2019年09月30日

「表現の不自由展 その後」について

なんとなく思ったことを書いておく。言うまでもなく私自身は「表現の不自由展 その後」はちゃんと公金が支出されて妨害無く展示されるべきだったと思う,というのを前置きした上で。

「表現の不自由展 その後」はあいちトリエンナーレの(国際現代美術展の)一部であり,つまりは現代アートの祭典である。したがって当然「表現の不自由展 その後」も現代アートの文脈で理解する必要がある。そもそもそのHPに行けば説明されているので読めばわかるのだが,要するに何らかの理由で展示を拒否された作品が集められ,排除された理由を説明するキャプションが付されたことで,これは「表現の自由について考える」文脈に改めて載せられた作品群ということになる。

すなわち,この時点で個々の作品が持つ芸術性については後退していて,少なくとも前面には出てきていない。一番わかりやすい例で言えば,ここに展示された「平和の少女像」は東京都美術館での企画展で排除された経験を持つ。いかなる政治力学でその排除に至ったのか,排除は表現の自由という観点から言って適切であったのかを鑑賞者に考えさせるために展示されたのであって,少女像が持つ本来の意味ーーすなわち従軍慰安婦や戦時性暴力について鑑賞者に考えさせるという企図は副次的なもの,あるいは鑑賞者の自由の範囲でしかない。無論のことながら,作家は鑑賞者に本来の意味も伝わってほしいと考えて出展しているだろうし,企画展の趣旨である排除の持つ政治力学が問題にしているのは従軍慰安婦に関する曲解であるからどうしても関連はしてしまうのだが,重要なのは作品固有の芸術性の側が後退しているということであって,これはこの展覧会の問題を考える上で欠くべからざる要点である。

本件はキュレーションがまずかったのが最大の原因とは散々指摘されているところであるが,より具体的に言えば個々の作品が持つ芸術性が後退していて,展覧会名の通りに表現の自由について再考するのが趣旨であるというのが伝わりづらい,個々の作品のインパクト重視の構成になっていた点がまずかったとされている。だから本展は税金を投入して従軍慰安婦を喧伝している展覧会はけしからんという抗議が入ってしまった時点である種の敗北を喫している。世の中には困ったことに何をどう説明してもわからない人たちはいるので全員が説得できるとは全く思わないが,堅牢な説明のある展覧会になっていれば,あるいはもう少し排除の理由のバリエーションが豊富なラインナップの作品群になっていればこれほどには問題化しなかったというのがキュレーション批判をしている人たちの総意であろう。また,それはそれとして,そういう全く意図が通じない理解する気もない困った人たち対策は厳重にしておく必要があった。それこそ一度は何かしらの理由でリジェクトされている作品群なのである。案の定「荒れる内容の展示が含まれることが事前に申告されていなかった」等と文化庁が公金を支出しない口実にされてしまったのは大失態と言って差し支えない。

一方で,抗議者もお門違いの批判をしてしまっている。河村たかし市長からしてそのお門違いの批判を繰り返しているので頭が痛い。本展に反感を持つ鑑賞者の”正しい”感想は「それでも平和の少女像を東京都美術館の企画展から排除したのは正しい判断によるものだった」というものであるべきだった。その人たちはこの判断の材料になった本展には感謝すべきであって,本来は抗議による閉鎖などもってのほかなはずである。これとは別に「税金を使って『表現の自由』を考えること自体が税金の無駄遣いである」という方向の批判も正当に成り立つが,ここまで来ると完全に全体主義者の発想だろう。いやまあ,本件で抗議した人の中にはそこまで染まっている人もいるかもしれないけど。(私自身は従軍慰安婦や戦時性暴力について鑑賞者に考えさせるという企図の展示であっても公金を投入する展覧会から排除してはならないと考えているのは冒頭と重なるものの念のため改めて書いておく。)  

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2013年11月12日

趣味の高低,あるいは価値の高低について

某所で起こった案件について,片方の方にちょっと言いたいことがあったので,ブコメを書いた後に「たまには記事本体にコメントしようかな」と思っていた。が,いつの間にか該当記事が非公開となり,さらにご本人がネット活動を停止宣言されるというスピード展開に乗り遅れた。もうお一方のブログの記事の方にコメントするのも,話の主旨が記事本体と違いすぎてためらわれ,かと言ってどこにも何も書かないのも自分の精神衛生上悪く,結果自分のブログに軽く,多少なりとも一般化して書いて済ませてしまうことにした。というわけで,特に私のはてブを追っているわけでもない人は何が何だかわからないと思うが,以下,文脈のわかる人だけお読みください。


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2011年09月01日

現代邦楽に関する議論について

0.はじめに

・伝統楽器・伝統音楽というものへの問題提起 とあるボカロPの傷林果に対する反応と、その一連の流れ - 8月24日 #gendaihougaku (Togetter)
・.ブンガPと藤山晃太郎の伝統音楽についての議論 - 8月25日 #gendaihougaku (Togetter)
・続:ブンガPと藤山晃太郎の伝統音楽についての議論 - 8月26日〜27日 #gendaihougaku (Togetter)
・.完:ブンガPと藤山晃太郎の伝統音楽についての議論 - 8月28日〜30日 #gendaihougaku (Togetter)

この議論はtogetterが乱立しており,それぞれの特性があるが,一番わかりやすいものを提示しておきたい。というよりも,このtogetterが無ければこの記事を書く気力はわかなかったであろう。これはtogetterまとめのお手本のような出来である。

さてその上で,今から私がやることはカオスラウンジ騒動同様,全く無関係の議論に対して横から茶々を入れる行為ではあるが,前回とは大きく目的意識が異なっている。この議論は内容的に非常におもしろく示唆に富んでいる。にもかかわらず,togetterが乱立しどれを参照すればよいのか判然としなくなってしまったこと。それに関連して,藤山さんは周囲全体からの意見も聞きたいとしてハッシュタグを用意し意見を募り,最序盤は有効に機能したもののやがてノイズにしかならなくなっていったため,お二人の意見のみを追うには大変困難になってしまったこと。さらにtwitterはその特性上,140字ずつしか投稿できず,しかも言及元が参照しづらく,話題の重複やループにも気付きづらいなど議論をするには欠点があり,おそらくそれが原因の一つとなって議論が止まってしまったことは残念である。

ゆえに,まだ誰もやっていないようだし,邦楽にもボカロにも全くの門外漢ながら,またおそらく議論が再燃する可能性は非常に低いと思われるものの,拙いながらの私見を交えながらでも,togetterとは別のフォームでこの議論をまとめ直しておくことは,一定の意味があるのではないかと考えた。無論,私にはこれらの専門知識が全く無いので,議論内容に関する本質的な指摘は他者にお譲りしたいし,私自身はこの記事以上の言及をするつもりはないことを先に述べておく。


1.お二人の意見

藤山さんの指す邦楽は端的に言ってかなり広い範囲を指すもので,楽器が和楽器であるか,リズムや音階など方法論的に伝統的なものが使われている等,部分的に「過去の伝統技術」が使用されていれば含まれるとするもの。あえて言えば,最大公約数的・「最広義の定義」と言える。が,ブンガPの提示に対し,藤山さんは「和楽器を使用しただけでも十分に邦楽ではないか」と自らの邦楽定義の一部分のみを提示し,それがブンガPが最も拒絶反応を示す領域であったため,初手から議論が混乱した点がある。というよりも,「藤山氏は楽器,外形のみを重視している」というブンガPの誤解は,議論の最後まで解けず,藤山さんが後出しで「本質なんてない」と言い出したことから,ブンガPには藤山さんが途中で意見を変質させたように見えてしまい,これが最終的に彼が議論を降りる原因となってしまった。議論は,実は初手で死んでいたのかもしれない。


それに対し,ブンガPが提示した邦楽の領域は,一言で言えば「魂」がこもっていなければ邦楽にあらず,としたものだ。すなわち,邦楽を歴史的にひもとき,どのような精神や発想があって,現代の邦楽が形作られていったのか。このような音色やリズムが生まれたのかに立ち返り,それが守られている範囲が「邦楽」である,と。とりわけ,彼が重視したのは「民衆の中に残っている音楽伝統」であり,その代表例として本邦では沖縄・奄美民謡を,また現代に適応してうまく生き残っている例としてボサノバなどを提示した。だから邦楽の「魂」も,方法によってはまだ生き残れるはずだ,と。彼自身の言うように,彼の主張は原点回帰ではなく,あくまで「魂」の保存であって,外形にこだわるものではない。里神楽に溶け込んだリコーダーは良い例証であった。しかし,この点について藤山さん自身はよく理解していたが,どうも周囲の外野が理解できておらず,「ブンガPは保守的」というレッテルが貼られてしまったように見え,これが彼をうんざりさせ,議論を打ち切った原因の一つとなったのであろう。

が,それをわかりやすく言おうとしたのか,「方法論」と曖昧に濁したのが失敗だったかもしれない。いっそより曖昧な「魂」と表現したほうが,議論が進んだかもしれない。最後のtogetterの末尾にて,本人は「情緒」と言い換えているが,この表現でも良かっただろう。彼はとりわけ(和)楽器の音色のみを残すものに見えるもの(傷林果)や,技術のみの保存のために現代にはそぐわない家元制度,またその保存のために素人を食い物にしたやたらと高い月謝のシステム等を批判した。「傷林果」は,さぞ「器作って魂入れず」に見えたことだろう。それが最初のtweetの憤激である。ゆえに,彼にとって傷林果批判と制度批判は同根であって,この点を無視した藤山さんの反論は的を射ていない,本質を突いていないもののように感じられたのではないか。ゆえに彼は最後まで本質に関する議論を展開しようとした。しかし,藤山さんからしてみれば,本質論とは本来分けるべき作品批判と制度批判をごっちゃにしたものにしか見えず,その切り分けに腐心した結果,すれ違いがひどくなっていった感がある。

そしてまた,本質を語るにはかなりの素養が必要であり,ゆえに彼は3つ目のtogetterの末尾にて藤山さんに邦楽の素養について問うた。結果,議論相手の素養は(案の定)浅薄であるとして,議論を降りた。が,実際には最初から,「生き残りをかけた」と言いつつ邦楽の範囲をやたらと広げていく藤山さんの理路は「邦楽を歴史的にひもといていない」,浅薄な理解によるものと感じられていたのではないか。


2.議論の行方

整理すると,実際には議論すべきところは明確であった。

・ブンガPの指す「邦楽の本質」の明確化
・周知拡大と内部体制の転換は並立して可能なものか?
・「傷林果」は本当に本質から外れた作品なのか?という実証的な議論


まあ1つ目についてはブンガP自身が後日ブログで,と投げてしまっているので困難だったかもしれないが,3つ目をやっているうちに明確化していった可能性はある。というわけで後回し。

2つ目の論点については補足がいるだろう。3つ目のtogetterの冒頭にもある通り,藤山さんに既存の制度を破壊・改革する意志はない。「49900人が通り過ぎても100人が興味を持ち,10人が弟子入りして1人がプロになればよい」というのは既存の制度の強化でしかない。結局「まず周知拡大か,本質追求のための内部体制の転換か」という点は,全く議論が進まなかった。どころか,最初から議論にさえなってなかったのである。

しかし,藤山さんのほうも彼は決して「魂」を軽視しているわけではない。ただ,「魂を残す以前の問題として,滅びかかっている邦楽を生き残らせるには,まず邦楽の定義を広げて大衆の目を惹きつけるしかない」とし,また「傷林果の程度であれば,魂は失っていない」とする立場を提示した。この点の対案について,ブンガPは「よいと思ってもらえる作品を作ること。そして、その一見変わった音楽が、実は自分たちの民族性から出たものなのだと、驚きをもって感動してもらうこと。」と述べ,また「現状を「大衆的で芸術的価値の低い邦楽」と「(敷居・芸術的価値の高い?)純邦楽」に分類した上で、「その間を結ぶ作品」を発表したい」ということか?という藤山さんの確認に対し,是と答えている。藤山さんはブンガPの対案不足,具体案不足を嘆いていたが,実際にはちゃんと答えは出ており,こうした遡及性の無さはぶつ切りになるtwitterの欠点だろう。togetterになってみないとわからないという。

さて,互いの方法論が出揃っているがゆえに,この先議論を進めるなら,やはり「実際,魂の保存に余裕がないほど邦楽は死んでいるのか?」,「そもそも傷林果は本当に邦楽の本質を外したものであったのか?」という論点のすりあわせは必要であった,というのは自明であろう。これが3つ目の論点が浮上する理由である。


しかし,実はその実証的な議論が出来たかはやや疑問である。藤山さん自身はやる気も能力もおそらく無かったのだろうが,七三先生ご本人を投入してでもやるべきだったのではないか。しかし,藤山さんは七三先生について,こうコメントしている。「今回の議論でつらと思うに、七三先生は邦楽のルーツやらソウルやら、なんも知らないんよ。ただ良い音を奏でる、という機能特化。もしブンガPが仰るような「先達には本質を示してもらいたい」というのを叶えるような方がいたとしたら、それは奏者の仕事じゃない。Pの仕事だ。」実際にはそんなことはないのだろうが,いずれにせよ七三先生自身にも,ともすれば空理空論と受け取られがちな「本質論」をする気がなく,本質とは曖昧なままで良いという立場であろうことは推測がつく。(少なくとも藤山さん自身は割とそう考えている節がある。このtweetなんてまさに。)

それにしても,この点が全く深まらなかったどころか,ほぼ完全に無視された点は残念である。ブンガPが「傷林果は全くもって邦楽の本質ではない」とするなら,その反論は「そんなことはない」であるべきではなかったか。ど素人の私でさえも,「Bad Apple!」が東方曲の二次創作であり,東方projectであることは邦楽にとって一つの意味合いを持つというコンセプトは気づく。Togetterを丹念に読んでいくと,ブンガPにもそれなりに東方曲に対して親しみがあるようなので(project本体に親しみがあるかどうかは読み取れなかったが),せめてこの点だけでも議論が深まっても良かったのではないか。

特に,「傷林果」自体,「法界唯心」を踏まえており,あちらのほうがより「邦楽である意味合いが強い」コンセプトであるとは言うことが可能ではあり,本作はより逸脱を目指したものであるとは言えるものの,それでも東方曲の範疇ではあるだろう。「法界唯心」については,ブンガPがどう思ったか,ぜひ尋ねて欲しかった。これは,この点を提示しなかった,藤山さん自身にも落ち度はある。というよりも,議論の途中で本人が「当方は「人気曲のアレンジ」を新しいものとして捉えていない。この活動の斬新な点は「ネット受けを狙い投稿した邦楽演奏動画で大きな視聴者を獲得した」事」としか答えておらず,これでは手妻師自身が本作の力量を見誤っているような気がするし,その返答は自身が「法界唯心」を無視したものになってしまっている。もったいない話である。

無論,東方であるコンセプト以外でも,本作がブンガPの言う「邦楽の本質」からどれだけ外れているものか,という議論は展開されるべきであったのだが,今回の議論は,具体的な音楽理論の話が全く出てきていない。その意味で,ブンガPが「もっと勉強してから来いよ」と言い放ったのは正しい。正直,邦楽はおろか音楽のど素人としては,私的に最も期待していた議論であった。2つ目のtogetterの末尾で蝉丸Pが「本質論はtwitterでやるに向かないのでニコ生でやってはいかがか」と極めて重要な指摘と斡旋をしているのだが,これは流れてしまった。議論の途上でもちゃんと指摘している第三者関係者がいた。むしろ,今からでも手妻師陣営はやるべきではないか。ニコニコ大百科のものよりも詳しく。


それはそれとして,一つ文句を言わせていただく。知らない人も多数いる中で,2垢併用で議論をするのは裏切り行為としか。最初から明示した上でならともかく,「2垢使ってるのは有名だから皆知ってる」「(本当に自演するつもりだったのだとしたら)すぐ自演と気づくレベルのものでその意志はなかった」という言い訳で通すのは,故意でないでも相当苦しい。たとえば,このtogetterをブンガPの普段の活動を知らない人が見たら別人にしか見えないし,私にはそうとしか見えなかった。
  
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2011年07月31日

カオスラウンジ周辺諸問題について

0.はじめに
私のことをよく知らない人のために自己紹介を兼ねて言えば,私がこの問題に関心を持ったのは美術史学畑の人間だからであり,20世紀以降の芸術は一部例外を除けばおおよそ全部嫌いだからである。私の芸術観については過去記事のこれこれを参考にしていただければおおよそわかると思う。

実害もなくなぜそんなに嫌いなのかと言われると,実はそこまで嫌いでもなく,自分が好きなものの行く末はなんのかんの言いつつもやはり興味を惹かれ,結果的に横目で眺めているというのがおそらく正しい。趣味が悪いと言えば悪いし,私憤でしかないと言われれば,私憤であると答える。特に村上隆関連を追っていたのは,自分の趣味であるヲタク界隈と接続しているからで,カオスラウンジはその延長線上に登場したに過ぎない。また,まどか☆マギカ関連でおもしろくない批評をやっていたのが彼らに良くない印象を与えたことも,一応この記事を書いた理由として挙げておこう。

本記事では自分で全部説明していくと冗長になる上,必ずしも正確な説明になるとは限らない点を鑑み多くのリンクを張った。面倒である,すでにこの問題をそれなりに追っていて流れは頭に入っているという方は適宜すっ飛ばしていただいてかまわないし,それでも論旨は把握していただけると思う。


1.キメこな問題

これについては,まずひとまずこちらを挙げおく。前者はやや偏っているが,最初期のまとめであり,すでに論点が整理されているため紹介する。

・【ふたば】5分で分かるキメこなちゃん盗作問題のまとめ : ふたばのまとめ(仮)
・Togetter - 「カオスラウンジ問題の整理・解決されていない事柄」

読まない人のためにばっさりと言ってしまえば,これはのまネコ問題の変形した再来である(別にギコネコ問題でもいいが)。「のまネコ問題を知ってればこんな事件起こさない。25歳?その年齢なら知らないってのはほとんど罪だよ。」というのが約二ヶ月前の自分のコメントであるが,現在でもここから感想は全く変わっていない。これはこちらのブログの「この10年美術界では何も起きなかった、は黒瀬陽平氏の言葉ですが、ネット上ではこの10年様々なことが起きていました」という指摘が補強してくれるだろう。

しかし,この問題は3つの点でのまネコ問題よりもたちが悪い。

・元ネタの著作権侵害が明確な点
・ふたばの閉鎖性と住民の抵抗の動機を理解してなかった点
・「芸術性」を言い訳とした点


まず,のまネコは誰の著作権にも帰属していなかったものを企業が勝手に商標登録し著作権保持者になろうとしたものだが,元はAA(モナーのバリエーション)であり著作権的にはほぼ完全にフリーである。一方,キメこなは様々なアニメキャラの「キメラ」であり,存在そのものがグレー(ないしブラック)ゾーンである。ふたば民はこれをグレーゾーンと認識し,洒落の通じない人の目には触れない範囲で遊んでいた。それを「芸術(の聖性)」の名の下に梅ラボが表へ引っ張り出したため,彼らは反発したのである。すなわち,のまネコ問題ではなかった著作権侵害が問題として浮上してくる。

次に,のまネコは最終的に商標登録を撤回したが,カオスラウンジ及び梅ラボ氏は現状撤回していないどころか,最終的な完成品を発注者(東浩紀)に納品してしまい,しかも東氏は「門外不出」として実質的な手打ちとした。また,カオスラウンジは「制作した作品の影響で,ネット上のコミュニティがつぶれても気にしない」ととれる主旨の発言したことだ(参考)。この発言はこの騒動全般において,最大の悪手であった。元々ふたばの人たちがキメこなを表に出してこなかったのはコミュニティの防衛のためであるから,そこへ「つぶれても気にしない」と来れば挑発しているも同然であり,一層批判を浴びるのは目に見えていた。さらに言えば,カオスラウンジ幹部の面々はどうやら「梅ラボ作品が犯罪なら同人誌も同罪」であり,「グレーゾーンをなくしていきたい」という認識でいるようだが(参考),この発言自体が問題を当初から根本的に理解していなかったことを示している。二次創作の同人誌だってグレーゾーンなのは,言われなくても皆理解しているのだ。その上で,コラージュはさらにリスクが大きいことも。(これに対してヲタク界隈はグレーゾーンの撤廃の自助努力をしてこなかった報いだとかいう意見も出ていたが,話があまりにもずれる上に,今回の件に適用するには極めて独善的な理路なのでこの話は広げない。)

最後に,のまネコは純粋に商業上の利用であったが,キメこなは並行して芸術上の利用としてまつりあげられたという点である。これにより,少なくとも現代芸術擁護側からは「この観点では正しい。デュシャンやウォーホルだって訴えられながらその地位を築いた」という反論の余地ができてしまった。説得力皆無ながら私に言わせれば,嫌いな現代芸術の文脈に則ったとしても,やはり評価できない。だが,この「芸術上」の話が,芸術全般や現代芸術の現状に疎い人たちを混乱させ,煙に巻くには十分な効果があったことが悔やまれるところである。なお,デュシャンやウォーホルに関しては実際に芸術性が高かったと判断されたがゆえに,著作権的には置いといても世間的には「許された」のであって,その意味でこの理路は間違ってない。かの作品にそれだけの説得力がないというだけで。

本来はこれに加えて偽札騒動やiPhoneケース回収騒動などもあるのだが,網羅的に把握するのが目的ではないため省略する。本来であればこれ一件一件が致命的であるはずなのだが,問題が山積しすぎてスルーされているのが現状である。


2.Pixiv「現代アート」タグ騒動

こちらもすでによくまとまったものがあるので,先に掲載しておく。この辺から本格的にTogetterでの玄米茶無双が始まる。

・Togetter - 「【問題の要点まとめ】pixivの”現代アート”タグが気になった方へ」
・pixiv「現代アート」のまとめ ※まとまりません
・揺れるイラストSNS「pixiv」、運営めぐり批判、退会の声 - デジタル・トゥデイ(Digital Today)

この問題では,pixiv運営陣が梅ラボ氏によるコラージュ作品の投稿を認めている点,そして仕事の斡旋などで協力関係にある点が問題視された。当初取り沙汰されたのは前者である。いろいろあって「「現代アート」タグさえついていればコラージュ作品でも許された」と理解した人たちが,マジ・便乗・悪意それぞれの思惑をもって流入・投稿していった(マジがいたというのがすごい)。これに対し,pixivは騒動の本質を理解しないまま無作為に削除した。結果として,「現代アート」タグがついていただけで何の著作権も侵害していないもの,pixiv運営批判にはあたらないものでさえも削除され,アカウントも停止された。さらに例大祭での企画で募集された東方絵をカオスラウンジ作品が使用していたことが発覚し,問題が拡大した(参考)。これに関してはpixiv運営の過失ではないと思うのだが(特別に便宜を図ったわけではないだろう),火に油を注ぐには十分な事件だった。

こうして批判が増していったためpixivはようやく謝罪したが,根本的には何も解決していない謝罪であった。さらにカオスラウンジ幹部が自主的にpixivを退会し一応のけじめをつけたが,対応としては手遅れであり,ユーザーのpixiv離れまで生じてきた。これも要点をさっくりとまとめておく。

・pixiv運営がカオスラウンジと他ユーザーにおいて,明確なダブルスタンダードを設定していた点
・pixiv運営が「運営に批判的」という理由付けで無作為に削除・アカウント停止が可能であるという,杜撰な管理体制であることが発覚した点
・カオスラウンジ自身の現代芸術の理解が浅かった,ないし宣言通りの活動をしていないということが露呈した点


一番上の件については,実は回避は簡単であった。「ダブスタでしたごめんなさい。」と認めた上で,彼らのアカウントを停止するか,最低でも「これからも特別扱いです」と言い切って残しておけば,それで済んだのである。あれが理由不明瞭なまま残っていたからこそ「現代アート」タグは許された扱いなのであり,ここが全ての元凶であった。そうしなかったのは,せずとも現状維持で通せると見た見通しの甘さであろう。その意味では二点目に吸収される。結果的に梅ラボ氏他が自主退会したため,キメこな問題同様,うやむやの解決となってしまった。

二点目については,安藤一郎さんのセミアートが格好の例だろう(上記Togetter中段)。これについては現状でもいまだ削除基準が不明瞭で,謝罪になってない謝罪で逃げ切りを図っている感がある。突然死ぬジャミラとともに今後どうなるか注目だが,いずれは沈静化するであろう。一方,恣意的な削除基準は場の破壊最大の攻撃手段であり,「現代アート」タグの有無に限らずユーザーにとっては脅威である。ここでも「コミュニティの防衛」という観点は必要で,いかに「気にしない」発言が地雷を踏んだかが確認されうる。

最後の一点は言われて気づいたのだが,実にその通りである。簡潔にまとまっている藤田直哉氏の発言も引用しておく。「大きな矛盾点として挙げられるのは、1「カオス*ラウンジ宣言」との矛盾 2過去の発言との矛盾 3他者に適用しているルールを自分には適用しないというカントの格率を破るような公正さに関する矛盾 の三つ。」彼らが自らの宣言を遵守するのであれば,「現代アート」タグ騒動については擁護するべきであったし,少なくとも自らの肖像権が侵害されても声を上げるべきではなかった。また,覚悟がないのであれば宣言は撤回,もしくは改定すべきであった。そして仮に宣言がなかろうとも,こうした現象そのものが(私にとっては不本意ながら)現代アート的と評されることは,少しでも現代芸術に親しみのある人ならすぐ気づくことで,結局彼ら自身が矛盾しているという結論しか導けない。

さて,このように見ていくと実のところ「現代アート」タグ騒動については,総じて問題となっているのがpixiv運営の体質であって,芸術性や著作権が論点となっているわけではない。ことpixiv問題に限って言えば「同人の二次創作も同じ穴の狢」論も「梅ラボ氏の作品には芸術性が認められる」論も,全く論点に関係がないし,そもそもカオスラウンジの対応については上述の矛盾点があるということしか突けない。擁護にせよ批判にせよ,pixivに問題が拡大してから芸術や著作権に一家言ある人が急にコメントしたがる傾向があるが,周回遅れの議論をしないために,キメこな問題までさかのぼって調べてから発言したほうが良い(せめて上記のリンクは全て目を通していただきたい)。

最後に,東方を利用したコラージュ的現代アート=許諾のない三次創作については,神主が東方のガイドラインに抵触していることを明言したために「ユルサレヌ」になったことを付記しておく。


3.今後どうなるか

冷静に考えると,これだけ騒動が拡大した割には,いろいろと元の鞘に戻るのではないかと思っている。

カオスラウンジについては,今回面目は丸つぶれとなったが,応援している人がそれなりにいる限り活動は続くだろう。まあ,今後むやみにネット素材を利用しないはずである。どうせ現在すでに宣言通りに活動できていないのだし,したとすれば相当に頭が悪い。キメこなが素材に使われた作品そのものは東浩紀が本当に「門外不出」とする限り,強制的に手打ちになってしまった感があり,これ以上追及しようがなく,またこれ以上の追及は現実的に考えると,よりふたばを表に出すだけであって逆効果でさえあるだろう。逃げ切られたという見方も可能である。まあ偽札騒動あたりが再爆発したらそれはそれで。

もう一方のpixivだが,おそらくはつぶれないであろう。「運営陣にはイラストに対する愛がない」と評されているが,実際のところ運営陣に業界愛が無いからこそ長続きしている企業というのは,世の中に存在している。むしろ怜悧冷徹に顧客の欲しがるものを提供し,また金に目がくらんでいたからこそ積極的な営業活動ができたからであろう。これらの点で頭抜けていたからこそ,pixivはやはりイラスト系SNSで今の覇権があるのではないか。騒動がもう一段進んで広告離れや様々な提携関係の解除,たとえば例大祭への出展停止などが生じた場合は,その限りではない。現代アートタグはそのうち沈静化するのではないか。沈静化しなかったらおもしろいので,それは歓迎したいが。
  
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2009年01月10日

エロゲとフェミニズムと批評のスタンスと。

ここのコメント欄より。『300』に対して、歴史の歪曲、アジアへの偏見をもって批判するのなら、ではエロゲは女性を不当に扱っていないのか、という反問は予期しておくべきではないか、という意見。


言うまでもないことだが、別に私はさらしあげているつもりは全然なくて、こういうコメントは本当にありがたい(というよりもこういう注記が必要かもしれないということ自体が、今のインターネット社会がコミュニケーションに関して過敏すぎるんだろうなと思う)。重いと思われたなら、singingrootさんごめんなさいです。ですが、これは自分の作品批評の態度を明示するうえでも、一度書いておかねばならないことが含まれているなと思ったのも、また個別の記事にした理由ですので、あまり気にしないでいただけるとありがたいです。

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2007年11月14日

「多様性」は簡単に使えない言葉だと思う

ちょっとまじめに反応してみようと思う。この記事だけならよくある話だからスルーするつもりだったんだけど、このブログの他の記事がおもしろかったから、トラバ飛ばしてみようと思う。

前もうちのブログでは書いているが、一つの文化というのは一定の機軸を持ちつつその中で微妙な変化を見せていくのであって、その変化が「微妙」だからこそおもしろい。機軸を破壊するような変化もたまに出現するが、要はそれが受容層に受け入れられればそれは後世「革新」と評価され、受け入れられなければ単なる挑戦に終わる。受容層が飽きるまでずっと革新が起きなければ、これもまた単にその業界が滅びるだけだ(まあ、まずそんなことはありえないのだが。必ずその前に革新は起きる。だって商売だもの)。

その革新にしたって、西洋絵画史上の印象派の登場のように一気に何かが変わることなんてめったになくて(その印象派も受容されるまでにずいぶんと時間がかかっているわけだし下地はあったわけだけど)、普通はだんだんと受容する側の嗜好が変化していくもんだ。それに印象派の登場後だって前近代の絵画は人気を失ったわけではなく、現代においてもマーケット上の人気はそれなりに高い。一定様式の美しいものはいつだって美しいのだ。

「雫」を元年とするならまだ誕生して15年かそこいらのエロゲ業界だが、その頃の絵と比べれば(技術的な問題を加味するにしても)ずいぶん様式が変わっているのは疑いえない。むしろその頃から比べればエロ漫画/アニメっぽい絵からエロゲ独自の絵、文化が根付いていて、その意味での「ジャンルとしての」独自性ならば現れてきている。最近やたらとシナリオライターの世代分けが話題になっているが、原画家も十分そういう俎上に上げられるはずだ。その上で「古典」に当たるのはやはり323等の葉の原画陣じゃないかと思う。

要は、ありふれた絵が氾濫することに対して憂う必要は全く無いし、常に変化は起きているということ。受容する側が飽きれば自然に絵の趣味は移り変わっていくし、逆にクリエイターの側がそういう需要を創始することもあると思う。だから、私は原画家が既存のエロゲ絵に似せない絵をエロゲに載せることには全く反対はしないし、そういう「革新的」な挑戦は非常に評価したい。その意味でならば、トラバ先の人の「もっと個性のある絵を評価する努力もした方がいい気がする.」という意見には賛同できる。もちろん、それでも「古典」たる323絵は生き残っていくだろうしね。とかそんなことを、鈴平絵やみやま絵、カーネリ絵が好きな自分が言ったら多少説得力あるかね。三人とも、少なくともリーフ原画陣とは大きく違うと思うんだけれど。(言うまでも無く323絵も好きだけど)


しかし、トラバ先の記事にどうしても反論しておかなければならないのは「似たような顔をした似たような魅力をもった,均一化されて,記号化されたラムちゃんが勢ぞろいすることだろう」とか、「エロゲンガーに同じ構図で髪型・髪色,目の色,肌の色一緒で,目の形(タレ目・ツリ目)も一緒のキャラを描かせたら,たぶん違いが解らないだろう…」といった文言。衆目を集めるための釣り文章にしか思えないくらいだ。

これらはいくらなんでも言いすぎだろう。そりゃ、323と池上茜と甘露樹絵を並べられれば相当判断には困るだろうけど、挙がっているようなべっかんこうと西又だったら十分違う。他の主要な原画家を見ていっても「一つの業界内としては」十分に多様性が認められうるだろう。革新の目は十分にありうるし、これからも徐々に変わっていくことだろう。もしどうにも個性が見出せないというのなら、それは数を見ていないかそういう感性を持っていないかどちらかだ。エロゲ業界は十分「ちょっとズレている作家も養」っている。

それと、エロゲンガーの例に西又とべっかんこうを出して、「作家個人が同じ絵しか描けないかどうかは問題にしてない」と言い張るのは若干人が悪い。言外のものだったとしても、そういう主張をしているようにしか思えない。業界内の絵が均一になりすぎている例を出すなら、さっきも挙げたが323と池上茜の比較画像でも載せてほしかった。そうすればまだ皆納得したのにね。
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2007年11月06日

ろりとごあとばたいゆのおはなし

※ 今回の話はいろんな意味で十八歳未満閲覧禁止でございます。出だしからしてこんな感じ。





この間友人に言われて気づいたのだが、自分は設定年齢萌えであってロリコンではけっしてないらしい。  続きを読む
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2007年10月28日

エロゲ私的傑作選(2)

説明が長くなったので分割。やはり「知る人ぞ知る」よりは信者もアンチも多いゲームのほうが説明責任が大きいなと思う。その意味で、前回よりもプレッシャーあるわ。


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2007年10月27日

エロゲ私的傑作選(1)

好評だった企画の二匹目のドジョウ、というわけではないが、前回作ったエロゲ名作選?にはあまりに広まりすぎたがゆえの誤解が多く、また自分としてもこれが絶対の基準ではないことを示すために、もう一つリストを作る必要性を割とずっと考えていた。簡単に言えば、前回のリストというのは「エロゲらしさ」「マイナーさ」にこだわったものであって、真なる意味で「傑作選」ではなく「名作選」であったのだ。

ここまで書けば今回のリストは何をやりたいのか目的がはっきりしてくると思うが、ずばり「ADV形式のPCゲーム、いわゆるエロゲ(ノベルゲー)」ということ以外に何の制限を加えず、主観的に「これは芸術作品」(※)と感じた作品を列挙してみたい。それによってエロゲ名作選?で生じた誤解を解くとともに、私のアイデンティティの発露としたい。前回のリストは出てくるゲームが人によっては必ずしも名作とは言えないものもあったので最後に「?」をつけたが、今回は逆に傑作であっても漏れているものも当然あるので、「?」をとって代わりに「私的」をつけることにした。

要は、前回のリストは「エロゲマでやるエロゲが無いと思ったらこれを推薦しておく」and「これらが好きなら、管理人と趣味が似てるから今度語り合おうぜ」という目的だったのに対し、今回は「メジャー作品も含めて俺が好きなのは絶対評価的にこんなランキング」という確認のリストってことで推薦リストですらない。だって、皆プレイ済みでしょ。

ゆえに、名作選と重なっているものが多い一方で、名作選のときには条件で省かれたものも多い。番号ははっきりとはしていないものの、おおよその順位。ただし、一部区間を除いてほとんど差が無いのであまり気にしないでほしい。また、名作選のほうの番号は単なる番号に過ぎないので、ご注意願いたい。

名作選を作ったときに「条件から省いた大作と、その関連作品を加えれば50くらいになるはず」と書いた。今回のリストは15作品しか挙げていないが、関連作品が多いので、名作選とあわせるとやはり50くらいになると思う。


※ 最近、「Fateは文学(笑)AIRは芸術(笑)CLANNADは人生(笑)」というテンプレがはやっているが、(笑)をつけて斜に構えてる(まあそれが特にニュー速の文化なんだけど)ほうがよほど阿呆であることは言うまでも無い。まあ、Fateが文学というのはどうかと思う、Fateという作品の質の問題では無く、文学という言葉の定義として。その意味で、このテンプレと同時によく見かける「Fateが文学なら、絵・音抜きで読んでみろよw」という揶揄に関しては、この揶揄のほうが100%正しい。私が言う芸術の定義や、このテンプレがいかにナンセンスであるかについては、このブログのカテゴリCriticismを古いほうから6/27くらいまで読んでいただければ、わかるかと。  続きを読む
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2007年07月07日

エロゲ名作選?

以前世界美術50選に文句を付けたときに、ta-kiにエロゲ版でも作れと言われたので作ってみた。しかしその際、その前提条件を設定するのに大変苦労した。最初は世間的な知名度とか評価の高さとかも考慮しようかと考えたが、その基準で50選作ると大変つまらないものが出来た。その上そもそも私はバルドフォースや戦国ランスなど、少しでも小説以外の要素が入ったものはプレイしていない。ゆえにこの基準では極めて偏りのあるものができてしまう。

ではいっそのこと、と趣味に走ったリストを作ることにした。その後もいろいろ悩んだ挙句、前提条件はいかのように設定することにする。


・葉鍵型月ロミオ丸戸ageひぐらし等の人気作品は排除。
・なるべく「エロゲらしさ」がテーマになっているようなゲーム。むしろその「エロゲらしさ」のせいで、他ジャンルに嫌悪されるようなエロゲ。
・非ヲタはおろか、他ジャンルのヲタも割とおいてけぼり。
・むしろ対象はエロゲ初心者から中級者。上級者への駆け上がり用か。
・非エロゲも一部アリ。


その結果20作品まで絞ることができた。これにFDとか周辺作品を入れたら30くらいになるだろうし、そこにメジャー作品を入れればちょうど50くらいになるのではないだろうか。それで50選ということにしておきたい。


1、智代アフター(KEY)
クラナドのFDながら、終盤の超展開ゆえに敬遠されがちなゲーム。だがちょっと待ってほしい。Kanon、AIR、CLANNADだけではまだ鍵ゲー特有の「残酷さ」が足りないのだ。短いが表現はストレート。その分解釈は難しいかもしれない(Kanon>CLANNAD>>MOON>智代アフター>AIR>ONEだと思う)。

2、MOON.(Tactics, KEY)
鍵の事実上の処女作(『同棲』は除く)。今の鍵からは考えられないエグさを誇る、元祖鬱ゲー。宗教を表立ったテーマに据え、陰惨な描写が続く。だが私はけして彼らが、売れるために陵辱色を強くしたとは思えない。まだ不器用で、鍵特有のテーマを伝えるには学園モノじゃ生ぬるいと判断したのではないか。その結果がONEだったのではないだろうか。そんな風に思うのである。なお、いたるの描く陵辱絵は意外とエロいので、そこにも注目か。


3、螺旋回廊1&2(ruf, age)
これも実は『MOON』と同様の理由でこのリストに入れた。とは言ってもageプレイヤーなら陰惨な描写でもどんと来いという感じではあるだろうが。他のage作品をプレイしてからこのゲームをやると、ageの原型が透けて見えておもしろい。

4、Phantom(Nitro+)
超有名じゃないかと言われればそれまでだが、その割に騒がれることの少ない作品。一般人にもお勧めという賞賛の言葉がこのゲームには常に送られている。ハードボイルドがエロゲとの親和性が高いことを証明した、偉大なる作品。

5、沙耶の唄(Nitro+)
これもエロゲ界隈では超有名作品だが、やはり名前がなかなか出てこない。純愛とは何だろうか、認識とは何だろうか、狂気とは何だろうか。ゲームは短いが深遠なテーマがここにはある。

6、サナララ(ねこねこソフト)
ねこねこソフトから一作。解散によりある種の伝説となったこのメーカーから何も上げないわけには行くまい。そう考えたときに、マイナー具合と評価の高さのギャップから行ってこれしかないだろう。ねこねこ作品では異色の原画を使ってはいるがやはり雰囲気はねこらしいものに仕上がっている。完成度はねこ作品随一だと思う。そしてこのゲームは片岡ともの跡継ぎ、すばらしいライター木緒なちが誕生した瞬間でもあった。

7、とらいあんぐるハート3(ivory, 都築真紀)
これも歴史的な古典として。今をときめく「なのは」はここから始まった。都築氏の独特の世界観は、とらハ1、2から全く変わっていない。3をやって気に入ったなら、ぜひ1と2もやってみてほしい。シナリオに起伏はあまり無いが、雰囲気がすばらしい。「泣けるとか、感動できるとか、萌えるとか、大作であるとか、傑作であるとかではない。ただただ、ずっとこの空気が続いて欲しいと思った、そんなシリーズだった。」という、エロゲ批評空間の有名なレビューをそのまま引用しておきたい。


8、わんことくらそう(ivory, 都築真紀)
とてもなのは1期と2期の間に出したとは思えないエロゲ。一見単なる獣耳ゲーなのだが、よくよく読んでいくと全くそんなことは無く、世界の裏側が見えれば見えるほど気分が悪くなっていくことだろう。実に都築氏の意地悪な一面が垣間見える作品だが、一方で都築氏のテーマは全くぶれていない。

9、遥かに仰ぎ、麗しの(PULL TOP)
別の記事で散々語ったのでそっちで。実にエロゲらしいエロゲであった。


10、はるのあしおと(minori)
現在の職業がNEETか、過去に失恋した経験のある人がやると実に自殺したくなるゲーム。かく言う自分も軽く死にたくなった。そういう意味では最強の鬱ゲーかもしれない。映画『秒速5センチメートル』とあわせてどうぞ。極めて秀逸なレビューがここにあるので、クリアした人は読んでみるといいと思う。

11、水月(F&C)
一見無駄に難しいだけの、衒学的なシナリオに仕上がっているが、それがわざとなのか偶然なのかは知らないが、その衒学性が逆にゲームの幻想的な雰囲気を作り出すことに成功している稀有なゲーム。あの雰囲気は一度味わう価値があるだろう。主人公は極めてダメ人間だが、君望の鳴海孝之と同様心理描写が細かいので許せる。老舗F&C、最後の花火。

12、月陽炎(すたじおみりす)
大正時代が舞台の珍しいゲーム。袴に萌えたければ必須。このゲームも雰囲気がたまらない。シナリオは後半超展開だが、そんなことはあまり気にならないだろう。何よりもこのゲームは主人公がかっこいい。昨今の情け無い主人公たちは彼を見習ってほしい(とライターに言いたい)。

13、いただきじゃんがりあんR(すたじおみりす)
これも別の記事で語っているのでそっちで。本当にバグの惜しいゲームだった。

14、セイレムの魔女たち(ruf)
「セイラームの魔女事件」という実在した事件を扱った、極めて珍しいゲーム。ゆえに舞台は17世紀末の新大陸となる。キリスト教プロテスタントの歪み、白人優越主義の歪みを正面切って挑んだ意欲作でシナリオもおもしろい。絵と音楽に恵まれれば、一世を風靡したのだろうが……

15、School Days(Over flow)
なんだかんだでこの業界の革新になったゲームだと思う。それはまずフルアニメーションは簡単に作れるということの証明。もう一つはヤンデレは許容されるということ。主人公も究極まで最低なら話題性になるということ。ヘタレとも鬼畜とも違った、「最低」な主人公を御堪能あれ。

16、彼女たちの流儀(130cm, みやま零)
耽美、退廃というテーマでならこのエロゲの右に出るゲームはなかなか無いだろう。荒削りでかなり改良すべきポイントはあるが、それでもこのリストに載せる価値があると判断できる。登場人物たちは本当に未成年で、不安定でわがままで、まさに「流儀」であった。マゾに目覚めそうになるゲームでもあった。

17、MinDeadBlood(Blackcyc)
エロ、グロ、ナンセンスを極めた作品。難易度も極悪。ある意味最もエロゲらしいエロゲと言えるかもしれないが、エロゲヲタ以外には全くといってお勧めできない。人格を疑われる。シナリオ本筋は燃える王道吸血鬼モノでこっちの出来もいいのだが、やはり注目すべきは大量にあるサブイベントか。東先生には、人間の想像力には限界が無いということを教えてもらうといい。

18、Quartett(little witch)
このゲームはそのシステムに注目が行く。漫画のようなコマ割りを使った文章の読ませ方は実に新しかった。ドイツを舞台にしたクラシック音楽を扱ったゲームという意味でも斬新で、音楽の美しいゲームだった。シナリオは平凡だが、そんなところにはケチをつける必要が無いだろう。

19、カタハネ(Tarte)
『アカイイト』と同様、究極の百合ゲー。百合には耽美という言葉以外与えることが出来ないし、歴史モノとしてもおもしろかった。詳しくはこの記事か。みりす同様、メーカーがつぶれたのが残念でならない。

20、二重影(ケロQ)
別に『終ノ空』でも良かったのだが、今更ノストラダムスの預言というのもなんだし、同じ系統ならば『沙耶の唄』のほうが優秀かなと思うので、ケロQ代表としてはこちらを挙げておく。バトルモノというよりは、推理モノとして普通にかなり優秀だと思うのだが、いかがだろうか。クリアしたら図書館に駆け込んで、子一時間古事記が読みたくなるようなゲームだった。


最後に、非18禁コンシューマ作品として。

21、アカイイト(SUCCESS)
『カタハネ』と並ぶ百合ゲーの双璧。優秀な百合作品の条件として「女性同士の恋愛であることに対するキャラたちの自己嫌悪が無いこと」と「レズとは峻別されれるべし」は確実に挙げられるべきだと思うのだが、『カタハネ』も『アカイイト』もこの点では完璧だった。加えて『カタハネ』は歴史群像劇としてもすごかったが、『アカイイト』も伝記モノとしてみても十分におもしろい。

22、Ever17
元祖○○○系作品。ラストの超どんでん返しには誰もが驚かされるが、何よりそのどんでん返しが規模の割に整合性が取れているのが驚異だ。『アカイイト』もそうだが、今では2000円で新品が買えてしまうというリーズナブルさも素晴らしい。
  
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