今度はそうした紹介が増える。一応,どこの資料館にもありそうな近代の庶民の暮らしの様子を紹介した展示もあった。ついでに私が行った時の地下1階の企画展は小石川植物園の歴史であったので,まとめて東大のキャンパスの歴史を学べた。全然知らなかったのだが,小石川植物園の元は徳川綱吉が上野館林の藩主時代に住んでいた御殿が原初で,この時に掘削された堀が概ね現在の植物園の枠組みになっている。建てたのは加賀藩のお手伝い普請であると推測されているが,裏付けになる史料が見つかっていない。この仮説が正しければ運命的である。なお,文京区としては護国寺・湯島聖堂を建て居住歴もあることから綱吉は大恩ある人物らしい。その護国寺を建てる際,大塚にあった薬草園を,廃墟と化していた御殿跡に移し,さらに吉宗がこれを大幅に拡充して小石川養生所が成立した。明治維新後に東京帝国大学の付属機関となり,以降は知られている通りである。面白かったのはジョサイア・コンドルが小石川植物園を好んでいて,彼が残した写真が多く展示されていた。また,版画家の吉田博が東京の名所を描くシリーズ「東京拾弐題」で,文京区の代表に小石川植物園を選んでおり,これが今回の展示の目玉であった。これがよくできた絵で,今回の企画展のフライヤーやポスターに使われており,実際にそれを見て私も行こうと思った。素晴らしい選択である。  
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2022年12月20日

2022年8-11月に行った美術館・博物館(VR故宮博物院展,毒展)

書きそびれているものを年内のうちに消化。

東博の特別デジタル展「故宮の世界」。日中国交正常化50周年記念の企画展で,VRで紫禁城を再現するという触れ込みであった。日中国交正常化40周年記念の際にはなんと企画展を2回もやっていて,初回が2012年の1・2月,あの「清明上河図」が来た時である。2回目はブログで記事化するのを忘れていたのだが10〜12月に開催されていた。いずれも豪華である。ということで今回も期待できるだろうと思って行ってみたのだが,豪華な展示物を何も持ってこれないのをごまかすためのVRというのが真実で,まず実物の展示品が少なかった。出品目録が公開されているが,こういう特別な企画展に行ったことがある人はまずペラ1枚ということに驚くだろう。しかもよく見ると1枚めに並んでいるリストはVRによる再現映像の目録で出品物ではない。つまり,実物が来ていたのは2枚めに載っている23品だけで,しかも前期・後期で展示替えまである。

それでもVR紫禁城が豪華ならまあ……という話になるのだが,このVR紫禁城の映像の画素が粗かったのがこの展覧会のハイライトであった。どのくらい粗いかは公式HPのつくりで大体察しがつくだろう。この映像が作られたのは10年以上前なのではないか。40周年記念の展覧会でこれが放映されていたならまだわかる(が,当時としても粗い)。中国政府が国家の威信をかけて作ったVR映像で,こんなにジャギーが出ているというのは考えづらく,逆説的にこのVR映像は国家的威信がかかっていないということなのだろう。こんな映像で日本人が満足すると考えているとも思われず,更新できないほど中国の文化政策や北京故宮博物院が予算不足とも思われず,単純にVR故宮博物院は放映する機会に意外と恵まれていないことに加えて,これを契機に更新しようと考えられない程度には本展覧会が軽視されているということだったのではないかと思う。2012年と2022年の間でそこまで日中関係の冷え込みに差があったっけか,あるいはそういうこととは関係なしに軽視されたのか。日中関係全体からすると些事も些事であるが,寂しいことであるなという話を同行者としていた。

この次の東博150周年記念「国宝展」は,混雑が予想された上に,リストを見ると過去約20年ほどの東博通いの結果としてほぼ全て見たことがあったのでスルーした。


サントリー美術館の大阪市立美術館コレクション展。サブタイトルが「美をつくし」で,言うまでもなく「澪標」との掛詞である。何か関係があるのかと思ったら,公式HPに説明がある通り,澪標は大阪市章に使われていた。さらに展覧会の標語のごとく使われている「なにコレ」はなにわコレクションと「何これ」の掛詞で,掛詞というよりはダジャレか。大阪市立美術館は過去に行ったことがあって常設展も見ているが,そこで見なかったものがちょうど持ってこられるようだったので展覧会に行くことがした。展示物は中国美術,古代の日本の仏像,中世・近世の日本美術と,近世・近代の工芸品(印籠・根付・能面・笄)。いずれもなかなか良いコレクションであったが,印籠と根付が多くて見応えがあった。あれだけまとめて見る機会は東博の常設展以外では初めてかも。


国立科学博物館の毒展。動物・植物・鉱物由来の毒や,人間が製造した毒,身近な毒など様々な観点から見た毒の展覧会。かの有名なトリカブトやベニテングダケ,ヒ素から聞いたことがない毒物まで広く展示されていて勉強になった。見方によってはマイクロプラスチックも毒というのはなるほど。人間と毒の歴史の展示ではチェーザレ・ボルジアやフリッツ・ハーバー等が紹介されていたほか,アイヌの毒矢と仕掛け弓の説明もあった。


ついでにランチは科博の中の食堂でとった。まあフグよね。こういう遊びは好き。

  
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2022年09月04日

西美リニューアル展の感想と,展示のドイツ・ロマン主義風景画の解説

西美のリニューアルオープン記念展示。西美の所蔵品と,ドイツのフォルクヴァング美術館の所蔵品から,様々な風景画を展示したもの。本展は西美の所蔵品が多かったこともあって写真撮影がほぼ全面的に解禁されており,ツイッタラーとしては大変にありがたい展覧会であった。風景画好きとしてはそれだけでも嬉しいが,本展はサブタイトルが「フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで」で,つまりこれはフリードリヒがモネやゴッホと並ぶ売り文句になるところまで出世したことを示しており,私としては喜ぶほかない。マイナーキャラを細々と推していたら突然劇場版で主役に抜擢された気分である。まあ,フリードリヒは実際にはそこまでマイナーキャラというわけではないのだが……

ついでにリニューアルされた西美の建物について,先に触れておこう。今回の改装はル・コルビュジェの当初の構想に戻す意図があったそうで,前庭がずいぶんとすっきりしていたのは少し驚いた。館内もマイナーチェンジが図られていて,常設展の配置も少し変わっていた。にもかかわらず,館内に多数あるトマソンは概ねそのままという点には笑ってしまった。登れない階段,もう西美の味になっちゃってるもんな……もう取り壊せないよな……

閑話休題,本展は風景画を集めた展覧会として極めて質が高く,非常に良かった。このまま行けば2022年ベスト企画展はこれにする。両美術館共演による印象派の風景画がどかどかとあって,フォルクヴァング美術館側のドイツ・ロマン主義風景画が並び,さらに西美側がドレやブーダン,コローとフランスの画家の作品で対抗する。時代が進んでいってマックス・エルンストの作品は両美術館から出ていた。現代アートもフォルクヴァング美術館がモンドリアンとクレーを出せば西美がカンディンスキーとミロを出すというような張り合いで最後まで続く。


本展は何よりやはりドイツの美術史が追えるのが美点で,フリードリヒに始まり,他のロマン主義画家としてシンケル,ダール,カールスが展示される。さらにベックリーンにマックス・リーバマンが続いて,最後にゲアハルト・リヒターの写真がどんと構える(実際の展示順はこうではないが)。これはドイツの美術館だからこそできる芸当だろう。以下はもう趣味全開で書いていく。


カスパー・ダーヴィト・フリードリヒの作品は《夕日の前に立つ女性》で,本作は朝日なのか夕日なのか議論がある。この女性は19歳年下の妻がモデルで,フリードリヒは溺愛していた。フリードリヒが描く太陽は夕日が多いが,最愛の女性が朝日と正対している,そこに希望を託した作品と考えれば朝日であるという導出もできよう。本展にかかわった西美の学芸員の方も朝日であると主張している(が,フォルクヴァング美術館側が夕日説押しなのだそうだ)。一方で,朝日というにはやや作品全体が暗くて日光が足りず,この時期のフリードリヒの作品はけっこう「奥さんがかわいかった」以外の動機が見いだせないものもあるので,意外と夕日に照らされる妻が描きたかっただけという可能性もある。ここはもう妄想は自由なので,鑑賞者各々で思いを馳せてほしい。


他の作品について。Twitterの並び順で言って2枚目,ヨハン・クリスティアン・クラウゼン・ダールはノルウェーの画家であり,フリードリヒの住むドレスデンで修行していた関係で,(奥さん以外には)気難しいフリードリヒにしては珍しく深い親交を結んだ人物である。風景画は自然をキャンバスで切り取ったものであるが,風景を窓から眺めている体にしただまし絵的な表現は逆説的に風景を強調するものとしてロマン主義では好まれていた。ダールはフリードリヒに比べると自然主義に少しだけ寄っていたのだが,本作の風景も特にロマン主義的ではない。窓から眺める風景というロマン主義ポイントと実際の風景の自然主義ポイントが両方出ているという意味ではダールらしい作品。

3枚目,シンケルは建築が本業で,ロマン主義的な題材を用いるが画風は新古典主義的で硬い。本展に来ていた《ピヘルスヴェルダー近郊の風景》は水平線が画面のちょうど真ん中に来ていて空が広い,風景が手前から丘,森林,川のある平原,都市となっている,丘の上に一組の夫婦の後ろ姿がある等の点でかなりフリードリヒに近い画面になっており,本作を選んだフォルクヴァング美術館は偉い。

4枚目,カール・グスタフ・カールスは本業は医者のディレッタントで,数少ないフリードリヒの弟子であった人物。本作はカールスによるフリードリヒの作品の模写であるので,カールスのオリジナル作品ではないのだが,模写としてはよくできている。フリードリヒは死後から19世紀末までの50年ほど,短くはあれ埋没期間があるので,よく模写が残っていたものだ。なお,カールスの作品は模写でなくてもよく師匠に似ていて,研究が進んでいなかった以前はかなり混同されていたらしい。当然ながら専業で師匠のフリードリヒの方が上手くて描写が細かいのだが,フリードリヒは晩年に筆致が荒れ気味になったので,それでわかりづらくなってしまった。  
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2022年09月03日

2022年6-7月に行った美術館・博物館(シダネルとマルタン,板谷波山)

けっこう数をこなしていたのだけど,書きそびれて溜めてしまっていた。

都美のスコットランド国立美術館展。現在は神戸市立美術館で開催している。ルネサンスから印象派まで一通りそろっていて約90点,見応えはそれなりにあったものの,総花的な展覧会はやっぱり余程豪華でないとやや食傷気味であるのを自覚した。総花的な展覧会をやればルーヴル美術館展やメトロポリタン美術館展の方がどうしたって強いのである。個人的にはそこにイギリスらしさあるいはスコットランドらしさが欲しいところで,その意味でプロローグがエディンバラ城を描いた作品が3つほど並んでいたのは好印象だった。またイギリスというくくりで言えばレノルズやゲインズバラ,コンスタブル,ミレイ,ホイッスラーがいたのも良く,その他名前を知らない画家たちの肖像画も上手い。グランド・ツアーということでグアルディの作品もあり,独自性が現れてくるという点で後半の方が面白い展覧会であった。よく知られているように,イギリスは独自の画家が登場するまでが遅い美術後進国であったのだが,18世紀後半にレノルズやゲインズバラが出てきて独自の発展を遂げる。

最後がフレデリック・チャーチだったのは良い意味で予想外だった。 ハドソン・リヴァー派は私自身好きだし日本人受けすると思うのだけど,知名度が低すぎる。商機だと思うので,どこかの美術館には一発企画を立ててほしいところ。(どうでもいいけど,ブログ内検索をしたらハドソン・リヴァー派がめちゃくちゃ表記揺れしていたので統一しておいた。こういうのは意識しないとぶれる。)


もう一つ都美から,ボストン美術館展。ボストン美術館展は2012年の東博でも開催されており,《平治物語絵巻》や《吉備大臣入唐絵巻》といった目玉展示がその時とほぼ完全に重なっていた。10年ぶりだからもう1回見るかと思って見に行ったのだが,意外と自分の脳内に10年前の映像が残っていて,新鮮味があまりなく,ボストン美術館展が悪いわけではないものの,それほど楽しめなかった展覧会だった。これは自分への教訓として書き残しておく。やはり二度目の目玉展示は避けよう。


SOMPO美術館のシダネルとマルタン展。現在は美術館「えき」KYOTOで開催している。図録を見ると日本中に巡回していて,京都の前は鹿児島市立美術館で,また京都の次は三重のパラミタミュージアムに巡回する模様。画風はきっちり日本人の好きな印象派であるのに知名度が低くて巡回させやすいのかもしれない。どちらもファーストネームがアンリというどうでもいい共通点があるが,それ以上にどちらも「最後の印象派」と称される画家である。二人は親交があり,生没年も活躍年代もほぼ全く同じというところまで共通している。なんという仲の良さ。その生没年の通り,1860年頃の生まれであるから,1840年前後の生まれが多い印象派世代よりもちょうど20歳ほど若い。すなわち,彼らが20代の頃にはすでに印象派は華々しく活躍し始めていた。唯一,新印象派のスーラが1859年生まれなのでシダネルやマルタンと同世代であるが,スーラは夭折してしまっているのが惜しい。1940年頃の没で,時代はすでにナビ派・フォーヴィスム・キュビスム・表現主義と進んで現代アートの時代に入っていたが,この二人は延々と印象派であり続けた。

この二人の画家の特徴は分類するなら確かにノーマル印象派としか言いようがない。英語版Wikipedia等を見るとポスト印象派に分類されているが,図録に「シダネルやマルタンは,さらなる造形的な冒険をしたわけではなかった」と書かれているように,ゴッホやセザンヌのような革新を遂げたわけではない。しかし,彼らの作品をよく見ると新印象派やポスト印象派,象徴主義を経験した上で戻ってきたノーマル印象派という総合的な側面がある点で,なるほど「最後の印象派」と評することができよう。しっかりとした筆触分割ではありながらも画面全体の雰囲気には象徴主義的な物寂しさがあり,ゴッホのような強い補色関係も使い,マルタンは部分的に点描を用いたりと,モネやルノワールと比べるとその辺がなんとも新しい。尾形光琳と比べたときの酒井抱一のような垢抜け方がある。貴重なものを見たと思えたし,印象派が好きならマストの展覧会であったと思う。よく似た二人なので差をつけにくいが,しいて言えばマルタンの方が好み。シダネルの方がやや画面が暗く,より象徴主義に近い。マルタンの方が印象派の正統進化という感じはする。




出光美術館の板谷波山展。生誕150周年とのこと。そのため泉屋博古館(京都)しもだて美術館(茨城)でも同様の企画展が立っていて,それぞれ巡回している。作品数が多いため企画を立てやすく,2022年は一年中どこかで板谷波山展がやっているという様相である。なお,板谷波山は現筑西市の生まれで,「波山」の号は筑波山からとられた。また,工房があったのは東京都北区田端であり,若い頃には花見客に当て込んで「飛鳥山焼」と命名した陶器を販売したが,全く売れずに赤字を抱えて「板谷破産」と自虐していたらしい。

板谷波山の陶磁器の特徴は葆光彩磁と呼ばれる独特の様式で,磁器であるのに曇ったような,ざらついたような白さを持つ。ゆえに波山は「葆光」と命名した。出光美術館のキャプションは「マットな質感」と説明していたが,ぐぐってみると葆光彩磁について同様の説明が見られるので,一般的な説明なのだろう。マットとはつや消しの意味なので,ざらついた感じを言い換えるならそういうことになろうか。白磁といえばつるっとした白さだろうという先入観があると,釉薬がかかっていないのではないかと疑うような,強い違和感を覚えるだろう。私もこれまで板谷波山の作品はほとんど見たことがなかったので,今回まとめて実見して,その奇妙な印象がなかなか面白かった。

ところで,「焼き上がった作品が気に入らないと叩き割る」という陶芸家のテンプレイメージは,板谷波山の実際の行動に起因するらしい。しかもそれを直接見て世に伝えた一人が出光佐三とのことで,割られそうになった作品を救出した結果として出光美術館所蔵になった作品もあるとのこと。そういうつながりで出光美術館がこの企画展をやっているというのも面白かったところだった。そういうシーンに立ち会ったら事象失敗作を救出したくなる気持ち,わかる。  
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2022年06月07日

2022年4〜5月に行った美術館・博物館

空也上人像東博の空也上人像展。京都には数え切れないくらい行っているが,そういえば六波羅蜜寺に行く機会が無かったなと思って鑑賞。空也上人像といえば恍惚とした表情の口から出てくる6体のミニマムサイズの阿弥陀如来がシュールで,日本史の資料集で見ると思わず笑ってしまう印象しかないが,実物はけっこう厳かだった。実物だと空也の表情や衣服の衣紋が写実的で,それゆえに場面のシュールさが中和されているところがあったと思う……まあ,空也が真剣味あふれているからこそ,余計に阿弥陀如来のシュールさが際立ってしまって笑っちゃう人もいそうだけど。

空也は平安中期の僧侶であるが,空也上人像は鎌倉時代の制作で,運慶の四男の康勝の作である。六波羅蜜寺は慶派の菩提寺でかかわりが深いとのことで,これは知らなかった。本展覧会でも運慶作の地蔵菩薩坐像や,伝運慶坐像等が展示されていた。伝付きとはいえ運慶自身の彫像があるとは。あとは有名な伝平清盛坐像が見られたのも,教科書によく載っているやつを予期せず見られて良かった。教科書上は政治史でこの坐像が出てくるので六波羅蜜寺にあるという印象が無かったが,六波羅は平氏の邸宅があった所縁の土地だからだろう。

その後は常設展・東洋館にも寄った。東洋館では石碑の拓本が特集されていて,三国志関連の石碑が並んでいたので一人でテンションが上がっていた。写真撮影OKだったので何枚か写真を撮ってきていたのだが,その後にスマホが故障したため取り出せなくなってしまった。せめてツイートしておけば……あるいは早めにブログを書いていれば。さらにこの日は桜が散る間際の時期で,庭園が開放されていたので散歩してから帰宅。一方,上野公園はもう花見シーズンは終わりという感じで,人出は多いがシートを敷いて座っている人は少なかった。



セゾン現代美術館。今年のGWに浅間山登山の際に軽井沢に宿泊したので,ついでに軽井沢観光として訪問。これも写真をそこそこ撮影していたのだがスマホが壊れて失われてしまったので,同行者のブログが詳しいのでそちらにぶん投げたい。本当に館内の展示は現代美術が門外漢の集団でもわかりやすいものが多く,なかなか見応えがあった。もっとも館内は企画展のみの展示で,期間ごとに大半を入れ替えてしまうようなので行ったタイミングが良かっただけかもしれないが。対照的に庭園に展示している大型の彫刻やインスタレーション作品は理解不能なものが多く,キャプションも無いので不親切である。

併設のカフェは軽井沢価格でいいお値段がするが,納得できる程度には美味しい。名物は麻婆豆腐だが辛いものが苦手な私はパスしてビーフピラフを注文,こちらも牛の味がピラフによく染みていた。異常なまでに混んでいる星野リゾートが近隣にあるが,よほどこだわりがない限りはこちらでの昼食を勧める。なお,美術館の入り口が微妙にわかりづらく,Googlemapに頼っていくと入り口にたどり着かないので注意したい。

同行者のブログの通り,この後は富岡製糸場にも行っている。この前々日に荒船風穴にも行っているので一応世界遺産構成物4ヶ所のうち2ヶ所を訪問したことになるが,残り2ヶ所は別に行かなくていいかな……富岡製糸場は残念世界遺産と言われることもあるが,いやいや十分に広くて見ごたえがあった。たしかに広い割には同じような展示内容が多く説明が重複気味であるが,そこは鑑賞者の判断で飛ばして見ていけばよいのである。説明では暗部を隠さず赤裸々に歴史が語られている。最初期の官営時代は女工の待遇が良すぎて膨大な赤字,民営化後に急激に待遇を切り下げて黒字化したが,切り下げすぎて長続きせず。経営母体が点々とした後,日中戦争期に片倉製糸紡績(現片倉工業)が獲得,ここが再び女工の待遇を改善してやっと経営が安定した。この変遷もまた日本の産業史を象徴しているのかもしれないと,読みながら思った。

1987年にとうとう片倉工業が工場の操業を停止したが,意外と最近という印象。その後も世界遺産登録を目指して富岡市が寄贈を受けるまでの間も片倉工業がちゃんとメンテナンスをしていたというから偉い。そういうこともあって繰糸所には廃業当時の製糸の機械が置きっぱなしになっているのだが,同行者の一人が「これ,東南アジアならまだ現役で行ける機械やな」と言っていて,30〜40年のスパンならまあそうだよなと。  
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2022年06月06日

2022年1〜3月に行った美術館・博物館

溜まりに溜まってしまったので消化していく。

三菱一号館美術館のイスラエル博物館展。フランスの自然主義や印象派・ポスト印象派・ナビ派中心の展覧会であったが,世間の話題をさらったのはドイツの印象派の画家レッサー・ユリィ(ウリィ)であった。実際に私も見終わった後にツイートしたのはレッサー・ユリィについてであった。完全に印象派の画風であるのに描かれているのがにぎやかなパリやフランスの田園風景ではなく,寒々しく物寂しいベルリンの市街であるというギャップに心が惹かれた。印象派とハンマースホイが合体したらこうなるのだろうか。レッサー・ユリィが注目を浴びたのは美術館側も想定外だったようで,話題になっていた。
・印象派展でモネの『睡蓮』を抑えてポストカードの売上枚数1位を記録したのが無名の画家の作品だったという話(Togetter)
・【探訪】一躍人気のレッサー・ユリィ 独特の作風がコロナ禍の人々の心に響いた? 「イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜」展(三菱一号館美術館)で注目(美術展ナビ)
帰宅後に調べてユダヤ人だったということがわかってイスラエル博物館側が推す理由を納得していたところ,山田五郎氏がけっこう深く調べていて参考になった。

マックス・リーバーマンやケーテ・コルヴィッツと並び称されていたくらいには20世紀前半のベルリン画壇では重鎮だったようだ。ユダヤ人として強い自覚があり『旧約聖書』を題材とした宗教画を描き,シオニズム運動に強く参画していたという側面があったのは面白い。ユダヤ人画家は出自とどう向き合うかというのがどうしても課題になるが,ここまで正面から向き合った画家は珍しいと思われる。しかし,そうした宗教画が売れずに美術史に名を残したのはやはり独特の印象主義的都市景観画だった。多作すぎて値崩れしている(2000万円くらいで買えちゃう)そうだが,であれば国立西洋美術館辺りに買ってもらって常設展で定期的に見たいところ。床に写っている光が日本人の好みにあっているという動画の指摘は意外と慧眼かも。


国立新美術館のメトロポリタン美術館展。大美術館から来るよくある総花的展覧会ではあるのだが,美術史オタクが見たいところの作品がある,力の入った展覧会で大変に良かった。特にバロック・ロココが好きな西洋美術史オタクに対する回答としては満点なのではないか。17世紀(バロックと古典主義)では展覧会の目玉になっていたフェルメールの《信仰の寓意》はもちろんのこと(これで私のフェルメールスタンプラリーがまた一つ埋まって24/37(23/35)点),カラヴァッジョやジョルジュ・ド・ラ・トゥールやプッサンにサルヴァトール・ローザ,ライスダールにホッベマもいた。ロココの方もまさかヴァトー・ブーシェ・フラゴナールが揃い踏みしてるとは思わなかった。それもいずれもかなり大きい大作だった。ブーシェの《ヴィーナスの化粧》は展覧会サイトの説明等には「官能的な」云々と上手いこと表現しているが,あけすけなエロでこれが許されたロココの時代は面白い。19世紀のゾーンではジェロームの《ピュグマリオンとガラテア》があったのが地味に嬉しかった。西洋美術史の概説書にたまに載っている割に本物を見たことがなかった。

こちらの展覧会でも,事前にはそれほど注目を浴びていなかったが開けてみると鑑賞客の間で話題になっていた作品があり,マリー・ヴィレールの《マリー・ジョセフィーヌ・シャルロット・デュ・ヴァルドーニュ》の肖像である。本作,それほど似てないのに20世紀なかばまでダヴィドの作品だと勘違いされていた辺りに,西洋美術史における女性画家蔑視の根深さを感じるのだが,本展覧会ではヴィジェ・ルブランの作品の隣に展示されていて,その対照もまた面白い。描かれているシャルロット・デュ・ヴァルドーニュもまた女性画家であり,二人は同業者として切磋琢磨する関係性だったのだろうか(百合的に盛り上がる関係性である)


サントリー美術館の正倉院宝物再現模造展。正倉院宝物の修復・再現模造の歴史は他の国宝よりも長く,明治の初期にはすでに始まっていて,その意味で特別な存在であったらしい。現在でも最先端の科学技術と人間国宝たちの職人芸と貴重な原材料が惜しみなく注ぎ込まれている。より困難なのは絶滅危惧種だらけの原材料の確保で,たとえば象牙は明らかに21世紀現在よりも前世紀以前の方が入手しやすい(もちろん入手困難になっているのは良いことなのだが)。本展でクローズアップされていた「螺鈿紫檀五絃琵琶」は,特に紫檀・象牙・玳瑁等の難度の高い原材料の壁があった。その中でも,独特の色合いを出すヤマトアカネ(茜の在来種)がなかなか生えておらず職員が困っていると,ヤマトアカネが千代田区千代田一番地の邸宅の広いお庭で発見される展開はかなり熱かった。再現模造の展示の脇では上皇陛下(当時はまだ在位)がヤマトアカネを御自ら掘り出している映像が流されていて,演出であるにしても意義深さがある。それにしても皇居は本当に自然豊かなのだな。これ,めちゃくちゃ面白いエピソードだと思うのだけど,私以外につぶやいている人が全くいなかったのはちょっと不思議。
  
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2021年12月13日

2021年8〜12月に行った美術館(聖徳太子展2つ・曽我蕭白展)

愛知県美術館の曽我蕭白展。江戸中期に活躍した奇想の画家の代表例である。実際に人物描写は歪みに歪んでおり,美しさと醜さが同居していて,鑑賞者に強いインパクトを与える。それだけに皺の多い老人や仙人,それに童子は得意で,逆に若い女性などは比較的普通である。動物にしても形態が複雑な竜虎などは特徴的であるし,伊藤若冲ほどではないにせよ鳥や哺乳類の描写も細かい。それに比べると植物は割と普通に見えた。また山水画は驚くほど普通で,狩野派と言われても信じるような漢画風の硬さと上手さがあった。山水画の作品群は来歴が明確なので曽我蕭白の作で確実だが,そうでなかったら候補に挙げることすら難しそうだ。総じて興味と得意のポイントが非常にわかりやすい画家と言えるが,描こうと思えば普通に描けるし,仕事で普通に描くのはやぶさかではない人だったのだろう。いくつかの作品では皺を刻みすぎていてシリアスな笑い状態になっていたが,多分本人もわかっていて,そのつもりで描いたのだと思う。

絵柄からわかる通り奇矯の天才といった風で実際に変わった人ではあったようだが,伊藤若冲もそうであるように家族・友人関係には恵まれていたようで,そういう人たちに見放されない程度の奇妙さではあったようである。パトロンとの手紙のやりとりも展示されていて,そうした様子が伝わってきたのがとても良かった。もちろん全く見知らぬ250年も前の人ではあるのだが,こういうちょっと風変わりな人が社会から脱落せず,画家として栄達を成し遂げていた様子がわかると不思議と安心感を得てしまった。また伊藤若冲との比較で言うと,彼は大商人の出自で基本的に京都から移動していない。これに対して,曽我蕭白は同じ京都の出自ではあるが高田敬輔を師匠とすべく滋賀県日野に赴いた専業画家で,さらに少なくとも伊勢松阪・播州高砂で仕事をした形跡があり,画業による生計のための移住がある。これは知らなかったので今回の展覧会で勉強になった。それもあってか,伊藤若冲は比較的人生がわかっているが,曽我蕭白は若い頃を中心に不明な点が多い。そうそう,仙人を描いたものが多いことからもわかる通り,他にも林和靖や周茂叔(周敦頤),李白,竹林の七賢など中国の題材が多く,漢文の素養は間違いなく高いが,これもどこで学んだのか。また研究が進んだら新たな展覧会が開かれることだろうから,それに期待したい。


東博の聖徳太子展。聖徳太子は622年に亡くなっているので,2021年で1400年目ということらしく,東博とサントリー美術館でその記念の企画展が開催された。東博の方は法隆寺に焦点を当てていて所蔵品からの出品も多かったのに対し,サントリー美術館の方は四天王寺に完全に焦点を当てるということで住み分けがなされていた。また東博は仏教・仏像や聖徳太子伝説の基礎から説明していたのに対し,サントリー美術館はかなり説明を省略していたから(特に注釈無く「上宮王家」のような言葉が出てくる),東博で読んできていることを前提で企画展のキャプションを作ったのかもしれない。

そのような住み分けであったので,東博の方は良くも悪くも総花的な豪華展示であり,国宝と重文がずらっと並んでの約200点。国宝の一例を挙げると天寿国繍帳と獅子狩文錦。あとは法隆寺金堂東の間の薬師如来坐像は貴重な鑑賞の機会で,飛鳥文化の北魏様式の特徴が濃いのがわかって良かった。やはり釈迦三尊像によく似ている。いずれも教科書で見たことあるものの実物が見られるという意味で,非常に東博らしい企画展ではあった。しかし,総じて面白かったけど新たに得られた知識はあまりなく,個人的な勉強にはあまりならなかったかなと。そういう意味では,最後の最後に金堂壁画の模本をどーんと展示していたのは,総花的展示だけで終わらせるわけにはいかないという東博の意思は感じた。

ついでに同時に開催されていたマレーシア・イスラーム美術館展も鑑賞。それほど宣伝されていないが,けっこうな長期間でマレーシア・イスラーム美術館から膨大なイスラーム美術を来年の2月20日まで展示されている。しかも企画展料金が徴収されず,平常展の券で入れる。なんでこんなにサービスが良いのかと思ったら,マレーシアが新型コロナウイルスのためにとんでもないことになったため貸し出してくれていたようだ。貸出料が向こうの美術館の多少の足しになっていればよいのだが。マレーシア・イスラーム美術館は名前からして古そうに見えるが実は1998年開館でかなり新しい。クアラルンプールにはこの他に国立博物館があるが,こちらは純粋にマレーシアの歴史を追うものらしい。1998年までイスラーム美術専門の大規模美術館が無かったのは意外である。展示物は前述の通り豪華ではあったが,割と東博の東洋館の常設展示とかぶっているものが多く,それほど目新しいものは無かった。逆に言って東洋館の常設展示はイスラーム美術だけでも割と大したものではあるのだなと。ただし,イスラーム美術自体見る機会が貴重ではあるので,良い機会ではあった。


続いてサントリー美術館の聖徳太子展。前述の通り,こちらは四天王寺から持ってきたものが展示のほとんどを占めていて,史実はともかく太子信仰と言えば法隆寺ではなくて四天王寺であるぞという意識がめちゃくちゃ表出しており,その時点で面白かった。特に伽藍配置について,東博の方では若草伽藍と西院伽藍の違いを軽く説明していたに過ぎなかったが,こちらでは「四天王寺伽藍は若草伽藍と同じ! すごい!」というアピールの圧が強くてちょっと笑ってしまった。

また本展はサブタイトルが「日出処の天子」であるのだが,展覧会の最初が『隋書』倭国伝の該当ページ(書籍自体は明代のもの)で,最後が山岸凉子の『日出処の天子』で締めくくられていた。これにも意味はあり,展覧会のテーマが太子信仰であるので,史実の聖徳太子から信仰の対象へという大きな流れがあり,その現代の姿としての少女漫画を出しておきたかったのであろう。そうそう,展示の冒頭『隋書』の次は七星剣(国宝)と丙子椒林剣(模作)他,聖徳太子の所持品が並んでいて,展示の目的としては聖遺物から実物が存在しない伝説へという流れだったのだろうけども,私としてはむしろ太子伝説のRPGへの影響を思ったりした。ついでに,本展は太子伝説を追っている関係で黒駒もちょくちょく登場していて,東方ファンは見に行ったほうが良い。あとは,聖徳太子像といえば歴史的には角髪のある若者時代の姿を描いた孝養像であって,我々が見慣れたあの髭をはやした肖像画(唐本御影)がメジャーになったのは明治政府が紙幣にこちらを採用してからだということが説明されていて,これは知らなかったので面白かった。また展覧会の最後には『日出処の天子』とともに聖徳太子が採用された紙幣7種類も展示されていたので,あわせて懐かしい人もいただろう。  
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2021年11月16日

2021年6〜10月に行った美術館(渡辺省亭・川瀬巴水・天台宗)

感想記事をサボりにサボっていたのでまとめて消化。

東京芸大の渡辺省亭展。渡辺省亭は明治期に活躍した花鳥画の名手で,海外で評価されたが,日本での知名度は低い。その理由は展覧会に行ってなんとなくわかった気がした。感想を書くのが億劫になる程度には特徴が無いのだ。渡辺省亭の特殊さは活躍時期が明治期であったことと,海外で評価されたこと,エドガー・ドガと交流があったこと,涛川惣助とコンビを組んで七宝焼にも携わったこと……と多岐に渡る。しかし,いずれも作品そのものへの評価ではない。もちろん花鳥画としては抜群に上手いのだが,このくらい上手い人は日本美術史上他にもいたわけだ。その時代を表象していることでもって美術史には刻まれるべきであろうが,こうして回顧展で見て楽しいかどうかは別問題である。現在の低すぎる評価は覆されるべきであろうとは思うものの,そのパワーがあるかはちょっとわからない。展覧会の感想としてこういうものになるのは珍しいので,これはこれで行った価値があったかなと思う。


SOMPO美術館の川瀬巴水展。大正から昭和にかけて活躍した版画家で,何人かいる「最後の浮世絵師」と言われる画家の1人である。同じようなポジションの画家に吉田博がいるが,実際にこの2人は風景画が主体で,どちらもしばしば旅行に出かけて写生し,帰宅後にコンビを組んでいる彫師や摺師と一緒に一気に作品を仕上げてしまうという制作スタイルも同じで,海外でも人気を博したことも共通する。逆に相違点を探すと,吉田博は登山家だが川瀬巴水は登らない,吉田博は人物を苦手としていたが川瀬巴水にその様子は無いことか。画風ももちろん違いがあって,川瀬巴水の方が色彩のコントラストが強めて,吉田博は淡くグラデーションの美しさに定評がある。個人的には登山家である親近感を差し引いても吉田博の方が好きだなーと思いながら眺めていたら,展覧会の終盤に,川瀬巴水の収集家だったスティーブ・ジョブズが「ノー,(吉田博よりも)巴水こそベストだ!」と言っていたらしく,やつとは美的感性が合わないことを再確認した。自分の中のアンチアップルの精神が成長した。今後もAndroid使うわ。まあそれはそれとして,ジョブズの審美眼にかなった画家というのはやはり偉大であろうと思う。なお,川瀬巴水展は展覧会期間が長く,年末までやっているのでジョブズの審美眼を確認したい方はぜひ。版画であるため作品数が多く,新しくなったSOMPO美術館の広さも相まってボリューミーな展覧会になっている。



東博の天台宗展。東博だとこの1つ前の聖徳太子展にも行っているのだが,サントリー美術館の聖徳太子展とまとめて書きたいので,少々お待ちいただきたい。さて本展は比叡山延暦寺の寺宝や最澄・円仁・円珍の活躍を中心に,日本全国の天台宗の寺院から寺宝をかき集めて展示したもので,今年の東京都の美術館の企画展としては最大規模のものであろう。企画展名「天台宗と最澄のすべて」は伊達ではない。現存最古の最澄の肖像画(国宝)からして教科書で見たやつとなること請け合い。その他にも最澄直筆の手紙,嵯峨天皇の宸筆等の国宝や重文がどんどん登場する。あとは日本史関連だと『往生要集』や慈円の消息の展示もあった。なお,延暦寺の宝物のうちの一部は宝箱からの開封に朝廷の許可が必要というルールが現存していて,今回も大真面目に宮内庁におうかがいを立てたという時代がかったエピソードがあり,その様子が撮影された動画が公開されている。私はこの場に立ち会ったら吹き出さない自信が無い。

それ以外にも最澄・円仁・円珍の足跡がわかるような展示や説明が豊富になされている。地方への広がりという点では,東京ならではの話題としてやはり天海と東叡山寛永寺・日光山輪王寺(日光東照宮)がクローズアップされていて,上記3人以外では例外的にかなりのスペースをとっていた。そういうわけで全く予期していなかったのだが,「摩多羅神二童子像」の本物を拝むことができて非常に感動した。『東方天空璋』の元ネタと言っても過言ではない絵画作品で,『闇の摩多羅神』の表紙にもなっているあの作品である。この天台宗展は東京・九州・京都の3つの国立博物館を巡回するのだが,地域色を出すために天海関連のものは東京展でしか展示されないようだ。プチ聖地巡礼を楽しみたい方は東京展で行くことをお勧めしたい。

闇の摩多羅神
川村 湊
河出書房新社
2008-11-19

  
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2021年05月31日

サントリー美術館:ミネアポリス美術館展

サントリー美術館のミネアポリス美術館展に行ってきた。アメリカの大規模美術館にはよくある江戸時代の絵画を大量に収集している美術館の一つである。出品物は室町〜桃山の水墨画・狩野派の作品,大和絵,琳派,浮世絵,南画,江戸後期の画家たち,幕末・明治と中世末から近代初期の日本美術史を一通り追っていけるようになっている。サントリー美術館のキャパシティの問題もあって全90点ほど,展示替えを考えると実際に見られるのは80点ほどであったが,質は十分に高かった。また,ほぼ全作品が写真撮影可で,Twitterやブログをやっている身としてはありがたい。スマホで撮って印象に残ったものはその場でつぶやいておくと,宣伝にもなるし後からブログにまとめる際にも楽である。こういう機会は積極的に活かしていきたいところ。

そうそう,サントリー美術館というと,そういうのが好きな学芸員の方がいるのか,機会があるごとに笑えるネタの絵巻物を展示の中にぶっこんでくる傾向があり,今回もその例外ではなかった。なんだこのめちゃくちゃな話は。


その他に気になったものを挙げておく。狩野派はミネアポリス美術館の収集物の都合か,サントリー美術館側の選択の妙か,京狩野に淡幽と清原雪信という不思議な組み合わせ。やはり狩野山雪の「群仙図襖」が良かった。やっぱり京狩野はきらびやかな作風を保っていてほしい。

大和絵は前述の「きりぎりす絵巻」で静かに笑いを噛み締めていた。でも大概の人は同じ反応になると思う。ところでこの作品,こんなんだけど伝住吉如慶なのだな。「伝」のついていない同作品を細見美術館が所蔵している(参考動画)ので,信憑性はありそうだし,少なくとも住吉如慶がどうかしていたタイミングが一度はあったのは間違いないようだ。なお,「伝」は西洋画のattributed toと同じ意味ではなく,「そう伝わっている」という意味であって必ずしも「帰属する可能性が高い」という意味ではないのだが,キャプションが「繊細で鮮やかな如慶らしい逸品」となっているのでちょっと気になった。ミネアポリス美術館またはサントリー美術館側でattributed toとしうるだけの論拠があるということなのだろう。

琳派は特にあまり。ここで前半が終わり。サントリー美術館は前半半分が4階,後半半分が3階という展示スペースとなっていて,階段で降りるのだが,その階段にあった演出がこれ。



これは,たとえば左から2・3・4列目の上から2行目は「狩野派」になるのでそこが消えて,真ん中4列の上から6行目は「江戸時代」になるので消えて……という感じにテトリス式に文字を消していくパズルになっていて,最終的に左列から「東洲斎写楽」「葛飾北斎」「曽我蕭白」「伊藤若冲」「狩野山雪」「雪村周継」という画家の名前が残るという。現場では自動でさくさくと消えていくのだが(動画で撮っておけばよかった),自力で解こうと思ったらかなり難しいだろう。

3階に降りて浮世絵,三畠上龍の肉筆浮世絵「舞妓覗き見図」はかなりインパクトがあった。

確かにこの写実性は四条派由来だろう。版画の方はパズルの答えになっているだけあって東洲斎写楽と葛飾北斎が多かった。大首絵の「市川鰕蔵」と富嶽三十六景のうちの「凱風快晴」と有名所が並ぶが,そう珍しいものでもないか。広重の東海道五十三次は箱根と蒲原。南画はこの調子で来るなら池大雅と与謝蕪村が並ぶかと思いきや,大半が細川林谷だったので肩透かしという感じはした。江戸後期はパズルでの予告通り曽我蕭白の大作が見られたので満足。最後に渡辺省亭がいて,不思議と別の展覧会に話題がつながった。総花的で作品数が多くもないが,すぱっと楽しめる展覧会にはなっていたと思う。会期の大半が緊急事態宣言で轢き潰された感じなのがちょっとかわいそう。  
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2021年05月26日

モンドリアン:垂直線と水平線で絵画を作ると地図になる

《大きな赤の色面、黄、黒、灰、青色のコンポジション》SOMPO美術館のモンドリアン展に行ってきた。SOMPO美術館が損保ジャパンビル42階から独立した建物に移転してから初めて行った。眺望が良かったのでちょっともったいなかったかなと思う。モンドリアンは20世紀前半に活躍した抽象画の画家で,現代アートの走りである。垂直線と水平線だけで構成された画面で有名で,美術の教科書で一度は見たことがあるだろう。このブログの古くからの読者であれば私が現代アートが嫌いなのはご存じだと思うが,なぜモンドリアンを見に行ったのか疑問に思うかもしれない。実はそれは現代アートの開闢期には微妙に当てはまらない話で,むしろ「若い頃に自然主義や印象派が流行していた人々が,自分の円熟期にはなぜこのスタイルになったのか」という観点でなら興味がある。その意味で(デュシャンは当然として)キュビスムの画家たちやカンディンスキー辺りには関心がある。これらの画家の若い頃の作品を展示してくれる展覧会は貴重でありがたい。

で,このモンドリアンもご多分に漏れず,若い頃の作品はもろに自然主義や印象派の作品を残していて,特に特徴がない,突出して上手いわけでもない普通の画家である。ところが,点描やキュビスムを経て次第に描かれたオブジェクトが単純化していき,ただの線や面になっていくので過程が非常にわかりやすかった。絵画作品の美しさとは現実の再現性ではなく,線や色そのものにあるから,具象物の形を取る必要がないという思考の過程が制作年順に作品群を追っていくと如実に現れてくる。これだけ跳躍が無く,わかりやすい画家も珍しいのではないか。若い頃の彼の作品群はその試行錯誤の表現なのだ。私自身の趣味で言えば全くの正反対で,絵画作品は具象物の再現であるという制限下でどれだけ美を表現できるかというジャンルたるべきと思っているが,思考の過程自体は理解できるし,そのわかりやすさは清々しくすらあったから,嫌いではない。

その行き着いた先に出てきたのが,直線だけで構成された画面である。同じ時代で同じような思考をたどった人にカンディンスキーやパウル・クレーもいるが,まだ彼らの作品は少し具象画の名残があるというか,極論を言えば丸や三角形のような図形もまだ具象画の要素が残っていると言えなくもないところ,完全に垂直線と水平線しか残さなかったところにモンドリアンの極端さがある。しかしながら,そこまで突き詰めた結果として出てきた画面がかえって都市の地図にしか見えなくなってしまうのが面白いところで,本展でも何作品か展示されていたが,やっぱりどう見ても都市の地図にしか見えなかった。事実上の具象画では。今回の画像も赤い大きな四角は巨大商業施設で,黄色はレストラン的な塗り分けかな? というような。モンドリアンの代表作である《ブロードウェイ・ブギウギ》は今回の展覧会には無かったが,モンドリアン自身がマンハッタンの碁盤の目状の形状やジャズの影響を受けていると言っている通り,自覚はあったのだと思う。というか,あの作品が一義には抽象画であってブロードウェイの地図を直接的に描いた作品ではないのだが,逆に思っている人も多そうである。

また,彼の属していたデ・ステイルの作家が作った椅子も展示されていて,なるほどモンドリアンの作品をそのまま立体にするとこうなるというような,ほぼ直方体だけで構成された椅子になっていて面白かった。こんな感じ。そりゃ立体化できるだろうけど本当に立体化するとは,と思っていたら,最後に展示されていたのが「モンドリアンっぽい図面だけを使って設計・建築された家」の映像で,こんな感じ。これもそりゃ立体化できるだろうけど本当に建てるやつがあるかwという案件で,内装も外観と同じような感じになっていた。まあ住心地が悪いわけではなかろうと思われ,Wikipediaを見ると実際に1985年まで人が住んでいたようである。
  
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2021年04月05日

コンスタブル展:ロマン主義的田園風景

Flatford_mill(Constable)三菱一号館美術館のコンスタブル展に行ってきた。コンスタブルはイギリスのロマン主義風景画を代表する画家の一人で,ターナーの次に名前が挙げられる人物である。ターナーとは生年が1年しか違わない同世代で,ロマン主義・風景画家というところまで共通していたライバルだった。ターナーの方が現在の知名度が高いのは,ターナーが鉄道や汽船などの産業革命に湧くイギリスの時代をとらえた画題を選んだことや,晩年には印象派を予感させるような筆触になっていったことから,社会史としても美術史としても王道の物語に乗せやすいところがあるだろう。

これに比較するとコンスタブルの画題は「美しき故郷」としてイングランド,すなわち田園風景が主体である。産業革命によって都市化が進み,田舎が縁遠くなっていく時代であるから,その意味で時代を捕えてはいたのだろう。しかし,コンスタブルからするとそのような”時代”を描くという目的意識は特に無く,より純粋に「美しき我らがイギリス」を描きたかっただけであったから,そのような持ち上げ方は歴史学的にも危ういかろう。画家たちがそういった目的意識を持つようになったのは,より時代が進んだバルビゾン派や印象派の頃である。

とはいえ,コンスタブルの出身地イーストアングリアはイギリスで最初に農業革命が始まった地方であり(要するにノーフォーク州もイーストアングリアの一部である),コンスタブルの家系も製粉業と石炭業で財をなした新興資本家の家系であったから,その文脈においてならば彼の風景画と産業革命は無関係とは言えない。加えてコンスタブルは「美しきイングランド」という点で強い意識を持っていたから,ナショナリズムの高揚という時代性は捕えている。図録に入っていた小論にコンスタブルの絵が第二次世界大戦時の戦意発揚ポスターに使われていたという指摘があったが,まさにそうなることが予見される作品群である。なお,ターナーはロンドンという大都市生まれ,庶民の出の苦学生であり,こんなところでも二人は対照的である。また,この時代のイギリスの富裕層といえばイタリアに卒業旅行に行くグランド・ツアーが流行していて,画家もよくイタリアに修行にでかけたものだが,コンスタブルは生涯一度も外国に出ていない……どころかイングランドからも出ていない。地元の風景が好きすぎて外国を見に行く気が起きなかったのだろう。ターナーですら,出世して資金に余裕ができてからではあるが,イタリアには修行に出ているから,ここもまた対照的である。

もう一つ比較のポイントを用意すると,風景(画)に憧憬を求めた点でイギリスとドイツのロマン主義絵画は似ているものの,イギリスの画家たちは実際の風景を美しく描くことを追求したのに対して,ドイツの画家たちは現実の風景のスケッチを解体・再構成して架空の風景にしてしまう傾向があった。またターナーやコンスタブルは風光明媚で野趣はあれども人の手は入っている,まさにイギリス式庭園と同じ趣の風景を切り取るが,ドイツの場合は山岳地帯や人の手の全く入っていない平原・荒原を場面に選んだものが多い(その意味ではターナーの方がまだドイツに意識が近い)。廃墟とゴシック様式の聖堂が好きなのは数少ない共通点か。これらから後継者探しをすると,やはり素直にバルビゾン派などに受け継がれていったのはイギリスの方であって,ドイツの風景画はドイツだけで終わってしまったように思われる。特にコンスタブルの地元の風景を美しく描くという精神はバルビゾン派に直結する。

さてコンスタブルはそのような家庭であったので,実業家の道を捨てて画家になるという説得には苦労したようだが,幸いにして画家としての出世はそれなりに早かった(ただしライバルのターナーは最速記録的に早かった)。風景画の地位が古典的なジャンルのヒエラルキーでは下位だったというのはよく知られていることであるが,ターナーもコンスタブルもそのヒエラルキーが崩されていく時代に生まれたとも言えるし,彼ら自身が崩していったとも言える。ただし,コンスタブルは需要の高かった肖像画を多数描いていて生活の糧にしていたようだ。今回の展覧会にはこれらの肖像画も展示されていたが,思っていたよりも上手かったというか,風景画家にありがちな「肖像画は下手」というパターンには当てはまらなかった。これはちょっと意外だった。これだけの腕前ならおそらく肖像画家として食っていく方がより容易だっただろうが,結果として自分の好みを貫き通したことで彼は歴史に名を残すことになるのだから,人生はわからない。最終的にコンスタブルはロイヤル・アカデミーの正会員となって盤石の地位を築いた。

そうして全盛期のコンスタブルの作品を見ると,やはり見ていて安心する田園風景が多い。しかし,「実際に存在しているのだろうけど,極めて絵になる風景」を絵にしていて,さすがはピクチャレスクという概念を生んだ国の画家である。また技法レベルの話として,コンスタブルはまだまだ古典的・アカデミックは描き方で,樹木の描き込みが細かい。そこはやはりロマン主義であり,後のバルビゾン派とは違うところだろう。今回の画像《フラッドフォードの製粉所》(1816-17,テート美術館所蔵)もそのような作品であり,画面左の運河と右の巨大な樹木が映える配置になっている。まさにあるべき田園風景だ。

また,私が今まで知っていた以上にターナーとのライバル関係が強く,両者ともばちばちに意識しあっていたというのがわかって面白かった。その最大の決戦の場となったのが1832年のロイヤル・アカデミー展で,その時に隣同士に展示されたターナーとコンスタブルの作品が,今回の展覧会でも隣同士に飾られて場面が再現された。この「体験の再現」は得難いもので,コンスタブルの大回顧展としての面目躍如だろう。ターナーが飾られてから手を加える最後の仕上げの時にかなり焦っていたというエピソードもよくわかるところで,この2作だけで比較するならコンスタブルに軍配を挙げる人は多かろうと思う。

総じて風景画が好きなら満足できる展覧会であった。見に行くならこの記事の前半に書いたような,産業革命や農業革命の簡単な知識を入れてから行くとさらに楽しめるだろう。  
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2021年02月28日

都美術館・吉田博展:登山家の見る風景

吉田博「劔山の朝」東京都美術館の吉田博展に行ってきた。登山に行きにくいご時世になってしまったが,登山の絵を見ることはできる。ありがたいことである。

吉田博は黒田清輝の10歳年下になる,1876年生まれであるから明治の後期,日本に西洋美術が定着し始めた頃から活動を始めている。貧しい家の出身だったが秀才で知られて福岡の修猷館中学に入学,そこで今度は画才を認められ,そこで図画の教師をしていた吉田嘉三郎の養子となった。吉田嘉三郎は中津藩の御用絵師出身で,娘が4人いたが,そのうちの一人が後に吉田博の妻となる。この妻の「ふじを」も当時としては珍しい女性画家として有名になる。ところが嘉三郎が33歳で急死,吉田博は18歳にして家長となり,画家として稼がなくてはならない立場となった。この状況で5年後の明治32年,23歳のときに急遽アメリカ旅行を敢行,これが何と大きな成功を収めた。エキゾチックな日本の風景画が受けたのである。吉田博はそれを織り込み済みだったのだろう。この日本より先にアメリカで名を上げて帰国したから,後の藤田嗣治等の先駆けと言えるかもしれない。また当時の画家たちは洋行といえばフランスであったから,アメリカを選んだところも主流から外れている。

国内では白馬会とは折り合いが悪く対立していた。しかし,全くの反骨精神の塊で反権威主義だったかというとそうではなく,国家主催の文展や万博の日本出品等には積極的に参加していて表彰されているし,文展は審査員にもなっている。何よりも晩年のことになるが,日中戦争では従軍画家として中国に長く滞在している。ただし,戦争画は全然描いておらず,もっぱらに中国の風景画を描いているのだが,当時すでに国際的に有名な画家だっただけに画題に縛られなかったのだろう。それを考えると,むしろ積極的に戦闘場面を描いた藤田嗣治は”それ”を描きたかったのだろう。戦後にはアメリカで名声を博していたことが功を奏して占領軍からも厚遇を受けたが,日本が主権を回復する前の1950年に亡くなった。

彼の画業の最大の特徴は風景画を得意としたことで,特に吉田博は日本の戦前では著名な登山家であって高山の作品が多い。彼は次男に「穂高」と命名してしまうくらいの登山好きで(なお長男には「白山」と付けようとしたが反対されて断念したとのこと),日本アルプスは22歳から晩年にかけてまで何度も旅行している。作品も展示にあっただけで穂高・槍ヶ岳・剱岳・立山・白馬山・大天井岳・鷲羽岳・針ノ木岳・乗鞍岳・烏帽子岳・鳳凰三山・甲斐駒ヶ岳・北岳・間ノ岳・雲仙岳,そして富士山とバリエーションに富む……いや,半分以上が北アルプス(の後の日本百名山)じゃな。本人がスケッチしたであろう角度まで再現しようとするなら恐ろしく聖地巡礼難度が高くなりそう。なお,大天井岳があるところでピンときた人もいるだろうが,吉田博が表銀座に赴く時の案内役が喜作新道に名を残した小林喜作とのこと。吉田博は前述の反骨心あふれるエピソードに反して登山では案内人の指示に極めて従順だったとのことが説明されていた。まあ,ここで反骨しても死ぬだけなので。本家のアルプスも好んだようで,ユングフラウ・ヴェッターホルン・マッターホルンとこちらの作品も多い。作品は少ないがヒマラヤにも登っている。ところでちょっと気になったのは,本展のキャプション及び図録の説明では一部作品が単に「駒ヶ岳」と説明されていたのだが,説明不足では。日本に駒ケ岳が何個あると思っているのかという話で,それとも眺望に富士山が入るのだから皆わかるだろうという投げっぱなしだろうか。普通に登山に詳しくないとわからんと思うのだが……。もう一つ,「温泉岳」に何も説明がないのも不親切だろう(雲仙岳のこと)。

もう一つの特徴は西洋美術ながら油彩画に偏らず,特に木版画の活動が多かったこと。日本には浮世絵があったので多色摺りの木版画の伝統はあったが,なぜか木版画で油彩画並の豊かな色彩を再現しようとしたため,何十回と摺る摺師いじめのような作業工程となったそうだ。その苦労の甲斐あって,彼の木版画はグラデーションが美しく,高山の雪渓や渓流,朝焼けが見事に表現されている。山岳風景以外でも,海景画や田園風景・都市風景でもその効力はいかんなく発揮され,木版でもここまでできるのだということを誇示している。海景画では同じ場面を違う色で摺ることで朝・午前・霧・午後・夕・夜の6つの場面を描いた「帆船」の作品があり,これはまさに多色摺りの版画だからできた技だろう。浮世絵は10〜20回程度のところ,吉田博の作品は平均が30〜40回,最大で96度摺ったとのこと。しかし,その96度摺りの作品「(日光東照宮)陽明門」を見た感想で言わせてもらうと,技術的挑戦心は買うけどもう普通に油彩か水彩で描けよと思ってしまった程度には微妙だった。表現手法による向き不向きはあると思う。向き不向きで言えば吉田博はとにかく風景画に特化していて,自然風景だけではなくて建物も上手く,動植物もまあ苦手じゃないくらいだが,人物ははっきりと苦手だったようだ。実際の作品でも偶像はともかく肖像画は上手くなく,作品数も少ない。

個人的にはやはり高山の風景画が心に残った。私は北アルプスは全然登っていないが,他の高山に登った経験から言ってこの風景は割とわかる。彼はこの風景がまた見たくて,何度も北アルプスに登ってしまうのだろう。また南北アルプスに目を奪われたがちだが,富士山は作品数が圧倒的に多く,これまた抜群に上手い。富士山を描いた著名な画家は数多けれど,自分で登って剣ヶ峰やご来光まで絵に収めた人はそう多くないだろう。そうであるからこそ遠景からの富士山も解像度が高い。今回の画像は彼の代表作として剱岳のものにしたが,単にベストを選ぶなら「河口湖」を挙げたいところ。直接的な山岳風景ではないが,「渓流」も好きな作品だ。  
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2021年02月25日

きらきらでん(螺鈿)展の感想

樹下人物螺鈿硯屏根津美術館のきらきらでん(螺鈿)展に行ってきた。漆器や蒔絵・沈金の企画展はたまにあるが,螺鈿だけの企画展は珍しい。螺鈿は漆器に貝殻から剥いだ欠片を埋め込む技法のことで,貝殻が使われる工芸品という時点で世界的に珍しく,概ね東アジア・中国の文化圏でのみ発達した。FFTの刀の最強武器で覚えた人も(このブログの読者には)多いと思われる。貝殻は夜光貝を使うのが有名だが,夜光貝は南洋にしか生息せず,日本だと鹿児島が北限ということで入手経路が極めて限られるため,実際にはアワビやアコヤ貝など他の貝も使われた。本展では冒頭に制作過程や技法が示され,その後に中国・朝鮮・琉球・日本各国の螺鈿漆器が展示された。

陶磁器が中国・朝鮮のイメージが強いのに対して漆器は日本・琉球のイメージが強いが,実際に古代や中世初期の日本で螺鈿漆器は中国人からしても異常なほど発達を見せたようで,宋代には中国人が「螺鈿は本来日本の産品」という勘違いが生じていたほどであったそうだ。しかし,中国の漆器の生産が止まったわけではなく,むしろ中世後期に日本漆器は姿を見せなくなったらしい。これは知らなかったのでちょっと驚いた。中国では新たにより薄い剥片を使う薄貝の技法が編み出されてこれが進化していく(日本で発展した既存の技法は厚貝と呼ぶ)。薄貝の方が繊細で,沈金の金銀のように螺鈿で線を描き,ひいては絵を描くことが可能になった。本企画展でもそうした中国の作品が展示されていたが,明・清期の超絶技巧螺鈿は確かに螺鈿とは思えぬ細かさであった(今回の画像はその一例)。しかし,日本等の周辺諸国が厚貝にこだわった(薄貝の技法が入ってきても厚貝を捨てなかった)理由もわかる気はして,螺鈿の良さである光の当たる角度による色のゆらめきが薄貝ではどうしても小さく,はっきり言ってしまうと白から色が変わらないので象牙象嵌と見分けがつかない。もっとも,日本の場合は薄貝の技法が発達した時期がちょうどその日本漆器が国際市場から姿を消していた時期に当たるので,より単純に技術の伝播・継承自体にそんな余裕が無かっただけなのかもしれないが。

琉球の螺鈿は豊富に夜光貝が使えるだけあって贅沢な仕様。朝鮮は日本以上に適した貝殻の入手が難しかった環境であると思われるが,中国から技法を導入して高麗螺鈿・李朝螺鈿と呼ばれるそうな。ただし,やはり数が少なく,本展に出品されたものも(特に高麗螺鈿は)かなり貴重なものであったようだ。ちょっとおもしろいのは高麗螺鈿の方が表現が繊細で李朝の方が文様が大ぶりということ。イメージだけで言えば時代が逆である。

最後に日本の螺鈿。ここはさすがの質・量で,特に江戸時代の螺鈿はすごい。見る角度によって緑・紫・銀と色彩が移ろう螺鈿の特質を見事に活かした作品が多く,見応えがあった。一品,金継ならぬ”螺鈿継”で陶磁器を修復したものが展示されていてちょっと笑った。そりゃできなくはないだろうけども。なお,本展の展示品は根津美術館の所蔵品と個人蔵や東博等からの借り物で構成されていたが,琉球漆器は全品個人蔵,朝鮮漆器はやや借り物が多かったのに対し,中国と日本の漆器はほぼすべて根津美術館の所蔵品であった。これだけ持っていて今まであまり表に出ていなかったのは少々もったいない。全て見終わって思ったのは,自分は螺鈿が好きな割に螺鈿を全然知らなかったなという感想が第一に来た。奥が深すぎる。

展示を見終わった後は庭をぐるっと一周してきたが,さすがに冬であるので人が少なく,ほぼ独占状態で良かった。梅が早くも綺麗に咲いていた他,椿も見頃でこの時期は意外とありかもしれない。  
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2020年12月15日

いっそのこと今度は夢女子の日本美術史展をやってほしい(「日本美術の裏の裏」展)

サントリー美術館の「日本美術の裏の裏」展に行っていた。所蔵品展であるが,だからこそキャプションと展示構成で引きつけようという努力と創意工夫がこらされていて満足度は非常に高かった。所蔵品展だったからこそ写真撮影が自由だったのも良い。

展覧会タイトルの通り,普段に比べると随所にかなり遊びが入っていて,展示物もネタに走ってかなり珍しいものを放出していた。サントリー美術館の所蔵品展はかなり行っていて有名どころは概ね見ているので,だから一つ前の所蔵品展は回避していたのだが,今回の所蔵品展は初めて見たものも多かった。そういう棲み分けだったのだろう。展示室に入ると,円山応挙の「青楓瀑布図」がお出迎え。展示室が現実の滝の水しぶきが飛んでいるかのように飾り付けてあった。一種のインスタレーションでつかみはばっちりである。何枚かの屏風を挟んで,ミクロな調度品のゾーンへ。「ちひさきものはみなうつくし」という『枕草子』の一節を引いて,明らかに実用サイズではないものが展示されていた。雛人形の伝統があるために漆器のミクロサイズは珍しくもないが,



織部焼のミクロサイズは何を考えて作られたのかがわからない。技巧の誇示か,あるいは織部焼の製作者らしく単に面白かったからか。その次がヘタウマ作品・アマチュア作品のゾーンへ。Twitterでバズっていた「室町時代の夢女子同人誌」もここに展示されていた。



500年後に自分の妄想を晒されることになろうとは作者は全く思ってなかっただろうが,「大丈夫だぞ,末裔も同じことしかやってないから」とあの世に向かって伝えてあげたくもなる。それにしても,異性装からの「おもしれー女」で恋が始まるのは,この頃からあったのだなぁ。なお,「新蔵人物語絵巻」はこの章の中では比較的上手い方で,中には本当にヘタウマというか下手なものもあった。ド下手くそでも,数百年前でかつ保存状態が良く,内容のある物語なら文化財になってしまう。サントリー美術館はよくこれ集めたな,と思ったら,



キャプションが辛辣で笑う。散々「絵心があれば,それでいいんだ」と章の説明で描いておきながら,作品別のキャプションでこの落差は卑怯。

次の章は焼き物の「景色」の話。焼き物が360度,どの角度からでも鑑賞可能な設置になっていて,自分の好きな景色を見つけようという感じだったが,そもそもサントリー美術館は普段の展示からして割と360度見られる設計にしてくれているので,今回だからこそという感じはしなかった。その次が和歌を題材にした作品の章。和歌の解説・和訳が全部の作品についていて,くずし字読めない勢としてはありがたかった。

最後が風景画の章で,「風景にはいる」という章題の通り,風景の中でミクロに描かれている人物に注目した見方を提示している。この「風景画の中に登場人物を描きこんでしまうのはありやなしや」という議論は洋の東西を問わず美術史上の重要テーマで,画中に人がいることで隔絶された自然ではなく田園風景であることを示したり,登場人物に鑑賞者の役割を持たせて鑑賞者の視点を示したりする役割があった。またこれらの意味を合わせて,西洋ならアルカディア,東洋なら桃源郷や仙境の中に鑑賞者を引きずり込むという効果があったことも見逃せない。そういった点を上手く説明する作品とキャプションになっていたように思う。


総じて冒頭に書いた通り,珍しい所蔵品と充実した工夫で飽きさせない,良い展覧会であった。逆に言えば所蔵品展ならこれくらいの気合を入れないと集客できないということなのだろうし,実際に自分も評判を聞くまで行くかどうか迷っていた。コロナ禍で大変だろうが,今後の所蔵品展もがんばってほしい。  
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2020年12月14日

二次元に融解する都市・東京(MANGA都市TOKYO展)

国立新美術館のMANGA都市TOKYO展に行っていた。国際的な巡回で好評を博した展覧会の凱旋的企画展。漫画・アニメ・ゲーム・特撮で東京という都市がいかに描かれてきたかをテーマ別・時代別に整理し,陳列したもの。

江戸・東京はあまりにも多くの創作物で画像・映像化されてきたために,多層なイメージが乗っかっている。特に大きいテーマとして取り上げられていたのが「破壊と復興」である。ゴジラに壊され『AKIRA』で壊され,『天気の子』で水没し……とまあ,壊され続ける大都市東京の姿は,現実での関東大震災と太平洋戦争による二度の復興があったからこそ現実味を持ちつつ,すでに一つの持ち味を化している。特にこの分野で一日の長があるのはやはりゴジラさんで,初代に始まり『シン・ゴジラ』までゴジラの破壊シーンが並べられるとなかなか壮観だった。その他に,そもそも江戸時代は火事の町だったよね,というつなげ方をしていたが,あれはちょっと強引に感じた。別に時代別の日常のコーナーに入れておけばよかったのでは。

時代別の日常というテーマでは,非常に多くの漫画が取り上げられていて,テーマ的に漫画というジャンルは強い。集英社の漫画が多かったように思われたのは偶然か,そうでなければ,確かに集英社はこういう企画に積極的に乗っかっていく上手いところはあるように思った。東京という都市の日常は結局のところ日本経済の浮沈と連動しているところが大きく,バブルくらいまではけっこう画一的である。真に都市の細部が,たとえば秋葉原や新宿という単位に大きな意味を持つようになったのは,フィクションの上では意外と最近だったのかもしれない。新宿といえば新海誠だよね,ということでこのゾーンのアニメでは新海誠の扱いがやはり大きかった。あとは,ゲームという分野ではあまりにもネタが無さすぎたのか,『がんばれゴエモン2』が強引に取り上げられていてちょっと面白かった。なるほど,これも一種の架空の江戸には違いない。ゲームであと出てきたのは『サクラ大戦』と『Stein's Gate』と『龍が如く』なので納得のラインナップ。

最後のテーマが「キャラVS都市」で,逆にフィクションが現実の東京に食い込んでいるパターンにクローズアップしたもの。『こち亀』の銅像がある亀有町や神田祭に欠かせない存在になってきた『ラブライブ』,お台場に立ったガンダム,コンビニとコラボした初音ミク等々。聖地巡礼の経済的効果も考えられながら,あまりにもフィクションで多く描かれてきたために現実とフィクションの境界が融和してしまった東京という都市を象徴する現象であり,展覧会に占める面積は小さかったものの,テーマ設定としてはこのゾーンが一番面白かった。改めて考えると東京とかいう都市,フィクション性が高くて存在する次元がめちゃくちゃである。小説や映画の舞台としてならニューヨークやロンドン・パリ等も強いが,こと漫画・アニメ・ゲームというフィクション性の強いものに限ればやはり東京が際立つだろう。本展の掉尾を飾ったのが『ラブライブ』というのは,本展を上手くまとめていたと思う。

総じて凱旋帰国にふさわしい展覧会だったのではないかと思う。ただし,凱旋帰国であるために基本的には外国人向けに作ったものをそのまま持ってきたという点と,コンセプトを押さえて見に行かないと(そこそこキャプションは充実していたものの),単なる懐かしの作品の陳列を眺めて終わってしまう可能性は高く,そこは鑑賞者の側に準備が必要。東京での展示は11月に終わっているが,1/17までで大分県立美術館で開催中。見たい方はそちらへ。今回は展示品の画像を貼るといろいろとアウトなので,公式の映像を貼っておこう。


  
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2020年08月16日

日時指定された異世界へ(ロンドン・ナショナル・ギャラリー展)

ウッチェロ《聖ゲオルギウスと竜》Twitterで流れてきたTweetに「美術館とは,気軽に行ける異世界だった。日時指定で行けるようになっても気軽さがない」というものがあって,非常に強く同意していた。なんとなく美術館に行くのが億劫になっていたが,それを言語化できずにいたところであったので,まさに我が意を得た言葉であった。それでも異世界への思いは絶ち難く,重い腰を上げてイープラスのアプリを起動して,やっと行ったのが西美のロンドン・ナショナル・ギャラリー展であった。

本展は展示数が61点と少なかったが,非常に豪華だった。こういう海外の大規模美術館から借りてくる時は目玉展示が数点,後はまあ……ということになりがちであるが,今回は紛れもなく端から端まで目玉展示になるものがそろっていて,極めて満足感が高い。コロナ禍に巻き込まれて全然集客できていないのが非常にもったいない。ついでに言うと,宣伝もゴッホに偏っていたのはちょっともったいない。

第1章はイタリア=ルネサンス。いきなり最初にウッチェロの《聖ゲオルギウスと竜》が出迎えてくれる(今回の画像)。聖ゲオルギウスが描かれることがそれほど多くないので,彼といえばこれという作品。聖ゲオルギウスは竜を瀕死にした後,竜に生贄として捧げられていた姫とともに宮殿に連れて帰り,「キリスト教に改宗するなら,とどめを刺します」と告げたそうなので,姫が竜の首に繋げられた縄を持っているのだが,むしろこの縄のせいで「姫が飼っていたペットの竜を刺殺されているシーン」にしか見えない。それはそれで何か物語が作れそうな設定ではあるが。(FGOでゲオルギウスにお世話になった人はここで詣でておきましょう。

2枚めも豪華,カルロ・クリヴェッリの《受胎告知》。めちゃくちゃ急角度な一点透視図法は,それが定着し始めた頃のイタリアでは大受けだったのだろう。それだけに,透視図法を無視して天から降り注ぐ「受胎しろビーム」が非常に目立っていて,画題の面目躍如である。クリヴェッリの硬質な描き方も,建物が目立つ本作ではよくあっている。なお,本展の図録カバーは本作とゴッホの《ひまわり》の二種類から選択可能である。他にギルランダイオ,ボッティチェッリ,ティツィアーノと来て最後がティントレットの《天の川の起源》。これもこのギリシア神話の1シーンを説明する際にほぼ必ず言及される絵で,ここで見れたのは僥倖であった。

第2章はオランダ黄金期の絵画。レンブラントの自画像,フランス・ハルスの肖像画,ヤン・ステーンやテル・ボルフの風俗画,クラースゾーンの静物画とおなじみの面々が続く。フェルメールも1点,《ヴァージナルの前に座る女》が来ていた。本作の特異性は,フェルメール作品なのに画面の左側の窓がカーテンで覆われていて,残った部分も宵闇となっていて光が差していないことにある。2枚の画中画が置かれているのも珍しい。壁にかかっている大きな絵はディルク・ファン・バビューレンの《取り持ち女》と特定されているが,ヴァージナルにかけられた風景画は言及している文献が少ない(図録でも言及がなかった)。宵闇や画中画,加えてヴァージナルの手前に置かれたセッション用の弦楽器から,本作はまあそういう男女の密会の光景だろうとされている。本作が来ているとは知らなかったので,思わぬところでフェルメールのスタンプラリーが一つ埋まって嬉しかった。私はこれで23/37(22/35)点となった。

第3章はやっとナショナル・ギャラリーらしくイギリスの絵画。ヴァン・ダイクで幕を開け,レイノルズとゲインズバラに続いていく見事な構成。個人的に面白かったのがライト・オブ・ダービーによる肖像画があったことで,ライト・オブ・ダービーと言えば《空気ポンプの実験》等の科学実験や講義のイメージしか無かったので新鮮だった。当然ながら,彼も主要な収入源は近隣のジェントリや産業資本家の肖像画だったのだ。

第4章がグランド・ツアー。イギリス人貴族・富裕層の若者によるイタリアへの修学旅行であり,土産物としてイタリア現地の風景を写した絵画を購入するのが流行していた。ここもカナレットとグアルディというこの分野の二大巨頭の作品が展示され,カナレットはイギリス滞在中に描いたイートン・カレッジの風景画もあり,客層とニーズをよくつかんでいる。カナレットがイギリスに滞在していたのは初めて知ったのだが,9年間とかなり長い。やがてグランド・ツアー需要が増すと,イタリア人だけでなくフランス人のジョゼフ・ヴェルネやイギリス人のリチャード・ウィルソンなどもお土産系イタリア風景画に参入して人気を博した。ジョゼフ・ヴェルネやリチャード・ウィルソンの作品は本展の他に,西美の常設展に展示されているので合わせて確認したいところ。

第5章は少し時代が戻って17世紀のスペイン絵画。なぜこのような構成になっているかというと,イギリスのスペイン絵画受容がナポレオン戦争を契機としているからだそうで,であれば確かにグランド・ツアーの後に持ってくるのが正しい。ここもエル・グレコ,ベラスケス,ルカ・ジョルダーノ,ムリーリョ,スルバラン,ゴヤと錚々たる面々。スルバランの殉教した聖女シリーズを久しぶりに見た気がする。今回は《アンティオキアの聖マルガリータ》で,竜に丸呑みされたが奇跡によって龍の腹が割けたので脱出しえた,というすごい伝説を持つ。アトリビュートは当然竜になるので,本作でも竜を侍らせている……思わず侍らせていると書いてしまったが,聖マルガリータが羊飼いの格好をしていることもあって,これも竜が飼われているようにしか見えない。この竜,普通にかわいいんだよな……。ゴヤの作品はウェリントン公の肖像画。キャプションにある「表情がやつれて虚ろ」「スペイン戦役の苦労が表れている」という言葉の通りで,威厳に満ちながらもやつれている表情の表現が見事であった。

第7章は18世紀後半以降に隆盛したイギリスの風景画とその前史。クロード・ロランとプッサンの古典主義風景画に始まり,サルヴァトール・ローザとロイスダールの影響が入って次第にピクチャレスクに向かい,最後にコンスタブルとターナーが登場してロマン主義が流行する。クロード・ロランの作品は有名な《海港》シリーズの1作。十分に豪華ではあったのだが,個人的に風景画が一番好きなのでさすがにもうちょっと作品数がほしかったところ。コンスタブルの作品が1点だけというのは悲しい。

ラストの第8章はフランスの近代絵画。イギリスはラファエル前派が強かったこともあって印象派受容は遅れたが,それでも(前に展覧会が来ていたコートールド等ががんばったおかげで)そこそこのコレクションがある。今回の展示にいたのは新古典主義のアングルから始まってコロー,アンリ・ファンタン=ラトゥール,ピサロ,ルノワール,ドガ,ゴーガン,モネ,セザンヌ,そして最後にゴッホの《ひまわり》。ロンドン・ナショナル・ギャラリーにある《ひまわり》は画面全体が黄色で,他の《ひまわり》にも増して強烈なインパクトがある。こんなものを描いていたのだからアルルの時点ですでに病んでいるよなという思いが強くなる一品だった。


というように思わず作品を列挙して長々と書いてしまったが,これほどまでに美術史の教科書に載っている作品が多く展示された企画展は,それもわずか61点に凝縮されているものとなると本当に珍しい。自分のブログの過去ログをさかのぼって見ていっても,本展に勝てそうな西洋美術の企画展が過去5年でちょっと見つからなかった。日時指定になっているためにゆったり見られるのは,鑑賞者にとってはありがたい現象で,お盆休みを除くと意外にもチケットは取りやすく余っている印象である。2020年の西洋美術の企画展を1つだけ挙げろと言われたら間違いなく本展になるだろう。  
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2020年03月02日

「大和と出雲」(他は含まない)

画文帯神獣鏡・三角縁神獣鏡東博の出雲と大和展に行ってきた。タイトルの通り,古代日本の信仰を追う展示である。出品物はほぼ全て出雲からの出土品または出雲大社の所蔵品,畿内からの出土品または畿内の諸寺院・東博の所蔵品である。出雲側の展示については,展示品リストを見ればわかる通り,多くが古代出雲歴史博物館か出雲大社で見たもので,個人的にはほとんど新鮮味が無かった。逆に言ってこれに感動した人は是非現地で見てきてほしい。絶対に感動するので。逆に大和側も出品リストを見ると,考古学的出土品は多くが橿原考古学研究所付属博物館から持ってきているものなので,直近で行っていたらつまらなかったと思われるのだが,長らく行っていないのでけっこう楽しめた。それこそ,これはそのうち現地で見たほうが楽しそうである。

それはそれとして,今回の展示は邪馬台国畿内説の勝利が裏テーマだったのではないかというくらい弥生時代の大和が押されていて,こんなに数を並べなくてもいいのにというくらい銅鏡が陳列されていたり,箸墓古墳他の初期古墳郡については饒舌な一方で,いつもの東博の展示であれば必ず説明しているであろうと思われるその邪馬台国論争や空白の150年に全く触れていないのもかえって不自然で,余計に「え,畿内にあったのなんて当たり前でしょ?」感が醸成されていた。展示のテーマが「出雲と北九州と大和」ではなかった時点で察するべきだったのかもしれない。その割に仏教公伝は538年説と552年説が併記されていて,このノリなら538年説だけでいいやろ……と思って思い出した。この企画は『日本書紀』成立1300年記念行事だったわ。一応,『日本書紀』を立てた細やかな配慮だったことに気づいてちょっと面白かった。

そうしたテーマ設定を一切無視して言えば,高校日本史的な文化史の振り返りとしては非常に優秀で,この辺は東博らしさにあふれていた。弥生土器→土師器→須恵器といった変遷や,出雲での四隅突出型墳丘墓の登場から大型古墳へ,そして古墳埋葬者の司祭者的性格から武人的性格への変遷,そして古墳から仏教へという大きな変革はわかりやすく,展示物を追っていくだけで自然と感じ取れるようになっている。神仏習合の流れの中でも出雲はそれなりの存在感を放ち,特に鰐淵寺が修験道・蔵王信仰の一大拠点として栄えた……という感じで展示が終わる。


本館の常設展示はあまり面白いものが無かったが,東洋館は「文徴明とその時代」と銘打って明代後期の書画が展示されていた。文徴明とその周囲の画は線がこれでもかという程に細く,ぱっと見た印象は画面全体が「白い」。しかもじっとよく見るとその細い線が驚異的な細かさで画面を埋めているので,実にマニエリスティックな面白さがある。川や空間が白描なのはよく見るが,樹木や山容の中まで真っ白で,あえて奥行きを殺している山水画は「面白い」以外の感想が見当たらない。
  
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2020年01月17日

もっと宗主にフォーカスを当てた展示でも良かったのかも

昨年11月に西美のハプスブルク展に行っていた。近年の西美は研究寄りでこういう企画展は少なかったので,久しぶりという感がある。まあでも2018年にもルーベンス展はやっていたか。展示品は大半がウィーン美術史美術館所蔵のもので,少しブダペスト国立西洋美術館のものと西美の所蔵品が入っている。

ハプスブルク家600年の歴史を追いながら関連する事物を展示するという形の展覧会であるが,さすがに本当の最初期の展示は無く,最初に登場する宗主はマクシミリアン1世である。よって600年というのは誇張で,20世紀も無いことを考えると400年の歴史が正しい。個人的にはルドルフ1世なりルドルフ4世建設公なりのものでもあれば持ってきてもらいたかったところ。ともあれ,「中世最後の騎士」マクシミリアン1世がスタートというのは時代の切れ目としては綺麗で,第1章が豪華なプレートメールの数々というのは人目を引き,展覧会としては成功である。これは隙間を狙って刺すか殴り倒すしかないよな,とか考えながら見るとよいだろう。

第2章はやや跳んでルドルフ2世。カール5世をすっ飛ばしたのはなかなかいい度胸であるが,文化史という観点で見て欠くべからざるかと言われると,確かにちょっと弱い。しかし,ルドルフ2世もその宮廷はプラハであるからこれはこれで本道から離れていないか,という疑問を抱いたのだが,そもそも第2章の章題が「ルドルフ2世とプラハの宮廷」だった。第3章でもスペイン=ハプスブルク家が出てくるし,あまり細かいことを気にしたら負けであるようだ。ルドルフ2世は美術収集家であったので,ここでは彼の時代の画家というよりも彼の集めたものという枠で作品が展示されていた。ゆえに,デューラーやジョルジョーネなど,実際にはカール5世の時代の作品も含まれている。なるほど,そういう解決。ただし,そういう枠組みであっただけにやや散漫な印象があり,豪華さの割には面白くなかった。

第3章はレオポルト1世その他17世紀の収集家たち。ここも低地地方の総督やスペインのフェリペ4世まで出てきて,展示の中核もベラスケスだったりでオーストリアの影は薄い。また,ここも収集家単位でまとめられていたので,画家の時代や様式,作品のテーマ設定等はばらばらでちょっとピンとこない感じ。収集家ごとにまとめるとこういう弊害があるという気づきが得られたという意味では新鮮だった。収集家ごとに大きく趣味が違っていればまた話は別だったのかもしれないが,皆目利きではあれ方向性は同じなので。なお,本展は展示数が約100点だが,うち40点近くがこの第3章である。その意味でもバランスが悪い。もうちょっと第4・5章の品々が見たかった。

第4章は18世紀に入ってカール6世,マリア=テレジアとマリア=アントニア等その家族たち。マリア=テレジアの多産と家族愛が説明され,肖像画がずらっと並んでいたが,展示数が少ないせいでそれで終わってしまったという印象。第3章までの流れであればマリア=テレジアやヨーゼフ2世の収集品が並べられていてもよかったように思う。ヴィジェ=ルブランによるフランス王妃の肖像画もあったので,ここまで来るともはや「ウィーン美術史美術館所蔵の,ウィーンにいなかったハプスブルク家由来の作品」が今回の隠れテーマだったのではないかと思えてくる。実際,ヴィジェ=ルブランのこの作品がウィーン美術史美術館所蔵だったというのはちょっと驚いた。

第5章はフランツ=ヨーゼフ1世とシシィを中心とした19世紀。ただしここも展示が6点しかなく,ハプスブルク家の歴史を終わらせるべくとってつけた印象がある。もっとも19世紀のウィーンについては同年の別の企画展で深く触れられていたので,ネタかぶりを避けたのかもしれない。一点,最後の方にあった展示が装飾されたフリントロック式ピストルだったのは,本展覧会が中世末期のプレートメールから始まったことを想起すると,上手い締め方だった。プレートメールで開幕したハプスブルク家栄光の歴史は,銃声によって幕を閉じたのである。19世紀末なのに,装飾用とはいえフリントロック式というのもまたノスタルジックで良い。


書いてみると文句ばっかりだったが,ハプスブルク家の歴史をざっと追う学習的な展覧会としてはまずまずよくできていたと思う。展覧会期間が長く,1/26まで開催中。いい感じの画像が見つからなかったので,公式Twitterの画像でも貼ってごまかしておこう。
  
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2019年12月23日

抜歯のシーンでさえ劇的になる

カラヴァッジョ《歯を抜く人》名古屋市立美術館のカラヴァッジョ展に行ってきた。このために名古屋まで行ったのだが,覚えがないくらい久しぶりで立地まで完全に忘れていた。伏見駅からあんなに歩いたんでしたっけ。本展は約40点と数が非常に少ないが,1点1点に詳細なキャプションがついていて分量の少なさを感じさせない展示になっている。また,カラヴァッジョの真筆は約8点と1/4に満たない点数だが,カラヴァッジョ周辺の人物やカラヴァッジェスキの良いところを集めていて,全般として豪華であると言えよう。

カラヴァッジョの作品としては《メドゥーサの盾》,《法悦のマグダラのマリア》辺りが目玉だろうか。ただし,私的にはどちらも以前の西美のカラヴァッジョ展で見ているので新鮮味はなかった。あれももう3年以上前のことで,当時は日本でカラヴァッジョの単独の回顧展なんてほとんど史上初だし,今後も10年に一度あるかないかだろうくらいに思っていたのだが,作品数が少ないとはいえ,あっさり3年で2回目が実現してしまった。私が行ったのが土曜日で,しかも名古屋市立美術館が小さいのもあってかなり混んでいたし,鑑賞客はけっこうまめにキャプションを読んでいた。いまだもってなぜか高校世界史の教科書には載らないままだが,カラヴァッジョの世間的な知名度も上がってきているのだろうか。

その他のカラヴァッジョの有名な作品としては《ゴリアテの首を持つダヴィデ》で,これは私も初見かな。ゴリアテの顔がカラヴァッジョの自画像という説があるが,死の直前の作品であり,結果的に死亡フラグを立てた形になる。こういうところも彼の伝説化に一役買っているのだろう。ちょっと面白かったのは《歯を抜く人》で(今回の画像),宗教画や歴史画が多いカラヴァッジョだけに,こういうどうでもいいシーンの絵はちょっと珍しい。観衆の表情と中央に集まる視線が見どころ。あとは《洗礼者聖ヨハネ》。あまりにも艶めかしすぎるのでアトリビュートを無視すると洗礼者ヨハネに見えない。杖が十字架でないのでそもそもアトリビュート不足であるというのも拍車をかけている。そうそう,カラヴァッジョと言えばクズ奇行エピソードに事欠かない人であるが,今回の展覧会でも主要な事件がキャプションで詳細に説明されていた。一つ残念だったのは,一番好きなアーティチョーク事件の扱いが軽かったことだ。あれが一番おもしろいと思うのだが。

カラヴァッジョ以外の絵が面白かったのは本展の良かったところで,主要な画家の名前を挙げておくと,ジェンティレスキの父娘,アンニーバレ・カラッチ,グイド・レーニ,リベーラ,カラヴァッジョの敵対者バリオーネ等。ジェンティレスキの父娘は見比べてみるとやっぱり娘の方が上手い。バリオーネの作品は1点しかなく,カラヴァッジョの人間関係を詳細に解説したキャプションがあっただけにやや残念であった。リベーラまで行くともうカラヴァッジョのフォロワーという感じではなくバロックのど真ん中であるが,実際ちょっと年代的に浮いていた気がする。

本展は巡回展としては珍しく南関東で全く開催されず,札幌・名古屋・大阪での開催となる。名古屋はすでに終わっているが,本記事公開の現在は大阪で開催されている。関西在住なら十分に見に行く価値があろう。  
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2019年10月30日

副題「ミュシャからマンガへ」

アルフォンス・ミュシャ《ジョブ》文化村のミュシャ展に行っていた。ミュシャは過去に何度か見ているからもういいかと思ったが,なんとなく時間に空きができたので文化村まで足を伸ばした。変な時間帯に行ったのに混んでいて,ミュシャ人気は健在である。本展はミュシャの主要な作品の展示の他に,ミュシャの初期の作品や,後世で影響を受けた作品も展示されていた。ミュシャの盛期の作品は「普通に良かった」以外の感想が特に無いので(《JOB》とかサラ・ベルナール作品とか最高確認でしかなかった),語るなら初期の作品と後世の作品ということになろう。なお,今回はスラヴ叙事詩などの後期の作品はほぼ展示が無かった。スラヴ叙事詩は(私は行っていないが)2年前に大規模な展覧会をやっていたので,今回はさすがに持ってこれなかったか。

初期の作品については,正直あまり面白いとは思えない。《ジスモンダ》で脚光を浴びてポスター作家として栄達する以前のミュシャは,挿絵や雑誌の表紙等を手掛けていたが,当然ながらモノクロである。描き込みが細かいとは思うものの,モノクロではミュシャの面白さはあまり発揮されない。一方,普通の油彩画は,以前のミュシャ展でも同じ感想だったのを,これを書くべく読み返して思い出したが,本当に普通すぎて特に感想がわかない。つまり,ミュシャにはカラフルで目立つポスター絵こそが天職であったのだ。これがサラ・ベルナールという当代一流の女優から発注されたというのはミュシャにとって美術史に名を残す千載一遇のチャンスであり,天佑であったとしか表現しようがない。しかもそれが後世の美術史・デザイン史に巨大な影響を残すのだから,人類の歴史というものはわからない。少なくともミュシャが不在の世界における萌え絵は,私には想像がつかない。

一方,後世の影響を受けた人々・作品について。意外だったのは1960年代後半から70年代の英米のレコードのジャケ写や,90年代以降のアメコミが影響を受けていたこと。当然ながら,日本のイラスト・漫画への影響とは全く受けたところが違う。私のそれらに対する知識がなくて大変困惑したし,説明する語彙も無いのだが,展覧会ホームページの表現を借りるなら「ミュシャの異世界的イメージと独特の線描写は、特にサイケデリック・ロックに代表される形而上的音楽表現と共鳴するものがあった。一方、よみがえったミュシャ様式は、新世代のアメリカン・コミックにも波及し、その影響は今日まで続く。」らしい。スピリチュアルな点が共感されたのと,アール・ヌーヴォーが半世紀以上経って”古くて新しい”表現に見えたということだろうか。確かにヒッピー・ムーヴメントの象徴にミュシャが担ぎ上げられたとするとちょっと理解できるかもしれない。

日本の場合はまず明治において『明星』の表紙を描いた藤島武二らが受容の先駆になったそうだが,やはり圧倒的に1970年代以降のイラスト・漫画への影響が圧倒的で,特に初期には少女漫画で見られた。展示されていたのは水野英子,山岸凉子,天野喜孝など。しかし,このテーマでCLAMPがいないのは片手落ちでは。大トリにいたら豪華な展覧会になっていて,21世紀現在の日本におけるミュシャ受容の象徴的存在として綺麗に締まったと思うのだが。

本展はすでにBunkamuraでの展示期間は終わっているが,現在は京都文化博物館に巡回中。この後,札幌芸術の森美術館にも行く模様。  
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2019年10月29日

三国志展でも,主役はやはり曹操だった

曹操高陵出土の白磁東博の三国志展に行っていた。いかにも曹操の墓(曹操高陵)の発掘を契機に立てられたような企画である。展示のメインは後漢から三国時代にかけての出土品や伝世品で,曹操高陵からの出土品も含まれる。加えて後代の中国で描かれた三国志の絵画や,NHK人形三国志で使われていた人形,横山光輝の『三国志』の原画等も展示されていた。

実のところ,展示の大半は後漢代の装飾品や道具・武器,陶器などであり,当時に活躍した諸将縁の品は(当然ながら)あまり無かったので,当時の生活の様子はよくわかるものの,三国志の武将やエピソードを体感しに来たつもりだと肩透かしを食らうかもしれない。ただ,展覧会側もその自覚はあり,「○○もこれを使っていたかもしれない」というようなキャプションを入れる,『三国志演義』にある諸葛亮の赤壁での千本の矢集めを会場の天井と壁面を使って再現して設置する,コーエー『真・三國無双』シリーズの設定通りに巨大な蛇矛を再現したもの等の飽きさせないような工夫が多く見られた。実際に理系で東博に何年かぶりに来た同行の友人(ただし三国志の知識は私と変わらないマニア)も大変満足していた。

それでも面白かった展示物は,やはり固有名詞が出てくる品々で,しょうがないでしょ三国志ファンなんだからという感じ。たとえば「曹休」の印や,朱然の墓の出土品,定軍山出土の撒菱,合肥新城出土の石球など。石球に陸遜の指紋とか残ってないかな……とか考え出すとテンションが上がる。毌丘倹紀功碑(高句麗遠征成功の記念碑)がさらっと置いてあったのもすごい。ややマイナーな武将であるが,この展覧会に来るような人なら知っているだろうという企画側の信頼が感じられる。前述同行の友人も「まさかの毌丘倹!」と喜んでいた。あるいは「中山靖王劉勝の墓からの出土品」もファンならニヤリとする品。「倉天乃死」(原文ママ)から始まる漢文が彫られた磚(石碑)は,漢文の素養が高校レベルでもはっきりと読める漢文で,多くの三国志ファンが思わず読んでしまったことだろう。弩・戟等の武器類も良かった。特に弩は保存状態が良く一級文物に指定されているものがあった。「三國無双シリーズの弩は殺意が湧くよね」なんて話題で盛り上がること請け合い。

展覧会の目玉はやはり曹操高陵の出土品。展示室自体が曹操高陵の墓室を再現したという気合の入れよう。曹操が遺言で薄葬を命じたためか,あるいは盗掘に遭った可能性があるためか,出土品がどれもこれも地味というのが特徴的。その中で一際目を引いたのが,白磁の壺である(今回の画像)。本当によくこれを持ってきてくれたと思うし,これを見るためだけでもこの三国志展は行く価値がある。白磁は陶器や青磁に比べて技術的難度が高く,発明が遅れた。青磁は後漢には発明されていて本展でも展示があったが,一方で白磁の発明は6世紀末〜7世紀頃と考えられている。しかし,曹操の墓が作られたのは当然ながら彼の亡くなった220年頃である……つまり,曹操の墓から出土されたこの白磁の壺は300年ほどの技術を飛び越えた正真正銘のオーパーツである。三国志も陶磁器も好きな私は今年の2月にこのニュースを聞いて大変に驚いた。それをまさかこんなに早く,中国に行かずとも見る機会が得られるとは。

とはいえ研究者の立場からするとオーパーツで研究を終わらせるわけには行かないわけで,本展のキャプションでは「偶然の産物として完成し,珍品であったので曹操に献上されたのではないか」とひとまずの結論が出されていた。なるほど,確かにそれが現実的なところであろう。また,曹操が望んだのか,それとも曹丕らが配慮したのかはわからないが,薄葬を望んだ曹操でもこの白磁だけは副葬品としたという事実は面白い。珍品だったので曹操が好んだということでも,珍品すぎて周囲が扱いに困り,良い機会だから副葬品として処分したというオチでも,どちらでも面白い。本品については技術的な研究は今後進展するかもしれないが,文献に残っていないためになぜ副葬品になったのかという研究については困難を極めると思われ,当分は良い三国志ファンの妄想の種になるだろう。陳舜臣が存命ならこのネタで一本小説を書くレベル。

この三国志展は東京での展示は終わっているが,九州国立博物館に移って年明け1/5まで開催中である。東京で見そびれた人は是非そちらで。  
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2019年10月28日

舌を噛みそう>フォリー=ベルジェール

マネ《フォリー・ベルジェールのバー》東京都美術館のコートールド美術館展に行っていた。最近はこういう「特にテーマは無いけど,海外の大きい美術館から雑多に借りてきました」系の企画展に行くのはよほど大きな目玉でも無い限りなんとなく避けていたのだが(現地で見てやるという気概もあり),これはよほど大きな目玉があったパターンで,来るなら日本で見ておくに越したことはないというものだ。かつ,たまには完全に気を抜いて鑑賞してもいいじゃないかとふと思えたので行ったパターンである。激混みが予想されたので,まだ空いている始まった直後に行っておいた。

その大きな目玉が随分前から広く宣伝されていたマネの《フォリー=ベルジェールのバー》で,マネの作品が5点くらい載っている美術史の一般書なら,まず間違いなくその5点の中に入っている晩年の代表作である。フォリー=ベルジェールは大きなミュージック・ホールで,安全基準など無い当時はサーカスのような曲芸や見世物小屋的な動物等のショー,薄着の女性たちのよるダンス等が行われていた……と聞くとムーランルージュやクレイジーホースのようなキャバレーの過激版ということかと想像するが,私にはわからない(と書いておくとそのうち詳しい人がコメント欄に現れる展開)。今だったらいろいろな意味でアウトっぽい演目が多い。

本作が描いたのはそのホール中央ではなく,大きな鏡になっている壁の壁際のバーである。よく言われるように,バーメイドの虚ろな目が非常に印象に残る。バーメイドはしばしば娼婦に成り代わったし,ここはそういう交流にも使われたというキャプションの説明を読むと尚更その冷めた表情が気になってしまう。鏡に映った背景ではショーが進行中でにぎやかで楽しそうであるから,余計に自分=鑑賞者とバーメイドしかいない現実の側が虚しく映る。屋内の描写ではあるが,これは都会の喧騒と孤独を描いた最初期の作品であり,その意味では後のエドワード・ホッパーに続いていく系譜の作品の走りと言えよう。

なお,私も全く知らなかったのだが,フォリー・ベルジェールは現役で営業中だそうで,パリに旅行した時に行く(というか目の前を通り掛かる)べきであった。観光名所になっていそうなものだが,4年前にパリに行こうと観光地を調べた時には全く出てこなかった。クレイジーホースには行ったことがあるが,遠い昔のことである。めちゃくちゃ高いステーキを食べたはずだが,味を全く覚えていない。20歳やそこらになったばかりの舌ではそんなもんだろうと思うし,「何事も若いうちに経験しておくべき」というのは必ずしも真ではないのだなと今振り返ると思う。という自分語りは置いといて。


本展は《フォリー=ベルジェールのバー》を含めてわずかに約60点の展示だが,あまり広くない都美術館の企画展にはちょうど良かったし,《フォリー=ベルジェールのバー》以外もかなり豪華な印象派・ポスト印象派作品群であったので満足した。モネがドービニーを真似て作ったアトリエ船から描いた作品や(奇しくもドービニー展が直前にやっていた),ルノワールの《桟敷席》,セザンヌの《カード遊びをする人々》や《サント・ヴィクトワール山》の一つ等々。キャプションが充実していて,読みながら鑑賞していけば,作品数の割にかなりの鑑賞時間がとられることだろう。

また,コートールド美術館はロンドン大学付属のコートールド美術研究所の所蔵の作品群であり,本展覧会ではコートールド美術研究所についての物品も展示されていた。その中でコートールド美術研究所の開学初年度(1932-33年)の講義リストと,学部生への期末試験問題が展示されていたのだが,その問題が21世紀現在の世界中の美術史の講義の期末試験でも十分通用しそうで,学問の基礎は時空を超えても変わらないというのが実感される。たとえば「14世紀のフランス美術がヨーロッパ美術に与えた影響は何か」というような。英語の問題文をじっくり読んで解答を考えながら鑑賞していたので,大きな満足感があった。その意味で,現役の美術史学の学部生なら絶対に見に行くべき展示だろう。

期間が長く,12/15まで開催。  
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2019年10月27日

船旅が実に楽しそう

損保ジャパン美術館のドービニー展に行っていた。バルビゾン派の代表的な画家で,ミレーやコローの次くらいに挙げる人が多いのではないだろうか(テオドール・ルソーは知名度が低いので)。よく印象派で言われる「野外での制作」「都市化する社会の需要に応えた郊外の風景」は実際にはバルビゾン派を継承したものであるし,アカデミー的なかっちりした瞬間を切り取る絵画ではなくやや筆致を残す感じで樹木に茂る葉を描くやり方を見ても,美術史的に言えばアカデミーと印象派のはしごのような役割を果たした一団と言える。しかし,バルビゾン派が現在も人気が高いのは,そのような美術史的評価ではなくて,単純に描かれた自然が安心する美しさであるからだろう。

ドービニー個人の画業としては,美術館ホームページにもあるが,展覧会用に作られたショートムービーが端的にまとまっていて非常に良いので,これを見たほうが早い。



1853年にサロン買い上げ,1859年にレジオン・ドヌール勲章というとまだ40歳前後のことで,革新的なことをやっていた割には生前のかなり早い時期から巨匠となっていたと言ってよい。水面が好きすぎてアトリエ船を作ってしまったエピソードが何より面白く,その船旅を描いた連作版画が大変に良かった。こういう展覧会だと油彩画に目が行きがちであるので,版画が面白かったという体験が得られたのは貴重であった。もちろん油彩画もよく,こちらでも「これはどう考えても水面に立ってないと得られない視点だよな」という作品が見られる。水面へのこだわりは尋常ではなく,表現が難しいが,空や樹木を映す水の質感がよい。なお,ムービーにある通りアトリエ船は後にモネも真似ており,その絵画が少し後の都美術館のコートールド美術館展に来ていて,奇縁を感じた。

本展覧会も例によって東京では終わっているが,巡回して現在は三重県立美術館で開催中である(11/4まで)。
  
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2019年10月26日

曜変天目茶碗コンプリート

曜変天目茶碗(大徳寺龍光院)ゴールデンウィークの翌週に,関西まで足を伸ばして曜変天目茶碗を2つ見てきた(ついでにフェルメール展にもこの時に行った)。1つは奈良国立博物館で,藤田美術館展。藤田美術館の2022年のリニューアルに備えての大展覧会である。ただし,私自身はすでに藤田美術館の曜変天目茶碗を見たことがあったので,今回はどちらかというと見たことがなかったという同行頬付の付添に近い。藤田美術館の所蔵品自体も,今回ほど豪華ではなかったが以前にサントリー美術館の企画展で東京に来ていた折に見ているので,そう新鮮味は無かった。曜変天目茶碗の感想はこの時と変わらず,すごいにはすごいのだが稲葉天目ほどの神秘性は感じない。他の展示物では,彩色が残っている快慶作の地蔵菩薩立像や,13〜14世紀の中国の作品と見られるマニ像の掛け軸あたり。確かに地蔵菩薩には見えないが,その時期の中国にこれを制作できるほどのマニ教の集団がいたのかという辺りで,研究を待ちたいところ。


なお,本展はゴールデンウィーク翌週とはいえとんでもない混み具合だった。旅程に伊吹山登山を組み込んでいたため大きめのザックを抱えていた我々はロッカーに入れようとするも入らず,奈良博の受付にクロークという存在が無かったために,結局ザックは警備員室に預かってもらったという稀有な体験をしたということもここに記録しておきたい。奈良博の警備室でもなかなか無いことだろう。常設展は後ろの予定が詰まっていたのと,何度も見ているのでカット。ここを出た後は急いで宇治に移動して,天ヶ瀬ダムに行き,天皇陛下在位30周年ダムカードを受け取り,宇治上神社に参拝した後,「特別になりたい山」こと大吉山にスピード登山した。登下山と山頂滞在あわせて30分くらいだったか。登りやすい山ではあるが,パンプス履いて楽器を担いで登れるほどヤワでもないことがわかった。麗奈さんは超人。


それからさらに滋賀県まで移動してMIHO MUSEUMへ。本当になんでこんなところに。確かに森林の中に突如として現れる巨大建築,宗教施設感が強くて面白くはあったが。すでに閉館まで2時間くらいというタイミングではあったがここもかなり混雑していて,曜変天目茶碗のコンテンツ力に脱帽する。そしてやっと見ることができた,大徳寺龍光院の曜変天目茶碗は,藤田美術館とは逆の感想を抱いた。藤田美術館のものは写真で見ると稲葉天目に近いように見えたが,実物はそこまで光っているように見えなかった。それに対し大徳寺のものは写真では3点で一番鈍く感じたが(今回の画像),実物の大徳寺物はなかなかどうして神々しい。稲葉天目の不気味とも言える美しさは無いが,静謐な光をたたえていた。斑紋の一つ一つが小さいのが良いのかもしれない。また他の2つが青と黒の印象が強いのに対し,こちらは白いという印象が残った。これも写真ではわかりづらい。やはり,実物を見てみるものである。これにて私と頬付は曜変天目茶碗3点の実物を全て鑑賞することに成功した。人生でやり遂げないといけないことリストが,やっと一つ片付いた。

この後は結果的に閉館までそこそこ時間ができて,駆け足ながら他の企画展展示とMIHO MUSEUMの常設展まで見ることができた。他の大徳寺の展示物は,藤田美術館展を見てしまっているのでもったいなくも見飽きてしまったが,大徳寺の歴史を感じさせるものはさすがに感動した。春屋宗園墨蹟,津田宗及の日記,松花堂昭乗の扁額,狩野探幽筆の頂相(描かれるは龍光院の事実上の開山の江月宗玩)と戦国〜寛永期の錚々たる面々の作品に,紫衣事件の関係者,後水尾天皇の宸翰と沢庵宗彭の書状が最後を飾る(厳密に言えば沢庵は龍光院ではないのだが)。その意味で,日本史ガチ勢が行くべき展覧会だったと言えるだろう。  
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2019年10月25日

近代ウィーンの都市史を駆け抜ける展覧会

クリムト《エミーリエ・フレーゲ》国立新美術館のウィーン・モダン展に行っていた。日墺国交樹立150周年記念展示のもう片方である(クリムト展の感想はこちら)。あちらはクリムト個人に焦点を当てていたが,こちらは18世紀後半〜20世紀初頭のウィーン,つまり近代都市ウィーンの成立から世紀末ウィーンまでを幅広く紹介する展示となっていた。2つの展覧会はどちらもかなり混んでいて,世紀末ウィーンってそんな人気のある題材だったかなと疑問だがったが,考えてみるとクリムトの黄金様式は確かに日本人受けしそうな気はする。ただし,新美は展示スペースが広く,また展示に衣服や調度品が含まれていたこともあって,人数の割に混雑感は薄かったように思う。

当然ながらクリムトを見に行くならもう片方を見に行ったほうがいいわけで,本展の目玉はクリムトやシーレの油彩画ながら,実際に見るべきは衣服や調度品,陶磁器ではあったかなと思う。展示は啓蒙専制時代,ウィーン体制期(ビーダーマイヤー期),19世紀後半,世紀末に大きくは分けられ,それぞれの流行が簡潔に追えるようになっていた。細かいことは抜きにしても「こんな椅子(ティーポット)がほしい」とか言いながらだらだら見るだけでも結構楽しい。展示品数は驚きの約300点で,だらだらと見ていってもかなりの時間がかかるはずである。また,ちょっと珍しいものとしてはシューベルトが愛用していたメガネや(シューベルトの有名な肖像画もある),1873年のウィーン万博に出展された日本館と日本庭園の写真など。

一つ気にかかったのは,カール・ルエーガーについて。ウィーンの近代化の総仕上げとして世紀末に登場したのがウィーン市長カール・ルエーガーであるが,この人は功罪ある人で,罪の部分とは反ユダヤ主義者であった点である。なにせ言動が差別的すぎて,選挙当選後に皇帝から拒否権を発動されている(最終的に民意に負けて皇帝が折れた)。本展ではカール・ルエーガーの功の部分だけが紹介されていたのは,世紀末芸術のパトロンはユダヤ人資本家が少なくなかったことも踏まえても,片手落ちではないかなと。

そうして近代都市ウィーンが洗練されていった一つの到達点として,世紀末美術が生まれる。展示の構成も一通り都市史を語り終えたところでクリムトらの分離派が登場するというものになっている。クリムトの展示も前半部がそういう感じなので,自然とファッションデザイナーでクリムトの恋人であったエミーリエ・フレーゲや,分離派による建築物に焦点を当てた展示が多かったように思う。クリムトによるエミーリエ・フレーゲの肖像画のみ,本展では写真撮影OKとなっていた(今回の画像)。他のクリムトの大作というと《パラス・アテナ》くらい。その後にウィーン工房による攻撃品,エゴン・シーレ,オスカー・ココシュカの展示があって終わる。シーレとココシュカは私の趣味ではないことを差し引いても説明が少なく,そこまでに膨大な展示を見ていて披露していたこともあり,よくわからないまま終わった。周囲もそんな感じだったので,これ必要だったのかという疑問が無きにしもあらず。やるならもっとちゃんと展示してほしかったところ。

いろいろ文句は言ったが,見に行って損はないかなと。クリムト展はすでに終わってしまっているが,こちらはまだ大阪の国立国際美術館で12/8までやっているので,興味がある方はそちらで。  
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2019年10月24日

黄金・官能・不気味・恐怖

《ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)》諸事情により止めていた美術館レポートも,一気に解消していきたい。

東京都美術館のクリムト展に行っていた。2019年は日墺国交150周年でオーストリア関係のイベントが多く,大規模な美術展も2つあった。そのうちの1つがこれ。こちらはクリムト個人に焦点を当てたもの。クリムト個人の展覧会は非常に珍しく,ここ20年ほどの東京では無かったと思う(調べてみると,やはり約40年ぶりとのこと)。

こういう個人の回顧展でありがたいのは全盛期以前の作品がよく展示されていることで,本展覧会も例外ではなく,修行時代の作品がそこそこ多く展示されていた。クリムトも当然ながら最初からあの画風だったわけではなく,修行時代は存外普通である。ただし,修行時代が短くて仕事をしだしたのが早く,早熟で画風が固まりだす前から仕事を受けていたし,そのクオリティには達していたというのがこの展覧会での収穫だった。なにせ17歳には勉学しながらもう美術の仕事を受注している。

順調に大画家への道を歩んでいた矢先にあの画風を身に着け,特に壁画の大作に開眼する。そしてウィーン大学から「大講堂に学問の象徴を表す天井画を描いてほしい」という非常に大きな,人生の代表作となるべき仕事を受けたが,学問の解釈が独特すぎて受取拒否を食らい,この時代の大画家あるあるを一つこなした。本展はこの天井画の下絵も展示されていたが,なるほど,確かに画面が過激なのもあるが,「これが”医学”の象徴です」と言われても「言われてみると……そう見えるかもしれない……」というレベルの難解な画面になっており,クリムトの《医学の象徴》という油彩画の単品としてなら評価できるが,天井画として飾られても困惑するから,ウィーン大学の受取拒否は正しかったのではと思ってしまった。

しかしまあ,こうしてアカデミーの主流からは外れ,結果的に美術史に名を残すウィーン分離派の総帥となっていった。本展は修行時代から独自の画風へ,ウィーン大学大講堂事件の前後,ウィーン分離派の活動を上手くつなげて説明していて,推移を読み取りやすかった。全盛期には我々がよく知る真っ金金の画風が登場する。金箔をばしばし貼って遠近感をつぶす技法は同時代だとミュシャでも見られるが,ミュシャはそれをデザイン・模様として昇華した(あえて言えば琳派的)のに対し,クリムトは中世ヨーロッパの絵画的な神秘性を出すのに用いていた。

《接吻》や《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像》等を持ってこれなかった分,かえって私があまり知らない分離派としての活動,特に出版活動や壁画・フリーズが大きくスペースをとって紹介されていたのが良かった。《ベートーヴェン=フリーズ》はあんな巨大なものをよく東京まで運んだなと思う。さすがに見応えがあったし,象徴が次から次へと移り変わる様はフリーズならではである。もちろん目玉の《ユディト機佞筺團漫璽澄Ε凜Д螢織后瞥腓凌深臓法奸丙2鵑硫菫)があったのも良かった。クリムトの女性美は官能的とよく言われるが,突き抜けていて,もはや不気味で怖いと言ったほうがいい。


なお,日本にあるクリムトの傑作といえば愛知県立美術館が所蔵する《黄金の騎士》であるが,これは今回の展示には無かった。どうせなら持ってくればいいのにと思っていたところ,豊田市美術館の会場では展示されていた。どうせなら実家に帰ってそっちで見ればよかったかも。もう一つ余談を書くと,今回の展覧会記念Tシャツの絵柄は《ヌーダ・ヴェリタス》であった。これを着ていたら普通に不審者だと思う。美術館クソTシャツ好きの私でもさすがに手が出なかった。  
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2019年04月26日

無釉ゆえの美,備前焼

備前焼国立近代美術館工芸館の備前焼展に行ってきた。備前焼は室町以前から日本で栄えていた窯業地の六古窯の一つで,私は基本的に磁器の方が好きで,なんとなれば金襴手や初代宮川香山が好きだったりするので好みから言えば正反対に近いが,不思議と備前焼の緋襷は魅力的に感じる。その辺の好みの再確認も兼ねている。

普通,陶器と言えば粘土に釉薬をかけて焼成するものであるが,備前焼は基本的に釉薬を使わない。すると当然吸水性が高くなってしまい水漏れの原因になり,まさにここが土器と陶器の違いになるところだが,備前焼の場合は土が特殊であることに加えて磁器並みの高温で焼成するため,固く焼き締まって陶器並の吸水性を持つ。こうした無釉の陶磁器を陶器・土器のいずれにも分類しない場合,Т錙淵好函璽鵐ΕД◆砲噺討屬,それほどメジャーな分類ではない。本展覧会でも使われていなかったと思う。私は好きな分類だが……というよりも釉薬をかけないのに陶器に分類されるのが嫌なのかも。なお,Т鐚体は備前焼に限定されるわけではなく,日本の他の古窯や西欧の窯業でも見られる。

Т錣量ノ呂鰐去悗任△襪ゆえにざらっとした表面が残り,野性的な趣がありつつも,土器のように素朴すぎない点にあると思う。特に備前焼は緋襷と呼ばれる強い緋色の独特の装飾法を持つ。これがまるでまだ熱を帯びているかのような鮮烈な緋色で,Т錣領篭さとよく調和している。本展のサブタイトルの「土と炎から生まれる造形美」というのはまさにその通りというか,一見するとそれはどの陶磁器でも言えることでは,と思ってしまうのだが,ここに無釉であるというニュアンスを感じると非常に納得感が増す。館内で流れていた映像でも,作家たちが備前焼の無釉であること,あくまで土と炎だけで造形していることに強いアイデンティティを抱いていることが伝わってきた。本来の趣味ではない私がこれだけ感動したのは,無釉のアイデンティティを活かした創意のためだと思う。つまるところ,私にとって陶磁器とは土と創意の融合であってほしいものらしい。

本展は古窯としての備前焼から現代までの歴史を,やや現代の比重が重いものの,一通り堪能できる。生活雑器を量産するという古窯の役目から次第に創意が強まっていき,戦国・安土桃山時代に茶の湯と合流して,茶道具の生産を始める。江戸時代中頃には生活雑器の量産に回帰したが,20世紀になって近現代の作家により桃山時代の研究が始まり,近代陶芸としての備前焼がここにスタートする。これまた私としては意外なことに,現代の作家の作品の方が好みかもしれない。アイデンティティに自覚的な分,備前焼らしさが全面に出てるのが良いのかもしれない。そうそう,現代作家の作品と言えば,従来の特殊な粘土の資源枯渇を憂いで,普段捨てているような土を混ぜ合わせた混淆土を開発している人がいて,やはり粘土も枯渇するのだなと,当然ながら普段あまり意識しないことに気付かされた。

そういえば楽焼のときも似たような感想だったので,そういうものかも。これが西洋の磁器だと「うーん,自分は19世紀のものがいいな」となるので違いがある。国立近代美術館は,前の楽焼も今回の備前焼も大変良かったので,またどこか通史で展示できそうな窯業地を拾って企画してほしい。


ところで突然全く話が変わるが,アイドルマスターシンデレラガールズに登場するアイドルの一人の藤原肇さんは岡山出身で趣味が陶芸であるので,備前焼関係者からにわかに注目を集めている。そこにある通り,藤原肇という名前自体が備前焼に拠っている。祖父が陶芸家らしいのだが,どう考えても人間国宝の父子の藤原啓・藤原雄がモデル,あるいはその親族のような設定ですやん……というわけで,完全に藤原肇を感じることができる展覧会となっているので藤原肇Pは必ず行くこと。会期はゴールデンウィーク中まで。  
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2019年04月06日

『奇想の系譜』から49年

《山中常磐物語絵巻》都美術館の「奇想の系譜」展に行ってきた。ご存じの方も多い通り『奇想の系譜』は1970年に美術史家の辻惟雄氏が著した本であり,現在ではかなり定着している江戸絵画のまとめ方である。同書で挙げられた8人の画家の主要な作品を展示したのが本展になる。『奇想の系譜』出版49年という微妙なタイミングであるが,まあ約50周年ということで。

この8人での出世魚というと伊藤若冲になり,本展もトップバッターが伊藤若冲であったが,本展のみどころであったかと言われると疑問である。もちろん良い作品が展示されてはいたが,別に「動植綵絵」が出ていたわけでもないので,3年前の伊藤若冲展に比べるとどうしたって見劣りはする。しかし,あれも3年前か。印象が強すぎてせいぜい一昨年くらいの印象だった。結果的に,本展で注目すべきは他の画家ということになる。

二番手で登場し,奇想の系譜的に言えば伊藤若冲と同時代,経歴も似ていて両雄並び立つ感じで扱われることも多い曾我蕭白。ちょいちょい東博の常設展なんかで見るものの,これだけの量の作品をじっくり眺めたのは多分10年ぶりくらいだったので新鮮であった。カラフルと言えばいいのかさすがに補色がきついと言えばいいのか,展覧会ホームページの「けばけばしい着色を施したサイケデリックな画面」という表現が一番正しいかも。病質的な細かい表現も,伊藤若冲はそのまま受け取ることができるが,曾我蕭白の場合は着色のけばさとあいまってますます病的に見える。やはり江戸絵画の中では異端中の異端だろう。三番手,長沢芦雪は少し遅れて登場,円山応挙に師事しただけあって,前二者に比べて落ち着いた表現で,これはこれで。奇想の系譜に並べるか,普通に円山派として評価するかの境界線上にいるのは絶妙なバランス感覚と言える。

一気に時代が戻って岩佐又兵衛。『へうげもの』の印象がどうしたって強いが,『へうげもの』で描かれた時代は又兵衛にとっての修行時代であり,あの漫画は面白い補完であったと思う。それも含めて,戦国武将を出自に割と悲劇的な前半生を送り,京都で伝統を学び,江戸時代に絵師として伝統を活かした作品を描いて活躍するというのはできすぎているくらいの主人公設定である。伝統を引き継ぎつつ,戦国の遺風も感じさせつつ,新時代に即した清新な文化を打ち立てたのは,確かに小堀遠州あたりとポジションが重なり,『へうげもの』でもそういう扱いであった。最終盤に古田織部とたもとを分かつのはなかなかの名シーン。本展の展示物としてはやはり「山中常盤物語絵巻」(今回の画像)で,『奇想の系譜』で「又兵衛の母性への憧憬を感じさせる」と語られていたのが印象的なシーン。鮮血が撒き散らされたグロテスクなシーンであるのに,どこか色っぽい常盤御前がお見事。なお,この作品のキャプションに「グロ注意」とやんわり書いてあった。配慮である。

さらに続いて狩野山雪。『本朝画史』もあって高校日本史でも出てくる奇想の系譜では珍しい人で,実際まあ狩野派であると思うが,「梅花遊禽図襖」の幾何学的な梅の曲がり方は確かに奇想の系譜に並べたくなる。それこそ近年は狩野派も堅苦しい絵ばかり描いていたわけではないと指摘されているところで,思われているほど狩野派と在野の距離は遠くないのかもしれない。

白隠慧鶴は個人的にはあまり興味がわかず。ただ,こういう禅画あるよね,というイメージソースにはなっていて,日本社会に与えた影響は大きいと思う。鈴木其一は大好きだが,本展では今更という感じ。ここで語ることもあまりない。最後の歌川国芳もあまり興味が無かったが,確かにこの色使いは曾我蕭白あたりを彷彿とさせ,このラインナップにいるのは理解できた。

会期が今日明日しか残っていないが,総花的な展覧会としてはかなり面白いのでお勧め。  
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2019年02月25日

Nothing Escaped His Brush

河鍋暁斎《花鳥図》サントリー美術館の河鍋暁斎展に行ってきた。河鍋暁斎は作品が多数残っていることもあって比較的頻繁都内で企画展が開催される画家であるが,不思議と単独の企画展には行っていなかったので今回が初めてになる。

幕末から明治にかけての日本画家で狩野派の系譜を引き継ぎ……というところまでは狩野芳崖や橋本雅邦と同じ,生まれた年代もほぼ同じなのだが,この二人が日本画壇の表舞台で政治に深くかかわり,美術史の華々しいところで活躍した(ので高校日本史の教科書にも載りやすい)のに対し,河鍋暁斎は純粋に画家として活躍したので出自の割には別枠扱いになっている。そこに不思議さは全く無く,知名度がワンランク下がるのも当然だと思うのだが,そのことでかえって出自の共通性が覆い隠されているとは思う,作風が奇抜で,ぱっと見では狩野派よりも奇想の系譜に見える(しそれはそれで間違っていない)のが原因だろうか。筆禍事件があって弾圧も受けているので余計にそういうイメージが強い。

今回改めて作品を多数見た感想としては,ぱっと見の印象は間違いではなくやはり奇想の系譜に並べた方が良さそうというのが素直なところ。色鮮やかでゴテゴテとしていて,描写が細かくて動的である。無論のことながら狩野芳崖や橋本雅邦だってカラフルで描写が細かいのだが,狩野派らしい落ち着きを感じるのに対して河鍋暁斎は感じない。画題も九相図だったり鳥獣戯画だったり地獄絵だったりで,普通のチョイスではない。明らかにわざと奇をてらっている。こういう人が,自らのアイデンティティは狩野派の末裔で,狩野派の作品保護や継承の活動もしていて,社会的地位が高かったのは面白い現象で,明治という世の一面であるかなと思う。一方で,本展覧会では「狩野派にだって探幽以降に戯画が多くあって,河鍋暁斎はそれを引き継いだに過ぎない」という主張がされていて,これは説得力があったし,面白かった。本展の主眼はここにある。


河鍋暁斎の面白い一面と言えば外国人に対して友好的で,弟子の一人にジョサイア・コンドルがいる。河鍋暁斎のことが現在よく知られているのはコンドルの画帳や日記が残っていて,そこに河鍋暁斎のことが詳述されているからである。コンドルは河鍋暁斎の作品をかなり多数所有していて,それらの多くは現在イスラエル・ゴールドマン・コレクションが所蔵している。今回の展覧会も多数がイスラエル・ゴールドマン・コレクションからの出品になる。なお,気になって調べてみたところ,イスラエル・ゴールドマン氏はロンドンの画商で,別にイスラエル在住ではなかった。コンドル旧蔵品は直接引き継いだわけではなく,買い集めたもののようだ。ジョサイア・コンドルは河鍋暁斎と鎌倉に写生旅行に出かけていて,同行者某は「おっさん二人の写生旅行とか絶対楽しいやつやん」と感銘を受けていた。多分二人だったわけではないが,言いたいことは非常によくわかる。最後を看取ったのもコンドルで,この人種を超えた師弟愛,なかなかに尊い。なお,今回の記事タイトルは本展のサブタイトルで,印象深かったので使わせてもらったが,コンドルの言葉かどうかは確認が取れず(多分違う)。
  
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2019年01月31日

私的フェルメール全点制覇への道も折り返し

フェルメール《取り持ち女》上野の森美術館のフェルメール展に行ってきた。フェルメール10点を含むオランダ黄金期の絵画49点の豪華な展覧会である。ただし,フェルメール10点のうち初来日は4点,そのうち2点は東京展のみの展示でしかも入れ替え,最後の1点は大阪会場のみの展示ということをやらかしてくれているので,新作4点を全て見るためには3回足を運ぶ必要がある。しかも入場料は一般的な設定よりもかなり高い2500円なのだから,わざとやっているなら相当アコギである。一応,料金は音声ガイドを強制配布しているのでこの料金も含まれていると思われるが,全部聞いた結果で言えば別に要らなかった。要らんから500円下げてほしい。それでも二回行ってしまったので私の負けである。

入場は2時間おきで,完全入れ替え制ではなく,一度入ったら追い出されることはない。しかし,47点しか展示がなく,音声ガイドを聞き終わったら移動という流れで動いている人が多いこともあって,各人の滞在時間は長くても90分ほどと思われ,会場内はそれほど混んでいなかった。この工夫はすばらしく,絶対に死ぬほど混雑すると予想されたフェルメール展をこれほど快適に鑑賞できる環境にしたのは賞賛されていい。他の死ぬほど混む展覧会でも真似されてほしい。

展示について。すばらしかったのはフェルメール以外も手抜きが無かったことで,点数は少ないがその39点もオランダ黄金期を見事に体現する数々であった。フランス・ハルス,テル・ブリュッヘン,ヤン・ステーン,ヤン・デ・ヘーム,ヘラルト・ダウ,ピーテル・デ・ホーホとおなじみの面々が並ぶ。ちょっとおもしろかったのは女性画家が二人含まれていたこと。欲を言えばやはり点数の少なさはどうしようもなく,特にヴァニタスが1点だけ,静物画全部で3点しかないというのはかなり苦しい。

肝心のフェルメールについて。《マルタとマリアの家のキリスト》,《牛乳を注ぐ女》,《手紙を書く婦人と召使い》,《手紙を書く女》,《リュートを調弦する女(窓辺でリュートを弾く女)》,《真珠の首飾りの女》はすでに見ている。この中では《牛乳を注ぐ女》は前に見た環境がひどかったので,このたびじっくり見られてよかった(今考えてもあのときのオランダ風俗画展はひどかった)。《手紙を書く婦人と召使い》は2008年のフェルメール展の際のアイルランド国立美術館のファインプレーを思い出す。こうして振り返るとフェルメールにまつわる記憶もましてきた。

日本初来日の3点,まず,唯一期間フルに展示されていた《ワイングラス(紳士とワインを飲む女)》について。明らかに男が女を口説いているシーンだが,男の出方が慎重で,画面に緊張感がある。窓のステンドグラスは手綱を持つ女性で「節制」の擬人像だそうだ。浮ついた色恋を戒めているそうだが,画面の緊張感のおかげで浮ついた恋には見えない。それ自体もフェルメールのねらいであろう。次に《赤い帽子の女》について。画集で見たときからこれはフェルメールの真作に見えなかったのだけど,本物を見ても違和感を拭えなかった。これがフェルメールなら《聖プラクセディス》も真作でいいと思う。最後に,《取り持ち女》について(今回の画像)。フェルメールの風俗画にしては胸を揉まれる女性が登場するなど非常に俗っぽい。フェルメールが歴史画家から風俗画家に転向する契機になった作品だそうだが,とすると初手はまだ迷走していたということか。これは娼館の光景で,タイトルの取り持ち女は左から二番目,画面の最も奥にいる。これで取り持ち女というタイトルになるのはよくわからないが,本作の白眉は画面右端のグラスとデルフト焼の美しさであろう。


さて,これでとうとうフェルメール全点制覇への道も22点に到達し,残りは15点となった(《聖プラクセディス》と《フルートを持つ女》をカウントしないなら21点で,残りは15点)。しかし,ここからが難しそうである。

(追記)
大阪市立美術館に行き,大阪会場限定の《恋文》を鑑賞。  
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2018年12月25日

不安・死・性愛の画家

ムンク《叫び》1910年都美のムンク展に行ってきた。前にムンク展があったのは2007年のことであるから,約11年ぶりの東京でのムンク展ということになる。もっとも,図録には「回顧展というべき規模のムンク展は,日本では20年ぶり」というようなことが書いてあったので,11年前のものはカウントされていないらしい。確かに《叫び》が来ておらず,画業の全てを俯瞰するというよりも《生命のフリーズ》の装飾性についての展示になっており,正直よくわからなかったのが当時の感想である。まあ,よくわからなかったのはキュレーション半分,当時はまだあまり詳しくなかった自分の知識の足りなさ半分というところだろう。

そこへ行くと今回の展覧会は完璧で,約100点ながら,ムンクの画業をちゃんと追うことができる構成になっていた。代表作も《叫び》は当然のこととして,《不安》《マドンナ》《吸血鬼》と勢揃い。来ていなかったのは《思春期》くらいではないか。ムンクの場合,ムンク自信が自分の代表作を手放す際に最低でももう1作描いて手元に残しており,しかもそれを遺言でオスロ市に遺贈した関係で,ほぼ全ての代表作をオスロ市立のムンク美術館が所蔵している。それも複数。東京で大規模な展覧会があると,こんなに大量に借りてきてしまってと現地の人や観光客を慮って多少心が痛むのだが,今回に限ってはそういう心配は無い。ちなみに,《叫び》からして4作あり,今回持ってこられた1910年作のものが最後にしてよく見慣れた作品である。

ムンクは名家の生まれであるが,父親が軍属の外科医でその収入が意外にも少なく,幼少期はやや貧しかったらしい。その幼少期に母親と姉が結核で亡くなり,本人も病弱だったために死が身近に感じられる環境で育つ。そして人生で何度か恋に落ちているが一度も実っていない。そういうわけで画題は「性愛」と「死」と「不安」にまつわるものが多く……必然的に中二病の塊のような絵画作品になる。逆説的に,彼の絵からは精神的な童貞臭さがものすごく感じられ,私には共感しかなかった。たとえば《マドンナ》は妖艶な女性と新たな生命を宿す母親が同一であるという,男性には根源的に克服しがたい乖離を感じさせる絵になっている。《吸血鬼》もテーマとしては同一で,赤髪の女性が男性に食らいついて血を吸っているが,血を吸われている男性はどこか吸血鬼に身を委ねて死を受け入れているように見える。端的に言って気持ちが悪いと言われる系統のエロがある。端的に言って気持ちが悪いのに,漠然としたそのまますぎて端的に言わせない強さがある。そこが芸術性なのだろう。

《叫び》は「性愛」が絡まない分,気持ち悪さはない。だからこそムンクの良さが出ているとも言える。近代社会に漂う,ただならぬ,言葉にできない不安感を漠然とさせたそのままの状態で画中に封じ込めている。陰鬱な気分で厚い雲に覆われた空の下,都会の雑踏に孤独を感じながら歩いていると,夕暮れの強烈な西日が雲を焼き,世に対する不安感が増していく。こうした「言葉にしづらい」感覚をわかりやすく,漠然としたそのままの状態で一枚の絵に閉じ込めきってしまう点でムンクは最強に上手い。ムンクの作品は女性が出てきてとりあえず何か気持ち悪いことが多いが,《叫び》はそういう要素がなく,考えてみると珍しい。だからこそ代表作オブ代表作のような扱いになっているのかもしれない。《思春期》はまだしも,《吸血鬼》や《マドンナ》を載せて事細かに解説するのは気が引ける(やっている教科書があるかもしれないしそれを批判するつもりは全く無いが)。もっとも,私自身も《叫び》の主題が理解できたのはかなり長じてからであった。総じて中二病を消化した作品であるから,ムンクは子供には理解しがたいのかもしれない。そう考えると(今回来ていないけど)《思春期》はまさに思春期の少女の「不安」がテーマになっていて,例によってムンクらしいわかりやすさがあるのは面白い。

他の画家と比較するに,まず思いつくのはゴッホである。影響関係は明白だが,ゴッホは精神が病んでいて,それに自覚的でないままに狂った様子をキャンバスにたたきつけていった。なので作品は強烈なパワーを持つことになったが,生前には理解されなかったし,自らがその負荷に耐えられずに死んでしまった。そこへ行くとムンクは自分のこじれ方に自覚的で,しかもそれを世が受け入れてくれるラインまで加工して作品にする技術があったと言える。事実,ムンクは生前からかなり人気があった。また,ムンクは具象画にこだわりがあって,しかもわかりやすさを一作のタブローに詰め込んでしまう傾向があった。この点では同時代のシュルレアリスムや抽象表現主義とは完全に一線を画している。確かに,同じ中二病でもダリとは魅力の方向性が違う。

ムンクは作品が一作で完結しているのにもかかわらず,個展をしばしば開催して自らの作品を並べて鑑賞させることを好んだそうだ。また,ムンクは自らの作品が好きすぎて「我が子」と呼び,前述のように手放す際は手元に残すために同じものをもう一度描いているし,作品解説は多弁だったそうだ。それもこれも,この溢れ出る「言葉にしづらい」感覚を共感してもらいたい気持ちが強すぎたのだろうと思うと非常にしっくり来るし,感覚をうまく入れられた作品に自己愛に似た強すぎる思い入れが生じてしまうのも理解できる。わかりみが深すぎてムンクは友達だったような感覚がしてきたが,多分気のせいであろう。  
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2018年11月11日

デュシャンの大回顧展と,それ以外の何か

東博のデュシャン展に行ってきた。デュシャンと言えば20世紀前半に登場した芸術家で,やりたい放題やった人という印象であるが,その大規模な回顧展である。主要な作品は概ね出展されており,実際に彼の画業が一通り追える展示構成になっていて,作品制作よりはチェスに打ち込んでプロプレイヤーになっていた時期(ローズ・セラヴィという別人格を作っていた時期)も含まれている。

1887年生まれのデュシャンであるが,最初はとりあえず伝統絵画の勉強から初めてキュビスムに一旦はまっている。展示されていたキュビスムの作品は名前を伏せられたらまず間違いなくブラックの作品と勘違いするような見事なもので,若かりし頃の彼の勉強の様子がうかがえた。10年ほど年下のマグリットや,さらに10年ほど年下のポロックも全く同じコースをたどっていて,若い頃の作品を見るとそれぞれフォーヴィスムやキュビスムの作品がある。そこから独自の芸術を切り開いていくのは19世紀末〜20世紀初頭に生まれた芸術家に共通する経験であるらしい。

もっとも,デュシャンはその見切りが他の人々に比べて異様なまでに早く,25歳頃には早くもまともな絵画制作から離脱していった。なにせレディメイドのスタート,《自転車の車輪》は1913年のことで,《泉》は1917年の出来事である(どちらも今回の出展にある)。代表作の陳列と言えば,少し日本人として,あるいは東大OBとして誇らしかったのは,多くの作品が海外から持ってこられている中で,《大ガラス》は駒場キャンパスからの出品となっていた。東大・駒場キャンパスにデュシャンの代表作の複製(原版含めて世界に4体のみで残り3体は全て欧米)があるというのはもっと知られていい……と方々で書いていたような気がしたが,今ブログ内検索をしてもTwilogを見ても意外と書いてなかったので,改めて言及しておく。

デュシャンの代表作の展示と言えば,今回一番嬉しかったのは《L.H.O.O.Q》を見れたことである。《大ガラス》は当然のこととして,《泉》も《自転車の車輪》も別の展覧会で見たことがあったが,《L.H.O.O.Q》は見たことがなかった。写真撮影OKだったので,あまりの喜びにその旨をTweetしてしまった。


が,TLの反響が薄かったのが少々寂しい。《L.H.O.O.Q》は意味を知っていると&《髭をそったL.H.O.O.Q》というオチまで知っていると最高に笑える作品なので是非広まってほしい。『レゴシティアンダーカバー』でもネタになっている。


最後のセクションは晩年・遺作のもので,デュシャンは代表作が1910〜20年代に固まっているが,制作意欲が衰えたわけでも傑作を生み出さなかったわけでもなく,終生制作活動を続けており,亡くなったのが1968年だから意外と長生きである。晩年や遺作の作品を見ても三つ子の魂百までというか,楽しそうにいろいろと物を作っていた様子がうかがえる。最後まで素晴らしい展覧会であった。


……ということで意図的に無視していたのだが,本展は実は第一部と第二部に分かれていて,第一部が上述のデュシャンの大回顧展,第二部が「日本美術の中に見えるデュシャンの要素」という展示になっている。が,この第二部の評判が非常に悪い。私自身ひどいと感じたし,鑑賞客も第一部に比べるとガラガラで,皆思ったことは同じなのだろうなと。並んでいるものは一級品なのにキャプションが意味不明で首をひねるという体験はなかなかできるものではなく,その意味では稀有である。たとえば「千利休の茶器はレディメイド」と言われても理解不能であるし,「日本には昔から異時同図法があるからすごい」とか言われても,いや中世ヨーロッパにだって異時同図法あったやろってツッコミを入れたくなるし,模倣とコピーの混同も意味不明であった。これ本当に東博の中の人が作った展示なんだろうか。無理やり日本すごい要素を入れて世の流れに迎合しようとしたのだとするなら非常に薄ら寒いし,評判を見れば結果的に迎合にも失敗している。この点,完全に無視しても良かったのだが,一応記事の末尾に書き添えておく。  
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2018年11月10日

義教のくじ引きと秀吉の花見と

醍醐寺「如意輪観音坐像」サントリー美術館の醍醐寺展に行ってきた。醍醐寺は真言宗醍醐派の総本山として,空海の直系孫弟子にあたる聖宝が開いた。9世紀後半,貞観年間のことである。実は命名に醍醐天皇と関係ない(後に帰依は受けている)。本展は昨年に上海・西安を巡回してきたもので,この後には九州国立博物館に行く大規模な巡回展である。醍醐寺が空になるような所蔵物の全公開状態で中国では延べ80万人が来館する大好評だったそうだ。

密教系であるので所蔵されている仏具は修法や加持祈祷に用いたものが中心になる。制作年代は鎌倉・室町時代が多いが,たまに平安時代の,それも創建からそれほど経っていない時期のものがあり,保存状態も良くて驚く。応仁の乱で伽藍の大部分が焼け落ちたそうだが,よく残っているものだ。展示には多くの仏像も含まれ,全部で15体ほどあっただろうか,それぞれがそこそこ大きく,これで海外まで巡回したというのは神経を使ったことだろう。見どころはやはり綺麗にそろっている五大明王像と,10世紀の作例としては保存状態が非常によい巨大な薬師如来坐像,同じく10世紀の作例で,観心寺のものに引けを取らない出来の如意輪観音像だろう。特にこのなまめかしい如意輪観音像を見ると,いかにも密教美術であるなと思う。

しかし,こうした仏具や仏像はこうした大寺院の展覧会であればどこでもある程度見られるものであり,その意味で珍しさには欠ける。本展のおもしろみはやはり醍醐寺特有の所蔵物の展示であろう。醍醐寺は室町時代の初期に隆盛を極めたが,その立役者は当時の座主の満済であるそうだ。満済は当時の他の大寺院もそうであるように摂関家から輩出された人物で,足利義満の猶子となって室町幕府との縁を深め,その支援を受けて伽藍を復興,最終的には准三后にまで上り詰めた。醍醐寺座主の満済は,病死寸前の足利義持から相談を受けて「くじ引き案」を発案し,自らそのくじを作成した張本人で,日本の歴史上で重要な役割を果たしている。本展では満済御本人の日記が出展されていて,くじを発案した日のページが開かれているので,読めずとも是非ご覧になってほしい。なお,満済は将軍義満・義持・義教と三代からの信任が篤く,五山僧ではないが,密教僧として室町幕府の政策の諮問を受けていたそうだ。

その後,前述のように応仁の乱で大きな被害を受けたが,織豊政権の庇護下で復活する。展示替えで私は見られなかったが,信長直筆の書状(ちゃんと「天下布武」の印がある)も本展には出品されている。また,本展では秀吉が用いたとされる黄金の茶室ならぬ,黄金の茶器として「金天目」を見ることができる。そしてご存じの方も多いであろう,豊臣秀吉末期の花見,醍醐の花見はその名の通り,醍醐寺で開かれたものだ。開催にあたって秀吉は七百本の桜を醍醐寺に移植したのをはじめとして,多くの建造物を建てさせているが,直後に秀吉が亡くなってしまったため,名義上の寄進者が秀頼になっている建物がいくつかあって,これはこれで面白い。徳川の時代になると政治の中枢からは再び離れてしまうが,それもあってか,襖絵を描いた(見事な花鳥画である)画家が長谷川派に帰属する人物と推定されていたり,俵屋宗達であったりという名前が見られるのもまた面白い。俵屋宗達の作品は保存状態が悪く少々残念だったが,長谷川派の作品は大きな襖絵で見応えがあった。

東京での企画展は終わってしまうが,九博に行く気のある方にはお勧めしておく。  
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2018年11月08日

「スウェーデンの"国民的"画家」

ラーション《かくれんぼう》損保ジャパン美術館のカール・ラーション展に行ってきた。ラーションは近代スウェーデンの国民的画家で,同国の画家としては最も有名な人物だろう。同時代ではお隣ノルウェーにムンクがいるが,それに比べると世界的な知名度は低い。ムンクの場合は象徴主義という世界史的な美術史の流れの上で評価されているが,ラーションの評価はまた別の軸になるためである。対比としてもう一人,動揺にほぼ同時代のデンマークのハンマースホイの名前を出してもよいだろう。彼の場合は名前が埋もれていたが,発見されて急激に評価が高まった理由は,その静寂を感じさせる室内画の数々の独創性が高く面白かったからである。ムンクにせよハンマースホイにせよ,北欧には寒々しく陰鬱な絵画というイメージはどうしたってつきまとう。

そこへ行くと,ラーションの作品は完全に一線を画している。技術的にはただただ上手いというだけで,独創性は感じられない。確かに世界の美術史で特筆すべき特徴を備えているようには見えない。しかし,圧倒的に明るいご家庭の描写としては抜群に上手いのである。彼はその画力を生かして壁画などの大作を請け負う一方で,田舎に買った自宅を終生増改築し,妻とともに美しい家具やテキスタイルを作って揃え,多くの子供を生んで,自らの明るい家庭を繰り返し描いた。ラーションがそれらの画像を収めた画集は飛ぶように売れた。徹底したセルフプロデュースとプライバシーの切り売りと言えなくもないが,結果的にその家庭の眩しさは見るものを安堵させ,羨ましがらせた。魅力ある家庭を垣間見ることはこんなにも素直に喜ばしいものなのか,と人々に気づかせたのは間違いなくラーションの功績であろう。

そして,こうしたセルフプロデュースは当時のナショナリズムとは無関係でない。スウェーデンの伝統的な技法や柄を用いて手作りした家具に囲まれたラーションの家庭は,理想的なブルジョワジーの家庭として受容され,愛すべきスウェーデン社会という一回り大きなセルフプロデュースにも利用されていった点は無視できまい。ラーションが「国民的画家」と称される理由はまさにここにある。前世紀,ヴィクトリア女王の家族が中上流階級のイギリス家庭の模範とされたことと少し似ている。ただし,あちらと比べるとラーションの家庭は親近感があり,身近な手本としやすかった点は尚更国民的と称するにふさわしい地位をラーションに与えている。

ラーションがスウェーデン社会,というよりも北欧家具に与えた大きな影響はもう一点ある。これは私自身知らず,今回の展覧会で非常に勉強になった点であるが,実のところ手作りで揃えた家具の大半は妻のカーリンが製作したもので,「手作り感あふれる,デザインの優れた家具」という北欧家具のイメージは,ラーションの絵画を通じたカーリンに負うところが大きいそうだ。当のラーション本人は家具製作は絵画制作よりも一段下に見ていて,セルフプロデュースにおける補助的な役割を果たしているに過ぎないと考えていたそうだが,その家具イメージが最終的にIKEAを代表とする一大産業を発展させたことを思うと,むしろカーリンの方がスウェーデン史上重要な役割を果たしたとさえ言えるのかもしれない。この辺りの事情はジェンダー美術史学の発展が貢献したところだろうか。今回の展覧会はラーション夫妻愛用の家具の数々が展示されていて,この点でも見応えがあった。そして最後に「IKEAプロデュースの現代風ラーション家の居間」セットが設置されていたのは,単なる宣伝になっておらず,非常に示唆的である。

派手な宣伝はされていないが,今年見に行って損はない展覧会の一つ。  
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2018年09月23日

科学技術史上の稀覯本の森

ゲーテ『色彩論』上野の森美術館の「世界を変えた書物」展に行ってきた。本展は科学技術史上重要な稀覯本をずらっと並べたものである。所蔵元は全て金沢工業大学で,学生の育成を兼ねた企画展だったようである。金沢工業大学は教育熱心なことで有名で,地方の私立大学としては別格に評判が良い。その所蔵元の関係からか,驚きの入場料無料&写真撮影OK。それもあってか会場は非常に混雑していて盛況であった。客層も普段から美術館にいそうな人々に加えて理系っぽいお兄さん〜おじさんたち,春画展でよく見かけたようなサブカルカップルと多種多様であった。混雑を考えると,500円か300円でも取ったほうがよかったと思うし,そのお金はぜひとも携わった研究室に還元されてほしい気も。

展示は分野別となっていて,古代ギリシア〜12世紀ルネサンスまでのみ一括り,ルネサンス以後は建築史,ニュートンまでの天文学,解析幾何,物理学,光学……と続いて最後は非ユークリッド幾何学という並び。医学・生物学関係が無く,逆に建築学があったのは所蔵元の性格によるものだろう。なお,建築史だけ完全に別枠で,ギリシア・オーダーの解説書(ドーリア・イオニア・コリントのあれ)に始まって,ウィトルウィウスにヴァザーリ,パラーディオ,ピラネージと出てくるので,確かにここだけ内容が文系に近い。

また,科学史とは細分化の歴史でもあり,万能の天才がいなくなっていく歴史でもあるから,古代ギリシア〜12世紀ルネサンスの時期だとまだ分野別にする必要がなく,ここもまたそうした別の理由から文理未分化という雰囲気がする。イシドールス『語源学』,エウクレイデス『幾何学原本』,プトレマイオス『アルマゲスト』,プリニウス『博物誌』,アリストテレス著作集,アポロニオス著作集と言った面々で,出版地は多くがヴェネツィア。ギリシア→バグダード→パレルモと翻訳されつつ,当時としては最高の言論の自由があったヴェネツィアにたどり着いて出版され,その”現物”がここにあることを思うと,とても感慨深い。この中だとアポロニオスだけ高校世界史に登場しないが(イシドールスも実質的に登場しないだろうという正しいツッコミをする人は重度の受験世界史マニアです),数学で「アポロニウスの円」なんて勉強したことを思い出した。高校世界史に回収されないが数学には回収される珍しいものを見た思いである。

分野別では,天文学ではコペルニクス『天球回転論』,ケプラー『新天文学』,ガリレイ『星界の報告』,ニュートン『プリンキピア』と完璧な並び。幾何学はネイピア,デカルト『方法序説』,ライプニッツ,オイラーとこちらも錚々たるメンツ。デカルトの『方法序説』が浮いているように見えるかもしれないが,哲学として重要なのは文字通り「序説」の部分であるが,本論は幾何学・光学・気象学だったりするのでこの並びで正しい。「デカルトは哲学者として知られているが,理系の分野での功績も大きい」と強調されていて,確かに高校世界史や倫理で習うとそういう印象が強いよなと思う。XY座標はデカルト座標と呼ばれることがあるくらい,数学史上でも巨人なのだが,理系の人でもそういう印象は薄いかもしれない。

光学ではスタートがアルハゼン(イブン・アル・ハイサム)だったのだが,イブン・アル・ハイサムの名前が優先されるべきだろうし,彼だけ「古代ギリシア〜12世紀ルネサンス」のゾーンではなく分野別に置かれていたのかが不可解で,この点は数少ない不満。ここではゲーテの『色彩論』があったのがおもしろかった(今回の画像)。隣の鑑賞者の若い男性が「小説家じゃねーの!?」とめちゃくちゃ驚いていたが,ゲーテは鉱物の研究もしてたりする「最後の(ルネサンス的)万能人」なのだ。そして,航空力学のゾーンのベルヌーイ,リリエンタール,ウィルバー・ライトと来て最後が合衆国大統領調査委員会による「チャレンジャー号事故に関する報告」というのはパンチが効いたオチだった。原子・核物理学のゾーンにも合衆国戦略爆撃調査団による「広島、長崎に対する原子爆弾の効果」報告書があり,科学の発展には犠牲がつきものというブラックジョークを地で行く構成に乾いた笑いが。ただし,こちらはその直後に長岡半太郎と湯川秀樹が出てきて終わるので,ちょっと救われる。そして全ての展示の最後を飾るのがアインシュタイン。ニュートンとこの人はあらゆる分野で巨人すぎる。


ところで上野の森美術館は良く言えばチャレンジ精神旺盛の,悪く言えば話題先行で中身が伴っていない企画展が多く,当たり外れが大きい。面白そうでも尻込みしそうになるのだが,今回の展示は大変良かった。「怖い絵」展くらいから変わってきたのだろうか,それとも偶然かはわからないが,ここ最近は中身が伴うようになってきた。この感じだと次のフェルメール展も,あまり怖がらずに見に行ってよいのかもしれない。それはそれとして言うなら,おそらくドイツ語履修者が学生にいなかったのだろう,ドイツ語のキャプションはかなり危うかった。「アウグスブルグ」「シュトラスブール」「マグデブルグ」といった表記が見られ(その割に「ブラウンシュヴァイク」は正しかった),気づいた限りは指摘しておいた。別の言語がどうなっているかはわからない。気になる人は警察ついでに見に行けばよいと思う。あと2日しかないけど(2015年には大阪で同じ展覧会をやっているのでそのうちまたやる気も)。  
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2018年07月29日

螺鈿と沈金で輝く琉球漆芸

黒漆雲龍螺鈿大盆(浦添市美術館)サントリー美術館の琉球王国展に行ってきた。サントリー美術館は琉球の染織を多く所蔵しており,過去に何度も琉球関連の展覧会を開いていて縁が深いとのことである。私自身は琉球は全く門外漢なので,新鮮な気持ちで見に行った。

今回の展示は染織(いわゆる紅型を含む)だけではなく,琉球の美術(絵画作品)や漆器の展示が豊富であったのが,非常に良かった。琉球の美術は基本的に中国の影響が強い。留学先というとまず福州であったようで,ほとんどの画家が琉球名と中国名を持っている。たとえば「座間味庸昌」であれば中国名は「殷元良」。レベルはさすがに高いというものではないが,よく模しているとは思う。言われなければ中国人や日本人の画家が描いたものと区別がつかないだろう。おもしろかったのは,そうして中国の絵画を模して成長したので,琉球人が雪中の花鳥図も描いているということである。おそらく御本人は雪を見たことがないか,朝貢使節の随行で行った北京で見たかどうかという程度だと思うが,本人としてはどういうリアリティでこの絵を映画いたのであろうか。

一方の漆器は非常にレベルが高く,オリジナリティも高い。日本らしい真っ黒のものもあれば,中国や南方の影響が強そうな朱塗りの漆器もあり。何よりも特徴的なのは非常に豪華な螺鈿である。夜光貝は本土だと屋久島・種子島が北限であり,夜光貝を豊富に産出する沖縄本島はそれだけで大きなアドバンテージである。黒い地に浮かぶこれでもかというほどふんだんに盛り込まれた螺鈿はきらびやかで美しい。それでいて朱色に蒔絵も使いこなしているのだから反則だろう。近世の琉球の漆器がこれほど高度なものだったとは恥ずかしながら知らなかった。なお,これらの優品を多く所蔵しているのは浦添市美術館である。今度(いつかはわからんが)沖縄に旅行したなら必ず寄りたい。

今回の展覧会の最大の目玉は,那覇市歴史博物館から借りてきている琉球王家伝来の品々(多くが国宝)である。前述の通りの豪華な漆器類と衣装類が中心で,その中心が王冠。ただし,期間中の8/21までは状態の良い復元品で,8/22〜9/2だけが本物の展示となるから,今回私が見れたのは復元品の方であった。こうして王冠が存在しているのを見ると,確かに別の国だったという実感も湧く。物体の力である。最終章は戦前の沖縄の風景の写真が展示されていて,今回の展示は豪華であるが,それでも戦災で相当に焼けてしまったらしいことが語られている。残念至極である。


なお,サントリー美術館にありがちなことではあるが,展示替えが非常に激しい。今回は中でも極端で,展示リストをよく見ると事実上同じテーマで2回の展覧会をやっていると言える状態である。そういうわけで私は少なくともあと1回は行くつもりなので(8/22〜9/2が狙い目),気になっている方はぜひお声がけください。同行者1名まで無料です。

  
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2018年07月28日

ハイジュエリーブランドの展覧会3つめ

ピウス7世のティアラ三菱一号館美術館のショーメ展に行ってきた。ショーメは日本語版Wikipediaにページがない程度には他のブランドに比べると知名度が一段劣るが,ブルガリ・カルティエ・ティファニー・デビアス等と並ぶ超高級ジュエリーの老舗である。過去にカルティエとブルガリは東博で展覧会があったが,今回のショーメは三菱一号館であった。そのうちティファニーもやるのだろうか。

歴史的に言えばボナパルト家とのつながりが強く,ジョセフィーヌに気に入られてトップブランドに駆け上がっていったことが展覧会の冒頭で語られる。それゆえに王冠(ショーメデザインの教皇ピウス7世の三重冠が今回の展示の目玉の1つである)や儀仗,婚約指輪・結婚指輪といった儀礼用のジュエリーがショーメの強みである。今回の展示で最も多かったのはティアラで,何十点というティアラが一同に会していたのは圧巻であった。しかもその部屋だけ写真撮影OKだったのだが,部屋の照明が落としてあって各ティアラだけが強力なライトで照らしてあるという状況だったので,携帯のカメラではまともな写真が撮れる環境ではない。どうせ写真撮影OKにしたのであれば,もうちょっと写真を撮りやすい照明にしてほしかった。それともあれは実は撮らせたくなかったのだろうか。

そうした強みのせいか,クリエイティブではあれど保守的なデザインであり,時代による変遷は当然あって,アール・ヌーヴォーのような流行にはきっちり乗っていて,19世紀末頃には動植物デザインが増えていたりはするものの,そこまで突飛なものがさして見られないのがかえって特徴的であると思った。王侯貴族が古臭くなく,かつ普遍的なデザインであってほしいものをきちんと作って売っているという印象である。大ぶりの宝石を多用しているものの,とりあえずダイアモンドをはめておけばいいんじゃろ,というような使い方ではなく,カラフルでちゃんと何かしらの模様を表現した作品が多く,おもしろかった。

しいてケチをつけるなら,ショーメらしさを見せるならもう少し政治的な有名人の所有物を借りてきて展示してもよかったのではないかと思う。冒頭のナポレオン1世の一族の宝飾品の展示はすばらしかった。が,その後はティエール夫人,前田侯爵夫人(あの前田侯爵邸を造営した利為公の夫人)あたりがおもしろかったけど,その他は名前自体がそれほど出てこなかった。その点は少し残念である。

  
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2018年07月21日

三十六歌仙特集

佐竹本三十六歌仙絵「柿本人麿」出光美術館の「人麿影供900年 歌仙と古筆」展に行ってきた。1118年に柿本人麻呂を歌仙として奉る影供が始まったことから,今年がその900周年である。そこで,日本人がいかに柿本人麻呂を中心とする三十六歌仙を奉ってきたかを展示品で説明しているのがこの企画展である。

そういう企画展なので断簡・古筆が多めかと思いきや,歌仙たちの肖像画が多めの展示となっていて,私でもかなり楽しめるものであった。当然ながら柿本人麻呂を描いた絵が最も多かったが,柿本人麻呂はリラックスして寝そべったような体勢で描かれることが多く(今回の画像もそれ),それが詩仙こと李白の造形から来ていることや,その体勢が実質的に三十六歌仙の集合絵において彼のアトリビュートとして機能していること等の説明がなかなかおもしろかった。画家としては土佐派や住吉派が意外と少なく,かわって多かったのが岩佐又兵衛である。これは出光美術館が多く持っているという事情か。三十六歌仙図は複数の画家で何作か出ていたが,どれを見ても描き分けに苦労してそうな様子がある。やはり36人は多い。その中でアトリビュートが体勢によって完全に確立されていてわかりやすいのが柿本人麻呂で,さすがに特別扱いされているのもよく見て取れる。

作品単品では,俵屋宗達の「西行物語絵巻」の第一巻が展示されていて,久しぶりに生で見ることが出来た。東方信者なので,どうしたって西行の娘が蹴飛ばされている例のシーンはテンションが上がってしまう。西行自身が書いたとされる『中務集』の展示もあった。また,企画展の主題の都合上,日本の作品だけかと思いきや,比較例として伝趙孟頫の「陶淵明図」が展示されていた。これもいい作品である。本展覧会で最も年代が新しい作品として鈴木其一のものが展示されていたが,例によって天地にまではみ出して描く作風で大変鈴木其一らしいものであった。彼の「36人も画中に書いたらそれだけで画面が埋まっちまうよ。模様は画面外に描こう」という声が聞こえてきそうである。

最後に,書について。私は全くの門外漢でそもそも崩し字が読めないが,古筆手鑑「見努世友(みぬよのとも)」はさすがにちょっと感動した。指定は国宝である。古筆の断簡を集めて1冊の書としたものであるが,「見努世友」は保存状態が良く,三十六歌仙の多くを含む平安時代から室町時代にかけての古筆が229枚収集されている。これはその貴重さがよく伝わってきて,門外漢が見てもおもしろかった。
  
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2018年06月08日

限りなく陶磁器っぽいガラス

黄色鳳凰文瓶(清朝・乾隆年間)サントリー美術館の清朝ガラス展に行ってきた。中国というと陶磁器のイメージが強く,しかもそのイメージは概ね間違っていない。ガラスの発見自体は諸説あるものの,春秋時代末期から戦国時代のこと(ちなみにこの時のガラスは鉛ガラスと言って,透明度は高いが量産しづらいもの)。しかし,その後はどうも関心が向かなかったようで,明代くらいまで大した技術進化が無く,量産もされなかった。今回の展示でも,その最初期の春秋戦国時代〜後漢頃のガラス製品が何点か展示されていたが,技術的進化がなさすぎるのか,その後の三国〜明代のガラスは一切展示が無かった。そして時代が清初に飛ぶ。

しかし,清初にイエズス会士がソーダ石灰ガラス(アルカリ石灰ガラス)の技法を伝えると,時の皇帝康熙帝が紫禁城内に官営のガラス工房を作らせ,やっと中国のガラス工芸が開花することになった。ただし,おそらく西欧側の技術も発展途上だったのであろう,この時の技術伝播はかなり問題があった。以下は化学的な説明になるが,ソーダ石灰ガラスはシリカ(硅砂)と炭酸ソーダ(炭酸ナトリウム)と石灰(炭酸カルシウム)を6:1:1で混ぜるところ,当時はバランス調整が不十分で,ソーダの割合が多くなりがちだったようだ。そうすると,数年〜数十年のロングスパンでは,余分な炭酸ナトリウムが硅砂と混ざってケイ酸ナトリウムが生じ,水溶性のあるこの物質が器の表面に付着した水分に溶けて流出する(空気中の水分もあろうが,そもそもガラスとは液体を注ぐものである)。こうなるとガラスの組成が崩れるので表面に穴が空いたり不透明になったり,最後には器全体が損壊するという現象が起きる。「クリズリング」というそうで,中国によらず,近世のソーダ石灰ガラスでは世界的に生じていた現象だそうだ。それでも欧米では数が作られていたこともあってそれなりに残っているが,中国のガラス職人たちはとうとうクリズリングの問題を解決できず,極めて残念なことに康熙帝・雍正帝期のガラス作品はほとんど残っていないそうだ。残っているものは,偶然の産物として材料のバランスが良かったのだろう。今回の展覧会でも,康熙帝・雍正帝期の作品はわずかに3点だけで,しかもうち1点は「クリズリングが実際に進行している事例」としての展示であった。確かにそのガラスは錆びた金属をイメージしてもられば大体想像通りと言える状態であった。ガラスでも錆びる,というのは今回受けた大きな衝撃であった。

そして乾隆帝が即位した頃に,またしてもイエズス会士が技術を伝えて,やっとクリズリングの起きないガラスの製法が確立された。こうして本格的に官営ガラス工房が稼働するようになる。この頃の清朝ガラスの特徴は無色透明であることにこだわりがないという点である。無色についてはほとんど無く,着色ガラスが基本であった。透明なガラスはそこそこ数があったが,他地域のガラス工芸と比べると圧倒的に不透明なガラスの割合が高い。これはおそらく陶磁器の影響を受けているからで,器の形も模様も概ね陶磁器の方向性と同じである。結果的に,材質を隠されて展示されたら陶磁器かガラス器かわからないものが多く,なかなか衝撃的であった。今回の画像は展覧会内の一部が写真撮影許可だったので自分で撮ってきたものだが,これなんかは本当に陶磁器っぽく見える。ガラスなのに,この透明感の無さよ。図録にも「儚さや壊れやすさを好まない中国の伝統的な造形感覚」の現れと指摘されていて,確かになと。

最後はエミール・ガレの作品が展示されていて,彼が中国ガラスから受けた影響について説明されていた。でもまあ,ガレは何にでも影響受けているしなという感じがあって,影響を受けていたのは確かだろうし説得力もあったが,それほど感動はしなかった。やはり本展の目玉は乾隆帝期の,あまりにも陶磁器っぽいガラス製品たちであろう。
  
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2018年04月25日

すぱっと切れた美しさ

白釉円孔透鉢サントリー美術館の寛永の雅展に行ってきた。寛永文化と言えば桃山文化と元禄文化の間にある文化で,両サイドとも豪華絢爛であるが,その間で清新な綺麗さを目指した文化であった。桃山文化は戦国大名の権威を示す豪壮さ,元禄文化は上方の商人の景気の良さを示したものであるが,寛永期も別に不景気だったわけではない。文化の中心は桃山と元禄もそうであるように上方であり,織豊政権に支えられて復活してきた天皇を中心とする公家の文化と戦国の遺風が加わり,さらに世の中が平和となって落ち着きを取り戻した社会が豪華とは違う美意識を志向したという複雑な潮流によって,寛永文化は発展していったのである。その意味で特徴を一言で言い表すのは非常に難しく,あえて言えば新時代の到来を象徴するような「清新な綺麗さ」と表現するのがよかろうと思う。

寛永期を代表する文化人として本展でピックアップされていたのが,後水尾天皇・小堀遠州・野々村仁清・狩野探幽である。この中だと小堀遠州だけが戦国の生まれ・育ちでかなりの年長者,一方仁清の師が小堀遠州と同世代の金森宗和であるから,かなりの年下になる。残った二人がちょうど真ん中の世代か。小堀遠州や金森宗和の名前を聞くと,最近ついに完結した『へうげもの』の世界からそう離れていないことにも気づこう。その古田織部は無理やり入れれば桃山文化になるのだろうが,やはり桃山文化最大の茶人というと千利休がいる。そして寛永期になると小堀遠州になってしまうので,この二人をつなぐ人物という中途半端な評価になってしまうのは,「◯◯文化」で区切ることの弊害と言えるか。

本展ではまず後水尾天皇とそのサロンが紹介され,織豊政権・江戸幕府の保護という形ながら宮廷文化の復興が進んだ点が強調される。この間「大量の宸翰を見た」と書いたばかりのところ,今回は後水尾天皇一人のものながら,またしても多くの宸翰を見る機会を得てしまった。このサロンで活躍した絵師というとやはり住吉派・土佐派になり,規模は大きくないが,大和絵としてもルネサンスといいうる復興だったのだろう。住吉如慶と狩野探幽は完全に同世代で(1600年頃の誕生で1670年頃に没す),土佐光起が半世代ほど後ろになる。なんとなく住吉如慶・土佐光起は元禄文化に入れてしまいがちであるが,生没年を考えても功績を考えても,確かに寛永文化に入れるほうがふさわしいというのは新しい発見であった。絵画ではあとは俵屋宗達(と本阿弥光悦のコンビ)が寛永期の人物だが,こちらは後代の尾形光琳も含めて「琳派」であり,◯◯文化で区切れない独自の潮流感がある。今回もいくつか展示されていたが,こう寛永期でまとめてみると確かに端であり,琳派でまとめた方がおもしろい。

次に小堀遠州。これはもう「きれいさび」と言われる通りで,基本形は桃山文化で完成した茶道なのだけれど,決定的に明るい。収集された茶器が国産・中国・朝鮮と散っていて,なるほど強い美意識に従った選別だという印象を受けた。そのまま続きで陶磁器の章に入り,仁清。仁清も元禄文化に入れられがちだが,活躍年代が1640〜60年頃で生没年不詳であるから,これはなんとも判断が難しい。寛永文化と元禄文化の切り替わりの時期と言えようか。仁清の京焼は華々しいながらも柔らかい印象が強く,寛永文化のイメージは正直ほとんど無かったが,今回の展示品の「白釉円孔透鉢」(今回の画像)を見て驚いた。全面白一色,刀で切ったような角ばった口縁に,無作法にすら見える無造作な円孔,これは確かに寛永文化を象徴する一品に見える。そこまで超絶有名という作品ではないが,本展の宣伝では前面に押し出されていた。理由は実物を見て一発で氷解した。サントリー美術館,さすがのセンスである。陶芸では後は初代酒井田柿右衛門が寛永期の人物になるが,場所が九州であり,琳派同様これまた別枠感が。今回の展覧会で出品が無かったのもうなづけるところ。最後は絵画作品で狩野探幽だが,ここはあまり印象に残っていない。しかし,トータルでは十分すぎるほど満足できた展覧会であった。
  
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2018年04月17日

イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢に会いに行く

ルノワール《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》新美術館のビュールレ・コレクション展に行ってきた。ビュールレ・コレクションはその名の通りドイツの実業家のエミール・ゲオルク・ビュールレが収集したコレクションであるが,実業家として大成した時期がナチス=ドイツの時期,美術品収集を開始したのも同時期。ナチスが没収した退廃芸術を競売で買い漁っていて,戦後はスイスにばっくれて収集品の返還も拒否し,それをめぐって裁判も戦っているので綺麗なコレクションかと言われると微妙である。それが2008年に大規模な美術品窃盗団に襲われ,2012年に窃盗団が逮捕されて作品は戻ってきたものの(リンク先はAFPBB),もはや財団自身では守りきれないと判断してチューリヒ美術館に寄託する流れとなった。今回の巡回展は寄託前最後のお披露目である。

この辺の話はビュールレ財団の恥と言えるのにもかかわらず展覧会でのキャプションや図録では詳細に説明されていて,「よくここまでぶっちゃけたなw」と思うくらいであったのだが(本展覧会のハイライトはこの詳細な時系列を説明した年表だったかもしれない),展覧会HPではほとんど説明がない。インターネットで広まらなければいいと考えたか,それとも広報側と学芸員側で意志の食い違いがあって,それがこういう形で表に出たか。「グレーだよねこのコレクション」というところまで含めて説明するのが展覧会であるという意志の発露だとするなら,これはこれでおもしろい現象であった。

展示作品数は64点とそれほど多くないが,大作が多くて見応えはあった。展示品はほぼ全て19世紀以降のもの。新古典主義のアングルから始まって,ロマン派のドラクロワ,写実主義のクールベとコローがいて,分類の難しいアンリ・ファンタン=ラトゥールがいて,あとは大量の印象派・ポスト印象派。印象派の物量は圧倒的で,「至上の印象派展」をうたうだけのことはある(さすがに誇張ではあったけど)。さすがに個人コレクションだけあって,今まであまり日本に巡回してこなかったのだろう,初見の作品も多かった。

白眉はやはりルノワールの《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》で,「絵画史上、最強の美少女。」と散々宣伝されていたように(美少女に“センター”とルビを振るセンスはどうかと思う),まあとんでもなく美少女である。ちょうどルノワールが印象派からの揺り戻しで古典主義に振れていた時期の作品であり,印象派と古典主義の折衷が,かくもふんわりとした柔らかさと明るさに美しさを同居させることに成功したのだろう。かわいらしい服に長い髪にもかかわらず,快活そうにも見える。ところでこのカーン・ダンヴェール家はユダヤ系フランス人で,イレーヌ嬢は当時8歳であった。年齢から推測のつく通り,彼女はその人生で第二次世界大戦を経験しており,彼女の家族も多くがアウシュヴィッツで亡くなっている。イレーヌ自身はカトリックに改宗してイタリアに移住していたことが功を奏して生き延びた。この作品は戦中にナチス=ドイツが没収していたが,終戦直後にイレーヌの手に戻った。そして1949年にエミール・ビュールレがイレーヌ本人と交渉して買い取ったという来歴であるが,よく売ってもらえたものだ。イレーヌがエミール・ビュールレがどういう実業家であったか知らなかったわけでもあるまいし,イレーヌが困窮していたというわけでもない。創作のタネになりそうなレベルの不思議である。

もう1点の目玉がセザンヌの《赤いチョッキの少年》で(ちょうど窃盗団逮捕のニュースの画像の作品),どう見ても右腕が左腕と比べて長すぎるわけだが,これは奥の緑色のソファと右腕を平行に描きたかったから引き伸ばしたという画家本人のコメントが残っている。リアルさ(迫真性)よりも構図の方が重要と考えるセザンヌらしい発想である。ところで《赤いチョッキの少年》は他にもあり,おそらく本作よりもアメリカのバーンズ・コレクションにある作品の方が有名。キャプション等でそちらに触れられていないのは,説明として片手落ち感があった。


ところで本展,印象派中心の展覧会で,しかも盛んに宣伝されていた割にはそこそこ空いていた。期間が長いので客が分散したか。ともあれ印象派がじっくり見られる機会は(西美の常設展を除けば)そうそうないので,その意味でもお勧め。
  
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2018年02月19日

輝くジャーヒリーヤの時代

アラビア文字の墓碑東博のアラビアの道展に行ってきた。驚きの常設展チケットで入場できる=実質無料の企画展である。しかも全館写真撮り放題。総展示数424展で展示替え一切無し。さらに入り口の外にベドウィンのテントが張られ,テントに行くとアラビアコーヒーとデーツ(ナツメヤシ)のもてなしを受けられる(もちろんこれも無料,ただし先着順で完売有)。オイルマネーだ……

展覧会名はダブルミーニングで,古来通商路となってきたアラビア半島という意味と,サウジアラビア建国に至る歴史という意味が重ねられている。もっとも,展示の9割は前者で,後者はおまけという様子であった。とはいえサウジの政治観が全面に出たキャプションにはなっていて,たとえば中東地図の地名も,よくみるとペルシア湾ではなくてアラビア湾になっている。私以外の人はさして気にしていなかったけども。

展示は先史から始まっていて,とはいえ石器の類はどこも同じではある。ただし,新石器の頃は「緑のアラビア」だったからこそ石器が出土されるんだという指摘は確かにと。文明が始まると,ペルシア湾がメソポタミア文明とインダス文明の交易路になったのは近年知られるようになったところで,湾岸の遺跡からの出土品の石像や装飾具等が紹介されていた。前2500年頃の出土品,どう見てもメソポタミア文明の影響が明白な石像が多く展示されていて,石像の大きさもあって見ごたえがある。

そして前1000年を過ぎる頃になると,アラム文字や,その系統の文字が姿を見せるようになる。当然のことではあるが,高校世界史で教えられるアラム文字系統の文字とは,現在使われている文字につながっているか,歴史的に大きな意義をもったものだけであり,他にも使われなくなった文字は無数にあるのだ。そうしたアラム文字のバリエーションが刻まれた石板を多数見ることができる。多分,「ダーダーン文字碑文」とか一生で二度と見ることがないと思う。また,この頃の石板の図像がどう見てもアフラ・マズダで,もろにアケメネス朝の影響下である。紀元前3世紀を過ぎるとヘレニズム文化が伝わってきたか,彫刻のレベルが一つ上がった感じがある。ガラス器や銀貨も見られた。またギリシアから運ばれてきたか,もろにヘラクレス像やアルテミス像も発掘されていて,直接ローマの版図にはなっていないが,パクス=ロマーナの影響は見て取れた。『エリュトゥラー海案内記』の時代である。

これが7世紀になると突如として様相が変わる。アラビア半島は交易路という役割に,巡礼路という役割を担うことになる。アラビア文化の美術品で一際美しいものといえば書道であるが,今回の展示では墓碑が大量に展示されていた(今回の画像)。この画像は展示室のど真ん中,一番目立つポジションに設置されていただけあって,玄武岩の色味もあって大変美しい。実物を見に行く価値があるだろう。

この後はてっきりイスラーム美術の歴史が続くものだと思っていたら,なんと11世紀頃で展示物が激減し,以後は30年に1個のようなペースになって,特に18世紀半ばの次は19世紀末までぶっ飛んでいった。バグダードやらカイロ,イスタンブルにめっきりイスラーム世界の中心地の地位を奪われてしまっていたこの時期,とりわけオスマン帝国支配下は半ば黒歴史なのか,それとも至極単純に「イスラーム美術なんて大量に見せられても日本人は困惑するだけだろう」という余計なお世話なのか。プラスに考えれば,ジャーヒリーヤの時代のアラビア半島を紹介したかったのかもしれない。個人的にはそれよりも,もっとマムルーク朝・オスマン帝国時代のイスラーム書道や銀器,ガラス器を見たかったなと。最後は19世紀末からまた突然展示物が増えて,サウジアラビア建国の歴史の紹介ということで,主にアブドゥルアジーズの遺物が展示されていた。「アブドゥルアジーズ王の『クルアーン』」なんかもあり,建国は1932年,伝説的な初代国王の遺物が非常に新しいという,古くて新しい国家サウジの特異性が見える。  
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2018年02月18日

一生分の宸翰を見たのでは

仁和寺観音堂完全再現東博の仁和寺と御室派展に行ってきた。仁和寺と言われても徒然草のドジなお坊さんしか思いつかないという人,安心してほしい。私も今回の展覧会にあわせて調べるまでは似たようなレベルであった。仁和寺は宇多天皇が9世紀末に創建し,退位後に出家して宇多法皇となった際に居住していた寺院である。「仁和」は創建当時の元号。宗派は真言宗になり,完全な密教系。「御室派」の名は歴代の天皇の帰依を受け,歴代門跡(法主)も皇室出身者(親王・法親王)が受け継いできたという歴史があるため(幕末に皇室出身者以外に変わる)。同じような立ち位置の寺院としては同じく真言宗の大覚寺があるが,こちらの方が「大覚寺統」のおかげで有名であろう。なお,立地は龍安寺のすぐそこ,桜の名所だそうだ(が,京都に桜の名所は無数にあるので……)。

仁和寺はそうした事情から皇室縁の寺宝が多く,応仁の乱で建物はほぼ全焼しているが,寺宝は避難させていたため,中世以前の文化財がよく残っている。なにせ宇多天皇縁の9世紀末の仏像が今回の展示で出ているほどだ。その他仏像は今回日本全国の御室派の寺からかき集めているので,かなり豪華な展示となっている。密教らしく割りと派手な仏像,巨大な曼荼羅,五鈷杵などの仏具が並んでいた。密教らしく仏像のバリエーションが豊富で,如意輪観音とかいうレアキャラもした(私は観心寺以外に存在しているのを初めて知った)。その中で,普段は非公開となっている仁和寺観音堂の仏像33体(正確にはほとんどが天部・明王)が展示され,壁画も高精度画像で観音堂が完全再現されている部屋があり,しかもこの部屋は写真OKであった(今回の画像)。やけに気前が良い。この仏像33体は後述するように江戸初期に再建された時のもので,保存状態も良い。私は手持ちのスマホで雑に撮ったが,カメラガチ勢が一眼レフでばしばし撮っていた。気持ちはわかる。

また,今回の展示の目玉の一つは宸翰(天皇自筆の書)である。前述の理由から,仁和寺には大量の宸翰が残っている。その中で一際目を引いたのは後醍醐天皇の宸翰消息で,あまり書物の展示に興味がない私でもさすがに驚いた。他の天皇では高倉・後嵯峨・後宇多・伏見・後陽成・後水尾天皇といった面々で割りと濃い,というよりも歴代の天皇のものが大体全部あって,濃い人のを持ってきたのだろう。高倉天皇の宸翰は平徳子が後の安徳天皇を出産した時のもの。なお,後宇多天皇は仁和寺で出家して大覚寺門跡を継承し,大覚寺を主としつつ仁和寺を乗っ取る形で両派を統合しようとしたが失敗したことがあるそうな。一方,伏見天皇は持明院統の天皇で,両統の宸翰が並んで展示というのもおもしろい光景。そして後水尾といえば紫衣事件の人だが,応仁の乱でほぼ全焼した仁和寺を復興させたのも徳川家光という不思議なつながりも。

その他に空海自筆の経典も展示されていた。ぱっと見上手い字とは全く思えなかったが……あとは『方丈記』の13世紀当時の写しは,展示ではあまりクローズアップされていなかったがめちゃくちゃな貴重品では。ここで『徒然草』ではなかったのは,少々残念だったが。全体として,美術好き・仏像好きというよりかは密教好き・日本史好き・皇室好きな人が行くと楽しめる展覧会といえるか。特に日本史勢にお勧めしておこう。  
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