2024年01月01日

2024 賀正

あけましておめでとうございます。昨年はこのブログをご贔屓にして頂き大変ありがとうございました。今年もご愛顧の程をお願いします。

例年に従って,今年の目標を書き並べておく。(ここまでコピペ)

エロゲ・ギャルゲ:昨年は目標5本で,結果は0本であった。マジで一本もやっていない。一昨年は登山が忙しくて3本に減った……というような状況であったが,昨年は加えて仕事も忙しく,こっそり4巻の準備もしていたりしてどこにも隙間が無かった。今年もエロゲに回帰する隙間があるかかなり怪しいので,目標は立てずに置く。できたら復帰したい。

美術館:昨年は入場時間指定制も減少して,美術館の入場についてはほぼコロナ前に戻った感がある。目標は19としていて,結果は18であった。2023年も18を目標としたい。

旅行:2023年は賀正の記事で「以前からの目標である関西の東方の聖地(弘川寺や信貴山等),未踏県の青森・秋田には行きそびれているので,今年こそはこの2つに行きたい(ということを賀正記事に長らく毎回書いている)」と書いていて,このうち青森県への訪問は達成した。これらの目標は2024年にも残しておきたい。

登山:昨年に登った百名山は筑波山・男体山・北岳・西吾妻山・磐梯山・安達太良山・荒島岳・岩木山・八甲田山(筑波山と男体山は2回目)で,新たに登ったものは6座。合計では32座になった。目標は4・5座だったので,ずいぶんと超過して達成した。2024年も4・5座くらいは増やしていきたい。候補地としては甲斐駒ヶ岳・立山(雄山)・丹沢・恵那山・赤城山・白山・尾瀬・蔵王山など。また,過去に登った百名山をもう一度登るのをいくつかはやっていいかなと思っている(金峰山・阿蘇など)。あとは冬の間に奥多摩・秩父の主要な山をもう少し登っていきたい。  

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2023年01月01日

2023賀正

あけましておめでとうございます。昨年はこのブログをご贔屓にして頂き大変ありがとうございました。今年もご愛顧の程をお願いします。

例年に従って,今年の目標を書き並べておく。(ここまでコピペ)

エロゲ・ギャルゲ:昨年は目標8本で,結果は3本であった。昨年はRPGやSLGで時間がとられていたわけではなく,まっとうに仕事と登山に忙しかった結果として全然進まなかった気がする。毎年全く目標を達成できていないが,今年の目標は5本に減らしておこう。

美術館:昨年は閉館や夜間開館の中止がかなり減って美術館に行きやすくなったが,引き続き入場時間指定制が続いているのは厳しい。目標は17・18くらいとしていて,結果は17であった。2023年はもう少し増やして19としたい。大規模な美術館の企画展だけでなく,小さい美術館の常設展等も少し増やしていきたいところ。

旅行:2022年は賀正の記事で「登山絡みの旅行が多いので,絡まない旅行を増やしてもよさそう」と書いていたが,結果的にはほぼ登山絡みの旅行しかほぼ行かなかった。また「以前からの目標である関西の東方の聖地(弘川寺や信貴山等),未踏県の青森・秋田には行きそびれているので,今年こそはこの2つに行きたい(ということを賀正記事に長らく毎回書いている)」と書いていたが,これらも未達である。これらの目標は残しておきたい。

登山:昨年に登った百名山は谷川岳・木曽駒ヶ岳・浅間山・日光白根山・大峰山・大台ケ原・霧島(韓国岳)・開聞岳の8座。合計では26座になった(お釜まで近接した草津白根山をカウントしていいなら27座)。目標は4・5座だったので,ずいぶんと超過して達成した。2023年も4・5座くらいは増やしていきたい。候補地としては甲斐駒ヶ岳・立山(雄山)・丹沢・赤城山・荒島岳・白山・尾瀬・蔵王山・安達太良山など。  
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2022年12月30日

2022年の視聴アニメの感想

半ば自分用の備忘録。感想コメントをつけられるものはつけ,何も思い浮かばなかったものは作品タイトルだけ。全般的にネタバレは回避していない。

<冬>
『その着せ替え人形は恋をする』
今年面白かったアニメ4位。奇しくも『ぼっち・ざ・ろっく!』とは,引っ込み思案で能力を発揮できていない・知られていない主人公(ついでに言うと容姿への自己評価が低すぎる)が表舞台に出ていって,次第に周囲に認められて……という点で共通していた。あちらはぼっちちゃんが相当歪んでいるのに対し(悪い子ではないんだけども),こちらは五条くんがめちゃくちゃいい子で,海夢ともども応援したくなる。3話くらいまで見たところで,なるほど惚れちゃうのは海夢の側と気付き,作品名を見て得心する。男が先に惚れるのだろうという読者心理を活かした良い仕掛け。おみそれしました。

アニメが始まった当初に「エロゲが好きな女子高生って実在するんか」というリアリティラインの問題がちょっと私のTLで話題になったりもしたが,それも含めて嗜好のマイノリティがそれを表に出して何が悪いという方向を突き詰めていくのが本作であるので,作品最初期のフックとしてはあれで正解だったのだろう。問題は現実世界のエロゲ業界がそこまでの元気がないことにあるかもしれない……(自分の昨今のプレイ本数を棚に上げているので私も心苦しい)。原作も最新刊まで読んだが,これは文化祭編があまりにも熱くて良きなので2期にも期待したい。そういえば,原作が強いから絶対当たると確信して最初から制作資源をつぎ込んでいたらしいところも『ぼざろ』と共通していたかも。




『平家物語』
今年面白かったアニメ3位。アニメ化に800年かかったやつ。和風の画風,重要な場面で差し込まれる原作の詠唱など,商業作品というよりも芸術作品としての面が強い作品であったが,間違いなく面白かった。敗者の悲哀を内側から描きつつ,かつ自らは敗者ではなく,かつ物語の語り手で,かつ視聴者が結末を知っていることにもシンクロさせなくてはいけない……という非常に絶妙かつ面倒な配役に,オジリナルの登場人物びわを置いたことで本作は傑作となった。本作は何よりもそのびわ役,悠木碧の熱演が最も称賛されるべきで,何度ももらい泣きさせられた。確かに平家は悪をなしたかもしれない。しかし,その悪にさして加担していたわけではない人々にとっては,単にパワーゲームに敗れた悲運・悲劇に見舞われるのみである。しかも悪をなした張本人は病死し,周囲はそれが悪であったことも理解していて,報いを受けるターンが回ってきてしまったこともわかっているから,平家の何人かは諦めの境地に立っていて余計に悲劇性が増す。傍観者のびわは,鎮魂の祈りを捧げるために「平家物語」を語り継ぐ,と原作に戻る最終回は極めて美しい。

あとは本作の放映時期がちょうど大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の治承・寿永の乱を描く時期と重なっていて,視聴者層が重なっていたこともあり,それぞれの登場人物の描写が比較されていたのが面白かった。比較的『平家物語』は古典的な解釈が多かったのに対し,大河ドラマは斬新なキャラ付けが多かったように思う。その中で源頼朝だけは同じようなキャラだったので「解釈一致」とか言われていた。また,大河ドラマの源氏方の雰囲気が悪かったこと,対比的に『平家物語』側の平家の雰囲気が良かったことで,平家を応援してしまう視聴者が多かったのは笑ってしまった。


『薔薇王の葬列』
リチャード3世が実は身体的女性の性的マイノリティだった,という基本設定のほか,いろいろなぶっ飛び設定と展開で突き進んでいった……と書くと印象が悪いが,実際にこれはこういうものと思って見ると意外と面白かった。原作(シェイクスピアの『リチャード3世』)や原作の原作(史実)から捻じ曲げられそうな限界のラインで反復横跳びしているので,「これをやりたいならもうオリジナルでやれよ」のラインも同様に超えそうで超えていない。「リチャード3世って実子いるよな,どうすんだろ」というように生じた矛盾を他の創作で補っていく。先に史実が知られているからこそ視聴者に推測させての展開ができる。

そして思っていたよりも無理なく着地したので楽しめた。また,本作は女性向けコンテンツであり,私が普段見ないジャンルであるから,「なるほど,男性向けなら史実をこう捻じ曲げるところ,女性向けだとこう改変するのか」という新鮮な驚きがあったという意味でもけっこう面白く,完走できたところがある。ただ,2クール目に顕著だったが止め絵が多く,さすがにこれはアニメーションではなく紙芝居ではないかという回が多かったのは少し残念である。原作ファンからの「止め絵にしたって原作のこのシーンはもっと美麗なんだよ」という嘆きは頻繁に見られた。予算がなさすぎたか。止め絵を豪華な声優陣の熱演でもたせたところはあり,円盤の売上が期待できるコンテンツでも無さそうで,予算を削るのはもう作画しかなかったのかもしれない。ニコニコのコメントで「作画崩壊よりも紙芝居の方がマシ」と書かれていて,それには同意。




『ハコヅメ』
『鬼滅の刃 遊郭編』

『明日ちゃんのセーラー服』
3話で止まってる。『Birdie Wing』が消化できたら続きを見ようかなという状況。


<春>
『まちカドまぞく』2期
2期でもやっぱり思わせぶるだけ思わせぶっておいて無自覚なのでやっぱりシャミ子が悪い。ネットミームでしょ? と思わせておいて多くの視聴者にこれはネットミームが正しいと思わせる展開,物語が強いとしか言いようがない。しかしまあ何よりも原作がちゃんと完結するまで原作者の体力が持つのかどうかは心配でしょうがない……

『SPY×FAMILY』
2クール目も含めてウェルメイドな人気作で,面白かったけど,面白かった止まりという感じも。コメディとシリアスの両面がある作品ではあるのだが,両立させているというよりも不思議に混ざっているというところがあって,個人的な感覚としてはちょっと割り切れないレベルでリアリティラインが混乱している印象を受けてしまい,世間的な人気に比べると楽しめていないかもしれない。あとは話のペースがゆっくりしすぎているのが気になっている。絶対に人気が出る作品であるから原作を食いつぶさないようにしたいという意図はわかるが,もっとテンポよく進めてほしかったところ。1クール目のうちにボンドを飼うところまで進むと思っていた。

『Birdie Wing』
未視聴。今のところ,余裕ができたら見たいアニメ候補1位(2位は『明日ちゃん』,3位が『オッドタクシー』)。2023冬は多少見る本数が少なさそうだから,そこでなんとか。


<夏>
『Engage Kiss』
丸戸史明が脚本やるなら見るか,と思って見始めたら1話がつまらなくて困った作品。しかし,尻上がりに面白くなっていって,結果的にけっこう楽しめた。丸戸史明さんは序盤に説明を端折りすぎで導入が下手なのとアクション描写が不得意。前者は『冴えカノ』でも同じことをやっている。エロゲ時代はそうでもなかったと思うのだが,ラノベやアニメは勝手が違うのか。後者は必ずしも丸戸のせいではないのかもしれないが,いずれにせよバトル描写は最後まで微妙だった。丸戸にこういう感じのバトル物を書かせるなら,周りがもうちょっと補助してほしかった。

一方で丸戸史明作品の良さもよく現れていたのが本作である。三角関係・ヤンデレ・不器用な大人の女性・あばずれと一通り出てきて,特に不器用な大人枠の綾乃さんの立ち居振る舞いは毎話笑ってしまった。どれだけ類例を見てきていても飽きない,この丸戸の持ち味よ。キサラの設定も見事で,丸戸の得意な感情のすれ違いを,記憶の授受と絡めるとは。最終話に向けて不幸に不幸を重ねる展開にドライブがかかり,焦げ付きそうな摩擦熱を帯びた感情のすれ違いは,最終話で一転してコメディと化し爆発オチとして昇華した。こういうものを読ませてくれる・見せてくれるから,クリエーター丸戸はこれからも追っていくしかない。




『リコリス・リコイル』
はい,評価に困るやつ。『SPY×FAMILY』とは別の理由ながら近い評価で,間違いなくウェルメイドで面白かったのだけど,心の底から楽しんだかと言われるとそこまででもない。散々指摘されているところであるがリアリティラインがズタズタで,その原因も明確である。見せたいシーンと見せたい話が先に来ていて,それを取りまとめるための設定を緻密にする作業を放棄しているためだ。だから個々のシーンの美しさや人間関係の妙だけ見ると気にならないのだけど,12話つなげて作品として評価しようとすると,素直に評価できず,ちょっと待ってくれというノイズが表出してくる。ここで鈍感力を発揮してあげるだけの義理が本作には無い。twitterで「設定や世界観が使い捨て,二次創作的」と評している人がいて,言い得て妙である。

ともあれ,制作陣が見せたいと思っていたであろうシーンが本当にきっちりと美しかったこともあり,「ちさたき」の破壊力がすさまじく,絵師受けが良かったのは素直に嬉しいところで,少なくとも私の周囲では二次創作の質・量ともに2022年最大のヒット作だったことは疑いえない(『ぼざろ』が猛追したけど)。pixivとtwitterに流れてくる二次創作絵の収集がライフワークになっている私にとっては嬉しい悲鳴という状況であった。放映が終わってもう三ヶ月経つのにいまだもって二次創作絵が流れてくるオリジナルアニメはそんなに無い。かく言う私も,正直なところ「個々のシーンの美しさがあれだけあったのだから,ここまで来ると作品としてのまとまって無さも,もはや一つの”味”なのではないか」と考えが変わりつつあり,そのちらかり具合もだんだん愛おしくなってきた。同じような感覚になったアニメとしては非常に古いが『SAMURAI DEEPER KYO』がある。

ラスボスの真島との対決もまさにこれで,千束の「不殺の誓い」という,制作者がやりたかったのであろう設定がどうにも物語の駆動には枷になっていて,二律背反のような状況だった。にもかかわらず殺さないと止まらなさそうな真島をラスボスに持ってきてしまい,しかしこれをちゃんと終わらせられたら上記の評価は撤回できるだろう……と思って最終回を視聴していたら真島が生存していて不思議に安心した。志々雄を自己発熱で殺した『るろ剣』,最終的に狡噛に槙島を殺させた『サイコパス』はちゃんとしていた。でも,『リコリコ』はこれで良かったのではないかと最近は思っている。映画好きで千束と妙に気が合ってしまう彼は,あれはあれでキャラが立っていた。千束との再会という1シーンだけ考えれば生存は正解ということになりそう。あー,あとtwitterで流れてきた「百合に挟まっても殺されない(うざくない)男としてエポックメイキング」という意見には割りと同意する。

あと,エンディングの「花の塔」は名曲。歌詞がたきなから千束へのメッセージになっていて,できれば2番まで聞いてほしい。そう,こういうところではあまりにも光っているのが『リコリコ』という作品なのだ。




『夜は猫といっしょ』
1週間に1分半の癒やしの時間。原作含めて,本作ほど飼い猫の生態描写がリアルな作品はなかなか無い。細かいところで飼い猫あるあるに溢れている。

『よふかしのうた』
『それでも歩は寄せてくる』


<秋>
『PUI PUI モルカー DRIVING SCHOOL』
学校かと思いきや刑務所やんけという出オチで爆笑してしまったので,もう私の負けでいい。今クールもやりたい放題,人類は愚かでモルカーはかわいい,交通法規は守ろうねと毎週3分間,楽しませてもらった。

『機動戦士ガンダム 水星の魔女』
未完結なのでまだ感想を言うには早いが(分割2クールなので終わりは遠い),とりあえず女性主人公,百合テイスト強めのガンダムが来るとは思っていなかったし,サブキャラの配置を見てもいろいろと現代風で,これをガンダムがやる意義については感謝したい。学園物であることとガンダムらしい背景の暗さが意外と抵抗なく融合しているのも良い。

『聖剣伝説 Legend of Mana』
序盤は調子良く,ゲームで描写しきれていなかった部分を上手く補完しながら進んでいた。原作のゲームが説明不足であり,アルティマニアでしか説明されていないものも多かったので,それらが本編に織り込まれたのは原作ファンが見たかったものを見せてくれたと言えよう。翻って後半は,そのまま進んでいけばいいものを,無理に女性主人公(アニメ中での名前はセラフィナ)を物語に介入させようとした結果,話の展開が原作から大きく外れていった。バトル描写が稚拙で,かつ原作通りの箇所でボスを登場させなかったのもまずかった。バトルはどうせだから主人公に片手剣の必殺技を多く打たせることはできなかったのだろうか。使う必殺技がだんだん強くなっていく描写でもあれば満足感は高かったのだが……ジュエルビーストをダイナマイトXでバラバラにするところとか,最後に宝石王に黄龍をぶっ放すところとかが視聴者の見たかったものではないか。

セラフィナが実はサンドラの協力者だったという設定も微妙である。LOMのメインストーリーのうち宝石泥棒編とエスカデ編はどちらも敵にも一理ある設定だから,主人公のうち片側を敵につかせてもよいだろうという発想はわからなくもない。とはいえ宝石泥棒編で主人公の一人をサンドラ側につかせるためには大幅な設定・物語の変更が必要で,その変更が困難であり,実際にかなり不自然になってしまった。主人公が二人いるのだから正義を相対化させたいならエスカデ編といううってつけの材料があるのに,それを使わず宝石泥棒編でやったのは失態と言っていい。本作でどうしても男女主人公を対立させたいなら,セラフィナはレディパールの旧友・協力者にするのが穏当だったのではないか。明確なラスボスが登場しなかったのも不完全燃焼に終わってしまった原因であろう。宝石泥棒編が商業的に上手くいけばエスカデ編やドラゴンキラー編のアニメ化もあるかなと思ったが,このままでは無理そうか。


『ヤマノススメ Next Summit』
今年面白かったアニメ2位。原作では比較的薄味(これはこれで悪くない)の人間関係の描写を,行間を埋めていく形で大幅に追記して濃くするというのはきらら系やCGDCT作品の王道としてすでに定着していると思う。『ヤマノススメ』もその典型であるが,いかんせん放送時間が短かったのが1・2期で,やっと3期になって成功した。そういった経緯だったから総集編という名のリメイクを行って完璧を期したかったのだろう。4期の冒頭4話を1〜3期の総集編にしてしまうのは勇気のあるチャレンジだったと思うし,その弊害として12話がちょっと駆け足になってしまったのではあるが,意図は十分に伝わってきた。4期だけ見ればよいというように人にも勧めやすくなったのもある。

この4期の白眉は各話のエンディングである。吉成鋼氏による一人原画の止め絵が流れるED映像は,氏の温かみのある絵柄,セリフが無いからこその情感,ED曲の「扉を開けてベルを鳴らそう」のゆったりとした盛り上げ方が相まって,異常なまでにエモい仕上がりになっている。物語が本編の裏話的なものになっている,5話の雪村恵(あおいの母)視点,7話のかすみさん視点は90秒で泣かせにきていて素晴らしい。8話の原作でもあまり接点がないあおいとほのかに二人旅をさせた回や,ファンの間で流行しているここな天狗説を思いっきりいじりに行った9話の鋸山も好きだ。

そうやって登山そのもののごとく文脈を積み重ねて歩いていって,万感の思いで迎える最終話,富士山へのリベンジ。こちらも感無量である。最後まで「あおひな」は尊かった。

あとは,私は登山を始めたのが2期と3期の間で,1・2期は3期が始まる前に駆け足で見て追いついた形だった。私が登山を始めたのは寺社仏閣巡りの延長線上と散歩の延長線上という意味合いが強くて,『ヤマノススメ』聖地巡礼を本格的にこりだしたのは3期が終わってからであった。これらの理由のため3期放送開始時点ではまだ登った山の数が少なく,後追いでの聖地巡礼が多かった。それに対して今期は,聖地巡礼仲間にも恵まれて,先回って登っていた山がほとんどであったから,いわゆる「解像度」が高い状態で,あおいたちに難所や眺望を重ね合わせて視聴することができた。登場人物たちと苦労や感動を共有できるのはこれほど楽しいのかと再確認させられた。これぞ聖地巡礼の最大の醍醐味であり,本作は聖地巡礼の意味が極めて深い。




『ぼっち・ざ・ろっく!』
今年面白かったアニメ1位。基本設計は『ヤマノススメ』のアニメ化同様,原作の行間をこれでもかというほど分厚くして人間関係を描写する形で,これが非常に上手くいっている。しかし,本作の強みはテーマが音楽であることそのもので,あまりにも提供された楽曲の質が高く,あわせてライブシーンの出来も最高としか言いようがない。

いろいろな切り口がある作品ではあれ,『ぼっち・ざ・ろっく!』という作品は,努力の方向音痴が,実はその努力の方向が間違っていなかったことが示されて居場所が与えられ,救済される話というのが私の理解である。やはり『着せ恋』との比較が適当で,あちらは五条くんの努力は至極まっとうなものであり,加えて五条くんは高校生の社会に打ち解けたいという積極的な欲望があったわけではない。偶然にもその能力がコスプレ衣装制作にも転用でき,それがきっかけで道が開けたというところがミソで,五条くんは引っ込み思案であれ契機があれば受け入れられやすい性格でもあった。これに対して後藤ひとりは全て逆である。社会との接点が欲しくてギターを始めたが,そもそもの性格が絶望的にコミュ障なので,ギターの腕が上がったところで意味はなかった。本来であれば性格の方を何とかするべきで,ギターの練習という選択は間違っている。

しかし,そこはギターの腕があればなんとかなってしまう懐の広さがロックというもので,「陰キャならロックをやれ」という本作の売り文句は完全に正しい。一度転がりだしさえすれば物事は好転する。彼女がほんのわずかずつ社会性を得るたびに結束バンドに居場所が生まれ,それが原動力となって彼女が結束バンドの危機を救う。あのどうしようもないコミュ障のぼっちちゃんが,というのはとんでもなく大きいカタルシスの淵源で,彼女がギターヒーローとして輝くたびに我々視聴者は喝采をあげた。我々もオタクで多少なりとも後藤ひとりの気持ちはわかるからこそ,その喝采も大きい。オタクが社会性の無さゆえに孤独に努力して,努力の結果として社会性を回復していく話,皆好きだろ。俺も好きだよ。5話も8話も泣いただろ。俺もだよ。

この構造,よく似ているのが『リズと青い鳥』である。あっちも別に傘木希美がそう望んでいたわけではないのに,鎧塚みぞれはオーボエの腕を磨き続け,一旦は孤立した。しかし,希美が戻ってきたその後に,みぞれはその腕で希美とは別の居場所を得る。努力が報われる話は美しい。これと『ぼざろ』の相違点は話の起点が逆なところだ。ぼっちちゃんがギターを始める前に虹夏や喜多ちゃんに出会っていたら,彼女は鎧塚みぞれになっていただろう。でもそれだと腕前が上がりすぎてぼっちちゃんがバンド脱退するオチになってしまう……とtwitterに書いていたら,「その問題は『ぼざろ』でも出てくる。原作を読め」というリプライが飛んできた。原作は近日中に読みます。

いよいよ長くなってきたので最後に楽曲のことに少しだけ触れて終わりにするが,本作はともかく作詞がぼっちちゃんで歌唱が喜多ちゃんという構造があまりにも強い。作中で山田リョウが指摘していたように,陽キャの極みのような子に陰キャの心理を歌わせる面白さとしても機能するし,ぼっちちゃんと喜多ちゃんの間のラブソングとしても機能するので,天才作詞家後藤ひとりが生まれてしまった。アルバム14曲でどれが一番好きかと言われると,「青春コンプレックス」。OPに使われているだけあって一番後藤ひとりがほとばしっている歌詞だと思う。twitterでとある人が言っていた「プロになった後藤ひとりが過去の自分を書いた歌詞」という解釈が好きで,確かにメロディの歌詞が全て過去形だから成り立つ解釈である。ぼ喜多の極みという点では「星座になれたら」を挙げざるをえない。歌詞の真意を喜多ちゃんがわからずに歌っていると思うと,こんなにエモいことはない。他にも語りたい曲はあるけど本当に切りがないのでこの辺で。


  
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2022年12月26日

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」

ここ10年ほどで大河ドラマを完走したのは「真田丸」以来である。お前,三谷幸喜作品しか見てないな? と言われるとはいそうですとしか答えようがない。これは私が三谷ファンだからということで許してほしい。「いだてん」は今にして思えば見ておいてもよかったかなと思う。

「真田丸」は,真田信繁という史実があまり残っていない,壮年期にのみ大活躍した記録が残っている人物を取り上げた。これによって,厳格な歴史考証陣営と綿密な考証を重ねて,可能な限り史実に寄せた青年期の約40回と,伝説上の真田幸村を描いた最後の約10回という切り分けを行って,バランスが問題になる歴史劇の史実と創作を上手く昇華させた。では,今回の鎌倉殿はどうか。この観点で見ると,本作は『吾妻鏡』をベースに描き,『吾妻鏡』が書いていない部分は自由に創作したという形になった。そのため最新の研究結果を上手く反映しているかと言われると,実のところ心もとない。実朝はもっと名君として描かれていてもよかったし,三浦義村はもっと裏の無い人物でもよかった。しかし,歴史劇は必ずしも史実に従わなくてよいのである,そこに上手い言い訳があれば。その言い訳として,北条義時を描くのだから『吾妻鏡』の映像化で何が悪い,と持ってきたのはさすがは三谷幸喜である。

その意味での白眉は実朝暗殺事件である。現在の最新の研究での最有力説である公暁単独犯行説に則りつつ,北条義時黒幕説や三浦義村黒幕説とも取れるような関与も残しつつ,北条義時が直前になって自主的に御剣役を源仲章に交代したように描いた。この展開であれば,『吾妻鏡』では「北条義時が体調不良で御剣役交代を申し出てきた」という方向の”改竄”になるのは納得できよう。そう,『吾妻鏡』の映像化でありつつも,『吾妻鏡』が北条氏の都合でどう歪められているかという発想で組み立てられたのが本作だったのだと思われるのだ。こうして史実とは違う,『吾妻鏡』とも少し違う,第三の鎌倉時代が成立した。

しかも,『吾妻鏡』ベースであることは作品の外ではずっと言われていたが,作中でそれを明言したのは最終話というのも良かった。それを徳川家康が読んでいるという形で紹介したのは,純粋に来年の大河ドラマへのサービスであろうが,直接的に『吾妻鏡』に言及してしまうよりも面白い仕掛けであった。

物語全体を見ると本作は北条義時の闇落ち物語が大半を占めていた。このスライドが絶妙で,最初は源頼朝の家臣として,鎌倉を守るためそのやり方を学んで仕方なく……という言い訳があった。視聴者にインパクトがあったのは第15話「足固めの儀式」で,序盤の名脇役だった上総介広常が討たれた回である。討った後に頼朝が「武功を立てれば恩賞を与えるから忠誠を尽くせ」というようなことを言っていたが,これは実は極めて重要なセリフである。当時の荘園の管理人である荘官の任免権は,荘園の上位の領主である都の貴族や寺社が握っていた。この任免権を勝手に武家の棟梁が握ってしまったのが頼朝の時代を変えた改革であり,これを東国に限定して朝廷から追認させたのが寿永二年十月の宣旨である。歴史家によっては寿永二年十月の宣旨をもって鎌倉幕府の成立と見なす人もいるが,その根拠はここにある(詳しくは伊藤俊一『荘園』を参照のこと)。上総介広常の誅殺は同年のほぼ同じ頃であるから,この2つの出来事を結びつけたのがあの第15話だった……ということに後から気づいてちょっと感動した。

第二部,頼朝が亡くなってからは,義時がより陰謀の中心に近づいていくが,まだ自発的に陰謀を起こしていない。主には北条時政の権力欲が高まり,その流れに乗ったりあらがったりしているうちに,鎌倉の有力者が次々と死んでいく。比企能員を滅ぼす過程で,頼朝のやり方が正しかったという確信を得ていくのは視聴者を恐怖させた。最大のターニングポイントを選べと言われたら,第15話でなければこの30話が選ばれるだろう。さらに頼家を殺して,義時の中で守るべきものは「頼朝の血筋」か「鎌倉」という体制かという迷いが消えて完全に後者となった。そのために邪魔となるなら,親友の一人として描かれた畠山重忠を排除し,自らの父も排除した。こうしてたがの外れたダークヒーロー義時が完成した。和田合戦で見せた黒さは,わかっていても悲劇的であった。「真田丸」でもそうだったが,こういう宮中の陰謀劇を描かせると三谷幸喜は実に上手い。

忠誠の方向が鎌倉そのものなので実朝さえも軽んじた義時だが,自分と頼朝のやり方ではいつかだめになることはわかっていたからこその,泰時との「対立すればするほど絆が深まる不思議な親子」という関係に落ち着く。私は最終話は泰時が御成敗式目の草稿を書くシーンで終わるのではないかと予想していたが,当たらずとも遠からずだったかなと思う。泰時が後を継ぐ安心感は,先の歴史を知っているだけに,作中の登場人物よりも視聴者の方が感じていたかもしれない。


最後に,すでに48回を完走した「鎌倉殿の13人」ではあるが,放送前から大河ドラマにつきものの副読本,関連書籍が山のように出版されている。私もいくつか読んだが,必携レベルの書籍を1冊だけ挙げるなら
・坂井孝一『承久の乱』(中公新書)
を挙げておきたい。岩田慎平『北条義時』も悪くはないが,淡々としすぎていて事実を追っているだけという読後感であった。坂井氏の『承久の乱』は北条義時について書かれたものではないので人物像に迫っているわけではないから(むしろ後鳥羽上皇と源実朝の人物像にクローズアップしている),欲しい情報によっては的外れになるものの,背景知識になりうるものは非常に充実している。北条義時の人物像は「鎌倉殿の13人」の中で築かれたものでよいと割り切って,こちらで背景情報を補完するのが,今から読むなら良いだろうと思う。

  
Posted by dg_law at 20:00Comments(0)

2022年11月13日

ワクチン(モデルナ製)接種4回目の記録

3回目はこちら。今回もTwitterで3時間おきに経過報告をしていたので,まとめておく。2・3回目との比較のため,今回もモデルナにした。結果は以下の通り。


----------------------------------初日(火曜日)-----------------------------------
9時間後(21時):3回目までは毎回15時に打っていたが,今回は正午であった。このため前回までは副反応が出る前に退勤していたところ,今回は勤務中にもう副反応が出始め,腕が痛くて少し困っていた。退勤後に概ね3回目と同じセット,ポカリスエット2L・ハム・ベーコン等のタンパク質を買って帰宅。解熱剤と冷えピタは前回の残りを使用。帰宅時点で36.6度,夕飯を食べて同時に解熱剤を摂取。


12時間経過(24時):熱は36.9度。先行して飲んでおいたイブプロフェンが効いているらしく,体温の急激な上昇は感じない。ただし腕は二度目並に痛く,倦怠感も出始めた。先が大変思いやられる。


----------------------------------二日目(水曜日)-----------------------------------
21時間経過(9時):37.2度。体温計を疑う程度には体調が悪い。しかし,過去の記録を見ると21時間後では大体同じようなことを書いていたので,毎回らしい。記録とはとっておくものだ。ほぼ熱だけ測って二度寝。仕事は当然休み。

24時間経過(12時):37.4度。どうにも眠くなくなって起床。あと腕が激痛で寝ていられないというのも少しあった。しかし,腕を除くと起きがけよりは体調が良く,すでに普通に活動ができそうな感じもしたが,念のためだらだらして過ごすことにした。買ってきたタンパク質を摂取し,解熱剤を投与。

27時間経過(15時):36.9度。24〜27時間頃で比較すると,過去で最も体調が良い。過去のこの時間帯で言うと,2回目は何もする気が起きなくて寝ているだけ,3回目はアニメとTwitterは消化していたが能動的な活動は不可能だったのに対し,今回は普通にブログを書いたり,仕事のメールをさばいたりしていたし,外出もできた。

33時間経過(21時):37.2度。活動しすぎてぶり返したか,引き続き過去の同時間帯よりも体調が良いものの,完全に回復したとも言いがたい程度には倦怠感がある。夕飯時に念のためのイブプロフェンを摂取。夜中は週末に登山の予定を入れる打ち合わせを友人たちとしていた。

約36時間経過(24時):36.9度。所感はほぼ3時間前と同じ。頭は元気,体はわずかにだるく,腕はまだまだ痛い。しかし,腕も痛くて眠れそうにないという段階は完全に過ぎた。


----------------------------------三日目(木曜日・文化の日)-----------------------------------
約48時間経過(12時):36.6度。ほぼ平熱。倦怠感もなく,腕の痛み以外は完治。むしろ腕だけずっと治らない。

4回めのワクチン接種



【完走した感想】
まとめると,4回目の摂取は2・3回目よりも副反応がかなり軽かった。1回目よりはちょっと重いくらい。発熱は最高でも37.4度で,2・3回目は38.5度まで上がったのと比べるとかなり低い。倦怠感は出たが,27時間後の時点から収まり始めたので早かった。腕だけは3回目よりも痛かったが,3回目にはあったリンパ節の腫れがなかった。今回はイブプロフェンの効きが良かったのか,今回こそタンパク質摂取作戦が効いているのか,4回目は治まるのが早いのか,理由は不明瞭である。今回は私の周りでも接種が進んでおらず,私がかなり早い部類だったために3回目並に出るという情報と比較的軽いという情報が両方とも出回っていた。ワクチン接種の際に医師に直接聞いてみたものの「まあ3回目くらいなんじゃないの」というあやふやな回答で,医師も含めてよくわかっていない感じはした。

今回早めに回復して気づいたことに,2・3回目の時の二日間寝込んでまだ回復していない絶望感というのは大きかったということがあり,今回の三日目の朝は爽快であった。やはり丸2日つぶれるか,1日しかつぶれないかは違うし,朝起きて倦怠感が重いと気力を振り絞るのが難しくなる。これくらいの副反応で終わるなら5ヶ月後に5回目を打ってもいいかなと思うが,第9波が来ているかどうかにもよるかな。  
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2022年08月28日

『「センター試験」を振り返る』を読む(2)実施概要編

・『「センター試験」を振り返る』(大学入試センター,2020年)
(1)から。予告通り,第三部の全年度の実施概要から,世界史A・Bの出題ミスに関する項目だけ拾い上げてみることにした。出題ミスのみで,問い合わせがあったこと等はどうでもいいものが多かったため省略している。こうして並べてみると1980年代前半の共通一次の開始直後は私大のようなミスが頻発しており,ノウハウが蓄積するまでの苦労が忍ばれる。共通一次が創設された理由の一つが「難問・奇問のあふれる大学入試に対する模範を示すこと」であったのだが,とはいえ当時は理想とすべき良問像そのものが固まっておらず,最初期の共通一次は現在で言うところの私大っぽい問題も多く,それも含めての試行錯誤期間だったと振り返ることができよう。

〇1980年の世界史,5
<問題>下線部 銑イら誤っている箇所を一つ選べ。【64】

7世紀後半に朝鮮半島の統一に成功した新羅は,唐の諸制度を受容し,中国風の郡県支配による中央集権国家をめざした。この国では骨品制と呼ばれる独自の身分制度が行われ,その都があった慶州には,仏寺・王陵・古墳など新羅文化をしのばせる多くの遺跡が今に残っている。

<解答解説>
手持ちの資料に1980年の問題がなかったのだが,ある友人が調べてくれて判明した。 銑イ全部正しいので,正解が無い。大学入試センターは即日で「誤りがない場合は⓪をマークせよ」という問題訂正を出したが,訂正が全試験室に到達した時刻が試験時間終了間際だったため,解答番号[64]については全員に点を与えることとした,とのことである。気になるのは新羅が郡県制であったかどうかはおそらく当時であっても範囲外ということである。なお,調べてみると,当初は州郡県制が採用されていたが,統一後に州が形骸化して実質的な郡県制となった。しかし,州郡県制時代の州は州府のある郡を州直轄地としていたため,形骸化後もその旧直轄地の郡だけは州と呼ばれていたらしい。非常にややこしい。これも踏まえて考えると,この出題ミスの要因は,
・とりあえず全部正しい文章を作って後から1箇所を誤りにするつもりが作業を忘れ,検討チームが「が正解なんだろう」と思い込んでそのまま校了した。
・共通一次の最初期なので範囲外を出してはダメと言う鉄則が守られておらず,かつ作問者が中途半端な知識で「新羅は統一後も州郡県制」と誤解したままを誤りとして作成し,検討チームも同様の思い込みでスルーしたまま,校了してしまった。
のいずれかであろうと思う。性善説(誤用)で考えるなら前者の方が可能性が高いだろうか。


〇1983年の世界史,第2問の問8
<問題>2 問8 次の文 銑い里Δ舛ら,誤りを含むものを一つ選べ。

 〜廚中国を統一したのち,遼は始めて華北の一部を領有した。
◆〜廚寮硝綿を支配していた西夏は,チンギス=ハンの軍に滅ぼされた。
 遼の支配下にあった女真(女直)族は,金を建てて遼を滅ぼした。
ぁ.侫咼薀ぁ瓮魯鵑蓮す餽罎鮓気板蠅瓩晋紊貌鄙廚鯡任椶靴拭

<解答解説>
◆Ν・い論喫犬如き,誤文=正解だが,それ以前の問題として「始めて」は「初めて」の誤植である。試験時間中に受験生から指摘があり,即座に訂正となった。いずれにせよ誤文だから正解が変わらずに済んだのではないか。それにしてもインターネットの無い当時で,よく訂正が間に合ったものだ。試験時間の序盤で指摘された上に,よほど手際が良かったのだろう。


〇1985年の世界史,第3問の問10
<問題>3 問10 下線部(編註:ビルマ,マラヤ連邦)について述べた次の文 銑い里Δ舛ら,誤りを含むものを一つ選べ。

 ‖萋鷦\こβ臉錣了,ビルマは日本の軍政下におかれた。
◆‖萋鷦\こβ臉錣了,マライは日本の軍政下におかれた。
 ビルマとマラヤ連邦は,同じ年に独立した。
ぁ.泪薀簣∨は,のちにマレーシアとシンガポールに分離した。

<解答解説>
 Ν△論喫検きはビルマ独立が1948年,マラヤ連邦独立が1957年なので誤文=正解。い癲ぅ泪薀簣∨にシンガポールが含まれないので誤文=正解。マラヤ連邦にシンガポールとボルネオ北部が合体してマレーシアとなり,その後シンガポールが分離した。マラヤ連邦にシンガポールが含まれていないというのは早慶レベルの知識であるが範囲内ではあるので,よくできる受験生ほど困ったのではないかと想像される。約35年前の早慶受験生の心情やいかに。大学入試センター当局から・い諒数正解を認める旨の発表があったとのこと。


〇1986年の世界史,第3問の問8の点字の問題文
<問題>3 問8 下線部┐亡慙△靴董(ハ)の地域(編註:地図中の山東省の位置に(ハ)と印字されている)にある膠州湾について述べた次の文 銑い里Δ舛ら,正しいものを一つ選べ。
(選択肢は省略)

<解答解説>
本問について,点字では漢字が表現できず,地図を表示できないため,「膠州湾」と「広州湾」が区別できないという指摘が入ったらしく,点字版は「コウシュウ」から「ニカワのコウシュウ」に変更するという訂正があった。点字に限定した問題の訂正であり,極めて珍しい。厳密に言えば出題ミスではないが,記録の意味で記載しておく。


〇1992年の世界史,第2問
<問題>2 1368年に建国した明では,永楽帝が1402年に遷都を行い,また使節を南海に派遣するなど対外的な積極策をとった。

問1 下線部,寮睫世箸靴得気靴い發里髻ぜ,劉 銑い里Δ舛ら一つ選べ。

 …弘造ら洛陽への遷都であり,これによって黄河中・下流域を制圧した。
◆〕賤曚ら南京への遷都であり,漢民族の建てた王朝として初めて長江以南に都を置いた。
 開封から臨安への遷都であり,これによって経済的に発展していた江南をおさえることができた。
ぁ‘邉から北京への遷都であり,漢民族の中国統一王朝として初めて北京に都を置いた。

<解答解説>
素直に考えればい正解だが,永楽帝の遷都は1402年ではなく1421年である。受験生がよくやる勘違いで,1402年は靖難の役が終わって永楽帝が南京政府を滅ぼした年であるが,実際にはその後すぐに北京に遷都したわけではなく,しばらくは南京にいた。確かにほとんどの教科書は大体この約20年をひとまとめに説明してしまうので,いかにも1402年に遷都したかのような印象を持ってしまう。だが,世界史の専門家がしていい勘違いではないだろう。大学入試センター当局から全員正解にした旨の発表があったとのこと。


〇1998年の世界史B,第4問の問8
<問題>4 問8 下線部┐亡慙△靴董ぅ凜Д肇淵爐瞭販運動について述べた文として誤っているものを,次の 銑い里Δ舛ら一つ選べ。

 ‘販運動を支える人材育成のため,19世紀末から東遊(ドンズー)運動が盛んになった。
◆.侫.鵝瓮椒ぁ瓮船礇Δ蕕蓮ぐ歐群颪魴訐し,反仏闘争を推進した。
 陳独秀らが結成したインドシナ共産党は,独立運動の主体となった。
ぁ‖萋鷦\こβ臉鏝紂ぅ凜Д肇淵爐量餌臆鯤闘争は,インドシナ戦争へと展開していった。

<解答解説>
「19世紀末から」が「20世紀初頭から」の誤り=正解。△論喫検は陳独秀が誤り=正解。い論喫検というわけで Νの複数正解である。大学入試センターから,論喫犬料枋蠅任△辰燭設定ミスであった旨の発表があり,複数正解となった。東遊運動はファン=ボイ=チャウが1904年に維新会を結成し,翌年に本人が来日し,同時期に日露戦争で日本が勝利したことで活発になった。そのため1905年に始まったとするのが通念である。出題ミスという判断は妥当であり,このような私大のような出題ミスをセンター試験が出していたのは,全く知らなかったので驚きであった。私は本問を受験生時代に過去問として解いているはずだが,全く記憶にない。赤本等は収録時に問題文を勝手に修正する癖があるので,20世紀初頭に直っていたのかもしれない。


〇2003年の世界史B,第2問の文章A
<問題>2 A 古代ギリシア・ローマではできる限り正確な世界地図を作ろうとする試みがなされた。下図は,2世紀ごろ活躍したアレクサンドリア出身の〔   佑僕獲茲垢襪箸気譴訝録泙任△襦C羸い貌ると〔   佑涼録泙亘困譴蕕譟ぅリスト教の世界観を投影した「世界図」が作られるようになった。しかし,13世紀になるとイタリアでは,商業の発達に伴い,実用的な地図が作製されるようになる。その後ルネサンス期に〔   佑涼録泙再発見され,それが印刷術によって普及したこと,そして大航海時代が到来したことなどによって,ヨーロッパにおいて正確な地図を作る本格的な試みが始まった。

問1 〔   佑凌擁は,天動説を体系化して,後のヨーロッパの天文学に大きな影響を与えたことで知られている。この人物の名として正しいものを,次の 銑い里Δ舛ら一つ選べ。

 .廛襯織襯灰
◆.廛肇譽泪ぅス
 エウクレイデス
ぁ.團織乾薀

<解答解説>
素直に解答するなら△離廛肇譽泪ぅスが正解だが,プトレマイオスはアレクサンドリアで活躍したが出身地は不詳である。「アレクサンドリア出身」という表現はあやういのではないかという指摘が当時にあったらしく,「プトレマイオスをアレクサンドリア出身とする教科書があったのでこれによったが,学術的には確認できなかった」として,「出身」の部分を事後的に削除とする措置がとられた。アレクサンドリア出身という事実が完全に否定されたわけではないので,問1を出題ミスとせず残したのは問題のない判断だったと思われる。本問も厳密には出題ミスではないが,事例として面白いので紹介しておく。


〇2008年の世界史A,第2問の問9
<問題>2 問9 下線部に関連して,原子力発電や核実験について述べた文として正しいものを,次の~い里Δ舛ら一つ選べ。

 仝胸厠枠電は,19 世紀に実用化された。
◆.▲瓮螢合衆国のスリーマイル島で,原子力発電所の事故が起こった。
 日本とアメリカ合衆国は,1963 年に部分的核実験停止(禁止)条約に調印した。
ぁ|羚颪蓮1980 年代に初めて核実験に成功した。

<解答解説>
,20世紀半ばの誤り。い1960年代の誤り。△正文=正解。が審議の対象で,部分的核実験禁止条約は一般にアメリカ・イギリス・ソ連の締結によって成立したとされるが,調印したかどうかで言えば,成立直後に多くの国が調印している。当然に日本も1963年の当年のうちに調印しているから,もまた正文=正解になってしまう。ここはの文は「に調印した」を「を成立させた」と変えるか,日本の部分を2008年当時にPTBT未加盟国に変えるべきであった。大学入試センターから◆Νいずれも正解とした旨の発表があった。

2015年・2020年の出題ミスはブログに取り上げた通り。2004年から2014年まで世界史Bはノーミスだったことから,2015年の出題ミスは「まさかセンター試験が」というような取り上げられ方だった覚えがある。しかしこうして振り返ると実はこの期間以外は5年に1回くらい何かしらあったということがわかった。
〇2015年:2015年度センター試験地歴の「やらかし」について
◯2020年:2020受験世界史悪問・難問・奇問集 その3(国立大)


その他の事件簿も相当に面白い。長くなるのでここに書き連ねるのは避けるが,1983年のココア缶破裂事件,1985年の数学「昭和の米騒動」事件,2005年の偶然の的中事件と英語のありえない天気予報事件,2019年英語リスニング「羽根ニンジン」事件(これはp.42でも作成秘話が語られている)辺りが好き。ココア缶破裂事件はなんというか牧歌的である。大学入試センターがこれだけ細かく話題を拾っているのには驚いたが,ここまでネタを拾っているのにPat様には触れていないのは不思議といえば不思議かも。あとは現代文・古文で話題になったものには触れていないので,そういう拾い方なのかもしれない。  
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2022年08月27日

『「センター試験」を振り返る』を読む(1)論考編

・『「センター試験」を振り返る』(大学入試センター,2020年)
気づいていなかったのだが,令和2年(2020年)12月,翌月に最初の共通テスト本試験を控えたタイミングで,大学入試センターが『センター試験を振り返る』という本を発行していたことに先日気がついた。インターネット上で公開されているので,誰でも閲覧可能である。これがけっこう面白い。以下,気になった点を羅列しておく。長くなったので記事を2つに分け,(2)は明日更新する。


p.45から始まる論考1「ボーダレス化する高大接続」。高大接続の難しさは高校教育と大学教育の大きな違いに起因し,欧米諸国ではその接続期間として予備教育期間がとられる(ただし欧州では進学予備課程として中等教育の末期に,アメリカでは大学学部教育に置かれていてタイミングが異なる)。日本の場合はアメリカの制度に近いものの,実際には学部学科がおおよそ決まった状態で入学するために学部教育が予備教育として機能していない(進学振り分けがある東大はまだしもアメリカ型に近い)。そのために高大接続改革がより困難になっている……という指摘は的を射たものだろう。そういう事情から入試が実質的な高大接続を一身に背負うことになってしまった。そう言われると,本来数年かけるべき接続のその重荷を入試という極めて短期間のものに背負わせようとしたこと自体が無理筋であったという筆者の主張には同意する。

そのような情勢の中で1970年代に共通一次が構想され,高校教育課程の達成度を図るのが一次試験,学部教育の適性を図るのが二次試験と切り離された。このために一次試験に対する大学側の関心が薄まり,一次試験は高校が実施主体であって大学ではないという意識が醸成された。筆者の「『共通一次試験』は高校の試験だと誤解する人々がいるが,共通一次は高大接続を意識した‘大学の試験’である」という指摘は重い。このために,2010年代に始まった改革では,センター試験に代わる共通試験では高校教育課程の達成度を測る「基礎」と,大学入学者を選抜する目的の発展の二段階に変えようという構想があったところ,基礎レベルのものは実質的に実装されなかった。受験生に二種類の一次試験を課すのは負担が大きすぎた。結果的に発展段階のものだけが残り,これが現在の大学入学共通テスト,いわゆる共通テストである。私は共通試験の二段階構想が当初にあって,早々に企画倒れになったことまでは知っていたが,その背景にこのような問題意識があったことは知らなかったので勉強になった。であれば確かに,共通テストの構想段階において「共通テストの発展レベルに大学入学者選抜機能を持たせるのであるから,国公立大の二次試験は小論文や面接のみでよい」という暴論がまかり通っていたのも多少は理解できる(この共通テスト導入に関する諸問題は拙著の3巻でもコラム2で詳述しているので,ご興味ある方は参照してほしい)。実際に共通テストがセンター試験よりも少し難しいことも,この頃の議論を引きずっているところがあるだろう。

高校教育課程の達成度を図るのが一次試験,学部教育の適性を図るのが二次試験という切り分け自体は私には誤った発想と思われず,便宜的ではあれども,結果的によく棲み分けていると思う。それよりも「一次試験」に対するというよりも「高校教育」に対する大学側の無関心こそが問題の中核にあるのではないか。これは,日頃に世界史の私大や国公立二次試験を解いているからこそ実感する。結局,大学側が高校教育への無関心を改めない限り,高大接続は上手くいかない。


p.77からの論考2「センター試験問題の作成と課題」。p.100からの4節では,センター試験の過去問からピックアップして,寄せられたクレームとそれへの対処・反論が述べられている。ここで注目すべきはやはり,弊ブログでも扱ったpp.107-108の「ムーミン事件」(2018年・本試験・地理B)の顛末である。
・センター試験「ムーミン事件」雑感
この顛末は端的に言ってひどい。「舞台ということで,「関わりが深い」といった意味を表したかったのであろうが,それをマスコミなどが杓子定規にとって」等と述べているが,「舞台」を「関わりが深い」という意味で解釈する方が読解力に問題があるとは思わなかったのだろうか。百歩譲っても,「問題文の文言が『舞台』では,杓子定規にとられる可能性がある」という指摘が検討段階で確実に出ていたはずであり(出ていないなら検討部会が機能していない),それを無視して強行した時点で大学入試センターにはマスコミなどに「杓子定規」という批判をする資格がない。何よりまずいのは「なお,この問題は,五分位図を見るとかなり適正と言える形と正答率を示しており,特に問題を外すといった措置を取ることはなかった」という部分である。上掲の通り,当時に私が批判的に総括した通りであり,選抜機能があれば事実誤認があっても出題ミスではないという独自の論理が大学入試センターにはあることが露見している。ついでに言うと当時の報道で「作問者,検討者の確保に苦労している状況なので,彼らの負担を増やしたくない」という理由が本問を出題ミスと認めない大きな理由として挙げられていたが,本論考はこの点に触れていないのは少し不誠実である。

p.117からは問題の難易度の安定性についてが考察されている。注目すべきはp.118の図表15・16やp.119の図表17で,浪人生は少数精鋭化していると言われているが,それが長期的な傾向としてデータで示されている。00年代前半に受験生だった身としては,90年代にはそこまで差がなかったことに驚いている。ただし,後述するように現役生には分厚い記念受験層が含まれていて,彼らの得点が低いために現役生平均点は実態よりも相当に低い可能性がある。本論考ではできればそこまでデータを分析してほしかったところ。


p.129からの論考3「センター試験志願者の受験行動と学力特性」では,共通一次からセンター試験への切り替わりでアラカルト方式が採用された結果,私大専願層や未出願層(完全には一致しないがほぼ記念受験層)が急激に増加したことと,国公立大受験者層も含めた分析が示されている。p.147の表が面白い。男女比で見ると,国立専願で男性が突出して多いのは理系が多いためだろう。女性の方が多いのは未出願層のみで,こんなところでもジェンダーバイアスが垣間見えてしまう。地域で見ると,私立専願は都市圏で突出して多く,逆に未出願は地方に多い。未出願層が約13万人,全体の20%を超えているというのは予想以上に多くて驚いた。本論考でも示されている通り,高校はセンター試験を高校教育達成度テストとして使いがち,あるいは記念受験させがちという推測で当たっていると思う。確かにセンター試験(・後進の共通テスト)は論考1の通りに高校教育の達成度を図るものであるが,これまた論考1の末尾に書かれている通り,センター試験はあくまで大学入学者のための試験であって,高校3年生全般の達成度を測る試験ではないから,そのような使われ方は想定されていない。

論考4は特に感想がなかったのでパス。(2)では,第三部の全年度の実施概要に触れる。  
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2022年08月21日

教育関係のニュースへのコメント(情報科目とか総合選抜型入試とか)

・「情報」が国立大入試で必須化、6教科8科目制に 「大学教育を受ける上で必要な基礎能力」(IT MediaNEWS)
→ 情報の教科書は読んだことがあるが,メディアリテラシー,基礎的なネットワーク知識や画像処理等に加えてプログラミングにも触れていて,普通に役立ちそうな知識・理解が多い印象。入試科目として必須にするのもありだと思う。なお,この国立大学協会の発表後に,各国立大学の個別の発表でもやはり採用する発表が次々になされた。
→ 心配なのは,増やすのはいいけど,その分どこかを削ってあげてほしいということだ。受験生の時間的余裕はすでに限界だと思う。ただでさえセンター試験から共通テストに変わって,数学を中心に難易度が上がっている。……というと古典を減らそうという声が聞こえてきそうだが,共通テストはそもそもアラカルト方式なので各大学の判断で古典を採用しないということはすでに可能である。個別の大学の判断としてなら別にそれでもよいと思うが,実際に古典を削る大学はなさそう。個人的な考えとして,理系も文系も理科・地歴公民を1科目に減らすというのは割りと現実的な解決策ではないかと思う。まあ,理系は二次試験で理科二科目課されることが多いので,大した負担減にはならないかもしれないが,それを言うと情報自体が理系の方が親和性が高い科目で文系の方が負担増が大きいとは思うので。
→ あるいは1000点満点を維持しつつ,各科目の難易度を下げるというのもありなのではないか。これはセンター試験に戻して難易度を下げようと言っているのではなくて,共通テストの方向性のまま難易度を下げるのはどの教科・科目もそれほど難しくないと思う。
→ なお,共通テストの情報のサンプル問題はすでに公開されている。興味がある人は解いてみるといい。情報科目については教員不足が懸念されていて,その意味での高校間格差が強くなりそう。同様の問題は地理総合も抱えているので,なんというか高校の管理職級の先生方も大変だなぁと(他人事)。


・共通テスト問題、試験中にSNSで流出か…東大生2人が知らずに解答返信(読売新聞)
→ よりによって世界史B。確かに地歴は東大生なら秒で解ける問題が多くて時間あたりの得点が高いという意味では効果的な教科選択ではあるが,大学入試の試験会場は警戒がけっこう厳重なので,よく撮影・やりとりができたなと思った。
・共通テスト不正に加担させられそうになっていた話(いちむら|note)
→ この手口は読んでいて怖くなった。共通テストは日時がかっちりしすぎているので気づきやすいけど,この人自身が疑っていた予備校の模試や資格試験だと,解くのを依頼される側がここまで疑うのは難しい(※ 現在では消えているが1/27当時の元記事には筆者の方が数学オリンピック予選で同様の手口で不正に加担させられた話も載っていた。数学オリンピック予選はオンラインとのことで,それは尚更不正を疑うのは難しかろう)。共通テストだけの問題ならまだしも世に存在する広範囲の試験で応用が効いてしまう手口なので,けっこう深刻である。依頼される側が疑わしい依頼には乗らないというのを徹底する,斡旋サイト等が注意喚起するというくらいしか対策が思いつかない。Yahoo知恵袋で聞かれていた時代が牧歌的に思える。


・成績が最もいいのはAO入学者 東北大、早稲田大の内部資料で判明(朝日新聞EduA)
→ AO(総合選抜型)入学者の方が大学在学中の成績が良い傾向があるのはけっこう有名な話で,総合選抜型批判は安易にできない。学力が重視されない,文化資本による抜け道という批判がされがちだが,近年は総合選抜型入試でもそれなりに学力も見ているし,まともにやっている入試だと合格するには高い意欲や,それこそ”まっとうな文化資本”が必要なので,大学在学中の成績が良い傾向が出るのは割りと納得する。
→ 個人的な本記事の見どころは一般入試組の成績が振るわない方の分析で,「大学合格が目標になっていて、入学してから伸びしろがない」,つまり入試が過酷すぎる燃え尽き症候群というのは鋭い指摘で,実際にあると思う。特に本記事で挙げられている早稲田大や東北大学といった,総合選抜型の入学者が「抜け道」と(的外れ気味の)批判をされてしまうような大学の一般入試だと余計にそうだろう。
→ それはそれとして,早稲田大理事の「一般入試に問題があれば大ナタを振るわなければいけませんが、大学全体や学部として一般入試を問題視しているという声を聞いたことはありません」という発言は相当にどうかと思う。どう考えても早稲田大の一般入試は問題がありすぎるので,学内でも問題視されていないならその方が問題では。地歴公民によらず,あの出題ミスの量だぞ……大ナタ振るってくれ。
→ ただし,日本の社会風土だと大学の評価は偏差値に拠りがちで,その偏差値は一般入試による評価であることから,現状の社会風土のまま一般入試の定員が減らされて総合選抜型に回されるのは問題がある。一般入試の定員が減ればそれだけ偏差値が上がるので,そこで大学の価値を上げることが可能になってしまう。総合選抜型の入学者が増えれば偏差値社会は脱せられるという主張を見かけることがあるが,そう簡単に変わらず,むしろこの種のマッチポンプに利用される危惧を先にすべきだろう。  
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2022年07月03日

【2022年版】上智大神学部の〔学部独自試験〕入試問題を解いてみた

昨年に問題が独特すぎて物議を醸した上智大・神学部の入試問題であるが,今年の問題も赤本に掲載されていたので早速解いてみた。結果から言えば,方向性は維持されていたが,随分と簡単になっていた。何よりも大きな違いは問題数である。2021年度には試験時間75分で,記号選択・語句記述問題が60問ほどに加えて,600字の論述問題が2問という分量であったが,2022年は試験時間75分は変わらず,記号選択が6問+語句記述が8問に,論述が40字が1問と200字が1問の計2問だけであった。記号選択・語句記述問題が約1/4に,論述問題が20%に減ったということになる。これだとかえって時間が余るのではないか。

それでも赤本は昨年同様に解答例を省略していた。通常の科目に当てはまらないものは解答を載せないという方針があるらしいことに加えて,解答者が確保できないために省略していると思われる。とはいえ赤本が載せていないということは,受験生が簡単に参照しうる解答例がネットや書籍に存在していないということである。問題数も少ないし,微力ながらここに全問の簡潔な問題文と,解答・解説を掲載しておく(易しい問題は誤答の選択肢を省略した)。Google検索でたどり着いた受験生の参考になれば幸いである。受験生以外の方は,腕試しに解いてもらえると,記事を書いたかいがある。


問1
Q.「主なる神は,土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり,その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」という章句がある書物の名前。(記号選択)
A.創世記の第2章7節だから,正解はエの創世記。これを落とすようではまずい。

問2
Q.「乳と蜜が流れる地」とも語られる約束の地,現在のパレスチナ地方にあたる地名。(記号選択)
A.ヒント大盛りである。正解はカナン。これも易しい。

問3 (1) 
Q.「イエスが言われた『それでは,あなたがたはわたしを何者だと言うのか。』…,『あなたはメシア,生ける神の子です』と答えた」という一節で,イエスの問いかけに応えている人物は誰か。なお,彼は十二人の弟子たちのリーダー的存在であった。(記号選択)
A.1つめのヒントは難しいが,2つめのヒントのおかげで易しい。正解はペテロ。なお,これはマタイによる福音書の第16章第15・16節で,この後に「わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。」という有名な一節が続く。どうせなら「弟子たちのリーダー的存在」というヒントを出すよりも,引用をここまで続けてペテロを答えさせた方が聖書理解としては本質的だったような気はする。

問3 (2)
Q.2019年11月に来日した教皇は誰か。(記号選択)
A.こう聞かれるとちょっと悩むが,要するに現在の教皇であることに気づけば容易。正解はフランシスコ。

問4
Q.「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は,初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので,言によらず成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。……。言は肉となって,わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって,恵みと真理とに満ち溢れていた。」
下線部を具体的に説明せよ(32〜40字)。
A.引用されているのはヨハネによる福音書の第1章1〜5節と14節。イエスは神が受肉してこの世に現れたことと,神=言葉=イエスであることを示せていればよいだろう。ここでいう言葉とはいわゆるロゴス,真理を示す言葉であるが,やや専門的な用語であるロゴスという語を出す必要はないと思われる。40字が短く,まとめるのが意外と面倒。

問5
Q.聖書に含まれる文書の名前が5つ問われた。4つの福音書の名前を順番に。また初代教会の発展の様子が描かれた言行録。(全て語句記述)
A.4つの福音書はマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ。最後は使徒(言行録)。5つめの問いがやや迂遠だが,言行録とつく文書がそもそも使徒言行録しかないので深く考えない方が解答しやすい。

問6
Q.「三日目に,ガリラヤに( 1 )で婚礼があって,イエスの母がそこにいた。その弟子たちも婚礼に招かれた。( 2 )が足りなくなったので,母がイエスに『( 2 )がなくなりました』と言った。……。イエスは,この最初のしるしをガリラヤの( 1 )で行って,その栄光を現された。それで,弟子たちはイエスを信じた。」
空欄1・2を産めよ。(いずれも記号選択)
(1)エマオ  カナ  サマリア  エルサレム  ベツレヘム
(2)ぶどう酒  塩  水  パン  お礼
A.知識問題ではこれが一番難しいか。これはヨハネによる福音書の第2章の1〜11節で,イエスが最初に行った奇跡で,婚礼の現場であるから,水をぶどう酒に変える奇跡を起こしたカナの婚礼を指す。したがって(1)はカナ,(2)はぶどう酒が入る。カナの婚礼はルーヴル美術館にあるヴェロネーゼの大作が有名で,私はこの絵のために覚えていたエピソードだった。なお,この章句が面白いのは問題では「……。」と省略されている部分である。マリアに「ぶどう酒がなくなった」とせがまれたイエスは「わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」と言って断ってしまうのだ。奇跡を起こそうと思えばいつでも起こせるが,こんなつまらないことで起こすようなものではないとでも言いたげである。しかし,マリアも断られたにもかかわらず,裏で婚礼の裏方として働いている召使いたちに「この人が何か言いつけたら,そのとおりにしてください」と言っていて,この後イエスはこの召使いたちに6つの水甕を水で満たすように指示を出して,この水をぶどう酒に変える奇跡を起こした。この不思議なやりとりは神学的には様々な解釈があるようだが,信徒ではない者が客観的に見るとイエスくんはアラサーにもなって反抗期だったのかなという感想になり,裏で根回しされているあたりマリアの手のひらの上で踊っている様子でほっこりする。『聖☆おにいさん』でもこの解釈でネタにされていた(44話)。

問7
Q.「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは,私も受けたものです。すなわち,キリストが,聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと,葬られたこと,また,聖書に書いてあるとおり(  )日目に復活したこと,ケファに現れ,その後十二人に現れたことです。次いで五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ,大部分は今なお生き残っています。次いで,ヤコブに現れ,その後すべての使徒に現れそして最後に,月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。」(コリントの信徒への手紙一 15:3-8)
(1) 下線部の「わたし」とは誰か。(語句記述)
(2) ( )に適切な数字を入れなさい。(語句記述)
A.(1)は文章の意味がとれなくても,親切にも出典を入れてくれているので,コリントの信徒への手紙の著者を知っていれば解答可能である。他の章句は出典を省略しているから,本問は出典で解いてほしいという明確な意図である。正解はパウロ。『新約聖書』に入っている書簡シリーズは,著者がパウロである場合には書名が宛先になり,パウロ以外である(と推測されている)場合は著者の名前が書名に入っているという法則性を知っていれば迷わない。(2)の正解の「3」は易しい。

問8
Q.神は,父と子と聖霊のという三つの位格を持っていると言われる。このことは一般に何と言われるか。漢字で記しなさい。(語句記述)
A.正解は三位一体(説)。これも易しい。本問の意図は三位一体説を採らない教派の信徒を落とすためにあるのでは。

問9
Q.神と人間との関係は,「救いの歴史」と言われるが,それはいったいどのようなことを意味するのか。問題文を参考にしながら160〜200字で述べなさい。
(編註:ここで言う問題文は第二バチカン公会議で採択された「神の啓示に関する教義憲章」の一部。長いので直接の引用は避ける。原文を読みたい人は赤本を買うか,カトリック中央協議会で販売されている書籍を購入してください。)
A.問題文として引用されている文章では,最初に神による天地創造から『旧約聖書』の語る人類の歴史をたどって,旧約の預言者たちが現れ,最終的にイエスが受肉したことが語られている。文章の最後では「受肉した神であるイエスこそが,我々の救済を確証する最大最後の神の啓示である。ゆえに,これを更新する新たな神との契約は無いし,イエスの再臨までは新たな啓示も期待すべきではない。」ということが主張されている。
この教義憲章としては最後のまとめの部分が最も重要そうであるが,本問の要求からすると割とどうでもよさそうである。その前段の説明の,神の救済はアダムの創造から始まること,その堕落を経て,アブラハムの一族すなわち後のヘブライ人が救われる民として選ばれたこと,この際の救済のアプローチは預言者たちを通した啓示であったこと。しかし,最終的にはイエスの受肉によって神自身がこの世に現れて啓示となったこと……というような感じで聖書の記述に沿った神と人間の関係の変遷をまとめるとよいだろう。制限時間が75分で,問1〜8までを解くのに30分もかからないであろうから,時間はたっぷりある。  
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2022年06月18日

2022年度・大阪大・地理の出題ミスについて

・大阪大学 文学部入試で地理の問題に誤り 新たに1人を合格に(NHK)
・大阪大で入試出題ミス、1人追加合格 地理歴史のグラフ数値に誤り(毎日新聞)
先日,大阪大学の今年の入試で,地理で今更出題ミスが発覚したというニュースがあった。調べてみたらこれがいろいろと興味深かったので紹介する。まず,その問題について。阪大自身が公開しているが,該当する問題だけここに書き写しておく。


大問1 問1 下の図1は,いくつかの地域の2018年における国際観光客到着数と伸び率(前年比)を散布図で表したものであり,図中の円の大きさと円内の数字は国際観光客出発数(単位:100万人)を示したものである。また,次ページの表1は同年における国際観光客の発地と着地との関係を示す資料である。図1と表1を参考にして,発着地の関係に言及しながら世界の国際観光客流動について説明しなさい(150字程度)。
阪大・地理2022_図1

阪大・地理2022_表1



このうち,誤りがあったのは図1である。出典がきっちりと書いてあるのでその資料を見に行ってみよう。その資料はすぐに出てくる。
・International Tourism Highlights 2019 日本語版(国連世界観光機関)
見比べると2点のミスがあるのがわかる。
々餾欖儻客到着数は正しいのだが,伸び率が全く違う。正しい伸び率で示されたグラフは以下の通りで,円の位置が異なるのが一目瞭然である。おそらく何かの拍子で到着数の大きい方から1・2・3・4・5%になってしまったのだろう。言われてみると不自然なほどに数字が綺麗である。結果的に実際よりもヨーロッパとアジア・オセアニアの伸び率が低すぎるグラフになってしまった。
阪大・地理2022_図1元データ

◆峭餾欖儻客到着数と伸び率(前年比)を散布図で表したもの」となっているが,グラフ中の円の位置が差しているのは円内の数字と同じ,つまり出発数になっている(国連世界観光機関の示すグラフは円の大きさも到着数であることに注意が必要)。したがって,本問のグラフ中には正しい到着数のデータが無い。たとえば実際には中東の到着数は60.5万人,アフリカの到着数は67.1万人であるので,両地域の円はこれよりもわずかに高い位置に来るはずである。また,図1ではアフリカの円が中東の円よりも低い位置に示されているが,実際には高い位置に来るはずである。

さて,本問のニュースバリューはいくつかある。


1.入試は2/25に実施されているのに,5/30まで全く発覚しなかったこと
まず何よりこれだろう。5/30に来年度の入試問題の作成のために担当者が確認するまで,誰も気づかなかったか,気づいてもミスだと判断しなかったということだ。毎日新聞の報道には「学外からも指摘があった」とあるが,産経新聞の報道を読むとこれは内部の指摘の後のことだったとのこと。偶然5/30頃になって外部にも気づいた人が出てきたのか,阪大が外部業者に検討を依頼したためなのかはわからない。

ともあれ,大手予備校はどこも解答速報で2/25から数日のうちに大阪大の地理の解答・分析を発表している。しかし,そのいずれでも図1については指摘が無かった。つまり,大手予備校の解答作成者は,この誤った図1を所与のものとして受け入れて解答を出している。並み居る受験地理のプロたちが見て,この図1を特に不思議に思わなかったということだ。高校地理は尋常でなく範囲が広い。本問を見て「旅行客数の動向も高校地理の範囲なのか」と驚かれた方もいると思われるが,これに限らず空港や港湾ごとの出入国者数のデータを用いた入試問題も頻出である。また,受験地理はデータを覚えていくものではなく,与えられたデータを所与のものとして思考し,解答を組み立てる科目である。もちろんデータを活用するために覚えていく必要がある知識はあるし,頻出のデータ(たとえば米の生産量・輸出量の国際ランキング等)も覚えていった方がいい。しかし,今回のような国際観光客到着数はそれに該当しないから,専門家としても今回の入試問題で初見であった人が多かろうと思われる。気づかなかったのはダサいとは,少なくとも私の口からは言えない。

しかしながら,一方ではこのようなデータのミスに気づくのに必要なのは,結局のところ思考力ではなく知識なのではないかという疑問は提示できる。近年の高校教育では「知識よりも思考力」ということが強く進められているが,思考力では本件のようなミスは防げないし,この種のミスは入試問題でなくとも,データを扱う仕事ならどこでも発生しうる。データリテラシーの基本はやはりその分野についての知識なのではないかという点で,本件は意外な難問を社会に投げかけているように思われた。


2.誤ったデータでも解答は作れてしまうこと
阪大自身が「回答は不可能ではないが、入試問題としては不適切」と声明を出している通り,また予備校が解答速報の段階で気づかずに解答を発表してしまっている通り,データが誤っていても解答が作れてしまうのは面白い。地理(というか地歴公民)とはそういう科目なのである。理科ならどこかで破綻するだろう。
たとえば,図1が正しいデータで掲載されていたとした場合の本問の解答のポイントは,
A.表1から域外観光客よりも域内観光客の方が多いことと,図1からヨーロッパの旅行客が多く伸び率も高いことを読み取って,ヨーロッパ内部の移動が活発であることと,その理由として移動の自由や高所得を挙げる。
B.アジア・オセアニアにも近い傾向があることを読み取り,かつ伸び率が最も高いことから中国の経済成長の影響を指摘する(データは2018年なのでコロナの影響は無い)。ちょうど爆買いの時期であることや平昌五輪の年であることをを想起・指摘してもよい(実際にInternational Tourism Highlights 2019の別ページにそういったことが書かれている)。
C.南北米や中東は国際旅行が盛んではない。アフリカは伸び率が高いが,ヨーロッパからの観光客が多いと推測される。150字という字数を考えると,A・Bに比べると重要度が低く,言及は避けた方が無難。
ということになる。一方,データとして誤っている図1で考察すると,Aは(低い伸び率を無視すれば)同じような推論が成り立つが,B・Cは全く違う結論になる。むしろ中東や南北米が高い伸び率であることや,ヨーロッパやアジア・オセアニアが低い伸び率であることに言及しない解答は不自然である。実際に各予備校とも中東の伸び率はオイルマネーによる観光地整備が理由ではないかとか,アジアから南北米大陸への旅行客が増えているのではないかといった感じで,がんばって理由をひねり出している。悲しいことにいずれも図1のデータ自体が誤っているので,これらの分析も間違っているのだが……データが違うので解答上必要な知識が全く違ってくる。

なお,上掲のリンク先の通り阪大は出題の意図を公開しているが,地理は全体的に一般論しか書いておらず毒にも薬にもならない。世界史や日本史がちゃんとした採点講評になっているのに比べると貧弱である。採点講評をもう少し具体的に書けば自らで出題ミスに気づけた可能性は高いと思う。阪大がこのように出題意図を公開するようになったのは2017年に物理で派手な出題ミスを出したからであるが,今回の地理は公開された出題意図が手抜きであったためにその反省が活かされなかった形になってしまった。少し残念である。


3.そもそも2018年の単年だけでの分析が適切だったのか疑わしいこと
国際観光客数のような数値は年ごと変動がかなり激しい。たとえば,この1年後の2019年のデータを見てみよう。
・International Tourism Highlights 2020 日本語版(国連世界観光機関)
この年ではなんと,中東が最もよく伸びている。奇しくも,図1の誤ったデータからひねり出された予備校の解答で出されている通り,やはりオイルマネーによる観光地整備の影響はあるのだ。アジア・オセアニアもよく伸びているが,2018年よりも伸びが緩いのは香港騒乱があったためである。平昌五輪や香港騒乱のレベルになってくると時事問題に近く,高校地理の分析対象なのかという疑問がちょっとあるし,そうしたノイズ含みのデータを受験生に分析させるのは酷だろうと思う。入試問題として出題するなら,たとえば5年平均のデータ等で問うと良かったのかもしれない。入試問題として少々安直だったかもしれないことは,念のため指摘しておきたい。


4.地理の受験生が12人しかいないこと
阪大で地理で受験可能な学部は文学部のみである。この文学部の一般選抜の定員は135人,受験者数は350人であると発表されている。選択科目は数学,世界史,日本史,地理からの1つであるが,その内訳は公開されてこなかった。今回ひょんなことから地理の受験人数が判明してしまったわけだが,思われていたよりも圧倒的に少ない。少ないだろうとは予想していたが,さすがにここまでとは。この数だと,予備校の解答速報に参加した講師の総計の方が多そう。採算が取れない。本邦の受験地理対策は理系の共通テストと東大受験以外にほぼ需要がないという話はよく聞くが,それが実証されてしまった。この受験人口の少なさも出題ミスが発覚しにくい原因であると思われる。

さすがに地理の受験生が少なすぎることに危機感を覚えた国による対策として地理総合の必修化が行われたわけだが,それで共通テストレベルの受験者は増えても,二次試験レベルの受験者が増えるとは思われない。国が本気で地理教育に力を入れたいなら,ここもまた対策が必要だろう。  
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2022年04月03日

ワクチン(モデルナ製)接種3回目の記録

2回目の記録はこちら。前回同様にTwitterで3時間おきに経過報告をしていたので,まとめておく。

準備:前回とほぼ同じだが,食料をタンパク質中心に変更。解熱剤(1回2錠でイブプロフェン150mgのもの)・ポカリスエット1.4L・冷えピタ1箱・ハムとベーコンとチャーシューと豆腐と納豆。直前の昼飯はケンタッキーで万全の布陣。またこれも前回同様,ワクチン摂取したのは木曜日の午後で,金曜日はあらかじめ有休にしておいた。


----------------------------------初日(木曜日)-----------------------------------

3時間経過(18時):36.3度。平熱。腕の痛み含めて不調無し。

6時間経過:36.7度。腕はやや痛いが1・2回目よりも痛みが弱い。ちょっと眠いがこれは単純な疲労だろうと思う。他は身体に変化なし。

9時間経過(24時):37.1度。ちょっと上がってきたけど,引き続き腕が少し痛い,眠い以外の症状は特に無い。この日は解熱剤無し,冷えピタ無しで寝られると判断。この時点では「さすがに量が半分だから症状も軽いな」等とのんきなことを考えていた。

-------------------------------二日目(金曜日)----------------------------------

18時間経過(9時):6時間ほど睡眠をとっていたが身体が火照っていて目が覚めた。これは前回と同じパターンであり,早速嫌な予感がした。熱を測ると体感は38度超えなのに37.4度でやや拍子抜けであったが,朝飯を食べたら解熱剤を飲んですぐに二度寝に入った。

21時間経過(12時):どうにも眠くなくなったので起床。熱は37.1度。体感はさして変わらず,なんとなくうっすらとした火照りと悪寒がある。食欲はあるので昨日大量に買ったハムを食す。前回はこの時点で38度を超えていて,かつ食欲も全く無かったので,かなりマシな状況。

24時間経過(15時):熱が38.0度に上昇。倦怠感も出てきた。結局のところ前回よりも体調悪化が遅かっただけかもしれない。頭は何とか働いているが書き物ができるというレベルではなく,受動的な作業なら可能だったため,さしあたって溜まったアニメを消化。平家物語の9話のBパートで号泣。眼精疲労からか,遅めの昼寝に突入して3時間ほど横になる。

27時間経過(18時):37.8度。昼寝から起床するも,体調は3時間前とさして変わらず。軽い倦怠感との戦い。チャーシュー中心の夕飯を食う。アニメ視聴よりは何かできるような頭になったので,固くない文章の読書等で時間をつぶす。寝続けるしかないよりは断然マシだが,能動的な作業ができないのはそれはそれで苦痛であった。

30時間経過(21時):37.4度。倦怠感が抜けない。

32時間経過(23時):38.8度。イブプロフェンが切れたのか急上昇し,結果的に前回よりも高い体温を記録した。一応1回2錠,間を3時間程度開けて1日3回までを守っていたのだが,こうなるならもう少し計画的に飲むべきだったかもしれない。実際に額を触ると如実に熱く,身体の火照りもここが最大。ただし,熱ほどの倦怠感はなく,引き続き軽い程度のものが持続した。起きたら下がっていることを期待して就寝。

-------------------------------三日目(土曜日)----------------------------------

42時間経過(9時):10時間睡眠。異常な寝汗と空腹で起床。さしあたってポカリスエットを飲み干してから入浴。ベッドを確認すると寝汗がひどすぎてパジャマも毛布も水没したような状況になっていたので,3回に分けて全て洗濯した。また,激闘の結果なのか,脇の下のリンパ節が腫れた。これは今まで無かった症状。最終的にこの腫れは五日目(月曜日)まで続き,腫れたまま出勤し,その日にやっと収まった。一方で腕の痛みはほぼ消えた。熱はまだ37.3度あったので解熱剤は飲んでおく。

45時間経過(12時):37.0度。倦怠感は改善され,ほぼ普通に日常生活が送れそうな雰囲気に回復した。書き物ができる程度に回復したので,午前中はブログの更新(白鵬引退記事)に勤しむ。早めの昼食を食べて体力回復傾向にあるせいか,猛烈に眠気に襲われたため,この後にお昼寝。熱はまだやや高いが,二度目の時も体調が回復した後もしばらく平熱まで戻ってこなかったので,そういうものなのだろうと思う。

50時間経過(17時):36.8度。5時間の昼寝。前回は接種後48時間のうち合計26時間も寝ていたようだが,今回も50時間のうち30時間くらい寝ていたので,実は大差がない。ただし,前回は起きていた22時間もほぼまどろんでいたところ,今回は意識がはっきりしていて,特に三日目突入後はかなり頭がはっきり動いていたので内情は少し異なる。

-------------------------------四日目(日曜日)----------------------------------

60時間経過(3時):37.0度。ほぼ日常生活に戻ったかに思えたが微熱が一向に引かない。また前述の通りリンパ節の腫れが残ったままで,ふいに脇をしめるとそこそこ痛い。そのために寝返りを打つと覚醒してしまいなかなか寝付けなかった。

69時間経過(12時):起床。36.8度。微熱と脇の痛みは全く変わらず。

3回めのワクチン接種



【完走した感想】
前回よりはマシだけどきついものはきつい。倦怠感が前回よりも軽かったのは良かった。前回よりも高い熱が出てしまったが,解熱剤接種のタイミングをミスったためだろう。食欲が前回よりは減退しなかったこともあり,タンパク質を多めに接種すれば副反応が和らぐ説を採用して食事はそうしたが,これは私に限って言えば効果が怪しい。逆に前回よりも辛かったのは解熱しきらずに延々と長引いたことで,前回は60時間後くらいまでに完全終戦したが,今回は80時間後くらいまで何かしらの症状が続いた。特に前回には全く無かったリンパ節の腫れが腕の痛みと引き換えに現れたことで,不意打ちだったこともあってけっこうこたえた。

4回目を打つかと言われると,公衆衛生への貢献を考えると打った方がいいのはわかるものの,さすがにちょっと躊躇する。デルタ株・オミクロン株に対応しておらずそこまで効果があるわけではないと言われてしまうと,この副反応の強さとは割に合わない。モデルナの方が副反応が強いことは知りつつ,30代男性という社会的に相対的に恵まれた属性であること,またそれなりに体力はある方だと思うので,甘んじてモデルナを打っていたところはある。しかし,計3回モデルナのワクチンに耐えたので,さすがに次くらいはファイザーの軽い副反応を体験してみたいというのが本音である。  
Posted by dg_law at 18:22Comments(0)

2022年01月01日

2022 賀正

あけましておめでとうございます。昨年はこのブログをご贔屓にして頂き大変ありがとうございました。今年もご愛顧の程をお願いします。

例年に従って,今年の目標を書き並べておく。(ここまでコピペ)

エロゲ・ギャルゲ:昨年は目標8本で,結果は4本であった。2020年は『聖剣伝説3』,2021年は『Satisfactory』と『サガフロンティアRemaster』で時間をとられた結果ではあるのでゲーム全体としてはそこそこプレイしているのは救いか。また,『アメイジング・グレイス』という稀代の傑作に出会えたのも良かった。今年の目標も8本としておこう。


美術館:昨年は新型コロナウイルス感染対策での閉館期間や夜間開館の中止・入場時間指定制等を考慮して目標は例年より大きく減らした15で,結果も同じく15であった。2022年はさすがにこうした規制は解除されつつあるし,2020年や21年よりも規制が悪化することも少なかろうと踏んで,17・18くらいまで戻したいところ。

旅行:2021年は2020年よりもさらに新型コロナウイルスに阻まれて,木曾(10月)・天浜線(10月)・美ヶ原&蓼科(11月)と下半期にがんばってはみたものの,例年よりも全然旅行に行かなかった。登山絡みの旅行が多いので,絡まない旅行を増やしてもよさそう。特に,以前からの目標である関西の東方の聖地(弘川寺や信貴山等),未踏県の青森・秋田には行きそびれているので,今年こそはこの2つに行きたい(ということを賀正記事に長らく毎回書いている)。

登山:昨年に登った百名山は美ヶ原・蓼科山・木曽御嶽山の3座。来年も4・5個は百名山を登りたい。候補地としては木曽駒ヶ岳・甲斐駒ヶ岳・立山(雄山)・丹沢・赤城山・浅間山(外輪山)・大台ケ原山・大峰山・荒島岳・白山くらいか。結局新型コロナウイルス次第なところはあって,旅行が制限されなければ荒島岳・白山・大台ケ原山・大峰山が候補になり,そうでなければ比較的近場になろうか。
  
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2021年12月03日

上智大神学部の〔学部独自試験〕入試問題を解いてみた

受験世界史の企画をお読みの方はご存じの通り,上智大は2020年を最後に一般入試の大部分で地歴公民科目の入試をやめて,共通テストと学部・学科別の独自試験で合否を決める制度となった。とはいえ上智大は学部・学科が非常に多いので本気でこれを実施するのかと半信半疑でいたのだが,2021年の赤本を見るに,本当に実施したので驚いた。しかも1つ1つがけっこう作り込まれていて,なかなか面白かった。たとえば文学部ドイツ文学科であれば,高校世界史の範囲のドイツ史とドイツ文化について論じた現代文の問題が組み合わされたようなもので,これなら確かに意欲と適性をちゃんと測れると思われた。やればできるのになぜ去年までやってなかったのか。

となるとやはり気になるのは神学部である。神学部で学ぶ意欲と適性を測る独自試験ってどうなるのか。募集要項には「キリスト教と聖書の基礎に関する理解力と思考力を問う試験」としか説明が無かった。文学部ドイツ文学科から類推するに,キリスト教について論じた現代文・小論文に,世界史・倫理の範囲のキリスト教知識を問う問題を織り交ぜるくらいが高校の各科目の範囲内で出す形になるだろうか。しかしながら,上智大は募集要項の一般入試の説明で「独自試験(学部学科適性試験)」と銘打っていて科目名を出していないのだから,高校科目の範囲という概念自体が存在しない。受験生が解けるかどうかは別問題として,何を出題しても怒られる筋合いは無いのであるから,むしろちゃんと高校世界史の範囲のドイツ史しか出していない文学部ドイツ文学科が心優しいだけなのである。そういう意味では上智大の赤本を読んでいて多少のがっかり感があったのは否めない。

……という前振りからわかると思うが,神学部の独自試験は「期待」に沿うものであった。私も一応は大学で西洋美術史をやっていたし,けっこうキリスト教は詳しいつもりだったのだが,まあ全然歯が立たない。あまりにも面白すぎたので共有したいと思う。



〔大問1〕
リード文に空欄が空いている形式の問題で,コンスタンティヌス帝のミラノ勅令だったりバビロン捕囚を引き起こした新バビロニアだったりと,41問のほとんどが普通の世界史・倫理知識で解答可能である。多少難しい・世界史・倫理範囲内か怪しいかなと思ったのは,紀元前8世紀に活躍した『旧約聖書』上の預言者「イザヤ」,『新約聖書』福音書のうちのマルコ・マタイ・ヨハネ以外で「ルカ」,シトー修道会のクレルヴォー出身の聖者で「聖ベルナルドゥス」辺りか。出題者からするとここは満点をとってほしいゾーンなのだろう。

〔大問2〕
ここはあまりに凶悪すぎて初見で爆笑した。次の空欄を埋めよ(一部のみ抜粋,選択肢あり)。

「愛の反対は憎しみではなく,( ア )です。この世で一番大きな苦しみは一人ぼっちで,だれからも必要とされず,愛されていない人々の苦しみです。」(マザー・テレサ)
「人生を愛すること。そして,愛されることの喜びそのものです。愛は( ウ )で,一番よく表現されうるのです。そして,今学びにあるあなた方は,この( ウ )が痛むまで( ウ )を学ぶのです。何故ならば,これこそが本当の愛の証だからです。」(マザー・テレサ)

「( カ )を探す人。それは神を求める者。それに気づいている,いないにかかわらず」(エーディット・シュタイン = 十字架の聖テレサ・ベネディクタおとめ殉教者)

「信仰とは神の( ク )に生涯耐えることだ」(カール・ラーナー)

「神の( コ )は,生き生きと生きる人間に表れる」(リヨンの聖イレネオ)

「神は( サ )していたのではない。一緒に苦しんでいたのだ。」(遠藤周作)

選択肢 “瓩靴漾´愛 E┛奸´さГ蝓´デ望すること δ戚曄´理解 ┛造蕕 
奉仕 真理 与えること 無関心 神秘 栄光 凝視


……これ空欄アとサ以外をすぱっと解答できた人いる? 私は無理でした。熱心な信徒なら高校生でも解答可能なのだろうか(反語なのではなく推測がつかない)。アは有名なのでの「無関心」,サもΑ崢戚曄廖ウは当て勘での「与えること」だろうと推測できた。また省略した空欄イ・キ・ケも知ってたり推測できたりしたのだが,カ・ク・コは本当に全くわからなかった。まずエーディット・シュタインさんis誰。リヨンの聖イレネオも誰。そんでもって赤本さんは解答を省略しやがったために(多分解答できそうな人を捕まえられなかったのだろう),自力で解答を調べる羽目になったのだが,空欄クの正解は「神秘」らしい(ググって出てきた訳は「不思議」だったが)。空欄コは「栄光」とのこと。空欄カはとうとうわからなかった。識者の人がこの記事を読んでいたらご教示ください(ガチ気味に平伏)。


〔大問3〕
ここも,大問2ほどではないが厳しい。同様に次の空欄を埋めよ。(一部のみ抜粋,選択肢あり)

「( ア ),イスラエルよ。私たちの神,主は唯一の主である。心を尽くし,( イ )を尽くし,力を尽くしてあなたの神,主を愛しなさい。(申命記6章4〜5節)」

「見よ,高慢な者を。その心は正しくない。しかし,正しき人はその( オ )によって生きる。(ハバクク書2章4節)」

「イエスはこの群衆を見て,山に登られた。腰を下ろされると,弟子たちが御もとに来た。そこで,イエスは口を開き,彼らに教えられた。「心の( ク )人々は,幸いである。天の国はその人たちのものである」」(マタイによる福音書5章2〜3節)

「私は( ス ),あなたがたはその枝である。人は私につながっており,私もその人につながっていれば,その人は豊かに実を結ぶ。(ヨハネによる福音書15章5節)」

仝斥奸´愛し 8澆い飽Δ傾腓い覆気ぁ´い屬匹Δ量據´タ人 λかな О擇譴襦´┷押
目覚めよ パン 自由 裸 貧しい からしだね 無心 安嵯匹傾腓い覆気
運じる 科欷遒掘´蓋亀ぁ´看塾蓮㉑聞け ㉒信仰 


……上智大の神学部を受験するなら『旧約』も含めた聖書の有名箇所くらいは当然暗記してるでしょってことですね。『新約』の方は私でも調べずに全部わかったので,『旧約』の方も有名な箇所なのだろうと思う。私はまずハバクク書を知らなかったが……十二小預言書から引くのはレアではないのか。聖書の文言はネット上に豊富にあるのでこれは調べればすぐに答えが出る。空欄アは㉑「聞け」,空欄イは─嶌押廖ざ欄オは㉒「信仰」が正解らしい。


〔大問4〕
最後の大問は,次の文章を読んで問いに答えなさいとあって,文章はこういうもの(あまりにも長いので一部のみ抜粋)。

「創世記冒頭の第一の創造記事によれば,人類を創造することが神の計画に含まれています。男と女を創造なさった後(中略)密接に絡み合う根本的な三つのかかわり,すなわち,神とのかかわり,隣人とのかかわり,大地とのかかわりによって,人間の生が成り立っていることを示唆しています。聖書によれば,いのちにかかわるこれら三つのかかわりは,外面的にもわたしたちの内側でも,引き裂かれてしまいました。この断裂が罪です。(後略)」(教皇フランシスコ回勅『ラウダート・シ ーともに暮らす家を大切に』カトリック中央協議会65〜66頁)

問題はこの文章を読んでの小論文なのだが,2問あってどちらも600字である。制限時間が大問1〜4まで合わせて75分であるから,時間が相当に厳しい。大問1〜3をあわせて25分で倒したとして,各25分で600字は埋められないだろう。ただし,配点の多くはこの600字2問であろうから,知識が全然ダメでもここで逆転できる可能性はある。問題の内容がこの回勅の視点から見た環境問題なので,確かに神学部で学習する適性を試すことができる問題だろう。


さて,2022年度用の募集要項もすでに出ているが,一般入試の文言は全く変わっていなかった。ということは,来年もまたこんな感じの問題が出題されるのだろうか。あるいは,あまりにも平均点が低かったりして,もうちょっと普通の受験生でも解けそうな問題に方針転換するだろうか。今からすでに待ち遠しい。変わらないとすると受験生の側は大変で……というよりも受験生はまず間違いなく信徒だろうし覚悟が決まっているだろうが,これを対策できる塾・予備校は日本に存在しなさそう。キリスト教系の高校にお勤めの聖職者の先生が一番受験対策できるという,まさかの展開では。  
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2021年08月07日

ワクチン(モデルナ製)接種2回目の記録

Twitterで3時間おきくらいに報告していたものを,補足してまとめておく。

準備:解熱剤(1回2錠でイブプロフェン150mgのもの)・ポカリスエット1.5L・うどん6玉・オールブラン+牛乳・冷えピタ1箱(6枚)。いずれも役に立ったので事前準備はほぼ完全に正解。しいて言えばポカリは早々に尽きたのでもう1本あってもよかったかも。また後述する事情でオールブランはほぼ食べず。また,ワクチン摂取したのは木曜日の午後で,金曜日はあらかじめ有休にしておいた。3連休とあわせて4連休だが,むしろ体調回復に費やされる気はしていた。

接種後3時間経過:熱は平熱の36.3度。まだちょっと腕が痛いだけ。今のところは1回目より症状が軽いくらい。腕の痛みに関しては最後まで1回目よりもかなりマシだった。1回目は接種後の丸2日間ほとんど腕が上がらない状態だったので。それはそれとして,左利きの人には同意してもらえると思うのだが,左利きは実生活上やむを得ず右腕を使う場面も多いので,「利き腕じゃない方に打てば大丈夫」がそれほど通用しない。この2日間も普通に右腕を使っていたので,1回目より症状が軽かったのは正直助かった。

接種後7時間経過:熱は平熱の36.3度。腕の痛みは悪化したが,腕の痛みに限定すればここがピークだった。体調の悪化は感じられず。夕食は準備したものではなく,他に買ってきたものを食べた。食欲は普通。

接種後9時間経過:熱は37.0度に上昇。体調は引き続き問題なし。ただし,普段ならすでに寝ている時間帯に入っていたが熱のせいか全く眠くなく,しばらく起きていることに決めた。

接種後12時間経過:熱は37.6度に上昇。普段それほど風邪を引かないこともあり,熱が本格的に上昇したことで「始まったな」という謎のワクワク感があった。軽い倦怠感が出てきたこともあり,午前3時を過ぎたので,夜食にうどん1玉を食して解熱剤を飲んで就寝。

接種後18時間経過:熱は38.2度に上昇。結果的にこれがピークだった。実は9時間ほど寝るつもりであったのだが,発熱により目が覚めた。自分の人生ではほとんどの無い経験であったので少し驚いた。悪寒や倦怠感はそこまで強くないが,強く火照った感じはした。食欲がごっそり落ちていて,胃は空腹を訴えているのに脳がそれを拒絶し,ちょうど喉の辺りで喧嘩をしている感じで,これも新鮮な感覚であった。準備していたうどんを1玉食して,解熱剤を飲み,冷えピタを貼ってPCをつけた。能動的になにかをやるには頭が呆けていて動かず,結局YouTubeかニコ動の溜まった動画を消化する方針に切り替えた。仕事を有休にしていなかったら地獄だった。

接種後21時間経過:熱は37.4度に低下。解熱剤がよく効いている。一方,倦怠感は悪化し,いよいよ動画を見ることすらしんどくなってきた。食欲不振もここが最大で,昼飯は朝と同様にうどんを1玉食べようとするも,普段なら10分で終わるところ,1時間近くかかった。これはダメだといろいろと諦めてお昼寝に移行。

接種後28時間経過:熱は37.8度に再上昇。7時間もお昼寝すれば当然なのだが,目が覚めてしまった。しかしながら倦怠感が強く,引き続き何もやる気が起きない。ここから冷えピタは張りっぱなしになる。また,ここでポカリスエット1.5Lが尽きる。

接種後30時間経過:熱は37.8度のまま。倦怠感は多少マシになった感じがして,少なくとも何もやる気が起きないところから,ネットの巡回と動画視聴ができるくらいには回復した。ピークアウトしたならありがたい……とこの時は思っていたが,この後もけっこう体調不良が長引くことになる。食欲があまり無い中,解熱剤を飲むためにオールブランを無理やり胃に流し込んだため,むしろそれが気持ち悪い。よくよく考えたら牛乳と解熱剤ってダメな組み合わせだよなということに気づき,オールブランの出番はこの1回だけとなった。次回(?)への教訓としておこう。

接種後36時間経過:熱は38.0度に上昇。ぶり返している。今振り返るに,解熱剤が効いていないのは牛乳のせいだったのだろうか。だとすると如実に出るものだ。接種後30時間経過のツイートをした直後に,気絶するように6時間寝ていた。7時間も昼寝しておいてさらに6時間寝れるのだから,よほど身体が疲弊していたか。あるいは,動画視聴くらいしかやることがなかったためにずっと何かしらを見ていたので,眼精疲労で眠気が来たのかもしれない。倦怠感はまだまだ強かったが,食欲が戻ってきていて,今回はうどん1玉を平常通り10分で食した。解熱剤を飲む。

接種後40時間経過:熱は37.0度に急速に低下。急激に下がりすぎてかえって怖くなる。体調もかなり回復した……ような気がしていたが,時間がなさすぎて2ヶ月ほど触れていなかったSatisfactoryを試しに起動したところ,見事に3D酔いした(普段なら5時間続けてやっていようが全く酔わない)ので全く本調子でないことを突きつけられる。それはそれとしてSatisfactoryめちゃくちゃ面白いのでお勧め(隙あらば宣伝)。

接種後48時間経過:熱は36.9度でほぼ変わらず。7時間ほど寝ていた。この48時間以内の睡眠時間が合計26時間で,我ながらよく眠れるものだと思う……というよりも大学生以降での最長記録ではないか。セルフ人体実験のような感覚もあったので「記録のためには起きておくべきだったな」という本末転倒気味な発想もなくはなかった。倦怠感が軽くなり,熱と腕の痛み以外はほぼ平常に戻った……ような気がしていたが,実験的に再びSatisfactoryをプレイしてみるも,まだなんとなく酔う感じはした。結局「映像の世紀」の録画が始まっているということを思い出して第1・2集を見ていた。Twitterの相互FFの人たちの報告ツイートや,リアルの友人・職場の同僚など10人ほどの報告からモデルナでも48時間くらいで平常に戻ったというものが多かったので,自分の治りは遅い部類に入りそう。残っていたうどんの2玉を一気に食べ,解熱剤を飲んだ。

接種54時間経過:熱は37.0度。ここまで(牛乳で飲んだ時以外は)ちゃんと効いていた解熱剤の効き目が薄い。倦怠感はかなり小さく,3D酔いもしなくなり,今こうしてブログを書けているように平常通りの活動には復帰できそう。熱が下がりきったら追記する。

モデルナ2回目接種


【完走した感想】
マジできつい。特に倦怠感の強さは人生で経験したことがほとんど無いレベルのものだった。ワクチンによる抗体がどの程度の期間効力があるのか,3回目以降の摂取時の副反応がどうなのか等が全くわかっていない情勢であるが,最悪のパターンとしてこれが1年1回来て丸2日奪われるのは間違いなくQOLが低下する。それでもCOVID-19になるよりは全然マシなので毎年打った方が良いと言われたら素直に毎年打つとは思うが,そんな危惧が生まれるとはつくづく嫌な世の中になったものだと思う。今回は接種日が木曜日だったので金曜日を有休にするだけで済んだが,月・火・水なら後ろ2日を有休にしておいた方が安全だろう。

セルフ人体実験としては腕の痛み・発熱・倦怠感のピークがそれぞれちょっとずつずれていたのがちょっと面白かった。単純に熱は解熱剤で下がるが,倦怠感には効かないということなのかもしれない。腕は痛いだけで赤みやかゆみは無し。悪寒は発生せず。副反応は大きく個人差があると言われているが,そこに一件の報告を追加するという貢献ができたかなと思う。  
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2021年03月13日

受験世界史悪問集についてのちょっとしたアンケートとお馬さんの話

今年の受験世界史悪問集について,ちょっとしたアンケートを行っているのでよければ投票してほしい。Twitterを持っていない方は本記事のコメント欄でもOK。分けてもいいかなと思うのは,例年見ていると大体初日にアクセスが集中していて,二日目以降がやや下がるので,ひょっとして分量が多すぎて読みきれていないのでは……と思ったためである。来週末に固めて投稿する場合は3/18-20,分ける場合は私大(早慶)編を3/19,国立編とおまけを3/25-26で投稿する予定。原稿自体は私大編は完全に完成していて,国立編は80%くらいの完成度。おまけはまだ構想中。



先にちょっとだけ話をしておくと,今年は早慶は比較的おとなしくて,国立はひどかった(ただし名古屋大は収録なし)。別記事のコメント欄で書いたが,上智大がほぼ全日程消滅してしまったので,代わりに明治大でもやろうかと思ったが,今週までに全日程の問題が収集できなかったので諦めた。しかし国立がひどすぎていまだもって原稿が書き終わっていない現状を考えると明治大はやらなくてよかったかもしれない。手が回らなくなっていた気がする。


これだけで終わらせるのも何なので,今大人気のあのアプリの話でも。私は家族の影響で競馬は幼い頃に見ていて,むしろ大人になってから見るのをやめてしまったというちょっと変なパターンの人間である。原初の記憶がメジロマックイーンとライスシャワーの春天,最後の記憶がダイワスカーレットの有馬記念と書けば,トレーナーさんたちはだいたい時期わかってくれるだろう。ということからわかる通り,アプリ版『ウマ娘』に登場する子たちはだいたい「原作」で把握している。スーパークリークとオグリキャップ以前がわからないのと,ゴールドシップが新しすぎてわからない(出てきてないけどキタサンブラックやオルフェーヴルも名前しかわからない)。あと,家族が「ステイヤーこそが真の名馬」という偏った思想を持っていた影響でマイラー・スプリンターはけっこうわからない。

そういう意味ではアプリ版はちょっと興味があるが,なにせ時間がない。ゲーム・エロゲが10本単位で積んであって,(雑誌で追ってるもの以外の)漫画はやっと4ヶ月前のものを読み始め,EU4とHoI4はそれぞれ一周やったところで年単位で手を付けていない,大相撲と美術館と登山(と温泉)だけは積むのができないので逆に消化できているという。仕事(本業)もぼちぼち忙しいし,上記の通り受験世界史悪問集も書いていれば,もう新しいコンテンツが生活に入る隙間はないので,まあ横目で眺めてます。そういう意味ではアイマスと同じポジションかも。まずゲームとエロゲを崩させてください。僕にオクトラをやる時間をください。

好きな子はライスシャワーです。「知ってた」って言われそうだけど,上記の通り「原作」でも好きだった馬なので。まあ,その辺の時代の原作ならそこそこ個人的エピソードがあるので,ブログには書けないけど,ウマ娘でのキャラ解釈とかと合わせて,リアル友人は会ったときにでも(飲み会が開きにくい社会状況ではあるが……まあいろいろ明けたら)。  
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2021年01月01日

2021 賀正

あけましておめでとうございます。昨年はこのブログをご贔屓にして頂き大変ありがとうございました。今年もご愛顧の程をお願いします。

例年に従って,今年の目標を書き並べておく。(ここまでコピペ)


エロゲ・ギャルゲ:昨年は目標10本で,結果は4本であった。引きこもり推奨で実際に引きこもっていたはずなのに全く消化できず。『聖剣伝説3』でかなり時間をとられたというのはあるものの,あまりにふがいなく。今年の目標は8本。

美術館:例年の目標である20であるところ,新型コロナウィルス感染対策により3〜6月はほぼ全面的に閉館。その後も企画展延期や中止,開いても入場時間指定制になったりで全くはかどらず,9回にとどまった。こうなってみて,美術館は「ふらっと行ける異世界」というところに高い価値があったのだなということに気づき,ちょっと魅力が落ちているところがある。入場時間指定制が解除になることはなさそうだし,今年は15くらいを目標にしておこう。

旅行:昨年は新型コロナウィルスに阻まれつつも伊香保温泉(6月),鳥取(9月),京都(10月),四国(11月)と下半期にそこそこ挽回した。しかし,またしても以前からの目標である関西の東方の聖地(弘川寺や信貴山等),未踏県の青森・秋田には行きそびれているので,今年こそはこの2つに行きたい。

登山:昨年に登った百名山は天城山・伯耆大山・四国剣山・石槌山(・谷川岳)。これも下半期に挽回して目標の4つを達成できた。今年も4・5個は百名山を登りたい。谷川岳は冬に行って厳密には登頂していないので,夏山登山で完全登頂といきたいところ。  
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2020年11月16日

大学入学共通テストの第二日程騒動について

・大学入学共通テスト 来年1月16日から予定どおり実施へ 文科省(NHK)
・共通テ、校長判断で第2日程選択(共同通信)
情報を整理すると,
◯通常の共通テストは1/16-17で実施。浪人生は原則として全員こちらで受験。
◯第二日程として1/30-31でも実施。基本的には通常日程で受験できなかった人のための追試だが,現役生に限り,通常日程を回避してこちらを本試に選択可能。ただし,「新型コロナウイルスによる休校等で学習が遅れたため」という理由に限られ,第二日程を本試験に選択するためには所属高校の校長の許可が必要。
◯さらに特例追試験として2/13-14でも実施。第二日程を本試験として出願したが,「新型コロナウイルスに感染した」等の理由で受験できなかった人のみが受験可能。ただし,特例追試験の問題は共通テスト型ではなく,旧来のセンター試験型になる。
ということになる。つまり,現役生は第一日程を本試(第二を追試)とするか,第二日程を本試(特例追試験を追試)とするか,選べるようになった。ところが。


・大学共通テスト、コロナ考慮の第2日程は志願789人(朝日新聞)
受験生の願書受付が終わった11月中旬現在,蓋を開けてみると第二日程を本試に選んだのは1000人未満,残りの約50万人は通常日程を選んだということがわかっている。第二日程や特例追試験は置くだけ無駄だったということである。事前の予測ではもっと第二日程に人が流れるのではないかと言われていたが,予測が外れた形になる。理由はいくつか考えられるが,調べた範囲では以下のような理由が大きい。

1−1.既存のセンター試験の追試は本試験の翌週であったが,共通テストの第二日程は新型コロナウイルスの隔離期間を考慮して2週間の間がとられた。しかし,1/31まで共通テスト対策のための受験勉強がずれこむと,多くの私大は2/1から入試日程が始まってしまうので,私大対策の時間が著しく減少して不利になる。たとえば関西大・関西学院大・立命館大はいずれも主要学部で2/1にもう入試日程がある。仮に国公立大専願だとしてもこの時期の2週間はあまりにも大きい。

1−2.さらに,万が一に第二日程を受験できず,特例追試験に回った場合は悲惨である。共通テストとセンター試験は出題方針が違うので,2週間で修正は難しい。当然,私大・国公立大対策の時間が追加で2週間削られることにもなる。しかも2/13-14は多くの私大の入試日程ともろかぶりであり(慶應大・早稲田大・青山学院大・明治大・立教大等),最悪の場合,どちらかしか受験できなくなることが想定された。多くの私大は共通テスト出願締切日の10/8よりも前に「特例追試験を受験することになった受験生はそちらを優先してもらい,その得点で合否を判定する」と発表していたものの,様子の見えない特例追試験で戦うのはあまりにもリスクの大きいギャンブルである。
しかも,最近まで対応を発表してこなかった慶應大学からは下記のような発表があった。
【慶應義塾大学 2021年度一般選抜】新型コロナウイルス感染症に関わる追試験について
慶應大学は「共通テストの特例追試験と本学入試の重複は考慮しない」,すなわち特例追試験を受験になった段階で経済学部と商学部は自動的に失格と見なすとのことである。この共通テストないがしろっぷりよ。ところで,この大学入試改革の音頭を取った中教審の元会長さんってどなたでしたっけ?

2.そもそも第二日程が設置された理由は「新型コロナウイルスによる休校等で学習が遅れた受験生がいるため」であるが,本当に数ヶ月に及んだ休校で学習が遅れていたとすると,わずかに2週間猶予が与えられたところで焼け石に水であり,1に挙げたデメリットを越えるメリットは生じえない。逆に夏休みが大幅に短縮されたために追いついたという高校も多いらしい。

3.第二日程選択に校長の許可が必要になったことで受験生の選択に学校が一定の責任を持つ形になり,受験生が特例追試験に回ってしまった際に1・2に挙げたようなデメリットから保護者とのトラブルに発展するのを避けるため,教員・校長が受験生を第一日程に誘導した高校が多いと考えられる。

やはり影響が大きいのは第二日程を本試とするには高校の校長の許可が必要としたことで,おそらく文科省や大学入試センターとしては第二日程・特例追試験を受ける受験生を可能な限り減らしたいと考えて,ねらってこの条件をつけたと推測される。目論見通りの結果が出て安心しているのではないか。だったら最初から第二日程・特例追試験なんて作らなければよかったのではないかと思われるかもしれないが,この発表があった6月当時の日本の新型コロナ狂騒ぶりを考えると,何かしら「入試日程にも対策を入れました」というアピールは必要だった。あるいは,そうしろと官邸に言われたのだろう。上掲の朝日新聞にもあるように全国高校長協会が「全体の日程を1カ月ほどずらすよう要請」もしている。この要請は拙速に過ぎた。受験生は文科省に振り回されたというよりも,狂騒に陥った世間と官邸と高校に振り回されたという方が正しいように思われる。

文科省や大学入試センターが第二日程・特例追試験を受ける受験生を可能な限り減らしたいと思っている理由は,特例追試験がセンター型という点によく現れている。センター試験においても追試は問題の出来が本試に比べると荒めだったり実験作だったりで,ちょっと解きづらいことがある。世界史でもたまに本試だったらボツになってそうな問題に遭遇する。大学入試センターの体力から言って,本試のクオリティのものを2本作るのは不可能なのであろう。しかも,共通テストはセンター試験よりもいずれの教科でも作成難度が明らかに上がっているから,さらに大学入試センターの体力が心配される。なお,週刊文春なので信憑性に欠けるものの,すでにこんな報道もあった。科目によっては共通テスト通常日程の質さえ疑われている。
・大学共通テスト 作成委員が告発 「倫理を選ばないで」(週刊文春)
ましてや,降って湧いた特例追試験である。「共通テスト型ではなく,センター試験型にさせてくれ」という泣きが入っているのは,大学入試センターに3本目の共通テストを作る体力が全く残っておらず,特例追試験は過去のセンター試験作成過程で一旦はボツにした問題を改良してなんとかするという算段なのではないか。とすると問題の質は自信を持って世の中に出すものではなくなる。この辺りの心理は私も例の企画を毎年やっているので非常によくわかる。第二日程や特例追試験で出題ミスでも出ようものなら,マスコミは鬼の首を取ったかのように大騒ぎするだろうし,私が担当者だったら辞めると思う。


以上のように大山鳴動して鼠一匹感もある騒動となったが,岡目八目的に言えば,第二日程や特例追試験に受験生が流れないようにする文科省・大学入試センター側の仕掛けや,それにより事前の予測が外れた辺りの「答え合わせ」,さらに慶應大の無慈悲勧告などは面白い現象だった。あとは,これからやってくる第三波でさらなる混乱が訪れないように祈るばかりである。入試日程中止なんてことになったら目も当てられない。  
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2020年10月12日

『ホーキーベカコン』全3巻(原案:『春琴抄』,漫画:笹倉綾人)

原案は谷崎潤一郎の『春琴抄』。ただし,よく見ると原作ではなく「原案:『春琴抄』」になっているように,大きくアレンジが入っている。あえて断言してしまうが,これは最高のリメイクである。『春琴抄』と『ホーキーベカコン』はどちらを先に読んでもいい。しかし,被虐嗜好を持つ主人公の佐助はともかく,春琴の描き方がかなり違うので,個人の好き嫌いはあれ,どちらを先に読むかで印象が変わってくると思われる。

そう,最も大きく異なるのがもう一人の主人公,春琴である。『春琴抄』の春琴は20世紀末以降の目線で言ってしまえば割とよくあるタイプの暴力系高飛車お嬢様ツンデレであって,そこに目新しさはない。昭和8年の作品に現代の目線から目新しいも何もなかろうとは思うが,『春琴抄』は加虐趣味・被虐趣味を前近代的な主従関係と重ね合わせ,文字通りの盲目的な愛に昇華させたことに焦点が当たっていて,春琴のキャラクターが作品の焦点というわけではない。その盲目的な愛は谷崎文学らしさがあり,またこれに谷崎の仕掛けた可能な限り句読点を用いないというねっとりした実験的文体も合わさって,『春琴抄』は文学的名作の地位を得たといえる。

しかしながら,それをそのまま漫画にしたのでは面白くない。前述の通り,現代にあっては春琴のキャラは目新しさに欠け,漫画にすれば実験的文体はなくなる。それでも忠実再現しただけでも,「古典的名作の忠実再現」という売り文句でそれなりの評価を得るものにはなっただろう。しかし,『ホーキーベカコン』はそうはしなかった。行った最大のアレンジは春琴の神格化である。『春琴抄』にある「春琴は37歳でも十は若く見えた」という原作の描写をさらに極端に「二十は若く見えた」と変え,つまりロリババアとでも言った方がいいほど年を取らない容姿に変えた。箏曲の腕も原案よりさらに極端な天才に変わり,性格も高飛車というよりは超然としているものに変わった。『春琴抄』の春琴は終盤にデレたが,『ホーキーベカコン』では最後まで折れない……というよりも超然としていてツンデレという尺度で捉えるのが不可能になっている。

同時に佐助の立ち位置も変わっている。『春琴抄』で終盤に春琴が佐助に心を許したのは,こんなにも暴虐を振るっていたのに,その報いとなる大事件が起きた後でも,まだ自分に盲目的に尽くしてくれている佐助を認めたからであった。他方で『ホーキーベカコン』では,佐助は春琴の特殊な理解者であり,春琴の神格化の協力者であり,暴力の共犯者であった。それゆえに春琴は原案よりもかなり早い段階で佐助に強い信頼を置いている。春琴と佐助の関係が明確に原案から離れたと言えるのが『ホーキーベカコン』第8・9話なので,『春琴抄』と『ホーキーベカコン』を読み比べる際に注目してほしい。

こうなると春琴の「盲目」も,持つ意味合いが変わってくる。単なるハンデではなく,超人的な人格を支える要素に読み替えられる。彼女の過剰な暴力性と佐助の献身も一種の聖性を帯びる。春琴の神格化を起点にして『春琴抄』の構成物の多くが読み替えられたもの,それが『ホーキーベカコン』である。そんな神の如き春琴は,佐助という最大の理解者を得て,何を目指したのか。これが『ホーキーベカコン』という物語の駆動力になる。

なお,タイトルの「ホーキーベカコン」という聞き慣れない言葉は,『春琴抄』で最上級の鶯の鳴き声として登場する。私は『ホーキーベカコン』の後に『春琴抄』を読んだのだが,『春琴抄』でこの言葉が出てきたときに,なるほど春琴を神格化したアレンジ作ならこのタイトルしかないとあまりの的確さに身震いした。このホーキーベカコンという鳴き声は『春琴抄』では取るに足らない小さなエピソードに過ぎないのであるが,『ホーキーベカコン』の描く春琴にとってはとてつもなく大きな意味を持つ。

総じて,矮小化して言えば20世紀末以降のオタク文化の粋が,逆に大仰に言えば約100年の日本文化の蓄積が,この改変を生んだと言える。少なくともロリババアという発見と経験がなければ本作は無かっただろう。見事という他ない。

最後に,谷崎は『春琴抄』を書く2年前の昭和6年に『グリーブ家のバーバラ』という短編を翻訳している。貴族の娘バーバラは絶世の美男子エドモンド・ウィローズと恋人の関係であったが,エドモンドは旅先の火事で美貌を失った。バーバラは結局別の男性アップランドタワーズと結婚し,エドモンドは失踪する。その後,エドモンドが旅行前に作っていた自らに似せた彫像がバーバラの元に送られてくる。彫像に執心するバーバラに対し,業を煮やした夫は彫像を破壊し,バーバラは発狂してしまう……というあらすじで,明らかに『春琴抄』の下敷きになっているが,男女が逆になっていたり,美貌が失われた後の反応も異なっている。『グリーブ家のバーバラ』は『ホーキーベカコン』でも言及されるので,両者を読む上であらすじを頭の中に入れておくとより楽しめるだろう。

春琴抄 (新潮文庫)
潤一郎, 谷崎
新潮社
1951-02-02



  
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2020年06月08日

今更ながらに実写版『ゆるキャン△』の感想を書いておく

実写版『ゆるキャン△』は,『咲-Saki-』の実写版が巷で言われているほど成功しているか? と思っている私でも,これは認めざるをえないほどの実写成功例だったと思う。無理に髪の色などを再現せず,逆にストーリーラインはあまりいじらずに雰囲気を重視したのが大変良かった。私は指摘されないとなでしこの髪の色がピンクじゃなかったのに気づかなかった。そのくらい演者が作品世界にマッチしていたと思う。

「原作再現度が異常に高い大垣」「油断すると美人になる大垣」のようなネタがコンスタントに投入されたのも好材料で,福原遥の志摩リンも主人公故にかえって注目されないが見事な陰キャ再現度だった。逆になでしこはそのままだと漫画的表現すぎるので,1話はそのきらいがあったが,2話以降は実はちょいちょい改変が入っていて自然な形になっていたのも良い調整。実写化失敗の最大の原因はキャストミス,次点でこういう調整であるので(『咲-Saki-』の実写版は私は後者のリアリティラインのミスがけっこうあったと思っている),どちらもミス無く通過したのは幸福なことであるし,制作陣の努力を評価していいだろう。なお,大垣については制作陣としても想定外の出来だったようだ。確かに,あれは予想したキャスティングだったという方がおかしい。
・『ゆるキャン△』キャスティングの妙、渾身の野外ロケで“化けた”実写ドラマ版。制作陣がこだわった「原作再現」の方法論とは?(エムオンプレス)

ただし,リアリティラインのミスについて一点だけ指摘すると,鳥羽先生の妹の「男と間違えられる」ネタをそのまま実写化したのは明らかにリアリティが無く,あれは声がなくて容姿もぼやける漫画だからこそのネタであるので,原作を踏襲しなくてよかっただろう。忠実な再現を期待する原作ファンの批判を気にしたのかもしれないが,そこは大胆にいってほしかった。

『ゆるキャン△』特有の要素で言えば,実写で見たいもの,美しい風景やキャンプめしをちゃんと再現できていたのも良い。ただし,これは順当に実写化すれば実現容易な部類のものであるので,制作陣の努力というよりかは『ゆるキャン△』が実写化向きの素材だったと評価した方が自然だろう。一方で原作には全く無かった要素ながら,入れて大正解だったのは「しれっと入り込むキャンプ系YouTuberひろし」ネタで,これは良改変だったと思う。『ゆるキャン△』が漫画ではなく実写の世界だったからこそ入れられたネタで,野クルの面々なら当然知っているというのはリアリティがあり,ひろし自身の「ゆるさ」も作品世界にマッチしていた。これもちょっと間違えると一気に世界観が崩壊する系統の改変であったので,お見事という他ない。  
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2020年05月17日

『だもんで豊橋が好きって言っとるじゃん!』1巻の細かい感想




他県から豊橋に引っ越し・転校してきた女子高生の主人公と,異常なまでに豊橋と東三河を愛している高校の先輩たちを中心とした日常ものである。三刷まで増刷され,AmazonやTwitterで感想を探しても地元民に大好評,誤りの指摘等を全く見ない。コロナ禍のせいで本書が出版されてからまだ一度も帰省していないのだが,駅前の精文館でめちゃくちゃ押されていたらしい。その様子は見たかった。


さて,本書を元豊橋市民が「あるあるwwwwww」と言いながら読んだので,以下に感想をネタの逐次的に書いておく。本書を手元に置いて参照し,一緒に「あるある」しながら読んでくれてもいいし,この感想を読んで購入の判断をしてくれてもかまわない。このブログを読んだ東三河民は,買って読んだなら自分のブログやTwitterで私の拾いきれていないネタを拾うことをお願いしたい。

以下,本文からの引用は青字。
たとえば,

〔1話〕
>「ら? らだけで確認言葉になるの?」
三河弁の鉄板ネタその1。なるんだな,これが。ただまあ方言とはそういうものであって,関西弁の「ええやん」が異様なまでに多義語になるのと同じ現象ではある。三河弁だと,元は語尾に「ら」「だら」をつけるのだが,しばしば手前の文が全て省略されて「だら?」「だらー」だけで返事がなされる。ここからさらに「だ」が欠落すると「ら」になるが,さすがに「だら」くらいは言う人の多いと思うw。東三河の女子高生は1分に5回は「だらー」と言っている説,割と信憑性が高い。


こんな感じで。

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2020年04月19日

クワガタムシ他の昆虫を絵画に仕込むこと

・ある絵画にクワガタムシが描かれたのはなぜかという議論(Togetter)

この件について。こういう静物画は17世紀のオランダだと珍しくないが,ドイツだと珍しいかも。とはいえ,昆虫を仕込むのは,実はヨーロッパの古典絵画で普遍的に見られる。昆虫を描くのは技量の誇示とだまし絵的効果が相場であるが,大概はハエを選ぶ。もちろん静物画に仕込むのはいわゆるヴァニタス,物はいつかは腐るのだという教訓の意味合いもあろうが,他のジャンルにも昆虫は闖入するし,象徴的意味合いだけでは説明がつかないものも多い。

たとえば,カルロ・クリヴェッリの聖母子の絵。一応,この絵では説明に「The apples and fly are symbols of sin and evil」とあるので,象徴的意味合いが込められているが,これにしたってどう考えても「こんなところに,場にそぐわないハエがいる」というだまし絵的効果をねらっているのは明白であり,そんなちょい役であるにもかかわらずやたらとリアルで影まで描いているという念の入れようは技量の誇示としか言いようがない。次に,ペトルス・クリストゥスの修道士の肖像画になると,もはや象徴的意味合いが後退している。デューラーの絵にも同じ仕掛けのためにハエを描いたものが何点かある。その上で言えば,クワガタという選択は確かに珍しい。好きだったのか何かの象徴か。Togetter中で紹介されているが,クワガタムシを描いた絵画だけを集めた画集があるようで驚いた。西洋美術史学,層が厚すぎて何でも特集になる。

クワガタムシはおいといて,ゲオルク・フレーゲル(Georg Flegel)の方は,1566年オロモウツ生まれ,1597年フランクフルトで親方の資格を得て1638年に死ぬまでここで活動。ドイツの初期の静物画家としては重要とされているので,そこそこ有名らしい。私も知らない画家だったが,確かに盛期オランダの静物画ですって言われてもだまされるくらいに上手い。英語版Wikipediaを信用するなら,オランダに移動してユトレヒトの聖ルカ組合に入っていたかもしれないと言われているらしいので,画風から言えば納得感がある。ただし,その説自体はかなり疑わしい(ドイツ語版WikipediaにもRKDにもその記述が無い上に,当人に移動するメリットもあまりない)。一応,花の絵に長けていた弟子のヤーコプ・マレルがユトレヒトで活動していたのは確かなようなので,つながりが全く無かったわけでもなさそう。ちょっとマイナーな画家を調べる時のWeb Gallery of ArtとRKDのサイト便利すぎるな?

さて,ゲオルク・フレーゲルの他の絵を探してみるに,Togetter下段で出てくるトンボの他にカナブン,カミキリムシ,テントウムシも描いているし,当然のようにハエの作例もあったので,フレーゲルさんは単純に昆虫好きだったのではというのが結論で良さそうである。昆虫ではあるのでヴァニタスの添え物としての寓意はあれど,ハエではなく他の昆虫という点に理由を見出すのは難しそう。なお,ポスターを売っているサイトではあれ「This skilful painter Georg Flegel is well-known for his unique work Still Life With Stag Beetle.」という表現は見つかった。

西洋美術史学の研究の広さ・深さを考えると,ドイツ語文献なら確実にゲオルク・フレーゲル単体の研究があるはずだが,さすがにそこまでは調べる気力が無かったので,私の中ではこの件はここまで。興味ある人は調べてみてほしい(&報告してほしい)。
  
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2020年04月12日

見知らぬ宛名でAmazonから荷物が届いたらどうするか

ちょっと不思議な事件に遭遇したので,書き残しておく。今から何ヶ月か前の話である。

ある日,帰宅すると郵便受けに全く見に覚えのない郵便物が届いていた。Amazonで購入したことになっていたが,当然ながら買った覚えもない。大きさ30cm程度の小包みで,段ボールではなく厚紙の袋による包装であった。住所は正しいが,宛名は間違っているのがポイントで,これは単純な配送ミスではない。ググると,多種多様なAmazonの配送ミスの報告が見つかるが,厳密に言えばAmazonのミスでもないからか,このパターンは見つからず。誤配送の原因としては,前の住人が引っ越したのを忘れて配送させてしまった(あるいは引っ越しを知らされていない友人からのサプライスプレゼントだった)というものがまず推測されうるが,私がこの家に住み始めてすでに10年以上経過しているから,その線は薄い。次の可能性として,部屋番号の書き間違えの線で考えて大家さんに確認するも,「この姓の住民はいない」「記憶の限り,最近いなくなった住民ということもない」ということであった。うちのアパートは民泊や又貸しがありうるとも考えづらい。とすると,この辺はアパートが乱立しているから,部屋番号はあっていて番地が間違えてしまったという可能性も浮上する。そうなると個人ではどうしようもない。

住所が正しい以上は配送者にミスはないのだが,配送者を確認しようにもなんと未記載。そんなことある? と思うかもしれないが,あるのである。証拠写真を撮っておけばよかった。悪名高いデリバリープロバイダの仕業かもしれないが,過去の経験上それでも「デリバリープロバイダ」とかなんとか入っているので,本当に配送者の名前がどこにも無い小包みとなると初めてであった。開いて中を確認しようかと思ったが,万が一犯罪絡みの物体だと巻き込まれかねないので,やめておいた。振ってみた感じだとシャカシャカと鳴っていて,小さい粒状のものが大量に入っているように思える。サバゲー用の銃弾かなにかだろうか。

大家さんは「どうせ大したものじゃなさそうだし,とられてもいいやの精神で,アパートのロビーに置いといてみれば? このアパートの住民のものだったらそれで気づくでしょう」と言っていたので,「心当たりある人は持っていってください」の張り紙を貼って実行してみた。しかし,一週間経てども変化なし。これはどうしようもないなと思い,最終手段としてAmazonのカスタマーサービスに電話した。対応自体は丁寧であったし,お詫びとしてAmazonポイントをくれたが,Amazonとしても比較的レアケースだったようで,経緯の説明自体は割とスムーズだったのだが,電話が途中で長らく保留になった。上長に確認していたか,ちょっとした緊急会議にでもなったのだろう。結局20分ほどの電話の末,最終的には「そのまま廃棄していい」「もしよければ着払いでAmazonの倉庫に返送してほしい」と言われた。単純な親切心で後者を選択。なお,後者を選んでも追加のAmazonポイントがあったりするわけではないので,親切心以外のインセンティブが全く無い。大概の人は面倒で前者を選ぶと思われる。

ちょっと驚いたのは,Amazonとしては,住所さえあっていれば,誤配送された人の勝手で捨てていいということだ。しかも本当に捨てるかどうかAmazon側が確認しないので,実際にはその人が自分の持ち物にしてしまう可能性もある。法律論には詳しくないのだが,要するに誤配送された人が事実上の所有権を得ることになるわけで,大丈夫なのだろうか。本当は着払いでの返送を義務化するべきなのだろうが,かなり面倒であるので実際にはやってくれる人が少なそう,という推測は簡単に成り立つので,Amazonとしても仕方なく前者の選択肢を用意しているということと思われる。

そういうわけで,その電話の翌日に最寄りのクロネコヤマトに行って,カスタマーサービスの人から送られてきたメールに記載されたAmazonの倉庫宛に(ちなみに千葉県市川市だった),着払いで返送した。なお,Amazonは自分が顧客に物を送ってくるときはデリバリープロバイダを使ってくるくせに,返送はゆうパック・佐川・ヤマトの3択を指定された。伝票には「注文していない商品が届いた」というメモ書きを付してほしいという指定だったので,ヤマトの受付の人に書いてもらった。これにして一件落着である。その後どうなったのかは特にAmazonから報告がないのでわからない。正しい宛名に届いたのかはちょっと気になっている。プライバシーがあるから難しいと思うが,どちらかというとAmazonポイントではなくその結果が知りたかったところではある。
  
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2020年03月24日

「表現の不自由展 その後」と表現バッシングについてもう少しだけ

・「あいトリ」騒動は「芸術は自由に見ていい」教育の末路かもしれない(森 功次)(現代ビジネス)
→ すでにあいちトリエンナーレの「表現の不自由展 その後」については一筆書いているが,この記事に引っ掛けてもう少しだけ言及しておきたい。

本記事には同意しかない。本件に限らず,自由な解釈が許されているのと,誤読が許容されているのは全くの別物というのはこの社会に蔓延している間違った観念である。「 批評には正解はないけど間違いはある」というさる方のブコメの言い方も良い。これが芸術性の無いものならばほぼそうならないところ,小説や美術作品になると途端にこうなってしまうのは,本記事のタイトルの通り,学校教育の美術で「自由な鑑賞」が過剰に強調されてきたために社会に広がってしまったものだと思う。

ただし,仮に読解が難しいもの,高い専門性が無いと読み解けないものや文脈が込み入っているものは,それを提供する側に誤読された時の対処方法や覚悟の準備が必要だと思う。これは『宇崎ちゃん』ポスターバッシング事件の時にも述べた通り。実は最近まで本件と『宇崎ちゃん』騒動を表現の自由の点で並べるのは相違点が多すぎるだろうと思っていたのだけど,一般社会に対して難読文脈の理解をどこまで要求してよいかという点で見事に類似するので,一転して比較は正しいという立場に変わった。これらの件で立場を変えている人は,(文脈の中身が違いすぎるので)不誠実だとは思わないが,態度に説明は求められるとは思う。

閑話休題,そういうわけで私はあらゆる場面で誤読する側が悪い,ということになるとは思わない。社会の平均的な知識・興味関心の人にとって,読むのがどうしたって難しいものは世の中にいくらでもある。その上で言えば,この「表現の不自由展 その後」は社会に対して正しい理解を求めていいレベルのもので,すなわち良い意味での浅さしか有しておらず,なんなら『宇崎ちゃん』よりもわかりやすいものだったと思う。にもかかわらずこれだけの誤読が,それもそれが絶対的に正しい解釈であるという思い込みを伴って広がってしまったのは,本記事でも指摘されている通りに現代アートに対する嫌悪が社会にしみついていることであろう。これについては私自身も現代アートは嫌いなのでわかるのだが,企画した側が社会の抱く現代アートに対する嫌悪感をあまりにも軽視していたし,それがナイーブな政治問題と直結した時の想像力が欠如していたということを,やはり指摘しておかなければならない。そこは原則論で通さず,現実に対応するのが主催者の責務であろう。

ちなみに,私が今までの表現バッシング事案で最も「社会に要求していい文脈読解レベルが低いと思われた」「にもかかわらず批判側の誤読がすさまじかった」「誤読を指摘されても開き直りがひどかった」と思ったのはキズナアイバッシング事件で,今振り返ってもあれは自分の中でもインターネット論争史の中でも一つのターニングポイントだったなと思う。  
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2019年12月07日

「『宇崎ちゃん』バッシング騒動の雑感」に対する反応への雑感

はてブ等でいろいろ反応をいただいたので,コメントする価値のあるものだけ追加でコメントしたい。なお,これは1.コメント者に応答を求めるものではなく,あくまで第三者の読者にむけた追加のコメントである。2.はてブは基本的に記事主からの応答を求めるものではないと自分では解している。私自身,そのつもりでないブコメに大して記事主に応答されるとビビる。3.興味深いコメントの内容が必要なのであって,今回は誰が発言したかは考慮するつもりが全く無い。4.そもそもlivedoorブログからはてブにコールする直接的な手段がない。5.本編はあんなに伸びると思っていなかったのでかなり端折って書いたので,実は補足の口実としてはてブを使いたいだけ。という5つの理由から,idコール等はしない。また,この話題を長く続ける気はないので,本記事についたはてブやコメントには基本的に反応しません。


>宇崎花というキャラ自体に性的目線が多分に含まれていることは否定しようがないのでは
これはその通りで,私はキズナアイバッシング騒動の際に「「かわいい」と表現するには性的なニュアンスが大きすぎるし(かわいいが多義的すぎるというのもある),エロいと表現するには言葉が強すぎる(そこまで直球に性的でない)表現のために「萌え」という言葉が生まれたのではないか」と主張したが,萌え絵全般とまでは言わないにしても,『宇崎ちゃん』の系統の萌え絵に性的な要素が全く無いとは,とてもじゃないが言えない。あくまで個々の絵で見た時にどこまで「薄まっているか」,または「主な焦点から外れているか」という主張しかできないのである。一例としてはてブに『宇崎ちゃん』のおっぱいマウスパッドを挙げていた人がいたが,同じ作品であっても,一枚絵としてのアピールポイントをずらせば当然そういう売り方もできる(ただし同時におっぱいマウスパッドだけを持って『宇崎ちゃん』を語るのも恣意的すぎる)。

だから,批判派の人の言う「性的な要素がそれなりにある作品とはコラボすべきではない/慎重にコラボせよ」という主張は,私は積極的な賛意を示さないにせよ,一つの意見として理解・納得する。また,この意見は当事者の日赤が一考する必要があるとも思っている。これは書こうか迷って本編には書かなかったのだが,日赤はある程度の確率で事故るという予測が立ったならば,冷徹な判断を下す立場にあった。3巻の発売を記念したコラボだったとしても別の絵を使うなり描き下ろしてもらうなりできたはずで(その他の工夫もありうる),適切な絵を用意できなかったのならば時期をずらすなり流すなりという判断は可能であったはずだ(無論のことながらこれは非情で冷徹な判断になる)。私はこのコラボ以前に『宇崎ちゃん』は読んでいなかったのだが,仮に読んでいたとして,コラボで3巻の表紙が出てこなかったら,「あー,あの表紙だと炎上しそうだよね」と納得していたと思う。この意味で「文脈を理解しなければ性的表現とみなされるものの扱いにも配慮が必要」と書いていたブコメの指摘は正しいし,そのままずばり「「そういう広告ではない」ならそういう広告には見えないような絵柄を選べばよかったのでは」と書いていたブコメもあった。

熱心な擁護派の方は「こちらに悪いところが無いのだからそんな譲歩なんて必要無いだろう」と思われるかもしれないが,こういうのは過失の有無にかかわらず事故ったら負けである。特に献血レベルの公共性だとハードルはどうしても高くなる。極力事故らないことを目指すなら,批判派の主張に耳を傾けても損はない。この点で,どう探してもキズナアイ本人にもNHKサイドにも落ち度が小さすぎたキズナアイバッシング騒動とはやや異なる。あんな事故は避けようがない。


>乳袋表現自体が(性的アピールを含んでいるのは否定できないので)どうしたって不快に思う人が出てくる表現では
これは上の変形で,意外かもしれないが私は異論はない。どんな文脈があろうが不快なものは不快という表現もあろうし,乳袋は特殊すぎるので合わない人はオタクにもいるくらいだから,何を言われてもドきつい性的アピールにしか見えない人もいるだろう。ただし,「不快」なだけで自主規制を求めるのは現代社会にそぐわないとも思う。だから現代社会では,自分の感じたその不快さの奥にある原因が,差別・偏見等の何らかの明らかな社会的悪に明確に起因したり影響したりするものではないかというのを見出して,そこを戦場にしているわけで。そこが戦場であるからこそ,私はあの記事で「『宇崎ちゃんは遊びたい!』という作品が”そういう作品”ではないので,女性の社会的地位を低めようとする風潮を強める効果があるとは言えない」という主張したのであって,そこは汲んでほしいところ。


なお,萌え絵の差別性については,やや話がずれるが,重度の萌えオタにして西洋美術史家の松下哲也氏はこんなことを言っている。

もう少し詳しい話はこの記事で,さらに詳しい話は本記事で紹介されている氏の著書を参照のこと。
・キャラクターデザインのルーツはロマン派の画家、ヘンリー・フューズリ?絵画研究者・松下哲也インタビュー(Zing!)
萌え絵どころかキャラクター絵は,美術史学のディシプリンに則って研究し,そこで出自にさかのぼって考えると割ととんでもない話になっていくというのは,以後も「萌え絵/キャラ絵論争」をやるなら擁護派も批判派も押さえておくべきであろう。


>宇崎花というキャラを愛でたいのなら,乳袋表現は不要だったのでは
これに対するコメントは3つあって,1.3巻発売のコラボだったのであの絵である必要があったのであって,乳袋表現だからあの絵が使われたわけではないから,指摘がちょっとお門違い。ただし,上述のように事故を避ける方策はあったのではないかという点では「不要」という意見に反対しない。しかし,2.作者の丈先生のカラー絵の宇崎花の描き方自体が乳袋寄りなので,これはもはや絵柄の問題であり,コラボ用の絵だけ乳袋ではないというのは不自然。したがって乳袋が目立たたない絵は用意できたかもしれないにせよ,「不要」とまで言い切るのは絵柄自体への批判に近く,ちゃんと指摘するにはもう少し繊細な議論が必要。3.少なくとも巨乳自体は,本論で書いたように宇崎花の「ウザさ」の象徴としてキャラに不可欠であり,切り離して考えることはできない。繰り返しになるが,3巻表紙絵の乳袋はその意味での巨乳の強調のための表現であって,性的アピールには直結していない。


>世間はオタクの文脈を理解しようなんて思ってないのでは
この種のコメントは複数あったが,さすがに時代・地域が変われば常識なんてすぐに変わるとかいう一般論から説き起こさないとダメとは思いたくない。また,多様性が尊重される社会を形成するならば,この文脈理解を世間に求めても許されるはずでは。加えて言えば,この種の萌え絵批判は前出の松下哲也氏により「暴論」と批判されているように,さすがに一つの文化をバカにしている水準であるので(引いては”文化”というもの概念をバカにしていると思う),バカにされない水準くらいの理解は求めても不当ではないと思う。なお,この話を徹底して詰めていくと,現状の世間が理解していない深さの文脈を求める文化は世間の表舞台から排除されてよいということになり,「現代アートとかいう深い文脈を読まないと理解できないジャンルに公金突っ込むのはバカバカしくない? それに『平和の少女像』は見ていて不快だから展示しないでほしい」という意見に限りなく近くなっていくのだが,それでいいのかは考えてもらいたいところ。あと,理解を強要しているのではなく,理解が浸透するのを待っている(あるいは擁護派に努力すべきと呼びかけている)のであって,「今すぐ理解してくれ! 理解しないお前らが悪い」とは全く言ってないし思ってもいない。

>仮に日赤のオリジナルキャラとしてこの絵が出てきたとしても批判されるのでは
さすがにこのレベルの誤読は悲しい。私は記事中で「1枚絵として作品から切り離されていて,かつこの種の絵を読む素養がない人には,性的なアピールをしている絵(=問題のある絵)に見えても不思議ではない」という趣旨の書いているので,そこからこの思考実験の答えは自明ではないだろうか。

というか全般として「『宇崎ちゃん』の文脈を読めずに誤解したやつが悪いわけではない。むしろ文脈を知らないのだから誤解して当然だし,誤解したならああいう批判になるのは理屈としておかしくない」というのを基調にして,そこは誤解されないように慎重に記事を書いたつもりなのだけれど……伝わらないもんだ。  
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2019年11月29日

『宇崎ちゃん』バッシング騒動についての雑感

本件についての議論の要点は,『宇崎ちゃんは遊びたい!』という作品を初見時にどう読解するか,という点にあると思っている。ある人が「ある程度この種の作品を見慣れている人たち(主にオタクと呼ばれるような)なら,仮に『宇崎ちゃん』という作品を全く知らなくても,この3巻の表紙を見たら,まあ大体『高木さん』とか『長瀞さん』とかの,あの系統の作品なんだなという想像がつく」と書いていて,それに完全に同意する。そう,文脈がわかる人には,乳袋表現はあくまでヒロインをかわいく見せる一つのテクニックでしかなく,そこが作品全体の主要ではないことに容易に察しがつくのである。(※)

しかし,そうした文脈を読む力が一切ない人がこの絵を見たとして,これだけの解釈ができるかどうか考えてみると,まあ無理かろうなと思う。どう見ても絵の中央にやけに強調した胸が鎮座し,注射針が怖い男性を見下して煽っているかのようなセリフまで付いている。作品内容を想像する段階には全く至らない。してみると,文脈を読める人には「自分では読んでない作品だけど,なんかコラボしてるんだな。日赤さんはコミケにも毎回来てるし熱心だな」という話になるが,読めない人には「エロで献血者を釣っている! けしからん!」という話になる。より正確に言えば「女性には身体的特徴にしか価値が無いという風潮を強めることになるような広告は不適切であり,特に献血のような公共性が高いものにはふさわしくない」という辺りが,批判者の意見を総合したものになろう。

さて,少なくとも私はこの批判のロジック自体は反対ではない。男性中心の社会が女性をそうした地位に不当に押し込めてきたのは事実である。商品内容と無関係に過剰に性的な意味合いのある広告はそういう価値観が込められているというのは否定しがたいと思われ,またフェミニズムの運動によってそうした広告が社会から消えていったという時代の流れもあり,それは大変良いことである。私以外の広告の擁護派でも,程度の差はあれど,少なからぬ人が似たようなスタンスであると思う。だから,批判派の方々は理由を求められるとその都度繰り返し「なぜ女性の身体的特徴を前面に押し出した広告はダメなのか」ということを説明していたが,あれは半ば暖簾に腕押しである。極端な表現の自由原則論者と純粋なミソジニスト以外は,そんなことはわかっているし,そこを戦場にしたいわけではない。意見が極端で多弁な人ほど目立つというTwitterの法則でそう見えているだけで,極端な表現の自由原則論者は実際にはそこまで多くないとも思われる。


であるからして,私が批判派に反発しているのは,『宇崎ちゃん』が”そういう作品ではない”し,今回のポスターは”そういう広告ではない”からである。もちろん,宇崎花の胸が大きいのは彼女の魅力の一つである。しかし,献血に行く『宇崎ちゃん』ファンがクリアファイルを欲しいのは,宇崎花が巨乳であるからではなくて,宇崎花というキャラが好きだから,『宇崎ちゃん』という作品のファンだからに他ならない。こうして見ると,かえって批判派の方が宇崎ちゃんを巨乳としか見ていないようにさえ思われる。なんとも「非実在青少年」なる概念を思い出すところだが,あの時とは批判派の中身がそっくり変わってしまった。ともあれ,あの時とは逆に擁護派は,宇崎花とは巨乳に付随する人体ではなく,先輩にかまってほしくてしょうがない豊かな感情と表情を持つ女の子であるということを主張していかなけばならないのである。

そういえば議論の中で批判派の方が「乳袋表現を使っておいて『これはエロ表現ではない』等というのはカマトトぶっている」ということを言っていたが,以上の説明でカマトトぶっているわけではないのを理解してもらえるだろうか。乳袋表現そのものは性的な強調であるが,本ポスター上の意図は必ずしも性的な強調ではない。これは宇崎花のアイデンティティの一つなのであり,ある種彼女のウザさの象徴であり,表紙絵だから普段の作中よりも際立って表現されているに過ぎない。”巨乳そのもの”として観察するのが誤りである。文脈とはかくも複雑なのだ。


ここまでまとめたところで,改めて本件の議論について考えると,「擁護派はどこまで我々の,オタクの文脈の読解を世間に求めてよいか」というところに行き着くように思われる。これは本当に私の雑感にすぎないのだが,私は『宇崎ちゃん』は世間様にご理解いただくには”まだ”文脈が深すぎたと思っている。その意味で譲歩しうるポイントはあったのではないかとも。それがいつか理解されるものなのか,それとも半永久的に理解されないのかはわからないが,希望は常に持っていたい。

そして批判派の皆さんには「萌え絵とオタク文化がすでにある程度世間に浸透してしまっている」という現実と,「現代の萌え絵はそれ絵柄自体が即座に女性への抑圧を表象するものではない。また,批評には個々に読解が必要。」という事実を,さすがにそろそろ受け入れてもらいたいと思っている(これはキズナアイバッシング騒動の時にも指摘されていた)。それが議論のスタートラインであって,それが受け入れてもらえないなら,騒動のたびに不毛な議論を繰り返すことになろう。なお,「批判派は,実は単なる萌え絵フォビアなのではないか」という話については,おそらくフォビアになった理由が「萌え絵はそれ自体,女性への抑圧を表象するもの」という思い込みにあると推測されるので,擁護派がこれを一概にいわゆるお気持ち表明として切り捨てるのは正しくないように思われる。そこで断絶して擁護派が得るものあるのかを考えたい。  続きを読む
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2019年03月01日

キズナアイバッシング事件関連

ノーベル賞のNHK解説に「キズナアイ」は適役なのか? ネットで炎上中【追記あり】(Yahoo個人ニュース)
・「表現の自由」はどのように守られるべきなのか? 再びキズナアイ騒動に寄せて(Yahoo個人ニュース)
→ 発端。「あーいつものねはいはい」という感じですぐに鎮火すると思っていた通称「キズナアイバッシング事件」は意外にも延々と延焼して2018年10月いっぱいまで続いた。そこはやはりキズナアイの知名度と,後述する「スタートラインがここなのか」という驚きによるものだと思う。また,(千田先生以外の)珍客が多くて延焼した感が強い。池内恵まで加わるとは思わなかった。


・近代美術史家の松下哲也氏「萌え絵批判では暴論的解釈がまかり通ってる」(Togetter)
→ 批判対象はちゃんと分析して,問題は切り分けて個別に批判すべきであるところ,なぜか萌え絵批判は雑で許されるということを,美術史家が明言した意義は非常に大きいと思う。こればっかりは私が言っても説得力が無く,権威が必要なのだ。おそらく批判者には自らの批判が隣接する学術分野を雑に“侵犯”していたという意識すら無かったのではないか。
→ 萌え絵を擁護する人たちの中でも,古典的な性別による役割の割り当てであるという批判には同意する人も多い(そも根本的にジェンダーロールの批判をしたいのであればオタクに殴りかかるのは間違いという指摘も見かけて首肯した)。キズナアイのキュロットの短さ等に疑問があるオタクもいないわけでもない(私も無意味に短いと思う)。が,それを萌え絵批判と十把一絡げに展開されると全面的に反論するしか無いのである。
→ Togetter内の松下氏の発言でもう一つ重要なのは,ポルノ作品として作られたものがあることと,ポルノ作品として見ることも可能なものがあることと,鑑賞者が勝手にポルノ性を見出すことは全部別物であるということだ。後者二つを「私にはポルノにしか見えないから」という理由で弾圧を扇動する言論にはやはり問題がある。




→ 騒動初期の自分のつぶやき。この「萌え」という概念も(一定数いつの世にも反発はあるとしても)定着したと思っていたのだが,ただのエロでもかわいいでもないということが理解されるまで,まだ10年くらいはかかるか。
→ それも含めて「世間的にはどの程度のエロの“濃度”からが“萌え”ではないか」というラインは今後世論で詰めていくことになると思うので,実はその意味で千田先生の主張にそこまで異論はないのだけれど,ハーバマスの市民的公共圏という言葉を出したのはうかつだった。あとまあ単純に,過去の他の事例はそりゃダメだろうと思えたり,あるいは世に出して詰めていく対象になるだろうと思えるラインだったが,キズナアイの造形で,しかもインターネット上の1サイトに載せていいか否かが世論のスタートにされてしまうとちょっとしんどいものはある。これが擁護側にとって衝撃が大きかったポイントではないか。




→ 議論の本題の総まとめとしては,この丹治記者のツイート群でよいと思う。千田先生をはじめとした批判者は,上述のような萌え絵分析まで踏み込まないにしても,せめて昨年以前の同企画や近年の科学漫画を調べたり,キズナアイの女性人気を調べた上で発言するべきであった。


・社会学者、査読論文出してなくても教授になれるし、招待論文(依頼論文のこと?)があれば査読論文無しでも良いらしい問題(いろいろ追記有り)(Togetter)
・人文系の文献の取り扱いとか業績についてちょっとだけ(dlitの殴り書き)
・リンク:何を業績とカウントするかは分野によって大きく異なる(発声練習)
・(日本)社会学における査読論文の価値と研究者評価の大勢(増田)
→ 延焼としては最も盛大に燃えたやつ。学問分野によって質を担保する方法・慣行が違いすぎるので,安易に「英語の論文がor査読論文が重視されていない」というだけで批判されても困る,ということでさすがに諸分野の学者から反論があり,その情報交換が見られて,本騒動の延焼では数少ない有益な場面であった。それにしても,ここまでの議論の推移を読んでから改めて最初のTogetterに戻るにやはり千田先生の発言がうかつ過ぎる。この人,ネット上で議論をさせてはいけない人では。


・千田さんが「炎上している」と書いた時、キズナアイは「炎上」していたか?(データをいろいろ見てみる)
→ 今回の騒動のオチの一つとして。そもそも反論する側がヒステリックに反論しすぎではというのは前から思っていたことで,反論自体はあった方がよいと思うが,誰かが可燃性の高いことを言っていても,変に反論しないでほっといた方が良いという教訓は浮かび上がってきそう。議論が盛り上がったことにされてしまい,都合よく便乗したい人に便乗されてしまうのである。  
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2018年12月04日

早稲田大の2021年一般入試改革について

・早稲田政経学部が数学必修化に踏み切る真意(東洋経済)

ようやくこれに言及できる。早稲田大の政経学部と国際教養学部は事実上国立と同じ受験形態になる。センター試験の後継の共通テストが必須となり,二次試験として小論文(英語の内容有)が課される。この共通テストの必須科目に数学があるということから「文系に数学必須」という報じられ方をするのは,いかにも本邦らしい。確かに私立文系というと数学不要というイメージがあるが,実際のところ,国立組が早稲田大を受ける場合は少なからず数学を選択する。ゆえに,確かに私大専願には大ニュースだが,早稲田大としてはそこは改革の主眼ではないだろう。記事中で「そもそも数学受験者が4割で最も多い」と当局が述べている通りで,この4割の多くは国立組と思われる。

もっとも,共通テストの必須科目に数学を入れた目的だけで言えば,この記事で書かれている通り,「そもそも高校の数学1Aレベルで数学を忌避するようでは,入ってからの学びでどうせ苦労する」という意図があるのは間違いない。実際の学習と数学1Aの内容に乖離があるのは織り込み済みで,それでもこういう意図で1Aを入れたのは英断である。こういう意図であるから自前の入試である必要もなく,共通テストに”押し付けた”のも賢い。

その上で,むしろ本ブログで取り上げるべきこのニュースの主眼は国際教養学部と政経学部の一般入試から社会科が消滅するということである。比較的歴史が浅い国際教養学部はともかく,政経学部の入試改革としては何十年単位の,ひょっとしたら戦後最大の入試改革になるかもしれない。早稲田大の政経学部の世界史・日本史と言えば悪名高く,難問・悪問の出る入試として古くから知られてきた。本ブログの企画でも社会科学部・商学部と並んでその年のワースト入試の座を長く争ってきた。それが2021年から無くなるのであるから,私としても感慨深い。おそらく難問・悪問だらけなのは自覚があって,伝統になってしまっていたから惰性で続けていたところがあり,終わってよかったと思っている中の人もいそうだ。私としても寂しさはあるし,できれば入試問題を改良する方向で解決してほしかったと思っているが,ああいう質で続行するならこういう結末になるのも仕方がないと納得している気持ちの方が強い。せめて2019年・2020年の入試は収録対象問題を出さずに有終の美を飾って欲しい。

今後,この流れはおそらく他の学部に波及するだろう。最終的には文学部と文化構想学部以外は全てこの形になっても不思議ではない。2021年度の政経学部と国際教養学部の受験者がごっそり減ったら撤回されるかもしれないが。


なお,慶應大は先日「共通テストは入試に一切利用しない」とする発表を出した。これは別に驚くべきニュースではなく,元々早稲田大は定員の一部でセンター利用型入試(センター試験の結果をもって合否が判定され,一般入試の受験が不要になる)を行っていたが,慶應大は行っていない。この流れを引き継いだだけである。また,慶應大は世界史に限った話としても出題ミスが少なく,意図的な難問や奇問の類が多い一方で,早稲田大は作りが杜撰だったり調べが足りなかったりする系統の出題ミスや難問・悪問が多い。この傾向を鑑みても,慶應大は学部の数が少なく,したがって入試日程も少ないことから一般入試にそれなりのリソースを費やせるのに対し,早稲田大は学部数が多すぎて入試日程も過密になり,一般入試の実施が億劫になっていると思われる。とはいえ優秀な学部生は欲しいし,受験料が大学収入の柱になっている以上やらないというわけにはいかない。そこで,自大学のブランド力に頼んで,入試のハードルを上げても受験生はさして減らないだろうと推測し,可能な範囲で共通テストに入試をアウトソーシングするスタイルに変えられないか,という実験を試みる判断を下したのだろう。小論文だけなら,英語・国語・数学・世界史・日本史と5科目分の入試問題を作るよりも負担は小さい(採点は大変だが)。この辺りに大学別の経営戦略が読み取れて面白い。  
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2018年02月03日

センター試験「ムーミン事件」雑感

大学入試センターが平均点などの最終結果を発表した。つまり,出題ミスは一切認めない方向で意志を固めたようだ。状況を上手いことまとめてくれた人がいたことだし,私も雑感を項目別にまとめておく。

・結局のところ,良問なのか,悪問なのか?
問題を成立していると見なし,かつバイキングを範囲内と見なせば良問と言えなくもないが,出題ミスと見なすなら質以前の問題。“問題の質”と“成立要件”は重なりつつも別の概念ということを示す,良い事例と言えるのかもしれない。なお,「思考力を問う問題としては,あまりにも単純では?」という向きについては,思考力というものを余りにも高く捉えすぎているのではないか,と反論しておきたい。「センター試験を受験する平均的な高校生」に求めていい思考力とは,ムーミンの舞台が問われていても動揺せずにすぐに消去法に切り替えてノルウェー側から素材を探す力と,見知らぬ単語を見たら語族から解答を導くことを着想する力くらいで妥当だと思われる。


・バイキングは地理Bの範囲内か,範囲外か?
これについては調べ直してみたところ,地理Bの教科書と用語集で触れているものは1冊も無かった。それでは範囲外ではないか,とすぐに行かないところが地理という科目の面倒なところで,教科書と用語集は薄すぎて&信頼度が低すぎて使い物にならない。教える方も教わる方も出題する方も学習の要はもっぱら副教材であり,すなわち資料集と地図帳等である。こちらに載っていればOKとすると,バイキングについて記載があるものがある。この点,私もてっきりバイキングは地理Bの用語集に載っているものと思って初報で「良問」と断じてしまったので,自省しておきたい。

なお,「中学の学習事項は範囲内と見なせるのと同様に,必修の世界史Aの学習内容も範囲内と見なせるのではないか? バイキングも世界史Aで出てくるのでは?」という指摘については,科目を飛び越えている以上無理があるし,世界史Aの教科書でバイキングを扱っているものは「無くはない」というレベルで,世界史Aをやっていれば必ずバイキングに触れているとは言えない状況である。したがって,バイキングを範囲外と見なす立場からは「問題が成立しているとみなしたとしても,センター試験としては過剰な難問」という見解も出せる。


・大学入試センター推奨の公的な解き方なら,バイキングについて知らなくても解答可能なのでは?
私が一番キレているのは実はこれで,大学入試センターの紹介した公的な解き方は非常に無理がある。「ノルウェーは暖流の北大西洋海流が流れるので,冬でも沿岸部が凍らない」のは地理Bで習うところだが,「よって,船のある方がノルウェーと推測できる」とは論理的につながらない。フィンランドだって内陸国というわけではないのだから海に面しているし,「船のあるアニメだから,一年中凍らない海が舞台なのだろう」という発想は跳躍がひどすぎる。また,バルト海側にもバイキングは進出している(例えば世界史Bで習う範囲で言えば,スウェーデン系のバイキングはリューリクに率いられてノヴゴロドを建設している)のだから,事実関係から逆算してもこの推測は成り立たない。

あるいは「フィンランドは森と湖に覆われた国である」というのも,確かに地理Bで習うところである。しかし,「画中に森と湖が描かれているから,こちらがフィンランド」というのは必ずしも成り立たない。フィンランドはどこの場所を切り取ってもこういう風景にしかならないのなら成り立つが,当然現実はそうではない。加えて言えば,上掲記事の地理学者の指摘の通りノルウェーにも森と湖はある以上,選択の手がかりにはならない。大学入試センターが本気で「アニメの背景の画像で推測の当てをつける」のが優れた思考力だと考えているなら,その思考力には反対する。加えて,万が一,高校地理の「思考力」としてこれが正しい発想というのが一般的な通念になっているのなら,もはや高校地理は小学校算数の魔窟に片足突っ込んでいる。専門家に指摘されていることだし,どうにかした方がいい。

また当然ながら,この推測の妥当性と,『ムーミン』や『小さなバイキングビッケ』の舞台に関する事実関係から鑑みた問題不成立の疑惑は全くの別物であり,推測が妥当だからといって問題が成立しているとは言えない。つまり,一番厳しい態度を取るなら,「本問は大学入試センターの考える推測も妥当でないし,事実関係から鑑みても誤っているので,二重に問題不成立である」という立場もありうる。


・本質的には何が問題なのか?
問題文の日本語の選択。「舞台」なんて言葉を不用意に使うから,こういうことになってしまった。「関連が深いと考えられている国」とか「国民的な作品として受容されている国」といった文言にしておけば,これほど問題にはならなかったはずである。特に後者の文言にしておけば,ムーミンはフィンランド以外考えられないし,地理Bという科目の地誌分野の本質から言えば,この文言の方が適切だったはずである。これは出題者が本問を地誌としても出題できるのに,あくまで地形の問題とみなして出題してしまったことによる作問上の思い込みが,文言の選択を狭めたのではないか。あるいはアニメの選択ミス。もっとはっきりと舞台がわかっているアニメにしておけばこんなことにはならなかった。無論のことながら,作品が書かれた言語についても注意を払いながら問題文の文言は練られるべきだ。

いずれにせよ,思考力を試す問題を作るのは工夫が必要で,作問は労力がかかる。つまりこれはそのまま来るべき2021年以降の新センター試験への不安につながる。既存のセンター試験のような問題は7〜8割にして,残り2〜3割は思考力を問うものとする,2024年以降は加えて記述(論述)を課すとぶち上げているからである。すでに昨年11月,新センター試験のプレテストが実施されており,ここにも危うい問題が出ているというのは,先日書いた通り。既存の大学入試センターの体力で改革が続くかどうかは,どうしたって不安視される。

なお,今回のセンター試験については,そのプレテストと並走して作成されたので,尚更問題を検討する時間に不足し,出題ミスが誘発された可能性はある。本末転倒感がある。


・波及的影響
センター試験は全教科・全科目的に信頼性が高く,50万人超が受ける,国が威信をかけて行っている試験という評価であった。だからこそ私も「大学入試センターの作問者は,『ムーミン』も『ちいさなバイキングビッケ』もきっちりと典拠を押さえて出題しているのだろう」と信頼して,当初は「良問」と断じた。しかし,存外にアバウトな作問をしているということが露見してしまった。今思えば,一昨年の世界史Bのこれも,調べが甘い作問であった。

今回の件で出題ミスを一切認めず突っぱねたことで,大部分の科目は無関係としても,少なくとも地理(地歴公民)は信頼性は大きく下がった。事実に反していても,高校の範囲を厳密には逸脱していても,公的な解法が危うくても,高校教科の独自の論理の解法で成立していると見なされれば出題ミスではないと言い張れる前例を作ってしまったのである。確かにこれを悪用させてくれれば,“出題ミススレスレの良問”は作成しやすくなる。新センター試験に向けての視界も良好になろう。しかし,私大の地歴公民の入試でこれだけ悪問・出題ミスが跋扈しており,世界史については微力ながら私も努力して少しは改善に向かっている中,当の大学入試センター(=国)の公式見解がこれでは,やるせなさしかない。私大に対して「大学入試センターでもこの杜撰さで作問しているのだから」「大学入試センターだって,出題ミスとは認めなかったのだから」として,悪いメッセージになってしまい,私大の入試がさらに悪くなることだって考えられる。  
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2018年01月20日

高校地理・世界史教科書における語族(アルタイ諸語)について

・高校地理における「(ウラル・)アルタイ語族」の取り扱いについてのメモ(思索の海)

>どなたか教科書も調べてくれると嬉しいです。
ということなので,便乗して。まず,高校の地歴公民というと山川出版社のイメージが強いが,実は山川は地理の教科書を発行していない。現在地理Bの教科書を作っているのは二宮書店・帝国書院・東京書籍の3つだけである。以前はもう少し多かったのだが,2014年の課程改定の際に撤退してしまった。シェアから言えば圧倒的に帝国書院で70%程度(参考データ)。

なお,教科書を作っていない科目があるのに山川が地歴公民の総合商社のようなイメージが強いのは,用語集を全科目作っている唯一の会社だからである。しかし,教科書を作っていないこともあって,地理の用語集は世界史・日本史に比べると信頼性が低い。また,そういう事情もあって世界史・日本史の学習が教科書・用語集中心でサブに資料集が来る三点セットになるのに対し,地理は圧倒的に資料集や地図帳頼りになって教科書・用語集は一度も開かれないままということもある。よって,世界史・日本史の高校生の学習状況や入試の頻出用語を調べるなら教科書・用語集を開けば事が済むのであるが,地理は幾分状況が面倒で,学習の概況もバラバラなら入試に出題される基準も特に無い。


以上を踏まえた上で本題。以下,年度は全て2017年版。地理と世界史について調査した。

【帝国書院『新詳地理B』】
◯本文では語族についての明確な説明はなく,「世界の言語は,大規模な人の移動や宗教の伝播などによって,少しずつ変化しながら長い年月をかけて広がっていった(注釈5)。」(p.209)
◯注釈5では世界の言語分布を示した世界地図が掲載され,表記は「ウラル語族」と「アルタイ諸語」。なお,日本語と韓国・朝鮮語は「その他」に分類。(p.209)

【東京書籍『地理B』】
◯本文の説明は「類似性に基いて世界の言語を系統的に比較すると,多くの言語が図1のようにいくつかの語族にまとめられる。日本語は,モンゴル語などのようなアルタイ語系の言語と多くの共通点があるが,その系統は十分に解明されていない。」(p.206,太字は原文ママ)
◯図1内の表記は「ウラル語族」と「アルタイ語族」。日本語と韓国・朝鮮語は「その他」に分類。(p.206)

【二宮書店『新編 詳解地理B 改訂版』】
◯本文の説明「母語として使われている言語を,言語学的に同一の起源をもつと考えられる言語群,つまり語族ごとに示したものが図1である。」(p.171,太字は原文ママ)
◯図1の言語分布は3つの教科書で一番色分けが細かい。表記は「ウラル語族」と「アルタイ諸語」で,アルタイ諸語は「チュルク語派」「モンゴル語派」「ツングース=マンチュー語派」でさらに分類して色分けされていた。日本語と韓国・朝鮮語はやはり「その他」。(p.170)


以下は世界史。全7冊だが,メーカーが同じなら表記は同じだったのでそれらを省き,4冊について報告。
【山川出版社『詳説世界史 改訂版』】
◯本文の説明「共通の言語から派生した同系統の言語グループを語族と呼ぶ。」(p.13,太字は原文ママ)
◯語族を列挙した一覧表が掲載され,そこでの表記は「ウラル語族」と「アルタイ語族」。「日本語と朝鮮語の帰属については定説がない」と補足説明。(p.13)

【帝国書院『新詳世界史』】
◯本文には記載なし。欄外のコラムで「語族は,語彙や文法などに類似点があって同じ語群をもつと想定される言語群のことである」と説明し,「世界の言語と語族」の地図を掲載(ともにp.12)。地図中の表記は「ウラル語族」と「アルタイ諸語」で,日本語・韓国語・朝鮮語は「その他」。韓国語と朝鮮語を分けているのは,世界史・地理を通してこの教科書のみ。

【東京書籍『新選世界史B』】
◯本文の説明「故地を同じくするために語法の類似したものがあり,語族という用語でくくられる場合がある。」(p.25)
◯語族を一覧にした表が掲載されており,この表がやたらと詳しい。そこでの表記は「ウラル語族」と「アルタイ語族」。また韓国・朝鮮語をアルタイ語族ツングース語派に分類していた。日本語は一覧表の中に記載がなく,欄外の説明で「文法的には北方のアルタイ語族・ツングース語派に属するが,語彙は南方のオーストロネシア語族やオーストロアジア語族の影響が強い。」と説明。(p.25)

【実教出版『世界史B 新訂版』】
◯本文に記載なく,欄外の注釈で「言語の分類概念としては,語族という用語がある。代表的なものとして,インド=ヨーロッパ語族,セム=ハム語族がある。」と表記(p.21)。語族の一覧や地図等は無し。ウラル語族・アルタイ諸語についての言及がないのもこの1冊だけなら,セム=ハム語族という表記は全世界史の教科書を通じてこの1冊のみ。


おまけ1
【山川出版社『世界史用語集』】
◯山川の教科書と同じ説明かと思いきや,アルタイ語族の項目に「日本語と朝鮮語を含める説もあるが,異論もある。」という説明。(p.4)

おまけ2
【山川出版社『日本史用語集』】
項目名が「アルタイ語」というところからしてどうかと思うが,その説明に「北方アジア系のトルコ語・モンゴル語・ツングース語・日本語などがこれに属し,助詞・助動詞を持つ膠着語で,述語動詞が最後にくるなどの特徴がある。」と,日本語はアルタイ語族扱い。


<とりあえずの感想>
地理ではいずれの教科書もウラル=アルタイ語族という表記はなく,意外と諸語と語族も使い分けている印象。世界史の方は,帝国書院の表記が最もしっかりしている。山川は諸語と語族を使い分けていないが,これ以外の部分も含めて,現状の世界史では最もスタンダードな表記になっている。東京書籍は山川とほぼ同じだが,韓国・朝鮮語の扱いがよくわからない。実教出版はなんとも評しがたい。日本史の用語集は誰かどうにかした方がいいと思います……  
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2018年01月14日

嗚呼懐かしの東大後期(文三)試験

・東大後期入試ってのがあったんですよ(不倒城)

私の友人にも何人か後期合格者がいる。昔の科類に分かれていた頃の後期入試は確かにおもしろかった。特に文科三類の小論文は出題が意味不明で,私には解ける気が全くしなかった。上掲記事で出ている「パニックについて論ぜよ」も大概だと思うが,他に有名どころを2つほど挙げておく(過去問へのリンクを張ろうと思ったが意外にも落ちていなかったので面倒ながら問題文の概要を書く)。

・2001年:「大写しな人間の眼球」「薄暗い中で目が光っている牛」「不気味に微笑む目の大きな和風人形」の3枚の写真を見て「共通する主題を任意に設定し,自由に論ぜよ(2400字)。大写しの目は生理的恐怖を感じるし,牛の目は明らかにドナドナ的状況を予兆させるし,何も写さぬ人形の目もまた空虚だ。主題はどうしても「視線の恐怖」としか設定しようがなく事実上テーマは固定されているが,そこから2400字どうやって広げるのかが腕の見せ所。
・2003年:「笑い」「おかしさ」「滑稽」について論じた3つの文章を読んだ上で,アメリカン・ジョーク1つと,いしいひさいちの4コマ1本を読み,これらの論文&ジョーク&4コマが問題にしているポイントについて論ぜよ(2400字)。論文3つはしょっぱながベルクソンでびびるにせよ,要するに「滑稽な笑いとは逆転や緊張の崩壊に寄って生じる“ズレ”の知覚に本質がある(から哲学的な現象である)」ということを論じていて,アメリカン・ジョークも4コマ漫画もシュール系であることから,論じるべき内容はなんとなく理解できる。それを上手く言語化できるかということと,2400字にも引き伸ばせるかというところが鍵。

身近に90年代後半から2000年代前半の文三後期合格者がいたらこんなんが書けた人たちです。おののいてあげよう。実際,後期合格者は「いや,俺ら前期落ちた組だし」と謙遜するが,前期合格者組からするとこんな小論文書ける方が畏怖の対象ですよ。なお,理系だと数学が異常難易度で有名で,これはこれで一芸入試だったと言われている。有名どころは1998年の数学で,難易度調整の得意な東大としてはやらかしてしまった問題だとは思う。

一応当時の当人たちに聞いた話によると,「前期試験が終わったところでモチベーションが切れてしまい,実受験人数は倍率より低い」&「あまりにもお題がめちゃくちゃすぎるのに累計2000字以上の論述を要求され,答えが“とりあえず埋まった”人自体が少なすぎて,概ねそこで合否が決まる」という状態だったそうで,お題の解答の質というところでの選抜性は低かったようである。確かに,当時の合格最低点も低かった。そうであれば尚更,不倒城のしんざきさんもそうだが,「ありとあらゆるジャンルの文章」を書ける自信がある人にとっては,確かにセンター試験の足切りだけが怖い入試ではあろう。

ちなみに,上掲記事の制度変遷はやや誤解がある。後期試験が科類別に分かれていて,文三小論文のお題がおもしろかった時期は2007年度まで。2008年度以降は全科類進学枠となり,科類別ではなくなったどころか文理の壁さえなくなった。入学後は理三以外から選択できるが,多くは文一を選んだようだ。全科類進学枠になってからの後期試験の小論文は,科類別ではなくなったから冒険できなくなったということなのか,突如としてつまらなくなり,普通に「前期で紙一重で落ちた人」を拾っているような雰囲気になってしまった。

そしてこの後期入試が2015年度を最後に廃止となり,2016年度からは推薦入試に変わった。ただし,この推薦入試はかなり「とがった能力」の持ち主を明らかに求めており概要を調べてくれればわかるが,あれは決して「人間力的なものを見る」入試ではない。被推薦要件や口頭試問の内容を聞くに,性質としては以前の後期試験の小論文に近く,かえって先祖返りしたのではないかと思う。センター試験で課される得点の最低ラインも80%で,東大前期や以前の後期入試の足切りラインより明らかに低い。後期試験が廃止されて残念がっている30代以上の方々は,むしろ逆で,2008年の時点で残念がって,今は喜ぶべきと思う。まあ,求めている「とがり方」がめちゃくちゃすぎて実質倍率が非常に低いところまで先祖返りしなくても,とは思うけど。定員が100人で出願が例年170人とかですよ(合格が70人ほど)。あの推薦入試,とがっている自信があってセンター試験が安定して80%以上取れるなら,お勧め(このブログの読者にそんな高校生いないと思うし,今年度の締切終わってるけど)。  
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2017年04月02日

『けものフレンズ』感想

ご多分に漏れず,私も最初は全くのノーチェックであった。そして本作に気づいたのは,骨しゃぶりさんのこの記事だった。
・アニメ『けものフレンズ』は人類史600万年を探求する
正直,この記事を読んだ最初の感想は「まーた骨しゃぶりさんは大げさに書きおってからにwww」だったのだが,1話を視聴してマジもマジだったので椅子から転げ落ちた。よくもまあ1話にあれだけ詰め込んだものだ。確かそれが1月27-28日頃で,まだ2話と3話の切り替わりくらいの時期だったと思う。3話までは立て続けに見てすっかりはまってしまった。おそらく同じような行動の人は少なからずいて,あの記事は『けものフレンズ』受容史を作るとしたら欠くべからざるものだと思う。世間的に爆発したのが2/6頃だそうなので,自分を含めてあの記事で見始めた勢は比較的アーリーアダプターの部類といえるかもしれない。もちろん,アプリ版からの支持者や1話ですぐ気づいた人たちに比べると遅かったわけだけれども。

本作のどこに惹かれたかと言えば,起点の通りに「動物にヒトの姿と言語能力を与えることで,あえて見えてくるヒトのそれ以外の特性」の見せ方であった。様々なものを擬人化した作品は多数あり,それぞれの作品にそれぞれの美点はあれど,擬人化それ自体にここまで意味を持たせた作品はそうそうない。おそらく今の30代のオタクの共通体験として,小学生時代に『たけしの万物創世紀』や『特命リサーチ200X』あたりを小学生の時に見ていたと思うのだけど,そういう層にドンピシャな見せ方でもあったと思う。サーバルが透明な箱の開け方に気づかないシュールさは,1話の時点では(理由がわかってもなお)若干のホラーであったが,そうした不気味さも本作のポストアポカリプスものとしての不気味さと上手く融合していた。

ある方が「フレンズ化した動物は(じゃぱりまんの存在もあって)食糧確保から解放されて本能的な攻撃性を失っているが,かばんちゃんがヒトのフレンズだとすると(注:12話放送前),他の動物を絶滅させてきた人類の攻撃性も同様に本能として処理されているのがすばらしい」と言っていた。これは公式HPや円盤の特典などにある「けものフレンズ図鑑」でUMA・幻想種以外には全てレッドリストの保全状況が明示されているということ重ねると尚更その通りと思う。事実であるとはいえ,人類側の事情も勘案せずその罪を全部人類に着せておいて「ヒト」の物語もなかろうし,一方で事実を直視しないのもヒトと動物の関係を示す上で必要なものを欠落させてしまう。ということで『けものフレンズ』本体はひたすらに“尊い”作りにになっていて,その背景は周辺情報に置くという配置も良い配慮だった。

なお,最終話の様子を見ると,かばんちゃんはヒトのフレンズからヒトに戻ったというよりは,再フレンズ化しているのではないかと思っている。性格が変わっていないことや,手袋とタイツの回復などから。セルリアンがサンドスターを消化しきる前に救出できたからか,あるいはじゃぱりまんに体内のサンドスターを回復させる効果があるか(じゃぱりまんがパーク内の農園で育った農作物で作られていて,肉食獣もそれで満足していることから推測するに,後者の可能性は高そう)。


そしてまた本作の物語としての美点は,とにかく先が読みやすいことである。あれだけ明確に人類がジャパリパークから姿を消していて,しかも自分探しをするロードムービー,かつあのEDなのだから,まあそういう結末になるのは目に見えていた。いつかは終わる旅に漂う寂寥感が底抜けの明るさとマッチしていた。10話が終わったところで12話の展開までおおよそ読めていた人も多かったのではないか。そして11話が終わったところで「これはOP流しながら全員集合で,セルリアン倒した後はかばんちゃんの旅立ちでEDは2番だな」とか考えていた人は私以外にもいたと思う。あまりにもその通りすぎて泣きながら笑ってしまった(サーバルがついていったのだけは予想外だったが)。しかし,これだけ先が読みやすいからこそ「平穏の中に見え隠れする不穏」に安心して浸ることができたところがあった。不穏さは満遍なく漂っているのに,不穏ではないのだ。『まどマギ』が安全装置の外れたジェットコースターだったのとは好対照だろう(念のため,『まどマギ』の場合は,だからこそ予想外にきっちり決着して神になったので,これは良い悪いではない)。

その他に物語を盛り上げるために張り巡らされた工夫の数々とか,しんざきおにいさん他動物飼育員解説の効果とか,OP・EDの良さとか,3人目の主人公ラッキービーストについてとか最後の「つづく」とかいろいろあるが,すでに世の中に数多くの評論が出ているのでここで書くことはなかろう。いずれにせよ制作陣の努力が素直に視聴者に伝わった,伝わるところまでの幸運があったというところまで含めて,作品の雰囲気同様に幸福な作品であった。
  
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2017年02月08日

佐藤ひろ美引退によせて

正直に言ってそんなに熱心なファンでもなかったが,C91の某所にて「佐藤ひろ美Fanbook 引退ライブ特別版」なる冊子をいただき,読みながら知っている曲を聞いていたら感慨深くなったので一筆。ちなみにこの冊子,片岡ともさんと後藤邑子さんが寄稿しているすごい本だったりする。

自分の場合,佐藤ひろ美というと「ねこねこソフトの人」であり「ギャラクシーエンジェルの人」であった。この2つはそれぞれ佐藤ひろ美ファンのよくあるパターンではあるが,この2つが重なっている人は比較的珍しいのではないか。ねこねこソフトを追っかけていた人はギャラクシーエンジェルは全然触れていないイメージがある。かく言う私も別に佐藤ひろ美が歌っていたからギャラクシーエンジェルをやり始めたわけではなくて,無印・ML(2作目)をプレイしていたらEL(3作目)で主題歌が偶然佐藤ひろ美だった,というだけの話だ。自分の中ではPCのゲームもコンシューマのゲームも地続きであったので,「ギャラクシーエンジェルを契機に活動のフィールドが少し変わった」というのは前出の同人誌を読むまで全く意識にないことだった。最近露出があまり無いなと思っていたら社長業(というかプロデューサー業)がメインになっていて,2015年8月に引退発表,2016年12月に歌手現役引退となった。発表当時はさすがに驚いたが,むしろ16年間ずっと歌ってきたわけだから,見事走りきったというべきだろう。

以下,1曲ずつの思い出語り。全15曲。思い出語りなので曲のレビューではないし,だいぶ曲とは関係ないことも書いている。GA作品を固めた以外は大体発表順だが,厳密には調べていないのでずれてたら申し訳ない。

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2016年12月22日

「真田丸」

非常に珍しくも,大河ドラマを見ていた年であった。見るようになったきっかけは,丸島和洋先生のtweetである。この歴史考証に関するコメントとセットで見れるなら,確かに面白かろうと思って見始めた。

私は三谷幸喜のそれなりのファンである。過去の映画は大体全部見ている(最新作の『ギャラクシー街道』だけ見ていないが,あまりの酷評っぷりに見る勇気がない)。『笑の大学』か『ラヂオの時間』あたりは人生で一番笑った映画ランキングベスト5に入れている。にもかかわらず今回ちょっと敬遠していたのは,『ギャラクシー街道』は無関係で,『清州会議』がぶっちゃけて言うと割りと微妙で,この人にちゃんとした史劇が書けるんだろうかという疑問が先立ったためである。結果から言うとそれは杞憂だったというよりも,三谷幸喜は明らかに『清州会議』の二の舞は避けていた。「真田丸」は時折「コメディ寄りすぎる」という批評を受けていることがあるが,私に言わせるとむしろ,おそらく『清州会議』の反省でコメディに寄ったのではないかと思うし,それは成功していたように思う。多分,あの人にシリアス一辺倒で史劇は書けないのである。しかし,大河ドラマである以上全面的なコメディにはできない。その折衷であの「真田丸」ができたのではないかと思う。

おそらく一番面白かったのは大阪編という人が多いと思われるが,秀吉の出す緩急の激しい空間の雰囲気は,方向性が異なるだけでコメディの作り方に近かったのだろうと思う。天正壬午の乱も面白かったが,あれは単純に天正壬午の乱自体が見慣れぬ事件であり,細かい展開を知らない視聴者が(私を含めて)多く,一応最終的な帰結は知っているはずなのに展開自体に引き込まれたところは大きいと思う。その意味では考証の平山先生の功績かもしれない。一方,最後の大阪の陣編はここまで張ってきた真田丸全体のテーマをすごい勢いで回収していて,最終的にはコメディコメディ言われつつもちゃんと“大河ドラマ”に仕上げたのだなという感慨があった。信繁が幸村と名乗ったところで「ああ,この作品はここで史劇から講談に飛翔するんだ」と,作品の雰囲気も視聴者の認識も上手く切り替わり,地に足の着いた展開から割りと何でもありに切り替わったことで,そのままの勢いで最後まで駆け抜けていった。

そんな中でやはり批判を浴びがちだったのは合戦回で,とにかく迫力がなかった。予算の影響でエキストラの人数が少なかったのもあろうが,それをごまかすカメラワークがあったわけでも脚本の工夫があったわけでもなく。関ヶ原をやらなかったのは信繁か信之かきりが見ていないものはなるべく映さないというより深い理由があったとはいえ(本能寺の変も無ければ大坂城落城も無かった),やらなくて正解だろう。序盤の小規模な小競り合いや個々の殺陣のレベルなら不満は無かった(それでも不満は無かったレベルだが)ことを考えると,要するに三谷幸喜に大規模な合戦は書けないということなのだろう。


「真田丸」の大テーマは敗者たちの物語だそうで,それは極めて巧みに描かれていたと思う。時代に取り残され,大きな流れについていけなかったものたち。それでも,そこには積み重なった無念があるのだ。最終的にその無念の全てを背負った信繁が,真田幸村となって華々しく散り,自らも敗者になって終わる。天正壬午の乱の後半から大阪編の中盤にかけてあからさまな伏線が多く,「源次郎はどんだけ呪いをかけられるんだ……w」と視聴者に茶化されていたが,あれは本当に呪いであったのだ。しかし,彼にとっては呪いではなく,力の源であり,そこに悲壮感はなかった。結局,彼にかけられた呪いは史実通り解放されずに彼を死に追い込んでいったのだが,最後の信繁が非常に満足そうだったのは,背負っていたものが自らの無念ではなく,あくまで他人の無念であったから,自分もまた果たせなかったという無念よりも「やりきった」という晴れがましさの方が強かったからだ。

史実の信繁が実質的に大阪の陣まで何もなしていなかったことを逆手に取って,「まっさらな身体にありったけの先人の無念を溜め込んだ人物」として描き,50回中40回近くを(信繁の行動に限れば)伏線を張ることだけに費やしたのは,非常に大胆かつ史実を活かした展開であった。にもかかわらず秀吉の御伽衆で大名クラスの知行を得ていたという最近発見された史実は,この展開の工夫にとっては大きくプラスに働いた。秀吉に目をかけられていた見込みのある若者を不自然なく描くことができ,結果的に不自然なく桃山時代末期の主要人物と信繁を接触させることができ,彼を敗者の無念を回収する人物に仕立て上げることができた。

信繁自身はむしろ作中では屈指の“時代の流れ”を読めていた人間であったという描写だったのも上手く,信繁の悲劇性に拍車をかけた。実のところ本作で印象深いシーンというと,犬伏の別れで昌幸に切れる信繁というシーンである。あの前半の主役と言ってよかった昌幸はすっかり時代の流れが読めなくなっており,これを諭す信繁。しかし,彼はその昌幸についていき,信之とは別れを告げる事になる。この言動がまさに本作の信繁の,極めて典型的な言動であったのだ。

これに関連する話でもあり,まさにそこが丸島先生のtweetがおもしろかった部分でもあるのだが,本作の裏テーマは「中世から近世へ移行する日本社会」であり,自力救済から法治国家へ,地方分権から中央集権へ,ひいては封建制から社団国家へと移っていく様子がよく描かれていたと思う。表の大テーマと関連することが多かったとはいえ,これをよくぞ描いてくれたと,時代区分警察を自覚する自分の立場からもここに書いておこう。  
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2016年11月28日

「ロボットは東大に入れるか」成果報告会 in 2016(11/14)レポート

昨年のものはこちら。また,朝日新聞によるまとめ・結果一覧はこちら。

以下は聴講の記録だが,大部分は昨年と解法などが変わらないため,文章短縮化のため変わらない部分は「昨年と同じ」と同じとして省略するのでご了承願いたい。

昨年はマーク模試・東大模試ともに駿台・ベネッセのものであったが,今年はマーク模試がベネッセ,東大模試が代ゼミのものになった。東大模試は一昨年まで代ゼミのものだったので,出戻りになった形になる。私自身風の噂で聞いただけなので話半分として書くが,駿台とは何やら揉めたらしく,代ゼミに戻ってきたそうだ。まあ,そもそも駿台の東大実戦は配点がおかしいので,河合の東大オープンか代ゼミの東大プレを使うのが無難ではあろう。


[解法についての教科全般の話]
・例によって,OCRで直接文章を読み取って東ロボくんに流し込む,というのは未実装。ほとんどの科目は問題文をXMLに書き下すところまでは人力。ただし,数学のみMathMLとせず,テキストデータの状態のまま解答まで全て人工知能だけで行う“完全自動化”に成功したそうだ。

[総評]
・リンク先の朝日新聞にあるが,消えた時のために転機しておくと,マーク模試は950点中525点,900点満点に換算すると517点。偏差値だと57.1という成績が出る。昨年の偏差値が57.8なので,やや下がっている。ただし,これは東ロボくんの武器であり,昨年は152/200(偏差値64.0と65.8)を叩き出した数学2つが今回は不調で,129/200(偏差値57.8と55.5)であった影響が大きい。にもかかわらず総合偏差値が0.7しか下がっていないのは,他の科目が若干ではあるがそれぞれ偏差値が伸びているためで,一応研究が進展しなかったというわけではない。
・結果的に英語・国語・世界史という一般的な私大文系の受験型(3教科)に絞ると偏差値は55を超え,これは法政大学や関西大学なら,学部学科によってはA判定が出るラインになる。……ただ,ご存じの方はご存じの通り,関関同立MARCHの中で関西大学と法政大学は一番入りやすいところなので,これをもって「関関同立MARCHに受かるようになった」というのはかなり無理があり,語弊があるようにも。各マスコミの報道を見ると,すっかり「難関私大にも届いた」のようなことが書いているが,実際のところ関関同立MARCHは大学・学部により偏差値帯が大きく異なり56〜64くらいまで含むので……
・ところで英語・国語の偏差値が50前後で,社会科の偏差値だけ65オーバーというのは,私大文系の浪人生の5月頃の成績で非常によく見るパターンで,要するに直前期に社会科の知識は叩き込むので急激に偏差値が伸びるが,英語・国語の地力不足はごまかせていないという奴である。こういう子は血反吐を吐きながら英語と国語の成績を伸ばして早稲田に手がかかるか,結局最後まで社会科だけを武器に不安定に戦ってMARCHのどこか(下手したら日東駒専)に落ち着くかのいずれかになる。
・東ロボくんの東大模試の成績は文系数学が46/80(偏差値68.1),理系数学が80/120(偏差値76.2),世界史が16/60(偏差値51.8)であった(他科目は未受験)。数学の成績は伸びていてしかも抜群であるが,世界史は昨年とほぼ変わっておらず,ほぼ平均点である。


[東ロボ手くん]
デンソーウェーブが開発した,代筆機械。ただし,ぶっちゃけて言うと電王手くんシリーズの技術の応用であり,そう目新しさはない。とはいえ,手にボールペンを持ってきっちり文字も数字もアルファベットも書けているのはなかなかすごかった。これで東大模試はちゃんと解答用紙に記述できるようになった,とデンソーウェーブの技術者は誇らしげであったが,代ゼミの担当者からは「東大は本試も模試も解答は鉛筆またはシャーペンのみという規定があるが,東ロボくんは筆圧の関係でボールペンしか使えないので,実際0点では?」と辛辣なツッコミを受けていた。来年度の東ロボ手くんには,シャーペンを持てるようになっていることを期待しよう。ちなみに,字はかなり上手いものの,書き順はめちゃくちゃである。書き順を守ると字がひどく下手になるのだと思うが,これは左利きの私自身書き順滅べと思っていることを書き添えておく(漢字の書き順は右利きが書きやすいようになっている)。


[英語(筆記)・リスニング]
・基本的な解法は昨年までと同じ。今年は文法・熟語・構文(第2・3問)の分野を強化した。母体となるテキストデータを約50倍に増やし,3300万文から19億文(10億語から500億語)に増やし,そこを検索して問われている構文と同じ(または極めて似ている)文を探し出して正解を当てはめるので,増やせば増やすほど有利になると考えた。実際に500億語まで増やすとかなり精度は高くなり,第2・3問の正答率は大幅に向上した。
・にもかかわらず点数・偏差値ともに昨年からほとんど伸びていないのは他の大問で苦戦したからで,運にも見放されて全く点数が取れなかった。第4問以降が昨年並の正答率だったなら120点程度にはなっていたようで,であれば偏差値は60台に載っていたかもしれない。
・会話文の空欄補充や,第4問以降の長文読解の分野はまだ苦手である。発表者の推測によると,これらの分野の攻略にはまだまだ母体のテキストデータが足りず,500億語ではなく500億文(1兆語オーバー)が必要になるのではないか,しかも単調な文ではなくあらゆる文法や構文が入っている複雑で高品質な文章の,と話していた。しかし,そうなるともう膨大なデータを持ってそうなGoogleさんしか取り組みようがない分野なのでは……私見だが,会話文・長文はもう別の手法で取り掛かるしかないように思う。
・というかGoogleさんがSATやSATの科目テストに挑んでアイビーリーグ合格水準を叩き出したらすごくおもしろいと思うのだが,そういう研究はやってないのだろうか。
・また,今年はディープラーニングを導入してみたが,全く上手くいかなかったという。ついでに書いておく。東ロボくんに対する反応として,「人工知能の研究であるのにディープラーニングを頑なに使わないのはなぜか」というものをたまに見るが,使わないのではなく使えないのだそうだ。ディープラーニングは成績向上には全く結びつかなかった。


[国語(現代文・古文)]
・いろいろ解法を工夫した結果,選択肢を2つまで絞り込むことまではできるようになったという12月くらいの受験生みたいなことを言っていた。しかも評論が得意で小説と古文が苦手である。身に覚えのある読者の方も多いのでは。
・古文はようやく本格的に取り掛かった。解法は現代文と同じで,現代語訳して,訳があってればそれで行けるだろうという予測だったようだが,現代文の小説が今ひとつ解けていないのにそれで解けると思う方が間違いであると思う。結果は割りとひどい16/50で,特に現代語訳問題は3問全て落としたとのこと。おい現代語訳の精度。
・漢文は未実装。まあ古文がようやく本格参戦したところではあるので。
・思うに,入試に出る古文・漢文のバリエーションなんて大したことないので,英語で50億文のテキストデータをインストールなんてできるんだったら,古文・漢文もよく出る文の本文と現代語訳を全てインストールしておけばけっこう攻略できてしまうのでは? それで50億文も行くまいし……と私がここで思いつくことはやっていないはずがないので,多分やって何かしらの理由でダメだったのだろう。
・なお,ここでもディープラーニングは明らかに向かないので試しすらしなかった,と語られていた。


[物理]
・解き方を昨年と大きく変えた(というよりも研究者が変わった)。昨年まではシミュレーションを動かして,実験結果から解答を出すという手法だったが,入試問題で必要になるシミュレーションが意外と複雑で,挫折していた。そこで,問題文を読解する過程で無理やり数学的な問題になるように人工知能に読解させた上で,限量記号消去(QE)で解答を出すという戦法に変えた。数学の分野では上手く行っているからという意味では正しい発想だが,まーたQEかという笑いが思わず。
・結果としてはこれが上手くいって,昨年までは偏差値40前後だったのが,今年は偏差値59.0まで伸びた。今後の課題は,どうがんばっても数学の問題に変換できない類の問題だそうで。


[数学]
・解法は今までと同じだが,自然言語処理をほぼ完全に自動化した点が新しい。これについて,研究者陣営は「比較的容易」と考えていたようだが,やってみると意外と困難だったという。自然言語の「一見して複数の意味に取れる曖昧さ」が苦戦の理由で,たとえば「また」とくるとその前後がつながっている並列なのか,それとも完全な話題の転換なのか,人間ならどちらかぱっとわかるが,人工知能が人間の手を借りずに判断するのは非常に困難であったようだ。それでも何とか完全自動化したのは大きな成果だろう。やっと「人工知能が入試問題を解いてると言っても,入試問題を人工知能が読解できるところまで書き換える作業は人間の手が入っているじゃないか」と謗られなくても済むようになった(数学だけだが)。
・あとはQEソルバーの高速化などを行ったが,マーク模試の方は相性もあって苦戦した。東大模試の方は成績が向上し,好成績を残した。こと数学の筆記試験限定ならば人間の受験生の最高峰レベルまで到達したと言ってよい。人間の受験生で東大型の理系数学で80/120を取れるようなやつは理傾膤糞蕕砲靴いない。


[世界史]
・マーク模試の方はほぼ改良なし。成績は80/100前後で安定し,これ以上の改良は難しいようだ。
・東大型の二次試験の方も,基本的な解法は昨年と同じ。第1・2問の論述問題は,指定語句や問題文を頼りに教科書や用語集・Wikipedia等から該当する文を抜粋し,指定字数に至るまで解答に挿入した。ただし,今回は前回と違って単純に抜粋するのではなく,問題文もちゃんと読んでテーマを探ったり(第1問),あらかじめ用語集の項目をラベル付した上で,問題文の要求もラベル付してラベル同士が一致した項目の説明文を出力するようにする等(第2問),解法のレベルアップが図られた。
・結果的に点数は伸びていないものの,解答のそれっぽさは上がり,若干なり人間に近い解答に見えるようになった。ただし,それでも時系列や地理的な配置がぐちゃぐちゃで,例えば「ユスティニアヌスがミラノ勅令を発布した」という文の後に「中国では五胡十六国の時代になった」という文が入り,その後にまた「ユスティニアヌスがミラノ勅令を発布した」という全く同じ文が入るという,ツッコミどころしか無い文章構成になっている。お前は健忘症か。また,「ゾロアスター教を国教と定め,突厥と結んでエフタルを滅ぼした。」という一見して正しい歴史的事実を述べているように見える文だが,ササン朝という主語が無いために非文になっていて加点されないというようなミスも散見された。結果的に点数・偏差値は昨年の東大模試から全く伸びていない。
・これは要するに,人工知能はある程度問題文の要求するところを(見せかけ上)理解できるようになっているが,東大の問題文が要求するような細かいニュアンスは当然読み取れておらず,本質的な歴史的理解があるわけでもないので,結果的に問題文の意味を全く取れないまま解いているのとさして変わりない点数にしかならないということである。逆に言って,東大の問題文のようなめんどくさいものではなく,単純な論述問題であれば,精度は昨年に比べて向上しているのではなかろうか。昨年は東大以外の論述問題にもチャレンジしていたが(そして昨年の段階でかなり解けていた),今年は無かったので比較できず残念である。
・第3問のクイズ問題も,問題文からどんな種類のもの(人名・国名・宗教名・事件名・建物名等)が問われているのかを判断させてから,解答を出力させた。ここは人工知能の得意分野に思われたが,東ロボくんにインストールされている教科書や用語集が古く,新課程に対応していないため新課程で重要度が上がった単語を解答できないという思わぬトラップに引っかかって,点数が伸びなかった。また,問題文がひねられていると解答が難しく,例えば「魏の文帝の父親は誰か」と問題の東ロボくんは「曹丕」である(曹丕は「魏の文帝」であるから誤り,正解は曹操)。問題文の意味を理解して解いているわけではないので,この程度のひねりであっさり引っかかるのである。前に私は「東ロボくんは早慶上智の世界史の方が得意なのでは」と書いたが,撤回します。早慶上智の世界史はこんなやわなひねり方はしません。
・ただまあ,代ゼミの講師の講評によると,「受験生の解答も,たとえば曹操の問題だったら「曹丕」がやはり多かった。第3問の他の問題を見ても,人間の受験生の誤答と東ロボくんの誤答は酷似している」そうで,まあそうだろうなと私の実感としても思う。国語といい世界史といい,人工知能が人間に似ているというよりは人間が人工知能のような思考しかできていないのではと思わせられたわけだが,これは東ロボくんプロジェクトに携わる研究者の側も同じことに気づいたようで,これが[今後の東ロボくんプロジェクトについて]に続く。
・しかし,新課程に対応していないせいで点数が伸びなかったのは人工知能のせいというよりもデータ提供元の山川出版社の責任では。おそらく無料で提供していると思われるし,虎の子のデータなので万が一の流出を考えると最新の教科書・用語集のテキストデータは提供したくないのだろうけど。


[今後の東ロボくんプロジェクトについて]
・巷に流れている情報が錯綜していて,明らかな勘違いも流れているので,ここで整理しておく。
・東ロボくんプロジェクトの目標であった2022年までの東大合格は断念する。正確に言えば,英語・国語・物理・日本史等は,人工知能自体にそれこそシンギュラリティ(技術的特異点)が来るようなレベルの大規模な進歩がない限り,点数が大きくは伸びないこと,そしてそれがすぐには来ないことが予測されるので,一度挑戦を凍結し,来るべきときが来たら再開する。ある程度結果が出ている数学と世界史は研究を継続し,むしろ現行の人工知能の範囲でどこまで人間の受験生を超えられるのかに挑む,またそこからの産業への応用を目指すそうだ。
そもそもこのプロジェクトは「現行の人工知能の自然言語処理における可能なことと限界を探る」ことが本質的な目的であり,東大合格は「可能か不可能かすら全くわからない」目標として掲げたものだった。そこで偏差値55程度の学力で東大はまず無理という「限界」が示せたから,目的は達せられたという。最初から東ロボくんプロジェクトをウォッチしている私自身も証言するが,この目的は東大合格に失敗したから突然出てきたものではなく,初年度の成果発表会からずっと出ていたものだ。東大合格を諦めたからといってプロジェクトが失敗だったと見なすのは,それこそ“その人の読解力不足”でしかない。
・そして東大入試挑戦の本体を凍結してどうするかというと,前述の通り,「人工知能は問題文の意味を理解して問題を解いているわけでは決してないのに,ほとんどの教科で偏差値50を超えてしまったのはどういうことか」という点や,国語や世界史といった文系分野では人工知能と人間の解法・解答が極めて似通うという点から,むしろ人間の受験生が問題文の意味を理解しないままに問題を解いているのではないかという疑問点にたどり着いた。
・そこで基礎的な読解力を測ることに特化した「リーディング・スキル・テスト」を開発し,15000人の中高生を対象に実施したところ,無残な結果であった。これについてはここにまとめると非常に長くなるので,問題とそれぞれの正答率がNIIの方で公開されているので(pdf注意),そちらを参照してほしい。まあ,成績にかかわらないテストであるので生徒の側のやる気がなく,適当に解答した輩がそれなりに紛れ込んでいた結果として正答率が低いという可能性も否めないが,それにしても確かに低い。宗教の問題の間違え方何かは明らかに人工知能っぽい間違え方である。とりわけやる気のわかない状況では人間の側が人工知能っぽい思考になりがち(キーワードを拾った斜め読み)というのは,案外コロンブスの卵なのではないかと私は思う。
・人工知能の進化が予測されるからこそ,人工知能が苦手な分野の読解力を人間は磨くべきではないか。あるいは人間の読解力の本質を調べていくことで,人工知能の進化に貢献できるのではないか。というわけで,このプロジェクトは今後「リーディング・スキル・テスト」のさらなる開発とその結果を用いた研究にシフトしていくようだ。

  
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2015年11月16日

「ロボットは東大に入れるか」成果報告会 in 2015(11/14)レポート

昨年のものはこちら。また,朝日新聞の報道はこちら。

今年から協賛が代ゼミから駿台・ベネッセに代わった。代ゼミがセンター系模試を止めたためである。ベネッセのマーク模試の方が母集団が大きいので偏差値や判定への信頼性は高い。受験したのはマーク模試の全教科(社会は世界史・日本史,理科は物理で例年と同じ)。東大二次型の模試(東大実戦)は数学と世界史。今年の目玉は世界史の論述に取り組んで,割りとまともな成績を叩きだしたことにある。これは私自身激しく衝撃を受けたので,後段で詳述する。


[解法についての教科全般の話]
昨年と共通する点詳細は割愛する。
・例によって,OCRで直接文章を読み取って東ロボくんに流し込む,というのは未実装。今回は問題文をXMLに書き下す(数学ならMathML)ところまでは人力。
・画像処理も昨年と同じでほぼ未実装に近い状態。アノテーションを付して図表をテキストデータに変換し,自然言語として処理。ただし,今年は画像検索を行い,インターネットで最初に検出された画像の画像タイトルをテキストデータとして埋め込むという手法に変更した。画像検索に人工知能的な技術を使っているため,こちらのほうが最終的に目指している全自動に近かろうという判断とのこと。ただし,画像検索をしても全く引っかからなかった画像は以前と同様,人間が見てそれっぽい日本語を付している。
・英語のリスニングと,世界史の本格論述に初挑戦。


[総評]
・マーク模試は950点中511点,900点満点に換算すると495点。偏差値だと57.8という成績が出る。一見するとかなりの好成績だが,数学の152/200(偏差値64.0と65.8),世界史の76点(66.5)に引っ張られての成績であり,その他の教科は50前後で,昨年とあまり変わっていない。ゆえに,英語・国語・数学or世界史という一般的な私大文系の受験型(3教科)に絞ると偏差値は53〜54まで下がってしまう。この数値は去年とほぼ同じ。
・世界史が伸びているのに3教科にすると偏差値が昨年と同じになってしまうのは,国語と英語の偏差値が下がったからだが,国語は問題が易しく受験生の出来が良かったため相対的な偏差値が下がっている。英語は,該当項目で述べるように今回のマーク模試の英語が東ロボくんの解き方と相性が悪かったことが原因にあり,チューンアップがしっかりしていれば偏差値が伸びていた可能性が高い。場合によっては3教科偏差値が法政大あたりに届いていたのでは,と思うとややもったいない。


[英語(筆記)]
・前述の通り偏差値が50.5から48.4に下がってしまったが,実は同じ模試を昨年の東ロボくんと今年の東ロボくんで受験してもらうと,どの模試であっても今年の方が出来が良い。つまり,確実に成長しているが,今年の模試と東ロボくんの相性が悪かった。
・その決定的な原因は,はっきり言ってしまうとマーク模試が昨年までの代ゼミ模試よりも難しかったため。というよりも,私が補足するが,あのマーク模試は本試験よりも難しく,センター試験に向けてチューンナップした東ロボくんには不利だったであろう。発表者のNTTの人が「模試の傾向変化が半分,東ロボくんの実力不足が半分」と言っていたが,まさにその通りだと思う。
・もう少し具体的に言うと,東ロボくんの英語の解法は,新聞記事などを基板とした膨大な英語のテキストデータ(約10億語)を検索し,問題文の要求する“自然な”英語を探し出してくるというものだが,基本的に東ロボくんは問題文の周辺4単語(5-gram)しか検索しない設定になっている。これは予測変換と同じシステムで,入力されたN-1個の単語から次の単語を予測するモデルのことをN-gram言語モデルと呼ぶ(より正確な説明が欲しい人は「N-gram言語モデル」でググること)。これを使って,問題で問われた箇所の周辺4単語と,保有する英語のテキストデータの照合を行っているわけだが,当然Nが増えれば検索も膨大になるので,問題が解ける限界ギリギリである方がよい。そして,センター本試験を解くには5-gramくらいであろうと思われていたところ(実際センター英語はあまり複雑な文脈の読解を要求しない。もちろん長文問題は別として),今回のマーク模試は10-gramくらい余裕で必要な問題がいくつか出されたため,文脈が読めずそれらを落として成績が下がった,ということである。実際,誤答も文法的には破綻がない。
・ゆえに,チューンナップミスが半分。一方で,N-gram言語モデルは当然であるがNを増やせば検索で一致する箇所が減るため,文法的正確性は向上するが,同時に「白紙答案」も増えてしまう。よって,10-gramにしたら単純に解決する問題ではない=東ロボくん自体の実力不足が半分,というのが発表者の分析である。
<筆者感想>
ベネッセくん,ちゃんとマーク模試を作ろう。今年の本試験と見比べてみたけど,やっぱりちょっと文章長いと思う。全体的に。
あと,N言語モデルでNを増やした結果,どの程度白紙が増えるのかは気になるところで,あまり白紙が増えるようなら難関私大や国立二次試験の入試問題は手がつけられないのでは。当然それらはセンターほど単純ではないので。そこが東大二次に対する壁になるのかなぁ。



[英語(リスニング)]
・初挑戦となったリスニングだが,16/50点,偏差値は40.5という結果。人間よりもかなり悪い。
・やり方は人間が音声ファイルを問題ごとに切り出し(ここは人力になるが仕方なかろう),切り出したものを音声認識ソフトのKaldiでテキストデータに変換させ,あとは筆記試験と同じ解答器で解かせるというもの。つまり,音声認識器Kaldiを導入した点が新しい。テキストデータに変換さえしてしまえば,問題の難易度自体は筆記試験より当然易しいので,筆記試験と同じ解答手法で十分解ける。
・当然そのKaldiの精度ってどうなのよ,という話になるが,単語レベルでは約10%の誤り,文単位では約49%の誤りが検出される。なんとなくではあるが,Siriiあたりの精度と比べると悪くない? というのが素人の発想なのだが,どうなんでしょうか。専門家はその辺見劣りしないものを持ってきているとは思うのだけど。なお,「Kaldi 音声認識」でググると少ないながら動かした人の記事が読めるので,興味がある人はどうぞ。私はさっぱりわからなかった。
・というわけで,文単位で半分も読み落としがあれば当然解けるはずもなく,正答率4割は妥当な結果ではないかと。むしろ出来た方なのでは(運でも正答率約25%にはなるが)。


[国語]
・一昨年は単純な「一致する文字数」の数え上げ。昨年は少し進化して,本文や選択肢を節に分解して,節を分析する手法を導入した。今年はさらに文字数や節以外にも分析項目を増やし,12個の観点から特徴ベクトルを計り,総合的に正しそうな選択肢を選ぶ手法に変えた。また,分析項目のいくつかに「選択肢間の文章を比較する」ことを取り入れた。
・結果は昨年までとさして変わりがないように見えるものの,評論の点数が安定してきており,また過去のソルバーは本試は解けるのに模試は解けないという謎の傾向があったが,今回のソルバーは模試でも本試並の点が出るようになった点で,性能は向上している。
・文章を理解して解答を出しているわけではないのは,昨年までと一緒。
<筆者感想>
選択肢間の比較は実際の受験生でもやる手法で,一致する文字数の数え上げに加えてますます人間じみてきたなと。かなり複雑なシステムになった割に点数が伸びてないなというのが正直な感想で,やはりエンジニアリング的手法の限界が来ているのではないか。あと,毎年書いているが,そろそろ古文と漢文をですね……英語に近い手法でいけると思うんだけどなぁ。


[数学]
・センター数学は152/200,東大二次(文系)は39/80。
・解法は概ね例年と同じ。言語処理・問題表現の変換を人力・半自動で行い,数式処理は人工知能にやらせる。ただし,言語処理・問題表現の変換の完全自動化も研究自体はスタートしており,開発が進んでいる。2020年を目標に開発を完了させるとのこと。何やら進んでいる様子は見受けられた。
・数式処理については,主体は例によってQE(限量記号消去)だが,例年QEでは解けない問題をほとんど投げ捨てていたところ,今年はQEとは全く違った解法を導入したことで数列と統計が解けるようになったのが最大の成果である。これで完全未着手な主要な分野は確率と整数問題のみとなり,センターに限れば白紙部分がかなり減った。
・結果的に,東大の二次はさして変わらないものの,センター数学の点数が飛躍的に伸び(約5割から約8割),しかも白紙答案が減ったために点数が安定した。これにより,今までは「東大二次ができるのにセンターはてんでダメ」という非人間的な点数であったところ,かなり人間らしい点数に近づいた。研究が進んだ結果,人間らしくなるというのは,他の教科でもあることだが,おもしろい話である。
・QE自体も計算量爆発を防ぐ工夫で進歩が見られたようだが,私にはさっぱりわからなかったので割愛。
・数列は,一般項が求められない(または求めにくい)けど,人間なら直感的に法則がわかるような数列(例:1,2,2,3,3,3,4,4,4,4……)に弱いそうな。現状のソルバーが漸化式を作って一般項を求める正攻法しかできないため。この点は非常に人工知能っぽい特徴でおもしろい。
・また,言語処理の自動化について。どの程度自動化できているのかというと,今回は現在開発途中で半自動で行っているところ,人間が補助せずに(つまり完全自動で)言語処理させて東ロボくんに解かせたところ,83/200であったという報告があった。これをどう評価していいかは難しい。



[物理]
・解き方は昨年までと同じ。シミュレーションを動かして,実験結果から解答を出す。今年はシミュレーションに必要なモジュールの数を大幅に増やし,28個となった。これで力学の分野だけで言えば,66%の問題が既存のモジュールで対応可能となり,力学はおおよそシミュレーションを動かせば解けるようになった。
・しかし,実際の模試では既存のモジュールで対応できない問題ばかりが出題されてしまったので,点数が伸び悩んだ,とのこと。また,例によって力学以外の電気・波動は未着手であり,問題文の自然言語処理も未着手である。


[世界史]
・今回の目玉。マーク模試は76/100,東大二次型(実戦模試)は21/60。ただし東大実戦模試の世界史の配点は一般的なものとは違っており,一般的な東大型の配点に組み替えると26・27点になると思われる。偏差値はマーク模試で66.5,二次で54.1。これはかなりの好成績で,昨年までのセンター型の成績は6割弱だったことを考えると大きく伸びている。東大二次型は今年初挑戦だが,初挑戦でいきなり偏差値50超えで,人間の東大受験生の立場がない。
・世界史は参加チームが7チームと多く,その中で日本ユニシスのチームがマーク模試で,NIIと横国大のチームが二次型でそれぞれ最高得点となった。以下,私なりの理解で書くが,NIIからプレスリリース(pdf)が出ているので,より正確な表現はそちらで。
<マーク模試>
・大きく伸びただけあってかなり改良が見られた。ベースが含意関係認識である点は変わりないが,まず,同義語・類義語の読解精度や,同一カテゴリーの上位語・下位語の読解精度が大きく上がっていた。たとえば,
   ・726年に,ビザンツ皇帝レオン3世が聖像禁止令を出した。
   ・8世紀前半に,東ローマ皇帝レオン3世が聖像禁止令を発布した。
は人間にとってはほぼ同一の意味の文とすぐにわかるが,東ロボくんにとっては全く別の意味に見えていた。
今回,この「726年」と「8世紀」,「ビザンツ」と「東ローマ」,「出した」と「発布した」のような関係性を人工知能に認識させることにある程度成功しており,問題文の誤読が大きく減っている。
・また,「構文木のマッチング」という手法が取られた。たとえば,
   ・クシャーナ朝がパータリブトラに都を置いた。
という選択肢(誤文)に対し,「パータリプトラに」という節だけを切り出して,教科書の「プルシャプラに」という部分とピンポイントで比較して,相互に場所を示す歴史用語(固有名詞)であるから,排他的な関係であり誤文,という判断を人工知能が下せるようになった。……あれ,これって自然言語処理としてかなりすごい技術なのでは。そりゃ点数も伸びますわ。ただ,国語や英語には転用できなさそう。
・なお,今回の成績はフロックではなく,どのセンター型の問題を解かせても80点前後にはなるそうで。来年90点の大台に乗ってても驚かないなぁ。がんばれ日本ユニシス。
<東大二次型(実戦模試)>
・こちらは2/3が完全論述問題なので(残り1/3はただのクイズ),マーク模試の解法は使えない。しかし人工知能が自主的に文章を書くという能力はまだ無いので,どうしても教科書の抜粋(コピペ)のつなぎあわせで解答を作ることになる。問題は的確な抜粋が可能かどうか,という点。
・東大の第1問は600字論述であるが,必ず指定語句が8・9個ついている(今回の模試は9個)。そこで指定語句を中核とし,問題文を参考データとして教科書本文を検索し,関連性が高いと思われる部分を抜粋するという手法を取った。結果的に9/26点を確保した。これは受験生の平均得点よりも高い。
・朝日新聞の記事に東ロボくんが出した解答が載っているが,教科書からの抜粋であるので1文1文の日本語は自然であり,知識的にも当然誤りがない。しかし,文章全体の構成は崩壊しており,自然な日本語とはやや言いがたい。たとえば,解答の冒頭がいきなり「そのため」で始まっているのは典型的な構成ミスである。しかし,採点上は問題がない(筆者注:これは本試でも同様と思われる。理由は後述)。
・さて,話としてはここからがおもしろい。報告会では駿台の講師が講評をつけていたのだが,私の感想もその先生と全く同じであるので,先生のコメントを要約してここに掲載する。そもそも東大の第1問は教科書の抜粋では配点の半分も取れないように作られている。どういうことかと言えば,歴史用語の説明や時系列的な説明はほとんど要求されていないのである。むしろそうした用語や流れの歴史的意義を問題文の主張・テーマに沿って論じる・評価することが求められる。また東大の要求は常に具体例を挙げての議論・評価であるから,抽象論に逃げ込むと一切点がない。そのための指定語句ではあり,指定語句は全て使って欲しい具体例である。
・そこへ行くと,東ロボくんの答案はそれっぽい歴史用語を書き並べてはいるが,問題文の要求に沿った議論・評価にはなっていない。単純な辞書的な説明である。また,抽象的な議論が多く,必ずしも具体例を拾った説明にはなっていない。
・では東ロボくんの解答は東大の要求に全く答えていないので0点ではないか,と思われるかもしれないが,話の味噌はここで,実は東大受験生の7割型が作る答案も東ロボくんのような方向性の答案であり,問題文の要求にまるで答えていない。7割型は誇張抜きで書いたつもりだ。はっきり言ってしまうと,東大の第1問は超絶良問である一方で,現在の受験生の水準からすると要求水準が高過ぎるのである。結果として,「知識としては正しいが,問題の要求にはまるで答えていない(問題文の論旨がわかっていない)」答案が毎年量産されている。ゆえに,東大側も「問題文の論旨が理解できておらずとも,知識的に正しければ,配点の半分程度の点数になるように採点せざるをえない」という方針を取っており,駿台の模試もこれに従って採点している。よって,東ロボくんの解答でも9/26になってしまう(し,受験生の平均点を超えている)のである。なお,受験生の答案の文章構成が崩壊しているのも東ロボくんと同じで,これを気にして減点していたら平均点が大変なことになってしまう。まあ,人間が「そのため」から書き出すということは流石に無いが。抽象論に逃げ込むというのも人間の答案によく見られる事例で,総合して東ロボくんの答案は平均点やや下くらいの受験生の典型的な答案に酷似したものと言える。駿台の講師もそうだったようだが,私はこれに大変な衝撃を受けた。東ロボくんプロジェクトの総括者である新井教授もさすがに慧眼で,同じコメントを朝日新聞に寄稿しているので,お読みいただきたい。
・「東ロボくん」研究の教授コメント 「人間、頑張れ!」(朝日新聞)
・こうした現状について駿台の講師が「東ロボくんの解答は,東大世界史にかかわる問題点を突きつけている」と評するとともに,東ロボくんの解答を高く評価していた。私としても100%の同意である。しかし,朝日新聞にかかると駿台講師の講評は「厳しい評価」になってしまうらしい。どこでどうねじれたのか,大変興味深い。そもそもニュースバリューとしては,新井教授や駿台講師が指摘したようなポイントの方が圧倒的に高いと思うのだが,ノータッチというのは,どうなのか。
・なお,さらに衝撃的なコメントをしておくと,そうした教科書の抜粋では解答できない問題を出しているのは実のところ東大と阪大,あとは一橋大くらいで(京大も無理かも),あとの大学の論述問題は大概解ける。つまり,現状の東ロボくんでも大学を選べば論述で高得点が取れてしまうのである。おそらく同じことに気づいた駿台の講師の手回しだと思うのだが,実際に会場で配布された資料では東ロボくんが解いた慶應大(経済)と筑波大の入試問題に対する解答と,駿台講師による採点が掲載されていたが,慶應大(経済)の問題で6/6点,筑波大の問題で7/15点であった。マジで解けちゃってるんだよなぁ……


<総評>
今年の成果は,どうしても世界史論述が最大だと思う。世界史が突破口になっているが,自然言語による論述問題への解答に糸口が見えたという点で間違いなく革新的な成果を上げたと言えよう。今後,これが他教科に広がっていくと,本当に二次合格が見えてくるのではないか……と言いたいところだが,ネガティブ材料を挙げておく。実のところ,教科書本文の抜粋で配点の半分にせよ点数をくれるのは,東大の二次だと世界史だけであり,その辺で日本史や国語は渋い。国語なんて問題文の抜き書きなんてしようもんなら0点であるから,世界史と同じ解法は取れまい。そうして考えると,次に記述・論述問題にとりかかれそうなのは英語かなぁ,と漠然と考えた。来年度以降の東ロボくんの勉強に期待したい。  
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2015年10月30日

がっこうぐらし!:原作とアニメの差異について

『がっこうぐらし!』は,ユキの描写について原作とアニメの間に非常に大きな差異があるが,皆さんお気づきになられただろうか。以下ネタバレ全開。

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2015年08月12日

新々課程の社会科全般について

前回の議論の続き。今日の議題は残りの「地理総合」と「公共」だが,先に「地理総合」から取り上げる。地理総合は地理Aを改変して設置する必修科目(予定)だが,この科目が出てきた事情は,現在の地理Aおよび地理Bの置かれたちょっと特殊な状況から振り返らなければならない。

まずデータから見てみよう。平成27年度センター試験(本試)の受験者数は地理Bで146,846人,地理Aで1,843人であった。地理Bの受験人数は昨日の記事で紹介した世界史Bの受験人数(84,053人)よりもよほど多い。これでなんだ人気あるじゃないかというのは早計で,実は地理Bの受験者の大半は理系である。どういうことか。地理Bは,同格の世界史や日本史に比べると暗記量が圧倒的に少ない。用語数がおおよそ半分しかないというのが界隈の定説である。特にセンター試験はその傾向が強く,用語を暗記していないとどうにも解けないという問題が少ない。だから,暗記慣れした文系と戦わなくていい戦場という点で,地理は理系にとって相対的にマシな科目になる。代わりに提示された統計資料や地図から当てをつけて推測する能力が問われる問題が多いが,そういうたぐいの問題なら文理はあまり関係が無い。

逆に言って,純粋な文系としてセンターを越える地理Bの勉強をしている人は,実は非常に少ない。全統記述模試なり駿台記述模試なりの科目別受験者数を調べてみると,文系としての地理の模試受験者数は大抵の場合で日本史や世界史の半分以下しかいない。特に私大専願に限ると一気に十分の一程度まで減ってしまう。これが文系の地理人口の実態だろう。これにはちゃんとした理由がある。大学でちゃんとした人文地理学科があるところが少ないのだ。結果として地理を教えられる高校教員が育たない。地理は日本史と競合する選択科目なので,高校としては日本史を設置して逃げる。ゆえに受講できる高校生は限られる。当然,大学で人文地理学科に行こうと考える高校生のパイ自体が限られる。結果として,大学教員として人文地理学を専門とする研究者も限られるし,人文地理学科が新設されにくい原因にもなる。負のスパイラルに近い。(ちなみに,こうした事情からか,入試問題もひどいものが多いし,批判する人も少ない。是非ともどなたかに『絶対に解けない受験地理』を書いてほしい。)

これらにより,本邦の高校生は理系に行くと地理を勉強するが,文系に行くと地理を勉強しないという謎のねじれが発生している。それで「全く勉強しない」のはまずいということで,文系の地理Aの必修化案が浮上した。しかし,A科目が全般的に機能していないのは昨日書いた通りで,地理Aも例外ではない。名目上ではあるにせよ近現代重視ということになっている世界史A・日本史Aに比べて,地理Aはそういう特性すらなく,単純に地理Bを簡素化したものというぞんざいな扱いであった。だからこれを機会にてこ入れして,環境問題と防災にだけフォーカスする。ついでに看板も掛け替えてしまおうというのが「地理総合」の趣旨である。こういった経緯と趣旨なので,少なくとも設置の意義は理解できる。もっとも,受験科目にならない以上は未履修問題が浮上するのは必然で,何の工夫もなく設置すれば現在のA科目同様に実態上存在しない科目と化してしまうとも思う。

また,履修の体系における地理総合の位置づけは大きな論点になる。再度書くが,現行の地歴は「世界史AまたはB」から1つと「日本史AまたはB,地理AまたはB」から1つという構成だ。ここから「地理総合」を必修としつつ,「歴史総合」も必修として設置するとすると,おそらく下のいずれかくらいになるのではないだろうか。あくまで私の予測でしかないが,それなりに近い形になると思う。

・地理総合(2単位) + 歴史総合(単位数不明,多分2単位) + 日本史B or 世界史B or 地理B(4単位) 計:8〜10単位

他教科との兼ね合いを考えると,合計8単位以内には収めたい。まずまず合理的だと思う。大学受験を考えた場合の話もしたい。2020年からセンター試験は「新テスト」に置き換わる(予定,新国立競技場並に泥沼と化している現状に目を背けつつ)。仮に「新テスト」がセンター試験と全く同じ科目配置だとすると,ほとんどの大学は4単位科目しか受験科目として認めていないので,これらの場合はやはり歴史総合や地理総合は有名無実な科目と化してしまうだろう。

これを避ける手段は2つ思いつく。1つはちゃぶ台を返すようだが,地理総合は廃止にしてしまって地理Bを必修科目とし,歴史総合は4単位にした上で,以下の履修体系にする。
・地理B(4単位) + 日本史B or 世界史B or 歴史総合(4単位) 計:8単位
もう1つは,履修体系はいじらず,「新テスト」で「地理総合」と「歴史総合」を国公立大学の必須科目にしてしまい,50点+50点とする。これにB科目1つ(世界史・日本史・地理)の100点分を加え,国公立の文系社会科は原則として200点満点を要件にすれば,皆強制的に地理総合や歴史総合を勉強するようになるだろうし,テストの難易度を低く抑えれば受験生の負担もそれほど増えない。


「公共」についてはまた書く余裕がなくなってしまった。別の機会に何か書くか,まあ書かないでいいかになるかはわかりません。
  
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2015年08月11日

新々課程の「歴史総合」について

2022年からの高校教育課程について,社会科の科目の抜本的改革が提唱されている(リンク先は日経新聞)。今回提言されているのは「歴史総合」「公共」「地理総合」の設置である。これらに対する解説と評価は,一応の歴史教育系ブロガー(?)として論じておかねばなるまいと思ったが,書いていたら長くなったので,前後編に分けることにした。先に結論だけ書いておく。

・「歴史総合」は実態として機能するかが大きく運用と「新テスト」にかかっており,受験科目化するなら評価できる。
・「地理総合」はおそらく実態としてあまり機能しないが,設置意義は評価できる。
・「公共」は発案した奴誰だよ。無駄の極みだよ。


この前編では歴史総合について扱う。「歴史総合」は,世界史と日本史の近現代史部分のみを扱う科目である。これは現行の制度崩壊に関する議論から生まれた発想だが,その制度崩壊を説明しておきたい。

現行の高校地歴科の必修は,「世界史AまたはBから1つ」と「日本史AまたはB,地理AまたはBの4科目から1つ」の合計2科目履修となっている。しかし,現状のこの課程は全く上手くいっていない。ポイントはAとBの違いである。
1.B科目は内容が厚く難関大学を受験する高校生向け。A科目は競争率の高くない大学の受験生や,受験を意識しない高校生向け。
2.日本史・世界史のB科目は前近代から近現代まで満遍なく履修する。A科目は近現代を重視する。前近代はほとんど扱わない。
3.B科目は4単位でA科目2単位である。つまり,B科目の履修にはA科目の倍の授業数が必要。
(多くの高校ではB科目は2年かけて終わらせるが,A科目は1年で終わる)

一見すると上手い住み分けのように見えるのだが,実際には早期に崩壊した。理由はいくつかある。まず何より,選抜性の低い大学も含めたほぼ全ての大学においてA科目は受験科目として認められておらず,相手にされていない。国公立大はセンター試験が必須,私大専願でも今時は必ずセンター試験を受けて私大入試に利用する(センター利用と言って,入試をセンター試験の点数で肩代わりする制度がある)。そして受験要項を見ると,ほとんどの大学はB科目を要件にしていて,A科目では受験できないのである。難関大学だけではない,偏差値的にはかなり下位の大学であってもBを要件にしている。その結果は受験者数が雄弁に物語っている。A科目の受験者数はB科目の50分の1以下に過ぎない。具体的な数字を出しておこう。平成27年度センター試験(本試)では世界史Bが84,053人に対し世界史Aが1,376人。日本史Bが155,273人に対し,日本史Aが2,409人。

また,センター試験自身も制度を裏切っている。A科目の難易度はB科目より有意に易しいとは言えない程度には難しく,前近代からの出題も多く,矛盾した話だがB科目を勉強していかないと高得点にはならない。結果として,平均点は世界史・日本史いずれもB科目の方が15点以上高い。受験者層のレベルに比して,A科目の難易度が明確に高すぎるためだ。この実態から乖離した難易度は幾度となく指弾されてきたが,とうとう是正されないままセンター試験自体がなくなりそうである。大学側がB科目を必須要件にするのは,難関大を自称したい見栄の問題もあっただろうが,それ以上にこのセンター試験A科目の惨状を鑑みてのことだろう。

A科目の闇はまだある。進学校の世界史A未履修問題である。2006年頃に発覚して話題になった。上述の通り,高校生は地歴のうちから2科目が必修だが,ほとんどの受験生は地歴を1科目しか使わない。ゆえに高校の側も,使わない方の科目をAで履修登録させておいて,実際には受験で使う方のB科目の授業を受けさせるか,自習時間にしてしまう(当時のうちの母校は前者でした)。受験に使わないならせめて近現代史だけでも軽くさらっておけというのがA科目の存在意義の一つであったはずだが,軽くですらさらいたくないというのが進学校の本音である。

それでも,大学受験を全く考えない層の多い高校にはA科目が必要なのでは? という意見があるかもしれない。私はその意見には反対である。なぜなら内容の軽重は高校教員の主体的な判断・裁量に任せられるべきで,受講する生徒の力量を鑑みて教える内容を決めればいいのである。高校の教員にそのくらいの権限があっても良かろうと思う。教科書だって現行でさえB科目なのに受験を意識しない高校生用のものがある謎の状態なので(その存在自体がA科目のアイデンティティクライシスである),A科目を廃止したところで全く影響が無いのは明白である。


それで,私がここで改めて訴えるまでもなくA科目廃止論は長らく議論されており,どう廃止するかが焦点であった。しかも,折からの安倍内閣の要望で日本史の必修化議論が出てきた。しかし世界史を必修から外すのは大学の側から猛反発が出て,世界史と日本史の両方を必修にするというのは現場の事情から言って不可能である。そこで出た発想が実態上ではなくお題目上の(ここ重要)世界史Aと日本史Aを融合させた「歴史総合」であり,これを必修にする代わりに,世界史と日本史を両方とも必修から外すというものである。経緯を知っていると,容易に否定できない科目であることは,理解していただけると思う。

さて,これが実態をなすかどうかは,前述の結論で述べたように運用上の問題が大きいと思われる。世界史Bや日本史Bと並ぶ受験科目として認知されれば意義の大きい科目になるだろうが,ならなければ現行のA科目同様に没落するであろう。だから,あらかじめカリキュラムの側で,世界史Bや日本史Bと同格に並べてやればよいわけだが,現状「歴史総合」が2単位か4単位なのか自体が明らかになっていない。活きた科目にするなら4単位としてほしいものである。
  
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2015年04月19日

2015冬アニメ感想(主に艦これとモバマスとSHIROBAKO)

・艦これ。最終話見た直後に別個に一記事立てて書こうと思ってたが,冷静になろうと思って一週間ほっといた結果,そのまま一ヶ月経ってしまった。しかし,良いこともあった。冷静になって一ヶ月ほど寝かせてから再度考えてみた結果,冷静になって考えてもやっぱり駄作だったという結論しか出せないことがわかった。それはそれとして,後出しで感想を書くと先人の知恵が活かせるという利点がある。




おそらく,本当にこうだったのではないかと。自分もドーリットル空襲があったあたりから,似たようなことは考えていた。
→ ついでに言えば,割りとガチで『マブラヴオルタネイティヴ』(因果律量子論)をやろうとしてたのではないかと考えている。少なくとも,「アニメ艦これ世界には史実に向かわせる強制力が働いている」という設定があったのは確実で,その上で「提督と何人かの艦娘は,(因果律の中心たる吹雪に近いため)史実の結果を予知できていたか,何回目かのループを経ていて前回をぼんやり覚えている」。なので提督は史実からそれるために活動しており,その内容は上掲の動画のように補足できる……と考えるとかなりスマートな解釈になる。ついでに,巷でキモいキモいと言われている「夢で吹雪と結婚した」話も,『オルタ』でいうところの鑑純夏が吹雪である(因果律の中心である)とすると,吹雪が不快にならないことも含めて辻褄が合う。どうだろうか。
→ で,本当にこれらの推測が当たっていたとして名作扱いできるかというと,決してそんなことはありえず,これをやろうとしていたなら「史実の強制力(と因果律量子論)」の説明は1話と2話で済ませてしまうべきで,アニメ艦これがダメだった要因は複数あれどもこれが最大だったと思う。全体の構成さえしっかりしていて,世界観の説明が最初に済んでさえいれば,”雑な”原作台詞の挿入だったり“雑な”二次創作ネタの混入だったり,提督不在による不自然な映像等は致命傷にならずに済んだはず。全体の構成がボロボロだったところに,決して浅くない傷が何箇所もあれば,それは合わせ技で途方も無い駄作になる。6話がマシだったのは,ギャグ回だったからというよりも全体の構成と関係のない話だったからだと思う。実際,6話でも足柄さんが浅くはない傷を負ったわけで,あれ単体では許せない人もいよう。


・幸腹グラフィティ。今期の何も考えずに見ていられる枠。良い食いっぷりと良い百合でした。長年のブログ読者には言うまでもなくわかっていることだと思いますが,椎名さんと露子さんが好きでした。二期があるなら多分見る。


・実在性ミリオンアーサー。後半もいろいろな仕掛けで笑わせてもらった。
→ 結局,裏設定としては冒頭のラーメン屋らしき場所はアーサーたちの時代からは遠い未来で(20万年後?),不老不死の妖精たちだけが残り,ニムエに封印されたマーリンがもうすぐ復活するor復活済みであり,放送されていたのは「アヴァロンネットワーク」の検閲が入ったものだが,放送内容をめぐってマーリンとニムエたちの裏のバトルがあり,21話の次回予告では完全にマーリンに乗っ取られていた(ので妖精言語になって映像内容もバグった),ということでよろしいんじゃろうか。ラーメン屋にいるような一般人まで騎士になっている,アヴァロンがあれば騎士はすべて操れる,「アヴァロンネットワーク」というようにアヴァロンはアーサーたちの努力むなしく存在している模様,アヴァロンに介入できるマーリンがもうすぐ復活する……とすると,むしろバトルはこれからなのでは。どこかで真相を明かしてほしいなぁ。


・冴えない彼女の育てかた。最初にビジュアル見た時はちょっと不安もあったけど,全くの杞憂であった。結果的に作画の崩れは全くなく,むしろ黒タイツフェチっぷりが遺憾なく発揮されたアニメであった。脚本も丸戸本人がやっただけあって原作に忠実で,かつFD(という名の短篇集)で後から補完した内容を取り込んだ「完全版」仕様だったのも,原作ファンに嬉しいところである。原作未読の人のために言うと7話で,えりりが夏コミの原稿のネタ出しと称して倫也になりきりプレイをさせるシーンとかは,原作だと短篇集で補完されたシーンだ。
→ しかし,アニメで見ても原作1巻の内容はやはりテンポが悪く,倫也が一方的に話しまくってたのと,あとから伏線として回収するために伏せた情報が多すぎたのが敗因だったのだなという新しい発見もあった。アニメで気に入ったけど原作は読んでないという,うちのブログの読者にしては奇特な方(またはこのアニメ感想記事だけをリンクや検索で読みに来た方)に言っておく。『冴えカノ』が本領を発揮するのは圧倒的に5巻以降で,原作の1巻は凡作,2〜4巻はおもしろいけど本調子ではない。今回アニメ化したのは1〜4巻の部分である……後はわかるな。わかったら原作を読みながら2期を待つのだ。円盤が5桁売れたそうなので,2期は遠からずあるでしょう。


・アイドルマスターシンデレラガールズ。艦これの最大の不幸はよく似た性質だったこれと同じクールだったことと,出来が天と地の差だったことかもしれない。あまりにも神作品過ぎてBDマラソンを走ることを決意した。あの艦これの後だったのでかなり警戒しながら1話を見たのだが,武内Pが全部持ってったのを見て,このアニメは安心して見れるなと。艦これのように顔を全く映さないという選択肢もあったのに,赤羽根Pのような選択肢もあったのに,武内Pを投入してきた勇気。そして武内Pのパーソナリティを丁寧に示したことは,我々を安心させるに足るものであった。赤羽根Pの時もそうだったが,「ゲームの後追いではなく,明確なストーリーを描く」という強い意志を感じたし,実際力強いストーリーであった。
→ 無印アニマスは明らかに意識されてて,差別化されていたと思う。Pは二人とも影に徹して仕事をこなす優秀なPだったが,赤羽根Pは気弱だがアイドルに親しみをもたれやすく,一方「プロデュース」は各個人の判断に任せているところが大きかった。それに比べると武内Pはきっちりと「プロデュース」しており,ラブライカにせよ凸レーションにせよアスタリスクにせよ彼のプロデュース能力は高い(これに関して視聴者を納得させつつそれ自体物語の要素にしてしまう一石二鳥っぷりは本当に上手い)。しかしアイドルには怖がられ,距離を取っているようなところがあった。無印アニマスもモバマスアニメも,Pとアイドルがともに成長していくところは同じだったが,成長の方向性は少し違った。これは,765プロが弱小事務所だったのに対し,346が超大手事務所。赤羽根Pは新入社員,武内Pは経験者という設定の違いにも垣間見える。
→ もうモバマスなんて知っている人は皆知っているだろうと思っていたのだが,1話・2話放送直後にしぶりんの姿がpixiv等で散見されるようになった。うまいこと新規開拓ができているようで何よりである。

さて,やはり蘭子には触れざるをえない。 アイドルがアイドルたる理由は人によりそれぞれで,それは「歌が好き」であったり「生活費」であったり「人を笑顔にさせる」であったりするわけだが,蘭子の場合は強く「自分の世界の表現・共有」の手段である。もちろん自分の世界を表現する手段は小説なり絵なり音楽なりと様々あるところ,蘭子が選んだのはアイドルになって自身がその世界を体現・現世に降臨させることであった。これは引っ込み思案な相当な覚悟であるから,武内Pに勧誘された時にはよほど嬉しかったに違いない。ところがいざCDデビューできる段になって武内Pから提示されたのは,同じゴシックでも方向性が正反対なホラーであった。Pの「瞳の曇った」ことは,蘭子にとって非常な悲しみであったに違いない。さらにそこから一転して理解されたのだから,その喜びも理解できよう。8話の蘭子は天地が割けるほどかわいかった。いいね? 翻って彼女のデビューはソロでしかありえなかったわけだが,そのままだと誰とも絡みがないという問題は9話と11・12話で見事に解決された。凸レーションの代役で原宿系なファッションを着て笑顔の練習をする蘭子も,ラブライカの代役でステージに立つ蘭子も,自らの世界を崩さないまま周囲とあわさって見えた。これが彼女の成長であろう。

ところで,極めてどうでもいいが,蘭子が「プロデューサー」と言おうとするも恥ずかしくて別の単語になってしまうシリーズに「プロヴァンスの風」があるが,これは南仏に吹く特徴的な風「ミストラル」を示していると思われ,また蘭子のデビューCDである「華蕾夢ミル狂詩曲」ではイタリア語がふんだんに使用されていた。さらに蘭子は常に日傘を差している……これらの意味するところは一つ。これはもうモバマスも実質『咲-Saki-』ですね,間違いない。明華の声優,内田真礼にならないかなぁ。


(追記)
・『SHIROBAKO』をニコ生一挙放送で見た。話題になるだけはある名作だった。
→ 自分が敬遠していた理由は,単純なアニメ業界裏話だったら別にそんなに興味ないなと思った点と,P.A.WORKSは『花咲くいろは』を3話で切ってから合わないと思っていたという点が大きい。後者に関しては後追いで感想を読んでいくと同じようなことを言っている人が多数見つかり,自分が言うのもなんだが京アニ並にアレルギー発生させとるんやなあの製作会社,と思った。で,1話も見てなかったわけだが,1話を見て名作臭しかしなかったので,食わず嫌いは良くないなと反省した限りである。
→ で,個人的にはアニメ業界裏話だったというよりは,お仕事アニメだったと評価すべきで,前者としてはもちろん後者としても非常によくできていた。労働者の皆様は身につまされる思いをしながら見ていた人も多かったのではないか。いろんな意味で。私は1クール目の本田さん,2クール目のみゃーもりに心底共感するし同情しますわ。ほんともうね,出すものを出さずに連絡絶つ奴は死ねと(サボってましたごめんなさいができる人は実のところ許せる)。あとそのことを隠すスタッフはほんと死ねと(幸い現実でこの目に遭ったことは今のところ無い,優秀な部下たちで助かってます)。しかし,作中一番共感した台詞は本田さんのものでもみゃーもりのものでもなく,矢野先輩の「私,この業界入るまで,大人ってちゃんと仕事するのが当たり前だと思ってました。」だったりする。就活生や新入社員にしばしば「社会人の責任(感)」が要求されるのは,日本社会で貴重でそれがあることの裏返し的側面もあるんやなと。騎士道的精神がなかったからこそ持っている人が尊重された中世西欧と同じで。
→ 共感する話で言えば,絵麻が自分の絵を見失ってたり,監督がストーリー展開を見失ってたりしたときの現象。「長時間その作業をしていると,自分の作っているものが,これで他人におもしろいのかどうかわからんくなってくる」は本当にある。拙著を書いていてネタを挟もうとする時に「このネタ,他人におもしろいのか?」とはよく悩んだものだった。結局,クオリティとかかった時間のバランスを見定めて折り合いをつけていくしかないのだろう。
→ また,仕事をしてると自分の最終地点とか,当初の目標を見失うけども,それを思い出すのが結局仕事を続ける原動力になっている,というのは一つの真理ではあり,少なくとも自分にはとても共感できるものであった。みゃーもりの苦悩も,ずかちゃんの苦悩も。23話は泣きました。みゃーもりにつられて,そりゃもうボロボロに。
→ 好きなキャラはゴスロリ様(当然過ぎておもしろみがねぇ! という読者の声が聞こえてきたが断固として無視する)。ゴスロリ様については実年齢と実態のギャップが話題になってたが,宝野アリカという実例を考えるとむしろほとんど違和感ない,という点は指摘しておこう。歴史上にもエリザベス1世っておるしな。あの人,晩年はやりすぎて白すぎて怖いって言われてたようだが。あと,小笠原のバッティングフォームには大爆笑した。ゴスロリ甲子園アニメ化はよ。5人の中だとりーちゃん。これは単純に文学少女萌えということで。今度ドストについて語り合いたいですね。
→ あまりアニメのスタッフには詳しくないし,語る気もないのだが,本作については演出と音楽周りが明確に『ガルパン』とまるで同じで,案の定水島努監督に浜口史郎音楽担当であった。あんだけあからさまだとさすがにわかるもんだなーと,これは自分への新たな発見か。
→ 一点だけケチをつけると,無能な人物を作ってヘイトを集めつつピンチを作るのは,多用されすぎてちょっと安直だったのは否めない。特に16話,物語の都合上仕方がないとはいえ,ナベPが茶沢の体たらくっぷりを夜鷹書房のもうちょっと偉い人に直接訴えるか,井口さんが最初にゴスロリ様に相談していれば早期に解決した話ではあって,特に後者をしなかったのは違和感強い。その後,茶沢の上司もなかなか腐ってたことがわかるものの,後者は説明なく流れてしまったのは少々残念だった。
  
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2014年12月24日

縮小するアラル海あれこれ

・世界で4番目に広かった湖「アラル海」、ほぼ消滅(CNN)

数年来のアラル海ウォッチャーの俺参上。まず記事の補足で,アラル海は縮小の過程で南北に分かれている。北アラル(小アラル)と南アラル(大アラル)だ。で,名前に反して南アラルの方が先に消滅するだろうと言われている。理由は2つ。北アラルはシルダリヤが注いでいるが,南アラルはアムダリヤが注いでいる。そして灌漑による取水が激しいのはアムダリヤの方だ。加えて北アラルの方が水深が深く,南アラルの方が浅い。そして案の定南アラルは東西に分裂し,中でも水深が浅かった東アラルがこの度完全に干上がった,というのが記事の正確な意味合いになる。なお,下記の通り東アラルは過去に一度消滅してから復活しており,今回のは再消滅,ないし復活の見込みのない完全消滅というのが正しい。

もっとも,西アラルも時間の問題であろう。乾燥地帯で,大河が注いでいるわけでもなく孤立しているからだ。元々塩湖であったから塩分濃度が高まっており,ソ連時代の環境汚染もあって死の海と化している。一応,北アラルとつないで延命するという案もあり,実際つながっていた時期もあった。しかし,西アラルと北アラルをつないでいたのは東アラルであって,東アラルが完全に消滅した今となっては,つなげる運河は相当な大工事になる。無論,周辺諸国にそんな金は無いし,北アラルへの環境負荷もあり利害が絡んで身動きが取れていないというのが現状だ。

なお,アムダリヤは現在瀕死ながら別の湖に注いでいるので,アムダリヤの流路変更も南アラルが干上がった原因の一つではないかという説がある。サリカミシュ湖がそれ。そもそもアムダリヤの流路変更自体が灌漑取水のせいという説もある。


orld of Change: Shrinking Aral Sea : Feature Articles
追加で,二つほどサイトを紹介しておく。まず,アラル海の定点観測。2001年以降南アラル海がどんどん縮んで東西分裂し,2008年に東アラルが一度消滅。その後は東アラル海が消滅したり復活したりして,2014年に再消滅したのがわかる。

Aral Sea - Map
もう一つは,超長期的に見たアラル海周辺。地図中にある通り,サリカミシュ湖はアムダリヤの機嫌によって大きさが頻繁に変わっている。


ところで,取水しすぎて干上がった巨大な湖というと,チャド湖もあるんだけど,こっちは知名度低い。アジアとアフリカの差か,歴史的な重要性の違いか。チャド湖もカネム・ボルヌー王国とか存在はしていたのだが。チャド湖の方も原因は過度な灌漑取水で,再生が進まない原因も周辺諸国の利害の不一致と全く同じ。人類,割とどうしようもない。
  
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2014年11月03日

「ロボットは東大に入れるか」成果報告会 in 2014(11/2)レポート

昨年のものはこちら。そしてNHKの報道はこちら。

大体のことは昨年あと同じである上に,今年はNHKの報道がかなり詳しく報じてくれているため,今年は昨年に比べるとレポートを出す意味が薄いと思われた。なので書くべきか迷ったが,一応書いたので公開する。そういうわけで,できれば昨年のレポートと,(リンクが生きてれば)NHKの報道を見てからお読みいただければと思う。

昨年は午前の部が研究者向け発表,午後が一般向け発表という分け方で,ほぼ全科目二周したのだが,今回はそうした区分けは無く,研究者向け発表のみ。午前中が理系科目,午後が文系科目。また,前回はスライドが全部印刷されて配布されたのでレポートを書きやすかったのだが,今回は数学以外未配布である。スライドが切り替わるのが早くてメモを取り逃した箇所がいくつかあり,完璧ではない点ご了承いただきたい。受験したのは昨年同様センター型の模試で,数学のみ東大プレも受験。


新井紀子先生の開会の言葉とプロジェクトの趣旨
・昨年と全く同じ。目標は変わらず。2016年のセンター足切り突破,2021年(2022年春)の文科の二次試験合格を目標とする。目的は「リアルデータを用いた,人工知能をフェアな評価の俎上に乗せ,真の技術的ブレイクスルーを図る」。その上でなぜ東大入試を選んだのかという点については昨年度も話しているため割愛された。(念のため書いておくと,現状の人工知能では困難な知的作業が多いため。特に「深く正確な(自然言語の)構文解析と意味合成」・「パラフレーズ同定」・「文章の要約」の3点。)
今の情報学の流行というとビッグデータの処理だが,これはレッドオーシャンになってしまっている(上に,googleにはどうがんばっても勝てない)。東ロボはブルーオーシャンで戦うためのプロジェクトになりうると考える,とのこと。ブルーオーシャン的戦場の類例として,DARPA AI Project群,Project ARISTOが挙げられていた(編註:この2つが何なのか私はわかりません)。要するに,AI機能の「統合的タスク」は新規開拓の余地があると考えている模様。(この点は最後の松原仁氏の講演でも語られていた。AIの歴史は統合と分散を繰り返しているそうで。)


教科全般の話
・東ロボくんが入試に参加する上でのレギュレーションについて。ここも昨年とおおよそ同じだが,もう少し詳しい説明があった。以下,追加情報を中心に記載。
・東ロボくんは並列処理が可能。よって,小問1つに制限時間いっぱいを使える。たとえば東大二次試験の数学は文系なら4問あるが,4問それぞれに試験時間100分使える。人間なら時間配分も勝負の決め手になるので,この点は有利。
・例によって,OCRで直接文章を読み取って東ロボくんに流し込む,というのは未実装。今回は問題文をXMLに書き下す(数学ならMathML)ところまでは人力。
・画像処理も昨年と同じでほぼ未実装に近い状態。アノテーションを付して図表をテキストデータに変換し,自然言語として処理。
<筆者感想と補注>
半ば裏話的に聞いた話なので,以下は話半分に。最終的に,完全に人間の手を介さずに入試問題を解くことには,あまり執念がないっぽい。基本的に参加している研究者は自然言語処理または数式処理が専門で,画像処理,ましてやOCRは専門ではないので。個人的な感想としても,確かに今回のプロジェクトでOCRは本質じゃないしなぁとは思う。一方で,入試問題には図版や統計情報,グラフを処理させる問題もあり,そちらはアノテーションとかいう紛れもないチートを使ってないで,専門家がいないとかいう泣き言を言わず,真摯に取り組んで欲しい気も。


〔数学〕
・成績は昨年とほぼ同じ。センター数学が95/200なのに,東大二次の数学は32/80,36/120という偏った成績。人間だったら,センターがその点数なら東大二次は0点だと思う。
・アプローチは昨年と同じ。まず日本語(自然言語)をコンピュータが理解できる形式表現に変換し,これをさらにQEに当てはめるべく一階述語論理式に変換。一階述語論理式をQEで数式処理して解答を出す。形式表現変換は現在のところ半自動だが,将来的には完全自動を目指す。
・というわけで解法は例によってQE(限量記号消去)。鶏を割くのに牛刀を用いるどころのレベルではなく,パイルバンカーで粉々に打ち砕いている感じである。ただし,QEのやり方に大きな改善があったらしく,RCF-QEのアルゴリズムを三種類用意し,私にはさっぱりわからなかったがこの辺の説明はやや詳しめにされていた。その三種類の名前を参考までに載せておく。
1.Cylindrical Algebraic Decomposition:任意の入力に対応:計算量はO(2^2n) (n:変数の数),変数は5個程度まで
2.Virtual Substitution:線形の式の場合:計算量はO(2^k) (k:束縛変数の数),変数の数は10個程度まで
3.Sturm-Habicht sequence:∀z(x≧0→f(z)>0) 計算量 O(2^d) (d:多項式fの次数),多項式の次数が8次程度まで
→ これに加えてCGS-QEなるものを新たなアルゴリズムとして追加したそうだ。ともかく,結果として,「“理論上は”東ロボくんがほぼ全ての入試問題を解ける“目処”が立った」ところまで来たそうな。
・じゃあどこで詰まってるかというと,結局のところ形式変換または一階述語論理式の段階。東ロボくんが問題文を理解できる=RCF-QEで処理できる形式表現にするのがなかなか難しい。あと昨年同様深刻なのが,一階述語論理式が冗長すぎて,相変わらず計算量爆発でタイムオーバーすること。元々の問題の変数は入試問題なので多くても3つか4つという程度なのに,これを一階述語論理式にすると,あっという間に変数が数十個に増加してしまう。論理式の簡素化も昨年に比べると改善はされたらしいのだが,さして点数に結びつかなかったそうで。
・あと,東ロボくんはお茶目なので,sin(ア)θ = sinθ の空欄(ア)に「1」を入れるという受験数学の常識を覆す暴挙をしばしばやらかすらしく(会場大爆笑),特にセンターでこういうのをやらかすと致命的で,改善が必要。(無論,数学的に言えば間違ってないが,センター試験の解答としては1を入れると誤答になるような問題文にちゃんとなっている。たとえばθが90°なら(ア)は5が入るだろう)。
<筆者感想>
点数的には変わってないのだけれど,内情は大きく改善した印象を受けた。
最後のはセンター試験解く上では本当に致命的で,しかもセンター試験で東大受験レベルというと9割超えなので,必ず改善が必要だと思う。究極的には形式表現変換の問題なんだろうけど,こういうのの改善は困難だろう。こんな受験数学のお約束,どうやってコンピュータに認識させるのか,専門外ながらさっぱりわからない。もう一つ専門外ながら言ってしまうと,このお茶目なミスを含めて,QE以外の解法を模索してみる価値はありそうな気がする。もしくは二次はQEで解いて,センターは別の手法とか。完全に素人考えなので,可能なのかは知らん。


〔理科(物理)〕
・昨年は39点で今年は31点なので一見して下がっているように見える。ただし,昨年は異常に運が良く,実際には39点中実力で当てたのが17点で運が22点。今年は実力が23点で運が8点なので,実力としては6点分向上している。加えて昨年並の運があれば+14点で偏差値55くらいまで上がった,残念(会場笑)
・これも手法は昨年とほぼ同じ。日本語を東ロボくんが理解出来る形に形式表現変換し,これを東ロボくんがシミュレーターで現象を再現し,解答を出す。
・実際にはシミュレーターで再現できるところまでたどり着くのが困難で,たどり着きさえすれば分野によらず50%くらいの正答率を出すところまではたどり着いた。というよりもシミュレーションまでたどり着いたのに誤答を出してしまっているのは単純なモジュールのバグであり,改善は比較的容易と思われる。仮に今回の模試でモジュールに全くバグがなかったとしたら+12点の43点になっていた。これに運の差の+14点まで加わると57点になり,まさかの偏差値60超えだったのに(会場爆笑)
日本語の形式表現変換については,物理科目では極めて困難で,数学のような半自動化さえ難しい。日本語が曖昧すぎるため。たとえば「金属を折り曲げる」や「滑らかな坂」を東ロボくんが自力で理解して,シミュレーターに取り込むのは,少なくとも現状では絶対に無理。数学とのレギュレーションが統一できていないが,形式表現変換を人間がやり続けても良いなら,将来的に高得点をたたき出す見込みはある。
・また,シミュレーション以外の解法が必要な問題については完全に未着手。


〔英語〕
・NHKの報道にもある通り,点数が飛躍的に伸びた科目。52/200から95/200へ。ほとんど倍。
・参加メンバーが変更。今年はNTTの研究者が参加し,その技術が使われたので飛躍的に向上した模様。
・ご存じの人はご存じの通り,センター試験は前半の短文ゾーンと,後半の長文ゾーンに分かれ,配点はほぼ半分ずつ。東ロボくんが得意なのは前半で,こちらが63/99。一方,後半は32/101。あとで代ゼミの講師からツッコミが入っていたが,人間の受験生とは正反対の傾向。センター試験は一般的に長文の方が取りやすい。
・前半部分のうち,より単純な文法・語法の問題の解法は,大規模テキストデータの活用(ビッグデータ的な手法?)。設問によるが,約10億〜1000億の単語に相当する例文が収録されたテキストデータを検索して,妥当性の高い選択肢を選ぶ。それだけ例文があれば,さすがにほとんどの問題でどんぴしゃの例文にぶつかる。センターレベルの文法や熟語なら,80%程度の正答率で安定していたのだが,今回の模試では運悪く60%の正答率だった。
・もう少し高度な会話文補充の問題は,「発話意図」と「感情極性」の推定で解いた(編註:これは上記のNHKの記事にて詳述されている)。たとえば「来週、父さんが手術を受けるんだ」と話しかけられたら,operaitonの単語から,“発話意図”は意見の表明で“感情極性”はnegative,と東ロボくんは推定。なので応答の文は選択肢のうち,“発話意図”は同情で“感情極性”はnegativeなものを選ぶべきとなり,見事に正解の「That's too bad.」を選ぶことができた,という形。
・この手法の応用で長文読解もいけるのでは,と思われたが,長文となると発話意図や感情の変化が複雑になり,必ずしも適用できないらしい。また別のアプローチを考えているそうだ。
・代ゼミの講師からの指摘として,「前半部分はその解法で解くのであれば,ランダムに英文を例文として収録するよりも,英英辞典をがんばってテキストデータ化してインストールした方が目的にかなっているのでは。類語とかたくさん載っているので。」というもっともすぎる指摘があった。
<筆者感想>
会話文の解法は,まあ,会話型botの高級なやつといった感じか。NHKのニュースによれば「こうした技術を応用すれば、人間の雑談につきあってくれる人工知能の開発にもつながる」「将来的には、人間どうしのやり取りにも参加できる人工知能を開発したい」とNTTの人が語っているそうなので,まさにそうらしい。
最後の指摘については,私もそう思います。英英辞典ってまさにそのためのアイテムだしね。著作権の問題だけなんとかしてクリアしてください。


〔国語(現代文)〕
・昨年大いに会場を沸かせた名古屋大の佐藤教授が今年も登場。しょっぱなから「じゃあ動画流すんで」と言い出し,まさかの動画再生。しかもYouTubeにアップロード済。この時点ですでに会場大爆笑。

・動画にある通り,今年のキーワードは「節」と「小市民的感情力」。
・評論:昨年は「一致する文字数」(単語数ですらない)で問題を解き,正答率50%程度だったわけだが,今年は節を分析させ,節の大まかな内容や形式(主語なのか述語なのか副詞節なのか)を加味して解答を導き出させた。昨年と比較してかなり高度な技術の導入に思えるが,正答率は飛躍的に上がったわけではない。今回の模試の結果も正答率は約50%であった。
・小説:ある参考書に,小説を解く鍵は4つあると書いてあった。そのうち3つは絶望的に無理そうだったり時間的に着手できなさそうだったりしたので,いけそうな「小市民的感情力」を東ロボくんに実装できないかと試行錯誤してみた(会場再度大爆笑)。で,実際にどんなアルゴリズムなのかというと,名称が「PBM」で,残念ながら「今度PBMは特許を取る可能性があるので,今回は発表できません。申し訳ない」とのことであった。しかし,PBMがまだ未完成だったがゆえに今回の模試の感情表現を読み取る問題を攻略するに至らず,こちらも結果は昨年とほぼ同じ。
・最後に,佐藤教授曰く「本質的な解法でもチャレンジはしている。しかし,やればやるほど,日本語というものがわからなくなっていく。人工知能以上に人間が言語というものを理解できていないのではないか。改良しても点数が伸びないことよりも,なぜ伸びないのかわからないのがつらい」。
<筆者感想>
評論については,やっぱり思った以上に「一致する字数」解法有効なんじゃねーのという悲しい話でもある。「節」分析,素人目にはかなり高度な技術の導入に思えるんだけどなぁ。しかし,文章の意味内容をすっとばして解いている以上,言語としての日本語を分析するやり方ならどう解いても邪道には違いない。おっしゃる通り,最後はやはり文章の意味内容自体を理解して問題を解かないと,高得点は不可能なのでは。
小説については,東ロボくん云々よりも自分にとって身につまされる話で,現役の最後までセンターの小説だけは苦手だったが,まあこれ(=小市民的感情力)ですよねと。「大多数の人が抱くだろう感情」を推測することの重要性は,今になってみればわかるが,高校生当時はわからんかった。
あと,そろそろ古文と漢文にも本腰入れてほしい。研究者が足りていないっぽいので,情報学者の皆さんこれを機にどうですか。


〔社会科(世界史・日本史・政経)〕
・世界史Bが52点,日本史が44点,政経が17点。偏差値的に言えば世界史が横ばいか少し向上,日本史はダウン,政経は大幅ダウン。
・解法は昨年と同じ。選択肢の文に登場する用語を教科書などのデータベースから検索し,用語同士の距離などから解答を推測。文章内の近い位置,教科書であれば同じ章の同じ段落から,選択肢内にある用語が複数見つかれば,その選択肢は正解の可能性が高い。たとえば「ヒッタイト」と「鉄器」は教科書上で同じ章の同じ段落に登場するので,関連性が高いと推測されうる。
・では昨年と比較して何を改善したかというと,まず単純に解法のチューニング。検索に余分な用語をさっ引いたり,用語の重要度を変えてみたり。実際これで正誤判定型の問題はかなり解けるようになった。
・データベースとしては,山川出版社が太っ腹にも用語集のテキストデータをくれたので,これを東ロボくんにインストールした。これで劇的に成績が向上するかに思われたが,思ったよりも上がらず。理由として,用語集は逆に詳しすぎて,ノイズが多い。また,用語集は「詳細は○○」と別項に飛ばすことが多いが,それは東ロボくんの解法だとつらい。文章に登場する近さで関連性を判定しているので,別項に飛ばされると関連性の低い用語と東ロボくんは判断してしまう。
・一方,年代順を並べ替える問題など,時系列に関連する問題の解法は未着手に近い。というよりも,全ての用語に一々年代を振ってくれている教科書なんて存在していないので,現在の解法では無理がある。また,たとえば「春秋・戦国時代」のように「時代の幅」があると,根本的に「時間」というものを理解しているわけではない東ロボくんは混乱してしまい,今の解法だとデタラメな解答になってしまう。この辺が課題。
・代ゼミ講師からの指摘で,「世界史<日本史<政経の順で,現代の日本人としての常識を前提として問題が作られているので,それでこの点数の順になっているのでは。東ロボくんの価値観はフラットで,世界史を解くには良いが,日本史にはつらいかも。」というものがあった。
<筆者感想>
社会科も,全般的に国語と同じ問題で詰まっているような。究極的には,やはり文の意味内容を理解できないと点数が伸び悩むのでは。そもそも二次試験に正誤判定はほとんど皆無に近いしなぁ。
最後の代ゼミ講師のツッコミは大変納得できる。


〔代ゼミ側の総評〕
・900点満点で392点,今年も400点には届かず,一見して昨年とほぼ変わらない点数。ただし,全体として今回の模試は昨年よりも受験生の平均点が低かったことを考慮すると,昨年と比較して実力は伸びていると言える。
・特に英語が飛躍的に伸びた関係で,文系三科目に絞ると偏差値は53.4まで上昇する(昨年は47.7)。何と受験生平均超え。これだと,文系の多い私大ではかなりの大学でA判定が出る。結果として,A判定が出る大学の数は476大学。
・ただし,大学が一番多いのはこの偏差値45〜50の層で,ここを完全に乗り越えてしまったので,ここから先はちょっとやそっと偏差値が上がった程度では合格できる大学の数は増えない。
・国公立も一応4大学でA判定が出ているが,例によって芸術系なので二次試験は……
<筆者感想>
偏差値53.4だと,B判定でいいなら,いわゆる大東亜帝国,帝京大学あたりまで出るはず。C判定=受験するにちょうど良い水準としては日東駒専,つまり日本大学くらいまで含まれると思う。これは割とマジですごいので,どちらかというとこちらを宣伝すべきだったのでは,という気も。


<筆者の全体感想>
科目によっては本質的な(サイエンティフィックな)手法も出てきた感じ。というか,多くの科目でエンジニアリング的手法の限界が来ているようにも。また,教科の本質がわからないとエンジニアリングにしろサイエンティフィックにしろ詰まってしまうようにも見え,数学と物理はいいとしても,英語や国語はもはや言語学とか国語学の専門家をチームに引き入れた方がいいのでは,と思った。

点数が伸びてはいるのだけれど,2016年にセンター試験突破を考えると,成長曲線が足りないようにも。センター形式が苦手なことを考えると,むしろ2021年までに二次試験と同時ゴールくらいの方がいいのでは。

あとまあ世界史の話をするなら,用語集をインストールした結果,用語集が煩雑過ぎてセンターが逆に解きづらくなったのなら,早慶の入試の方が問題を解きやすいのでは,問題が用語集のコピペばっかりだし,と思うます。例の本の著者としては。
  
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2014年10月02日

【03年から06年頃】発掘された同人誌を晒してみる【C64-C71くらい】

故あって東方聖地巡礼系の同人誌が必要で,同人誌の山を発掘していたら最古のゾーンにぶち当たってしまい,発掘された同人誌の数々によって懐かしさで死にそうになった。よって皆様にそのお裾分けをする。とは言っても,私の収集歴から言って最古でも2002年程度であり,04〜06年が最も多い。また,懐かしさを基準に選んだので,若干新しめのものも含めた。「おいおい,そんなので懐かしさで死んでたら俺の所蔵品なんて」という声が聞こえてきそうだが,今回発掘してみて懐かしさとは経過した時間自体というよりもその間に起きた出来事の数と思った次第である。


それでは行ってみよう。一応,画像多め注意。なお,写真は手持ちのスマホで極めていい加減に撮ったので,その点はご了承願いたい。

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2014年06月22日

エロゲ版「屈辱」の講評と結果発表

正直企画倒れも考えていたんですが,思った以上の投票,本当にありがとうございました。なんや,君らエロゲ好きやないか……! 


先に総評を。本当は全員コメントしているわけではないし,ブクマせずにスターを打っていった人もいると思うのだが,単純に考えて総投票数110。最多得票作品が37。総投票数比1/6越えになる18スター以上の作品が11つというのはどういう結果だと言えるだろうか。SFの「屈辱」では,約160ブクマに対して最多得票が39,1/6越えの27スター以上の作品が6つであった。あれ,実はエロゲの方が星がたくさんついている=皆の読んでる作品がかぶってね? 少なくとも投票者の1/6が読んでいると考えられる作品数が,「読んでいて当然」として挙げられたもののうち,エロゲの場合10%を占めているのに対し,SFの場合は約4%しかない。これは1/7や1/8に水準を下げてもおおよそ同じ結果が出るので,1/6が恣意的な水準というわけではない。

もっとも,いい加減な数え方をしてるし,そもそもブクマした人が全員投票してるとは限らないとか比較するデータとしては不備だらけではある。しかし,当然逆の結果になると思ってたし,エロゲの方はもっと票がばらけるものと思っていた。いかにアレとかアレとかがお化けソフトであっても,そういうお化けソフトの本数ってそう多くないし。

原因としては,

1.統計上の様々な不備で,実際にはそうした傾向は存在しない。
2.私のブログを会場にしたので,私の友人関係の投票が多く,したがって登場する作品がやや偏った。実際挙げられた作品には抜きゲーが極めて少ない。
3.そもそもはてなエロゲクラスタ自体にバイアスがかかっている。これは本当にありうると思う。へなへなさんの孤軍奮闘状態を見ても(そういえば彼は今回投票してなかった)。年代的に言っても某人のブコメの「アラサーばっかだなあ」が全てを表しているというか。2006年発売の『戦国ランス』が相対的に新しい部類ってどういうこと。
4.SFクラスタの方が間口が広く,あまり読書数が多くない人も参加したが,エロゲは敷居が高く,参加者に廃人が多かった。もしくはエロゲーマーの方がシャイで,ブコメはせずにスターだけつけていった人が多かった。結果として星の数が全体として伸びた。
5.実はガチでそういう傾向があり,エロゲはSF並かそれ以上に「古典的名作をとりあえず」押さえようという人が多い。

辺りを思いついたが,さあどれだ。私は2〜4全部あると思う。この辺はエロゲ・SF双方の識者の皆さんにご意見をうかがいたいところ。

次に表彰式(?)。作品名の並びを見るに結果が見えてたところはあるが,

1位:De_Loreanさんの『Fate/stay night』
2位:CIA1942さんの『君が望む永遠』
3位:fusanosuke_nさんの『AIR』
4位:ysogさんの『月姫』
5位:mifioさんの『CROSS†CHANNEL』

でした。おめでとうございます&pgr。いやー,さすがに『Fate』やってないとか『君望』やってないとかないわー(棒読み&様式美)

さて,正直に言って『Fate/stay night』・『Kanon』・『AIR』と並ぶかなと思っていたのだが,『Kanon』が挙がったのがかなり後発であったのと,それにしても伸び悩んだのが最大の波乱であった。『AIR』と『Kanon』でこんなに差が開くか。あとは『君望』と『月姫』と『CROSS†CHANNEL』と,シナリオが売りゲームが順当に強かったとは言えるかも。抜きゲー&黒箱どこ行った。『エスカレイヤー』あたりが挙がったらかなり強いんじゃないかと思っていたんだけど,全然そうでもなかった。全く挙がらなくて意外だったのは『キラ☆キラ』・『かにしの』・『俺つば』あたり。



以下は個別評というか,挙がった作品について私自身が既読か否かと,それが挙がったことに対する感想。言うまでもなく,煽ってても全部ネタなので本気にしないように。私は教養主義者ではありません。livedoorなのでidコールが飛ばない&敬称略になるが,ご容赦願いたい。(はてダの方でやればよかったが,あっちは完全に相撲ブログになっているので。

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2014年06月20日

エロゲ版「屈辱」は可能か,及び無差別級お試し版

元ネタはこちら(正確に言えばこちらも元ネタの引用だが)。で,この記事を書いたMukkeさんが「エロゲクラスタやミステリクラスタでやってくれてもええんやで?」と書いていたので少し構想してみたが,「エロゲ」でやるのは非常に難しいのではないか,というのが残念ながら結論になる。ルールに一部手を加えればいけるかもしれない。そう考えた理由を以下に列挙しておく。


1.「エロゲ」という括りがとんでもなく広いため
実は何よりこれじゃないかと。SFやラノベの方が作品数が膨大だって? おそらくそれは間違いない。しかし,エロゲというのはその裾野の広さに特徴があるもので,エロゲで括るというのは実際のところ「小説」で括るのと近いものがあると思う。そりゃまあSFもあればミステリーもあるしファンタジーもあるし普通の恋愛劇もあるしクトゥルーもあるしロボット物もあるしサイバーパンクもあるしマカロニウェスタンだってある。困ったことにそれぞれのジャンルに「やってないと屈辱的な名作」があるが,そのジャンルにこだわりがない人にとってはやってなくても屈辱にはならない。

そういえばMukkeさんのとこで『Stein's Gate』を挙げている人は一人もおらんかったなと今更ながら。皆読んでいるというよりは誰も思いつかなかったんだろうけど。SFエロゲ者であれば『Stein's Gate』(非18禁だけど)や『マブラヴオルタネイティヴ』はもちろん,『R.U.R.U.R』あたりをやってなくても十分,相当な「屈辱」になるだろうが,おそらく平均的なエロゲーマー(そんなものあるのかというツッコミはさておき)からすると「『R.U.R.U.R』? 聞いたことすらねぇなぁ」ってことになりかねない。なお私は『R.U.R.U.R』未プレイ。SFクラスタではないので。

そこまで細かく分けなくても,おそらく白箱中心か黒箱中心か,抜きゲーか非抜きゲーかの4区分(実質3)だけでも相当ユーザーの分散が観察できるのではないかと思う(白箱・黒箱という概念の是非自体は横においておく)。自分は割と雑食ではあるが,どの系統の作品が一番多いかと言われれば多分白箱の非抜きゲーにはなると思う。ゆえに,抜きゲーの名作であるところの『姉汁』他かぐやの作品は大体全部未プレイだし,『カミカゼ☆エクスプローラー!』もやってない。また,シナリオが良いとされる作品を中心にやっているユーザーでも,黒箱を忌避する人なら『EXTRAVAGANZA』や『螺旋回廊』は避けていると思われる(私は両方プレイ済)。これらはそれぞれ,その人にとってはやってなくても,全く屈辱でもなんでもない。いやまあ,「ほう。シナリオにこだわる割に,黒箱というだけで名作を避けるんですね?」という煽りは可能なんだけども。

どころか,やってないことを誇る文化さえある。抜きゲーマーからすると非抜きゲーなんてやらないに越したことはないものなわけで,かなりの数をクリアしてる人でも「『AIR』? プレイ避けてますよ(ドヤァ」というのをたまーに目にする。もちろんこれでは「屈辱」が成立しない。

ああ,一応書いておくと「どこまでがエロゲか」という問題もある。これはでも「どこまでがSFか」問題の方も相当根が深いようなので,言及するまでもないか。いい加減クラナドをエロゲと勘違いしている奴うぜぇ,エロゲじゃないし。一つの基準として「エロゲー批評空間に登録されているもの」という定義を作ることは可能だが,この定義でいくと『GALAXY ANGEL』あたりまでエロゲ扱いになるのでかなり無理が。


2.性癖に左右されるところが大きいため
1番の問題点とかかわりが大きいが,たとえば「陵辱じゃないと抜けません」って人は白箱に手を付けていない可能性が高い。もしくは「ロリゲーしか勃ちません」という人にとっては『はじるす』や『娘姉妹』は聖典かもしれないが,平均的なエロゲーマー()からすると普通にやってない可能性が高い作品だと思う(私は『はじるす』途中挫折,『娘姉妹』未プレイ)。もっと極端に言えば「伝奇ゲーは好きですが聖水はドン引きですわ」って人に『水月』は避けるところかもしれない等,名作と名高くとも避けても許される条件が非常につきやすいのが,エロゲというジャンルではないかと思う。


3.技術的な問題・金銭的な問題
これも非常に大きい。あまりに古いゲームはプレイ環境を整えるのが非常に困難になる。『雫』や『痕』のようにリメイクされるものもあるが,リメイクの際に大きくテイストが変わってしまい,結局古参ユーザーから「原典やってないの?」と煽られてしまうようなパターンもあり。今から『YU-NO』や『同級生』や『バーチャルコール』をやれというのも酷な話で(私自身全部未プレイ),とはいえ古参ユーザーからすれば「やってないの?」と煽れる材料でもあり。金銭的な問題という点では『書淫』とか(未プレイ)。これもたまに某エロゲ雑誌が廉価で再販してくれることがあり,そのおかげで『Forest』も『SWAN SONG』もかなり価格が下がった。それでもまだまだ高額のエロゲはある。


4.いわゆる「3年で卒業する」問題
なぜかエロゲーマーは3年で卒業する,もしくは全盛期のペースが続かないという謎の法則があり,確かにネット上を眺めていると「あれだけエロゲに情熱を注いでいた人がころっと卒業している」というのをけっこう目にする。私のリア友も割とこのパターンであった。原因としては「大学1年ないし2年でやり始め,卒業すると時間がなくなるorやる気が減退する」というものが有力な説として考えられている。

で,私自身「そんなわけあるかい」と考えていたんですが,やっぱり仕事には勝てなかったよ(定型句)になってしまった。2004-08年頃は年間25〜30本ペースでプレイしていたものの,09年には年間20本ペースに落ち,09-12年は約15本,13年に至ってはなんと8本(=月1ペース未満)に落ち込んでしまった。この14年も上半期でまだ3本とかいう体たらくである。07年に総プレイ本数が100を越えたときには「こりゃ200本も楽勝だな」とか考えていたのだが,結果的に200本を越えたのは割と最近だ。やる気は減退してないんだけどなぁ。

これによって何が起きるかというと,たとえば趣味嗜好が似ている二人の歴戦のエロゲーマーがいたとしても,実は全盛期がずれていて常識的な名作でさえ全く重ならないといった事態である。私自身,これは本当に「屈辱」ではあるが,2011年以降になると本当に常識的な名作さえやってない。ホワルバ2……知らない子ですね(全力で目をそらす)



などなどの理由から「提示する作品を発売年で縛る」や「作品傾向で縛る」と,ちゃんとできるかもしれない。それでもまあ試しに,今回は無差別級でやってみようと思う。まじめに考えると,私が切れる最強のカードはホワルバ2を含めて3つくらい考えうるが,ここは『戦国ランス』にしときます。恥ずかしながらやってません。ルールは漫画版に則り,

・参加条件は「エロゲ好き」であること。
・この記事をはてなブックマークして,コメントで「自分は読んでいないけどみんなは読んでいそうなエロゲ」を一作品あげる。読みかけで挫折したとかではなく,本当に1クリックも進めていない作品をあげる。エロゲの定義は各個人にお任せします。投票したいけどアカウントとってない人はこれを気にはてなIDとってください。
・かぶったら早い者勝ち。あとからブコメをした人が別作品に変える。
・他の人のブコメをみて,読んだことがある作品にスターをつける。読んだことない奴じゃないので注意。
・スターを一番たくさん集めた人が勝ち。

ブクマが何十か集まったら結果発表します。集まらなかったら,やっぱりルールに無理があったということで無かったことに。
  
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2014年06月17日

今更ながら東大の推薦入試に言及

・なぜ東京大学は「推薦入試」を始めるのか(プレジデント )
2ページ目以降に推薦入試に対する批判が繰り広げられているが,全体的に論旨に賛同しかねる。

まず東大のAO入試がセンター試験で概ね8割以上の得点を要求していることに関して,「これでは、「入学試験の得点だけを意識した、視野の狭い受験勉強」にも目を向けなければならなくなる場合があるでしょう。」と書いているが,それはない。センター試験で8割とれないようだと大学の授業についていけない水準だと思う。一般的な東大受験生の目指す水準は9割である。センター8割なんていうそれほど厳しくも何ともない条件で「視野の狭い受験勉強」とか言われてしまうと,一般の東大受験生は立場がない。

次に「また、合格発表がセンター試験後の2月になるために、不合格の可能性を考えて他大学を滑り止め受験しなければならない受験生も少なくないと思われます。」とあるがこれも実際にはほとんど杞憂だと思う。センターで8割とれないようなら旧帝大クラスは全部門前払いであって,要するにハナからその資格はなかったということだ。私大ならチャンスはあるので,それこそSFCなりを受ければよいのでは,一般入試で。もしくは最初からどうしても8割取れそうにないなら東大以外の大学のAO・推薦入試に行けばよいのであって,センターで8割取れる見込みの無い天才(?)については,東大は最初から対象にしていまい。前述の理屈から言って,いかにある分野ですごい才能を発揮していても,センターで8割取れない程度の人は授業についてこれなさそうだから欲しくないというのが東大の理屈であろう。難易度が低いかわりになんでもまんべんなく出題されるのがセンター試験なので,それこそセンターで8割取れない=視野が狭い=アドミッション・ポリシーに反する,くらいに考えている可能性もある。

そして面接の公平性についても,今回の推薦入試は面接と言いつつ実際には受験生の特殊能力を観察しているものなので,そう心配するところではないと思われる。東大は「面接入試」ではなくて,字義通り「推薦入試」として運用するのではなかろうか。


まあそもそもの話をすると,私は東大が推薦入試をする意義はあまりないと思っている。学内の多様性の確保ということであればまだわかるが,これはそうではないのだろう。学内の多様性という観点で言えばむしろ留学生を増やすなり後期を維持するなりで良かったはずだが,この推薦入試は目的が異なるようだ。

ダンガンロンパのごとき「超高校生級の●●」が東大に入らなかった系の話は前からあふれてて今更する話ではない。誰しもが優秀なら東大に行かなければいけない法律もないのだから,そこは他大学と役割分担していくべきで,東大はやはりあの入試での選別に自信を持ってほしいと思う。「偏差値秀才」などと蔑視されているが,その中にも天才と言っていいような特殊な人材はいるわけで。あの入試での選別から漏れる天才まですくい取る必要はない。それこそ東大一極集中ではつまらないのだから。

大体「入学試験の得点だけを意識した、視野の狭い受験勉強のみに意を注ぐ人」なんて東大受験生にもそう多くはないし,そうではない人を選別するために,あの練られた良問を筆記試験という枠の中でがんばって作っているのが東大の先生方ではありますまいか。視野の広がる筆記試験を作っている側で,首脳部が「そもそも筆記試験自体が視野を狭めるものでしか無い」とでも言いたげな発言をするのは残念極まりなく,何か最近東大の先生方の統率取れてないんじゃないの感がひしひしと。蓮實・佐々木・小宮山と歴代の総長に比べて(特に佐々木政権は良かったと思います),濱田さんはなんかなぁ。記事中にある通り,秋入学もやるんだかやらないんだか混沌として結局やらないっぽいし。好意的に見れば学内の抵抗勢力に阻まれているかわいそうな改革者とも解釈できるが,そうも見えない。

  
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2014年02月10日

2014都知事選雑感

都知事選について少し。近年の政治は単純な右左や保守・革新・リベラルでは切り分けられないという話をよく聞くわけだが,今回の都知事選について言えば,実は綺麗な「旧来の右派・保守VS旧来の左派・リベラル」だったのではないかと思う。これは細川さんが出てこなければより綺麗だった。

というわけで細川護煕から。彼について言えば出自は旧来の保守なんだけれども,実態は反原発のシングルイシュー・残りの政策は曖昧適当という,ここ3年ほどの放射能パニックが産んだキメラであった。それでも90万票以上取り,3位に付けたという点は,どう評価すべきか迷う。個人的には田母神さんとはったはったの印象しかないのだが,とはいえ90万票自体は納得がいっている。細川護煕の知名度・小泉純一郎のバックアップ・放射能パニックの強さを考えればそうなるだろうし,むしろ90万票で止まったのは選挙期間中の立ち回りが下手だったからではなかろうか。さらに言えば,細川陣営の目的は反原発勢力の中心に自分たちが立ったとアピールすることであって当選ではない,という話もあるので,90万票という結果から言えば目的達成と言えそうだ。

そうそう,選挙前から選挙中に至ってもまだ見られた「反原発のために細川と宇都宮は一本化しろ,というか宇都宮降りろ」という言説については,明確に愚劣極まりないと言っておく。細川さんはシングルイシューで戦っていたかもしれないが,宇都宮さんは反原発だけで戦っていたわけではない。むしろその差異こそが宇都宮さんの持ち味だと少なくとも支持層の大半は考えていたと思うから,一本化はありえなかったのである。一本化議論が細川支持層からしか聞こえてこなかったあたり,あまりに反原発以外の要素を馬鹿にしているとしか言いようがない。ただまあ票の食い合いがあったかどうかといえば,多分かなり大きくあった。これについては宇都宮さんのところで後述する。

次,田母神さん。正直60万票も取るとは思ってなかったので,ちょっと驚いている。ただまあこれで「ネトウヨ的思想の蔓延が」とか言い出しちゃうのはちょっと短絡的ではなかろうか。そういう面でも無いわけではないと思うが,それ以上に細川さんの得票と同じくして「知名度が高く,自衛隊出身でちゃんとした保守派っぽい」というイメージが先行し,かなりの票が舛添さんから流れた結果ではないかと思う。その意味では細川さんと立ち位置が似ていた。一方で,どう見ても旧来の保守層である舛添さんに比べると,やっぱりこの人は新興反動右派としか言いようがなく。

そして,宇都宮さん。こちらは旧来の左派層・リベラルの代表格として出てきた感が強い。反原発のシングルイシューで戦わなかったところは賢明で,だからこそ僅差で細川陣営をかわして2位に入ることができたのではないかと思う。しかし,細川さんと票を食い合った理由は,おそらくこの出自自体にある。旧来の左派層・リベラルの代表格に見えたからこそ,避けて細川さんに投票したという無党派層はかなり多かったのではないか,と推測している。私自身は共産党や社民党に悪意を持っていないし,現に宇都宮さんに投票している。しかし世間的にはそうでもなく,強いアレルギー体質を持っていると思われる。それでも反原発を掲げる有力候補が宇都宮さんしかいなければ宇都宮さんに不本意ながら投票していたであろう層はおそらくかなり多く,彼らにとって細川さんの立候補は渡りに船だったのではないか。

ただし,逆もあろう。心根では反原発だが旧来の左派・リベラルにはアレルギーを持つ層もおそらくかなりの数がいて,彼らは「舛添VS宇都宮」の一騎打ちであったら舛添さんに投票していた。細川さんはこちらからもかなり票を食っていると思う。ひょっとするとこちらの層の方が多く,細川さんは宇都宮さんから奪った票よりも舛添さんから奪った票の方が多かったかもしれない。ここら辺がまた,今回の細川さんの立候補・得票への評価を難しくしている。

とはいえ細川さんをかわして2位というのは好意的に評価すべきであろう。得票数自体は,実は前回(2012年末)の都知事選とほぼ同じなのだが,前回はほぼ猪瀬さんとの一騎打ちで票の食い合いがなくてそれだったのに対し,今回はかなり食い合ってのこれだから,実質的には支持層が増えていると思われる。国政選挙で最近共産党が調子いいところを見ても,旧来の左派層・リベラルへのアレルギーが薄れてきているのかもしれない。一方で,もうちょっと「脱色」して戦えばさらに票が伸びたのではないか,とも。これは前々回(2011年)の小池晃さんの得票が60万票で,そこから宇都宮さんが30万票以上伸ばしているという点からも言える。小池さんから宇都宮さんになることで,多少なりとも脱色されたイメージが世間的にあるのではないか。


最後に,当選した舛添さん。この人の場合,なんだかんだで石原・猪瀬都政は評価できるところがあるし,多くの都民はそう考えている,だから実質的にはその継承になるであろう,舛添さんが当選したということではなかろうか。前述したように田母神さん・細川さんとはかなり票の食い合いをしていたと思われるが,にもかかわらずこの大勝である。私自身,石原・猪瀬都政とは表現の自由の観点から決定的に食い合わなかったものの,それ以外の点では完全否定できるものではないと考えている。まずもって「石原・猪瀬都政はそれなりに評価されていた」という舛添さんの勝因を認識するところが,その他陣営の今回の選挙の反省点ではなかろうか。最後の最後に一言書くなら,舛添さんもまたホコリだらけの身なので,今年中にもう一回都知事選ということはないように願うのみである。  
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2013年12月21日

街と街の隙間・切れ目

・駅の間のどの街ともいえない感(デイリーポータルZ)

面白いし,あるある。確かに,街と街の切れ目ってある。御徒町は特にそれを感じる。あそこは上野と秋葉原の空白地帯だ。御徒町と秋葉原の切れ目は,まさに1ページめの写真のところか,もう一つ手前の末広町駅のところ。御徒町と上野の切れ目は,アメ横の南端・上野広小路。

同様に,秋葉原―神田―東京(大手町)もある。新宿―代々木―原宿―渋谷も,それぞれ「あ,ここで切り替わる」というのが明確で,歩いてみるとおもしろい。代々木も新宿と原宿間の空白地帯だけど,御徒町よりは存在感あるかも。渋谷の範囲はすごく納得いく。東急百貨店を超えたら松濤だし,NHKと国立競技場を超えたら原宿,東は青山学院の手前。南端は行かないからあまりイメージないが。銀座がぶれないのは,区画整理がはっきりしているからだと思う。

というわけで,自分の思いつく限り「どこまでこの街?」をやってみた。


秋葉原
→ これは自信作。他の人のイメージと違っても,自分の中での秋葉原はこの範囲。
→ 上記の通り,北辺は末広町のあたりで,それを超えると徐々に御徒町になる。東側は,前は山手線内側原理主義でUDXもヨドバシも認めてなかったが,最近寛容になって昭和通りまでは秋葉原と思えるようになった。西側は妻恋坂から昌平橋にかけてだが,他の人の投稿でもほぼこのラインなので,これは秋葉原ユーザーの共通見解なのだと思う。実際,そのラインでメイド喫茶等が消滅して普通のビル街になる。南側は,これは自転車で北上して秋葉原に入るとわかるが,神田川の手前で急激に秋葉原くさくなる。これは本当におもしろいので,やってみてほしい。


上野
→ 基本,上野公園とアメ横が自分にとっての上野。駅の東側は,割りとすぐに入谷・浅草のイメージ。 北東部は正直良く知らないので適当。南側は前述の通り,上野広小路。そこから南は御徒町。
→西側は意外と悩んだ。池之端とかいう空白地帯がある。とりあえず,旧岩崎邸は本郷の領土,言問通りの北側は根津を基本路線に画定した。どうじゃろうか。
→ 他の人からけっこうずれてるかとおもいきや,意外とずれていなかった。


本郷
→ 北端は文京学院大。これを越えると本駒込。古書店がなくなるのがイメージの創出として大きいと思う。東側は東大のキャンパス。根津との境界は正直曖昧。弥生は自立しておらず,本郷と根津で分割されている感じ。そして池之端とかいう空白地帯が以下同文。南東部は本富士警察署。これを超えると湯島のイメージ。
→ 本郷三丁目のすぐ南は御茶ノ水の水道橋のイメージ。りそな銀行を越えたら本郷じゃなくなる感覚は,けっこう共有されるのではなかろうか。東側は路地がごちゃごちゃしてるのが本郷,すっきりしだすと白山というイメージで区切った。西北端に税務署がある。


御茶ノ水
→ 北辺はサッカーミュージアムで,真北はそのまま前出の本郷になる。東側もぴったりと秋葉原に接触。南側は靖国通りで,これを越えると出版社街・古本屋街(神保町)になるから。西側の境界は水道橋になるが,これは割りと適当。ただ,病院一群は御茶ノ水のイメージなので,そこで区切った。
→ 他の人のを見ると,神田川の北側に御茶ノ水というイメージが無いらしい。これは自分が本郷民だから,川の北側にも御茶ノ水のイメージがあるのかもしれぬ。


水道橋
→ 水道橋というか,水道橋+後楽園+春日の範囲。結果として意外と広かった。あえて三分割するなら,川の南側が水道橋,後楽園はまさに後楽園,文京シビックセンターより北が春日である。東はかなり飯田橋駅に食い込んでる。
→ 基本的に,御茶ノ水や本郷に比べると路地が整ってて人工的。かつ神田のイメージではない部分がこの領域に入る。作ってみて思ったのは,意外と自分の中で確固としたイメージがあった。
→ 実はついでに湯島御徒町も作ってみたのだが,案の定はざまの空白地帯以上の何物でもなかった。


新宿
→ 南端はJR病院。このすぐ南に踏切があって,これを越えたら代々木。もしくは,紀伊國屋書店が境界線。文化学園大学はギリギリ新宿かなぁ。
→ 西端は中央公園,北端はベルサールと西武新宿駅。ここを越えると一気に高いビルが無くなって,大久保という雰囲気になる。電気外祭りがベルサール新宿で開催だが,新宿としてはギリギリだと思う。西武新宿駅は,南口以外は新宿ではない。北すぎ。
→ 東端は花園神社とバルト9。新宿御苑は一応入れといた。しかし,新宿御苑を入れなければ綺麗に長方形だったので,惜しい気も。
→ 新宿は,南端こそ一致が見られるものの,他の方角はまるでバラバラで,人によるイメージの違いがおもしろい。そもそも都庁から歌舞伎町って広すぎるんだよな。西と東で全く文化が違うので,それぞれでイメージマップを作って集めたらそれはそれでおもしろいかも。


代々木
→ 北辺は新宿に接続。南辺は明治神宮。東はドコモタワーだが,結果として新宿でも代々木でも千駄ヶ谷でもない空白地帯が誕生した。なんだここ。
→ 西は西新宿との境が曖昧。代々木駅から遠すぎるので外したが,街の雰囲気だけで言えば文化学園大学の南側も代々木っぽいと思う。
→ 原宿も一応作ったが,便宜的に入れた明治神宮を除くと,非常に狭い範囲ということがわかった。作ってないが,表参道も多分すごく狭い。


渋谷
→ 最後に渋谷。前述の通り,東急百貨店を超えたら松濤。ただし,その南に広がるラブホ街は渋谷のイメージの範囲内。神泉は独立した街ではなく,北部は松濤,南部は渋谷でも駒場でも松濤でもない空白地帯。南辺はあまり詳しくないが,でっかいビルが無くなったら渋谷じゃなくなる。とにかくすぐに渋谷のイメージがなくなるのが南辺で,正直新南口のあたりは相当に渋谷的イメージが薄い。
→ 北側はNHKと国立競技場を超えたら原宿,東は青山学院の手前。元記事にある通り,原宿と渋谷の境目は衆目一致しており,すぱっと切り替わるのでおもしろい。


  
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2013年11月25日

「ロボットは東大に入れるか」発表会(11/23)レポート

通称「東ロボくんプロジェクト」。NHKでも報道があった通り,発表会があったので参加してきた。以下にレポートを書いたが,超長くなったので,簡潔に先にまとめておく。

・入試は「暗記とパターン」だが,パターン作りというのは,実際には高度な人間の知的能力。だから大学入試を選んだ。
・最終的にコンピュータに身につけて欲しい能力(=東大入試突破に必要な能力)は3つ。「深く正確な(自然言語の)構文解析と意味合成」・「パラフレーズ同定」・「文章の要約」。これらは現在の人工知能ではできない。
・ただし,今回は初回なので,挑戦する入試をセンター試験(模試)に絞った。また,最終的に欲しい能力を目指す本質的な研究ではなく,今回は,小手先の,現状可能なアプローチだけで,どれだけセンター試験で得点できるかに挑戦した。そのセンター模試の結果は約4割の得点率(387/900)。足切り回避まで,まだまだ先は長い。
(筆者注:ただし,人間で言う「未履修分野」が多く,それを詰めれば現状のアプローチだけでセンターはかなり攻略できてしまいそう。
・このセンター模試の成績を偏差値に換算すると,5教科7科目だと45.0だが,私文系3科目なら47.7。これで見ると,けっこう入れる大学がある。カウントすると404大学でA判定が出る。これを世間はどう受け止めるか。
(筆者注:ただし,学科は不問なので不人気学科ばっかり,国公立大学は事実上ゼロで,私大はボーダーフリーが多い。また,上述のようにほぼセンター式の入試にしか対応していないので,記述式が課されてる大学は受からないと思われる。まだまだロボットがちゃんと受かる大学はそう多くない。)


ということで,詳細は以下。ただし,筆者は情報系が専門ではないので,その辺は注意いただきたい。午前の部が研究者向け,午後の分が一般向けの話で,両方聞いたが,ほぼ同じ話をしていたので,基本的に午後の部を基盤に,一部午前の部の話を入れて書いていく。午後の部は国立情報学研究所側の分析の後,代ゼミ側講師の「東ロボくんを擬人化した上での学習アドバイス」という形で進行した。後者の発表内容は「代ゼミ:」とつけて区別した。

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2013年09月11日

『ネギま!』に対する私的落穂拾い

赤松健の新連載が始まった。この新連載は期待を持って読んでいるが,それは『ネギま!』の終わり方と無関係ではない。実はこのネタ,『ネギま!』が終わったタイミングで書こうと思っていたのだが,タイミングを逃して「次の連載が始まった時に」と思ってメモ書きのまま寝かせていたものであった。しかし結果オーライというべきか,新連載が『ネギま!』につながっているなら,むしろ今書いてしまうのが正解である。

私にとって赤松健は,途中まで人生に多大なる影響力を持っていた漫画家であった。『ラブひな』は,『シスプリ』と並んで私がこの道に入る原因であったし,『ラブひな』の影響で受検する大学も決まった。そして入った大学では『ネギま!』の影響を受けて第三外国語はラテン語にした。もっとも,ラテン語はほとんど身にならなかったが。なお,古代ギリシア語は授業1回目を受けた瞬間「ギリシア文字覚えられねぇ!」と気づいて早々に撤退した。そんな『ネギま!』ではあるが,少なくない人がそうであるように,魔法世界編が長すぎて飽きてしまった。単行本換算で,30巻あたりの頃には半ば惰性で読んでいた。15巻くらいまでの熱の入れ方とはえらい違いである。

赤松健作品の何が良かったかといえば,ひなた荘の恐ろしいまでの居心地の良さであって,麻帆良にも同じことが言えた。そして,その居心地が良すぎる空間ゆえに次第にネタが詰まっていき,作品後半には遠出が多くなる。そして遠出が多くなるとなぜかバトルも増える。バトル展開そのものはおもしろい回が多いが,それにより他の要素が出てこなくなるのが冷める原因であった。この点,バトルそのものが悪くないだけに悔しい部分であった。

『AI止ま』と『ラブひな』から「妹が出ると赤松健は終わる」という法則がささやかれており,この法則は『ラブひな』連載終了後に赤松健本人が肯定していた。ゆえに『ネギま!』でもそうなるのではないかと言われていたが,結局妹は登場しなかった。ただし,アーニャを無理やりカウントするなら実はそう間違っていない。要するに妹とは過去を連れてくる存在であって,赤松健作品は過去が物語に追いつくと終わりへ向かうのである。『ネギま!』は最後の遠出,魔法世界編が長すぎて違和感があるだけで,魔法世界編が麻帆良からの最後の遠出には違いないのだ。ちなみに,『ラブひな』も可奈子が登場すると終わりに向かったのは確かだが,実際には登場後もけっこう長く続いている。

『ネギま!』は,この魔法世界編が長すぎたこと,それだけがこの作品の欠点であった。魔法世界編の1回で全てを解決しようとしたことが間違いであった。1回で全てを解決させるためにバトルは多くなり,ドラゴンボールもびっくりの超インフレが起こり,バトルにかかわらない生徒は文字通りの戦力外通告となり,バランスを崩した。ネギ君は途中で一度,麻帆良に帰ってくるべきだったのだ。何がなんでも。父親探しは二度に分け,魔法世界の危機も二回目に行ったときに起きることにするだけでも相当違ったはずである。それが作品の質を高める事にもなり,延命にもなった。私は全く触れてこなかったが,何度もアニメ化したりまさかのリアルドラマ化だったりといろいろあったが,あれらの企画も私が触れないような企画ではなく,ちゃんと練り上げるだけの時間も気力も生まれたのではないか。何があって,あれだけの性急な展開と結末を良しとしたのか。ひょっとして赤松健本人が飽きていたのではないかという勘ぐりさえできてしまう。『ラブひな』の「いつでも帰ってこられる場所,永遠の竜宮城」を示した,あの完璧な最終回に比べると悲しくなってくる。


そこへ来て,今回の新連載である。何が新しいって「居場所を作らない」「最初からバトル」だ。連載回数と遠出の距離とバトル展開偏重が比例していたのは『ラブひな』も『ネギま!』も同じで,だったら最初から偏りきってしまったところからスタートしようと。さすがは赤松健というか,すばらしく自己分析していると思う。しかも完全新作ではなく,明らかに投げっぱなした『ネギま!』の補遺ときたらテンションが上がらないはずはない。「ああ,やっぱり赤松健も投げっぱなしたの気にしてたんだな」と思えただけでも割りと喜んでる自分がいて,むしろ『ネギま!』への愛着に気づいてしまった。魔法世界編の後半,あんなに惰性で読んでたのに,私も現金なものである。いやむしろ,惰性で読んでたからこそ,投げっぱなした伏線と一緒に”熱”も取り返してくれるという期待感が強いからか。

いずれにせよ,水曜日の楽しみが一つ増えた。「居心地のいい場所のない」初の赤松健作品,楽しんで読んでいこうと思う。
  
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2013年07月21日

勉強できた子あるある

・勉強できた子あるある(togetter)
→ 途中まで「あるある」と思って読んでいたのだが,途中から似て非なるものが混在してきた印象。まとめ主であり最初に提唱した人が一番しっくり来る「あるある」ネタを出していた。ナードあるあるや,まじめ系クズあるある,友人少ない子あるあるではない点に注意したい。
→ 私自身は,特にいじめられもしなかったし,友人も多く,楽しい小中学校生活ではあった。ついでに言うと高校・大学でも特に落ちぶれてもいない(だからこそあの大学まで行けたわけですが)。それでも勉強できた子特有の後ろめたさは大きく,これだけ共有する人がいるというのは,今更ながら心強い。

あまりにも共感したので,一言ずつコメントを入れたい。ここに列挙したようなものが,真に勉強できた子あるあるなのだと思う。太字は特に共感の強いもの。


1.好奇心の強い子
>「小学生時代のあだ名が「博士」的な名前」
>「国語の教科書はもらった日に読破」「社会科と理科の資料集が大好き。4月のうちに全部読んじゃう。」
>「親の教育方針がいいと思われがちだけど別に勉強に関してうるさく言われたことはない 」

>「成績を親にほめられたことがない、親が勉強しなさいと言わなかった」
もらったものは即読む。4・5月辺りは読書がはかどってとても良かった。で,上2つがあるからこその下2つかな,と。勉強得意な子は,小中学校にあっては要するに”知的好奇心の強い子”であって,勉強を強制されていた故という子は多くなかったと思う。私自身,親に勉強しろと強制された記憶は全くない。「やる子はほっといてもやるのよ」とは母の弁だが,そこは両親の教育に強く感謝している。この点,高校や大学の友人たちに聞いても大体同じ反応が返ってくる。曰く,勉強はほとんど強制されなかった,と。

>「のび太やカツオにいつまで経っても感情移入が出来ない。とりわけ夏休み最終日モノ回において。」
>「家で予習、宿題はやりたくないので、授業中や空いた時間になんとしても終わらせて置き勉。」
宿題もパズル感覚で解くので抵抗がない。また,遊ぶのはそれはそれで好きなので,宿題とかいう束縛はさっさと消滅して欲しかった,というのもあり,下の発想に行き着く。が,そこで「遊びたいんだったら,宿題とかやらなければいいんじゃね?提出する必要なくね?」という発想に行き着かない,中途半端なまじめさも”勉強できた子あるある”の一つではないかと。ただし,夏休みの宿題は美術の宿題のポスターやら書道の宿題やらが生き残って,意外と8月下旬までかかってた記憶も。

>「教科書を先読みしているので授業ですることがない。」
>「授業がつまんないので、机の下に隠した本を読んでる。で、隣の席の子に告げ口される。」
4月中に全部読み終えてしまったお前が悪い,という話ではあるのだが。進度が遅いのは標準的な子に合わせているからしょうがない,ということは頭で理解しているので文句は言わないが,だったら我々の暇つぶしも黙認してほしいところであった。

>「だいたいいつも、定期テストの時間の1/3くらいで解き終えてしまって、残りの時間やることがなかった。」
>「テストが早く終わって教室でてもいいよーも言われても、みんながまだやってるので出にくくてまだやってるフリをする 」
これも授業と同様で,標準的な子に合わせたテストなのだから,時間が余るのは仕方がない話であるが,暇なものは暇なのだ。何もできないのにぼけーっとさせられるのは,とりわけ小学生には苦痛である。小学校テストの残り時間は,学級文庫に備え付けの本・漫画はテスト時間中でも読んでよかったことになっていた。そこで漫画日本の歴史(小学館)を何周も読んでいた。あれと『信長の野望』(光栄)が私の歴史の原体験であった。また,小6のときの担任の先生は理解があり,解き終わったら次の単元のテストくれたり,全部終わったら中学レベルの宿題くれたりしたので,とても助かった。ああいう先生に出会えたのは幸運であった。

>「いまだに小学校のテストでの先生の理不尽なバツを根に持っている」
あるあるwwwwwww。
ネット上で見かける不可解な採点に,自分でも驚くほど怒りを覚えるのはこの辺が原因じゃないか。理屈で詰められれば当然納得するし,これが勉強以外のことであれば「世の中そういうこともある」と納得できるだけの小賢しさもある。でも勉強での理不尽だけは絶対に譲れないし執念深い。そういう人種。

>「もういい加減中年なのに、センター試験の問題が新聞に掲載されると解いてみる」
年々,世界史と日本史以外は点数が下がっており,順調に衰えている。


2.周囲の友人たちと理不尽な大人たち
>「体育できた子に比べてとにかく自慢しにくい。近所のおばちゃんや親戚にほめられても必ず謙遜しないといけないあの微妙な雰囲気がちょっとトラウマ。」
>「学生時代、勉強出来ることを自慢しても煙たがられ、謙遜しても嫌味ととられどうしたらよいか分からなくなった」
これな。どないせいっちゅうねんと,心の中で何度思ったことか。要するにテストで良い点とること自体が絶対悪ということを悟るまでにそう時間はかからなかった。この風潮こそ勉強できた子をまじめ系クズに落としていく強い要因の一つだったのではないか,と今は考えている。

>「手先が不器用とか運動神経が鈍いとか生活の知恵的なことで知らないことがあるとか…があると、大喜びで「世の中、テストの勉強だけじゃないんだぞ!」と、どや顔で説教始める人に何度ウンザリさせられたか…」
そんなことは知ってんだよ,と。
自分が勉強できなかったルサンチマンなのかなんなのかしらないが,憂さを子供で晴らす大人は絶滅すべき。

>「本当はテストの点数を見せるのに何の抵抗もないが、まわりに合わせて隠す。」
>「「勉強なんて楽しいの?」と聞かれ「いや別に楽しくはないけど」と答えるが「バスケだろうが野球だろうが書道だろうがピアノだろうが、うまく出来るものは楽しいしうまく出来ないものは楽しくないっていうだけだよ」と心の中では思っている。」
>「通知表もらうのが憂鬱なふりは一応したものの、割と楽しみだった。」
得意なものに集中できたり,褒められたりしたら素直に嬉しいのは真理。嫌いな振りをしたり憂鬱な振りをするあたりが,小中学生らしい未熟な社会性で,今考えるとほほえましい。

>「勉強できない同級生の親に「○○ちゃんはどうしてそんなにお出来になるの?一日何時間も勉強してるんでしょーねっ!」と敵意を込めて言われる度に「遺伝です」と答えたい衝動をおさえていた 」
実際のところ,敵意を込めて言われた経験は無かった気がするが,こういう内容のことを言われたこと自体は何度もあった。大体,(学校の科目の勉強としては)本当に”一日も何時間も勉強して”いないので,謙遜抜きで「してません」としか言いようがないのだが,それを言うのも空気的にはばかられ,しかしそれ以外のリアクションも思いつかないのが小中学生レベルである。

>「自分は全教科ちゃんと勉強してるのに、時折現れる得意な教科しか勉強しない奴に(数学だけとか歴史だけとか)科目別一位をとられるのは納得がいかない。」
別に納得行かないことはなかったのだが,それでそいつが「DGさんに勝った」とか自慢されると,さすがに「そのりくつはおかしい」と俺の中のドラえもんが言い出したわけだ。その辺の心の狭さもまた,いかにも小中学生らしい。

>「テストの点が悪くてへこんでいたら、「何点だったの?」と答案をひったくられたあげく「全然悪くないじゃん!」とキレられ、おちおち嘆くこともできない。」
そうそう。そりゃ平均点50点なんだから80点は良い数字かもしれないが,俺の中では95点の予定だったんだよ,的な。


3.その他
>「進研ゼミのパンフレット見ながら、100点取れたぐらいで好きな子に振り向かれたり親に褒められたりするなら苦労しねーって思う」
あの漫画の一番の不自然さは,急激に成績が上がるところでも,「あ,これ進研ゼミで出たやつだ!」でもなく,そこである。100点とれたらフラグが立つのは進研ゼミの漫画と恋愛SLGだけ。

>「レベルの高い学校に進学して周りに自分より頭のいい子ができてほっとする」「高校大学入って自分よりできる人がゴロゴロいて、埋れて安心する。」
これは本当にある。
某J高校に入って1年の1学期を過ごしたときの安心感と言えば。

>「どうせ何人かの生徒が間違えたあと、最後に答えを言わされることが分かっているから、授業中に手を挙げる必要はなかった」
で,しかも先生の側の都合(授業の構成・通信簿の「積極性」の項目の存在etc)も知っているので,手を挙げても当てない先生をdisれないジレンマ。本当に小賢しい小中学生である。この歳になってみると,こういう小賢しさもまた子供らしさの一つであって,かわいいと思えるようになった。のだが,前述のような理不尽な大人からすると,かわいく見えないのであろう。

>「テレビで東大出身の人が「どちらの大学?」と聞かれ「一応東大です」と言うと「一応とか言ってんじゃねえよ」とdisられる場面をよく観るが、小さいころからの癖でどうしても「一応」とつけてしまう卑屈をこじらせた感覚がちょっとわかるのでdisれない。」
あるあるwwwwwwwww。もはや「一応」が東大の枕詞と化している。

>「今時の子ども向けアニメ見てると、たまごっちのまめっちは、基本、真面目でお勉強もできるいい子だし、ドキドキプリキュアもしっかり者で成績優秀のいい子とお嬢様ないい子が、あまりフィルターなく描かれてるし、ようやくそのタイプがdisられない時代が来たかと、ひそかに胸熱になる。…これはあるある?(^^;;」
時代が変わってきたのかなぁ。だとしたらいいことだよね。



最後にちょっとまじめな話を。「運動出来る子が出来ない子をバカにするのは許容されるのに、勉強出来る子が出来ない子をバカにするのが許容されなかったのは納得できない」はまじめな話,教育の問題として是正されるべきだ。「勉強しないのが正義な風潮」は本当に日本の学校教育にとっての害悪だ(った)と思う。そりゃ歪みますよ。これが浮き上がり問題とコンボになってしまっているから,余計に重症化したのではないか。勉強は好奇心の強い子供にとって遊びの延長であり,そうした子供が勉強を好きだと胸を張って言える社会であってほしい。
  
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