2026年08月28日

慶應大・経済学部・世界史のグラフ問題のある特徴について

 本ブログは進学校の高校・塾・予備校との競合を避けていて,受験生に直接役立つような受験テクニックの紹介は基本的に行っていない。しかし,これはまだインターネット上で見かけなかった受験テクニックであるので,指導者向けに紹介しておく。無論の事ながら,このテクニックはこのブログを見かけた各自が自由に受験生に紹介してかまわない。私が第一発見者ではない可能性も捨てきれない。そもそもそこまで有用なテクニックでもない。
 慶應義塾大・経済学部の世界史では,グラフ問題が頻出である。とりわけ経済的な指標を縦軸に,年代を横軸とした上で年代を伏せ,グラフ5年または10年おきに区切り,折れ線の形を見て年代を特定させるタイプの問題が多く,経済学部を特徴づけるものになっている。たとえば2026年で出題されたものは以下の通り。

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問13 下線部Cに関連して,次の第1図は,ヘトナム戦争の時期を含む40年間におけるアメリカからイランの武器輸入額とドル建ての金価格の椎移を示したものである。図の横軸の1〜4は,10年ごとの区分である。以下の� Ν△謀�えなさい。

2026慶應大・経済学部・年代グラフ


� ‖茖運淬罎裡欧了�期にドル建ての金価格か大きく変動しはじめる理由について,当時の国際通貨体制の変化に触れつつ,〔解答用紙B〕の所定の欄の範囲内で説明しなさい。

�◆_爾�a〜dの出来事が起きた時期を,第1図の1〜4の中からそれそれ選びなさい。ただし,a〜dの出来事がきた時期が1の時期より前の場合は0を,4の時期より後ろの場合は5を選びなさい。(重複使用不可)

a.イラン=イラク戦争が停戦となった。
b.首相となったモサデグ(モサッデグ)のもとで,イランの石油産業が国有化された。
c.第一次石油危機が起こった。
d.ホメイニが帰国して,イラン=イスラーム共和国が成立した。
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解法としては,�,魯屮譽肇鵝瓮Ε奪座寮�と1971年にニクソン大統領が発表したドル=ショックについて説明すればよい。�△魯哀薀佞鮓�て,イランの武器輸入額が激減した年が1979年か1980年のいずれかであり,またドル建て金価格の変化が始まる年が1971年か72年である。したがって1の時期が1955-64年・2が1965-74年・3が1975-84年・4の時期が1985-94年か,最初の年が1956年で最後の年が1995年のいずれか,という二択までは特定できる。そのいずれにせよ,a〜dの出来事の年を当てはめると,aが1988年なので4,bは1951年なので0,cは1973年なので2,dは1979年なので3となり,これでいずれも正解である。なお,元データに当たってみると最初の年は1955年が正しく,1956年ではなかった。
 このようにグラフの形から年代を特定するのが肝要になる問題であり,後述するように大概の年はそれほど困らない。しかし,たまに困った問題が出る。とりわけ2026年の問題で言うところの�△里茲Δ別簑蠅如で�代の特定を1年間違えていると誤答になってしまうような出来事がa〜dに潜んでいることがあるため,できればグラフの年代は1年単位まできっちりと特定できた方がよい。
 そこで,これに役立つ何か上手い受験テクニックはないものかと思い,2007-26年の20年分の慶應義塾大・経済学部の入試問題に出ている「横軸の年代が伏されたグラフ問題」を見直して,使われている経済指標と開始年を整理してみた。それが以下の表である。例によってライブドアブログはグラフを貼れないので,文字データははてなブログに貼っておく。

慶大・経済学部・年代当てグラフのリスト


 これを見て気付くことがいくつかある。まず,この種のグラフ問題は実は過去20年で11年(12回)しか出題されていない。2015-19年は一度も出ておらず,空白の五年間が存在する。一方,2022年以降の五年間は必ず出題されており,これがこの種のグラフ問題が絶対に出るという先入観の原因になっていそうだ。また,例外なくアメリカの経済統計が含まれている。そういう印象は受験世界史に携わる人なら誰しもが持っていると思うが,改めて一覧にすると例外なしとは,壮観である。しかも,1971年ドル=ショック(表中の赤字)または同年のアメリカの貿易赤字転落(緑字),またはアメリカが1997年のアジア通貨危機の被害を“受けなかった”こと(青字)を用いた問題が計9つある。20世紀後半以降の指標は全てこの3種類のいずれかであるから,頻出3指標と名付けていいだろう。
 区切り方も特徴がある。2014年以前は5年区切りの問題が多かったのに対し,2020年に復活して以降は10年区切りの問題が増えた。グラフがよりロングスパンになり,より広めの年代が問われるようになったと言える。
 ここまで挙げた特徴はすでによく知られているものばかりであって,特に新奇性は無い。ここで最後に,グラフの開始年に注目したい。12のグラフのうち,5の倍数年で始まっているものが8つある。塗りつぶしたセルが該当する。これはそこそこ強い法則性で,作問者が意図的に5n年にしていることは明白である。しかし,私がググってみたりGeminiに聞いてみたり,参考書を読んでみた範囲では,指摘しているものが見当たらなかった。しかし,このテクニックが見つけられていないまたは広まっていない理由も,ここまでの分析から見えてくる。頻出の3つの指標だけで年代がほぼ特定できてしまうグラフが多すぎるし,1年程度のずれならほとんどの問題で困らないためである。
 一方,1年単位での完全確定が必要であるなら,最初の年を5n年で仮置きしてみる価値は十分にある。たとえば2026年のグラフは,金ドル兌換停止が1971年であることを知っていても,イラン革命が1979年と知っていても,最初の年が1955年か56年かは確定できない。ここで「1955年である確率の方が高い」と知っていると,万が一a〜dに1年違いで答えが変わる出来事があったとしても,多少は気が楽になるだろう。また,頻出の3つの指標以外が出題されたなら,もう少し活用方法がある。直近20年間で頻出3指標以外が出題された3つのグラフでは,そのうち5nではないのは2023年度の1つのみで,他の2つはきっちりと5n年である。約67%の確率で1年単位のずれも許さず年代を確定できるなら有用だろう。 
 以上の知見が受験指導の足しになれば幸いである。なお,日本史にも同種の出題があるが,私は未調査であるから,どなたか調べてもらえると助かる。  

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2026年07月21日

高校世界史上の二国間の戦争を漢字とカタカナのいずれで表記するか

 高校世界史深掘りシリーズ。歴史用語はデファクトスタンダードで命名されるものではあるが,うっすらとした法則は存在する。たとえば二国間で戦われた戦争が命名される際,他に大きな特徴が無ければ,両国の名前をつなげるのが一般的である。その際はその国の略字を使う。米英戦争も普墺戦争もこの法則に則っている。
 ところが,近年の高校世界史ではこうした戦争名の言い換えが発生している。たとえば普墺戦争をプロイセン=オーストリア戦争というように,漢字の略字を避けて元のカタカナで書き,間をダブルハイフンでつなぐ表記である。この種の表記が広がっている理由はあまり明確ではないのだが,
・「普」や「墺」のようなあまり有名ではない略字の暗記を避ける
・世界史が苦手な子は略字から国名を連想するのも苦手であると思われるので,略字の使用自体を避ける
という意図があるようだ。ただし,それらを明確に説明した文科省の指示や教科書会社の説明は,インターネット上や手持ちの書籍等では見当たらなかった。私はこの動きに基本的に反対である。確かにスウェーデンを「瑞」としたりエジプトを「埃」としたりするところまで省略するのは学習者の負担が大きかろうと思うが,現行の高校世界史に出てくるレベルの略字であれば覚えてもらった方が大人になってから役に立つ。何度も出てくることになる国が多く,一回しか見ない略字はメキシコの「墨」くらいではないか。現存しない国の略字もほぼ「普」に限られるはずだ(「墺」は使う機会が限られるが)。また,日本では歴史学のみならず新聞報道等でもメジャーな国は略字を使って限られた紙幅を有効活用する風習があるということ自体が,高校世界史という科目の枠組みの中で教えるべき事項でもある。
 加えて,歴史用語はデファクトスタンダードであるので一律にそろえること自体に無理がある。たとえば日本=ロシア戦争や清=フランス戦争と書いているものは全く見ない。東アジアの国が混ざったときだけ例外にするというのは中途半端さをぬぐえない。逆にイラン=イラク戦争を漢字表記している事例も見たことがない。イランもイラクも頭文字が「伊」なので伊伊戦争になってしまって意味不明になるし,両国ともイタリアとも区別がつかないからこれは絶対に無理だろう。一応イランを「斯」とするかわし方があるが,一般に普及していないし,イラク側は結局解決しない(ググると「Q」とする回避方法が出てきたが,イランの「斯」以上にマイナーだろう)。全て漢字の略字にするでも,全てカタカナにするのでもなく,現状で根付いている表記を使うのが穏当だろうと思う。
 ついでに言うと,この書き換えが進んでいるのは戦争名だけで,英仏協商をイギリス=フランス協商と書く事例も全く見ないのも不思議である。戦争名だけ言い換えて何の意味があるのか理解できない。その他に,ここまで出してきたものに比べれば些事であるが,受験世界史の論述問題は字数の指定があることが多く,略字を使った方が答案をまとめやすい。このため,高偏差値帯の受験生ほど略字の方を優先して暗記するから,教科書に記載されているカタカナ表記はノイズでしかない(まあ高偏差値帯の受験生はそれくらい耐えろと言われたらそれはそう)。「略字から国名を連想するのが苦手な子がいる」という点は一理あるが,以上のような欠点を全て覆すだけの理由にはならないだろう。

 ひとまず,現状の様相を調べてみた。調査する用語は多すぎてもあまり意味が無いので,代表的なところで5つ取り上げた。まず普墺戦争は,「普」は現存していない国家の略字であり,「墺」もオーストリアの略字以外で使う場面がほぼない漢字を使っていて,いずれも避ける傾向がどの程度強いのかを調べる意味がある。次に普仏戦争。これは普墺戦争とほぼ必ず同一のページに登場するので調べやすく,また近年の専門家は独仏戦争という表記を採用する傾向があるので,それがどの程度高校世界史に浸透しているかという調査も兼ねている。この他に米英戦争と米墨戦争,露土戦争も取り上げた。米英戦争は一般に広く浸透した名称で,かつ現存する国家の略字しか使っていない戦争名の代表例である。つまり普墺戦争や普仏戦争と違ってカタカナ名にする意味がないはずなのだが,実際にはどうなっているか。米墨戦争は,前述の通り「墨」はほぼここでしか見ない略字であるから(しいて言うとメキシコ銀を墨銀とする略称があるか),避けられる傾向が高いだろうという予測があって調べた。最後に露土戦争を取り上げた理由は調査結果を見た後の方が説明しやすいので後述する。
 調査対象の教科書は世界史探究7冊,歴史総合12冊の計19冊。結果は以下の通り。画像が大きくなってしまったので,クリック(タップ)して拡大して読んでほしい。紫色が併記,赤色がカタカナのみ,青色が略字のみの表記で色分けしたので,ぱっと見である程度わかると思う。

世界史探究の近代の戦争名

歴史総合の近代の戦争名


 まず普墺戦争は略字とカタカナを併記するのが主流で,例外は山川『新世界史』がカタカナのみ,明成社の歴史総合が略字のみ。どちらも極端に発行部数が少ないことで共通する。意外と普墺戦争の表記が避けられておらず,併記されているという印象を受けた。
 次に普仏戦争は細かい差異も拾うと世界史探究7冊全てで表記が違うという混沌とした状況が見て取れた。特に山川出版社は歴史総合も含めた4冊全てで表記が異なり,統一する気が全くなさそうだ。略字からカタカナ表記へ,普仏戦争から独仏戦争へという二つの過渡期が併走しているため結果としてプロイセン=フランス戦争,普仏戦争,ドイツ=フランス戦争,独仏戦争の4つの表記が登場し,しかし4つとも載せると煩雑であるからどれを拾ってどれを落とすかで個性が出る。数えてみるとプロイセン=フランス戦争が7+6=13,普仏戦争が5+6=11,ドイツ=フランス戦争が3+3=6,独仏戦争が3+1=4。まだ独仏戦争よりも普仏戦争の方がメジャーか。普仏戦争から独仏戦争への切り替えが世界史探究の方が進んでいて歴史総合の方が出遅れているのはちょっと面白い。
 米英戦争は理屈から言えばカタカナ表記にする意味がほぼ全く無いのだが,世界史探究7冊中6冊に掲載で全て併記であった。歴史総合は12冊中3冊に掲載で,他の戦争よりも掲載頻度が低い。重要性が相対的に低い,それも歴史総合の観点では,と考えると確かにそうだろう。3冊中1冊のみ米英戦争の表記なし。
 米墨戦争は全ての教科書で「米墨戦争」の表記なし。今回で一番驚いたのがこれで,「墨」の表記は徹底的に排除されてしまったようだ。もちろん墨銀の表現も滅ぼされていた。教科書掲載頻度は世界史探究で7冊中6冊,歴史総合で12冊中1冊と,歴史総合での扱いは米英戦争よりも悪い。

 さて,最後に露土戦争である。露土戦争は「土」がオスマン帝国を指す略字であるが,言うまでもなく「トルコ」からとった略字で,オスマン帝国がオスマン=トルコと呼ばれていた時代の名残である。しかし,この国の呼称がオスマン=トルコからオスマン帝国に変わったことで,オスマン帝国を指す略字が存在しないという問題が発生している。とはいえ,有識者はこの経緯を知っているので,名残を楽しみつつオスマン帝国の略字は引き続き「土」とするという暗黙の了解が存在していた。しかし,受験生に上述の経緯を説明するのは煩雑であるし,すんなり納得してくれるのは世界史が得意な生徒だけである。そして上手い解決策が無いうちに訪れたのがカタカナ表記の波であった。
 であればその波に乗って素直にカタカナを使えばよく,ロシア=オスマン戦争と書けばよい。実際に黛秋津先生や池田嘉郎先生など研究者ではこの表記を使っている人はいる。また英語ではRusso-Turkish warの方が優勢ではあるものの,Russo-Ottoman warも普通に使われているのはインターネットで観察できる。しかし,ロシア=オスマン戦争の表記が一般に広がっているとは言えないし,高校世界史では上掲の表の通り全く見ない。
 代わって普及しているのがロシア=トルコ戦争の表記である。世界史探究は7冊全てで「ロシア=トルコ戦争」表記,うち露土戦争を併記しているのは5冊。歴史総合では掲載が12冊中7冊でうち6冊が「ロシア=トルコ戦争」表記,うち露土戦争を併記しているのは5冊,露土戦争のみの表記が1冊であった。言うまでもなく,この表記は問題がある。確かに露土戦争を素直にカタカナに復元するとロシア=トルコ戦争になるが,これではオスマン帝国はトルコであるという前時代的な解釈に戻ってしまう。「土」はオスマン帝国を指す略称がないので仕方なくこれで代用しているという含意があるが,トルコは言い訳のしようもなくトルコであるから,漢字表記と比較しても後退している。しかも高校の教員は結局「オスマン帝国は昔オスマン=トルコと呼ばれていて……」という研究史の説明をする羽目になる。世界史が苦手な子のため煩雑な説明を省くというカタカナ化の趣旨から考えるに,煩雑な説明が残るのでは完全に本末転倒である。露土戦争を機械的にロシア=トルコ戦争と開いてしまったのは失策である。このような事なかれ主義の機械的処理では,何のための・誰のための表記変更かわからず,手抜きと批判されても仕方がない。今からでも露土戦争に戻すかロシア=オスマン戦争に書き換えるべきだと主張して本稿を終わりにしたい。  
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2026年04月30日

中央大学(5学部共通選抜)・世界史の計算問題について

 中央大学の5学部共通選抜(旧称:全学部統一日程)では,直近4年連続で計算(算数)の問題が出題されている。50問中1問であるので本問の出来が直接的に合否にかかわる可能性は低いが,おそらく本日程の「売り」,入試問題の特徴として定着させたがっていると思われる。世界史で計算が出題されるのは珍しい。以前は上智大学が出題していたが,上智大学はすでに世界史で受験できる日程が激減してしまって久しく,入れ替わるように中央大学で出題され始めた。その4年分の問題の解法と批評とともに掲載する。


2023年 中央大 全学部統一日程
<問題>3 問2 下線部�△蓮癖埣陝�メッカを離れ,メディナに移らざるを得なくなった),ヒジュラと呼ばれ,この年がイスラーム暦紀元元年となるが,今年2023年2月はイスラーム暦では何年となるか,最も適切なものを以下のa〜dより一つ選びなさい。

a 1301年   b 1333年   c 1401年   d 1444年

<コメント>
 イスラーム暦(ヒジュラ暦)元年が西暦622年であることと,イスラーム暦の1年が354日ということを覚えていれば計算するだけであるが,約11日ずつ西暦とずれていくので積もり積もればけっこうな年数がずれるという実感になるだろう。その教育的観点からの出題かもしれない。計算問題が初めて出題された年であるので,問題文を読み飛ばして2023-622=1401なのでうっかりcを選んだ受験生が意外といたのではないか。
 真面目に計算してもよく,365÷11≒33,1401÷33≒43.4,1401+43=1444となるから正解はdである。しかし,11日短いということは太陽暦よりも早く1年が終わるということになり,年数は増えるはず。したがって1401年よりも長いのはdの1444年しかないという解法の方がスマートであろう。


 
2024年 中央大 6学部共通選抜
<問題>4 問3 下線部��に関連して。ドイツは1919年のヴェルサイユ条約によって1320億金マルクの賠償が課せられたが,この額は日本円に換算するとどうなるか,1金マルクを金約0.36 g,金相場はロシアのウクライナ侵攻前の2021年1月頃の1gが約7400円とすると,この時の換算額として最も適切なものを以下のa〜dより一つ選びなさい。

a 約3兆円   b 約35兆円   c 約352兆円   d 約3520兆円

<コメント>
 直近4年の問題では最も単純な計算問題。1320億×0.36×7,400≒351.6兆円となるので,正解はc。1320億金マルクは当時のドイツの国家予算の約20年分・GDPの約2.5倍と言われるが,約352兆円だと現在の日本の国家予算(一般会計)の3〜4年分に過ぎず,GDPの約60%に過ぎない。20世紀前半と21世紀前半ではGDPや国家予算規模が大きく違うことが実感できるだろう。その意味でこれも教育的効果がある問題だと思われる。
 ところが,コロナ禍・ウクライナ侵攻により金が高騰しており,コロナ禍前の2017〜19年頃は4,500〜5,000円で推移していたが,問題の通り開戦前の2021年1月で7,400円,2024年には1万円を優に超え,2026年4月現在では27,000円前後である。仮に1g27,000円で再計算すると1,320億金マルクは1283兆円となり,国家予算の10倍超,GDPの2倍超と当時のドイツの数字にかなり近づく。地域や時代を超えた物価比較では,比較的物価が安定していて地域差も少ない物質の金を基準にする考え方があるが,こと2020年代は金の高騰が甚だしく,比較に使いにくくなっている。本問が出題された2024年がこの計算によって人類の約100年の経済成長を実感できる最後のタイミングということになるかもしれない。
 

2025年 中央大 5学部共通選抜
<問題>4 問1 下線部�,砲弔い董癖埣陝�太平洋戦争)。太平洋戦争は何日間にわたったか。最も適切な日数を以下のa〜dより一つ選びなさい。但し,戦争の終結は戦艦ミズーリ艦上で降伏文書が調印された日とする。

a 1365日間   b 1568日間   c 2194日間   d 3000日間

<コメント>
 3年目は日数の計算となった。日付さえ覚えていれば単純な計算問題ではあるが,日数に換算させることで戦争の長さを実感させる教育上の効果はあるだろうと思われる。2023年や2024年の出題を見ても,選抜性よりもそちらに気を遣った出題なのかもしれない。
 全然真面目に計算しなくても太平洋戦争が1941年12月8日に始まって1945年9月2日に終わったわけであるから,丸4年に達しておらず,したがって365×4+1=1461日未満である。この時点で正解はaに絞れる。それでも真面目に計算するなら1941年が31-7=24日,1942〜44年が365×3+1=1096日,1945年が245日でちゃんと計1365日となる。正解が一番短い日数の選択肢になっていることもあって,意外と短いと感じさせる受験生が多そうであり,むしろそっちの教育的効果をねらったものかもしれない。現にウクライナ戦争はすでにこの日数を超えている。また,真面目な計算をしなくてもいいのは2023年と同じで,同時に要領の良さも測っているのかもしれない。

 
2026年 中央大 5学部共通選抜
<問題>1 前 46 年カエサルによって制定された太陽暦,ユリウス暦はローマ帝国をはじめ,キリスト教世界の多くの国々で長らく使われてきた。しかし,ユリウス暦の1年(365.25日)が実際の地球の公転周期(約365.2422日)より約11分長いため,年 月が経つにつれ教会暦において重要な春分の日に徐々にズレが生じた。��1582 年,教皇グレゴリウス 13 世はこれを修正するため,グレゴリウス暦を導入した。これにより閏年のルールが改定され,暦は実際の地球の公転周期に非常に近くなった。

問9 下線部��について。ローマ皇帝コンスタンティヌス帝によって招集されたニケーア(ニカイア)公会議以来,教会暦において春分の日は 3月21日に固定されたが,1582年当時,ユリウス暦では約何日のズレが生じていたか,最も適切なものを以下のa〜dより一つ選びなさい。

a 5日   b 10日   c 20日   d 30 日

<コメント>
 4年目は2023年と同じ,暦の計算問題となった。ニケーア公会議は325年,グレゴリウス暦制定が問題文にある通り1582年であるから間は1257年。問題文にある通りユリウス暦はグレゴリウス暦とより1年で約11分長い(一応より厳密には約11分15秒)。11×1257=13827分。したがって13827÷(60×24)=9.6となるので,bの10日が正解とわかる。余談だが15秒も加味して計算すると約9.8日となり,より10日に近い。実際にはここまで真面目に計算しなくても概算で10日とわかるだろう。計算の難易度は過去4年で最も高いか。もちろんそれでも小学校の算数の域は出ないが。10日も違えば当然,宗教行事にも生活にも支障が出るわけで,改暦もやむなしである。16世紀当時だとユリウス暦よりも閏月を挿入して調整していた太陰太陽暦の方が便利だったのかもしれない等ということが実感できるので,これもなかなか有用な計算問題だったのではないか。
  
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2026年03月15日

2026受験世界史悪問・難問・奇問集 その3(国公立大)

二日目から。三日目は国公立大。中国史の漢字が大量に文字化けしている可能性があるが,その点はご容赦いただきたい。東京都立大が収録されているのはけっこう珍しいか。

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2026年03月14日

2026受験世界史悪問・難問・奇問集 その2(早稲田大の残り)

初日から。二日目は早稲田大の文学部・教育学部・商学部。

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2026年03月13日

2026受験世界史悪問・難問・奇問集 その1(慶應大+早稲田大・文構)

2026年度分も書き上げたのでお届けする。現在の最新刊は4巻なので,良ければ買って読んでもらえると幸いである。




<収録の基準と分類>
基準は例年と同じである。

出題ミス:どこをどうあがいても言い訳できない問題。解答不能,もしくは複数正解が認められるもの。
悪問:厳格に言えば出題ミスとみなしうる,国語的にしか解答が出せない問題。歴史的知識及び一般常識から「明確に」判断を下せず,作問者の心情を読み取らせるものは,世界史の問題ではない上に現代文の試験としても悪問である。
奇問:出題の意図が見えない,ないし意図は見えるが空回りしている問題。主に,歴史的知識及び一般常識から解答が導き出せないもの。
難問:一応歴史の問題ではあるが,受験世界史の範囲を大きく逸脱し,一般の受験生には根拠ある解答がまったく不可能な問題。本記事で言及する「受験世界史の範囲」は,「山川の『用語集』に頻度�,任發いい�らとりあえず記載があるもの」とした。

<総評>
 昨年の早慶は26個で,今年は30個であった。4個増であるが,昨年までと内訳が大きく異なる。慶應大・法学部の問題が急激に易しくなったのが今年の早慶の最大のトピックで,昨年までは8個や10個の収録は当たり前だったのに対し,今年はなんとわずか3個であった。このまま大人しくなってほしい。一方で早稲田大・教育学部が大きく増えて9個となったのが総数で30個にのってしまった大きな要因である。早稲田大・教育学部は例年のことながら教育的に全く良くない出題が多かった。
 慶應大は教科書に依拠して重箱の隅の隅から出題する(教科書を誤読して出題ミスを出す),早稲田大はそもそも教科書を読んでいない(作問者の史実誤認がストレートな出題ミスになる)というのが例年の傾向で,今年もこの傾向が概ね踏襲されたものの,昨年・今年と慶應大が教科書に載っていないことを出題していた。つまり早稲田大に寄せてきている。昨年にこの総評で「さすがに教科書の傍注や図版のキャプションばかりを読み続ける作業に徒労感を覚えたのだろうか」と書いているのだが,本当にそうかもしれない。
 国立については引き続き受験生の思考力を図る出題を試みて事故る傾向が継続していて,よりによって今年は東大がやらかしている。また,本企画常連校の名古屋大も史料考察問題というには難しい出題があって,今年はこの解説を書くのに随分手間取った。これらは三日目に解説しているので,そちらをお読みいただきたい。一方で共通テストと一橋大は大人しかった。こちらもこのまま良くなったままでいてほしい。
 最後に,2026年は新課程導入が本格化した年で,いろいろな大学で歴史総合が出題された。この観点で言うと,世界史にはあまり影響が出なかったが,その反面,日本史の受験生には厳しそうな世界史の出題は目立った。歴史総合という科目は近現代の世界史と日本史が7:3で混ざってできた科目であるから,もとより日本史受験生の方が不利である。しかし,それを踏まえてもなお厳しいと思う出題はあった。慶應・文学部の大問2と名古屋大の大問1,一橋大の大問3のような出題が来年以降も続くのなら,そのうち難関大受験生の日本史離れが起きても不思議ではない。


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2026年02月01日

2026年共通テスト「地理総合,地理探究」で出題された難問について

 今年(2026年)の共通テスト「地理総合,地理探究」(以降は単純に地理と呼称)で,1問,共通テストのレベルを逸脱した難問が出題された。その問題が地理の大学入試問題の作問上のポイントを外しているために難易度が果てしなく上がっていて,これを検討することは作問上のコツを学ぶ反面教師として適している点,これだけの異常な難問であるのにネット上ではほとんど話題にならずに終わったという現象面も含めて示唆に富んだ問題であった。このまま謎の難問として共テ地理の過去問に埋もれていってしまうのはもったいないので,ここは世界史を扱うブログではあるが,他にやってくれそうな人もいないので僭越ながら記録しておく。

 まず,通常の大学入試の地理の資料を使った問題は,「地理学の普遍的な法則」または「普遍性で捉えきれない地域性」のいずれかに引っかかる特徴が解答に必要な手掛かりとして明瞭な形で提示される点と,誤誘導にならないように手がかりが複数見えそうな統計資料は余分な部分が切り取られている点に特徴がある。後者は言い換えれば受験生には分析してほしい事項だけを残して提示するということである。たとえば次の問題は同じ2026年の共通テスト地理の問題である。難易度は標準的。

第5問
問5 現代の日本では,大都市圏への経済活動のさらなる集中により,産業や生活環境に地域差がみられる。次の図5中のタ〜ツは,第一次産業就業者割合,平均通勤・通学時間,持ち家住宅割合のいずれかについて,都道府県別に示したものである。項目名とタ〜ツとの正しい組合せを,後の� 銑Δ里Δ舛�ら一つ選べ。〔 24 〕

共テ地理2026第5問・問5


まず「第一次産業就業者割合は大都市圏で低く地方で高い」という普遍性を想起し,これがチと決め打ちする。ただし,ツもちょっとその傾向があるので,まだ仮定としておいた方が良い。平均通勤・通学時間は第一次産業就業者割合とは逆で電車通学・通勤の盛んな大都市圏で高かろうと推測できるのでタと仮定,消去法で持ち家住宅割合はツで正解は��と絞れる。が,これは仮定に仮定を重ねた推論なので決定打が欲しい。そこで,共テレベルとしてはやや細かいが「持ち家住宅割合は日本海側,特に北陸で高い」という地域性を覚えていると,ツがこれに綺麗に該当する(逆にチは九州や四国で高く地域性に反している)。これで確証を持って正解は��と判断できる。なお,北陸で持ち家住宅割合が高いのは共働き率が高く,多世帯住宅が多く,豪雪地帯であるため頑丈な一軒家志向が強い上に土地が余っているという地理的・文化的条件が重なって生まれた特徴と考えられている。閑話休題,このように普遍性・地域性のいずれかを念頭に置いて観察すると,必ず手がかりが資料中に存在している,かつ資料中にほとんど無駄が無いのが良い地理の問題である。
 さて,このような地理作問の基本に反しているのが,以下で取り上げる第5問の問4である。

第5問
問4 都市は多様な機能を有するとともに,周辺地域との結びつきによって都市圏を形成する。次の図4は,アメリカ合衆国の二つの都市圏における中心都市と周辺地域の住民について,職業別就業者割合を示したものである。図4中のEとFはニューヨーク都市圏とデトロイト都市圏のいずれか,凡例サとシは管理的・専門的職業と生産・輸送職のいずれかである。ニューヨーク都市圏と生産・輸送職との正しい組合せを, 後の� 銑い里Δ舛�ら一つ選べ。〔 23 〕

共テ地理2026第5問・問4


本問の最大の問題点は,4つのグラフで著しい特徴を示す項目2つが伏せられていて,職業名が判明している他の項目は差が小さい点にある。普通は片方(たとえば地域名)がわかっていて,それを手がかりに特徴を見出し,もう片方(職業)を特定する。なのに両方伏せられていてはとっかかりがない。さらに問題なのは4つのグラフを見比べた際に明瞭な特徴があるのはFの中心都市のみで,残りの3つはほぼ同じという点である。このため解法としては「ニューヨークとデトロイトの中心都市と周辺地域を比較して,1つだけ全く違う地域性がある地域はどれか?」を考えるということになる。それを踏まえた上で地理の普遍性または地域性を想起すると,以下の3つくらいの解法は思い浮かぶ。 A〜Cは私が思いついた順である。
A.「先進国の産業構成は第三次産業のGDPや就業者が70〜80%を占め,第二次産業が15〜25%,第一次産業が一桁台になりがち」という普遍性から攻める。
B.都市機能という普遍性から考える。言うまでもなくニューヨーク都市圏は世界最大の都市圏であり,その中心都市は都市機能が最も明瞭に出ると考えられる。
C.五大湖周辺のという地域性から考えると,デトロイト都市圏は重工業都市であり,またラストベルトという特徴が明瞭に出る可能性がある。

 ひとまずAから考えて正解が出せるのならこれが一番シンプルである。しかし,この解法は「生産・輸送職」のうち「輸送職」が第三次産業であるため成立しない。なぜ生産・輸送を分けてグラフに図示しなかったのかといえば,アメリカ合衆国国勢調査局の元データがそうなっているであるが,だったらこの資料は使わないか別の切り口を考えるのが普通の地理の作問であり,もったいなかったのか思いつかなかったのか,この資料を使って作問を強行したようである。とはいえ,サが生産・輸送職だとすると,第二次産業の就業者割合がこのうち多くても25%ほど,Fの中心都市以外はサが45%ほどいるので,少なくとも残った20%近くが輸送職ということになる。都市圏人口の約5分の1も輸送職ということはあるか? という疑問は残るから,やはり生産・輸送職はシっぽいという根拠の薄弱な仮定が立ち,これに則れば正解は�△��い里匹舛蕕�になる。この仮定は脳裏に残しておこう。
 次にBを検討する。先進国の都市圏は第三次産業が盛んであり,特に高度な専門化が見られる。したがって管理的・専門的職業は多いはずと考えられる。特にニューヨークの中心都市でその特徴が際立つとするなら,Fの中心都市のシだけが飛び抜けて割合が大きいので,ピンポイントでFがニューヨーク,シが管理的・専門的職業とわかる。よってサが生産・輸送職になるので正解は��と絞れる。一見成り立っているように見えるが,この解法の問題点はAで作った仮定と矛盾する点にある。よって��と決め打ちするのは危ない。
 最後にCも検討する。デトロイトはラストベルトと見なされているとはいえ大重工業都市であることに違いなく,デトロイトの中心都市だけが突出して生産・輸送職が多いのではないかという予測は成り立ちうる。とするとFの中心都市のシだけが突出して多いので,Fがデトロイト,シが生産・輸送職ということになる。Fの周辺地域もEの2つよりもわずかながらにシの割合が多く,工場が周辺地域にも広がっているとするなら矛盾しないというのもこの推測を補強する。逆に言えばニューヨークはEになるから,Eとシの組み合わせで正解は�△塙覆譴襦�Bの解法と別の結論が導かれてしまったが,Aで出てきた仮定とは矛盾しない。
 しかし,Cの解法にも問題点はある。まず先進国の工場は必ずしも都市部に立地せず,広い工業用地を求めて周辺地域に立地する。このため中心都市で本当に生産・輸送職の割合が大きいと考えてよいかは疑わしい。加えて,近年のデトロイトはIT産業への転換が進んでいて必ずしも自動車産業の都市というだけではない。ちょっと詳しく私立・国公立二次向けにアメリカの地誌を勉強していると,この地域性に関する知識が身についていると思われ,この知識とCの解法は矛盾する。『デトロイト ビカム ヒューマン』の舞台がデトロイトなのは産業転換が上手く進んで重工業とIT産業が結びついた結果アンドロイド産業が発展したという背景が設定されているためだ。作問者もプレイ済かもしれない。このため,国立二次・私大対策の知識があるとCの解法が胡散臭く見えてしまう。ここまで考察して,�△���かは二分の一の運試しになるのではないか。
 さて,ここらで正解を明かすと�△�正しい。Eがニューヨークで,シが生産・輸送職である。したがってCの解法で正解になるわけだが,実は解法はA〜Cのいずれも正しくないようだ。
 デトロイトはインナーシティ問題が顕著に発生していて中心都市は黒人の貧困層が多い。したがって管理的・専門的職業の割合が低く,このためFの中心都市のサがデトロイトの管理的・専門的職業とピンポイントで見抜くと正解�△砲燭匹蠱紊�……というのがどうやら作問者が想定した解法のようである。そしてデトロイトは言うほどまだ産業転換が進んでいるわけではないのだ。
 しかし,この解法で解くには「デトロイトはインナーシティ問題が顕著に発生していて中心都市は黒人の貧困層が多い」という地誌的な知識が必要になり,これは共通テストのレベルを遥かに逸脱した知識であるし,思考力があっても発想できる人は非常に稀だろう。知り合いの地理の専門家に尋ねてもネット上で見られるわずかな専門家の反応を見ても,本問は共テとしては異常な難問であり,デトロイトのインナーシティ問題は私大向けの地誌でも学習するか怪しいようだ。ちなみに,駿台の解答速報は明らかにBの解法で解いていて解説が間違っている。要するにプロでも解けない問題であり,センター試験や共通テストの地歴公民で大手予備校の解答解説が間違っていたことはほとんどなく(早慶や一橋ではないのだから),前代未聞の事態である。
 つまり,思考力を試す難問を出題しようとして知識問題に帰着するという,近年よく見る出題失敗例の典型例に当てはまる。加えて,Bの解法が一見して成り立ってしまうということは,受験生に手がかりにしてほしくない資料が掲載されていて誤誘導が起きてしまっているということであり,地理作問上の基本を押さえられていない。何ならCの解法で正解にたどり着けてしまうのもあまり良くない。

 一方で,冒頭にも書いた通り,地理の受験者数は比較的多い(世界史・日本史よりも多い)ことに反して,本問は世間的にほぼ騒がれていない。その理由としてまず,ネット上に地理専門家が少なく,かつ共テの地理に言及する人となるとほぼいない点が挙げられる。大手予備校では東進が難問判定をしてまともな解説をつけていたが,逆に言えばそれくらい。個人で言及してちゃんと分析して難問認定していたのは地理教員芸人のトフィーさん(リンク先の動画1:23:30頃から)くらいではないか。これは世界史・日本史では教育産業関係者のみならず大学教員による検討・批評が盛んであることと対照的である。
 次に,地理という科目は難問・悪問の判別が難しく,とりわけ受験生には本問も「よくある難問」と思われていて,騒ぐような問題ではないと思われている可能性が高い点が挙げられる。地理は指導者層ですら難問・悪問の判別が難しいことは,2022年の大阪大学の出題ミスを実例として挙げれば十分であろう。
 三つ目に,上述のように一応は�◆Ν�の2択までは絞れるので,正答率はそこまで悪くならないと予想されることも挙げられるだろう。近日中にベネッセが設問別の正答率を発表するはずだが,30〜40%くらいに落ち着くのではないだろうか。このくらいの正答率なら例年数問は出現する。2023年に共テの日本史で強烈な難問・悪問が出た際は正答率が一桁台まで落ち込んだことを踏まえると,確かにこのくらいの正答率では騒ぐに値しない。しかし,本問の問題点は正答率ではないのは,ここまで分析してきた通りである。
 本問が騒がれずに適正な出題と勘違いされたまま過去問として扱われるのは,地理学界隈にとってあまり良いことではない。2025年の世界史で出題ミス疑惑のある問題が出題された際や,2023年の日本史で超難問が出題された際に騒ぎになった疑問を呈した歴史学界隈の方が健全な姿であると思われる。  
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2025年07月04日

現代のイスラーム主義運動・組織を高校世界史上でどう呼び表すべきか

 久々の高校世界史深掘りシリーズ。近現代のイスラーム世界において,反欧米・反近代化へのイデオロギー,あるいはナショナリズムの柱としてイスラーム教が用いられることが多く,それらは「イスラーム主義」と総称される。しかし,その発露は「ムハンマドに立ち返れ」というスローガンを掲げてアラビア半島のアラブ人ナショナリズムと結びついたワッハーブ派から,アフガーニーのようにイスラーム教徒間の差異を乗り越えて団結を促したパン=イスラーム主義まで,イスラーム主義と言ってもその幅は広い。「ムハンマドに立ち返れ」というのも,精神だけの話なのか,本当にシャリーアを厳格に運用すべきという話なのかによって内実が違うし,達成手段が民衆の支持を広げる穏健的なものか,武装闘争によるものかでも違う。対英仏で反帝国主義闘争の色彩が強かった近代のイスラーム主義と,対米・対イスラエルの色彩が強い現代のイスラーム主義を分けずに継続して扱ってよいものかという論点もある。つまり,単に「イスラーム主義」と呼ぶのは何も示していないに近い。
 とりわけ現代のイスラーム主義系の組織をどう呼び表すべきかは難しい。一般に通りが良いのは「イスラーム原理主義」だが,元となる英語のファンダメンタリズムはキリスト教を対象とした言葉である上に蔑称気味の用法であるため価値中立的ではないとして近年では忌避される傾向がある。代わって登場したのが「イスラーム復興運動(復興主義)」であるが,人口に膾炙しているとは言いがたい。私自身は特にこだわりがないことに加えて,原理主義の言い換えであると伝わりやすく,かつ原理主義の表記を不快に思う人がいる可能性に鑑みて,自分が書く文章ではなるべく復興運動を使う。しかし,蔑視すべきというニュアンス含みなら原理主義の語を用いるのは正当であると思うし,他人が使っている分には咎めないというくらいの立場である。
 さらに,イスラーム主義のうち復興運動(原理主義)は達成手段が穏健的であるか過激であるかで分類されるが,そのまま全てつなげると「イスラーム復興運動過激派(穏健派)」となり,漢字が7字も続くのは冗長である。このため復興運動の部分を省略する「イスラーム過激派」という呼称が一般的になっている。イスラーム過激派とほぼ同義語で「イスラーム急進派」の語が使われることもある。また,過激派と穏健派という軸はグラデーションであって,イラン=イスラーム革命やハマース等は人により意見が分かれる。これらに対してはあえて分類せず,「復興運動」とだけ呼ぶ逃げ方がある。
 以上の呼称を整理すると以下の通り。

・イスラーム主義:イスラーム教の価値観を元に団結を促したり,それに沿った社会の形成を目指したりする思想・運動。あまりにも意味の範囲が広く多様。
・イスラーム原理主義:「ムハンマドに立ち返る」ことをスローガンとした思想・運動。蔑視するニュアンスを含むため現在では使用が忌避されることが多い。
・イスラーム復興運動:原理主義の柔らかな言い方,言い換え。
・イスラーム過激派:イスラーム主義の達成のため手段を選ばない運動・組織。現代では概ね復興運動であり,実質的にイスラーム復興運動過激派の省略形。
・イスラーム急進派:過激派とほぼ同義語。

というように一般社会や研究者のレベルで用語が混乱しているため,当然高校世界史上でも混乱している。これを整理した表を作成し,各教科書の執筆者の立場を観察したところ,面白い調査結果が得られた。調査対象は世界史探究の教科書の全7冊と山川の用語集『詳説世界史研究』の計9冊。「用語なし」とは用語を使わずに(特に分類せずに)記載があるという意味,「―」はその用語が教科書に記載されていないという意味である。例によって表はライブドアブログでは直貼りできないので,別途はてなブログに掲載しておく。文字データが欲しい人はそちらを使ってほしい。

イスラーム主義運動・組織分類(世界史)


 山川の『詳説世界史』は,イスラーム主義の語を推して,穏健派を含む言い方と定義している。イラン革命とターリバーンとムスリム同胞団を並べて,一度は合法的な選挙でエジプトの政権をとったムスリム同胞団を相対的な穏健派と表すことで,幅が広い語であることに説得力を持たせている。アル=カーイダに対しては急進派,ISには過激派の語を用いているが,十分な過激派と思われるターリバーンにはどちらも使っていないのはやや不可解である。二度も政権をとった組織に対する配慮なのだろうか。また,過激派と急進派の使い分けについては説明が無い。おそらく単なるミスか,筆者が異なることによる不統一である。
 山川の『新世界史』は原理主義の語の使用と貫いている。教科書の執筆者が原理主義の語のニュアンスを知らないわけはないので,執筆者の剛毅な価値判断が含まれている。修正しなかった山川出版社の判断も含めて,これはこれで尊重すべき立場であろう。傍注で「宗教的教えをそのまま世俗社会に適用しようとする態度」と補足しており,いかにも手厳しい。一方,同じ傍注で「どの宗教にも多少とも存在する」とも注記していて,原義やイスラーム教に対する偏見への配慮がある。その中でアル=カーイダだけ急進派に分類しているのは謎である。とりわけ急進的という判断なのだろうか。ISが最も過激であるように思われるが……。
 東京書籍は「復興運動」で統一している。また,イスラーム復興運動に直接的に分類しているのはイラン=イスラーム革命とターリバーンのみで,アル=カーイダとISは単なるテロ組織という扱いである。イスラーム復興運動に分類する義理さえ無いということかもしれないし,単に紙幅の都合で省略したか,これらがイスラーム復興運動なのは当然と考えて省略しただけかもしれない。なお,傍注でキリスト教原理主義に触れた上で「これにちなんでイスラーム復興運動をイスラーム原理主義とよぶこともある。」と補足している。
 帝国書院はイラン=イスラーム革命のみイスラーム復興運動とし,他の3つは過激派という表現である。これはイラン=イスラーム革命の価値判断を避けて中立的な復興運動の語を用い,その他は配慮不要なので過激派としたということで,態度が鮮明である。イラン=イスラーム革命の説明に続く本文で「一方,イスラーム復興運動には平和的で穏健な活動を行うものも少なくなかった」と補足しており,イラン=イスラーム革命が穏健とも過激とも言いにくいということを示唆しているのはテクニカルな処理で面白い。ターリバーンも容赦なく過激派にしているのも好感が持てる。ターリバーンはイラン=イスラーム革命の側かアル=カーイダの側かと言われたら,やはり後者だろうと思われ,他社が日和っている方がわからない。なお,資料集の『タペストリー』ではムスリム同胞団を穏健派,ハマースとヒズボラ(ヒズブッラー)を中間に位置づけて説明している。ヒズボラは過激派でいいような気はする。
 実教出版は山川の『詳説世界史』とほぼ同じ態度であり,原理主義については傍注で近年は使われないことを説明している。この傍注の説明は誠実で良い。
 非受験用の2冊はあまりにも説明がない。第一教科書に至っては,2020年代の世界史の教科書としてターリバーンもアル=カーイダも載ってないというのは許されるのか。
 山川の用語集はイスラーム主義と復興運動を同義語としている点でかなり問題がある。イラン=イスラーム革命とムスリム同胞団を単に主義(復興運動)として価値判断を避けているのはいいとして,過激派と急進派が混在しているのも問題である。全面的にリライトした方が良いのでは。
 最後に山川の『詳説世界史研究』も混乱が甚だしい。イラン=イスラーム革命とヒズボラ(ヒズブッラー)は復興運動,ムスリム同胞団はイスラーム主義,アル=カーイダは急進派,ターリバーンは過激派と全てばらばらである。なお,ISについては出版年が2017年であるために言及が無かった。そろそろ改訂してほしい。
 一応の集計をとると,イラン=イスラーム革命は「復興運動」,アル=カーイダは「急進派」,ターリバーンは「イスラーム主義」,ISは「過激派」,ムスリム同胞団はそもそも載せていない教科書が多いということになるだろうか。私的にはそれほど異論はないが,やはりターリバーンにやけに甘いのと,過激派と急進派の無意味な混在は気になる。


〔おまけ:歴史総合編〕
 話題が近現代史なので,歴史総合の教科書12冊についても調べてみた。歴史総合は世界史探究に比べると内容が薄いため運動名・組織名が記載されていないことが多く,統計的な意味は薄い。その点はご了承いただきたい。

イスラーム主義運動・組織分類(歴史総合)


 表を見ての雑感をつらつらと書いておく。歴史総合では実教出版が「原理主義」と突っ張っている。アル=カーイダは急進派と過激派で意見が割れている点で世界史探究と同じ。ターリバーンはやはり日和って単にイスラーム主義とする教科書が多い,というところか。  
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2025年04月20日

2025受験世界史悪問・難問・奇問集の補遺

2025年の受験世界史悪問・難問・奇問集について,5つほど補足事項が出てきたのでまとめてご紹介。


� 〃悩槝海�
24.早稲田大 教育学部(3つめ)
<種別>出題ミス(複数正解)

<問題>3 (4) 日本の韓国併合前後の日韓関係について,誤っている説明はどれか。

a 韓国統監伊藤博文はハルビン駅のホームで安重根に暗殺された。
b 第1次日韓協約によって韓国の保護国化が実行された。
c 朝鮮総督府による強権的な統治政策は武断政治と呼ばれる。
d 朝鮮総督府は日本による朝鮮統治の中枢機関であり,初代総督は寺内正毅である。

<解答解説>
 cとdは正文。bは「第1次」が「第2次」の誤りで,作問者の想定する正解はこれだろう。しかし,aは暗殺当時の伊藤博文が韓国統監を辞しているため,正確には「前統監」である。このためaも誤文と見なすことができ,複数正解となる。解答速報当時,いずれの予備校も指摘していなかったし,私も見逃していた。弊ブログのコメント欄にて指摘あり。また,これにより既存の25番以降は番号が1つずつずれることになる(最後の問題が27番に)。


�◆〔掌轍安腓慮�式解答例発表を受けて
5.名古屋大
<種別>難問?
<問題>3 問7 下線部��に関連して(編註:唐),唐が勢力範囲を拡大した7世紀には西方の宗教が長安に伝えられた。そのうちの一つはマニ教だが,創始者であるマニが生まれた時代と地域, 後にマニ教を受け入れた騎馬遊牧民について80字以内で説明しなさい。

<解答解説>
 「本件は公式解答例の発表待ちとしたい。」としていた問題で,発表された結果,問題があることがわかったので追加する。これにより国公立大も既存の5番以降は番号がずれることになる。まず,本問は問いが完全に二つに分かれている問題で,「マニ教の創始者が生まれた時代と地域」と「後にマニ教を受け入れた騎馬遊牧民の説明」が問われている。合体させた意味が全くわからず,前者を語句記述で解答させて,後者のみの論述問題にした方がスマートであった。後者はさして難しくなく,トルコ系遊牧民であること,8世紀半ばにモンゴル高原を征服したこと,安史の乱を契機にマニ教を受容したこと等を解答すればよい。公式解答例は「マニ教は7世紀に伝わった。8世紀半ばにモンゴル高原を支配したウイグルはマニ教を自国の宗教として受け入れた。」と想定よりもシンプルであった。
 一方,「マニ教の創始者が生まれた時代と地域」はどの程度の精度で解答すればよいのか明確でない。一般にマニ教の創始者マニについては3世紀にササン朝でマニ教を開いたことしか学習しない。このため普通に解答を作ると,生地と活動場所が同じと考えて「ササン朝で,3世紀にイランまたはイラクで生まれた」という解答になりそうだが,誤りである。時代は3世紀ではあるもののパルティア末期で,マニの生存中に王朝交代があった。そして生まれた地域は「バビロニア(メソポタミア南部)」が正しい。用語集の表記は「3世紀にバビロニアで生まれた」であるから「バビロニア」という生地の情報は用語集に記載があるものの,早慶専願の受験生であっても覚えていないレベルの細かい知識である。したがって国公立の名古屋大ではここまでは求められていないと予想するなら,もう少し精度を落として「メソポタミア(イラク)」までは正解であってほしい。さらに精度を落として,冒頭のような解答,つまり史実としては間違っている「ササン朝」と「イラン」でも部分点は加点されてほしい……と公式解答例が発表されるまでは思っていた。
 ところが,公式解答例は「3世紀にバビロニアで生まれた」であった。解答例はあくまで「例」であるので,採点基準上は「メソポタミア」や「イラン」等も広く許容された可能性もあるが,そうだとしても名古屋大は過去の行状がひどいので信用できず,最も狭く厳しい用語を公式解答例に選んだ点は責められるべきである。公式解答例の影響は大きいのだから,受験生を混乱させるような解答例の公開は避けてほしい。これではバビロニアのみが許容されたという疑念が残り,「名古屋大対策も早慶対策並に用語集を覚えないといけないのか」と思ってしまう受験生も出現しかねない。


�� 大阪大の公式解答例の発表を受けて
 6番の問題について。本問はまともに解答をしようとすると異常に高度な知識か妄想的な発想力が問われるので,作問上の不備があると指摘した。しかしながら,大阪大から発表された公式解答例(というよりも採点講評)では「設問および史料に記されたロシア,オスマン帝国,ク リミア・ハン国の関係性を読み解き,問われているのが露土戦争(第一次,第二次)であることを導き出せる基礎知識を持った受験者であれば容易であったと見受けられる。」とあった。衝撃的な話である。作問者が受験生に求めた読解力・知識とは高校世界史として標準的な18世紀後半の露土戦争のものに過ぎなかったということだ。「基礎知識を持った受験者であれば容易であったと見受けられる」とまで言っているのであるからおそらく受験生の出来が良かったのだろう。であれば異常に高度な知識か妄想的な発想力が問われるとする私の指摘は肩透かしを食らった形になるが,本問は問いと解答が不一致であるという別種の(よりまずい)問題点が浮上することになるので,結局は何も解決していない。本当に18世紀後半の露土戦争についてだけを問いたかったのであれば「シャーヒン・ギライはなぜ処刑されたと考えられるか。」ではなく,別の問いで良かったはずである。大阪大は以前にもこの種の肩透かしがあり,高度すぎる思考力を問わないのであれば,もう少し問題文を練ってほしい。


�ぁ〆廼畚佝任気譴紳膾綢腓龍軌�の新書について
 弊ブログのコメント欄でも指摘されているが,この3月下旬に講談社現代新書から『オスマン帝国全史』が出版された。著者は大阪大学外国語学部の宮下遼准教授である。本職が文学者であり,小説家でもあることからか,文体が歴史家らしくなく,好みは分かれるところだろうが,私は好きだ。
 ところで本書は,新書にしては518ページと大著であり,個々の事件についてもやや詳しめに説明されている。とりわけp.309(実物版)から始まる第一次露土戦争の顛末は紙幅が割かれており,シャーヒン・ギライという見覚えのある人名が登場する上に,「史上最後のクリミア・ハンの処刑に立ち会った法官はひどく嫌味な頌歌を捧げ」と書かれていた。そのひどく嫌味な頌歌,すごく読んだことがあるような気がしてならない。
 出版時期が入試日よりも後なので本書を読んでおけというメッセージにはなっていないものの,逆に言って本書の執筆または校正時期と入試問題の作成時期は重なっている。それ自体は一石二鳥的な有効活用であって悪いことではないが,入試問題の方は問題文にもうひと工夫欲しかった。


�ァ^豢饗腓量簑衒犬砲△襦峪毀鰻觴辧廚箸いν儻譴砲弔い�
 5番の問題について。「市民結社」という文言について,読者諸氏は違和感がなかっただろうか。「市民団体」ではないのかと。改めて本問の種本である『市民結社と民主主義』を読み直してみたところ,解答上無関係だろうと思って読み飛ばしていたあとがきに非常に興味深い記述があった。「翻訳のもととなった英語版のタイトルCivil Societyは,そのまま翻訳すれば『市民社会』となる。しかし訳者の判断で,邦題は『市民結社と民主主義』とした。原題を変更したことと,さらに「市民結社」という新しい言葉をつくったのは,次のような理由からである。」とあり,以下に理由の説明が続く。まず英語のcivil societyは日本語の市民社会という語と意味にずれがあり,civil societyは日本語的な市民社会の他に「市民団体」の意味でも使われる。このため,原著のcivil societyの箇所を全て市民社会と訳すと非常に不自然なことになる。その上で,ヘーゲルやその系譜のマルクス主義的歴史学ではcivil societyがブルジョワ社会(やブルジョワが作った団体)と見なされて,市民団体は否定的な目で見られたり透明化していたりしていたことを挙げている。civil societyの研究はもっぱら英語圏,もっと言えばトクヴィル研究の系譜に限られており,それを全欧的な視野でまとめ直しているのが本書の著者のホフマン氏である。これらの理由から,市民社会という訳語は避けられた。
 次に「市民組織」や「市民(社会)団体」という語を避けた理由として,本書の主張の核である「市民の自発性や主体性の意味あい」を強調する意図があったとのことである。私としては,結社という語が市民権をあまり得ていないので,それでも市民団体を使うべきだったと思う。訳者は「かつて結社といえば秘密結社や政治結社という言葉が浮かび,政治的,党派的な意味あいが強かったが,最近では,非政治的な団体や組織を示す言葉としても定着してきている」と考えているそうなのだが,本書の出版から約16年を経た現在でもなお,「結社」と言えば秘密結社か政治結社のイメージの方が強いのではないか。
 ついでに,本当に訳者の造語なのか気になったので,軽く調べてみた。Googleで,本書の発売日である2009年3月以前を指定して検索をかけてみたところ,ヒット件数は8件,うち2件は間違って引っかかった指定期間以後のページ,2件は『市民結社と民主主義』への言及,1件は中国語で,実質的なヒット件数は3件であった。その3件はいずれもトクヴィル研究に言及したページであった。つまり訳者の完全な造語というわけではなく本書以前からある言葉ということになるが,極めてマイナーである。また,市民団体のポジティブな研究はトクヴィル研究の系譜であると触れていた『市民結社と民主主義』のあとがきの説明と一致する。
 私も「市民結社」という語を聞いたのは本問がほぼ初めてで,人口に膾炙した言葉であるとは思わない。前述の通り自然と「市民団体」と読み替えて解いた人がほとんどであっただろうが,受験生にその読み替えを要求するのは酷だったのではなかろうか。ともかく,本問は「市民結社」という語自体が種本の存在を明示していたということがわかった。作問者と思しき教員のゼミで『市民結社と民主主義』が扱われていたという書き込みを何件か見たので,やはり大学生になってからゼミでやる内容であって入試問題でやるものではないと,作問者もわかってやっていることも確認できた(ついでに言うと,その教員の研究室の本棚には『絶対に解けない受験世界史』が置かれていたとのこと)。本題からは離れるが,一橋大もすでに「出題の意図」を公開しているので,ご興味ある方は。  
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2025年03月16日

2025受験世界史悪問・難問・奇問集 その3(国公立大)

昨日の続き。本日は国立大をお届けする。最大の注目点は一橋大だろう。私的に一番許せなかったのは共通テストの1番と3番だったりする。

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2025年03月15日

2025受験世界史悪問・難問・奇問集 その2(早稲田大)

昨日の続き。本日は早稲田大をお届けする。総評に書いた通り,入試は5学部に減少し,収録した問題は11問。例年は商学部が最多であったが今年はおとなしく,最多は教育学部となった。

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2025年03月14日

2025受験世界史悪問・難問・奇問集 その1(慶應大)

2025年度分も書き上げたのでお届けする。昨年は4巻を発売したので,良ければ買って読んでもらえると幸いである。




<収録の基準と分類>
基準は例年と同じである。

出題ミス:どこをどうあがいても言い訳できない問題。解答不能,もしくは複数正解が認められるもの。
悪問:厳格に言えば出題ミスとみなしうる,国語的にしか解答が出せない問題。歴史的知識及び一般常識から「明確に」判断を下せず,作問者の心情を読み取らせるものは,世界史の問題ではない上に現代文の試験としても悪問である。
奇問:出題の意図が見えない,ないし意図は見えるが空回りしている問題。主に,歴史的知識及び一般常識から解答が導き出せないもの。
難問:一応歴史の問題ではあるが,受験世界史の範囲を大きく逸脱し,一般の受験生には根拠ある解答がまったく不可能な問題。本記事で言及する「受験世界史の範囲」は,「山川の『用語集』に頻度�,任發いい�らとりあえず記載があるもの」とした。


<総評>
 昨年の早慶は33個で,今年は26個であった。7個減であるが,早慶の入試問題の作りが良くなったわけではなく,別の原因が2つある。1つは,2025年度から早稲田大の人間科学部・社会科学部が地歴公民で受験できなくなったために消滅したためである。早慶の日程数の合計が11個から9個になった。人科も社学も例年1・2個程度の難問・悪問・出題ミスがあったため,これで3・4個は減った計算になる。もう1つは,慶應大の法学部のマーク式出題が全50問から40問に減少した影響である。慶應大の法学部は2024年度まで完全マーク式で50問,試験時間は60分であったところ,2025年度からはマーク式40問に論述が600字(300字が2問),試験時間は90分に変わった。詳細は後述するが,悪問と出題ミスはマーク式の方が出やすく,そのマーク式の問題数が減った影響は大きい。実際に慶應大の法学部は昨年に13個収録だったところ,今年は10個にとどまった。ここで3個減であるから,これで辻褄があう。
 その他のトピックとして,慶應大は教科書に依拠して重箱の隅の隅から出題する(教科書を誤読して出題ミスを出す),早稲田大はそもそも教科書を読んでいない(作問者の史実誤認がストレートな出題ミスになる)というのが例年の傾向で,今年もほぼこの傾向が踏襲されたものの,わずかながら慶應大が教科書に載っていないことを出題していた。つまり早稲田大に寄せてきている。さすがに教科書の傍注や図版のキャプションばかりを読み続ける作業に徒労感を覚えたのだろうか。
 ついでに書いておくと,早稲田大が地歴公民からの変更先として近年に力を入れている総合問題は,これはこれで質があまり良くない。特に今年の社学の大問1は世界史に近いネタだったので解いたが,首を傾げる問題だった。設問の質もさることながら,「ヴュルテンベルク」を「ウェルテルベルク」と誤植しているあたりから,西洋史またはドイツ語の素養の無い人が自分もよく理解していない論文を雑に引用したように思われる。これでは地歴公民の試験をやめた意味がない。結局,素養の無い人が無理やり作らされている構造が変わっていないのではないか(作らされている大学教員もまた被害者である)。科目を変えるという抜本的な改革をやってもまだダメなら,構造の方に手をつけるべきだろう。
 国立については昨年同様,受験生の思考力を図る出題を試みて事故る傾向が強まっていて,共通テストもすっかり常連になってしまったし,この先が不安である。上手く作っている大学の問題は面白く,解いていて楽しい。今回収録した問題も面白いか悪いかの紙一重という問題がある。もったいないことであるので,もう少し力を入れて面白い問題を受験生に提供してほしい。
 最後に,2025年は課程の切り替わり年で,浪人生は旧課程,現役生は新課程で学習している。このため多くの大学の募集要項には「課程の切り替わりに配慮した出題をする」という文言が入っていたのだが,実際には新課程に依拠する出題が目立ち,旧課程への配慮がほとんど見られなかった。やけに浪人生に当たりが強い年度であった。


以下,本編。本日は慶應大のみ。二日目が早稲田大,三日目が国立大である。  続きを読む
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2025年02月04日

世界史探究の教科書の章立てを批判する

 高校世界史の科目名が世界史Bから世界史探究に変わり,それに伴って指導要領も教科書の章立ても一新された。その世界史探究の古代・中世の教科書の章立てに非常に問題があるという話をしたい。先に世界史B時代の古代・中世の並びを紹介すると,教科書間に細かな差異はあるが,基本的に以下の通りのものが多かった。アフリカ史・オセアニア史・南北アメリカ文明史については煩雑になるので割愛する。

【旧世界史Bでの多くの教科書の章立て】
・古代オリエント:ササン朝まで
・古代ギリシア,ヘレニズム諸国
・古代ローマ:東西ローマ分裂(東京書籍のみユスティニアヌス帝まで)
・古代南アジア:ヴァルダナ朝まで(ラージプート時代まで)
・古代東南アジア:10世紀頃まで,または13世紀頃まで
・古代中央・東アジア:唐末まで
-----------------ここから中世-----------------
・中世中東:イスラーム教成立から13世紀頃まで
・イスラーム教の南・東南アジア・西アフリカへの伝播
・中世ヨーロッパ:15世紀半ばまで
・宋,元代の中央・東アジア,モンゴル帝国時代の世界(帝国書院は宋をイスラーム教成立の前においている)

 この並びは合理的でよく整理されている。まず,高校生は世界地図をあまり理解していないので地域が細かく切り替わると理解できなくなる。このため地域の切り替わりは少ない方がよい。旧世界史Bの構成は「横」の理解を阻害しない範囲で縦に長い。次に,ユーラシア西半の古代史は地中海世界からイランまで地続きで歴史が展開するから続けて進めた方が理解しやすい。また,ここで他地域を挟むことでローマ帝国崩壊からイスラーム教成立にかけての出来事がいかに大変動をもたらしたか,それが古代と中世の切れ目であるということも印象付けやすい。古代ローマとして扱う範囲の最後を東西分裂とするかユスティニアヌス帝までとするかは学習内容が少なく些事である。
 インダス文明はメソポタミア文明の影響を受けて成立したから時系列的にその後であり,クシャーナ朝や季節風貿易のことを考えても古代ローマの真後ろが妥当。東南アジアはインドの影響が強く,先に仏教とヒンドゥー教を学習しないとわけがわからないから,インドの直後。そして東アジアは他地域とのつながりも相対的に小さいから,最初か最後に置くのが適当である。オリエントの前に中国史を置いて先にやってしまうのも手ではあるが,この場合は仏教が成立していないのに玄奘がインドに遊学するという逆転現象が起きるのが多少気持ち悪いかもしれない。後漢までをオリエントの前にやって,三国時代以降を東南アジアの後に置くという手もあるが,前述の通り地域の切り替えを極力減らすなら,古代中国史を二分割することもあるまい……と理詰めで詰めていくと,古代史はこの世界史Bの並びになる。
 同様のことは中世でも言える。以前に別記事で書いた通り,古代と中世の切れ目は議論がある地域が多いが,こと東地中海と中東地域についてはイスラーム教の成立で異論がなく,中世の開闢としてふさわしい。また,古典的な議論ではあるが「ムハンマドなくしてシャルルマーニュなし」の名句から言って中世ヨーロッパはイスラームの後だろう。中央・東アジアが中世の掉尾を飾っているのは,現在の高校世界史の世界観ではモンゴル帝国の崩壊をもって多くの地域が近世に移行したと見なしているためだ。モンゴル帝国が成立してから崩壊までの歴史を中世の最後に置くと,中世の総まとめにもなって「横」の観点から言っても都合が良い。宋は元の直前に学習した方が理解しやすいし,唐と引き離すことで唐宋変革の印象も強くなる。なお,帝国書院の教科書のみ宋を唐の直後でイスラーム教成立の前(つまり中世の最初)に置いていたが,これはあまり良い配置とは言えなかった。なぜこの配置にしていたのかは最後までわからなかった。
 残った南アジア史と東南アジア史は細切れやむなしで,短いページで終わる独立した章を立てるか,それも諦めてイスラーム教の伝播及びモンゴル帝国の部分で触れる形になる。それもあって,やや強引ではあるが東南アジア史については13世紀頃までを古代史と見なしてそこまで進めてしまう教科書が多かったのだろう。


 ひるがえって,世界史探究の基本的な章立ては以下の通り……と示したかったのだが,世界史探究はそもそも指導要領が雑なために統制が取れておらず(この時点で問題である),山川と実教,東京書籍,帝国書院の3パターンで全く章立てが違う。ここでは代表的なものとして山川と実教のものを示し,東京書籍と帝国書院の差異は※で注記する。

【世界史探究の山川・実教の教科書の章立て】
・古代オリエント� Д▲奪轡螢∧�壊後の4王国成立まで(前7世紀まで)
・古代南アジア� Д◆璽螢⊃佑凌塀个泙如柄娃契さ�頃まで)
・古代東アジア� Ю鏐饂�代まで(前4世紀まで)
   ※ 東京書籍は東アジア�,鮴昭�までにしている。また,この後に「古代東南アジア� В言さ�頃まで」を置く
-----------------ここまでが文明の成立期,ここから古代の後半-----------------
・古代中央・東アジア�◆Э舛�ら唐末まで
   ※ 東京書籍は前述の事情から春秋時代から唐末まで
・古代南アジア�◆�仏教成立からヴァルダナ朝まで,またはラージプート時代まで
・古代東南アジア:13世紀頃まで
   ※ 東京書籍は前述の事情からここは「古代東南アジア�◆В検�13世紀頃」
・古代オリエント�◆Д▲吋瓮優皇�からササン朝まで
・古代ギリシア,ヘレニズム諸国
・古代ローマ(東西ローマ分裂までか,ユスティニアヌス帝までかは差異有)
   ※ 帝国書院は古代を� Ν△吠�けず,古代史についてはほぼ従来の世界史Bを踏襲している。
-----------------ここから中世-----------------
・中世中東� Дぅ好蕁璽犇気寮�立から10世紀のアッバース朝解体まで
・中世ヨーロッパ� �11世紀頃まで
   ※ 東京書籍の並びは古代オリエント�◆船蹇璽泛�中世中東�、�中世ヨーロッパ�、�古代南�、�古代東南�、�古代東�,箸いη枌屐�
・イスラーム教の南・東南アジア・西アフリカへの伝播
・中世中東�◆�13世紀頃まで
・中世ヨーロッパ�◆�11世紀頃から15世紀半ばまで
・宋,元代の東アジア,モンゴル帝国時代の世界

 一目瞭然なのは章の多さである。地域の切り替わりが多く,高校生の理解を阻害する。従来の「縦」の理解に対して「横」を強調したかったのかもしれない。「縦」の歴史に習熟しすぎると国民国家史観に陥りがちで,古い歴史観が身につきがちという弊害はあり,歴史理解に誤解が生じるという懸念はある。つまり縦の歴史という「誤解」を身に着けさせるくらいなら,「浅い理解」になろうとも横を強調すべきだというのがこの章立てのメッセージ性である。しかし,「誤解」は後から解消できるが「浅い理解」は単なる二度手間である。というよりも従来の章立てが「横」を気にしていなかったかというとそうではなく,コラム等によって都度補正をかけていた。「横」は章立てで表現するものではない。
 その上で,古代を文明の成立期とその後の古代史で二分割したのが最も理解できない。指導要領を読んでも理解できないし,各教科書の章扉の説明などを読んでも「古代文明の特質」と「地域の歴史的特質」というマジックワードでごまかしていてかなり混乱している。各出版社の編集部に「歴史的特質と古代文明の特質って何が違うんですか」と聞いてみたい。
 その古代史�,鉢△寮擇衒�もよくわからない。オリエント�,鉢△錬寛�国で区切るならペルシア人の帝国とそれ以前で切りたいのかなと思われたかもしれないが,実際には指導要領上にそのような言及は無く,山川以外の教科書ではアケメネス朝までを�,貌�れ,パルティア・ササン朝のみを�△箸靴討い襪發里發△襦�せめてアッシリアの統一以前・以後で区切るなら世界帝国の成立という意義があり,これなら東アジアが戦国時代と秦で切れているのにも理屈が沿う。であれば南アジアも仏教の成立までを�,砲靴董ぅ泪Ε螢篦�からを�△砲垢襪戮�だろうが,ほとんどの教科書でそうなっていないので,やはり古代史� Ν△寮擇衒�に統一的な理屈が無い。東京書籍の発想はまだわかる。儒教・仏教・キリスト教の成立と伝播が古代�◆い修谿柄阿�古代史�,任修蹐Α�儒教・仏教・キリスト教を「歴史的特質」と定義しているのかもしれない。
 同様に中世ヨーロッパとイスラーム史も二分割されていて,これも理解に苦しむ。一応,古代史に比べるとまだ意図がわかる。中世ヨーロッパは1000年もあって長すぎるので,時代の風潮が変わる11世紀で分けるべきというのはその通り。中東史もアッバース朝解体以前・以後で様相が異なるからそこで一度区切りたくなるのもわかる。しかしそれが高校生の読みやすさを阻害してまでやるべきだったかというところで疑問符がつく。東京書籍の並びにいたっては一度中世に入ってから古代に戻るという謎構成で,これで誰が得するのか。
 
 ついでに言うと,実は近世もけっこう気持ち悪い。世界史Bでは東アジア(明・清)→東南アジア→中東・南アジア(オスマン帝国・サファヴィー朝・ムガル帝国)→ヨーロッパと東から順に流していく構成の教科書が多く,やはり地域ごとにまとまっていた。これが世界史探究では近世の幕開けが大交易時代であることを強調したいために明→東南アジア→大交易時代(ヨーロッパの大航海時代を含む)→中東・南アジア→清→ヨーロッパという構成になっている。最初に世界史探究の教科書を通読した時,明の次が清ではないのが信じられなくて落丁かと思った。大交易時代の強調は明と清を切り離し,大航海時代と宗教改革を切り離してまでやるべきだっただろうか。15-16世紀の海域アジアはすでに商業的に繁栄していて,西欧諸国はそこに途中参入したに過ぎないという大交易時代の概念の意義はわかるのだが,であれば琉球やマラッカを明の付属物のように扱うのもまたおかしいのではないか。
 総じて世界史探究の構成は理念先行とか評価する以前の問題で理解不能であり,私は世界史Bの構成に戻すべき,あるいは全く別の章立てを考えるべきだと思う。読者諸氏にもご一考願いたい。  
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2025年01月23日

2025共通テスト地歴公民の雑感

 問題はこの辺から。共通テストの地歴公民で大幅な科目の再編が実施され,「世界史B」が「歴史総合,世界史探究」に,「日本史B」が「歴史総合,日本史探究」に切り替わった初年度であった。すでに旧称Twitter上などでは議論が行われているが,私も記録の意味でここに書き残しておきたい。大きな話題としては二つある。
 まず,受験生の間で散々話題になったのが「歴史総合,日本史探究」の歴史総合分野(第1問)が世界史色強めに出題され,全然できなかったという受験生の嘆きが見られたということである。終了直後には各種SNSで怒号が吹き荒れていた。この件については同情できない気持ちが7割,同情心が3割というところである。
 同情できない理由として,受験生側の主たる言い訳は「2022年に発表された試作問題では,『歴史総合,日本史探究』の第1問は世界史知識不要で解ける問題がほとんどであった。したがって本試験もそうなると考えて歴史総合をあまり勉強してこなかった」というものであるが,これに対して大学入試センターは試作問題の発表後に「本試験ではこうなるとは限らない」というわざわざ声明を出している。現在は消えているようで公式サイトからは発見できなかったが……そうでなくとも歴史総合という科目は2:1程度に世界史優位の科目であり,「歴史総合」を冠しておいて世界史分野が出題されないという予測を立てる方が不用心である。
 一方で,同情すべき理由として,「歴史総合,世界史探究」の方の歴史総合分野(第1問)では,日本史分野からほとんど出題されなかったということがある。前述の通り,歴史総合という科目は世界史と日本史に切り分けると2:1くらいの割合で融合したものである(科目創設の趣旨としては切り分けられることを意図していないし,それは私も理解しているが便宜上)。今回の「歴史総合,世界史探究」の第1問も,ぱっと見では日本史が普通に出題されているように見えるが,実情はそうでもない。問1・問6・問7は世界史要素のみ。問2はY・Zの判断が日本史のように見えるが,日本における洋装の導入が一次大戦期ではなく明治維新期というのは従来の世界史ないし中学社会の範囲である。問3も安政の五か国条約なので問2と同様……というように丁寧に切り分けていくと,実は歴史総合レベルの日本史知識が必要な問題が1問も無かったと言っていい。これに対して「歴史総合,日本史探究」の第1問で,日本史知識のみで解答可能だったのは問2・問5のみ。他は全て世界史の知識が必要で,特に問3は19世紀半ば当時に自由貿易を推進していたのはイギリスではなくスペインという推測を立てる必要があり(この推測自体の難度は高くないが日本史受験者にはない推測の立て方かもしれない),問7は「プラハの春」の時期の知識が必要で(ハンガリー事件と混同すると誤答を選んでしまう),この2問は適正な問題の範疇ではあるにせよ高度だった。これでは歴史総合が世界史多めの融合であることを差し引いても不公平である。

 もう一つの話題は,地歴公民の全般的な平均点の高さである。特に「歴史総合,世界史探究」は中間集計�,�68点台であったから,このままいくと65点を超えるだろう(中間集計�,�ら最終集計は1.5〜2.5点程度下がる)。共通テストの平均点は50〜60点を目安に作られていることを踏まえると易しすぎたと言われても仕方がない。ただ,私が解いてみた感覚で言えばどの科目もそこまで例年と難易度が違っていたようには思えず,予備校各社の発表も当日はほぼ「昨年並」であった(現在は各社とも中間集計�,鮗�けて修正している)。これは,特に根拠は無く推測するが,受験生が共通テストの読み取り問題に慣れてきた,また指導者側の指導法が洗練されてきた影響ではないかと思っている。共通テストも5年目で,当初はセンター試験からのあまりの様変わりに戸惑い,多数の初見の史資料に受験生は押し流されていた。だが今は違う(ギュッ)。現在の受験生はセンター試験を知らない。塾・予備校側も対策が進み,メソッドが確立して常識化してしまえば,当たり前だが読解の難易度自体は現代文よりも簡単なので,特に苦にするところではなくなる。結果として平均点が上がったのではないか。繰り返しになるがこれは根拠なく書いていることであり,もう2・3ヶ月もすればベネッセ辺りからもっとしっかりした分析が出てくると思うので,それを待ちたい。  
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2024年07月20日

国公立大・世界史の入試問題の論述字数の不安定性について(2)小問編

 昨日の続き。大学入試問題の論述字数を考える際,もう一つ論点になるものがある。1小問の字数である。小問別で考えた場合,大論述問題の有無は影響が大きい。150字程度までの字数で問われる論述問題は,一部の例外を除くと辞書的な説明や,教科書の1ページに収まる範囲の叙述が求められるものが多い。これに対して200字を超える問題は,散らばった複数の時代や地域を叙述させたり,比較させたり,歴史的意義を解答させたりするものが多い。後者を受験業界で一般に大論述と呼ぶ。
 大論述と小論述の違いは長距離走と短距離走のようなもので,鍛え方も異なってくる。たとえば,東京大学の世界史の入試問題は,600字程度の大論述1問,60〜120字程度の小論述が5・6問,一問一答の語句記述問題が約10問という構成で,総論述字数は1000字前後である。それぞれで大論述では大風呂敷の文章構成力,小論述では端的にまとめる能力,語句記述では単純な知識を測っており,役割分担がされている。したがって,論述能力も別々に鍛えることが肝要なのである。もちろん,募集要項にはそこまでの細かい記載は無いので,突然全く違う傾向・形式が採用されても受験生は文句を言えない。しかし,総論述字数についての議論と同様,最大で何字の論述問題が課されるか,とりわけ大論述が存在するかどうかは受験生の負担の違いに加えて,大学からの「欲しい学生像」にかかわるため,不安定であっては困るのである。
 というわけで,これも統計をとってみた。以下は各年度の入試問題のうち,最も字数の大きい小問の字数である。総論述字数よりは揺らぎが大きくても許されるだろうと思われるため,直近5年の平均字数の±30%を許容範囲とし,最大値・最小値がそれをはみ出したセルを赤字とした。また,前述の事情から最大値と最小値が200字をまたいでいるものと,激変が見られた箇所を赤字とした。

スクリーンショット 2024-07-18 203706


 補足と分析を記す。旧帝大とそれに準ずる大学はやはり安定しているところが多い。その中で東大の最小値が基準を下回っているが,これは2024年の大論述が例年の600字1問から360字と150字の2問に分裂したためである。伝統ある東大の第1問が600字ではなかったということで当時大きな話題になった。ただし,これで東大が伝統を捨てたと慌てるのは早計で,解いてみると実際には510字の1問が形式の都合で2問に分裂したに過ぎないとわかる。2問に分裂して簡単になったわけではなく,次年度は600字1問に戻ると思われる。
 次に大阪大について。文学部と外国語学部で多少異なるので分けている。ここは大論述があったりなかったりしているので,一見すると不安定に見える。しかし,大阪大学は「受験生にいたずらに大論述を書かせなくても,作問の工夫次第で論述力を測ることは可能である」というイデオロギーで作問している節がある。実際に150字程度の小論述なのに解法上は大論述の訓練が必要というパターンの問題が多く,問題の作りは上手い。このため例外的な存在で,実は難易度や必要な学習水準の点で安定している大学なのである。
 一方,その他の国公立大はやはり不安定なところがいくつかある。新潟大は2022年に何かあったのだろうか。試しに大論述を出題してみたくなったか。問いはピレンヌ・テーゼで,大論述では定番のテーマである(京大300字や一橋大400字でも頻出)。おそらく受験生の出来が悪く2023年には再び課さなかったのだと思われるが,予告なしに大論述を課されても受験生は対応できないのは当然である。ただ,前言撤回気味の発言をすると,こういう挑戦心は嫌いじゃない。無茶になりすぎない範囲であれば,受験生は買いかぶっていい。逆パターンが千葉大で,2024年の千葉大受験生の食らった「肩透かし」はちょっとかわいそうである。千葉大は旧帝大並に難解な大論述を課す大学であり,年度によっては小問3問が全て大論述という構成もあった。まさか1問も大論述が出ないとは思うまい。では2024年度の小論述が大阪大並に難しかったかというとそうでもなく,単に易化しただけであった。世界史が苦手な受験生は安心し,世界史で他科目の出来を挽回しようと思っていた受験生は絶望したのではないだろうか。2025年は揺り戻しで大論述が出るか,それとも小論述しか出題しない大学になっていくのか,業界の関心を集めている。
 高崎経済大は2022-23年の間に前期と中期の字数が逆転している。作問者を交換したのだろうか。いずれにせよ小論述しか課していないので,受験生への影響は%ほどには大きくなかっただろうと思われる。東京都立大は2023年だけ400字論述が出て,前年の倍になった。大論述の範疇での増加とはいえ,受験生は驚いただろう。2024年は200字まで戻りきらず,270字となったのは興味深い。2023年にそれなりに対応できた受験生が多かったということだろうか。これから270字や300字の論述になっていくのか,2023-24年だけが例外で200字に戻るのか,要注目である。
 愛知教育大は総論述字数と同様に,大論述の字数も情緒が安定していない。大論述の範疇での揺らぎだからマシではあるが,当日まで大論述の字数がわからないのは受験生にとってストレスである。せめて260字で固定してあげてほしい。神戸市外大は総論述字数と同様に開始して4年しか経っていないので,まだ模索中なのだろう。隔年現象という雰囲気もするので,2025年は大論述が課されるかもしれない。
 かくのごとく,論述の字数一つとっても大学の個性は現れる。世界史以外の科目でも調査してみると面白いと思われるので(日本史・現代文は特に個性が出そうである),知見のある方は調べてみてほしい。  
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2024年07月19日

国公立大・世界史の入試問題の論述字数の不安定性について(1)総字数編

 大学入試問題は,基本的に昨年の傾向・形式が維持されると予期される。大学入試は選抜であるともに,その大学の講義についていけるだけの学力があるかどうかを測ることが目的であるから,大学の特色に沿った入試問題が課されるのである。結果として蓄積された過去問は「欲しい学生像」を伝えるメッセージとなっている。
 ところが,受験世界史において意外と不安定なものがある。国公立大学の論述字数である。一回の試験で課される論述字数の多寡は,試験の傾向を決める大きな要素である。試験時間あたりの総論述字数が多ければ,制限時間の中で急いで知識を整理して文章をまとめる処理能力を測っているということになる。この場合,問題の要求自体は易しいことが多い。逆に,試験時間あたりの総論述字数が少なければ,比較的ゆとりのある試験時間の中で熟考する能力があるかを測る設定になっている。たとえば,字数が安定している大学を選んで言及すれば,筑波大と一橋大はどちらも試験時間が120分であるが,筑波大は400字が4問で1600字,一橋大は400字が3問1200字である。すなわち筑波大は知識整理型志向で,一橋大は熟考型志向である。また,論述の対策は時間がかかるものであり,受験生の負担は大きい。配点に対する論述のウェイトが高い大学は,それだけ受験生に世界史の学習を強いている(他教科の学習時間を減らすことを強いている)ことになる。論述字数の多寡は個人の受験戦略全体にも影響を及ぼすのだ。
 したがって,冒頭の繰り返しになるが,論述字数が極端に不安定ということは,大学が受験生に求める能力,欲しい学生像が固まっていないということである。学年ごとに学生の性質を帰ることで多様性を生み出したいとか,過去問研究に頼らない学生が欲しいとか,校風を変革する最中であるとか,そういった可能性も無くはないが,ほとんどの場合は単純に校風が不安定なのだろう。もちろん,毎年字数が完全に固定されている必要は無く,多少の自由度がなければ作問に不都合が生じる。そうした作問上必要な自由度と,受験生を驚かせない範囲のバランスを考えるに,直近5年の平均字数の±20%ほどが許容値ではないかと思う。以上を踏まえて作成したのが以下の表である。最大値・最小値をそれぞれ5年平均字数と比較し,±20%を超えたセルを赤字とした。例によってライブドアブログの仕様上で表を直接貼れないので画像化する(要望が多ければコピペしやすい表をはてなブログの方に置く)。

スクリーンショット 2024-07-18 192853


備考に補足するが,少し煩雑である上に本質的ではないので,興味がなければこの段落は読み飛ばしてもらってかまわない。「行」とは,解答欄がマス目ではなく横罫線となっている問題があることを指す。この場合,解答の字数が明確ではないが,多くの大学入試の解答用紙はB4縦型であり,横罫線は15cm前後である。このため予備校の解答速報・赤本・入試問題正解のいずれも1行を30〜35字に換算していることが多い(名古屋大学のみ罫線がやや短く25字換算)。ここでも1行は25字または30字に換算して集計した。「全問行」は全論述問題の解答欄が横罫線である。「一部行」は,マス目の解答欄と横罫線の解答欄が混在している。「小問は行」は,200字を超える大論述の問題はマス目,それ未満の論述は横罫線という切り分けをしている大学である。「無制限」は解答欄が横罫線である上に,問題の要求に比して明らかに過剰な行数が用意されている場合を指す。たとえば京都府立大の論述問題は,まともに解答を作成すると300〜400字程度で収まるが,解答欄自体は1000字くらい書けるものである。このため実質的に無制限である。
 閑話休題。表を見ると,旧帝大とそれに準ずる大学は安定していることがわかる。東京外大だけ少しはみ出ているが,これは2019年も540字,2018年が630字であるから傾向の変化といえる範疇で,むしろ2021年以降は400〜440字で極めて安定している。問題では荒れ球が多い名古屋大や大阪大も字数は安定している。この点では受験生への配慮が行き届いている。
 一方,その他の国公立大はなかなかひどい。特に高崎経済大と愛知教育大は情緒不安定と言われても仕方が無い。高崎経済大は論述問題のつくりが上手くなく,『絶対に解けない受験世界史』シリーズの隠れた常連校である。愛知教育大は論述問題の質自体はしっかりしているが,2020年から2023年にかけての1015字・455字・940字・1370字という並びを見ると,字数の変動が激しすぎてジェットコースターかなと思ってしまう。ナガシマスパーランドリスペクトかな。一応擁護すると,2021年の字数が少なかったのは,COVID-19の社会混乱による学習の遅れに配慮するように文科省から指示が出ていたので,それに従った可能性がある。他の大多数の大学は一切配慮しなかったので,真面目に対応した愛教大が馬鹿を見た形かもしれない。ただし,愛教大は2018年以前にさかのぼっていってもやはり700字から1000字くらいでジェットコースターしているので,そもそも情緒が不安定な大学と言って過言ではない。
 信州大は2020年の字数が長かったので,基準に引っかかってしまったが,2021年以降は500字前後で安定している。2019年以前は900〜1000字で安定していたので,2020年と2021年の間で大きく傾向を変えたと言った方が正しい。それでもこの変更を予告なしでやっているので,2021年度の受験生は面食らったのではないか。なお,信州大の論述問題は良問が多かったが,2024年を最後に地歴での二次試験が廃止となった。残念である。神戸市外大も2021年に世界史を二次試験に採用したばかりでノウハウの蓄積がないという擁護は可能だろう。
 最後に東京学芸大について触れておく。この大学は%だけで言えば振れ幅が大きくないが,字数そのものが非常に多い。受験世界史での最長字数は一般に筑波大の1600字と言われているが,平均値で見ると東京学芸大の方が長い。試験時間は筑波大と同じ120分であるが,東京学芸大には2000字超の年もあった。筑波大の1600字でも腱鞘炎との戦いとしばしば指摘されるところ,学芸大の受験生の肘は大丈夫だろうか……。ただし,問題の難易度は筑波大の方が難しく,学芸大の方が易しい。また,東京学芸大の二次試験は地歴公民が300点,小論文が30点の330点満点で,英語や国語が課されない。実質的に地歴公民の一発勝負である。であればこれくらいの無理をさせてもよいのかなと思えた。

明日の(2)に続く。  
Posted by dg_law at 19:22 │Comments(0)

2024年07月15日

ガーナ王国はいつ滅亡したか

 受験世界史深掘りシリーズ。ガーナ王国はニジェール川上流域北方に存在した王国である。現在のガーナ共和国とは全く領域が重なっておらず,歴史的なつながりもない。ガーナ王国はサハラ砂漠を縦断する貿易,サハラ砂漠で採掘される岩塩とニジェール川の南側で採掘される黄金を交換する塩金貿易を管理して繁栄した。金は地中海沿岸から来たムスリム商人によって持ち帰られ,イスラーム圏の金貨鋳造に用いられた。このため11世紀半ばのムスリムによる記録では,ガーナ王国の首都クンビ=サレーは二つの居住区域に分かれ,片方にはムスリムが,もう片方には伝統的宗教を維持する住民が居住した。宮廷があったのは伝統的な宗教の住民区の方であり,森の中であったとされるが,現在の発掘調査ではまだムスリム居住区しか見つかっていない。
 このガーナ王国に異変が起きたのは1076/77年のことである。マグリブを征服したモロッコのムラービト朝は宗教的情熱に篤いベルベル人の一派が建てた王朝であり,ガーナ王国の王が異教徒であることに我慢ならなかった。また,当時の塩金貿易を担っていたムスリム商人にイバード派が多かったため,ムラービト朝が奉じるスンナ派とは折り合いが悪かったという北アフリカ側の事情も絡んでいた。イバード派は布教に熱心でないため異教徒との交易を独占しやすかった。このためムラービト朝は塩金貿易路に乗って遠征軍を派遣し,クンビ=サレーを占領して,強引にガーナ王をスンナ派ムスリムの人物にすげ替えてしまった。以降,北アフリカのムスリム及び西アフリカの異教徒のスンナ派ムスリムへの改宗が急速に進むことになり,特に北・西アフリカにおけるイバード派は壊滅して,21世紀現在のイバード派がオマーンに限られる要因となった。
 しかし,ムラービト朝はこの直後からイベリア半島情勢に介入し,レコンキスタへの対抗に情熱を燃やすようになって,西アフリカへの関心を急速に失っていく。その挙げ句に1130年頃に内紛で解体し,1147年には新たに興隆したベルベル系王朝ムワッヒド朝により滅ぼされる。困ったのはスンナ派ムスリムのガーナ王で,ガーナ王国はムラービト朝の遠征時にクンビ=サレーを破壊されて壊滅的な打撃を受けていた上に,塩金貿易の庇護をムラービト朝の軍事力に依拠していたから,ムラービト朝の崩壊は死活問題であった。歴史上でも稀に見るはしごの外し方では。以後のガーナ王国は衰退著しく,ガーナ王国の南方に成立していたマリ王国が,1235年頃にガーナ王国を属国化してニジェール川上中流域の覇権を築いた。以降のガーナ王国は史料から消え,詳細がわかっていない。
 なお,今回の記事の典拠の一つ,坂井信三「トランスサハラ国家と西アフリカ諸国家」『岩波講座 世界歴史18』(pp.107-129)はもう一つ興味深い指摘をしている。サハラ縦断貿易は岩塩と金の交換以外に,馬と奴隷の交換も行われていた。すなわち,異教徒を奴隷の供給源と見なすムスリム,とりわけ先行して改宗した黒人部族が,地中海世界から輸入した馬を用いて奴隷狩りを行っていたのに対し,ガーナ王国はその防衛を担っていた。しかし,ガーナ王国が崩壊したことで防衛力を失い,またこの地域のイスラーム化が進展したことで,時代を経るごとに奴隷獲得ラインが南下していった。この奴隷獲得ラインの南下がギニア湾岸に達したちょうどその頃,ヨーロッパでは大航海時代が始まり,ポルトガル商人が西アフリカ沿岸に出現した。「そのため西アフリカでは,国家的支配の拡大に奴隷狩りと長距離貿易が連動する動きが,このあと大西洋三角貿易の時代を経て19世紀まで続いていくことになるのである。」奴隷の買い手がムスリム商人から白人に変わり,馬が銃火器に変わって。

 閑話休題。このような歴史であるため,王国に存続年代を明記しがちな高校世界史にとってガーナ王国は難物である。読者諸氏はガーナ王国の滅亡年または滅亡年代をいつとするだろうか。まず思いつくのは1235年あるいは13世紀前半や半ばとするものであるが,注意すべきことに,これは属国化して史料が途絶えた年代であって,王統が断絶した年や国家が消滅した年ではない。すなわち,この年代をとった場合は属国化をもって独立国としてのガーナ王国は終焉に至った歴史観を採用しつつ,史料の途絶で追えなくなったことを以て“歴史学上は”消滅したと見なすことになる。次に思いつくのは1076/77年で,これはガーナ王国を伝統宗教の王朝と見なす歴史観をとる。あるいはこの時点でムラービト朝の属国となったのであるから一度滅んでいると考えることもできるだろう。もう一つ,歴史家が書いた文章で見える年号としては1150年がある。これはムラービト朝の滅亡により宗主権が消滅し,ガーナ王国が自立した一方で,地域の政治的安定が失われて部族間抗争が激化した年であるようだ。これはガーナ王国の宗教や宗主国の存在にはこだわらないが,西アフリカの覇権にこだわった年号ということになるだろう。ただし,近年の専門書,前出の『岩波講座 世界史18』も『新書アフリカ史 改訂版』(講談社現代新書)も山川の各国史も,いずれも年号を明確に示していないものの,文脈上は13世紀初めや前半としていたから,専門領域では13世紀前半で固まりつつあると思われる。
 以上を踏まえた上で,高校世界史の主要教科書5冊(+用語集・詳説世界史研究)を参照する。なお,新旧両課程でいずれも同じ記述であったので,以下は新課程のみで分類した。『詳説世界史研究』のみ新課程のものが出版されていないので旧課程である。

山川『詳説』: 13世紀半ば頃
山川『新世界史』:13世紀半ば頃
東京書籍:年代不記載
帝国書院:11世紀
 ※ ただし「ガーナ王国はムラービト朝の攻撃で衰退」としているのでやや混乱している。
実教出版:1076年
 「ムラービト朝の侵入でガーナ王国が征服された」と明記。

山川用語集:13世紀半ば
山川『詳説世界史研究』:13世紀半ば


 ということで,山川系の書籍は13世紀半ばで統一されているが,帝国書院と実教出版は1076/77年説を採用しており,真っ向から意見が割れている。賢いのは東京書籍で,わからないものは不記載にするというのは誠実である。また,専門領域では13世紀前半に固まりつつあるらしいことを踏まえると,研究をちゃんと追っているのは保守的な山川で,新説好きではあるが東南アジア以外の周辺史で手を抜きがちな帝国書院は今回もその性質が現れている。実教出版は独自路線が強いので,更新をさぼっているというよりも,本文の「征服」という強いニュアンスを見ても,ガーナ王国は伝統宗教が滅びた時点で滅びたとする強い意志で1076年を維持しているように思われた。いずれにせよガーナ王国の滅亡年を用いた入試問題は出題ミスの温床になるので,避けた方がよいだろう。
 ここで調査を終えてもよかったのだが,世界史の窓に気になる記述があったため,古い山川の『詳説世界史』を発掘して確認してみた。すると,
2008年以前の課程:1076年
2008〜12年の課程:1150年
2012年以降の課程:13世紀半ば
と短期間で二度の変化を経ていたのである。これは山川が学説の更新に努力した痕跡であると言えるが,一度1150年を挟んでいるのが面白い。この時の編集会議の様子が非常に気になる。

 なお,この調査をしている過程で,全ての教科書でマリ王国の成立年が1240年となっていた。この年号,実は大して意味がないようで,マリ王国の成立を1240年としてしまうとガーナ王国の滅亡1235年説と矛盾が生じる。前述のような専門書はいずれも13世紀初頭・前半としているからこの矛盾は生じていなかった。何が起きているのだろうか。  
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2024年04月06日

『絶対に解けない受験世界史4』が出ます

出版社による告知記事はこちら。




すでにAmazon,honto等で発売中です。シリーズ存続のためにもご購入いただけると幸いです。

以下は3巻同様に,本書の紹介をFAQ形式で。

よくわかる! 『絶対に解けない受験世界史4 悪問・難問・奇問・出題ミス集』FAQ

Q.目的や内容は前巻までと同じなの?
A.全く同じです。大学入試における悪問や超難問,出題ミスを収録・解説した本です。本気で難しくて解けない問題から,日本語の崩壊した問題,単なる誤植,笑える問題,珍しい問題など,多岐にわたって収録しています。
1.入試問題作成の杜撰さを世の中に訴えること
2.出題ミスの事例を集めて,出題者へ提供すること
3.悪問を笑い飛ばして当時の受験生の無念を供養すること
4.世の中の世界史マニアに難問を提供すること
を主な目的としています。


Q.収録範囲は?
A.2021〜22年の全大学,2023年の早慶・国公立大です。2023年の国公立大まで入れたところで400ページをオーバーしてしまい,打ち止めにしました。2023年の私大その他や2024年の早慶・国公立は原稿を作成しているものの4巻には未収録です。5巻が出版されればそっちに入ります。


Q.対象読者は?
A.世界史が好きな人全般,歴史教育に関心が深い高校教員・予備校講師や大学教員,また作問の参考にしたい大学教員,出題ミスや難問の見分け方を学びたい受験生などです。1巻を出版する前はどちらかというと世界史が好きな人全般が読む本なのかなという思っていましたが,巻を重ねるごとに高校教員や大学教員からの関心が高まっている印象があります。また,受験生から「普通に早慶対策で役に立つ」という声もよく聞きます。本書が役に立ってしまうような出題がまだまだ多いという意味では残念な話ですが。


Q.本巻の収録範囲の印象は?
A.3巻と同じになりますが,日本語が崩壊している系統の悪問や,意味が二通りに解釈できるために解答が出せない系統の悪問,歴史の問題とは見なしがたい奇問は引き続き減っていて,もうほとんど見かけない印象です。一方で,選抜性が機能していない超難問や,作問者の知識不足に起因する出題ミスは減っていません。また,共通テストの傾向に引きずられているのか,受験生の思考力を試そうとしてかえって事故になってしまった問題も増えている気がします。


Q.今回はどんな問題が収録されてるの? 見どころは?
A.帯に入れた例題は以下のような様子です。東京都市大の『ジョジョ』の問題は,私の当初の印象よりも校正者たちや編集の濱崎さんからは圧倒的に不評で,考えが変わりました。実際にどういう問題だったのか,なぜ不評だったのかは本編をお読みいただければと思います。

・大半が設問と関係ない『ジョジョの奇妙な冒険』のリード文(東京都市大 2022年)※番外編
・引用文献を大幅改変、変換ミス、挙句の果てに著者名を誤植(名古屋大 2023年)
・中学生でも知ってる「勘合貿易開始時に足利義満は将軍」ミス(早稲田大 2023年)
・範囲外から出題して盛大に誤植するというクソダサ行為(慶應義塾大 2021年)
・大河ドラマに掛けて「麒麟」の絵画を出すも問題が崩壊(大阪大 2021年)
・センシティヴな問題で「歴史にif」を答えさせる(産業能率大  2021年)※番外編

その他ですと,以下のような問題が見どころかと思います。

・真面目に解くとタイムパラドックスが生じる論述問題(京都府立大 2023年)
・今時ナポレオン3世無能説が前提になっている論述問題(神戸市外大 2023年)
・スパルタの鉄銭を金属貨幣と見なすかどうかで正解が変わる問題(中央大 2022年)
・グラックス兄弟のファーストネームを問う問題(明治大 2022年)
・2課程前,10年以上前の教科書・用語集を参照している疑惑(法政大 2021年)

私的にはスパルタの鉄銭を金属貨幣と見なすかどうかで正解が変わる2022年の中央大・法学部の問題は,受験世界史の歴史に残る悪問だと思っています。詳細はぜひともお読みください。また,恒例の東京女子大や神戸学院大等の面白いと思った問題は番外編として多数収録しています。問題以外ではコラム4の「2021 年度大学入学共通テスト騒動の記録」とコラム5「新科目『歴史総合』が誕生するまで」はアーカイブとして長く読まれてほしいという願いを込めて書きました。


Q.今回の書き下ろしの割合は?
A.半分くらいが書き下ろしです。ブログ版を熟読された方でも楽しめると思います。


Q.Amazon等で表示される書影と,実際の表紙が違わない?
A.これに気づいた人は非常に鋭い。上智大の収録が無いのに表紙に「上智」と入っているのはおかしいだろうということで,「国立」に差し替えているのですが,通販サイトの書影では「上智」のままになっています。詳しいことは聞いていませんが,パブリブ側のちょっとした手違いとのことです。すみません。


Q.収録されている大学のバリエーションが減ってない?
A.パブリブの宣伝ページにも書かれていますが,一般入試で高校の履修科目からの出題をやめて,「総合問題」や「小論文」の出題に変えている大学が増えています。上智大・青山学院大が典型例で,早稲田大もこれに続こうとしています。その影響で世界史で受験できる入試日程が難関私大を中心に減少傾向です。一般入試の合格者枠を減らして推薦入試を増やすのは世の中の流れから言って仕方がないかなと思っていましたが,一般入試の総合問題化は予想していませんでした。4巻に上智大や青学の入試問題がほとんど載っていないのはこのような理由です。
 一応,私は世界史の内容が含まれていそうな総合問題は解いて確認しています(たとえば上智大の神学部や青学の国際政治経済学部)。何かまとまった成果になれば,ブログか5巻かで発表するかもしれません。


Q.間に日本史版とか現代文版とか挟めなかったの?
A.必死に執筆者募集中です。我こそはという方,私かパブリブにご連絡ください。自分で言うのもなんですが,社会的に意義がある出版だと思っていますし,日本語が崩壊している系統の悪問・出題ミスが減っただけでも世界史はやったかいがあると思って私は4巻までがんばっています。


Q.そもそも現行の大学入試制度自体が間違ってるんだから,その中で悪問を糾弾しても意味がないのでは?
A.序文で言及していますが,本書ではその点を問題としていません。あくまで現行の大学入試の世界史において,適正か否かを問題としています。


Q.難関大学は選抜性のために,意図的に難問を出しているのでは? それを批判してもしょうがないのでは?
A.いいえ。通常の受験勉強で触れる範囲からの出題だけで十分に選抜性があります。国公立大でも私大でも,本書にほとんど収録されることがない難関大学の入試日程はあるのです。旧帝大や早慶レベルだと範囲外からの出題は必要悪であるという言説は根拠がありません。加えて,本書が糾弾しているような難易度の問題は極めて少数の受験生しか解答できないため,入試問題の本旨である選抜性が機能していないものが多いです。選抜性を捨ててまで杜撰な,あるいは趣味に走った出題をすることを批判しています。
 また,本書が難問を糾弾している意図の一つには,難問は出題ミスや悪問を生みやすい傾向があるためです。受験生が通常の受験勉強で触れないようなマイナーな歴史事象は,作問者である大学教員も詳しくなく,非常にミスが起きやすいです。その実証例は本シリーズ4冊に多く収録されています。この点にも注目してお読みいただければ幸いです。


Q.1巻がずっと絶版なんだけど?
A.1巻と2巻以降で出版社が違い,1巻を出した社会評論社とは縁が切れているので,再販が極めて困難な状況です。また収録している入試問題がすでにかなり古くなっており,出版社を今のパブリブに変えて再販したとして,本当に売れるのか私も編集の濱崎さんも疑問視しています。電子書籍化もパブリブ側の都合で難しいです。電子書籍化以外の解決方法が無いかは協議中です。
 なお,2巻もパブリブの倉庫からはほぼ払底している状況です。パブリブ出版物ではあるものの,ほぼ1巻と同じ状況だと思ってもらってかまいません。


Q.今回も正誤表を作るの?
A.作ります。この記事に正誤表を作る&重版がかかった際に直す予定ですので,見つけたら教えていただけると幸いです。よろしくお願いします。

<正誤表>
・pp.124,126 31番は「2つめ」,32番は「3つめ」。
・p.154 18番の解答解説の1行目は「2023」年ではなく「2022年」。
・p.164 左欄1行目の「入試問題大正解」は「入試問題正解」の誤り。
・p.214 64番の解答解説の2行目,「モダンタイムズ」の定訳は「モダンタイムス」。
・p.226 78番の解答解説の4行目,「2022 国公立6番,p.139」としているが,p.137が正しい。
・p.344 (2021早慶13番,p.271)とあるが,p.268の誤り。
・p.350 解説の上から2行目「市民群」は「市民軍」の誤り。
・p.386 上から19行目の「図る」は2箇所とも「測る」の誤り。
・p.416 著者略歴の1行目「受験受験世界史研究家」はもちろん「受験世界史研究家」の誤り。

<その他の指摘>
・p.338 2021私大その他42番,法政大の問題について。「大反乱の後,イギリスは東インド会社を解散させ」という選択肢は正文のつもりで作文されたと思われるが,東インド会社は大反乱中に解散したというのが一般的であるので誤文と見なすことができ,したがって本問は複数正解の出題ミスであると解説した。これに対し,東インド会社の解散年は株主への配当配給と残務処理のため1874年まで形式上存在していたとする説があり,高校世界史から離れて考えるなら,この選択肢を正文と見なしうるのではないかという指摘があった。この指摘は正当で,東インド会社1874年解散説をとって,本問は出題ミスではなく,範囲外の知識がなければ正答を導けない難問とする解釈も成り立つ。誤植・誤記ではないが,良い補足として追記する。
  
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2024年03月17日

2024受験世界史悪問・難問・奇問集 その3(国公立大)

昨日の続き。本日は国立大をお届けする。一番困惑したのは受験世界史の改革を訴えているあの大学である。

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2024年03月16日

2024受験世界史悪問・難問・奇問集 その2(早稲田大)

昨日の続き。本日は早稲田大をお届けする。入試は7学部で収録した問題は16問であるが,そのうち2つの学部が10問を占めた(教育と商)。昨年もそうだったが,偏りが激しい。

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2024年03月15日

2024受験世界史悪問・難問・奇問集 その1(慶應大)

今年も書き上げることができたので公開する。いきなり告知から入るが,もうすぐ4巻が発売する予定なので,お買い求めいただけると幸いです。4巻の校正作業はほぼ終わっているが,この2024年の記事と作業時期が重なったので,今年は少し大変だった。




<収録の基準と分類>
基準は例年と同じである。

出題ミス:どこをどうあがいても言い訳できない問題。解答不能,もしくは複数正解が認められるもの。
悪問:厳格に言えば出題ミスとみなしうる,国語的にしか解答が出せない問題。
→ 歴史的知識及び一般常識から「明確に」判断を下せず,作問者の心情を読み取らせるものは,世界史の問題ではない上に現代文の試験としても悪問である。
奇問:出題の意図が見えない,ないし意図は見えるが空回りしている問題。主に,歴史的知識及び一般常識から解答が導き出せないもの。
難問:一応歴史の問題ではあるが,受験世界史の範囲を大きく逸脱し,一般の受験生には根拠ある解答がまったく不可能な問題。本記事で言及する「受験世界史の範囲」は,「山川の『用語集』に頻度�,任發いい�らとりあえず記載があるもの」とした。


<総評>
 昨年は早慶で28個で,今年は33個であるから微増した。ただし,これは慶應大・法学部が一つで13個も収録になった影響が大きく,他の慶應大の学部や早稲田大は例年通りだったように思われる。内容も昨年と同様で,あからさまな校正ミスや意味不明な日本語による悪問・出題ミスが減った。一方で,調べの足りない単純な知識的なミスが増えた。早慶のミスの出し方の傾向も例年通りで,慶應大は教科書に依拠しすぎていて重箱の隅の隅から出題したり,教科書表現を微細に変えて問題文にした結果としてミスが生じていた。これに対し,早稲田大は教科書を雑にしか読んでおらず,作問者の史実誤認がストレートに出る出題ミスが多かった。また,「暗記科目ではない,考える世界史」を志向するのはよいが,派手に失敗するケースが私立・国公立によらず年々増えている印象である。高い目標を掲げるならミスなく作ってほしい。
 早稲田大の人間科学部と社会科学部は,地歴で受験できる最後の年であった。来年からは人科は英語・国語のみ。社学は総合問題を課すとのことである。最後の年の問題がどうだったかは,本編を御覧いただきたい。
 最大のトピックは,早慶の解答速報から早稲田予備校と増田塾が撤退したことかもしれない。これで残ったのは河合塾・駿台・代ゼミ・東進の4つであるが,河合塾と駿台は早慶の一部学部に不参加で,全学部の解答を出しているのは代ゼミと東進だけである。解答速報は,その予備校が受験生の解答確認による宣伝効果,難関大学の解答を作成する能力があることの証明,提携する新聞社へのPV数や分析の提供を目的として実施するものであり,出題ミスの指摘という社会的貢献は副次的なものでしかない(私の場合は個人での活動になるが,過去の経験上ありがたがられる大学と嫌がる大学に二極化する)。しかし,有名予備校の場合は今更能力の証明もなく,解答ミスがあると逆効果になる。駿台は新聞社との提携を断っている(だからホームページ上に問題の掲載がない)ということから見ると利益もさして上がらず,最近は大学が公式解答例を比較的早く発表するようになったから受験生が予備校のホームページで確認する必要性も薄まった。完全撤退や宣伝効果が薄そうな日程の取りやめ判断もやむを得ないところだろう。出題ミスの指摘という社会的貢献を考えると,可能な限り続けてほしい。

以下,本編。本日は慶應大のみ。二日目が早稲田大,三日目が国立大である。  続きを読む
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2023年03月19日

2023受験世界史悪問・難問・奇問集 その3(国立大)

昨日の続き。本日は国立大をお届けする。集まったのはいつもの面々であった。一番注目されるべき問題が共通テストの日本史Bだったりするのは例年と少し違うところかもしれない。長くなったのでおまけは無し。東京外大は未入手。

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2023年03月18日

2023受験世界史悪問・難問・奇問集 その2(早稲田大)

昨日の続き。本日は早稲田大をお届けする。入試は7学部で収録した問題は14問であるが,そのうち3つの学部が10問を占めた。少し偏っている。

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2023年03月17日

2023受験世界史悪問・難問・奇問集 その1(慶應大)

今年も無事に公開に至ることができた。3巻が好評発売中なので,過去の年度,特に早慶・国公立以外を見たい方はぜひお買い求めください(初手宣伝)。



<収録の基準と分類>
基準は例年と同じである。

出題ミス:どこをどうあがいても言い訳できない問題。解答不能,もしくは複数正解が認められるもの。
悪問:厳格に言えば出題ミスとみなしうる,国語的にしか解答が出せない問題。
→ 歴史的知識及び一般常識から「明確に」判断を下せず,作問者の心情を読み取らせるものは,世界史の問題ではない上に現代文の試験としても悪問である。
奇問:出題の意図が見えない,ないし意図は見えるが空回りしている問題。主に,歴史的知識及び一般常識から解答が導き出せないもの。
難問:一応歴史の問題ではあるが,受験世界史の範囲を大きく逸脱し,一般の受験生には根拠ある解答がまったく不可能な問題。本記事で言及する「受験世界史の範囲」は,「山川の『用語集』に頻度�,任發いい�らとりあえず記載があるもの」とした。


<総評>
 昨年は早慶で30個で,今年は28個であるからほぼ同数である。内容はやや異なり,あからさまな校正ミスや意味不明な日本語による悪問・出題ミスが減った。一方で,調べの足りない単純な知識的なミスが増えた。ちょっと面白いのは,早慶で知識的なミスをやらかす時の傾向が異なっていて,それが強まった印象があることだ。慶應大は教科書に依拠しすぎていて,私でもすぐには典拠がわからず教科書5冊をじっくり読み返さないと見つからないようなところから作問している。特定の教科書1冊にしか無いような記述から出題しようとして教科書マニアになっているのだが,結果として教科書執筆者の筆が滑ったような部分,教科書の記述自体が怪しい部分から作問してやらかしていることが多い。これに対し,早稲田大は教科書を雑にしか読んでおらず,結果として作問者の史実誤認がストレートに出てしまい出題ミスや悪問になっていることが多い。どちらの大学も,もう少し中庸な態度で作問できないものだろうか。
 なお,早稲田大は2024年を最後に人間科学部と社会科学部の入試科目から地歴公民を外すと発表した。早稲田大は往時には世界史で9学部受験できたが,2025年にはとうとう5学部しか受験できなくなる。寂しい限りであるが,一方で悪問を量産して改善できないくらいなら廃止が検討されるだろうと考えると納得もする。世界史の観点から言えば,あの社会科学部が廃止されるのはやはり感慨深い。


以下,本編。本日は慶應大のみ。二日目が早稲田大,三日目が国立大である。
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2023年02月12日

高校世界史における「古代」と「中世」の切れ目はいつか

久々の高校世界史深掘りシリーズ。時代の区分はそれを定めた人の歴史観が現れるところであり,好きに定めてくれればよいし,便宜的なものだから不要なら決めてくれなくていいものである。とはいえ設定してくれた方が教育や議論の上で便利なのは,高校世界史でも同じである。教育指導要領では,中世と近世の切れ目と,近世と近代の切れ目が定められている。中世と近世の切れ目は,東アジアは明の成立(1368年),東南アジアは15世紀,南アジア(インド)はムガル帝国の成立(1526年),西アジアと中央アジアはティムール朝とオスマン帝国の成立(1370年・1300年頃),ヨーロッパは15世紀(象徴的な年号で言えば1453年だがバラ戦争は中世で扱う)である。一見すると法則性が無いように見えるが,どの地域もモンゴル帝国の解体と大航海時代(大交易時代)の始まりの影響という共通点があり,異論が出にくい切り方だろう。近世と近代の切れ目は,欧米が産業革命とアメリカ独立で,その他の地域はいずれも「西洋の衝撃」が始まった時期であるから,こちらもわかりやすく異論はまず出ない。
 これに対して,古代と中世の切れ目は教育指導要領が定めていない。結果的に,実は教科書ごとに切れ目に多様性があり,教科書執筆者の歴史観がよく現れる部分になっている。また,南アジアや東南アジアのように切れ目がわかりにくい(設定の必要が薄いとも言える)地域は,教育指導要領に従って中世という時代区分を設定していない教科書もある。これはこれで面白い現象だろう。以下,各教科書の定める切れ目を見ていく。検討するのはいつもの5冊である。なお,山川『用語集』と『詳説世界史研究』は,山川『詳説世界史』に完全に沿っているので今回は検証の意味がない。色分けは多数派意見を赤字に,珍しい意見を青色・緑色にした。


【ヨーロッパ&地中海】
・山川『詳説世界史』:476年(375年)
・山川『新世界史』:476年

・東京書籍:476年/610年頃
・実教出版:476年(375年)
・帝国書院:476年(375年)

 オーソドックスなのは476年(375年)である。古代史の章ではゲルマン人の大移動は存在と西ローマ帝国の滅亡の要因の一つであることだけを教えて,各ゲルマン系民族の定住地は中世初期で扱っている。ゲルマン人の大移動はその後のフランク王国の伸長にかかわるので,古代史の中で定住先まで扱うと,読者が理解しづらくなってしまう。教育上の措置としてこうした切り分けになっていると思われる。その結果,375〜476年の100年間が宙に浮いてしまうが,これがどちらに入るかというのは些末な議論であり無意味だろう。
 山川の『新世界史』はほぼ同じであるが,ゲルマン人の大移動を全て古代に入れて,この100年間が宙に浮く現象を避けている。山川『新世界史』は時代区分論に明確な意識があり,教科書の本文で古代・中世・近世・近代・現代を定義し,それに沿った章立てをとっている唯一の教科書である。このため,杓子定規な切り方になったのだろう。東京書籍も西欧については同様の処理をしている。
 さて東京書籍は,ユスティニアヌス帝時代のビザンツ帝国を古代史に入れている。ピレンヌ=テーゼに則って古代地中海世界の解体が中世の始まりであると考えるなら東京書籍の主張は正しく,この構成はイスラーム教の勃興という大事件を読者に印象づけやすい。またビザンツ帝国史だけで考えてもユスティニアヌス帝とヘラクレイオス1世の間の変貌も捉えやすいから利点はある。弱点は前述の通り,古代史の範疇でゲルマン人の大移動を扱い,間に他地域の古代史を挟むため,中世ヨーロッパ史の冒頭で読者が「西ゴート王国ってなんだっけ???」になりがちであること。また西欧との進度の差が130年くらい開くので何となく気持ち悪い。


【中東】
・全教科書:610年頃
 610年頃はイスラーム教の成立した時期である。高校世界史はイスラーム教勃興をもって中東の中世の始まりと見なしていて,これは異論が存在しない。ここまで綺麗に一致している切れ目は他にない。また,この章を中世全体の冒頭に置いている教科書が多く,世界史全体としてもイスラーム教の勃興が中世の幕開けというのが共通見解とさえ言えそうだ。


【東アジア】
・山川『詳説世界史』:960年(907年)
・山川『新世界史』:220年
・東京書籍:907年
・実教出版:907年

・帝国書院:220年? 907年? 1276年?
 907年は唐の滅亡年である。つまり多くの教科書は唐の滅亡をもって古代が終焉したと見なしていて,これには私も異論が無い。しかし,その中で山川『詳説世界史』だけが五代十国を古代史に入れている。にもかかわらず契丹を中世東アジアの冒頭に入れているので,後晋の名前は古代史で登場するのに燕雲十六州は中世史で出てくるという不思議なことが起きてしまう。理由は学術的・教育的観点から考えても思いつかず,ひょっとして単純な紙幅の都合ではないかと疑っている。
 『新世界史』は異端児で,東アジアでは後漢末までが古代ということは宮崎市定説をとっているのかなと思われた読者もいるかもしれないが,実は宋・元まで中世に入れているのでそういうわけでもない。これは『新世界史』が古代を「文明の揺籃から古代帝国」の時代,中世は混乱と遊牧民の活動による「人びとの大規模移動」の時代と定義しているためである。とすると後漢末の群雄割拠から元末までを中世でくくるのは斬新ながら理に適っている。ただ,この構成だと中国史の中世が長くなりすぎ,他の時代と比較した際のバランスは悪い。
 どっちつかずなのが帝国書院で,この教科書は東アジアにおける古代・中世の切れ目を明確にしておらず,後漢末〜南宋をどちらに入れているのかが不明瞭になっている。他の地域は割と明瞭に区切っているので,意図的にこの期間を宙に浮かせているのかもしれない。1276年まで引っ張っているとするとこれは豪快な構成で,中国の中世は100年にも満たない元朝のみということになる。


【中央アジア(中央ユーラシア)】
・山川『詳説世界史』:840年
・山川『新世界史』:220年
・東京書籍:1038年
・実教出版:840年
・帝国書院:840年

 マジョリティの840年はウイグル帝国の滅亡であり,これを契機にトルコ系の西走が本格化する。同時期にはちょうど西からイスラーム教の浸透が始まっており,確かにトルコ化とイスラーム化をもって中央アジアの中世とするのがわかりやすい(トルコ化もイスラーム化も数百年かかった現象であり,それらの進行自体が中央アジアの中世と言える)。また840年というと唐の末期であり,唐の衰退・滅亡は朝鮮半島やベトナムの王朝交代,日本の遣唐使停止といったように他地域に強く影響を及ぼした。ウイグル帝国の滅亡もその先駆けと捉えると,隣接地域との関連性も見えやすい。
 山川『新世界史』は東アジアと完全に同期させていて,理由も東アジアに書いた通りである。他の教科書よりも隔絶して早いが,理由がわかれば違和感はない。
 東京書籍はなんとセルジューク朝の成立まで古代を引っ張っている。これは極めて特徴的な構成で,イスラーム教の勃興を古代史に入れない原則の数少ない例外である。この構成は完全に謎で,メリットも思いつかない。


【南アジア(インド)】
・山川『詳説世界史』:不明瞭,章立て上は10〜11世紀頃まで
・山川『新世界史』:550年頃(グプタ朝の滅亡)
・東京書籍:不明瞭,章立て上は10〜11世紀頃まで
・実教出版:不明瞭,章立て上は10〜11世紀頃まで
・帝国書院:不明瞭,章立て上は10〜11世紀頃まで

 まず,南アジアの古代・中世とはというところから書かなければならないだろう。学術領域では意外とちゃんと共通見解があるようで,グプタ朝の滅亡(550年頃)またはヴァルダナ朝の滅亡(647年)をもって中世に入るとするのが一般的なようだ。たとえば,最近出た『岩波講座 世界歴史 04 南アジアと東南アジア 〜15世紀』も,やはりヴァルダナ朝滅亡をもって中世と見なしている(p.22等)。私の意見もこれと一致する。ヴァルダナ朝滅亡後に,北インドは群雄割拠のラージプート時代に入る。グプタ朝末期の頃から遊牧民の侵入があって,土地を媒介にした政治・社会制度が生まれて小領主が乱立し,商工業や貨幣経済が衰退しているから,いろいろと他地域の中世に近い。中世の後半からイスラーム系王朝の進出が始まり,ムガル帝国の成立をもって近世に入る。南インドはやや事情が異なるものの,同時期から海上交易の相手がムスリム商人に変わっていくことをもって,同時期を区切りとしてよいだろう。
 そこからすると,多くの高校世界史の教科書がとっている10〜11世紀頃は不自然な切れ目のように見える。しかし,これは実際に本文を読んでみると謎が解ける。実は各教科書とも,グプタ朝滅亡またはヴァルダナ朝滅亡をもって時代が大きく変わったことを明確に記述している。だが,そこで章を区切っていないのだ。では古代の章に中世の説明を入れ込んでしまっているのはなぜか。その理由も読んでみると明白で,高校世界史上の中世のインド史はイスラーム教の進出というトピック以外はほとんど説明すべきことがなく,独立した章立てをする分量がない。ラージプート時代・バクティ運動・チョーラ朝の名前を出してほぼ終わりである。こうした事情から中世のインド史を二分割し,ヒンドゥー教・仏教の話題は古代南アジア史の章で消化,イスラーム教の進出は中世の中東の章に記述するという苦肉の策をとっているのではないだろうか。結果的に,中世の南アジア史で独立した章を置いている教科書は『新世界史』しかない。


【東南アジア】
・山川『詳説世界史』:不明瞭,章立て上は13〜14世紀頃まで
・山川『新世界史』:6世紀
・東京書籍:9世紀
・実教出版:9世紀

・帝国書院:不明瞭,章立て上は13〜14世紀頃まで
 東南アジアも南アジアと同様に,教科書上の切れ目が不明瞭である。しかし南アジアと違うのは,そもそも古代と中世の区分にあまり意味が無く,不要と言ってもいいことだろう。入試問題でも「中世の東南アジア」というような言い回しはめったに見ない。さらに言えば,大陸部と島嶼部で時代の大きな変わり目,画期が異なるので,東南アジアという単位で切れ目を作るのが難しいという事情もありそうだ。明確な切れ目がないということは,逆に言えばそこに教科書執筆者の歴史観が現れやすいということで,細かく見ていくとなかなか面白い。
 専門家の見解はどうだろうと探してみると,たとえば2021年に出た岩波新書『東南アジア史10講』は第2講の章題を「中世国家の展開 10〜14世紀」としている(目次を参照のこと)。とすると古代史は9世紀までということになるが,これは東京書籍と実教出版が同じ見解である。確かに9世紀と10世紀は島嶼部の覇者シュリーヴィジャヤとシャイレンドラ朝が衰退し,三仏斉とクディリ朝が成立する。海上交易でも中国の民間商人が来航するようになって朝貢貿易と並立するようになるという大きな変化がある。大陸部は9世紀までの範囲だとまだほとんど語ることがなく,実質的な語りはアンコール朝・李朝・パガン朝が出そろう10世紀からと踏ん切りをつけやすい。
 山川『詳説世界史』と帝国書院の13〜14世紀は,島嶼部のイスラーム化が始まる頃で,ここでもイスラーム教の勃興・浸透がその地域の中世の始まりという思想が貫徹している。しかし,この切り方は弊害も大きい。上述の通り東南アジアの近世は15世紀から始まるから,中世はほぼ存在しないということになってしまう。実際に山川『詳説世界史』を読むと,マラッカ王国の改宗が中世の中東の章で一瞬だけ出てきて終わる。南アジア史と同様,当然東南アジアの独立した章立ては無い。
 『新世界史』の6世紀は,7世紀のマラッカ海峡の開通をもって中世に入ったと見なしているためである。『新世界史』は東アジアの切れ目を220年とかなり早く置いているので,それに合わせて早めに切りたかったという背景もありそうだ。結果として扶南とチャンパーしか登場する王朝がなく,1ページ未満という極めて小さな節で終わっているが,潔さはある。


【まとめと感想】
 メジャーな構成をとっているのは山川『詳説世界史』と実教出版と帝国書院だが,『詳説世界史』と帝国書院は東アジア史をなんとかしてほしい。また両教科書とも東南アジア史の引っ張りすぎがちょっと気になる。実教出版の教科書はこれらの欠点も無く,よくまとまっている。
 山川『新世界史』は時代区分に最も強い意識がある分,意識が強すぎて特殊性が高い区切り方になった。しかし,理解できる理屈をちゃんと立てている点と,南アジアをきっちりとグプタ朝の滅亡で区切った点は評価したい。
 東京書籍はビザンツ帝国の置き方が特徴的で,実はルネサンスを中世末に置いている唯一の教科書でもある。執筆者によほどヨーロッパ史の時代区分にこだわりがある人がいそう。しかし,イスラーム教を古代史で扱わないという禁を破ってまで中央アジアを11世紀まで引っ張っているのがあまりにも不可解である。  
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2022年12月26日

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」

ここ10年ほどで大河ドラマを完走したのは「真田丸」以来である。お前,三谷幸喜作品しか見てないな? と言われるとはいそうですとしか答えようがない。これは私が三谷ファンだからということで許してほしい。「いだてん」は今にして思えば見ておいてもよかったかなと思う。

「真田丸」は,真田信繁という史実があまり残っていない,壮年期にのみ大活躍した記録が残っている人物を取り上げた。これによって,厳格な歴史考証陣営と綿密な考証を重ねて,可能な限り史実に寄せた青年期の約40回と,伝説上の真田幸村を描いた最後の約10回という切り分けを行って,バランスが問題になる歴史劇の史実と創作を上手く昇華させた。では,今回の鎌倉殿はどうか。この観点で見ると,本作は『吾妻鏡』をベースに描き,『吾妻鏡』が書いていない部分は自由に創作したという形になった。そのため最新の研究結果を上手く反映しているかと言われると,実のところ心もとない。実朝はもっと名君として描かれていてもよかったし,三浦義村はもっと裏の無い人物でもよかった。しかし,歴史劇は必ずしも史実に従わなくてよいのである,そこに上手い言い訳があれば。その言い訳として,北条義時を描くのだから『吾妻鏡』の映像化で何が悪い,と持ってきたのはさすがは三谷幸喜である。

その意味での白眉は実朝暗殺事件である。現在の最新の研究での最有力説である公暁単独犯行説に則りつつ,北条義時黒幕説や三浦義村黒幕説とも取れるような関与も残しつつ,北条義時が直前になって自主的に御剣役を源仲章に交代したように描いた。この展開であれば,『吾妻鏡』では「北条義時が体調不良で御剣役交代を申し出てきた」という方向の”改竄”になるのは納得できよう。そう,『吾妻鏡』の映像化でありつつも,『吾妻鏡』が北条氏の都合でどう歪められているかという発想で組み立てられたのが本作だったのだと思われるのだ。こうして史実とは違う,『吾妻鏡』とも少し違う,第三の鎌倉時代が成立した。

しかも,『吾妻鏡』ベースであることは作品の外ではずっと言われていたが,作中でそれを明言したのは最終話というのも良かった。それを徳川家康が読んでいるという形で紹介したのは,純粋に来年の大河ドラマへのサービスであろうが,直接的に『吾妻鏡』に言及してしまうよりも面白い仕掛けであった。

物語全体を見ると本作は北条義時の闇落ち物語が大半を占めていた。このスライドが絶妙で,最初は源頼朝の家臣として,鎌倉を守るためそのやり方を学んで仕方なく……という言い訳があった。視聴者にインパクトがあったのは第15話「足固めの儀式」で,序盤の名脇役だった上総介広常が討たれた回である。討った後に頼朝が「武功を立てれば恩賞を与えるから忠誠を尽くせ」というようなことを言っていたが,これは実は極めて重要なセリフである。当時の荘園の管理人である荘官の任免権は,荘園の上位の領主である都の貴族や寺社が握っていた。この任免権を勝手に武家の棟梁が握ってしまったのが頼朝の時代を変えた改革であり,これを東国に限定して朝廷から追認させたのが寿永二年十月の宣旨である。歴史家によっては寿永二年十月の宣旨をもって鎌倉幕府の成立と見なす人もいるが,その根拠はここにある(詳しくは伊藤俊一『荘園』を参照のこと)。上総介広常の誅殺は同年のほぼ同じ頃であるから,この2つの出来事を結びつけたのがあの第15話だった……ということに後から気づいてちょっと感動した。

第二部,頼朝が亡くなってからは,義時がより陰謀の中心に近づいていくが,まだ自発的に陰謀を起こしていない。主には北条時政の権力欲が高まり,その流れに乗ったりあらがったりしているうちに,鎌倉の有力者が次々と死んでいく。比企能員を滅ぼす過程で,頼朝のやり方が正しかったという確信を得ていくのは視聴者を恐怖させた。最大のターニングポイントを選べと言われたら,第15話でなければこの30話が選ばれるだろう。さらに頼家を殺して,義時の中で守るべきものは「頼朝の血筋」か「鎌倉」という体制かという迷いが消えて完全に後者となった。そのために邪魔となるなら,親友の一人として描かれた畠山重忠を排除し,自らの父も排除した。こうしてたがの外れたダークヒーロー義時が完成した。和田合戦で見せた黒さは,わかっていても悲劇的であった。「真田丸」でもそうだったが,こういう宮中の陰謀劇を描かせると三谷幸喜は実に上手い。

忠誠の方向が鎌倉そのものなので実朝さえも軽んじた義時だが,自分と頼朝のやり方ではいつかだめになることはわかっていたからこその,泰時との「対立すればするほど絆が深まる不思議な親子」という関係に落ち着く。私は最終話は泰時が御成敗式目の草稿を書くシーンで終わるのではないかと予想していたが,当たらずとも遠からずだったかなと思う。泰時が後を継ぐ安心感は,先の歴史を知っているだけに,作中の登場人物よりも視聴者の方が感じていたかもしれない。


最後に,すでに48回を完走した「鎌倉殿の13人」ではあるが,放送前から大河ドラマにつきものの副読本,関連書籍が山のように出版されている。私もいくつか読んだが,必携レベルの書籍を1冊だけ挙げるなら
・坂井孝一『承久の乱』(中公新書)
を挙げておきたい。岩田慎平『北条義時』も悪くはないが,淡々としすぎていて事実を追っているだけという読後感であった。坂井氏の『承久の乱』は北条義時について書かれたものではないので人物像に迫っているわけではないから(むしろ後鳥羽上皇と源実朝の人物像にクローズアップしている),欲しい情報によっては的外れになるものの,背景知識になりうるものは非常に充実している。北条義時の人物像は「鎌倉殿の13人」の中で築かれたものでよいと割り切って,こちらで背景情報を補完するのが,今から読むなら良いだろうと思う。

  
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2022年08月28日

『「センター試験」を振り返る』を読む(2)実施概要編

・『「センター試験」を振り返る』(大学入試センター,2020年)
(1)から。予告通り,第三部の全年度の実施概要から,世界史A・Bの出題ミスに関する項目だけ拾い上げてみることにした。出題ミスのみで,問い合わせがあったこと等はどうでもいいものが多かったため省略している。こうして並べてみると1980年代前半の共通一次の開始直後は私大のようなミスが頻発しており,ノウハウが蓄積するまでの苦労が忍ばれる。共通一次が創設された理由の一つが「難問・奇問のあふれる大学入試に対する模範を示すこと」であったのだが,とはいえ当時は理想とすべき良問像そのものが固まっておらず,最初期の共通一次は現在で言うところの私大っぽい問題も多く,それも含めての試行錯誤期間だったと振り返ることができよう。

〇1980年の世界史,5
<問題>下線部� 銑イ�ら誤っている箇所を一つ選べ。【64】

��7世紀後半に朝鮮半島の統一に成功した新羅は,��唐の諸制度を受容し,中国風の��郡県支配による中央集権国家をめざした。この国では��骨品制と呼ばれる独自の身分制度が行われ,その都があった��慶州には,仏寺・王陵・古墳など新羅文化をしのばせる多くの遺跡が今に残っている。

<解答解説>
手持ちの資料に1980年の問題がなかったのだが,ある友人が調べてくれて判明した。� 銑イ�全部正しいので,正解が無い。大学入試センターは即日で「誤りがない場合は⓪をマークせよ」という問題訂正を出したが,訂正が全試験室に到達した時刻が試験時間終了間際だったため,解答番号[64]については全員に点を与えることとした,とのことである。気になるのは新羅が郡県制であったかどうかはおそらく当時であっても範囲外ということである。なお,調べてみると,当初は州郡県制が採用されていたが,統一後に州が形骸化して実質的な郡県制となった。しかし,州郡県制時代の州は州府のある郡を州直轄地としていたため,形骸化後もその旧直轄地の郡だけは州と呼ばれていたらしい。非常にややこしい。これも踏まえて考えると,この出題ミスの要因は,
・とりあえず全部正しい文章を作って後から1箇所を誤りにするつもりが作業を忘れ,検討チームが「��が正解なんだろう」と思い込んでそのまま校了した。
・共通一次の最初期なので範囲外を出してはダメと言う鉄則が守られておらず,かつ作問者が中途半端な知識で「新羅は統一後も州郡県制」と誤解したまま��を誤りとして作成し,検討チームも同様の思い込みでスルーしたまま,校了してしまった。
のいずれかであろうと思う。性善説(誤用)で考えるなら前者の方が可能性が高いだろうか。


〇1983年の世界史,第2問の問8
<問題>2 問8 次の文� 銑い里Δ舛�ら,誤りを含むものを一つ選べ。

� 〜廚�中国を統一したのち,遼は始めて華北の一部を領有した。
�◆〜廚寮硝綿�を支配していた西夏は,チンギス=ハンの軍に滅ぼされた。
�� 遼の支配下にあった女真(女直)族は,金を建てて遼を滅ぼした。
�ぁ.侫咼薀ぁ瓮魯鵑蓮す餽罎鮓気板蠅瓩晋紊貌鄙廚鯡任椶靴拭�

<解答解説>
�◆Ν�・�い論喫犬如き,�誤文=正解だが,それ以前の問題として「始めて」は「初めて」の誤植である。試験時間中に受験生から指摘があり,即座に訂正となった。いずれにせよ誤文だから正解が変わらずに済んだのではないか。それにしてもインターネットの無い当時で,よく訂正が間に合ったものだ。試験時間の序盤で指摘された上に,よほど手際が良かったのだろう。


〇1985年の世界史,第3問の問10
<問題>3 問10 下線部��(編註:ビルマ,マラヤ連邦)について述べた次の文� 銑い里Δ舛�ら,誤りを含むものを一つ選べ。

� ‖萋鷦\こβ臉錣了�,ビルマは日本の軍政下におかれた。
�◆‖萋鷦\こβ臉錣了�,マライは日本の軍政下におかれた。
�� ビルマとマラヤ連邦は,同じ年に独立した。
�ぁ.泪薀簣∨�は,のちにマレーシアとシンガポールに分離した。

<解答解説>
� Ν△論喫検き�はビルマ独立が1948年,マラヤ連邦独立が1957年なので誤文=正解。�い癲ぅ泪薀簣∨�にシンガポールが含まれないので誤文=正解。マラヤ連邦にシンガポールとボルネオ北部が合体してマレーシアとなり,その後シンガポールが分離した。マラヤ連邦にシンガポールが含まれていないというのは早慶レベルの知識であるが範囲内ではあるので,よくできる受験生ほど困ったのではないかと想像される。約35年前の早慶受験生の心情やいかに。大学入試センター当局から��・�い諒�数正解を認める旨の発表があったとのこと。


〇1986年の世界史,第3問の問8の点字の問題文
<問題>3 問8 下線部�┐亡慙△靴董�(ハ)の地域(編註:地図中の山東省の位置に(ハ)と印字されている)にある膠州湾について述べた次の文� 銑い里Δ舛�ら,正しいものを一つ選べ。
(選択肢は省略)

<解答解説>
本問について,点字では漢字が表現できず,地図を表示できないため,「膠州湾」と「広州湾」が区別できないという指摘が入ったらしく,点字版は「コウシュウ」から「ニカワのコウシュウ」に変更するという訂正があった。点字に限定した問題の訂正であり,極めて珍しい。厳密に言えば出題ミスではないが,記録の意味で記載しておく。


〇1992年の世界史,第2問
<問題>2 1368年に建国した明では,永楽帝が��1402年に遷都を行い,また使節を南海に派遣するなど対外的な積極策をとった。

問1 下線部�,寮睫世箸靴得気靴い發里髻ぜ,劉 銑い里Δ舛�ら一つ選べ。

� …弘造�ら洛陽への遷都であり,これによって黄河中・下流域を制圧した。
�◆〕賤曚�ら南京への遷都であり,漢民族の建てた王朝として初めて長江以南に都を置いた。
�� 開封から臨安への遷都であり,これによって経済的に発展していた江南をおさえることができた。
�ぁ‘邉�から北京への遷都であり,漢民族の中国統一王朝として初めて北京に都を置いた。

<解答解説>
素直に考えれば�い�正解だが,永楽帝の遷都は1402年ではなく1421年である。受験生がよくやる勘違いで,1402年は靖難の役が終わって永楽帝が南京政府を滅ぼした年であるが,実際にはその後すぐに北京に遷都したわけではなく,しばらくは南京にいた。確かにほとんどの教科書は大体この約20年をひとまとめに説明してしまうので,いかにも1402年に遷都したかのような印象を持ってしまう。だが,世界史の専門家がしていい勘違いではないだろう。大学入試センター当局から全員正解にした旨の発表があったとのこと。


〇1998年の世界史B,第4問の問8
<問題>4 問8 下線部�┐亡慙△靴董ぅ凜Д肇淵爐瞭販�運動について述べた文として誤っているものを,次の� 銑い里Δ舛�ら一つ選べ。

� ‘販�運動を支える人材育成のため,19世紀末から東遊(ドンズー)運動が盛んになった。
�◆.侫.鵝瓮椒ぁ瓮船礇Δ蕕蓮ぐ歐群颪魴訐�し,反仏闘争を推進した。
�� 陳独秀らが結成したインドシナ共産党は,独立運動の主体となった。
�ぁ‖萋鷦\こβ臉鏝紂ぅ凜Д肇淵爐量餌臆鯤�闘争は,インドシナ戦争へと展開していった。

<解答解説>
�,�「19世紀末から」が「20世紀初頭から」の誤り=正解。�△論喫検���は陳独秀が誤り=正解。�い論喫検�というわけで� Ν�の複数正解である。大学入試センターから�,論喫犬料枋蠅任△辰燭�設定ミスであった旨の発表があり,複数正解となった。東遊運動はファン=ボイ=チャウが1904年に維新会を結成し,翌年に本人が来日し,同時期に日露戦争で日本が勝利したことで活発になった。そのため1905年に始まったとするのが通念である。出題ミスという判断は妥当であり,このような私大のような出題ミスをセンター試験が出していたのは,全く知らなかったので驚きであった。私は本問を受験生時代に過去問として解いているはずだが,全く記憶にない。赤本等は収録時に問題文を勝手に修正する癖があるので,20世紀初頭に直っていたのかもしれない。


〇2003年の世界史B,第2問の文章A
<問題>2 A 古代ギリシア・ローマではできる限り正確な世界地図を作ろうとする試みがなされた。下図は,2世紀ごろ活躍したアレクサンドリア出身の〔 �  佑僕獲茲垢襪箸気譴訝録泙任△襦C羸い貌�ると〔 �  佑涼録泙亘困譴蕕譟ぅ�リスト教の世界観を投影した「世界図」が作られるようになった。しかし,13世紀になるとイタリアでは,商業の発達に伴い,実用的な地図が作製されるようになる。その後��ルネサンス期に〔 �  佑涼録泙�再発見され,それが印刷術によって普及したこと,そして��大航海時代が到来したことなどによって,ヨーロッパにおいて正確な地図を作る本格的な試みが始まった。

問1 〔 �  佑凌擁�は,天動説を体系化して,後のヨーロッパの天文学に大きな影響を与えたことで知られている。この人物の名として正しいものを,次の� 銑い里Δ舛�ら一つ選べ。

� .廛襯織襯灰�
�◆.廛肇譽泪ぅ�ス
�� エウクレイデス
�ぁ.團織乾薀�

<解答解説>
素直に解答するなら�△離廛肇譽泪ぅ�スが正解だが,プトレマイオスはアレクサンドリアで活躍したが出身地は不詳である。「アレクサンドリア出身」という表現はあやういのではないかという指摘が当時にあったらしく,「プトレマイオスをアレクサンドリア出身とする教科書があったのでこれによったが,学術的には確認できなかった」として,「出身」の部分を事後的に削除とする措置がとられた。アレクサンドリア出身という事実が完全に否定されたわけではないので,問1を出題ミスとせず残したのは問題のない判断だったと思われる。本問も厳密には出題ミスではないが,事例として面白いので紹介しておく。


〇2008年の世界史A,第2問の問9
<問題>2 問9 下線部��に関連して,原子力発電や核実験について述べた文として正しいものを,次の��~�い里Δ舛�ら一つ選べ。

� 仝胸厠枠�電は,19 世紀に実用化された。
�◆.▲瓮螢�合衆国のスリーマイル島で,原子力発電所の事故が起こった。
�� 日本とアメリカ合衆国は,1963 年に部分的核実験停止(禁止)条約に調印した。
�ぁ|羚颪蓮�1980 年代に初めて核実験に成功した。

<解答解説>
�,�20世紀半ばの誤り。�い�1960年代の誤り。�△�正文=正解。��が審議の対象で,部分的核実験禁止条約は一般にアメリカ・イギリス・ソ連の締結によって成立したとされるが,調印したかどうかで言えば,成立直後に多くの国が調印している。当然に日本も1963年の当年のうちに調印しているから,��もまた正文=正解になってしまう。ここは��の文は「に調印した」を「を成立させた」と変えるか,日本の部分を2008年当時にPTBT未加盟国に変えるべきであった。大学入試センターから�◆Ν�いずれも正解とした旨の発表があった。

2015年・2020年の出題ミスはブログに取り上げた通り。2004年から2014年まで世界史Bはノーミスだったことから,2015年の出題ミスは「まさかセンター試験が」というような取り上げられ方だった覚えがある。しかしこうして振り返ると実はこの期間以外は5年に1回くらい何かしらあったということがわかった。
〇2015年:2015年度センター試験地歴の「やらかし」について
◯2020年:2020受験世界史悪問・難問・奇問集 その3(国立大)


その他の事件簿も相当に面白い。長くなるのでここに書き連ねるのは避けるが,1983年のココア缶破裂事件,1985年の数学「昭和の米騒動」事件,2005年の偶然の的中事件と英語のありえない天気予報事件,2019年英語リスニング「羽根ニンジン」事件(これはp.42でも作成秘話が語られている)辺りが好き。ココア缶破裂事件はなんというか牧歌的である。大学入試センターがこれだけ細かく話題を拾っているのには驚いたが,ここまでネタを拾っているのにPat様には触れていないのは不思議といえば不思議かも。あとは現代文・古文で話題になったものには触れていないので,そういう拾い方なのかもしれない。  
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2022年08月06日

早稲田大・文学部&文化構想学部・世界史の入試問題で掲載された西洋美術作品リスト

<序>
大学受験では,大学・学部・日程ごとの傾向をつかむことが重要とされ,こと世界史においてそれは記号選択や論述の量といった出題形式と,出題される時代・地域・分野の偏りと解される。中世・近世ヨーロッパ史の出題が確実にある一橋大や,中国史の出題割合が高い名古屋大や立命館大などがその代表例であろう。その中で今回クローズアップするのは,早稲田大の文化構想学部・文学部では西洋美術史を扱った出題が必ず存在し,多くの作品の図版が掲載されるという点である。しかも,ほぼ必ず最後の大問にまとまって置かれているところまで定型で,これは極めて特徴的である。文化史の出題が多い傾向を持つ入試問題自体がさほど多くない中,さらに細分化された西洋美術史から必ず出題されるというのは類例を見ない。文学部に進む者は中国思想を志そうが社会学を志そうが西洋美術史は必ずたしなんでおくべしという強い意識が見られる。なお,例のモノクロで青磁・白磁を判別させる問題が出たことがあるように,東洋美術史の作品掲載も無いわけではないが,数年に一度程度であり,西洋美術史に比べると格段に出題頻度が劣る。早稲田大の文化構想学部・文学部の入試問題において西洋美術史は特権的な地位を占めている。

そこで,完全な興味本位で本稿は入試問題で掲載されている西洋美術史の作品をリストアップしてみることにした。注意点として,本稿は実際の問題を分析しているわけではない。たとえば2022年の入試問題では《ヴィーナスの誕生》の作品名が問われているが,これはボッティチェッリという作者名のみがヒントで,《ヴィーナスの誕生》の図版は掲載されていない。本稿ではこうした文字のみの出題をカウントしていない。こういうのまでカウントして「〇〇が出やすい!」という分析をするのは高校教員や予備校講師の皆様の仕事なのでそちらに譲りたく,本稿の目的ではない。また,受験生が本リストを暗記するのは推奨しない。たとえば,このリストにはテオドール=ルソーやプッサンの名前が登場するが,これらは直接出題されたわけではなく,関連して別の画家や様式が問われている。つまり,彼らを知らなくても解答に支障がない。とはいえ,掲載されている作品の時代・地域・様式に関連した出題が多く,明確な相関関係があるので,本リストが受験対策として役立たないわけではない。大雑把な傾向をつかむことはできよう。


<調査対象とリスト>
調査期間について。早稲田大学の文学部系統は長く第一文学部と第二文学部であったが,実はどちらも地歴で受験ができなかった。2003年に第一文学部で小論文に代わって世界史または日本史が課せられるようになった。また2007年に組織改編があって第二文学部が廃止となり,文学部と文化構想学部の二学部体制となって,どちらの学部も世界史または日本史が必須となった。このため調査範囲は2003年以降の(第一)文学部と,2007年以降の文化構想学部になる。したがって全20年間・36日程分である。直近5年以内の掲載のものは赤色,第一文学部時代の掲載は緑色,残った2007-17年の掲載は黒色とした。例によって,livedoorブログの設定の都合でExcelの表を直接貼り付けられないので,文字データがほしい人のために,はてなブログの方にもリストを貼っておく。様式分類などは半ば便宜上そうした画家もいるので,「なんでマネが印象派なんだよぶっ◯すぞ」というような文句はご容赦いただきたい。それも含めて趣味的なまとめである点はご理解いただけると幸いである。良い絵がいっぱい載ってるなーという感じで読んでほしい。

以下のリストを見てもらえばわかる通り,緑色がほとんどなく,つまり第一文学部時代は作品を掲載する傾向は無く,文学部・文化構想学部体制になってから生まれたということがわかる。また,赤字になっている作品が多いことから推測できるように,実は作品を大量に掲載するようになったのは2017年度以降である。最後の大問で西洋美術史の作品を載せる伝統自体は15年ほどの伝統があるものの,直近6年ほどで傾向が少し強まったと言えるかもしれない。

早大・文学部・西洋美術史作品リスト1


早大・文学部・西洋美術史作品リスト2


<分析と感想>
ぱっと見でイタリア=ルネサンス・17世紀オランダ美術・印象派・キュビスムの4つが圧倒して多い。このうちキュビスム以外は教科書上の扱いも比較的大きく,他大学でも出るから不思議ではないが,キュビスムは完全に「傾向」と言える。この4つの中でも印象派作品の掲載は目立ち,ポスト印象派も含めると36日程で21枚の掲載で,特に直近5年は文学部か文化構想学部のどちらかで必ず(ポスト)印象派が掲載されている。適当な(ポスト)印象派の絵画が見たければ,文学部・文化構想学部の問題冊子の最後のページを開けばよさそうだ。

画家別に言えば,最多はマネの8枚,次点がピカソとミケランジェロの6枚である。ビザンツ様式から6枚掲載されているのもかなり多い。作品別で見ると3枚が最高で複数の作品が該当する。6枚掲載のミケランジェロが《アダムの創造》と《ダヴィデ像》に偏っていることに注目に値する。教科書的によく載っているのは《最後の審判》であるが,易しすぎるから避けられているのだろうか。同様にピカソも教科書的には《ゲルニカ》しか習わないが,4作品掲載と散っている。これも《ゲルニカ》は易しすぎるという判断だろうか。

8枚登場のマネは《笛を吹く少年》が3枚とやや多いのが面白い。もちろん《笛を吹く少年》もマネの代表作であるが,美術史上でより重要なのは《草上の昼食》と《オランピア》である。まあ,マネの場合は以前論じたような状況であるので,美術史上の重要性に比してどの作品も大して教科書や資料集に載っていないから,何を載せても大差は無いのだが……それにしても,《モニエ通りの舗装工事》のようなマイナーな作品を用いているのは相当に出題者のこだわりが現れている。実際の入試問題を解いてみると《モニエ通りの舗装工事》はパリ市大改造を行ったセーヌ県知事「オスマン」を問うための素材で,実際の出題は西洋美術史に全くかかわっていないから,本当に載せたかっただけなのではと思う。(なお,作問者と思しき方が『CE建設業界』という日本土木工業協会の機関誌の連載記事で《モニエ通りの舗装工事》を取り上げていたのを見つけたので,かなり強い思い入れがありそう。)

逆に明らかに少ないのが18世紀末から19世紀半ばの美術,新古典主義・ロマン主義・写実主義・自然主義あたりである。私もリストアップしてみて,ダヴィド・アングル・クールベが36日程で各1枚しか掲載されていなかったことに驚いた。写実主義・自然主義は印象派からすると隣接する様式であるから,余計に少なさが目立つ。

美術史学やそれに類する研究室にいる教員の専門分野は,早稲田大のホームページを見ればわかる。彼らの専門分野を総合すると,ビザンツ美術,ロマネスク美術〜バロック期のイタリア美術,印象派〜20世紀美術というところになる。ここから考えるとイタリア=ルネサンス,印象派,キュビスムの掲載が多いのは当然で,ビザンツ様式が多いのも納得がいく。一方, 17世紀オランダ美術の掲載が多いのは教員の専門分野と全く重ならない面白い現象である。美術史上の重要性から言えば別におかしくはないとはいえ,その理屈だと新古典主義〜自然主義が少ない理由に説明がつかない。教員のどなたかが「専門分野ではないけど大好き」だったりするのだろうか。

最後に,その他に個別に興味深い作品を取り上げておく。まず,古代ギリシアの《エルギン=マーブル》。これは2022年に出題され,例の企画で難問に分類した。この他に,教科書・資料集にあまり載っていない作品を直接出題したために難問判定が下されたのはベラスケスの《ブレダの開城》で,2012年の出題。これは作品を知らないとベラスケスかルーベンスかの判断は不可能だろう。とはいえ作品がマイナーすぎて難問になったのはこれらと後述するコルビュジェの合わせて3つだけで,この特徴的な西洋美術史の出題からの難問は比較的少ないと言える。アンドレイ=ルブリョフは15世紀前半に活躍したロシアの代表的なイコン画家であるが,タルコフスキーが映画化したことの方が有名かもしれない。

ユディト=レイステルは17世紀のオランダで活躍した女性画家で,2022年の問題に登場した。この年の文化構想学部のこの大問のテーマが女性画家であったためで,ヴィジェ・ルブランとベルト=モリゾも同様に2022年である。この大問は解いていて面白かったので,またこういう出題を期待したい。なお,ユディト=レイステルの作品は2018年の上野の森美術館のフェルメール展で来日しているので,本ブログの読者でも見たことがある人が意外と多いのではないか。ロマン主義の掲載が少ないのは前述の通りだが,にもかかわらずカスパー=ダーヴィト=フリードリヒが出ているのはちょっと嬉しい。2021年の文化構想学部の掲載で,出題は「この画家は文学史上のハイネと同じ様式に分類されている」というヒント付でロマン主義を問うものであった。言うまでもなくフリードリヒ単体では範囲外なので,詩人ハイネのヒントがなければ難問であった。《雲海を見下ろす散策者(雲海の上の旅人)》は『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』のパッケージ絵のアレ。

ディエゴ=リベラはメキシコ壁画運動の画家で,受験世界史ではシケイロスの方が見るから非常に珍しい。メキシコ壁画運動は以前は範囲外だったのだが,慶應大があまりにもシケイロスを出題したために教科書に掲載されるようになり,範囲内になってしまった。このディエゴ=リベラが出題された時も「ディエゴ=リベラやシケイロスが壁画運動を展開した国はどこか」という出題であった。岡本太郎が2018年の文学部,ディエゴ=リベラが2019年の文化構想学部の掲載なので,この2年間は早稲田大の一部で局所的なメキシコ壁画運動ブームだったのだろう。コルビュジェは2017年の出題で,2016年に国立西洋美術館が世界遺産になったことを受けての時事問題である。厳密に言えば範囲外だと思われるが,時事ネタだからセーフにするかどうか悩み,結局収録にしたという経緯があったのを覚えている。正答率がどの程度だったかは今でも気になっている。  
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2022年03月20日

2022受験世界史悪問・難問・奇問集 その3(国立大)

昨日の続き。本日の国立大でラスト。名古屋大が大きく報道されていた出題ミスを含む3つ,京大1つ。おまけで一橋大のレジェンドシリーズの解説を付した。千葉大と東京外大は未入手である。

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2022年03月19日

2022受験世界史悪問・難問・奇問集 その2(早稲田大)

昨日の続き。本日は早稲田大の残りをお届けする。

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2022年03月18日

2022受験世界史悪問・難問・奇問集 その1(慶應大・早稲田大途中まで)

今年も無事に公開に至ることができた。協力してくれる方々に感謝を申し上げたい。自分自身も例年より忙しさがやわらいだ2月で,少し書きやすかった。なお,3巻が発売しているので,2020年以前をまとめて読みたい方はこちらをお読みください。




<収録の基準と分類>
基準は例年とほぼ同じである。

出題ミス:どこをどうあがいても言い訳できない問題。解答不能,もしくは複数正解が認められるもの。
悪問:厳格に言えば出題ミスとみなしうる,国語的にしか解答が出せない問題。
→ 歴史的知識及び一般常識から「明確に」判断を下せず,作問者の心情を読み取らせるものは,世界史の問題ではない上に現代文の試験としても悪問である。
奇問:出題の意図が見えない,ないし意図は見えるが空回りしている問題。主に,歴史的知識及び一般常識から解答が導き出せないもの。
難問:一応歴史の問題ではあるが,受験世界史の範囲を大きく逸脱し,一般の受験生には根拠ある解答がまったく不可能な問題。本記事で言及する「受験世界史の範囲」は,「山川の『用語集』に頻度�,任發いい�らとりあえず記載があるもの」とした。


<総評>
昨年は17個と近年まれに見る少なさであったが,今年は30個に増加した。増加した理由であるが,まず昨年は文科省から高校の休校等への対応として入試を易しくするよう指示を出していて,これに対応した慶應大がそれなりに易しく,結果的に難問や悪問が少なかった。しかし,今年はそのような指示が無かったので元に戻り,特に法学部は2・3年前並のひどい状況になってしまった。また,早稲田大は(世界史のみならず他の教科・科目を含めて)出題が荒れ気味で,難しかったとか日本語が変とかいうよりも単純に校正ミスやら詰めの甘さやらでの問題不成立が多かった印象である。特に教育学部は,国語で爆発炎上していたが,世界史も同様に第三者の校正・検討がされていないと思しき出題ミスが多かった。新型コロナウイルス感染症対策で大学も疲弊しているのかもしれない。


以下,本編。

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2022年03月08日

布銭の研究には期待したい

・世界最古の貨幣鋳造所が見つかる、2600年前、中国(NATIONAL GEOGRAPHIC)
→ 春秋時代の晋,紀元前600年頃の布銭とのこと。中国では紀元前400年頃からの戦国時代ではこうした青銅貨幣が普及するが,紀元前600年頃というとそこからかなり遡るので古い。しかもその戦国時代の布銭とあまり形が変わらないように見える。記事中にもある通り,現在の金属貨幣で確認できる最古のものは紀元前600年頃の小アジア,リディア王国のエレクトロン貨とされているので,今回の布銭が実証されればそれに並ぶ世界最古の金属貨幣ということになる。しかもあちらは金銀合金で打刻貨幣だが,こちらは青銅貨幣の鋳造なので,材質も製造過程が違うということになって面白い。また記事中にある通り,エレクトロン貨の鋳造は打刻貨幣よりも少し後になるので,鋳造としては中国の方が古いという可能性も出てくる。以上のような理由からこれは世間で思われているよりも大きな発見に発展する可能性があり,高校世界史の教科書が書き換わるレベルのもので,これはぜひとも研究の進展を待ちたい。


・「普通なんですが…」ネットを騒がせる“眼科の愛新覚羅先生”が明かす、やっぱり凄い“わが半生”(文春オンライン)
→ 日本育ちだと思っていたのだけど,留学生だった。ご先祖をたどっていくと順治帝にあたり,一族は八旗の出身とのこと。記事中にもある通り,日本でたとえるなら江戸幕府の家光か家綱くらいのタイミングで生まれた分家の小さな親藩大名の子孫くらいのポジションだろうか。もっとも,徳川家は愛新覚羅家に比べると二代将軍以降からの分家が少なく,けっこう宗家が途絶えて分家から養子を迎えていたりするので比較が難しい。現に徳川家光の次子の綱重は分家(甲府藩)になるはずだったが,綱重の息子の家重が宗家の養子となって6代将軍に就任している。
→ 3ページめに出てくる学会でアメリカに行ったときのエピソードが強すぎるw。「「亡命なのか?」「大使館に伝えなくて大丈夫か?」みたいなことを真顔で尋ねられる」ことがある人は決して普通ではない。


・つい人に話したくなる 聖書考古学 第3回 家は洞穴!? 飼葉おけは石!?(月刊いのちのことば)
→ 半年くらい前のTwitterで「イエス・キリストは馬小屋で生まれたのかどうか」が議論になっていて,調べた時に一番参考になったページ。他の信頼できる書き手のページでも同じ説明があったので,これが現在最も信頼できる学説なのだと思われる。
→ イエスが馬小屋で生まれていないとすると外典にある洞窟が信憑できる説ということになるが,飼い葉桶がなぜ洞窟に? という謎はそもそも住居や家畜小屋(馬が飼われている可能性は低い)が当時は洞窟の中にあった,家畜は人間の近くで飼われていて小屋がそこまできれいに分かれていないという説明で解決する。本家の欧米のキリスト教徒も家畜小屋を描いちゃうことも考えると,日本人が別に家畜小屋で覚えていても別に深刻な問題にはならないのではないか。
→ 家畜小屋と馬小屋を峻別すべきかどうかは難しいところで,たとえば聖徳太子の出生伝説との混同を避けさせたいなら確かに峻別すべきなのだろう。しかしながら,21世紀の日本人には家畜小屋と馬小屋を区別しろと言われてもそもそも違いが全くわからない(馬小屋は家畜小屋の一種でしかないのでは?)わけで,あまり気にしない方が良さそうにも思う。  
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2022年03月03日

受験世界史(地歴公民)の論述問題とは何か

どちらかというと指導者層,または受験が終わった社会人向けの話題である(もちろん高校生・受験生が読んでもよい)と前置きした上で。

受験世界史(社会科,地歴公民)で論述問題が課されるのはなぜか。文章作成能力なら国語や小論文で問えばよいので,地歴公民は全て純粋な知識問題でよいのではないかというのはたまに聞かれる主張である。しかし,それらでは測れない能力があるからこそ,地歴公民にも論述問題はある。ここでは世界史に絞って解説する。本論が世間の議論に資することを期待して。


1.事件や歴史用語を説明させる問題
論述問題として最も多いのは,「◯◯について△△字以内で説明しなさい」というパターンで,○○には特定の事件や歴史用語が入る。たとえば,

エンコミエンダ制について説明しなさい(60字程度)。

これは実際に今年の慶應大・経済学部で出た問題を少し改変したものであるが,解答は以下。

「スペインがアメリカ大陸の植民者に対して現地の統治を委ね,キリスト教への改宗を条件に,先住民を労働力として使用するのを認めた制度。」(64字)

誰が解答しても概ね同じような解答になるし,知識があれば書ける。こんなのは別に語句記述問題なり選択問題なりでよいのではないか? と思われた方もいるだろう。しかし,これにはちゃんとした意味がある。受験生は,というよりも多くの人間は文章の作成を忌避する傾向があるので,問う内容が同じものを論述問題にした途端に白紙解答が急増する傾向があるのだ。したがって,文章作成に抵抗がある人間を振り落とすという効果のためだけでも,論述問題を課す意義はある。この意味で,共通テスト導入の際に現れた「共通テストには短い字数のものでかまわないし,どの教科でもよいから,何かしらの論述問題を入れるべき」という主張は理解できる(現実的困難を横に置いておけば)。ゆえに「50字や100字の短い字数では思考力は測れない」等という反論は,その通りではあれども,かえって現実が見えていない。そして,新規に提示された文章から読み取った内容で論述させるのではなく,あらかじめ自分の記憶の中にある知識から文章を作成されることは,国語では問いづらい。地歴公民ならばやりやすい。

そして,この種の問題でも,思考力が必要になるようにひねることはできる。字数を調整するか,要件を追加してやればよい。すると情報の取捨選択能力やより高度な国語力を新たに問うことができるようになる。たとえば上述の問題,慶應大・経済学部の指定は実際には以下の通りであった。

資料aの波線部αに関連して,エンコミエンダとはどのような制度か。説明しなさい。(40字程度)
(編註:資料aではエンコミエンダがフィリピンでも行われていたことが提示されている。波線部は「エンコミエンダ」)

つまり,上の解答から20字程度は削りつつ,問題文で提示された新規の情報も加味しなければならない。すると,エンコミエンダ制の核は植民者が先住民を恣意的に扱う権利を得たことにあるから,ここは死守する必要がある。この観点から言えば「統治を委託されたこと」と「労働力として用いるのを認められたこと」は同義であるから,片方だけ残せば問題ない。「キリスト教への改宗を条件に」は,エンコミエンダ制が世界史において取り上げられる理由の特徴であるから削れない。逆に「アメリカ大陸の」は問題文で提示された新規の情報に反するから,必ず削る必要がある。それでもまだ20字は削れないので,日本語も工夫の必要がある。結果的に解答は

「スペインが植民者に対して,キリスト教への改宗を条件に,先住民の使役を認めた制度。」(40字)

くらいになるだろう。末尾にはもちろん「統治を委託する」方を残してもいい。一見すると上述の設定とほぼ同じに見えて,なかなか高度な作業を求められていることがおわかりいただけるだろうか。こういうのを良い論述問題という。特に用語の説明文のどこに重きがあるかを見抜くのは,歴史の流れや背景を想起する必要がある,大仰に言えばその用語が教科書に載っている意義を認知している必要がある。自分がなぜその用語を覚えさせられたのか自覚するから,これはメタ認知的な話でもあるのだ。逆に作る側は,どうやったら解答者に重要性の勘案をさせられるかを意識する必要がある。


2.時系列や空間・ジャンル跳躍を整理させる問題
この種の問いは辞書の引き写し・要約では対応できなくなる。時空間概念のある「歴史」という科目の真骨頂であるかもしれない。また今年実際に出た問題から選ぶと,九州大の問題。

イスラーム世界のトルコ人の活動が,9世紀から10世紀にかけてどのように推移したか,その過程について,つぎの語句を全て用いて100字以内で説明しなさい。(サーマーン朝,ガズナ朝,アッバース朝)

定番のテーマなので,進学校・塾・予備校に通っていたなら書き慣れているだろう。しかし,教科書を読み込んできただけだとなかなか手ごわい。もちろん解答に必要な情報は主要5冊ならいずれも掲載されているが,本文にそのまま書いているわけではない。したがって,必要な情報は自分で再構成する必要がある。本問は必要な王朝がほぼ全て提示されているだけ易しいし優しいが,これが東大・阪大あたりになるとノーヒントになる。解答としてはマムルークとカラハン朝を自力で想起して,適所で使えるかが重要。

「9世紀にアッバース朝がトルコ人をマムルークとして活用し,これを強化したサーマーン朝の下で改宗が進んだ。10世紀に中央アジアのカラハン朝や,後にインドに進出したガズナ朝といったトルコ系王朝が自立した。」(98字)

本問はまだ与しやすい。必要な情報が全て近接した数ページに収まっているし,前述の通り定番のテーマなので事前に類題を解いておくという対応が可能である。世界史が苦手な受験生なら,一種の公式としてこのフレーズを脳内にたたきこんでおくという対応さえ可能だろう。したがって,より高度な能力を測るなら問題を変える必要があるが,その改変は容易である。時間または空間を引き延ばせば難易度が跳ね上がる。世界史の教科書は数百ページに及ぶ。しかも世界史は地域が乱れ飛ぶ。古代オリエントの次にギリシア・ローマが出てきて,中東とヨーロッパ史が6世紀くらいまで進んだかと思えば,次のページで前23世紀のインダス文明に飛ぶ。このインドがまた7世紀くらいまで進んだら,次はまた仰韶文化まで戻り,中国史が唐末まで進むと……という繰り返しである。日本史はまだしも一直線だが,こちらの場合は政治史・外交史・社会経済史・文化史でループするから,学習者が受ける印象は似たようなものだろう。

中央アジアも例外ではない。その良い事例は,やはり今年の東大の問題である。問題文が極めて長いので適当に省略するが(全文読みたい方はこちらへ),

(前段略)「以上のことを踏まえて,8世紀から19世紀までの時期におけるトルキスタンの歴史的展開を記述せよ。次の8つの語句をそれぞれ必ず一度は用い,その語句に下線を引くこと(アンカラの戦い,カラハン朝,乾隆帝,宋,トルコ=イスラーム文化,バーブル,ブハラ・ヒヴァ両ハン国,ホラズム朝)」(600字)

これは前出の九州大のものと比べ対象の時間が長く,難易度が非常に高い。1200年はあまりにも長い。教科書の章立てで言えば,山川『詳説世界史』全16章のうち5章分にまたがり,該当する情報がある教科書本文を全て抜粋すれば,優に数千字を越えるだろうし,それは数十ページずつ離れている。まずその全てを想起するだけでも大変だが,これを600字まで圧縮しなければならない。ここで必要なのは情報の重要性を勘案した上での取捨選択能力であるから,前出の種類の問題と同様にメタ認知的能力である。たとえば本問,「アンカラの戦い」が指定語句であるが,トルキスタンの歴史には直接関係がない。これは西トルキスタンから出てきたティムールが西アジアに進出した文脈で消化するしかないわけで,とすると相手側の情報はオスマン帝国であることを明示してもよいが,バヤジット1世は相対的に余分な情報になるから書くだけ字数の無駄になる。「宋」も西遼の成立の文脈で処理するしかないが,本問の文脈では徽宗なり耶律大石なりの名前は重要性が高くなく,ナイマンの西遼征服も事情として細かすぎるから加点される可能性は高くない……等の判断事項がある。

さて,読者諸氏はここに基準が2つ働いていることにお気づきだろうか。バヤジット1世も徽宗も世界史上疑う余地のない重要人物であるが,本問の要件から遠いために弾かれる。逆にナイマンは本問の要件には沿っているが,“他の事項に比べて”世界史上の重要性そのものが低いから不要と判断される。つまりここには二種類の網がある。現代文では前者の網しか用意できないし,そもそも網ですくい取られる不要な情報も試験の中にしか用意できないから,漁場そのものがどうしても狭くなる。尋常でなく広大な海を提示して,かつ網を二種類張るのは地歴公民科目の方が得意であるのは,ここまでの説明で理解されるだろう。また,記号問題は事実の正誤を問うのには適しているが,重要性の勘案は不得意である。ここにも論述問題の必要性がある。

ここで説明を終わらせてもいいが,さらに言えば「乾隆帝」の語句が指定されている意味にも言及しておこう。これは乾隆帝の征服時点では藩部であったのにイリ事件後に直轄領になる(あるいは支配が強化される)ことを書けということを示唆していて,暗にはその後の東トルキスタンの運命を想起せよということである。それが(21世紀まで引き伸ばした際の)トルキスタンの歴史的展開の”結末”であるのだから,19世紀末に起きたその前兆は,問題の要件に完全に沿うどころか要求の本命である。というように「乾隆帝」は漢字をど忘れした受験生のためのヒントではなく,ここに優しさは無い。受験生に求められている能力はこれがヒントではなく伏線であるという作問者の創意に気づくことでもあって,繰り返しになるが,やはりメタ認知的能力である。さらにメタなことを言えば,現在の新疆の状況に思いを馳せてほしいという作問者が込めたメッセージにまで考えが及ぶと本問は解きやすい。東大受験生にはここまでのメタのメタを読む注意力と読解力が求められるのだから,大変なものだ(他人事)。

ここでは時間を広くとる事例を挙げたが,同様に空間を広くとってもいい。たとえば東大は過去に「13〜14世紀のユーラシアの東西交流」を問うて,膨大な空間を記述させた。これも教科書的には配置がバラバラである。あるいはジャンルを跳躍させる論述問題もある。税制を媒介させれば政治史と経済史が交わるし,宗教を媒介させれば政治史と社会史が結びつきやすい。高校生は政治史は政治史として,社会経済史はそれとして通して習うので,跳躍されると混乱する。これらでも膨大な関連事項から関連性の高い事項だけを取捨選択する力を問うことができる。


3.用語説明でも時系列でもないものを問う問題,(擬似的な)比較の問題
ちょっと特殊な問題である。正確な知識があることは前提で,特定の時代や地域の様相・風潮を答えさせたり,ド直球に歴史的意義を聞いたりする。1・2のパターンよりも難度は高い。これも今年の問題を引用することにして,阪大から。

資料3が示す事件の背景には,フランスが最終的に軍事的な介入を断念したという事情もあった。その理由を,当時のフランスの内政・外政の状況を踏まえて説明しなさい。(100字以内)
(編註:資料3は1804年のハイチ独立の際にハイチ人が発表した外交文書)

ハイチ独立は当然教科書に書いてある。ナポレオンの事績もある。しかし,その関連というと書いていない。ゆえに,習った内容を想起して自分で介入が断念された事情を考えなければならない。2の時系列を追うパターンは十分に習熟した受験生なら関連事象を書ききれないほど想起できる。ゆえに重要性を勘案した取捨選択の必要が出てくるが,本問は何を想起したらいいのか,何が関連事象なのかを考えるところから始まる。必要な思考回路が違うのである。本問の場合は年号を手がかりにアミアンの和約の破棄と第一帝政の樹立による第三回対仏大同盟の結成,長期化する革命戦争,1803年のルイジアナ売却を想起して,フランスの軍事的困難・財政難・西半球からの退潮に結び付けることになる。知識は標準的なものしか必要がないが,阪大受験生を相手にするにふさわしい,高度な思考力が問われていると思う。ここに来てメタ認知的ではないのはちょっと面白い。なお,この種の問題の欠点は作問者に多大な力量が求められてしまう点で,自分の大学の受験生の知識や思考力を見誤ったり,自分が専門領域としない分野から作問したりすると,良問が超難問に様変わりし,最悪の場合は破綻して解答不能になる。そのような事例は『絶対に解けない受験世界史』シリーズで多数取り上げている通り。

比較の問題も面白い。たとえば今年の京大の問題。

民主政アテネと共和政ローマでは,成人男性市民が一定の政治参加を果たしたとされるが,両者には大きな違いが存在した。両者の違いに留意しつつ,アテネについてはペルシア戦争以降,ローマについては前4世紀と前3世紀を対象に,国政の中心を担った機関とその構成員の実態を,300字以内で説明せよ。

民主政アテネも共和政ローマもよく学習するところであるが,教科書上では比較されていない。したがってその相違点は自力で探すことになる。しかも,この比較はあまりにも頻出であるので進学校・塾・予備校では間違いなく練習させられてきているものだが,紋切り型の解答をされるのを避けるために「その構成員の実態」という見慣れぬ要件を付しているのが面白い。直接民主政の徹底と寡頭政の維持という解答から一歩踏み出して,社会の流動性の違いに言及できるかどうかは,間違いなく高度な思考力が問われているだろう。ところでこれ作問者はおそらくサウスでリバーな先生……の後継者の方ですよね。



以上,見てきたように,受験世界史の論述は出題のパターンが多岐に渡り,様々なタイプの思考力を問うことが可能である。またそのうちの多くが重要性を勘案する力,メタ認知的能力に結びついていることも理解されよう。大学の教員の方々には作問の参考になればこんなに嬉しいことはなく,受験からはすでに離れている方々には,入試問題はこうやって作られているのかという参考になれば幸いである。また受験生には(この記事を最後まで読んだ人は極少数であろうが),本記事自体がメタ認知的能力の向上に役立つなら望外の喜びである。  
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2021年12月14日

ゴヤとマネという様式分類上の困難を高校世界史でどう扱うか

久しぶりの高校世界史深掘りシリーズ。

言うまでもなく,様式史とは同時代または後世の人間による整理である。ゆえに画家個人を必ずどれかの様式に入れないといけないわけではない。実際に,どうにも分類しがたい画家は存在する。しかし,専門家や好事家はともかく,一般教養や高校世界史のレベルだと,有名な画家をどこかしらのグループに入れることが要請される。この画家は一人一派なので型にはまらないのです,という説明を通すのは難しい(なぜ難しいのかわからないという人はすでに世間の知的水準や感覚から遊離している自覚を持つべし)。どこのグループにも入らない理由の説明をしようものなら,世の中には一般教養として求められるものが無数にあるのだから,込み入った事情を把握するくらいなら別のものを学んだほうが効率がいい,という反応をされてしまうのが常である。これは知っていてほしいと思う側にも望ましくない状況で本末転倒である。だから,一般教養や高校世界史のレベルの大画家は,何かしらの様式に無理矢理押し込めてしまうか,マイナー視されることは覚悟の上で押し通すか,いずれかしかない。

この一人一派になりがちな大画家の代表例が,ゴヤとマネである。共通しているのはどちらも「近代絵画の父」という呼称があることで,これ自体,彼らが通常の様式史に当てはめにくいことをよく表している。「近代絵画」という言葉は指す範囲がとてもファジーで,ゴヤを「父」と呼ぶ場合はロマン主義以降が,マネをそう呼ぶ場合は印象派以降が「近代絵画」なのだろう。それこそ,その了解がある人たちの間ではそんなファジーな「近代絵画」でも通るだろうが,世間様はそれを許してはくれまい。

特に高校世界史では,政治史や社会経済史に比べると文化史は明らかな「おまけ」である。ただでさえ限られている教科書の紙幅を「おまけ」に大きく割くわけにいかないから,そもそも込み入った説明ができる文章を書けないという事情もある。では,高校世界史上の扱いとともにゴヤとマネを見ていこう。使うのはいつもの世界史Bの受験用の教科書5冊と,山川の『世界史用語集』『詳説世界史研究』,それと今回は美術史の話題なので山川・浜島・帝国書院の3冊の資料集にも登場してもらった。


〔ゴヤ〕
ゴヤはスペインの宮廷画家であったから旧時代のロココ様式の要素もあるし,同時に新時代のロマン主義を切り開いたという要素もある。彼が画業の前半に多く描いていた王族や貴族の肖像画はロココ様式である。一方で,《1808年5月3日》や《我が子を食らうサトゥルヌス》はロマン主義的な作品と言えよう。その意味では《巨人》もロマン主義的で良い作品だったのだが,これはゴヤが作者ではないと否定されたため,ゴヤの分類を難しくしたと思われる。さらに《裸のマハ》はクールベや,まさにマネの《オランピア》の先取りであって,確かに「近代絵画の先駆的肖像画」とでもごまかしたくなる。あえて言えば写実主義的だろうか。

さて,こういう困った時は,様式とは時代精神を表す言葉でもあるので当時の流行を参照し,「ちょっと画風が外れるけど時代が同じだから」という理由でそこに押し込めてしまうという技も無いわけではない。しかし,ゴヤが活躍した18世紀末から19世紀初頭は新古典主義の時代にあたるので,今度はそれがロココ様式でもロマン主義でもないという問題が浮上する。ロココ様式は飽きられつつあり,ロマン主義はまだ勃興途上なのだ。

加えて,高校世界史では別の困った事情も交錯する。高校世界史では,ロマン主義美術の中心地はフランスと教えられるため,実質的にドラクロワ以外はいなかったことにされがちなのだ。少し美術史に詳しい人,上述の好事家に当たるような人たちなら「あれ,ターナーは? フリードリヒは?」と気づくと思うが,ターナーは『新世界史』以外に記載がなく,用語集は未収録である。フリードリヒも『詳説世界史研究』にのみ記載あり。このような状況なので,ターナーやフリードリヒを差し置いて,明確なロマン主義というわけでもないゴヤを「実はスペインにもロマン主義美術がありました,てへ☆」と今更説明を書き換えて加えるわけにもいかない。どうしようもない状況になってしまっている。

これを高校世界史の教科書ではどう処理しているか。これがかなりの反則技で,多くの教科書はゴヤはなるべく政治史で登場させて文化史の俎上に載せていないのである。ナポレオンの半島戦争の文脈の挿絵で《1808年5月3日》を掲載して,ナショナリズムの芽生えを描いた画家とすることで,様式の分類を回避してしまうのだ。

実際の教科書5冊の様子は以下の通り。反則技で回避した教科書が多数派である。
【上述の反則技で回避】
・山川『詳説世界史』
・東京書籍『世界史』
・実教出版『世界史』

【掲載なし】
・山川『新世界史』:教科書のどこにも掲載なし。
【文化史上で扱う:一人一派】
・帝国書院『新詳世界史』:ゴヤは「その他 近代絵画の祖」と説明。

参考書5冊の場合は以下。教科書に比べると,まっとうに文化史で扱おうとしている。
【掲載なし】
・山川『詳説世界史研究』:まさかの掲載なし。政治史のところにすら出てこない。こうなると逆にロマン主義にフリードリヒを載せているのは恐れ多い。もちろんカスパー=ダーヴィト=フリードリヒは西洋美術史上に燦然と輝く一線級の画家であるが,さすがにゴヤを差し置いて日本人の教養であるべきとは思わない。
【文化史で扱う:様式分類は割愛】
・山川『用語集』:様式を「その他」としているわけではなく,説明文で一切触れていない。用語の配列を見ても置きどころがないから仕方なく19世紀美術の冒頭,新古典主義のダヴィドの手前に置いたという感じで,明らかに扱いに困っている。ところで用語集はゴヤの教科書掲載頻度を��としていたのだが,上述の通りの5冊だけ見ても4冊に掲載がある。どの教科書での掲載を見落としたのか。
・山川『世界史図録』:特に説明無し。
【文化史で扱う:ロココ様式に配置】
・浜島書店『新詳世界史図説』:「後期ロココ美術」と記載。
【文化史で扱う:ロマン主義に配置】
・帝国書院『タペストリー』



〔マネ〕
こちらは拙著『絶対に解けない受験世界史3』で扱っているので,その説明を引用しよう。

「印象派という集団はわかりやすいようで捉えにくい集団で,創始者をマネと断定してよいかどうかは議論がある。美術史上のマネの功績は,当時の西洋美術の最大の権威であったフランスの官展に,伝統的な手法から逸脱した作品で挑戦し,かつそれが一定程度世間に認められたという点にある。そしてこれにモネやルノワールが追随した。マネはそうした前衛芸術を志す若者集団の敬意を集め,慕われた長老格の人物であった。一方で,マネは印象派集団の主催する展覧会,いわゆる「印象派展」に出品したことが一度も無く,画風も他の印象派・ポスト印象派の画家とは異なっていて,人間関係を考慮しなければ印象派には含める必要がなくなる。少なくとも,生前の本人が印象派を名乗ったことはない。

よって,1860 〜 70 年代に出現した前衛的な画家集団を,密接な人間関係込みで「印象派集団」と括るのであれば,マネを印象派の創始者としてもあながち間違いではない。一方で,「印象派とは,印象派展に出品したことがある人物である」という厳格な定義をとった場合や,筆触分割や戸外制作などの技術的・画風上の特徴を重視する場合は,マネは創始者であるどころか,印象派に含まれないということになる(この場合の創始者はモネになるだろう)。ここは意見の分かれるところであり,印象派をどう定義するかによってマネが印象派に含まれるか否かが変わるというのが共通認識と言っていい。」(引用終わり)


実際に《オランピア》に印象派の特徴である筆触分割・光のゆらめきがあるかと言われれば無いわけで,マネを印象派から外したがる人の意見は理解できる。しかし,後続の印象派画家たちとの密接な関係や,マーケット上ではモネやルノワール同様に異常な高額で取引されていて明らかに同グループとして扱われているという現実など,画風以外を考慮して印象派に入れるべきという保守的な意見もわかる。ゴヤのように画業のみでの判断で様式分類が変わるわけではないから,かえって話がややこしい。

高校世界史でマネについてのさらなる問題点は,ゴヤは政治史上の“出来事”としてごまかすことができるが,マネは政治史の文脈で処理するのが難しい(《皇帝マクシミリアンの処刑》を無理矢理使うという手段がなくはないが)ということがある。反則技は使えない。さて,実際にどうなっているのか。

主要教科書5冊の扱いは以下の通り。山川は2冊とも掲載なし,その他の出版社は保守的な姿勢が強い。
【掲載なし】
・山川『詳説世界史』
・山川『新世界史』

【印象派に分類】
・東京書籍『世界史』
・実教出版『世界史』
・帝国書院『新詳世界史』


参考書5冊は以下の通り。参考書の方が柔軟なのはゴヤと同じ。

【掲載なし】
・山川『詳説世界史研究』:ゴヤと同じく,まさかの掲載なし。『詳説世界史研究』の文化史はやたらと詳しかったり教科書未満の説明だったりでピーキーすぎる。
【印象派に分類】
・浜島書店『新詳世界史図説』
・帝国書院『タペストリー』:
「「近代絵画の祖」として印象派の先駆者と見なされる」と注釈。
【様式分類せず】
・山川『用語集』:「近代絵画の父」「印象派の父」「マネ自身は印象派に加わっていない」と説明。短いながらも実直で良い。ただ,高校生に理解できる説明かと言われると,どうか。
・山川『世界史図録』:特に説明無し。ゴヤと扱いをあわせている。

正直に言ってしまえばマネのいない近代西洋美術の説明は成立しないのであるから,山川の教科書2冊には不満である。教科書を執筆する側(今回の場合は削る側と言った方が正しそうだが)にも事情があるのはここまで本記事で述べてきた通りだ。しかしながら,反則技が使えないなら載せないというのは潔すぎやしないか。削るくらいならいっそ印象派として載せてしまった方がまだよいのかな,というのが個人的な感想である。もちろん異論はあると思うし,たとえば昨今の用語削減の流れを考えれば理由はどうあれ減るに越したことはない等。これから議論が蓄積されていくべきであろう。あとは……マネが印象派の画家であるのを自明として入試問題を作るのだけは避けてほしい,というのを全国の(西洋美術史が専門外の)大学教員へのメッセージとして本記事を締めておく。  
Posted by dg_law at 00:44 │Comments(5)

2021年09月20日

受験世界史悪問・難問・奇問集〔特別編〕明治大・情報コミュニケーション学部がひどすぎる件について

『絶対に解けない受験世界史3』の発売記念記事。例年3月にやっている受験世界史悪問・難問・奇問集により,ここ数年の慶應大・法学部の世界史が極悪であることは知られていると思う。しかしながら,あの企画は3月頭までに入手できる試験問題の数が限られているという物理的な制約と,私自身が解いて分析して解答解説を付して友人たちに校正してもらうという時間的な制約により,主要国公立大と早慶上智までしか記事化できていない。それゆえに,それ以外の大学のものは『絶対に解けない受験世界史』の方で初公開という流れになっている。したがって,2・3巻を読んでくれた読者の方はご存じのことだと思うのだが,実のところ近年の私大の世界史の入試問題では明治大の情報コミュニケーション学部も慶應大・法学部に張ってひどい。あまりにもひどいので,ちょっと掘り深めてみることにした。

一番わかりやすい例として,本書に収録される問題の数で見てみるとよい。もちろん,本来であれば各入試日程の配点が違うので単純な比較は難しい。満点や設問ごとの配点により,収録対象の問題の重みが変わってくるためである。極端な事例を上げれば,一橋大は試験に3問の論述問題しかなく,100点満点とすると1問約33.3点である(実際には一橋大は学部により満点が110点や160点など変動する)。これは100点満点で50問,1問の配点が2点の慶應大・法学部の問題よりも約16.7倍の悪影響があるということになる。しかし,こと慶應大・法学部と明治大・情コミュは比較しやすい。慶應大・法学部と明治大・情コミュはどちらも100点満点で50問,1問の配点が2点で完全に同じなのだ。まあ,慶應大・法学部は英語・小論文・世界史の配点が200:100:100なのに対し,明治大・情コミュは100:100:100なので,総合点で見ると慶應大・法学部の方が合格に対する影響はやや小さい。

以上を前提に,両日程と,比較対象として早稲田大・教育学部を載せる。早稲田大・教育学部も1問1点の50問,英・国・世は1:1:1で配点上の形式が明治大・情コミュとほぼ同じである。
慶應・法と明治大・情コミュ比較


ご覧の通り,早稲田大・教育学部は入試1回で50問中約1.67問が収録対象になっていて,早慶上智の各日程も概ね1日程あたり1.5〜2.0問くらいなので標準的な収録数である(1.0問を割っているのは慶大・経済と早大・文化構想のみ)。MARCHだともう少し少なくて,明治大と法政大以外の大学は1.0を割っている日程の方が多い。とはいえ,前述の通り満点等が違うので参考値だと考えてほしい。してみると5.0を超えているのは異常に高いのはわかるだろう。他日程と比較しなくとも50問中平均して5問は悪問・難問・奇問・出題ミスがあるのだから1割が死んでいるのは異常とも言える。1割も捨て問では試験として成立していない。

さらに,明治大・情コミュのヤバさは収録される問題の「種別」にある。多くの方にはご存じの通り,本企画では収録される対象の問題を難問・奇問・悪問・出題ミスに分類している。難問・奇問と,悪問・出題ミスは性質が異なる。前者の2つは試験科目が「高校世界史」であることに目をつむれば瑕疵無く成立している。それでも私が難問や奇問を本企画の収録対象としているのは「高校世界史」であることに目をつむるのは問題があるからであり,具体的に言えば
・高校課程の学習内容を試す入試において「世界史」の看板を掲げておきながら,看板から外れた出題をするのは端的に言って詐欺である
・正答率が極端に低い出題は入試の本旨である選抜性を低下させる
・高校世界史から外れるような細かい知識は出題者自身も詳しく知らない事項である可能性が高くなり,悪問や出題ミスを併発するリスクが高まる(実際に多い)
の3つが理由である。しかし,他の高校世界史範囲内の事項よりも学部での学習に必要な事項がある,その知識がある人に学部生になってほしいと考えているなら,作問者視点では難問・奇問を出題するメリットがある。一方で悪問・出題ミスには何のメリットも無いから,両者はこの点で異なり,したがって難問・奇問は悪問・出題ミスに比べると悪質性は低いと考えることもできる。上述のようなメリットとデメリットを天秤にかけて,メリットの方が大きいはずだと思うだけの強い信念が出題者にあるのだろう。慶應大・法学部の作問者たちはそうした強い信念を持っているのだと思われる。それは私も理解する。許容はしないが。

そこで,上記の表から「難問・奇問」の枠を削除して再計算すると,こうなる。
慶應・法と明治大・情コミュ比較2

ご覧の通り,慶應大・法学部の収録数は早稲田大の教育学部並に下がる。一方,明治大・情コミュの収録数はほとんど下がっていない。明治大・情コミュの収録対象問題は,多くが悪問・出題ミスだからである。要するに明治大・情コミュは信念を持って難問を出題しているから収録数が多いわけではなく,単に作問が杜撰だから収録数が多いのだ。

悪問や出題ミスも,ある程度出てきてしまうのはしょうがない。大学教員からすると機会の少ない慣れない作業であり,数人で多重チェックしてもすり抜けるヒューマンエラーはある。だから数年に1問くらい悪問や出題ミスがあるのは仕方がないことだ。たとえば明治大の同偏差値帯の大学で,やはり1日程50問(150点満点)で構成されている関西学院大は丁寧な作問や入試についての情報公開で知られるが,それでも2016〜21年の6年間の平均で1年・1日程あたり約0.28個の悪問・出題ミスがある。この辺が限界なのだろうと思う。ひるがえってその10倍以上,50問中に平均して3問は出題ミスかそれに準ずる問題がある,その状況が6年続いていて改善の兆しが全く見られないというのは,常識的に考えて組織自体に問題があると言わざるを得ない。明治大・情コミュは作問チームを抜本的に見直した方がいいんじゃないですかね。どういう形態でやっているのかは知らんけど。もうちょっと入試にお金と人と時間をかけた方がいいと思いますよ。


最後に2・3巻に収録した問題から,いくつかの具体例を提示しておく。ここからは情コミュの入試問題は受験生とのコミュニケーションをとる気が全く見られないということが読み取れてしまう。情報ディスコミュニケーション学部に改名してはどうか。

〔2019年〕
51.明治大 情報コミュニケーション学部(4つめ)
<種別>悪問

<問題>4 問10 下線部(10)「アメリカでの同時多発テロの後,アメリカ軍を中心にアフガニスタンとイラクに対する攻撃」に関する記述として適切ではないものを次の� 銑い里覆�から一つ選び,その番号を解答欄にマークしなさい。

� ‘瓜�多発テロ事件では, 4機の旅客機がハイジャックされ,ニューヨークの貿易センタービルに2機が衝突,ワシントンの国防総省ビルに1機が衝突し,ピッツバーグで1機が墜落した。この事件は標的となったアメリカの激しい反発を引き起こし,アメリカによる対テロ戦争が開始された。
�◆.▲瓮螢�のブッシュ大統領は,アフガニスタンのターリバーン政権の保護下にあるアル=カーイダを同時多発テロ事件の実行組織とした。そして,同盟国の支援を受けてアフガニスタンに対する軍事行動を起こし,ターリバーン政権を崩壊させた。
�� アル=カーイダは,サウジアラビア出身のビン=ラーディンが率いるイスラーム急進派組織であり, パレスチナでイスラエル軍と戦った義勇兵を主体に構成された。
�ぁ�2003年,アメリカとイギリスはイラクに侵攻し,サダム=フセイン政権を崩壊させた。戦後イラクは米英軍を中心にした占領統治下に置かれ,日本も復興支援のために自衛隊を派遣した。

<解答解説>
�◆Νい論喫検���はアル=カーイダの主体はアフガン紛争時の義勇兵(ムジャヒッディーン)の系譜であるから誤文。作題者の想定する正解もこれだろう。審議の対象は�,如�最後の1機が墜落したのはピッツバーグから100km近く離れたシャンクスヴィルである。確かに名の知られた最も近い大都市というとピッツバーグになるものの,さすがにこれだけ距離があってピッツバーグと言い切るのは無理がある。たとえば,これが通るのであれば前橋や水戸を東京と言い張るのも可能になる,と言えばその無理さが伝わるだろうか。せめて「ピッツバーグ近郊」か「郊外」だろう。なんでこんな間違いを,と思って各種教材を読んでみたら,これもあっさりと見つかり,山川の『用語集』の「同時多発テロ事件」の説明文も同様の表現になっていた。したがって出題ミスとまでは踏み込まず,分類は悪問とした。しかし,これは『用語集』を盲信せず,作題者が念のため確認すべきものではないか。作問者だって2001年当時に生きていた年代と思われ,『用語集』を読んだら「あれ,4機目ってそんな大都市に落ちてたっけ」と違和感を覚えるべきところだろう。
(追加コメント)
3巻には書かなかったが,本問について校正者の1人から「茨城空港さん……」というコメントがあって笑ってしまったという裏話を披露しておく。(茨城空港は海外向け呼称をTokyo Ibaraki International Airportにするのはどうかという議論があった。最終的にIbaraki International Airportに落ち着いた。)


〔2017年〕
44.明治大 情報コミュニケーション学部(7つめ)
<種別>出題ミス・難問・奇問

<問題>2 問4 下線部(4)「鎖国」についての記述として適切でないものを次の� 銑い里覆�から一つ選び,その番号を解答欄にマークしなさい。

� ‘狙邁塙�が推進した朱印船貿易は,海外貿易の許可証として朱印を押した文書をもつ貿易船によって,江戸幕府による鎖国政策が行われるまで続けられた。
�◆‘�本と中国のあいだの銀と生糸の貿易は16から17世紀にかけてさかんになり,大きな利益をあげた。中国人と日本人だけではなく,ポルトガル人,オランダ人もまたその利益をめぐってしのぎを削った。
�� 徳川家康が江戸幕府を開いた後に,統治の基礎固めの目的のためにキリスト教が禁止され,貿易の統制が行われた。日本人の海外渡航の禁止と長崎出島での清とオランダ以外の外国との交易を認めないという,徹底した鎖国状態は1630年代に開始された。
�ぁ〆森饐�態の例外的な外交としては朝鮮通信使が挙げられる。これは李氏朝鮮が織田信長に派遣した使節であり,江戸時代以降は天皇が即位するたびに祝賀を兼ねて来日,交渉を行った。

<解答解説>
� Ν△論喫検��い�おそらく作問者の想定する正解で,朝鮮通信使が織田信長に派遣されたことはない。また,天皇の代替わりではなく,将軍の代替わりが朝鮮通信使来日のタイミングである。

残った��は,正文のつもりで作られたと思われるのだが,問題だらけである。まず,1630年代に清は中国を支配していないので,“開始され”ようがない。清の中国本土への進出は1644年からである。ここは清を「中国」にしておくべきであった。次に,日朝貿易のことを無視している。江戸時代の貿易はいわゆる「四つの窓口」として整理するのが一般的な解釈であり,長崎での中国とオランダとの貿易以外に,北海道和人地でのアイヌとの交易,琉球との貿易,対馬を介した日朝貿易が存在した。アイヌは国ではないとしても,琉球と朝鮮を無視する道理はない。というか,自分で�い法嶌森饐�態の例外的な外交としては朝鮮通信使が挙げられる」と書いているのだが……まさか,朝鮮通信使は来て国交はあっても交易はしていなかった,と誤解していないだろうか。さらに,オランダ商館を出島に移したのは1641年であるから1630年代ではない。確かに徹底した鎖国政策の開始は1630年代に始まるが,オランダ商館の平戸から長崎への移動は鎖国完成の最後の最後に行われた政策なのである。とどめに,清の商人との交易地は出島ではない。そもそも1680年代までは明清交代の混乱や清側の強力な海禁政策により,日本への来航は少なかった。ゆえに,中国人商人の来航は長崎一港に制限されていたものの,長崎市内での行動は無制限であった。しかし,1680年代に清の海禁が緩和されたことを受けて中国人商人の来航が増加し,同時に密貿易が増えたため,江戸幕府は貿易統制の強化を決断し,長崎郊外に唐人屋敷を設置して,中国人商人を集住させた。これが幕末の開国まで続く。

以上のように,��はあまりにも問題点が多すぎて,全く意味不明な文になっている。しかもこの��も『詳説世界史研究』の本文を元に作られているのだが,なぜかここだけ完全コピペではなく大幅な改変が入っていて,そのせいで誤文になっている。おそらくこの分野の専門家ではなく,事実関係をよく知らないままに改変したのであろう。この問題を作った人は,世界史ではなく高校日本史を学習し直した方がいいし,何なら中学の日本史からやった方がいい。今時は「四つの窓口」くらい中学の日本史でも学習する。なお,『赤本』は��についての指摘は無く,大学当局の訂正表にも記載がない。そんなバカな。
(追加コメント)
明治大・情コミュの悪問を象徴する問題。特に2017年は一事が万事こんな感じだったので読むだけで苦痛だった。せめて中学の日本史の内容でミスを出すのはマジでゴミなのでやめような。


〔2016年〕 ※ 2巻収録
38.明治大 情報コミュニケーション学部(4つめ)
<種別>悪問(出題ミスに近い)

<問題>5 (イ)以下のA 〜 F に関する記述の中で,適切ではない文章の記号� 銑い魏鯏�欄にマークしなさい。
B 2009年4月アメリカ合衆国のオバマ大統領はプラハで演説を行い,核兵器廃絶を呼びかけた。

� .熟△�崩壊した後,今でもカザフスタンとベラルーシには核兵器が置かれたままになっている。
�◆\こΔ任漏吠軸錣世韻任覆�他の大量破壊兵器の軍縮への取り組みもあり,1993年にはすでに化学兵器禁止条約が締結されていた。
�� 1990年代には核兵器保有国が増加し,インドやパキスタンが核兵器を持つに至った。
�ぁ…名鑛軸錣侶浬未了�例として,1997年に対人地雷兵器全面禁止条約が調印されたことが挙げられる。

<解答解説>
�,蓮ぅΕ�ライナ・ベラルーシ・カザフスタンは核兵器を廃棄しているので誤文である。作題者の想定した正解はこれであろう。�◆Νい論喫犬波楼脇癲焚蹴慂軸鏘愡濔鯡鵑搬仗傭詫詈軸鐐缶牟愡濔鯡鵑陵儻貊孤囘戮呂匹舛蕕皚◆法�審議の対象は��で,インドの核保有は1974年であるからこれも誤文である。個人的な判断では,本問は複数正解の出題ミスにあたる。ただし,抜け穴がある。インドは公式には1974年の核実験は核兵器によるものと認めておらず,「平和的核爆発」と主張しており,核実験のコードネームもSmiling Buddhaであった。なめてんのか。ブッダが草葉の陰で泣いているというか,20世紀後半のインド国内にいたれっきとした仏教徒はごく少数であったことも考えると,本当に仏教をバカにした話でしかない。

公的なインドの核兵器保有宣言は確かに1998年であるが,これを(政治的態度の表明として)信用しているのは,インドの民族主義者を除けば極左(というよりも旧ソ連の信奉者)だけである。1974年核実験の技術提供はソ連である。情報コミュニケーション学部の受験生は,出題者のこうした偏った思想信条を察するというコミュニケーション能力まで問われていると言えよう。
(追加コメント)
こういう思想信条を試す問題だけは出したらダメだと思うのだよな。現実的にはそこで困る受験生が極少数だったとしても。  
Posted by dg_law at 06:00 │Comments(4)

2021年08月13日

『絶対に解けない受験世界史3(大学入試問題問題シリーズ3)』が出ます

出版社による告知記事はこちら。




すでにAmazon,honto等で発売中です。シリーズ存続のためにもご購入いただけると幸いです。

以下は2巻同様に,本書の紹介をFAQ形式で。

よくわかる! 『絶対に解けない受験世界史3 ―悪問・難問・奇問・出題ミス集』FAQ

Q.目的や内容は前巻までと同じなの?
A.全く同じです。大学入試における悪問や超難問,出題ミスを収録・解説した本です。本気で難しくて解けない問題から,日本語の崩壊した問題,単なる誤植,笑える問題,珍しい問題など,多岐にわたって収録しています。
1.入試問題作成の杜撰さを世の中に訴えること
2.出題ミスの事例を集めて,出題者へ提供すること
3.悪問を笑い飛ばして当時の受験生の無念を供養すること
4.世の中の世界史マニアに難問を提供すること
を主な目的としています。以下,1・2巻と同じQ&Aは省略。


Q.収録範囲は?
A.2017年の私大その他,2018〜20年の全大学です。2017年の早慶上智・国公立大は2巻の収録です。また2021年度の問題は含まれていませんのでご注意を。


Q.本巻の収録範囲の印象は?
A.本シリーズでさんざん批判してきた成果が出ているのか,近年は日本語が崩壊していて文章の意味がとれない系統の悪問や,意味が二通りに解釈できるために解答が出せない系統の悪問,歴史の問題とは見なしがたい奇問は随分と減った印象です。一方で,超難問や杜撰な作問ミスは減っていないどころか再び増えていると思います。何なんでしょうね。共通テスト対応で余裕が無かったのかも。


Q.今回はどんな問題が収録されてるの? 見どころは?
A.1・2巻同様に,帯に入れた例題は以下のような様子です。下の4つは悪問というわけではなく面白かったので〔番外編〕扱いで収録した問題です。やはり最大のヒット作はブレグジットですね。

・「ビ」が「ピ」になる等、頻発するOCRミス (該当複数)
・大学が発表した公式解答例が文字数オーバー(島根県立大 2020年)
・ブレグジット直後にイギリスを「EU現加盟国」(早稲田大・教育学部 2020年)
・正解が前の試験時間の英語の設問に書いてあった(慶應大・商学部 2019年)
・設問と無関係な事実誤認に基づく反原発運動を押し売り(専修大・全学統一日程 2020年)
・ヒット曲『デスパシート』出題するも歌詞覚えていれば解答可能(慶應大・商学部 2019年)
・解答選択肢で「アンコール=ワットの修復・保存に上智大学は協力している」とPR(上智大 2019年)

その他ですと,以下のような問題が見どころかと思います。

・頻発する女性参政権獲得運動・女性解放運動に絡む難問&出題ミス(該当多数)
・上智大の地図問題・正誤判定との最終決戦(2020年)
・「上京竜泉府」と「平城京」,広いのはどっち?(2020年 中京大)
・初の収録,東京大学(2019年)
・タイムスリップして歴史を書き換えないと解答が出せない論述問題(2019年 信州大)
・2001年9月11日,ハイジャックされた旅客機が墜落したのはニューヨークの貿易センタービルとペンタゴンと,他はどこ?(2019年 明治大・情コミュ)
・「赤十字の入った白衣」を着用した騎士団はどこ?(2019年 立教大・文学部)

こうして振り返ってみると新しい年度の方が目立つ問題が多かったような。大学・学部別で言うと明治大の情報コミュニケーション学部が毎年圧倒的にひどい。どのくらいひどいかというと収録数で慶應大・法学部に張ってしまう。あまりにもひどいので,宣伝を兼ねて一部ブログで扱ってもよいかなと考えています。大学・学部別という点で言えば,出題ミスが出た時にしっかり謝って訂正している大学とガン無視を決め込む大学がありますね。そこにも注目して読むと面白いかもしれません。


問題以外ではコラム2の「大学入学共通テストの導入騒動の記録」は割と広い人に興味を持ってもらえるかなと思います。共通テスト狂騒曲はすでに論文や新聞記事等で盛んに論じられていますが,当初の改革で挙がっていた全項目と,それぞれに対して誰がどういう理由で反対し,ほぼ全ての項目が頓挫していったのかを私なりにコンパクトにまとめてみました。英語四技能と記述式以外の項目にも触れているのはそれなりに珍しいのではないかと思います。世界史に興味がなくとも,共通テストの騒動に興味があれば,ここだけでも読んでもらえると幸いです。


Q.今回の書き下ろしの割合は?
A.3分の2くらいが書き下ろしです。ブログ版を熟読された方でも楽しめると思います。


Q.またしてもめちゃくちゃ分厚いんだけど……
A.ぶっちゃけた話をすると,本当は2019年か20年中に発売する予定でした。しかし,私や出版社のパブリブ側が忙しかったりして2019年を逃し,その段階でパブリブの濱崎さんと「2020年度はセンター試験が最後の年で,上智大の最後の年でもあって切れ目として良いので,2020年度まで入れて分厚い3巻を出しましょう」という話になりました。その矢先に2020年はCOVID-19でいろいろとそれどころではなくなり,時が流れていって2021年に突入。しかしこれ以上原稿を溜め込むわけにもいかず,いろいろな意味で割と無理して放出したのが本巻だったりします。時機を逃さなかったり切れ目を気にしたりしなければ,この3分の2くらいの厚さの3巻が2019年または2020年中に発売されていたのかも。


Q.間に日本史版とか現代文版とか挟めなかったの?
A.いやほんとどこかに他教科・他科目の著者いないですかね。


Q.電子書籍化の予定は?
A.パブリブさんに相談はしました。


Q.今回も正誤表を作るの?
A.作ります。この記事に正誤表を作る&重版がかかった際に直す予定ですので,見つけたら教えていただけると幸いです。

<訂正表>
・p.43 上から11行目,「記載あるが」は「記載があるが」。「が」の脱字。
・p.51 解説の上から5行目,「選択肢3」は「選択肢2」の誤り。
・p.71 上から1行目 「予想していなったかところ」→「予想していなかったところ」
・p.102 20番の学習院大の(4)の選択肢�い痢嵒瓠廚蓮嵜検廚慮蹐蝓�
・p.110 番外編の問題文の下から3行目「燥発」は「爆発」の誤り。
・p.146 下から6行目 「第3代カリフのウマル」は当然「第2代」の誤り。
・p.142 56番の解説の1行目 「タブリーズはアゼルバイジャン」は,地域名としては誤りではないが,現在の国境線で言えばアゼルバイジャンではなくイランの北西部に位置する。誤解を招く表現になっていたので訂正。
・p.147 上から2行目 「放棄」は「蜂起」の誤り。
・p.191 97番の解説の3行目「リマ」は「ラパス」の誤り。
・p.194 下から3行目 「月氏により滅ぼされた」は「大月氏により滅ぼされた」の誤り。
・p.202 ヒンディー語の項目のタイトル文 「ペルシア語にヒンディー語の語彙を取り入れたもの」ではない → 「ヒンディー語にペルシア語の語彙を取り入れたもの」ではない
・p.227 5番の慶應大・法学部の問題の選択肢[02]国民の不滴が高まった  → 国民の不満が高まった
・p.242 17番の早稲田大・人間科学部の問題の選択肢a 議会では議会の請願が提出されたが → 議会では権利の請願が提出されたが
・p.260 高崎経済大の問題の「問2」は「問3」の誤り。
・p.291 33番の設問中の選択肢が漢字の「工」になってしまっているが,もちろんカタカナの「エ」が正しい
・p.434 34番の法政大2/12実施の問題の選択肢「i ジギスムント3世」は「l ジギスムント3世」(小文字のL)が正しい。
・p.505 29番の解説中: 『ヴィルヘルム=マイスターの修行時代』→『ヴィルヘルム=マイスターの修業時代』
・p.523 最後の行:「し。」の抜け。「指摘なし。」が正しい。  
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2021年07月27日

最近読んだもの・買ったもの(マリー・アントワネット関連作品2つ)

・『傾国の仕立て屋ローズ・ベルタン』1〜5巻。
→ 王妃マリー・アントワネット付のモード商となり,ルイ16世治世下のフランスのファッションの中心にいた人物マリー・ジャンヌ・ベルタンの伝記的な作品。
→ 主人公のベルタンは「仕事しよ」が口癖の有能なワーカホリックで,内に男性社会への反発・ファッションへの激しい情熱・強い功名心を持った女性として描かれている。この点では典型的な,ともすれば陳腐な領域に入るかもしれない,前近代の女性の立身出世物と言えよう。ただし,かなり出世欲が強い人物として描かれているのはやや珍しいか。
→ 主人公はあくまでベルタンであるが,同時期に活躍した髪結師レオナール・オーティエとは名コンビを組んでいて,ベルタンの出世に一役買う重要人物としてデュ・バリー夫人や,もう一人の主人公たるマリー・アントワネットも登場して,徐々に歴史の歯車が動いていく。ちょっと面白いのは作者すら予想していなかったことに,シャルトル公爵夫人(後のオルレアン公フィリップ・エガリテの妻)が主要登場人物に浮上していて,物語を上手く動かしているのは既存のマリー・アントワネット物にはなかなか見られない光景か。そもそも史実ではシャルトル公爵夫人こそがベルタンの出世を助けた人物であるようなのだが,本作では当初それをデュ・バリー夫人にやらせようとしていたようであった。しかし,宮廷でベルタンを助ける役がデュ・バリー夫人の一人だけでは足りなくなって,そこを史実に助けてもらっている形なのだろう。ベルタンの個人史としてはまだまだ序盤を扱っている段階の本作であるが,だからこそというべきか,デュ・バリー夫人とシャルトル公爵夫人のインパクトが非常に強い。(作中の時代が1774年4月まで来ているのでもうすぐデュ・バリー夫人は引退なのだが)
→ 政治史やマリー・アントワネット周りの物語は概ね史実通りに進んでいて,マリー・アントワネットを扱ったものとしては定番の「王女メディアのタピスリー事件」「結婚証明書にインクの染み事件」「挨拶戦争」等の事件も扱われているが,そこにファッションを織り込んでくるのが本作の創作性の発露と言えよう。たとえば「挨拶戦争」の解決にもベルタンのアイデアが入り込むのだが,これがなかなか面白い。どういう解決なのか気になった方は本作の読者に向いている。
→ また,大筋ではない部分では改変が多いようで,『乙女戦争』同様に単行本で改変部分の補足説明が多めに入っている。私も詳しくない時代・分野であるので,読者としてありがたい。なお,最大の史実改変はベルタンの容姿で,実際のご本人はあまり美しくなかったようであるが,本作のベルタンは派手さはない美人くらいの容姿で,シャルトル公に口説かれていたりもする。ここは漫画の「顔」である主人公なので仕方のない部分か。
→ ファッション漫画としての出来は正直わからないが,歴史漫画としての本作はいまのところ非常に面白い。5巻時点でやっと1774年4月,まだベルタンとマリー・アントワネットが会ってすらいない。このペースで行くなら完結は早くとも15巻くらいにはなると思われ,そこまで連載が持つことを切に願う……普通にけっこう売れているようなので,そこまで心配しなくてもよさそうだが。





・『悪役令嬢に転生したはずがマリー・アントワネットでした』1・2巻。
→ タイトル通りの作品。言われてみると,史実で最も有名な悪役令嬢である。
→ 転生物あるあるの歴史知識豊かな人が転生したかと思いきやそうではなく,フランス革命で処刑された程度の知識しか持たない(18世紀のフランスを「中世」だと思っている)現代人の女性が転生しているのが本作の特徴である。彼女は当然処刑エンドを避けるべく行動するも,上手く行かなかったり努力が明後日の方向だったり,「現代人しぐさ」でとんでもない言動をしてしまったりする。その結果として1巻から早々に「挨拶戦争」を1年ほど前倒しで解決することになったりしたが,これが吉と出るか凶と出るか,作者のみぞ知る。そもそも史実を知っている人間からすると「革命に至っちゃってもヴァレンヌ逃亡事件でへまをこかなければ,多分死なないよ」ってアドバイスしてあげたくなる程度には,本作の主人公は必死である。
→ そういうわけで早々に史実改変が入るので,史実に忠実も何も無いのだが,歴史に詳しくない現代人が転生したら確かにこうなるし,その結果の史実はこう変わっちゃうだろうなという納得感は強く,史実改変は上手いと思う。単行本2巻時点ではまだ1774年5月でルイ15世が死に,ルイ16世の即位が決まったところであるが,この先にどういう改変が入るのか,特に本作がアメリカ独立戦争をどう扱うのかが非常に気になっている。
→ 偶然にもマリー・アントワネットを扱った作品が2つ並走しているわけだが,ルイ15世やルイ16世,シャルトル公,デュ・バリー夫人,ルイ15世の娘未婚三人組,ノワイユ夫人あたりは本作も『ローズ・ベルタン』もほぼ全く変わっておらず,共通点になっているのが面白い。記録が多く残っていて創作の余地が無いという事情もあろうが,彼らのキャラが濃すぎて改変の必要もないのだろうなとも思った。逆にショワズール公のキャラは全然違うし,『ローズ・ベルタン』では重要人物になっているシャルトル公爵夫人は本作では全く登場しない。また,『ローズ・ベルタン』では第一回ポーランド分割は扱われないが,本作では単行本2巻で墺仏関係の重大事件として扱われる。扱う歴史的事件の差異の比較も面白いところだろう。
→ そういうわけで個人的には楽しく読んでいて今後の展開が気になりまくっているのだけれども,近隣のいくつかの本屋やオタク系ショップで未入荷で,結局そこそこ大きい本屋で買ったので続刊するかどうかを心配している。とりあえずここで宣伝しておきたい。


  
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2021年06月06日

「甲申政変」と「甲申事変」は,歴史総合ではどちらが主流か

1884年に朝鮮王朝で起きた開化派によるクーデタ未遂事件を,甲申政変または甲申事変と呼ぶ。この呼称の揺らぎはどちらの方が正しいとかではない。ではないのだが,なぜだか高校世界史では「甲申政変」,高校日本史では「甲申事変」と呼ぶのがデファクトスタンダードになっている。それとは少し話がずれるのだが,以下のそれぞれのGoogle検索結果数も面白い。(全て2021年6月5日現在)
「"甲申政変"」 約360,000 件
「"甲申事変"」 約41,500 件
「"甲申政変" "世界史"」 約 11,300 件
「"甲申政変" "日本史"」 約 4,830 件
「"甲申事変" "世界史"」 約 4,000 件
「"甲申事変" "日本史"」 約 6,270 件
つまり,一般的には「甲申政変」 の方がメジャーであるが,「日本史」と組み合わせた時に限って「甲申事変」の方が多く使われているということだ。なぜこのような違いが生じたのかはそれ自体興味深いが,私には調べる手段を思いつかないので,どなたか興味関心と時間と気力がある方にお願いしたいところ。

それはそれとして,これまで分かれていてもさしたる問題はなかった。なぜなら世界史の入試問題を作る人も世界史の受験生も当然「甲申政変」で覚えているし,逆もまた然りで,2つの用法が交錯することが無かったためである。しかし,来年度の2022年度から話が変わる。世界史と日本史の近現代史部分だけを融合させた「歴史総合」なる新科目が高校の地歴課程に登場するからである。では,歴史総合ではどちらの表記にあわせることになるのか。どちらの表記も積極的に採用する理由もなければ不採用にする理由もないだけに,難しい。しいて言えばGoogle検索結果の示す通り,甲申政変の方が一般に定着した言い方であるのでこちらを優先すべきという消極的な理由か,執筆者が日本史畑なので甲申政変を選ぶかくらいしか思いつかない。各教科書執筆者・編集者の皆さんもさぞかし……さして悩まずに適当にどちらか選んだに違いない。まさかこんな非生産的なことで会議はしていないだろう。私だってその立場なら深く考えずに甲申政変にする。

そういうどうでもいい状況だからこそ,かえって歴史総合の各教科書がどちらを採用したのかが気になって,調べてきてしまった。現在は教科書展示会をやっているので(たとえば文京区),歴史総合の教科書は自由に閲覧が可能である。以下,各教科書をざっと読んだ簡潔な感想とともに紹介する。ちゃんと読むのは来年4月でいいやと思っているので,本当にざっとしか読んでいないのでご注意を。歴史総合の教科書一覧は,文科省が発表している次の資料の13ページめから(ノンブルは4)。
・高等学校用教科書目録(令和4年度使用)
ついでに各教科書会社のHPにリンクを張っておいたので,参照してほしい。いずれの教科書も資料集と見まがうくらい資料・図版が掲載されていて,これからの時代はそういう区別が無意味になるかもしれない。そうそう,多くの教科書でQRコードが貼られていて,NHK 等の動画に即座に飛べるようになっていたのも新しいなと思った。あとは地理総合・公共も含めて多くの教科書がSDGsに強く言及していたのも特筆すべき点だろう。

【東京書籍】
・『新選歴史総合』:甲申事変
・『詳解歴史総合』:甲申事変

→ 『新選』は非受験用,『詳解』は受験用で,厚み以外にはあまり差がない。2冊以上出しているメーカーはいずれも同様の構成。日:世の割合はやや世界史が厚めな印象だが,「甲申事変」だった。『新選』の方はざっと見ただけでもハム語族どころかスーダン語族が載っていたり,モンテネグロの主要宗教がスンナ派になっていたりしたので検定をやり直した方がいいと思う。『詳解』は流石にしっかりとしていた。普通に使える良いものだと思う。他のメーカーの教科書が世界史と日本史のページをくっきり分ける傾向が強かったのに対して,ここは混ぜ込んでいたのが特徴的。たとえばミドハト憲法と大日本帝国憲法を同一ページに記述するなど,歴史総合という科目の特性を考えればこれは効果的だろう。


【実教出版】
・『歴史総合』:甲申政変
・『詳述歴史総合』:甲申政変

→ 無印が非受験用,『詳述』が受験用。どちらも悪くないオーソドックスな作りで,逆に言って際立った特徴もなかった印象。日・世の割合が五分五分。


【清水書院】
・『私たちの歴史総合』:甲申政変
→ 既存の課程で日本史はA・Bともに出しているが世界史はAのみ,基本的に非受験用の教科書に特化したメーカーであるが,『私たち』もやはり非受験用。今回の12冊で最も薄い。というよりもペラい。でも歴史総合の履修内容として必要なものはちゃんと入っていて,制限の中でよくこれだけ破綻なく省略し得たなという意味で,今回の12冊が示す教科書の多様性の現れとして良いと思う。非受験用としてはこの厚さの方がむしろ適正なのかもしれない。また,てっきり日本史に偏った内容かと思いきや日・世のバランスはとれていて,表記も「甲申政変」だったのでちょっと驚いた。


【帝国書院】
・『明解歴史総合』:甲申政変
→ 既存の課程で世界史A・Bしか出版していないメーカーであり,予想通り世界史が厚めの記述。また,歴史総合は近現代のみを扱う科目であるところ,前近代の記述がかなり分厚く,続けて世界史探究の教科書もよろしくねというメッセージ性が強い。


【山川出版社】
・『歴史総合 近代から現代へ』:政変・事変を併記
・『現代の歴史総合』:甲申政変
・『わたしたちの歴史総合』:用語を出さず「親日派のクーデタ」と表記
→ 大正義山川出版社は強気の3冊。紹介pdfの3冊のフォントの違いが教科書の性格をそのまま示していて笑える。『近代から現代へ』が受験用で,これは帝国書院のもの同様に前近代が分厚く,本編の近現代も太字の用語が多い。受験用としては最適解だと思うが,分厚すぎてちょっと心配になる。甲申政変・事変については唯一の併記で,このバランス感覚よ。『現代の』はチャレンジングな1冊で,最も資料集との融合が激しいのがこれ。資料の量が異常に多く,私は割と好き。最後の『わたしたちの』が非受験用で,大変ポップなつくりになっている。甲申政変は未収録。しかし,これが山川さんの出した非受験用への解答とするとなかなか趣深い。用語はここまで削れるのだという決意と,これからの歴史教育は受験を考えないなら(あるいは受験を考えたとしても)かくあるべしという意見表明と受け取った。ともあれ,山川さんは3冊で甲申政変・事変への対応が異なり,思わぬ面白い結果が得られた。


【第一学習社】
・『歴史総合』:甲申政変
・『新歴史総合』:甲申政変

→ 既存の課程では日本史Aと世界史Aしか出していないので,今回もてっきり非受験用1冊だけかと思いきや,ここに来て受験用を1冊用意してその市場に参戦してきた。無印が受験用,『新』が非受験用。ただし,やはり経験不足なのか,無印はちょっと中途半端な印象を受けた。もうちょっと分厚くてもいいのでは。『新』の方は山川の『現代の』と同様に資料集にかなり寄っていて,悪くない。『新』はてっきり「言及なし」かと思いきや,本文ではなく欄外の年表に「甲申政変」と記述あり。


【明成社】
・『私たちの歴史総合』:甲申事変
→ なんというか,教科書執筆陣を見て察してください。既存の課程では日本史Bのみの出版で,歴史総合には興味がないかと思いきや参戦してきた。中身はやはり日本史が濃いめ。目次の右端のコラム一覧を見ると雰囲気がよくわかると思う。昔の日本人はすごかったアピールが非常に強い。あと,案の定だが南京事件に「実態や人数は様々な議論がある」と注釈を入れていたことはこの場で報告しておく。この流れからもわかる通り,表記はやはり「事変」を選択。


〔まとめと感想〕
12冊中,甲申政変が7冊,甲申事変が3冊,併記が1冊,言及なしが1冊。もうちょっと割れるかなと思っていたので,甲申政変がマジョリティという結果になったのは予想外であった。また,併記がもうちょっと多いかなと思っていたが,山川の1冊のみ。前述の通り,山川の3冊の対応の違いが見られただけでも今回の調査には収穫があったと思っていて,甲申政変・事変は割と良い目の付け所だったのかなと思う。他にも「この用語,世界史・日本史でデファクトスタンダードが異なってるのでは」というものがあれば,また調べに行くかもしれない(し,面倒になって来年4月の正式購入待ちにするかもしれない)。


〔余談〕
本記事執筆を並行して,Twitterでアンケートをとっていた。

前述の通りの法則であるので,これはちょっと予想外の結果である。てっきり50:0:0:50に近い数字になると思われたので。日本史だと甲申政変で習わないことは示されたが,世界史は甲申事変優位で別れている。私のTLの年齢層は私に近いと思われるので15〜25年前の世界史の教科書は「事変」だったのだろうか。TLで当時の教材を持っていた人が調べてくれたが,少なくとも山川は「政変」で,私の記憶も山川は「政変」であった。ありうるとしたら,当時の東京書籍あたりが「事変」だった可能性はある(現在の東京書籍の教科書を調べたら「政変」だったので,この仮定が正しいならどこかでデファクトスタンダードに寄せたということになる)。  
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2021年04月27日

治水以外の有名人を挙げてもらった方が楽しめるのかも

地域特有の偉人っているよな(増田)
→ 小学校の生活科・社会で習うやつ。親が転勤族で小学校中学年と高学年で別の小学校に通っていたりすると,純粋な地元民と話が噛み合わなくなるやつ。地元の川の治水の情報が多く,日本の国土開発といえば治水が第一ということに思いが至ったりする。東三河だとやはり豊川放水路のことを習うらしい(ところで私はあれをずっと戦前の建設だと思っていたのだが1965年完成というのを引っ越して随分経ってから知った)。富山県民は,偉人ではないが神通川(イタイイタイ病)・常願寺川・黒部ダムの話は多かった記憶。面白いのは,デ・レーケがおそらく「郷土の英雄」と思われている節があることである。あの人は日本全国の河川で治水を指導しているので,どちらかというと全国レベルに近いだろう。富山でも「日本の川は滝」発言と常願寺川治水事業のために出てくる。
→ そういう話を横に置いておくと,東三河の郷土の英雄というと鳥居強右衛門になるだろう。地元民でなく知っていたら戦国時代にそこそこ詳しい人ということだと思う。
→ なお,増田の本文に登場する佐倉惣五郎は代表越訴型一揆の伝説的な義民として有名で,高校日本史で登場するので間違いなく全国レベルの有名人である。ただし,佐倉惣五郎は実在はしているが直訴があったかどうかは危ぶまれており,あくまで「伝説的な義民」として習うことには注意されたい。


・「川ではない。滝だ」実は別人 明治の技師デ・レイケ発言 論争決着か (北日本新聞)
・「川ではない。滝だ!」と言われた本当の川は…滑川の母なる早月川-1-
→ デ・レーケつながりで。幼少期に富山県で育った人なら誰でも習う,富山県の川の急流なることを象徴する言葉「(常願寺川を指して)これは川ではない,滝だ」は,実際にはデ・レーケが言っていないということが明らかになって,真なる出典が論争の的になっていた。この度,別のお雇い外国人であるオランダ人技師ローウェンホルスト・ムルデルによる,常願寺川ではなく早月川についての発言ということが判明して決着がついたとのこと。早月川は常願寺川よりもさらにひどい急流のようなので,滝と言われても仕方がない。私はてっきり日本人の発言がデ・レーケに帰せられたというオチだと思っていたので,別のお雇い外国人が出てきたことに驚いた。真相は意外と俗説から近かった。農林水産省もHPを加筆してほしい。
→ また,富山県民はこの「川ではない,滝だ」発言を山と海の距離が極めて短い県のアイデンティティとして誇りに思っている節があり,おそらくこの発言がちゃんと富山県の河川を指したものであることがはっきりして安堵した人が多かろうと思う。
・ローウェンホルスト・ムルデル(Wikipedia)
→ こうしてみると,この人もデ・レーケに負けじ劣らず日本全国の河川や港湾を整備して回っていて,十分な偉人であるように思われる。デ・レーケとの差はどこでついてしまったのか,これはこれで興味深い。デ・レーケは木曽三川分流工事があまりにも偉業だったからだろうか。
  
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2021年03月28日

高校世界史での「董仲舒」と「五経博士」の扱いについて

高校世界史深掘りシリーズ。「前漢の武帝の時に,董仲舒の献策によって五経博士が設置され,儒学が実質的に官学化された」という説明は,受験世界史で昔からなされてきた。しかし,この説明には専門家から疑義が提出されている。五経博士の設置は班固の『漢書』が典拠となっているが,すでに儒学が官学化されている後漢代の視点からの歴史書となっているので,儒学官学の時代を長く見せようという班固の意図が働いていて,信憑性が低い。現在の歴史学では,武帝代に存在が確認できる博士は『詩経』『書経』『春秋』に限られること,五経博士がそろうのは早くても武帝の三代後の宣帝期であることが指摘されている。儒学の官学化の時期は「官学化(国教化)」の定義の揺れとともに議論があるが,儒学の官学化が完成した時期は前漢末から後漢前期に求められている。武帝代はそうした動きが始まった時期には違いないものの,完成した時期としては支持されていない。全体として言ってしまえば,これらは武帝代を聖域化したかった班固による捏造であり,董仲舒は便利に使われたということだ。ただし,中国思想史の上では董仲舒は災異説を唱える等,重要な地位を占めていることに違いはない。参考文献はいろいろあるが,手っ取り早いものとして『漢帝国―400年の興亡』(渡邉義浩,中公新書,2019年)を挙げておく。
漢帝国―400年の興亡 (中公新書)
渡邉義浩
中央公論新社
2019-09-13



してみると,高校世界史上はどうすべきか。私見では,無駄な用語を減らす観点から言えば,また王莽の簒奪を過剰な儒教への傾倒よりも外戚の専横の文脈で処理する傾向が強いことを踏まえて,「董仲舒」と「五経博士」は教科書から削っていいという判断になるだろう。特に董仲舒は「舒」の字が一般に使用される漢字でなく,この漢字を暗記させるために高校生に少なくない負担がかかっていると感じている。一方,儒学の官学化についてはその後の中国史への影響を考えると削除はできず,「武帝代が出発点であった」とぼかすか,逆に「王莽が簒奪に利用したのを経て重要性が高まり,光武帝代までに完成した」として武帝の事績から外すか,いずれかが妥当であろうと思う。

以上を前提として,現行の教科書・用語集の表現を確認する。いつもの5冊+山川の『用語集』と『詳説世界史研究』。

【儒学の官学化は武帝代/五経博士には言及しない】
山川『詳説世界史』『新世界史』:
 「武帝の時代には,董仲舒の提案により儒学が官学とされ(中略)儒学の主要な経典として五経が定められ」
 「(五経は)時期により相違があるが,一般に『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』をいう。」 
※ 両教科書は一言一句同じ文言。また,五経博士には一切言及無し。
→ 良く言えば堅牢,悪く言えば保守的な山川としては不思議な感じのする折衷案で,董仲舒の提案という記述は残しつつ,五経博士には一切言及しないという姿勢。


【儒学の官学化は武帝代/五経博士にも言及する】
東京書籍:
 「董仲舒などの儒家の意見を採用して国家体制の維持に努めた。このため儒家の思想は,国教(儒教)の地位を獲得し,その教えは国家の正当な学問(儒学)として発達した。」
 「武帝は董仲舒のすすめにより,『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』の5書(五経)を重要な経典と定め,それらの教授を主宰する五経博士を置いた。」
帝国書院:
 「漢の支配が安定する中で,皇帝権力を正当化する天命思想をもち,上下の秩序を重んじる儒家思想がしだいに支配層に受け入れられるようになった。武帝の時期に,董仲舒ら儒家官僚の勧めで官学とされた儒教は,やがて新代にかけて定着し,以後2000年近くにわたって王朝を支える政治思想となった。」
 「五経博士…五経を教授する学官」「五経…最重要の経書『詩経』『書経』『易経』『春秋』『礼記』」
→ 記述が古いまま放置されているパターン。これは完全にまずい。

山川『用語集』:(丸数字は用語集頻度)
 董仲舒�А崋�学の官学化などを武帝に献言した前漢の儒学者。(中略)儒学を皇帝の支配の正統化に役立てる学問に体系化した。」
 儒学�А嵒霙襪里箸�董仲舒の建言により官学とされて以降,中国の皇帝制度を支える政治思想となった」
 五経�ァ崋�学の経典として漢代に定められた五書。一般に,『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』を指す。」
 五経博士��「五経の解釈と教授をおこなう官職。董仲舒の建言により,武帝のとき設置された。」
→ 山川の内部対立再び。教科書2冊の配慮をぶち壊す記述である。どうでもいいが「建言」と「献言」が混在していて,使い分けているようにも見えない。


【儒学の官学化・国教化は武帝代〜前漢末/五経博士に言及する】
山川『詳説世界史研究』:
 「儒教が中国で国教の地位を獲得していくのも武帝期以降のことであり,一般に董仲舒の献策により武帝が五経博士をおいて儒学が官学となったとされている。五経の内容は時代とともに変わることがあるが,主としてこの時代に重視されたのは『詩経』『書経』『儀礼』(もしくは『礼記』)『春秋』『易経』である。もっとも,武帝自身は儒教の教えに従順であったわけではなく(中略)前漢後半の100年を通じて儒教はしだいに皇帝権力にも浸透していった。とくに第10代の元帝は,父親の宣帝が「家を滅ぼす」と心配したほど熱心な儒教の崇拝者となった。」
 「武帝の死から半世紀が過ぎて社会の疲弊が露わになってくると,儒家に期待が集まるようになり,儒家から宰相になる者が増えた。」
→ 官学化と国教化を区別した上で,儒学が官学化したのは武帝期だが,儒教が国教化したのは前漢末ということを言いたいのだと思うが,ちょっとわかりにくいというか,高校生に理解できる文章ではないと思う。ただ,説明としては面白い。一方,五経博士の設置については教科書より用語集の表現に近く,まずい内容。


【儒教の国教化は前漢末以降/五経博士には異論をつける】
実教出版:
 「武帝が董仲舒を信任して五経博士をおき,郷挙里選を実施すると,儒家思想をもつ官僚がしだいに勢力をもつようになった。前漢末ごろから儒学が人民統治の基本となり,やがて国教(国家の正統的教学)として儒教が成立した。」
 「儒教の成立時期については,前漢末,王莽期,光武帝期などの諸説がある。」
 「五経とは,一般に『詩経』『書経』『易経』『礼記』『春秋』の五つの儒家の根本的な経典をさす。ただし,武帝期にこれら五経すべての博士を設置したことには異論もある。」
→ 儒教とは宗教化した儒学であると定義した上で,成立を前漢末以降に置いている。また官学化という言葉を用いていない。これは独自性が高い上に特にわかりにくくもなく,優れた記述と言える。五経博士については,おそらく見識ある人が正確な情報に基づいて教科書を執筆したが,編集側から「受験対策として五経博士を入れてほしい」と懇願され,苦肉の策で「異論もある」と入れたのではないか。


【余談】
ところで,五経の並びが各教科書で微妙に違うのにお気づきだろうか。
1.山川『詳説』『新』『用語集』・東京書籍
             :『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』
2.山川『詳説世界史研究』:『詩経』『書経』『儀礼』(もしくは『礼記』)『春秋』『易経』
3.帝国書院       :『詩経』『書経』『易経』『春秋』『礼記』
4.実教出版       :『詩経』『書経』『易経』『礼記』『春秋』

1の並びが一番オーソドックスで,伝統的な並び順である。2・3・4の並びはあまり見ない。ただ,私が高校の時に覚えた順序は3だった気がするのだが,多分に語呂の問題である気がする。特に『詳説世界史研究』が理由なく順序を動かすとは考えにくいので,2・3・4の並びについて何か知っている人いれば教えてほしい。簡単に調べた範囲ではWikipedia等の出典の怪しいところにしか順序の理由は見当たらなかった。


【まとめと感想】
実教出版の記述が最も良く,比較にならないほど優れている。そして実教出版がこう書いてくれていることで,五経博士や董仲舒を出題している入試問題に対して疑義を申し立てることが可能になった。ありがたいことだ。実のところ私自身,五経博士についての異説は聞きかじっていながらも,深くは知らなかったし,教科書がこうなっているというのも知らなかったから,意識して調査していなかった。過去何年分か,目立つ大学に絞って再調査の必要があるかもしれない。たとえば今年の6番(早稲田大の法学部)の問題の�,料�択肢は,この点でも不備がある。これは私の反省点である。

次点を無理に挙げるなら山川の『詳説世界史』と『新世界史』になろう。不透明なら書かないほうがよいという方針は悪いことではなく,用語集頻度を下げて入試に出にくくするという副次的な効果もある。五経博士を完全に抹消したのは英断だろう。まずいのは東京書籍と帝国書院の教科書で,経済に強い東京書籍と,派手な新説に強い帝国書院であるが,かえってこういう古典的な分野には弱い印象が強まる結果となった。こういうところでも気を抜かずに情報の更新をしてほしい。  
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2021年03月27日

2021受験世界史悪問・難問・奇問集(国立大編)の落ち穂拾い

先週公開した記事の,追加調査や読者の反応を経た補足。それほど大した内容ではないが,それなりの分量になってしまったので補足しておく。

1.共通テスト第2日程
まんま同じ地図が収録されている日本語論文がある(が論文名は忘れた)という読者の指摘があった。それが事実なら,問題文の「『パン=ヨーロッパ論』所収の地図を加工したもの」は大学入試センター自身が加工したようにしか読めないので,問題文が誤読させる文になっていて良くない。また,普通に考えると出典表記が必要である。名古屋大が前に『興亡の世界史』所収の地図を出典不掲載のまま利用したのと同じで,引用の条件を満たしていない。入試問題は著作者に事前に許諾を得ないまま著作物を利用することが可能だが,引用の条件は守る必要がある。私自身がその論文を確認しているわけではないので濡れ衣の可能性があるから,現時点ではあくまで可能性として指摘しておく。


3.東京外国語大
指摘そびれ。ドイツ語の原文にせよ問題文の和訳にせよ,西暦1796年2月9日と同日の嘉慶元年1月1日に譲位が行われたかのように読めるが,清朝の改元は踰年改元であるので,乾隆帝はこの日に譲位したわけではない。実際に乾隆帝の譲位は西暦1795年10月15日。つまり原文も2つのミスがある。もうどうしようもない。


4.一橋大
ついでにゲーテやその周辺情報が教科書でどの程度載っているのか調べてみた。例によってlivedoorブログはExcelで作成した表を直接貼り付けられないので,図での表示になるのはご容赦願いたい。

ゲーテ教科書調査


一橋大のあの問題にまともに対抗しうるだけの情報があるのは実教出版の教科書だけではないかと思う。次点だと古典主義の説明を省いている東京書籍がかえって都合が良い。しかし,大多数が使っていると思われる山川の『詳説』と帝国書院の説明だとゲーテは完全に古典主義の人なので,情報が足りないどころか誤誘導にすらなっている。かろうじて用語集の説明が割とまともなのが救いか。あと,『詩と真実』第三部の引用部分の周辺を読んでみたものの,結局『ゲーテとその時代』で入手できた知識以上のことは書いていなかった。この問題のために『詩と真実』岩波文庫の4冊,『ゲーテとその時代』に『文化と経済』と合計6冊買ったのだが,まだ解決に至っていない。


7.大阪大
まず指摘そびれ。麒麟を引いている人物は飼育係(馬丁)であって,正式な朝貢使ではない。朝貢使に付随する人物にあたるので,厳密に言えばそもそも「使節」ではない。絵に「使節」は映っていないと考えるとその時点で解答不能の出題ミスになる。とはいえこれはちょっとかわいそうな解釈で,ここでいう使節とは朝貢使の随員・私的な下僕,留学生や朝貢品の人夫などを広く含めたものであろうから,その意味でならこの飼育係も「使節」であろう。しかし,この指摘そびれを書いていて気づいてしまったのだが,問題文の情報および調べてみた範囲の情報で言えば,この飼育係はキリンを受け取った後に中国側が用意した人物であるという可能性が捨てきれず,この場合は「使節」の定義をどう拡張したところで当てはまらない。問題文が解答不能な出題をしているということで出題ミスになる。

もう一つ,これは完全に余談だが,阪大の文学部の美術史の教授が,國華賞を受賞していた。國華賞は日本・東洋美術を対象とした美術史学の研究に対して与えられる最高権威の賞である。その論文の内容が「香雪美術館にある《レパント戦闘図屏風》で描かれている戦闘の場面は,レパントの海戦ではなく別の戦闘なのではないか」というもので,阪大があの入試問題を出した年度に,2014年の千葉大の問題にかかわる論文が阪大の教員が受賞したというのは奇遇というほかない。それにしても,場面がレパントの海戦ではない可能性が生じるなら,あの千葉大の問題は完全に崩壊したことになる。7年前にはまだレパントの海戦で疑いを持たれていなかったから,そこを当てこするのはかわいそうなところで私もするつもりは全く無いが,学術的調査が不十分で定説のない作品を大学入試で出題するのは避けるべきということを改めて実証する機会になったということは強調しておきたい。

私は本企画抜きで興味がある内容であるので,大学図書館に入れるようになったら上述のパン=ヨーロッパについての論文とともに探して読んでみます。やっと予約すれば入れるようになったらしいので。  
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2021年03月20日

2021受験世界史悪問・難問・奇問集 その2(共通テスト・国公立大編)

昨日の続き。今年は共通テストと阪大・一橋大の計3問のせいで公開が1週間遅れ,おまけを作る気力が消滅したと言っても過言ではない。何なら一橋大の方はまだ原稿が完成しておらず,後に追記するか別記事を立てる可能性がある。解説が非常に長くなったので,心して読んでほしい。

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Posted by dg_law at 19:30 │Comments(22)

2021年03月19日

2021受験世界史悪問・難問・奇問集 その1(慶應大・早稲田大)

今年も無事に公開に至ることができた。協力してくれる方々に感謝を申し上げたい。

<収録の基準と分類>
基準は例年とほぼ同じである。

出題ミス:どこをどうあがいても言い訳できない問題。解答不能,もしくは複数正解が認められるもの。
悪問:厳格に言えば出題ミスとみなしうる,国語的にしか解答が出せない問題。
→ 歴史的知識及び一般常識から「明確に」判断を下せず,作題者の心情を読み取らせるものは,世界史の問題ではない上に現代文の試験としても悪問である。
奇問:出題の意図が見えない,ないし意図は見えるが空回りしている問題。主に,歴史的知識及び一般常識から解答が導き出せないもの。
難問:一応歴史の問題ではあるが,受験世界史の範囲を大きく逸脱し,一般の受験生には根拠ある解答がまったく不可能な問題。本記事で言及する「受験世界史の範囲」は,「山川の『用語集』に頻度�,任發いい�らとりあえず記載があるもの」とした。


<総評>
例年だと上智+早慶で40〜45個くらいになるところ,今年はなんと17個に収まった。半分以下である。上智は0個だったので,本年は項目自体を立てていない。その影響もあって例年は3記事構成であるが,本年は2記事で済んでいる。減少した理由はいくつかあるが,明確な順に以下の3つが挙げられる。

1.例年だと上智6+慶應4+早稲田9の19日程あったのに対し,上智は2日程を残して撤退し,小論文や総合問題を主体とする入試に変わった。残った2日程も国立型の論述主体であり,極度の悪問が出づらい形式になった。早稲田は国際教養と政経学部が撤退した。結果として2021年は上智2+慶應4+早稲田7=13日程となった。要するに早慶上智の日程数が約2/3になったので,それらの悪問・難問の数が約2/3まで減るのは自然な流れである。
2.実は事前に文科省から「今年の受験生は高校が休校で学習が進んでいないから,入試問題は手加減しろよ」というお達しが出ていた。意外にも慶應がこれに従ってかなり易しくなったので,法学部以外は収録対象問題0問だった(なお法)。これにより慶應は例年4日程あわせて12〜13個の収録があったが,今年は5個だけであり,慶應だけで比較するなら完全に半分以下になった。ただし,早稲田はこのお達しをほぼ無視した様子。上智は前述の通り,入試制度そのものの変化の影響の方が大きいので,お達しは影響していない。
3.単純に早慶ともに作問側が巧妙になっていて,グレーゾーンからの出題は目立った印象。

しかしながら国立大は上述の文科省のお達しを完全に無視しているところが多く,本企画への収録が無い(つまりちゃんと高校世界史範囲を考えて作っている)東大や北海道大等も含めて,私の感触では難易度は全然下がっていなかった。正直に従った慶應大がバカを見た感じが。国公立大とは一体。

以下,本編。

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Posted by dg_law at 19:23 │Comments(27)

2021年02月09日

ロッキード事件とNPT批准がクロスするのは面白い

・ノモンハン 大戦の起点と終止符(朝日新聞)
→ 様々な史料も挙げつつビジュアルも見やすく,ノモンハン事件について深く掘り下げた充実の内容。一読の価値がある。むやみに戦線を広げたはいいが物資が足りず,おまけにドイツと歩調が合わずに停戦,おまけにスターリンに不信感を植え付けて日ソ中立条約破棄の布石になったという。関東軍や陸軍指導部の無責任体制もひどい。戦闘そのものは被害を見るに意外と善戦していたことが明らかになっているが,双方の余力を考えると痛み分けというには厳しい。


・NPT批准、天皇発言で「議長やる気に」 メモで裏付け(朝日新聞)
→ これは天皇の示唆がいい方向に作用した現象だが,立憲君主としての振る舞いからはやや逸脱しているように思われる。戦後でもこういうのがあったのだというのは不思議な感覚になるところで,一応は大日本帝国憲法でも天皇は直接的な発言を避けるべき立場にあったはずだが,いわゆる田中義一の辞任しかり「御聖断」しかり戦前は天皇の意向が出てしまう体制だったのだろう。その名残としての本件を見るに,昭和天皇は戦前と戦後を貫き通す存在であると改めて思った。
→ ところで,1968年発効のNPTについて,日本は署名が1970年,批准が1976年とかなり出遅れていたのだが,そういえばその理由を知らないなと思って調べてみると,非核保有国に対する安全保障とIAEAの査察が技術の漏洩になるという疑念,米ソの核軍縮への不信感の3点で自民党・外務省内部でも揉めていたし,野党からの反対も大きかったようだ。1972年のSALT�気猟�結,1973年のパリ和平協定とデタントに向かっていた時期ではあったが,冷戦中の緊張感を感じる話ではある。しかしながら,日本の批准の最後の決め手になったのが昭和天皇の意向とロッキード事件でそれどころではなくなったからというのは,こう,国際的な緊張感に釣り合わない国内事情で歴史の面白さとやるせなさを同時に感じる話ではある(ロッキード事件の発覚が2月,批准が6月)。


・女性同士の愛を描く――歴史に埋もれかけた英ビクトリア朝の絵画(CNN)
→ この画家のことは知らなかったが,画風は完全にラファエル前派で,記事中の経歴を読んでもそれは裏付けられる。とすると歴史画を主体としたのは理解できるところで,あとの題材選択はやはり本人の出自(ユダヤ人)や性的指向によるものなのだろう。晩年の画風は象徴主義に近いし,実際に象徴主義の詩人とはつながりがあったようだから,西洋美術史全体の様式の変遷に影響を与えているだろうし,ジェンダー美術史が発展するにつれて扱いが重要な画家になっていきそう。
→ サムネにもなっている「ミティリニの庭園のサッフォーとエリンナ」は,弊ブログでも取り上げた傑作短編漫画の『うたえ! エーリンナ』の主人公のエーリンナである。ミティリニはレスボス島の主要部の地名。サッポーはともかくエーリンナが描かれることは稀なので少し驚いた。


・江戸時代のスイカはどのようにカットしていたのかというお話(太田記念美術館)
→ 非常に面白い話なのだけれども,「当時描かれた絵を見れば,当時の人々の風習がわかる」と早とちりされると美術史学の危機なので注意は促しておきたい。画家は描写の美しさを優先して嘘を描く。また貴族や富裕層はしばしば趣味として当時普通ではなかった格好や趣味を行う(たとえば近世の西欧貴族は絵画の中だと古代や中世の服装に扮するーーそれも当時の雑な考証の下に)。だから,絵画作品から当時の風習を読み解いた場合に,研究者の精査抜きに信用するのは怖い。
→ 本記事の場合は,あまり疑うに足る状況の作品群ではないのと,記事中に「江戸時代のスイカの切り方については、あくまでいくつかの浮世絵を眺めた上での印象にしか過ぎません。しっかりとした調査はまだしておりませんので、何か情報がありましたらご教示下さい。」とあるのでかえって信頼できるのだが,微力ながら私もこれは言い添えておきたくなった。  
Posted by dg_law at 12:00 │Comments(0)

2021年01月28日

高校世界史上で「大ジンバブエ」と「モノモタパ王国」をどう扱うか

高校世界史深掘りシリーズ。現在のジンバブエ共和国には,その国名の由来となった大ジンバブエ(グレート・ジンバブエ)遺跡がある(見たことがない人のためにGooglemapにリンクを張っておく。ストリートビューで中を見ることができてけっこう面白い)。大規模な石壁に囲まれた都市遺跡であるが,この都市を建設したのは誰かというのは長年論争があった。19世紀後半から20世紀前半にかけては「サハラ以南の黒人にこのような都市を建設できるはずがない」という偏見からフェニキア人などの非黒人建設説が唱えられていたが,20世紀半ばにはさすがに否定され,現地のショナ人のモノモタパ王国(ムタパ王国)が建設したという説が有力になった。

しかし,現在ではこの説も否定された。というのもモノモタパ王国の存続年代が以前は11〜19世紀とされていたが,これは支配階級の部族や栄えた地域の変化を無視して,ザンベジ川とリンポポ川に挟まれた領域に存在した全ての王国をひっくるめて「モノモタパ王国」と見なしていたためである。研究の進展により実際には,最初に成立した大国家がマプングブエ国(11世紀後半〜13世紀),次に発展したのが大ジンバブエ(13〜15世紀末),そしてトルワ王国(15世紀半ば〜17世紀)と続き,最後に登場するのがモノモタパ王国(15世紀半ば〜18世紀初頭)と分かれていた。このうちポルトガルと密な接触を持ったのはモノモタパ王国だけである。つまり,モノモタパ王国の存続年代を11〜19世紀としていたのは,北宋以降の中国をまとめて「清」と呼ぶくらいの乱暴さであったということだ。この時代区分からもわかる通り,大ジンバブエの建設と繁栄の年代は13〜14世紀,トートロジー気味ながら(都市の)大ジンバブエの建設者は(国としての)大ジンバブエというところまで絞られている。このあたりは講談社現代新書『新書アフリカ史 改訂新版』で詳細に説明されているので,ご興味のある方はそちらを参照されたい。


さて,いつもの教科書調査に行く前に,もう一つ触れておかなければならないことがある。高校世界史上のサハラ以南のアフリカ史はどうしたって周辺史の扱いを免れない。大概の場合,モノモタパ王国も大ジンバブエも「イスラーム史」の章で扱われる――ショナ人の多くはムスリムではなかったにもかかわらず。それでも周辺史という概念を打破しようという動きは見られ,近年ではイスラーム史から切り離した章立てをして,その章でモノモタパ王国と大ジンバブエを扱うという構成をとる教科書も現れてきた。

しかしながら,イスラーム史から切り離す章立てが唯一の正解かは疑問が残る。イスラーム史から独立したアフリカ史は教える項目が少なすぎて,他の章に比べると圧倒的に薄い章になってしまい,かえって扱いづらいのである。しかもアフリカ史というくくりにした場合,西アフリカのガーナ王国,北東アフリカのスーダン・エチオピア,南東アフリカの大ジンバブエ・モノモタパ王国をまとめて教えることになるので,地域も時代も遠く隔たっているものを無理矢理まとめる形になり,高校生の理解を妨げることになる。しかも他地域と文脈がちぎれた状態になるので,王朝の興亡が「点」になりやすい。

一方,イスラーム史にくっつけてしまう既存のやり方はこうした欠点が無い。また,エチオピアやモノモタパ王国はイスラーム化しなかった例外事例であるので,かえって高校生の頭に残りやすいという逆説的な効果が現れる。イスラーム史の付属物として扱うのは,倫理的な問題点を許容してでもアフリカ史の理解を深めさせるという実益があるのだ。(同様の現象は南北アメリカ文明を独自の章でやるか大航海時代に入れ込んでしまうかという問題で発生する……長くなるのでこれはまた別の機会に。)


以上の内容を前提として,高校世界史Bの教科書5冊と山川用語集,山川『詳説世界史研究』の7冊を比較した。なお,いつも無視している残りの非受験用の世界史B教科書2冊であるが,今回に至ってはそもそもモノモタパ王国・大ジンバブエ遺跡ともに掲載がなく,比較しようがないことを付記しておく。モノモタパ王国はともかく,世界史の教科書として大ジンバブエが登場しないのはどうなんですかね……非受験用とかそういう問題ではない気が。

《アフリカ史はイスラーム史の章で扱う/大ジンバブエの建設者は曖昧》
・山川『詳説世界史』:本文では「ザンベジ川の南では11世紀頃から,金や象牙の輸出と綿布の輸入によるインド洋交易によってモノモタパ王国などの国々が栄えた。この地域の繁栄ぶりはジンバブエの遺跡によく示されている。」また大ジンバブエの写真を示し,そのキャプションで「『石の家』を意味する巨大な石造建築遺跡群。写真は18世紀に建設された神殿で,煉瓦上の石材を積み重ね,整然とした外観を呈している。」
→ かろうじて大ジンバブエの建設者をモノモタパ王国と断定していないが,そうとも読める微妙な表現。モノモタパ王国の存続年代が11世紀以降になっているのは怪しい。建設者をぼかすレトリックとしては面白い文章で,思わず笑ってしまった。こういうの嫌いじゃない。また,大ジンバブエの建設年代はほぼ13〜14世紀であるはずで,わざわざ例外的な18世紀の神殿の写真を持ってくる意図もわからない。
・山川『用語集』:モノモタパ王国の項目「11〜19世紀 ショナ人が建設した王国」・大ジンバブエ遺跡の項目「13〜15世紀に最盛期を迎えた。」
→ 『詳説世界史』と同じで,大ジンバブエの建設者はぼかしている。モノモタパ王国の存続年代は旧説によっている。


《アフリカ史はイスラーム史の章で扱う/大ジンバブエの建設者はモノモタパ王国》
・山川『詳説世界史研究』:「ザンベジ川の南では,11世紀頃から,金や象牙の輸出と綿布の輸入によるインド洋交易によってモノモタパ王国(11〜19世紀)などの国々が栄えた。王国は15世紀頃に最盛期を迎えたが,その繁栄ぶりは,インドのガラス玉や中国の陶磁器が出土するジンバブエの石造遺跡によく示されている。」
→ これは完全にアウト。せめて教科書や用語集のようにごまかしてほしかったところ。


《アフリカ史は独自の章を設ける/大ジンバブエの建設者はモノモタパ王国ではない》
・山川『新世界史』:「ザンベジ川とその南のリンポポ川の流域には,12〜13世紀にマプングブエ,15〜17世紀にはモノモタパ王国が成立した。近くで産出される金の交易で豊かになった有力者は,丘の上に石造の壁にかこまれた大きな館を建設した。13〜14世紀に同じ地域に成立するジンバブエは,人口1万8000の大都市で,石で大きな首長の家や城壁が建てられた。その遺跡からは,中国製の陶器・綿布・貨幣や各種銅製品などが発見され,ジンバブエが遠隊地交易の拠点となっていたことがわかる。」
→ 章立てについて補足しておくと,「アフリカと南北アメリカ」という章題で,前近代のこれらの地域の歴史を扱っている。説明は全教科書で最も詳細で,成立年代からモノモタパ王国とは別の勢力が建設したことがわかるようになっている。ところで,マプングブエを載せているのは山川『新世界史』が唯一で……これはあれじゃな,慶應大の法学部がそのうち出題するやつじゃな。できれば掲載する用語は減らすように配慮してほしいところ。
・東京書籍:本文では「ザンベジ川とリンポポ川に挟まれた地域では, 11世紀ごろからバントゥー系のショナ人が都市文化を形成し, 13世紀にはグレート=ジンバブエ(大ジンバブエ)が栄えた。15世紀になるとモノモタパ王国が成立し,金の輸出をはじめとするインド洋交易によって繁栄した。」また本文の外のコラムで,大ジンバブエが19世紀の歴史学において非黒人が建設したと議論されていたこと,それが人種差別的な思想によるものであったことが指摘されている。
→ 今回最も良いのは東京書籍だと思う。章立ては「アフリカ,オセアニア,古アメリカ」というくくり。簡潔に必要事項をまとめている説明で,人種差別が学問をねじまげていた事例を扱うコラムは共通テストの方向性を考えても重要だろう。
・帝国書院:「アフリカ南東部では,バントゥー系言語を話す人々がジンバブエの石造建築群を築き,農業や牧牛を基盤として金交易で栄えたが,15世紀末に衰退した。その後に成立したモノモタパ王国は19世紀まで金と象牙の交易を行った。」
→ こちらも概ね問題ない説明。しいて言えば,ザンベジ川の名前を本文中に出してほしかったかも。章立ては「サハラ砂漠以南のアフリカ」だけの完全単独の章で,いかにも倫理的な問題を気にする帝国書院っぽい。


《アフリカ史は独自の章を設けるが,大ジンバブエはイスラーム史の章で扱う/大ジンバブエの建設者はモノモタパ王国》
・実教出版:「ザンベジ川流域には,ジンバブエと呼ばれる巨大な石造建築群がつくられ,遺跡からイランや中国製の陶器が発見されたことは,ムスリム商人との交易を物語る。ジンバブエを中心としたモノモタパ王国は,15世紀以降に金を産出し,インド洋交易で栄えた。」
→ 一番よくわからない教科書。「アフリカ史」は南北アメリカとくっつけて章立てしている一方で,その章ではガーナ王国とクシュ王国・アクスム王国までしか扱わない(これにより,ただでさえ薄いアフリカ史がさらに薄くなってわずか1ページ弱で終わっている)。そして,ザンベジ川・リンポポ川流域は結局イスラーム史の付属物という扱いになっている。しかも旧説によった説明で,ジンバブエがモノモタパ王国の中心都市という扱いになっている。


【まとめと感想】
一番良いと思ったのは東京書籍で,次点が帝国書院である。山川『新世界史』はちょっと説明が過剰で,高校生が読むことを考えるならもう少し短くまとめてほしい。あとマプングブエは出題される前に削ってくれ。決定的にまずいのは実教出版と山川『詳説世界史研究』で,特に後者は『新世界史』の記述と見比べた時の見劣りが甚だしく,早急な改善を求めたい。それ以外の山川『詳説世界史』と『用語集』は態度を決めかねているのが見苦しいので,決定的なまずさは無いがリライトしてほしい。

以上を眺めてわかる通り,実教出版の裏切りを除くと,やはりアフリカ史をイスラーム史から切り離している教科書の方が新説に敏感で,意欲はこういうところに如実に出てしまう。しかし,本来であれば章立てに関する意欲と,積極的に新説に切り替える意欲は全くの別物であるはずで,あくまで個人的な意見として,アフリカ史をイスラーム史の付属物としつつも説明は正確という教科書が1冊くらいはあってよいのではないかと思った。  
Posted by dg_law at 22:45 │Comments(5)

2021年01月18日

高校世界史の教科書で「ニューディール」をいかに扱うか

高校世界史深掘りシリーズ。一般にフランクリン=ローズヴェルト政権がとったニューディール(政策)はアメリカ経済を回復させ,世界恐慌からの回復を実現したというイメージを持たれていると思われる。実際にはアメリカは1937年の秋頃に再度不況に突入し,1938年には二番底を経験している。ニューディールは議会と司法の抵抗により当初の想定よりも小規模でしか実現されず,十分な効果を発揮することができなかった。司法の抵抗としてはNIRAの違憲判決が有名であろう。議会は共和党はもちろん,民主党も南部の保守派が強く抵抗した。ちょうど民主党がリベラル旋回の途上にあって,伝統的な民主党の党員と亀裂が生じていた時期と重なっていたというのは見過ごされがちであるかもしれない。結局,アメリカが世界恐慌からの完全な脱却に成功したのは第二次世界大戦による軍需拡大の貢献が大きい。

しかし,ではニューディールの歴史的意義が過大評価されているかというと,そうとは思われない。アメリカが第二次世界大戦で「民主主義の兵器廠」たりえたのは,ニューディールによって国家アメリカの民主主義が国民の高い信頼を勝ち得ていたからであり,また政府の経済計画能力を向上させていたという前提条件を達成していたからである。福祉国家と総力戦体制は政府の指導力と政府への信頼の両面において密接な関係があり,ヨーロッパでは第一次世界大戦が福祉国家を生んだと指摘されている。アメリカでは逆に,ニューディールによる社会福祉政策が第二次世界大戦時のアメリカを生んだということになる。ニューディールは「民主主義」にも「兵器廠」にも必要であった。

さて,以上の内容を高校世界史でどう扱うかは判断の分かれるところになる。これは研究の進展で事実や解釈が変わったということではなく,どこに力点を置いて扱うかという話になるからだ。政治史や「大きな物語」を重視する目線で言えば,ニューディールが「民主主義の兵器廠」に直結したことを教えられれば十分であるから, 1937年の二番底は瑣事でしかなく,高校生に無用な暗記事項を増やすノイズですらある。一方,経済史を重視し,景気循環は現代でも重要な社会現象であってその対策の歴史は現代的な強い意義を持つと見なす立場に立てば,むしろ1937年の二番底は教えるべき必要事項になる。教える事項が増える分は,別の時代の事項を減らして対応すればよい。

実際に,各社の教科書でもここは記述が割れている。ということで,いつもの5冊+用語集+山川『詳説世界史研究』の記述を比較する。なお,ドル=ブロックが国際経済を悪化させてファシズム諸国の台頭を誘引した点はいずれの教科書にも言及があったことを念のため付記しておく。


《1937年の二番底には薄く触れる/歴史的意義は民主主義面に言及》
・山川『詳説世界史』:「これら一連の経済復興の効果は限られていたが,国民の不安を軽減し,ファシズム諸国に対抗して民主主義をまもった意義は大きかった。」
・山川『新世界史』:「アメリカ経済が29年の水準に戻ったのは41〜42年頃のことであったが,アメリカ国民は国民生活に安定をもたらそうとした新たな連邦政府のあり方を強く支持した。」
→ 山川出版社の2冊は,�‘麋崢譴修里發里砲録┐譴覆い�ニューディールの景気回復は限定的だったことには触れる,�⇔鮖謀�意義では民主主義への貢献を重視するという方針で一貫していた。山川出版社らしい堅牢でバランスのとれた記述であり,特に『詳説世界史』は好印象。
・帝国書院:「それでも恐慌は克服されなかったが,企業間競争の公正さと労働者の権利保護が促進されたため,議会制民主主義への信頼が失われず,アメリカはファシズム化からまぬかれることになった。」
→ 帝国書院の記述も山川の2冊に近い。割と山川と意見が合わない帝国書院なので,ここまで記述が近いのは珍しい。本題ではないが「まぬかれる」という表現に筆者のこだわりを感じる。

《1937年の二番底には薄く触れる/歴史的意義は民主主義面・軍需面に言及》
・山川『詳説世界史研究』:「当初の経済復興効果は小さかった。(中略)このような矢継ぎ早の恐慌対策を打ち出したにもかかわらず,その景気回復効果は小さく,1934年春になっても,約1,000万人の失業者が存在した。」「また,経済効果は小さかったが,社会保障法を成立させて貧困層の不満を緩和させるなど,ファシズム諸国に対抗して民主政治の擁護に成功した意義は大きかった。」
「39年にヨーロッパで戦争が勃発すると,大規模な軍備拡張を開始するとともに,41年には武器貸与法を制定して,イギリスなどの連合国側への支援を開始した。この軍需生産の拡大により,アメリカ経済は量的に急成長を遂げただけでなく,航空機・石油化学・原子力・コンピュータなどの先端部門での技術革新にも成功し,戦後世界で覇権を確立する経済基盤を整備することになった。」
さらにコラムでスタインベックの『怒りの葡萄』を取り上げ,ニューディールが西部の小農民まで行き渡っていないこと,自作農だけを救済する性格であったことを指摘。
→ 『詳説世界史研究』はさすがに記述が重厚で,ニューディールの持つ(ブロック経済と合わせて)「アメリカンファースト」という側面や,『怒りの葡萄』を引用しての都市部・中間層重視の政策であったという側面の指摘まであった。『詳説世界史研究』は検定教科書ではないので制限が無いため十分な説明をしやすいのは確かだが,それにしてもこれは気合いが入っている。

《1937年の二番底に触れる/歴史的意義は軍需面に言及》
・東京書籍:「こうした政策の結果,景気が回復したが,1937年にふたたび恐慌にみまわれると,彼は財政支出による有効需要拡大政策をとり,軍需産業の拡大にものりだした。」
→ 社会経済史に特化した東京書籍らしい記述。1937年の年号を出し,その脱出のために財政出動を増やし,結果的に軍需産業に手を付けることになった流れは簡明に描いているが,民主主義への影響は言及が無い。

《1937年の二番底には触れない/歴史的意義にも触れない》
・実教出版:特に記述無し(ニューディールの内容説明のみ)
→ 驚きの記述無し。もちろんニューディールの内容(NIRAやAAA)はちゃんと説明しているものの,アメリカはそのまま順調に回復した印象を受ける文章。
・山川『用語集』:「ニューディール」「フランクリン=ローズヴェルト」他,いずれの項目でも,二番底にも歴史的意義にも言及無し。前者はともかく,歴史的意義の説明は教科書でという役割分担だろうか。しかし,他のトピックでは辞書という本分をはみ出て教科書的な言及してしまうことが多い『用語集』が,ニューディールだけ抑制的な記述というのも不自然である。


【まとめと感想】
私見では,山川の『詳説世界史』『新世界史』と帝国書院の教科書の記述が好印象である。東京書籍は民主主義への言及があれば完璧だっただけに惜しいが,1冊くらい軍需への言及に偏っていてもよいし,それが東京書籍というのは非常に「らしい」。『詳説世界史研究』は饒舌すぎ,これは教科書でなく参考書だから許されている厚さである。内容が薄かったのは実教出版の教科書と山川『用語集』で,歴史的意義への言及が民主主義にも軍需にも無いのには驚いた。山川『用語集』はまだしも辞書だからという言い訳がきくが,教科書でこれはまずかろう。もっとも,実教出版はその後の第二次世界大戦,特にアジア・太平洋戦争の記述が非常に分厚いので,20世紀前半という大枠で見ると,世界恐慌よりも大戦にウェイトを置きたかったから世界恐慌は短く済ませたかったのかもしれない。  
Posted by dg_law at 21:24 │Comments(9)

2020年10月19日

高校世界史でいかにリシュリューと三部会停止を記述するか

高校世界史深掘りシリーズの小ネタ。ルイ13世の宰相といえばリシュリューであるが,ルイ13世の在位年1610〜43年,リシュリューの宰相就任は1624年である(1642年に在任のまま死去)。つまり,ルイ13世とリシュリューのコンビが組まれたのは,ルイ13世の治世33年の後半,約18年ほどであった。ルイ13世は即位時点で9歳であり,母后マリー・ド・メディシスが実権を握っていた。そのマリー・ド・メディシスが,1614-15年の(全国)三部会に聖職者代表として出席・活躍したリシュリューに目をつけて登用した。その後,ルイ13世は長じて母の専横を嫌って親政を開始したが,それでも母の寵臣だったリシュリューは追放せず,どころか宰相に引き上げた。リシュリューはマリー・ド・メディシスの寵愛ではなく,その才覚によって宮廷に留まったと言えよう。

リシュリューの事績は多岐にわたるが,高校世界史上,その一つとして挙げられるのが三部会の停止である(以後,本稿で扱い三部会は全て全国三部会のみを指す)。三部会は国内諸身分の代表を招集して,国王の課す新税について協議させ,承認を得る機関であった。諸身分の同意を得たという形で新税を課すことで国民の不満を減らすという意図があったが,王権が強化されたことで有無を言わせない徴税が可能になれば,三部会の招集は必要がなくなる。リシュリューは王権を強化する目的で1614-15年の三部会を最後として開催を停止し,次に三部会が開かれたのはその約174年後の,フランス革命勃発時のことであった……と簡単にまとめようとすると,実はちょっとした史実の誤りが紛れ込むことになる。実は,リシュリューは(全国)三部会を停止・廃止する具体的な法令を出しておらず,三部会という制度そのものに手を付けたことはない。制度としては残っていたからこそ,約174年後に再開する機運が巡ってきたということである。

リシュリューは王権の強化政策を進めて,三部会の開催を認めなかった。そう,リシュリューは三部会の開催を停止したというよりは,開催させなかったのだ。ルイ14世の治世でも同じように後継の宰相マザランが強権で貴族勢力を押さえ込み,三部会が必要そうな場面であっても開催しなかったため,それがフランスの伝統として定着していった。その意味で,リシュリューが三部会を開催しない伝統を形成したと言いうるだろう。しかしながら,「開催しない伝統を形成した」という回りくどい言い回しでは,高校生は理解しづらい。そこで高校世界史では,誤解含みになることはあきらめて「リシュリューが三部会の開催を停止した」とまとめてしまうことになる。私もこのまとめ方はある程度しょうがないと思う。

一方,入試問題の正誤判定でそういう文が出てきたら審議の対象になる。入試問題に求められる厳密さは高校世界史の標準よりも厳しい。これは教科書も同様である。教科書は誤った史実を記述できない。しょうがないからという理屈で高校世界史的な嘘が許されるのは参考書であって,そこが教科書と参考書の身分による大きな違いであると思う。

そういうわけで教科書は,
・リシュリューが王権強化の政策をとったことを必ず盛り込む。
・三部会の不開催は,歴代の君主・宰相の王権強化の過程で生じたというニュアンスを出す。
・ただし,リシュリューが三部会停止の主語になってはいけない。
の3つの制約を全て守って,かつできるだけ簡略に記述しなければならない。これは非常に厳しい。こういう制約が厳しい部分は,教科書執筆者・編集者の腕の見せどころになると考えられる。というわけで,実際の記述を確認してみたのが以下の通り。対象はいつもの5冊+山川用語集・『詳説世界史研究』。


《リシュリューが”開かなかった”とそのまま書く》
・山川『詳説世界史』:「ルイ13世の宰相リシュリューは,王権に抵抗する貴族やユグノーをおさえて三部会を開かず,国際政治では……」
・山川『詳説世界史研究』:「彼(編註:ルイ13世)のもとで宰相となったリシュリュー枢機卿は,王権に抵抗する貴族やユグノーをおさえて王権の強化を進めた。リシュリューは地方当地のために王直任の役人(アンタンダン)を派遣し,王権を制約する身分制議会の全国三部会は,14年に招集されたものを最後に開かれなくなった。」
→ どちらもリシュリューが”開かなかった”とは言ったが,”停止した”とは言っていない。事実そのままの記述ではあり,あまり工夫があるとは言いがたい。そこは授業中の教師の説明で補足してもらうということなのかもしれない。ともあれ,3つの制約は全て守られているし,『詳説世界史』の記述は非常に短くまとまっている。
→ 逆に,珍しくも『詳説世界史研究』の書き方はスマートでなく,文の途中で主語が変わっていてちょっとわかりにくいし,1614年の開催が最後と言われると1789年の三部会は? ってなるし,記述がやや危うい気も。


《順当に主語をルイ13世にしてしまう》
・山川『新世界史』:「17世紀初頭,フランス最大の課題は,ユグノー戦争期以来の宗教対立を解消し,国王の政府の権威を確立することにあったが,これに取り組んだのがルイ13世と宰相リシュリューであった。ルイは貴族の私的軍事力を解体し,さらに一部貴族の反乱を鎮圧する一方で,官僚である地方長官を全国に派遣した。また王権を制約していた全国三部会を1614年を最後に停止した。」
・帝国書院:「ついで即位したルイ13世は,1615年以降は三部会の招集を停止し,1624年,リシュリューを宰相にして財政の改革をはかった。」
→ 山川『新世界史』は全てルイ13世を主語として処理してしまい,リシュリューはその補助としている。帝国書院の方はルイ13世とリシュリューの事績を明確に分けて記述し,三部会の招集停止はルイ13世を主語にしている。これらは史実の記述としては正確であり,しかも王権強化の過程で不開催になったというニュアンスもちゃんと出ている。しかしながら,リシュリューの事績が矮小化されていて,かえって全体像が見えづらくなっているという欠点もある。リシュリュー抜きのルイ13世自身がそこまで有能で王権強化に熱心だったかというと疑問で,やはり三部会停止を除けば主語がリシュリューであるべきだ。3つの制約の1つめが完全に守られているとは言いがたい。


《三部会は脚注で処理する》
・東京書籍:本文は「ルイ13世の時代になると,宰相リシュリューが大貴族やユグノーをおさえて王権の強化に努め……」として,高等法院につけた脚注で「三部会は1615年の解散以後開かれなくなると,王令審査権をよりどころに王権の強化に抵抗した」と言及。
・実教出版:本文は「ルイ13世の時代には,宰相リシュリューが王権に反抗する大貴族やユグノーをおさえ……」として,高等法院につけた脚注で「三部会が1615年からひらかれなくなると,王令登録権をよりどころに,王権に対する貴族の抵抗の拠点となった」と言及。また,リシュリューでコラムを作っていて「1614年の三部会で聖職者身分の代表となったのを機に,政界入りした」と言及。
→ どちらも三部会の招集停止を高等法院に付した脚注に飛ばして処理している。これは私にはできない発想で,異なる2つの出版社が共通してこの処理にしているのは面白い。山川の『詳説世界史』以外は古い版を収集していないのでわからないのだが,どちらが先にこの処理を思いついたのか(どちらがこれを真似たのか)はちょっと気になる。情報を持っている人がいたらください。
→ 閑話休題。リシュリューが王権強化の主役だったことが伝わる本文になっていて,かつ三部会停止が王権強化の過程のニュアンスに乗っていて,三部会停止がリシュリューの事績になっていないから,3つの制約が守られている。意外とこれが最適解の処理かも。


【まとめと感想】
山川『詳説世界史』の記述は簡素すぎる気はするが,逆に言えば最小限の字数でよくまとまっていると思う。逆に『詳説世界史研究』は饒舌すぎてかえってわかりにくい。ルイ13世を主語にした2冊は,リシュリューの立場があやふやでちょっと彼がかわいそう。脚注に飛ばしている2冊は見事な工夫と言えよう。そう,こういう面倒なものの説明は本文に入れなくてよいのだ。

なお,山川『用語集』はリシュリューの項目の説明で,三部会停止を彼の事績として挙げていない。そして別に「三部会招集停止」の項目を立てていて,そちらでもリシュリューには触れておらず,相互に言及しない形をとっている。これは用語集が辞書だからこそできることであり,辞書には辞書の記述上のアドバンテージがあるということだろう。  
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2020年09月11日

パブリブ出版物・献本物の書評(『ピエ・ノワール列伝』・『亡命ハンガリー人列伝』・『重慶マニア』)

パブリブから献本された書籍の書評その2。『ドイツ植民地研究』は分厚すぎて今読んでいるところ。『旧ドイツ領全史』は受け取ったばかりでまだ開いてないので,この2冊はしばらくお待ち下さい。つながりが深い2冊でもあるし。


・『ピエ・ノワール列伝』
初見時にワインの話かな? と思ったのは内緒だ。ピエ・ノワールはアルジェリアを中心とするマグレブがフランスから独立する前後の時期に,フランスに移住した植民地生まれ・育ちのフランス人の総称である。ピエ・ノワール自体は「黒い靴」の意味だが,それがこの人々を差すようになった経緯は不詳とのこと(本書の冒頭で説明がある)。本書はピエ・ノワールの中から有名人をピックアップして紹介している。代表例を挙げていくと,アルチュセール,ジャック・アタリ,アルベール・カミュ,ジャック・デリダ,イヴ・サン=ローラン,ジュスト・フォンテーヌ,メランション,ジャン・レノなど。ジュスト・フォンテーヌは全くそんなイメージが無かったのでちょっと驚いた。サッカーといえばジダンが入ってないと思った人もいそうだが,彼はベルベル人の家系でかつ2世なのでピエ・ノワールの定義に入っていない。とはいえピエ・ノワールの指す範囲は曖昧かつ複雑なようで,本書でも紙幅をとって説明されている。

本書は286ページあるが一人あたりはおおよそ1〜2ページ,つまり膨大な数の人物が紹介されている。特に芸能人はカバー率が高い。正直に言って私には全く興味がわかない人の紹介も多かったが,逆に言えばそれだけ広くピエ・ノワールがフランス社会に入り込んで活躍していると言えるだろう。その意味で,欲を言えばもうちょっと人数を絞って一人一人を深く紹介してもらえると,ピエ・ノワール初心者にはありがたかったかも。人物紹介以外だと本書はコラムが充実していて,本書を読むような人なら誰でも気になる「アルジェリア(独立)戦争」「フランスの核実験」「ピエ・ノワールの投票行動」等は面白かった。ド・ゴールに裏切られたという”記憶”から国民戦線への投票する人が多いとは,まさに歴史が現代政治を動かしている。






・『亡命ハンガリー人列伝』
こちらはハンガリー人の亡命者を紹介したもの。ピエ・ノワールと違って亡命者を輩出してきた歴史が長いため,18世紀のラーコーツィ・フェレンツ2世に始まり,1956年ハンガリー反ソ暴動による亡命者まで続く。ただし,本書では「なんらかの事情で国外に出ることを余儀なくされた者,または自発的意志で外国に移住した者」を列伝としてまとめているので,厳密に言えば亡命者以外の収録も多い。亡命の波は大きく五度あり,1848年革命・19世紀末の経済的移民・一次大戦敗戦後の混乱・戦間期(主にユダヤ系)・1956年である。本書はこれに沿って紹介が進む。

これもざっと有名人を挙げていくとコッシュート,ヘルツル・テオドール,クン・ベーラ,ホルティ,カール・ポランニー,カール・マンハイム,バルトーク,ロバート・キャパ,フォン・ノイマン,プシュカーシュ(マジック・マジャール),ジョージ・ソロス,ピーター・フランクルといった面々。時代が広く,亡命・移住しているという事情からかさすがに有名人が多く,業績をあまり把握していなくとも名前くらいは聞いたことがある,という人々が多いのではないか。ただし本書もやはり人物一人に長くても6ページ,短いと1ページで,人物紹介としてはやや短い印象があった。カール・ポランニーやプシュカーシュが4ページというのはちょっと寂しく,やはり人物数を絞ってもよかったのではないかとはちょっと思った。とはいえ,これだけボリューミーであるので,亡命者の列伝から自然と近現代ハンガリー史を追うことができる構成となっており,これまたこれだけ多くの著名人が国外に出ていかざるをえなかった歴史をよくよく噛みしめることができよう。





・『重慶マニア』
重い本2冊からいきなり軽めの本に飛ぶのだが(とはいえ本書もネタが軽いだけで219ページもある),中国は重慶市に絞った,非常にマニアックな紹介本である。『ウクライナファンブック』等と同様に地理・観光・料理・文化・歴史など様々な観点から重慶を紹介していくのだが,これまでのパブリブの本とは異なって,圧倒的に観光に重点が置かれている。これは筆者が学者ではないという属性の違いによるところが大きいと思われるが,重慶という都市ピンポイントであって広がりのある国家ではないだけに,この方針は当たっている。というか,とことん無駄にマニアックを突き詰めるのはパブリブの出版方針に一番マッチしているかもしれない。

やはり目を引くのは重慶という都市の広大さ,激しい高低差,異様に生えている高層ビル群が生んだ奇景の数々であり,フルカラーで書籍の冒頭でふんだんに紹介されている。あとはやはり四川料理で,紹介される数々の火鍋に,重慶に行ったらスイーツだけ食って過ごす覚悟を決めた(私は唐辛子をこの世から滅ぼしたいくらい辛いものが食べられない)。このページ赤すぎないですかね……

重慶市といえば一つの市としては異様に広く,北海道よりも広い。三国志で有名な白帝城も重慶市に含まれる。その他に歴史ネタといえば,日中戦争期の中華民国首都であったり,改革開放政策前の重工業都市であったりとやはり近現代史の話が多い。本書では「民国時代の史跡は,国共内戦の影響で大体廃墟になっている」とあったが,写真で紹介されているものを見る限りむしろよく残っている印象を受けた。わずか8年間の首都時代に使われていたソ連大使館の建物が別の施設に転用されて残っているのはなかなか大したものだ。日本とのつながりでは,重慶爆撃の他に,私も知らなかったのだが租界(それも列強唯一の)があったらしい。まあ,日中戦争開戦で閉鎖になり,史跡は現在立ち入り禁止らしいのだが。本書は最後に重慶渡航のためのアドバイスがまとめられているのだが,まさか出版直後に世界がこんなことになろうとは,全く予想だにしないところであった。


  
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2020年09月10日

パブリブ出版物・献本物の書評(『第二帝国』・『タタールスタンファンブック』・『ウクライナ・ファンブック』)

パブリブから歴史系・地域紹介系の書籍が出版されると献本が来るのだが,長らく積ん読にしてしまっていた。さすがに不義理だなと思って重い腰を上げ,巣ごもり期間にまとめて読んだので,紹介しておく。まず以下の3冊。


・『第二帝国』(上・下)
タイトルの通り,ドイツ帝国のあらゆる側面を著述した本。政治・経済だけではなく食生活やスポーツ・衣服にも切り込んでいくのはいかにも伸井太一著・パブリブの出版物という感じ。ニベアが生まれたのも,アスピリンが生まれてバイエル製薬が躍進したのも,黄禍論がはやる一方で柔道が入ったのも第二帝国の時代である。アフリカ植民地もちらっと触れられているが,この2年後にそれ単体の書籍が出ることになろうとは誰も考えていなかったのであった。

個人的な話をすると,下巻の少なくない紙幅が記念碑に割かれているのが嬉しかった。ドイツ帝国は記念碑の帝国でやたらめったら記念碑・記念堂を建てている。それというのも無理やり武力統一したので国民意識を醸成していく必要があり,何かに付けて記念碑が建てられるようになった。ドイツ美術とナショナリズムの関連性は学生時代によく読んでいたところなので,いろいろと思い出しながら読んでいた(なお,純美術史的に言えば記念碑の大半は国家事業で様々な思惑が絡むがゆえに平凡になりやすい,というのが一般的な評価)。本書内ではドイツ帝国と後の第三帝国や現在のドイツとのつながりについて触れられているが,下巻最後のページがドイツ帝国におけるハーケンクロイツの扱いとなっているのはいかにも収まりが良い。






・『タタールスタンファンブック』
ロシア連邦内にあるタタールスタン共和国をクローズアップし,これまたありとあらゆる観点を取り上げて紹介している本。「それどこだよ」という人も多かろうと思うが,そういう人でもわかるような紹介から入って,地理・観光・言語・歴史・文化・社会・生活と進んでいく。受験世界史をやった人なら,イヴァン4世によって滅ぼされたカザン=ハン国のあったところ,と言えば意外とわかるかもしれない。あとは日本とのつながりで言えば,代々木ジャーミーの前身を建てた人物がタタール人だったりする。

私自身全然知らない場所だったので,目新しい情報が多かった。極私的に言えばまたしても美術の話になるが,シーシキンの出身地でシーシキン博物館もあるというのがちょっと驚いた。タタールスタンの主要な言語といえば当然タタール語……と言いたいところだが,実際にはやはりロシア語にかなり押されていて,「当局にタタール語の間違いを指摘したら賞金」という制度があるほど,というのを読んで思わず笑ってしまった。少数言語の苦悩が忍ばれる。なお,タタール語オリンピックというものも開催されていて,本書の著者たちも優勝している。大統領は二言語話者(ロシア語とタタール語)という条件があるのもユニークで,他に言語能力が国家元首や行政府の長の条件になっている国ってあるのだろうかと気になったりした。

タタールスタン共和国はロシア連邦内ではかなり強い自治権を有している国ではあるが,プーチン強権体制にはかなり苦労している様子で,またやはりタタール人とロシア人の間に亀裂もあるようで,それらをオブラートに包んで解説している現代政治の章もなかなかおもしろい。あんな立地でよくがんばってるなと思ったら,石油がわんさか出ていてロシア経済を支えていた。なるほど。






・『ウクライナ・ファンブック』
タタールスタンの次はウクライナである。こちらの方が国としては随分メジャーであるが,じゃあロシアとの違いが言えますか? と言われると難しい。本書もつくりは同じで,地理・観光・生活・料理・文化・言語・宗教・歴史・政治・経済と様々な観点からウクライナに切り込んでいく。地理・観光の章がかなり凝っていて,キーウ(キエフ)やリヴィウ・オデーサ(オデッサ)・ハルキウ(ハリコフ)以外の地域が詳しく紹介されているのが大変に良かった。オデッサと聞いても3機のドムしか頭に浮かんでこない(私のような)人でもしっかり学べるので安心してほしい。

ウクライナ縁の日本人といえばやはり大鵬で,本書でもきっちり触れられていた。他にもスポーツ選手と言えばシェウチェンコ,セルヒー・ブブカあたりは懐かしいと思う人が多かろう。料理もボルシチ,キエフ風カツレツことチキン・キーウは有名で,歴史もコサックに負うところは多い(ちなみに海燕のキエフ風カツレツはめちゃくちゃ美味い)。ウクライナ語もイメージと違ってロシア語とかなり違う。また,ロシア語話者であっても2014年以降のロシアの侵略が全く支持されていないという世論調査の結果もあり,言語・文化と国家の相違の事例として興味深い。そう説明されていくとロシアとの違いがわかってきて,疑問もほぐれてくる。

歴史といえば,本書の帯にもあるように「う,暗いな」と思わざるをえないものがウクライナにはあるが,それもしっかりと説明されている。ウクライナの民族性として被害者意識が強すぎて鼻につくとか言われたりもするが,まあこんだけボコボコにされ続ければそうもなるよな,と。そうそう,あとがきに「編集の濱崎さんから『ウクライナ,明るいな』という書名を提案されて議論が紛糾した」とあって笑ってしまった。私としても大恩ある濱崎さんではあるが,私も「明るいな! う,暗いな……」は帯に回して正解だったと思います。


  
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2020年09月07日

高校世界史上で,ロシアの農奴解放令をどう説明・評価するか

高校世界史深掘りシリーズ。まずは前置きとして,各国で産業革命が進んだ時期をその国の「産業革命期」と呼ぶ。その国で機械を用いた工場が広がり始めてから,主要な工業分野で手工業が駆逐されるまでの期間のことである。並行して国土の主要幹線を鉄道が網羅し,都市化が進み,GDP内の割合や就労者数で工業が農業を追い抜くといった現象が起き,産業革命期の終わりを「産業革命の完成」とも呼ぶ。歴史上で最初に産業革命が始まったイギリスの場合,産業革命期は1770年代〜1840年代とされ,1851年の第1回万国博覧会が産業革命の完成の象徴と言われるのはそうした事情による。

イギリスに次いで産業革命が始まった国家群がベルギー・フランス・アメリカで,やや遅れてドイツ地域である。これらの地域は産業革命期が1830年代〜1860年代(ドイツがそれぞれ10年ほど遅れる)とされる。そう,アメリカとドイツは後発資本主義国と言われることがあるが,それはイギリスと対比した時の話であって,19世紀の欧米諸国全体で見れば全く遅れていない。またドイツ・アメリカは1870年代以降の第二次産業革命の影響が大きかったので,この第一次産業革命が目立たないというイメージの問題はあるだろう。

そして,正しく後発資本主義国なのがロシアと日本である。日本の産業革命期は1870〜1900年代で,つまり明治政府の殖産興業政策から日露戦争頃まで(日本で工業生産額が農業生産額を超えるのは第一次世界大戦中)。ロシアは1860年〜1890年代で,農奴解放令に代表されるアレクサンドル2世による「大改革」によって始まり,シベリア鉄道の敷設に代表されるウィッテの工業化政策によって完成したと見なされている。なお,オランダ・オーストリア・イタリアについては高校世界史上で触れられないが,これらの国々はロシアに近いか,ちょっとだけ早いくらいだったりする。日露が列強の中で極端に遅れていたというわけでもないのだ。なお,これらの国々の始期と完成の事情も深掘りすると面白いのだが(オランダの例外さとか),今回の本題じゃないので割愛する(気力があったら別記事にするかも)。


さて,今回の本題はこのロシアの「大改革」と農奴解放令である。前述の通り,ロシアの産業革命の開始が1860年代のことで,これがアレクサンドル2世の「大改革」に起因するものというのは間違いない。アレクサンドル2世の「大改革」は農奴解放令以外にも,ゼムストヴォ(民政を担った地方自治機関)の設置,企業設立や鉄道敷設の支援策,通貨改革等の多様な改革が行われていて,総体としては文字通りの「大改革」であった。そしてまた「大改革」の中心が1861年の農奴解放令にあるのも間違いない。しかし,1861年の農奴解放令と産業革命に直接的な影響関係を認めるかどうかは別問題になる。

なぜこれが焦点になるかというと,2つの理由がある。1つは単純に,これが産業革命と労働力の関係を分析する上で重要な論点になっているからである(その意味で本稿は農業革命の記事の続編なのだ!)。産業革命が起きるために必要な条件は,資源・労働力・資本・市場の4つである。ロシアの場合,資源はあったが,残りが無い。この点で,奴隷や農奴という存在は足かせになる。彼らは職業選択の自由がなく農業に縛られているので工業労働力にはなりえず,購買力が無いので国内市場にもなりえない。ゆえに,産業革命には奴隷解放や農奴解放が必要になる。ではロシアの農奴解放令は産業革命にとって重要だったのでは?……と思われるかもしれないが,高校世界史でも必ず触れられるように,この時の農奴解放はその不十分さがしばしば強調される。すなわち,
・人格的な自由権は無償で解放,耕地の譲渡は有償
・耕地の地価は高額で,ほとんどの農民は年賦支払いを選択
・年賦の支払いは,ミール(農村共同体)を単位とする連帯責任制
・年賦の支払いが終わるまで,ミール所属の農民は居住・職業選択の自由が制限される
という条件であった。ここから,農奴は人格的に解放されても土地に縛り付けられていたというのがわかると思う。こうした制限は,他の「大改革」によって大きく開花するはずだったロシアの産業革命の足を引っ張ったという評価が根強い。一方で,ロシアの農業は従来自給自足的であったのに年賦の支払いは現金であったため,農閑期の農民が近隣の都市・工場へ出稼ぎに行くことが盛んになった。この出稼ぎの労働やそれによる現金収入は,国内に労働力と国内市場を提供した。専業の工業労働者を供給できたわけではなかったので制度としては不十分であったが,農民人口が膨大であったがために,走り始めの工業には十分な労働力になりえたという評価もある。

もう1つは,高校世界史の特殊事情がかかわっている。高校世界史は用語主義で,かちっとした用語が無いと事象自体がなかったことにされがちな上に,制度史偏重の傾向がある。それゆえに農奴解放令以外の「大改革」の内容は,ほぼ全く触れられることがなく,どうしても「大改革」とは農奴解放令だけを指すことになってしまっている。結果として「農奴解放令”が”,ロシア産業革命の出発点になった」かどうかが,教科書記述上の焦点になる。これに対して「いや,「大改革」が産業革命の出発点になったと,ちゃんと記述すればいいだけでは?」というツッコミを入れたくなる気持ちはわかるのだが,ともかく現状の高校世界史はあまりそうなっていない。また,前述のように産業革命と労働力の問題はイギリス農業革命やフランスの産業革命等と合わせて世界史上の一大テーマであるので,この特殊事情がそこまで悪さをしているとは思われない。

というわけで,実際に各教科書がどう記述しているか確認してみよう。比較するのはいつもの5冊+山川の用語集(・詳説世界史研究)。なお,いずれの教科書にも上述のような農奴解放令の内容の説明はあり,差もほとんどなかったので以下の説明では特に触れない。


《「大改革」への言及が無いor希薄,農奴解放令による産業革命への影響を認めず》
・山川『詳説世界史』:「大改革」については「クリミア戦争後,ロシアは国内改革に専念し」とあるのみで,農奴解放令以外の改革内容には全く触れず。農奴解放令と産業革命の関係には一切言及なし,どころか,ロシアの産業革命についての言及自体が1890年代にならないと登場しない。これ,ロシアの産業革命の”開始”が1890年代という誤解を与えかねないので普通にまずいのでは。


《「大改革」への言及が無いor希薄,農奴解放令による産業革命への影響は認める》
・東京書籍『世界史B』:「大改革」については「一連の改革が行われ」とあるのみ。一方,農奴解放令については「ミール(農村共同体)を統治の末端に組みこみ,他方で,工場労働者を創出しようとする政策であった」と説明されていて,やや詳しい。ただし,目的という形での言及であって,この目的が成功したかどうかの記述がないので片手落ちである。また,山川『詳説』と同様に「ロシアや日本では19世紀末から,国策による産業革命が推進された」という説明になっているが,ロシアはともかく日本の殖産興業がなかったことになっているのは普通に中学日本史と矛盾をきたさないか。
・帝国書院『新詳世界史』:「大改革」については「自由主義的改革に取り組んだ」という記述のみ。一方,農奴解放令については「これにより自由な労働力が多数創出された結果,工業化と資本主義化への道が開かれた」という記述になっていて,これはかなり練られた良い説明になっていると思う。後段で「ロシアは,フランスなどの外国資本の導入により,1880年代に工業化が進んだ」と記述されているので,始期と完成期が明確に違うとわかる(1890年代でなく80年代になっているのがちょっと引っかかるが)。

《「大改革」への言及が有り,農奴解放令による産業革命への影響を認める》
・実教出版『世界史B』:一応ここに分類したが,「大改革」という用語を出しているだけで,内容の説明は無い。農奴解放令については積極的に意義を認めていて,「農奴が解放されて自由労働力が創出されたことで,ロシアでも工業化と資本主義化が進むこととなった」と記述。ただし,煮え切らない記述よりは断然良いが,積極的な評価を与えすぎではないかと思われ,「道が開かれた」という抑制的な記述にとどめた帝国書院との差異が気になるところ。また,後段で「ロシアは19世紀末に産業革命に突入し」とも記述しており,矛盾してない???と首をひねってしまった。ついでに別ページには「ロシアは農奴解放令後の1880年代から(産業革命が推進され)」とあり,この教科書で勉強した受験生は,結局ロシアの工業化が始まったのは1860年代なのか80・90年代なのかがわからないと思う。
・山川『用語集』:「大改革」は立項されていないものの,農奴解放令の項目の説明の中で言及されていて,農奴解放令以外の具体例も挙げられ,「「大改革」は近代的社会制度を導入する契機となった」という評価を与えているのは非常に良い。しかし,そこまでやるのであれば素直に「大改革」を立項すべきではないかと思う。というよりも『新世界史』と実教出版に記述があるのだから,本来であれば用語集頻度�△芭�項されていて然るべきでは。また,産業革命と農奴解放令の関係性については農奴解放令の項目ではなく,ロシアの産業革命の項目で言及があるのだが,「1861年の農奴解放令のよる労働力創出,94年の露仏同盟完成後のフランス資本の導入,国家の保護などにより,1890年代に産業革命が進んだ」という不思議な記述になっており,逆に言えば農奴解放令は30年間は効果が無かったってこと???と混乱する。

《「大改革」への言及が有るが,農奴解放令による産業革命への影響は認めない》
・山川『新世界史』:「ロシア「大改革」」というコラムが用意されていて,大々的に取り上げられている。「大改革」の内容としてゼムストヴォの設置にも言及している(そのせいでゼムストヴォが難関私大で問われてしまうわけだが)。一方,農奴解放令については概要の説明にとどまっていて,産業革命との関係は言及を避けている。要するに『新世界史』の筆者は「大改革」と産業革命の関係なら言及する価値があるが,農奴解放令単体には無いと考えているようだ。これはこれで筋が通っている。
・山川『詳説世界史研究』:さすがに「大改革」はゼムストヴォの設置を含めてかなり詳しい言及がある。一方,農奴解放令と産業革命の関係は「農奴制が産業革命さらには経済発展を阻んでいるという認識が広まり」という迂遠な説明にとどまっている。また「村団(※ミールのこと)は国家機構の最末端組織と位置づけられ,農村は国家に直接組み込まれた」という記述もあり,農奴解放令の説明としては明らかにこちらに重点が置かれている。要するに農奴解放令は国民国家建設のために発令されたものであって経済は主目的ではない,という立場を採っていると言える。


【まとめと感想】
今回は帝国書院の記述が最も良く,山川『新世界史』も悪くない。東京書籍は「目的」として書いてしまっているのが謎で,もったいない。同様に実教出版は踏み込みすぎているきらいがあるのと,産業革命の始期の記述の矛盾が惜しい。山川『詳説世界史』は無味乾燥な記述になっていて,しかも産業革命の始期が不明瞭なのは実教出版と同様に良くない。山川『用語集』は農奴解放令の説明は良いが,産業革命の時期の記述がやはりまずい。

今回は旧説・新説の対立ではなく,歴史学でいう評価の段階での意見対立が主題であったが,優れた記述があったのは新説好きの帝国書院であった。『新世界史』はゼムストヴォを載せているくらいなので近代ロシア史に詳しく,良い記述になっているのは想像がついていたところ。一方,残りの4冊は残念というか,山川『詳説』・東京書籍・実教出版・山川『用語集』の4冊はロシア産業革命の始期の記述が雑すぎて問題が大きい。これは改善してほしい。山川は例によって「大改革」に言及するのは『新世界史』と『用語集』,しないのが『詳説』という分業体制だったりするのだろうか。今回については共倒れになっている感覚の方が強い。  
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