『絶対に解けない受験世界史3』の発売記念記事。例年3月にやっている受験世界史悪問・難問・奇問集により,ここ数年の慶應大・法学部の世界史が極悪であることは知られていると思う。しかしながら,あの企画は3月頭までに入手できる試験問題の数が限られているという物理的な制約と,私自身が解いて分析して解答解説を付して友人たちに校正してもらうという時間的な制約により,主要国公立大と早慶上智までしか記事化できていない。それゆえに,それ以外の大学のものは『絶対に解けない受験世界史』の方で初公開という流れになっている。したがって,2・3巻を読んでくれた読者の方はご存じのことだと思うのだが,実のところ
近年の私大の世界史の入試問題では明治大の情報コミュニケーション学部も慶應大・法学部に張ってひどい。あまりにもひどいので,ちょっと掘り深めてみることにした。
一番わかりやすい例として,本書に収録される問題の数で見てみるとよい。もちろん,本来であれば各入試日程の配点が違うので単純な比較は難しい。満点や設問ごとの配点により,収録対象の問題の重みが変わってくるためである。極端な事例を上げれば,一橋大は試験に3問の論述問題しかなく,100点満点とすると1問約33.3点である(実際には一橋大は学部により満点が110点や160点など変動する)。これは100点満点で50問,1問の配点が2点の慶應大・法学部の問題よりも約16.7倍の悪影響があるということになる。しかし,こと慶應大・法学部と明治大・情コミュは比較しやすい。慶應大・法学部と明治大・情コミュはどちらも100点満点で50問,1問の配点が2点で完全に同じなのだ。まあ,慶應大・法学部は英語・小論文・世界史の配点が200:100:100なのに対し,明治大・情コミュは100:100:100なので,総合点で見ると慶應大・法学部の方が合格に対する影響はやや小さい。
以上を前提に,両日程と,比較対象として早稲田大・教育学部を載せる。早稲田大・教育学部も1問1点の50問,英・国・世は1:1:1で配点上の形式が明治大・情コミュとほぼ同じである。
ご覧の通り,早稲田大・教育学部は入試1回で50問中約1.67問が収録対象になっていて,早慶上智の各日程も概ね1日程あたり1.5〜2.0問くらいなので標準的な収録数である(1.0問を割っているのは慶大・経済と早大・文化構想のみ)。MARCHだともう少し少なくて,明治大と法政大以外の大学は1.0を割っている日程の方が多い。とはいえ,前述の通り満点等が違うので参考値だと考えてほしい。してみると5.0を超えているのは異常に高いのはわかるだろう。他日程と比較しなくとも
50問中平均して5問は悪問・難問・奇問・出題ミスがあるのだから1割が死んでいるのは異常とも言える。1割も捨て問では試験として成立していない。
さらに,明治大・情コミュのヤバさは収録される問題の「種別」にある。多くの方にはご存じの通り,本企画では収録される対象の問題を難問・奇問・悪問・出題ミスに分類している。難問・奇問と,悪問・出題ミスは性質が異なる。前者の2つは試験科目が「高校世界史」であることに目をつむれば瑕疵無く成立している。それでも私が難問や奇問を本企画の収録対象としているのは「高校世界史」であることに目をつむるのは問題があるからであり,具体的に言えば
・高校課程の学習内容を試す入試において「世界史」の看板を掲げておきながら,看板から外れた出題をするのは端的に言って詐欺である
・正答率が極端に低い出題は入試の本旨である選抜性を低下させる
・高校世界史から外れるような細かい知識は出題者自身も詳しく知らない事項である可能性が高くなり,悪問や出題ミスを併発するリスクが高まる(実際に多い)
の3つが理由である。しかし,他の高校世界史範囲内の事項よりも学部での学習に必要な事項がある,その知識がある人に学部生になってほしいと考えているなら,作問者視点では難問・奇問を出題するメリットがある。一方で悪問・出題ミスには何のメリットも無いから,両者はこの点で異なり,したがって難問・奇問は悪問・出題ミスに比べると悪質性は低いと考えることもできる。上述のようなメリットとデメリットを天秤にかけて,メリットの方が大きいはずだと思うだけの強い信念が出題者にあるのだろう。慶應大・法学部の作問者たちはそうした強い信念を持っているのだと思われる。それは私も理解する。許容はしないが。
そこで,上記の表から「難問・奇問」の枠を削除して再計算すると,こうなる。

ご覧の通り,慶應大・法学部の収録数は早稲田大の教育学部並に下がる。一方,明治大・情コミュの収録数はほとんど下がっていない。
明治大・情コミュの収録対象問題は,多くが悪問・出題ミスだからである。要するに明治大・情コミュは信念を持って難問を出題しているから収録数が多いわけではなく,単に作問が杜撰だから収録数が多いのだ。
悪問や出題ミスも,ある程度出てきてしまうのはしょうがない。大学教員からすると機会の少ない慣れない作業であり,数人で多重チェックしてもすり抜けるヒューマンエラーはある。だから数年に1問くらい悪問や出題ミスがあるのは仕方がないことだ。たとえば明治大の同偏差値帯の大学で,やはり1日程50問(150点満点)で構成されている関西学院大は丁寧な作問や入試についての情報公開で知られるが,それでも2016〜21年の6年間の平均で1年・1日程あたり約0.28個の悪問・出題ミスがある。この辺が限界なのだろうと思う。ひるがえってその10倍以上,
50問中に平均して3問は出題ミスかそれに準ずる問題がある,その状況が6年続いていて改善の兆しが全く見られないというのは,常識的に考えて組織自体に問題があると言わざるを得ない。明治大・情コミュは作問チームを抜本的に見直した方がいいんじゃないですかね。どういう形態でやっているのかは知らんけど。もうちょっと入試にお金と人と時間をかけた方がいいと思いますよ。
最後に2・3巻に収録した問題から,いくつかの具体例を提示しておく。ここからは
情コミュの入試問題は受験生とのコミュニケーションをとる気が全く見られないということが読み取れてしまう。情報ディスコミュニケーション学部に改名してはどうか。
〔2019年〕
51.明治大 情報コミュニケーション学部(4つめ)
<種別>悪問
<問題>4 問10 下線部(10)「アメリカでの同時多発テロの後,アメリカ軍を中心にアフガニスタンとイラクに対する攻撃」に関する記述として適切ではないものを次の� 銑い里覆�から一つ選び,その番号を解答欄にマークしなさい。
� ‘瓜�多発テロ事件では, 4機の旅客機がハイジャックされ,ニューヨークの貿易センタービルに2機が衝突,ワシントンの国防総省ビルに1機が衝突し,ピッツバーグで1機が墜落した。この事件は標的となったアメリカの激しい反発を引き起こし,アメリカによる対テロ戦争が開始された。
�◆.▲瓮螢�のブッシュ大統領は,アフガニスタンのターリバーン政権の保護下にあるアル=カーイダを同時多発テロ事件の実行組織とした。そして,同盟国の支援を受けてアフガニスタンに対する軍事行動を起こし,ターリバーン政権を崩壊させた。
�� アル=カーイダは,サウジアラビア出身のビン=ラーディンが率いるイスラーム急進派組織であり, パレスチナでイスラエル軍と戦った義勇兵を主体に構成された。
�ぁ�2003年,アメリカとイギリスはイラクに侵攻し,サダム=フセイン政権を崩壊させた。戦後イラクは米英軍を中心にした占領統治下に置かれ,日本も復興支援のために自衛隊を派遣した。
<解答解説>
�◆Νい論喫検���はアル=カーイダの主体はアフガン紛争時の義勇兵(ムジャヒッディーン)の系譜であるから誤文。作題者の想定する正解もこれだろう。審議の対象は�,如�
最後の1機が墜落したのはピッツバーグから100km近く離れたシャンクスヴィルである。確かに名の知られた最も近い大都市というとピッツバーグになるものの,さすがにこれだけ距離があってピッツバーグと言い切るのは無理がある。たとえば,
これが通るのであれば前橋や水戸を東京と言い張るのも可能になる,と言えばその無理さが伝わるだろうか。せめて「ピッツバーグ近郊」か「郊外」だろう。なんでこんな間違いを,と思って各種教材を読んでみたら,これもあっさりと見つかり,山川の『用語集』の「同時多発テロ事件」の説明文も同様の表現になっていた。したがって出題ミスとまでは踏み込まず,分類は悪問とした。しかし,これは『用語集』を盲信せず,作題者が念のため確認すべきものではないか。作問者だって2001年当時に生きていた年代と思われ,『用語集』を読んだら「あれ,4機目ってそんな大都市に落ちてたっけ」と違和感を覚えるべきところだろう。
(追加コメント)
3巻には書かなかったが,本問について校正者の1人から「茨城空港さん……」というコメントがあって笑ってしまったという裏話を披露しておく。(茨城空港は海外向け呼称をTokyo Ibaraki International Airportにするのはどうかという議論があった。最終的にIbaraki International Airportに落ち着いた。)
〔2017年〕
44.明治大 情報コミュニケーション学部(7つめ)
<種別>出題ミス・難問・奇問
<問題>2 問4 下線部(4)「鎖国」についての記述として適切でないものを次の� 銑い里覆�から一つ選び,その番号を解答欄にマークしなさい。
� ‘狙邁塙�が推進した朱印船貿易は,海外貿易の許可証として朱印を押した文書をもつ貿易船によって,江戸幕府による鎖国政策が行われるまで続けられた。
�◆‘�本と中国のあいだの銀と生糸の貿易は16から17世紀にかけてさかんになり,大きな利益をあげた。中国人と日本人だけではなく,ポルトガル人,オランダ人もまたその利益をめぐってしのぎを削った。
�� 徳川家康が江戸幕府を開いた後に,統治の基礎固めの目的のためにキリスト教が禁止され,貿易の統制が行われた。日本人の海外渡航の禁止と長崎出島での清とオランダ以外の外国との交易を認めないという,徹底した鎖国状態は1630年代に開始された。
�ぁ〆森饐�態の例外的な外交としては朝鮮通信使が挙げられる。これは李氏朝鮮が織田信長に派遣した使節であり,江戸時代以降は天皇が即位するたびに祝賀を兼ねて来日,交渉を行った。
<解答解説>
� Ν△論喫検��い�おそらく作問者の想定する正解で,朝鮮通信使が織田信長に派遣されたことはない。また,天皇の代替わりではなく,将軍の代替わりが朝鮮通信使来日のタイミングである。
残った��は,正文のつもりで作られたと思われるのだが,問題だらけである。まず,
1630年代に清は中国を支配していないので,“開始され”ようがない。清の中国本土への進出は1644年からである。ここは清を「中国」にしておくべきであった。次に,
日朝貿易のことを無視している。江戸時代の貿易はいわゆる「四つの窓口」として整理するのが一般的な解釈であり,長崎での中国とオランダとの貿易以外に,北海道和人地でのアイヌとの交易,琉球との貿易,対馬を介した日朝貿易が存在した。アイヌは国ではないとしても,琉球と朝鮮を無視する道理はない。というか,自分で�い法嶌森饐�態の例外的な外交としては朝鮮通信使が挙げられる」と書いているのだが……まさか,朝鮮通信使は来て国交はあっても交易はしていなかった,と誤解していないだろうか。さらに,
オランダ商館を出島に移したのは1641年であるから1630年代ではない。確かに徹底した鎖国政策の開始は1630年代に始まるが,オランダ商館の平戸から長崎への移動は鎖国完成の最後の最後に行われた政策なのである。とどめに,
清の商人との交易地は出島ではない。そもそも1680年代までは明清交代の混乱や清側の強力な海禁政策により,日本への来航は少なかった。ゆえに,中国人商人の来航は長崎一港に制限されていたものの,長崎市内での行動は無制限であった。しかし,1680年代に清の海禁が緩和されたことを受けて中国人商人の来航が増加し,同時に密貿易が増えたため,江戸幕府は貿易統制の強化を決断し,長崎郊外に唐人屋敷を設置して,中国人商人を集住させた。これが幕末の開国まで続く。
以上のように,��はあまりにも問題点が多すぎて,全く意味不明な文になっている。しかもこの��も『詳説世界史研究』の本文を元に作られているのだが,なぜかここだけ完全コピペではなく大幅な改変が入っていて,そのせいで誤文になっている。おそらくこの分野の専門家ではなく,事実関係をよく知らないままに改変したのであろう。
この問題を作った人は,世界史ではなく高校日本史を学習し直した方がいいし,何なら中学の日本史からやった方がいい。今時は「四つの窓口」くらい中学の日本史でも学習する。なお,『赤本』は��についての指摘は無く,大学当局の訂正表にも記載がない。そんなバカな。
(追加コメント)
明治大・情コミュの悪問を象徴する問題。特に2017年は一事が万事こんな感じだったので読むだけで苦痛だった。せめて中学の日本史の内容でミスを出すのはマジでゴミなのでやめような。
〔2016年〕 ※ 2巻収録
38.明治大 情報コミュニケーション学部(4つめ)
<種別>悪問(出題ミスに近い)
<問題>5 (イ)以下のA 〜 F に関する記述の中で,適切ではない文章の記号� 銑い魏鯏�欄にマークしなさい。
B 2009年4月アメリカ合衆国のオバマ大統領はプラハで演説を行い,核兵器廃絶を呼びかけた。
� .熟△�崩壊した後,今でもカザフスタンとベラルーシには核兵器が置かれたままになっている。
�◆\こΔ任漏吠軸錣世韻任覆�他の大量破壊兵器の軍縮への取り組みもあり,1993年にはすでに化学兵器禁止条約が締結されていた。
�� 1990年代には核兵器保有国が増加し,インドやパキスタンが核兵器を持つに至った。
�ぁ…名鑛軸錣侶浬未了�例として,1997年に対人地雷兵器全面禁止条約が調印されたことが挙げられる。
<解答解説>
�,蓮ぅΕ�ライナ・ベラルーシ・カザフスタンは核兵器を廃棄しているので誤文である。作題者の想定した正解はこれであろう。�◆Νい論喫犬波楼脇癲焚蹴慂軸鏘愡濔鯡鵑搬仗傭詫詈軸鐐缶牟愡濔鯡鵑陵儻貊孤囘戮呂匹舛蕕皚◆法�審議の対象は��で,
インドの核保有は1974年であるからこれも誤文である。個人的な判断では,本問は複数正解の出題ミスにあたる。ただし,抜け穴がある。インドは公式には1974年の核実験は核兵器によるものと認めておらず,「平和的核爆発」と主張しており,核実験のコードネームもSmiling Buddhaであった。なめてんのか。ブッダが草葉の陰で泣いているというか,20世紀後半のインド国内にいたれっきとした仏教徒はごく少数であったことも考えると,本当に仏教をバカにした話でしかない。
公的なインドの核兵器保有宣言は確かに1998年であるが,これを(政治的態度の表明として)信用しているのは,インドの民族主義者を除けば極左(というよりも旧ソ連の信奉者)だけである。1974年核実験の技術提供はソ連である。情報コミュニケーション学部の受験生は,出題者のこうした偏った思想信条を察するというコミュニケーション能力まで問われていると言えよう。
(追加コメント)
こういう思想信条を試す問題だけは出したらダメだと思うのだよな。現実的にはそこで困る受験生が極少数だったとしても。