2023年03月19日

2023受験世界史悪問・難問・奇問集 その3(国立大)

昨日の続き。本日は国立大をお届けする。集まったのはいつもの面々であった。一番注目されるべき問題が共通テストの日本史Bだったりするのは例年と少し違うところかもしれない。長くなったのでおまけは無し。東京外大は未入手。

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2023年03月18日

2023受験世界史悪問・難問・奇問集 その2(早稲田大)

昨日の続き。本日は早稲田大をお届けする。入試は7学部で収録した問題は14問であるが,そのうち3つの学部が10問を占めた。少し偏っている。

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2023年03月17日

2023受験世界史悪問・難問・奇問集 その1(慶應大)

今年も無事に公開に至ることができた。3巻が好評発売中なので,過去の年度,特に早慶・国公立以外を見たい方はぜひお買い求めください(初手宣伝)。



<収録の基準と分類>
基準は例年と同じである。

出題ミス:どこをどうあがいても言い訳できない問題。解答不能,もしくは複数正解が認められるもの。
悪問:厳格に言えば出題ミスとみなしうる,国語的にしか解答が出せない問題。
→ 歴史的知識及び一般常識から「明確に」判断を下せず,作問者の心情を読み取らせるものは,世界史の問題ではない上に現代文の試験としても悪問である。
奇問:出題の意図が見えない,ないし意図は見えるが空回りしている問題。主に,歴史的知識及び一般常識から解答が導き出せないもの。
難問:一応歴史の問題ではあるが,受験世界史の範囲を大きく逸脱し,一般の受験生には根拠ある解答がまったく不可能な問題。本記事で言及する「受験世界史の範囲」は,「山川の『用語集』に頻度,任發いいらとりあえず記載があるもの」とした。


<総評>
 昨年は早慶で30個で,今年は28個であるからほぼ同数である。内容はやや異なり,あからさまな校正ミスや意味不明な日本語による悪問・出題ミスが減った。一方で,調べの足りない単純な知識的なミスが増えた。ちょっと面白いのは,早慶で知識的なミスをやらかす時の傾向が異なっていて,それが強まった印象があることだ。慶應大は教科書に依拠しすぎていて,私でもすぐには典拠がわからず教科書5冊をじっくり読み返さないと見つからないようなところから作問している。特定の教科書1冊にしか無いような記述から出題しようとして教科書マニアになっているのだが,結果として教科書執筆者の筆が滑ったような部分,教科書の記述自体が怪しい部分から作問してやらかしていることが多い。これに対し,早稲田大は教科書を雑にしか読んでおらず,結果として作問者の史実誤認がストレートに出てしまい出題ミスや悪問になっていることが多い。どちらの大学も,もう少し中庸な態度で作問できないものだろうか。
 なお,早稲田大は2024年を最後に人間科学部と社会科学部の入試科目から地歴公民を外すと発表した。早稲田大は往時には世界史で9学部受験できたが,2025年にはとうとう5学部しか受験できなくなる。寂しい限りであるが,一方で悪問を量産して改善できないくらいなら廃止が検討されるだろうと考えると納得もする。世界史の観点から言えば,あの社会科学部が廃止されるのはやはり感慨深い。


以下,本編。本日は慶應大のみ。二日目が早稲田大,三日目が国立大である。
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2023年02月12日

高校世界史における「古代」と「中世」の切れ目はいつか

久々の高校世界史深掘りシリーズ。時代の区分はそれを定めた人の歴史観が現れるところであり,好きに定めてくれればよいし,便宜的なものだから不要なら決めてくれなくていいものである。とはいえ設定してくれた方が教育や議論の上で便利なのは,高校世界史でも同じである。教育指導要領では,中世と近世の切れ目と,近世と近代の切れ目が定められている。中世と近世の切れ目は,東アジアは明の成立(1368年),東南アジアは15世紀,南アジア(インド)はムガル帝国の成立(1526年),西アジアと中央アジアはティムール朝とオスマン帝国の成立(1370年・1300年頃),ヨーロッパは15世紀(象徴的な年号で言えば1453年だがバラ戦争は中世で扱う)である。一見すると法則性が無いように見えるが,どの地域もモンゴル帝国の解体と大航海時代(大交易時代)の始まりの影響という共通点があり,異論が出にくい切り方だろう。近世と近代の切れ目は,欧米が産業革命とアメリカ独立で,その他の地域はいずれも「西洋の衝撃」が始まった時期であるから,こちらもわかりやすく異論はまず出ない。
 これに対して,古代と中世の切れ目は教育指導要領が定めていない。結果的に,実は教科書ごとに切れ目に多様性があり,教科書執筆者の歴史観がよく現れる部分になっている。また,南アジアや東南アジアのように切れ目がわかりにくい(設定の必要が薄いとも言える)地域は,教育指導要領に従って中世という時代区分を設定していない教科書もある。これはこれで面白い現象だろう。以下,各教科書の定める切れ目を見ていく。検討するのはいつもの5冊である。なお,山川『用語集』と『詳説世界史研究』は,山川『詳説世界史』に完全に沿っているので今回は検証の意味がない。色分けは多数派意見を赤字に,珍しい意見を青色・緑色にした。


【ヨーロッパ&地中海】
・山川『詳説世界史』:476年(375年)
・山川『新世界史』:476年

・東京書籍:476年/610年頃
・実教出版:476年(375年)
・帝国書院:476年(375年)

 オーソドックスなのは476年(375年)である。古代史の章ではゲルマン人の大移動は存在と西ローマ帝国の滅亡の要因の一つであることだけを教えて,各ゲルマン系民族の定住地は中世初期で扱っている。ゲルマン人の大移動はその後のフランク王国の伸長にかかわるので,古代史の中で定住先まで扱うと,読者が理解しづらくなってしまう。教育上の措置としてこうした切り分けになっていると思われる。その結果,375〜476年の100年間が宙に浮いてしまうが,これがどちらに入るかというのは些末な議論であり無意味だろう。
 山川の『新世界史』はほぼ同じであるが,ゲルマン人の大移動を全て古代に入れて,この100年間が宙に浮く現象を避けている。山川『新世界史』は時代区分論に明確な意識があり,教科書の本文で古代・中世・近世・近代・現代を定義し,それに沿った章立てをとっている唯一の教科書である。このため,杓子定規な切り方になったのだろう。東京書籍も西欧については同様の処理をしている。
 さて東京書籍は,ユスティニアヌス帝時代のビザンツ帝国を古代史に入れている。ピレンヌ=テーゼに則って古代地中海世界の解体が中世の始まりであると考えるなら東京書籍の主張は正しく,この構成はイスラーム教の勃興という大事件を読者に印象づけやすい。またビザンツ帝国史だけで考えてもユスティニアヌス帝とヘラクレイオス1世の間の変貌も捉えやすいから利点はある。弱点は前述の通り,古代史の範疇でゲルマン人の大移動を扱い,間に他地域の古代史を挟むため,中世ヨーロッパ史の冒頭で読者が「西ゴート王国ってなんだっけ???」になりがちであること。また西欧との進度の差が130年くらい開くので何となく気持ち悪い。


【中東】
・全教科書:610年頃
 610年頃はイスラーム教の成立した時期である。高校世界史はイスラーム教勃興をもって中東の中世の始まりと見なしていて,これは異論が存在しない。ここまで綺麗に一致している切れ目は他にない。また,この章を中世全体の冒頭に置いている教科書が多く,世界史全体としてもイスラーム教の勃興が中世の幕開けというのが共通見解とさえ言えそうだ。


【東アジア】
・山川『詳説世界史』:960年(907年)
・山川『新世界史』:220年
・東京書籍:907年
・実教出版:907年

・帝国書院:220年? 907年? 1276年?
 907年は唐の滅亡年である。つまり多くの教科書は唐の滅亡をもって古代が終焉したと見なしていて,これには私も異論が無い。しかし,その中で山川『詳説世界史』だけが五代十国を古代史に入れている。にもかかわらず契丹を中世東アジアの冒頭に入れているので,後晋の名前は古代史で登場するのに燕雲十六州は中世史で出てくるという不思議なことが起きてしまう。理由は学術的・教育的観点から考えても思いつかず,ひょっとして単純な紙幅の都合ではないかと疑っている。
 『新世界史』は異端児で,東アジアでは後漢末までが古代ということは宮崎市定説をとっているのかなと思われた読者もいるかもしれないが,実は宋・元まで中世に入れているのでそういうわけでもない。これは『新世界史』が古代を「文明の揺籃から古代帝国」の時代,中世は混乱と遊牧民の活動による「人びとの大規模移動」の時代と定義しているためである。とすると後漢末の群雄割拠から元末までを中世でくくるのは斬新ながら理に適っている。ただ,この構成だと中国史の中世が長くなりすぎ,他の時代と比較した際のバランスは悪い。
 どっちつかずなのが帝国書院で,この教科書は東アジアにおける古代・中世の切れ目を明確にしておらず,後漢末〜南宋をどちらに入れているのかが不明瞭になっている。他の地域は割と明瞭に区切っているので,意図的にこの期間を宙に浮かせているのかもしれない。1276年まで引っ張っているとするとこれは豪快な構成で,中国の中世は100年にも満たない元朝のみということになる。


【中央アジア(中央ユーラシア)】
・山川『詳説世界史』:840年
・山川『新世界史』:220年
・東京書籍:1038年
・実教出版:840年
・帝国書院:840年

 マジョリティの840年はウイグル帝国の滅亡であり,これを契機にトルコ系の西走が本格化する。同時期にはちょうど西からイスラーム教の浸透が始まっており,確かにトルコ化とイスラーム化をもって中央アジアの中世とするのがわかりやすい(トルコ化もイスラーム化も数百年かかった現象であり,それらの進行自体が中央アジアの中世と言える)。また840年というと唐の末期であり,唐の衰退・滅亡は朝鮮半島やベトナムの王朝交代,日本の遣唐使停止といったように他地域に強く影響を及ぼした。ウイグル帝国の滅亡もその先駆けと捉えると,隣接地域との関連性も見えやすい。
 山川『新世界史』は東アジアと完全に同期させていて,理由も東アジアに書いた通りである。他の教科書よりも隔絶して早いが,理由がわかれば違和感はない。
 東京書籍はなんとセルジューク朝の成立まで古代を引っ張っている。これは極めて特徴的な構成で,イスラーム教の勃興を古代史に入れない原則の数少ない例外である。この構成は完全に謎で,メリットも思いつかない。


【南アジア(インド)】
・山川『詳説世界史』:不明瞭,章立て上は10〜11世紀頃まで
・山川『新世界史』:550年頃(グプタ朝の滅亡)
・東京書籍:不明瞭,章立て上は10〜11世紀頃まで
・実教出版:不明瞭,章立て上は10〜11世紀頃まで
・帝国書院:不明瞭,章立て上は10〜11世紀頃まで

 まず,南アジアの古代・中世とはというところから書かなければならないだろう。学術領域では意外とちゃんと共通見解があるようで,グプタ朝の滅亡(550年頃)またはヴァルダナ朝の滅亡(647年)をもって中世に入るとするのが一般的なようだ。たとえば,最近出た『岩波講座 世界歴史 04 南アジアと東南アジア 〜15世紀』も,やはりヴァルダナ朝滅亡をもって中世と見なしている(p.22等)。私の意見もこれと一致する。ヴァルダナ朝滅亡後に,北インドは群雄割拠のラージプート時代に入る。グプタ朝末期の頃から遊牧民の侵入があって,土地を媒介にした政治・社会制度が生まれて小領主が乱立し,商工業や貨幣経済が衰退しているから,いろいろと他地域の中世に近い。中世の後半からイスラーム系王朝の進出が始まり,ムガル帝国の成立をもって近世に入る。南インドはやや事情が異なるものの,同時期から海上交易の相手がムスリム商人に変わっていくことをもって,同時期を区切りとしてよいだろう。
 そこからすると,多くの高校世界史の教科書がとっている10〜11世紀頃は不自然な切れ目のように見える。しかし,これは実際に本文を読んでみると謎が解ける。実は各教科書とも,グプタ朝滅亡またはヴァルダナ朝滅亡をもって時代が大きく変わったことを明確に記述している。だが,そこで章を区切っていないのだ。では古代の章に中世の説明を入れ込んでしまっているのはなぜか。その理由も読んでみると明白で,高校世界史上の中世のインド史はイスラーム教の進出というトピック以外はほとんど説明すべきことがなく,独立した章立てをする分量がない。ラージプート時代・バクティ運動・チョーラ朝の名前を出してほぼ終わりである。こうした事情から中世のインド史を二分割し,ヒンドゥー教・仏教の話題は古代南アジア史の章で消化,イスラーム教の進出は中世の中東の章に記述するという苦肉の策をとっているのではないだろうか。結果的に,中世の南アジア史で独立した章を置いている教科書は『新世界史』しかない。


【東南アジア】
・山川『詳説世界史』:不明瞭,章立て上は13〜14世紀頃まで
・山川『新世界史』:6世紀
・東京書籍:9世紀
・実教出版:9世紀

・帝国書院:不明瞭,章立て上は13〜14世紀頃まで
 東南アジアも南アジアと同様に,教科書上の切れ目が不明瞭である。しかし南アジアと違うのは,そもそも古代と中世の区分にあまり意味が無く,不要と言ってもいいことだろう。入試問題でも「中世の東南アジア」というような言い回しはめったに見ない。さらに言えば,大陸部と島嶼部で時代の大きな変わり目,画期が異なるので,東南アジアという単位で切れ目を作るのが難しいという事情もありそうだ。明確な切れ目がないということは,逆に言えばそこに教科書執筆者の歴史観が現れやすいということで,細かく見ていくとなかなか面白い。
 専門家の見解はどうだろうと探してみると,たとえば2021年に出た岩波新書『東南アジア史10講』は第2講の章題を「中世国家の展開 10〜14世紀」としている(目次を参照のこと)。とすると古代史は9世紀までということになるが,これは東京書籍と実教出版が同じ見解である。確かに9世紀と10世紀は島嶼部の覇者シュリーヴィジャヤとシャイレンドラ朝が衰退し,三仏斉とクディリ朝が成立する。海上交易でも中国の民間商人が来航するようになって朝貢貿易と並立するようになるという大きな変化がある。大陸部は9世紀までの範囲だとまだほとんど語ることがなく,実質的な語りはアンコール朝・李朝・パガン朝が出そろう10世紀からと踏ん切りをつけやすい。
 山川『詳説世界史』と帝国書院の13〜14世紀は,島嶼部のイスラーム化が始まる頃で,ここでもイスラーム教の勃興・浸透がその地域の中世の始まりという思想が貫徹している。しかし,この切り方は弊害も大きい。上述の通り東南アジアの近世は15世紀から始まるから,中世はほぼ存在しないということになってしまう。実際に山川『詳説世界史』を読むと,マラッカ王国の改宗が中世の中東の章で一瞬だけ出てきて終わる。南アジア史と同様,当然東南アジアの独立した章立ては無い。
 『新世界史』の6世紀は,7世紀のマラッカ海峡の開通をもって中世に入ったと見なしているためである。『新世界史』は東アジアの切れ目を220年とかなり早く置いているので,それに合わせて早めに切りたかったという背景もありそうだ。結果として扶南とチャンパーしか登場する王朝がなく,1ページ未満という極めて小さな節で終わっているが,潔さはある。


【まとめと感想】
 メジャーな構成をとっているのは山川『詳説世界史』と実教出版と帝国書院だが,『詳説世界史』と帝国書院は東アジア史をなんとかしてほしい。また両教科書とも東南アジア史の引っ張りすぎがちょっと気になる。実教出版の教科書はこれらの欠点も無く,よくまとまっている。
 山川『新世界史』は時代区分に最も強い意識がある分,意識が強すぎて特殊性が高い区切り方になった。しかし,理解できる理屈をちゃんと立てている点と,南アジアをきっちりとグプタ朝の滅亡で区切った点は評価したい。
 東京書籍はビザンツ帝国の置き方が特徴的で,実はルネサンスを中世末に置いている唯一の教科書でもある。執筆者によほどヨーロッパ史の時代区分にこだわりがある人がいそう。しかし,イスラーム教を古代史で扱わないという禁を破ってまで中央アジアを11世紀まで引っ張っているのがあまりにも不可解である。  
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2022年12月26日

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」

ここ10年ほどで大河ドラマを完走したのは「真田丸」以来である。お前,三谷幸喜作品しか見てないな? と言われるとはいそうですとしか答えようがない。これは私が三谷ファンだからということで許してほしい。「いだてん」は今にして思えば見ておいてもよかったかなと思う。

「真田丸」は,真田信繁という史実があまり残っていない,壮年期にのみ大活躍した記録が残っている人物を取り上げた。これによって,厳格な歴史考証陣営と綿密な考証を重ねて,可能な限り史実に寄せた青年期の約40回と,伝説上の真田幸村を描いた最後の約10回という切り分けを行って,バランスが問題になる歴史劇の史実と創作を上手く昇華させた。では,今回の鎌倉殿はどうか。この観点で見ると,本作は『吾妻鏡』をベースに描き,『吾妻鏡』が書いていない部分は自由に創作したという形になった。そのため最新の研究結果を上手く反映しているかと言われると,実のところ心もとない。実朝はもっと名君として描かれていてもよかったし,三浦義村はもっと裏の無い人物でもよかった。しかし,歴史劇は必ずしも史実に従わなくてよいのである,そこに上手い言い訳があれば。その言い訳として,北条義時を描くのだから『吾妻鏡』の映像化で何が悪い,と持ってきたのはさすがは三谷幸喜である。

その意味での白眉は実朝暗殺事件である。現在の最新の研究での最有力説である公暁単独犯行説に則りつつ,北条義時黒幕説や三浦義村黒幕説とも取れるような関与も残しつつ,北条義時が直前になって自主的に御剣役を源仲章に交代したように描いた。この展開であれば,『吾妻鏡』では「北条義時が体調不良で御剣役交代を申し出てきた」という方向の”改竄”になるのは納得できよう。そう,『吾妻鏡』の映像化でありつつも,『吾妻鏡』が北条氏の都合でどう歪められているかという発想で組み立てられたのが本作だったのだと思われるのだ。こうして史実とは違う,『吾妻鏡』とも少し違う,第三の鎌倉時代が成立した。

しかも,『吾妻鏡』ベースであることは作品の外ではずっと言われていたが,作中でそれを明言したのは最終話というのも良かった。それを徳川家康が読んでいるという形で紹介したのは,純粋に来年の大河ドラマへのサービスであろうが,直接的に『吾妻鏡』に言及してしまうよりも面白い仕掛けであった。

物語全体を見ると本作は北条義時の闇落ち物語が大半を占めていた。このスライドが絶妙で,最初は源頼朝の家臣として,鎌倉を守るためそのやり方を学んで仕方なく……という言い訳があった。視聴者にインパクトがあったのは第15話「足固めの儀式」で,序盤の名脇役だった上総介広常が討たれた回である。討った後に頼朝が「武功を立てれば恩賞を与えるから忠誠を尽くせ」というようなことを言っていたが,これは実は極めて重要なセリフである。当時の荘園の管理人である荘官の任免権は,荘園の上位の領主である都の貴族や寺社が握っていた。この任免権を勝手に武家の棟梁が握ってしまったのが頼朝の時代を変えた改革であり,これを東国に限定して朝廷から追認させたのが寿永二年十月の宣旨である。歴史家によっては寿永二年十月の宣旨をもって鎌倉幕府の成立と見なす人もいるが,その根拠はここにある(詳しくは伊藤俊一『荘園』を参照のこと)。上総介広常の誅殺は同年のほぼ同じ頃であるから,この2つの出来事を結びつけたのがあの第15話だった……ということに後から気づいてちょっと感動した。

第二部,頼朝が亡くなってからは,義時がより陰謀の中心に近づいていくが,まだ自発的に陰謀を起こしていない。主には北条時政の権力欲が高まり,その流れに乗ったりあらがったりしているうちに,鎌倉の有力者が次々と死んでいく。比企能員を滅ぼす過程で,頼朝のやり方が正しかったという確信を得ていくのは視聴者を恐怖させた。最大のターニングポイントを選べと言われたら,第15話でなければこの30話が選ばれるだろう。さらに頼家を殺して,義時の中で守るべきものは「頼朝の血筋」か「鎌倉」という体制かという迷いが消えて完全に後者となった。そのために邪魔となるなら,親友の一人として描かれた畠山重忠を排除し,自らの父も排除した。こうしてたがの外れたダークヒーロー義時が完成した。和田合戦で見せた黒さは,わかっていても悲劇的であった。「真田丸」でもそうだったが,こういう宮中の陰謀劇を描かせると三谷幸喜は実に上手い。

忠誠の方向が鎌倉そのものなので実朝さえも軽んじた義時だが,自分と頼朝のやり方ではいつかだめになることはわかっていたからこその,泰時との「対立すればするほど絆が深まる不思議な親子」という関係に落ち着く。私は最終話は泰時が御成敗式目の草稿を書くシーンで終わるのではないかと予想していたが,当たらずとも遠からずだったかなと思う。泰時が後を継ぐ安心感は,先の歴史を知っているだけに,作中の登場人物よりも視聴者の方が感じていたかもしれない。


最後に,すでに48回を完走した「鎌倉殿の13人」ではあるが,放送前から大河ドラマにつきものの副読本,関連書籍が山のように出版されている。私もいくつか読んだが,必携レベルの書籍を1冊だけ挙げるなら
・坂井孝一『承久の乱』(中公新書)
を挙げておきたい。岩田慎平『北条義時』も悪くはないが,淡々としすぎていて事実を追っているだけという読後感であった。坂井氏の『承久の乱』は北条義時について書かれたものではないので人物像に迫っているわけではないから(むしろ後鳥羽上皇と源実朝の人物像にクローズアップしている),欲しい情報によっては的外れになるものの,背景知識になりうるものは非常に充実している。北条義時の人物像は「鎌倉殿の13人」の中で築かれたものでよいと割り切って,こちらで背景情報を補完するのが,今から読むなら良いだろうと思う。

  
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2022年08月28日

『「センター試験」を振り返る』を読む(2)実施概要編

・『「センター試験」を振り返る』(大学入試センター,2020年)
(1)から。予告通り,第三部の全年度の実施概要から,世界史A・Bの出題ミスに関する項目だけ拾い上げてみることにした。出題ミスのみで,問い合わせがあったこと等はどうでもいいものが多かったため省略している。こうして並べてみると1980年代前半の共通一次の開始直後は私大のようなミスが頻発しており,ノウハウが蓄積するまでの苦労が忍ばれる。共通一次が創設された理由の一つが「難問・奇問のあふれる大学入試に対する模範を示すこと」であったのだが,とはいえ当時は理想とすべき良問像そのものが固まっておらず,最初期の共通一次は現在で言うところの私大っぽい問題も多く,それも含めての試行錯誤期間だったと振り返ることができよう。

〇1980年の世界史,5
<問題>下線部 銑イら誤っている箇所を一つ選べ。【64】

7世紀後半に朝鮮半島の統一に成功した新羅は,唐の諸制度を受容し,中国風の郡県支配による中央集権国家をめざした。この国では骨品制と呼ばれる独自の身分制度が行われ,その都があった慶州には,仏寺・王陵・古墳など新羅文化をしのばせる多くの遺跡が今に残っている。

<解答解説>
手持ちの資料に1980年の問題がなかったのだが,ある友人が調べてくれて判明した。 銑イ全部正しいので,正解が無い。大学入試センターは即日で「誤りがない場合は⓪をマークせよ」という問題訂正を出したが,訂正が全試験室に到達した時刻が試験時間終了間際だったため,解答番号[64]については全員に点を与えることとした,とのことである。気になるのは新羅が郡県制であったかどうかはおそらく当時であっても範囲外ということである。なお,調べてみると,当初は州郡県制が採用されていたが,統一後に州が形骸化して実質的な郡県制となった。しかし,州郡県制時代の州は州府のある郡を州直轄地としていたため,形骸化後もその旧直轄地の郡だけは州と呼ばれていたらしい。非常にややこしい。これも踏まえて考えると,この出題ミスの要因は,
・とりあえず全部正しい文章を作って後から1箇所を誤りにするつもりが作業を忘れ,検討チームが「が正解なんだろう」と思い込んでそのまま校了した。
・共通一次の最初期なので範囲外を出してはダメと言う鉄則が守られておらず,かつ作問者が中途半端な知識で「新羅は統一後も州郡県制」と誤解したままを誤りとして作成し,検討チームも同様の思い込みでスルーしたまま,校了してしまった。
のいずれかであろうと思う。性善説(誤用)で考えるなら前者の方が可能性が高いだろうか。


〇1983年の世界史,第2問の問8
<問題>2 問8 次の文 銑い里Δ舛ら,誤りを含むものを一つ選べ。

 〜廚中国を統一したのち,遼は始めて華北の一部を領有した。
◆〜廚寮硝綿を支配していた西夏は,チンギス=ハンの軍に滅ぼされた。
 遼の支配下にあった女真(女直)族は,金を建てて遼を滅ぼした。
ぁ.侫咼薀ぁ瓮魯鵑蓮す餽罎鮓気板蠅瓩晋紊貌鄙廚鯡任椶靴拭

<解答解説>
◆Ν・い論喫犬如き,誤文=正解だが,それ以前の問題として「始めて」は「初めて」の誤植である。試験時間中に受験生から指摘があり,即座に訂正となった。いずれにせよ誤文だから正解が変わらずに済んだのではないか。それにしてもインターネットの無い当時で,よく訂正が間に合ったものだ。試験時間の序盤で指摘された上に,よほど手際が良かったのだろう。


〇1985年の世界史,第3問の問10
<問題>3 問10 下線部(編註:ビルマ,マラヤ連邦)について述べた次の文 銑い里Δ舛ら,誤りを含むものを一つ選べ。

 ‖萋鷦\こβ臉錣了,ビルマは日本の軍政下におかれた。
◆‖萋鷦\こβ臉錣了,マライは日本の軍政下におかれた。
 ビルマとマラヤ連邦は,同じ年に独立した。
ぁ.泪薀簣∨は,のちにマレーシアとシンガポールに分離した。

<解答解説>
 Ν△論喫検きはビルマ独立が1948年,マラヤ連邦独立が1957年なので誤文=正解。い癲ぅ泪薀簣∨にシンガポールが含まれないので誤文=正解。マラヤ連邦にシンガポールとボルネオ北部が合体してマレーシアとなり,その後シンガポールが分離した。マラヤ連邦にシンガポールが含まれていないというのは早慶レベルの知識であるが範囲内ではあるので,よくできる受験生ほど困ったのではないかと想像される。約35年前の早慶受験生の心情やいかに。大学入試センター当局から・い諒数正解を認める旨の発表があったとのこと。


〇1986年の世界史,第3問の問8の点字の問題文
<問題>3 問8 下線部┐亡慙△靴董(ハ)の地域(編註:地図中の山東省の位置に(ハ)と印字されている)にある膠州湾について述べた次の文 銑い里Δ舛ら,正しいものを一つ選べ。
(選択肢は省略)

<解答解説>
本問について,点字では漢字が表現できず,地図を表示できないため,「膠州湾」と「広州湾」が区別できないという指摘が入ったらしく,点字版は「コウシュウ」から「ニカワのコウシュウ」に変更するという訂正があった。点字に限定した問題の訂正であり,極めて珍しい。厳密に言えば出題ミスではないが,記録の意味で記載しておく。


〇1992年の世界史,第2問
<問題>2 1368年に建国した明では,永楽帝が1402年に遷都を行い,また使節を南海に派遣するなど対外的な積極策をとった。

問1 下線部,寮睫世箸靴得気靴い發里髻ぜ,劉 銑い里Δ舛ら一つ選べ。

 …弘造ら洛陽への遷都であり,これによって黄河中・下流域を制圧した。
◆〕賤曚ら南京への遷都であり,漢民族の建てた王朝として初めて長江以南に都を置いた。
 開封から臨安への遷都であり,これによって経済的に発展していた江南をおさえることができた。
ぁ‘邉から北京への遷都であり,漢民族の中国統一王朝として初めて北京に都を置いた。

<解答解説>
素直に考えればい正解だが,永楽帝の遷都は1402年ではなく1421年である。受験生がよくやる勘違いで,1402年は靖難の役が終わって永楽帝が南京政府を滅ぼした年であるが,実際にはその後すぐに北京に遷都したわけではなく,しばらくは南京にいた。確かにほとんどの教科書は大体この約20年をひとまとめに説明してしまうので,いかにも1402年に遷都したかのような印象を持ってしまう。だが,世界史の専門家がしていい勘違いではないだろう。大学入試センター当局から全員正解にした旨の発表があったとのこと。


〇1998年の世界史B,第4問の問8
<問題>4 問8 下線部┐亡慙△靴董ぅ凜Д肇淵爐瞭販運動について述べた文として誤っているものを,次の 銑い里Δ舛ら一つ選べ。

 ‘販運動を支える人材育成のため,19世紀末から東遊(ドンズー)運動が盛んになった。
◆.侫.鵝瓮椒ぁ瓮船礇Δ蕕蓮ぐ歐群颪魴訐し,反仏闘争を推進した。
 陳独秀らが結成したインドシナ共産党は,独立運動の主体となった。
ぁ‖萋鷦\こβ臉鏝紂ぅ凜Д肇淵爐量餌臆鯤闘争は,インドシナ戦争へと展開していった。

<解答解説>
「19世紀末から」が「20世紀初頭から」の誤り=正解。△論喫検は陳独秀が誤り=正解。い論喫検というわけで Νの複数正解である。大学入試センターから,論喫犬料枋蠅任△辰燭設定ミスであった旨の発表があり,複数正解となった。東遊運動はファン=ボイ=チャウが1904年に維新会を結成し,翌年に本人が来日し,同時期に日露戦争で日本が勝利したことで活発になった。そのため1905年に始まったとするのが通念である。出題ミスという判断は妥当であり,このような私大のような出題ミスをセンター試験が出していたのは,全く知らなかったので驚きであった。私は本問を受験生時代に過去問として解いているはずだが,全く記憶にない。赤本等は収録時に問題文を勝手に修正する癖があるので,20世紀初頭に直っていたのかもしれない。


〇2003年の世界史B,第2問の文章A
<問題>2 A 古代ギリシア・ローマではできる限り正確な世界地図を作ろうとする試みがなされた。下図は,2世紀ごろ活躍したアレクサンドリア出身の〔   佑僕獲茲垢襪箸気譴訝録泙任△襦C羸い貌ると〔   佑涼録泙亘困譴蕕譟ぅリスト教の世界観を投影した「世界図」が作られるようになった。しかし,13世紀になるとイタリアでは,商業の発達に伴い,実用的な地図が作製されるようになる。その後ルネサンス期に〔   佑涼録泙再発見され,それが印刷術によって普及したこと,そして大航海時代が到来したことなどによって,ヨーロッパにおいて正確な地図を作る本格的な試みが始まった。

問1 〔   佑凌擁は,天動説を体系化して,後のヨーロッパの天文学に大きな影響を与えたことで知られている。この人物の名として正しいものを,次の 銑い里Δ舛ら一つ選べ。

 .廛襯織襯灰
◆.廛肇譽泪ぅス
 エウクレイデス
ぁ.團織乾薀

<解答解説>
素直に解答するなら△離廛肇譽泪ぅスが正解だが,プトレマイオスはアレクサンドリアで活躍したが出身地は不詳である。「アレクサンドリア出身」という表現はあやういのではないかという指摘が当時にあったらしく,「プトレマイオスをアレクサンドリア出身とする教科書があったのでこれによったが,学術的には確認できなかった」として,「出身」の部分を事後的に削除とする措置がとられた。アレクサンドリア出身という事実が完全に否定されたわけではないので,問1を出題ミスとせず残したのは問題のない判断だったと思われる。本問も厳密には出題ミスではないが,事例として面白いので紹介しておく。


〇2008年の世界史A,第2問の問9
<問題>2 問9 下線部に関連して,原子力発電や核実験について述べた文として正しいものを,次の~い里Δ舛ら一つ選べ。

 仝胸厠枠電は,19 世紀に実用化された。
◆.▲瓮螢合衆国のスリーマイル島で,原子力発電所の事故が起こった。
 日本とアメリカ合衆国は,1963 年に部分的核実験停止(禁止)条約に調印した。
ぁ|羚颪蓮1980 年代に初めて核実験に成功した。

<解答解説>
,20世紀半ばの誤り。い1960年代の誤り。△正文=正解。が審議の対象で,部分的核実験禁止条約は一般にアメリカ・イギリス・ソ連の締結によって成立したとされるが,調印したかどうかで言えば,成立直後に多くの国が調印している。当然に日本も1963年の当年のうちに調印しているから,もまた正文=正解になってしまう。ここはの文は「に調印した」を「を成立させた」と変えるか,日本の部分を2008年当時にPTBT未加盟国に変えるべきであった。大学入試センターから◆Νいずれも正解とした旨の発表があった。

2015年・2020年の出題ミスはブログに取り上げた通り。2004年から2014年まで世界史Bはノーミスだったことから,2015年の出題ミスは「まさかセンター試験が」というような取り上げられ方だった覚えがある。しかしこうして振り返ると実はこの期間以外は5年に1回くらい何かしらあったということがわかった。
〇2015年:2015年度センター試験地歴の「やらかし」について
◯2020年:2020受験世界史悪問・難問・奇問集 その3(国立大)


その他の事件簿も相当に面白い。長くなるのでここに書き連ねるのは避けるが,1983年のココア缶破裂事件,1985年の数学「昭和の米騒動」事件,2005年の偶然の的中事件と英語のありえない天気予報事件,2019年英語リスニング「羽根ニンジン」事件(これはp.42でも作成秘話が語られている)辺りが好き。ココア缶破裂事件はなんというか牧歌的である。大学入試センターがこれだけ細かく話題を拾っているのには驚いたが,ここまでネタを拾っているのにPat様には触れていないのは不思議といえば不思議かも。あとは現代文・古文で話題になったものには触れていないので,そういう拾い方なのかもしれない。  
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2022年08月06日

早稲田大・文学部&文化構想学部・世界史の入試問題で掲載された西洋美術作品リスト

<序>
大学受験では,大学・学部・日程ごとの傾向をつかむことが重要とされ,こと世界史においてそれは記号選択や論述の量といった出題形式と,出題される時代・地域・分野の偏りと解される。中世・近世ヨーロッパ史の出題が確実にある一橋大や,中国史の出題割合が高い名古屋大や立命館大などがその代表例であろう。その中で今回クローズアップするのは,早稲田大の文化構想学部・文学部では西洋美術史を扱った出題が必ず存在し,多くの作品の図版が掲載されるという点である。しかも,ほぼ必ず最後の大問にまとまって置かれているところまで定型で,これは極めて特徴的である。文化史の出題が多い傾向を持つ入試問題自体がさほど多くない中,さらに細分化された西洋美術史から必ず出題されるというのは類例を見ない。文学部に進む者は中国思想を志そうが社会学を志そうが西洋美術史は必ずたしなんでおくべしという強い意識が見られる。なお,例のモノクロで青磁・白磁を判別させる問題が出たことがあるように,東洋美術史の作品掲載も無いわけではないが,数年に一度程度であり,西洋美術史に比べると格段に出題頻度が劣る。早稲田大の文化構想学部・文学部の入試問題において西洋美術史は特権的な地位を占めている。

そこで,完全な興味本位で本稿は入試問題で掲載されている西洋美術史の作品をリストアップしてみることにした。注意点として,本稿は実際の問題を分析しているわけではない。たとえば2022年の入試問題では《ヴィーナスの誕生》の作品名が問われているが,これはボッティチェッリという作者名のみがヒントで,《ヴィーナスの誕生》の図版は掲載されていない。本稿ではこうした文字のみの出題をカウントしていない。こういうのまでカウントして「〇〇が出やすい!」という分析をするのは高校教員や予備校講師の皆様の仕事なのでそちらに譲りたく,本稿の目的ではない。また,受験生が本リストを暗記するのは推奨しない。たとえば,このリストにはテオドール=ルソーやプッサンの名前が登場するが,これらは直接出題されたわけではなく,関連して別の画家や様式が問われている。つまり,彼らを知らなくても解答に支障がない。とはいえ,掲載されている作品の時代・地域・様式に関連した出題が多く,明確な相関関係があるので,本リストが受験対策として役立たないわけではない。大雑把な傾向をつかむことはできよう。


<調査対象とリスト>
調査期間について。早稲田大学の文学部系統は長く第一文学部と第二文学部であったが,実はどちらも地歴で受験ができなかった。2003年に第一文学部で小論文に代わって世界史または日本史が課せられるようになった。また2007年に組織改編があって第二文学部が廃止となり,文学部と文化構想学部の二学部体制となって,どちらの学部も世界史または日本史が必須となった。このため調査範囲は2003年以降の(第一)文学部と,2007年以降の文化構想学部になる。したがって全20年間・36日程分である。直近5年以内の掲載のものは赤色,第一文学部時代の掲載は緑色,残った2007-17年の掲載は黒色とした。例によって,livedoorブログの設定の都合でExcelの表を直接貼り付けられないので,文字データがほしい人のために,はてなブログの方にもリストを貼っておく。様式分類などは半ば便宜上そうした画家もいるので,「なんでマネが印象派なんだよぶっ◯すぞ」というような文句はご容赦いただきたい。それも含めて趣味的なまとめである点はご理解いただけると幸いである。良い絵がいっぱい載ってるなーという感じで読んでほしい。

以下のリストを見てもらえばわかる通り,緑色がほとんどなく,つまり第一文学部時代は作品を掲載する傾向は無く,文学部・文化構想学部体制になってから生まれたということがわかる。また,赤字になっている作品が多いことから推測できるように,実は作品を大量に掲載するようになったのは2017年度以降である。最後の大問で西洋美術史の作品を載せる伝統自体は15年ほどの伝統があるものの,直近6年ほどで傾向が少し強まったと言えるかもしれない。

早大・文学部・西洋美術史作品リスト1


早大・文学部・西洋美術史作品リスト2


<分析と感想>
ぱっと見でイタリア=ルネサンス・17世紀オランダ美術・印象派・キュビスムの4つが圧倒して多い。このうちキュビスム以外は教科書上の扱いも比較的大きく,他大学でも出るから不思議ではないが,キュビスムは完全に「傾向」と言える。この4つの中でも印象派作品の掲載は目立ち,ポスト印象派も含めると36日程で21枚の掲載で,特に直近5年は文学部か文化構想学部のどちらかで必ず(ポスト)印象派が掲載されている。適当な(ポスト)印象派の絵画が見たければ,文学部・文化構想学部の問題冊子の最後のページを開けばよさそうだ。

画家別に言えば,最多はマネの8枚,次点がピカソとミケランジェロの6枚である。ビザンツ様式から6枚掲載されているのもかなり多い。作品別で見ると3枚が最高で複数の作品が該当する。6枚掲載のミケランジェロが《アダムの創造》と《ダヴィデ像》に偏っていることに注目に値する。教科書的によく載っているのは《最後の審判》であるが,易しすぎるから避けられているのだろうか。同様にピカソも教科書的には《ゲルニカ》しか習わないが,4作品掲載と散っている。これも《ゲルニカ》は易しすぎるという判断だろうか。

8枚登場のマネは《笛を吹く少年》が3枚とやや多いのが面白い。もちろん《笛を吹く少年》もマネの代表作であるが,美術史上でより重要なのは《草上の昼食》と《オランピア》である。まあ,マネの場合は以前論じたような状況であるので,美術史上の重要性に比してどの作品も大して教科書や資料集に載っていないから,何を載せても大差は無いのだが……それにしても,《モニエ通りの舗装工事》のようなマイナーな作品を用いているのは相当に出題者のこだわりが現れている。実際の入試問題を解いてみると《モニエ通りの舗装工事》はパリ市大改造を行ったセーヌ県知事「オスマン」を問うための素材で,実際の出題は西洋美術史に全くかかわっていないから,本当に載せたかっただけなのではと思う。(なお,作問者と思しき方が『CE建設業界』という日本土木工業協会の機関誌の連載記事で《モニエ通りの舗装工事》を取り上げていたのを見つけたので,かなり強い思い入れがありそう。)

逆に明らかに少ないのが18世紀末から19世紀半ばの美術,新古典主義・ロマン主義・写実主義・自然主義あたりである。私もリストアップしてみて,ダヴィド・アングル・クールベが36日程で各1枚しか掲載されていなかったことに驚いた。写実主義・自然主義は印象派からすると隣接する様式であるから,余計に少なさが目立つ。

美術史学やそれに類する研究室にいる教員の専門分野は,早稲田大のホームページを見ればわかる。彼らの専門分野を総合すると,ビザンツ美術,ロマネスク美術〜バロック期のイタリア美術,印象派〜20世紀美術というところになる。ここから考えるとイタリア=ルネサンス,印象派,キュビスムの掲載が多いのは当然で,ビザンツ様式が多いのも納得がいく。一方, 17世紀オランダ美術の掲載が多いのは教員の専門分野と全く重ならない面白い現象である。美術史上の重要性から言えば別におかしくはないとはいえ,その理屈だと新古典主義〜自然主義が少ない理由に説明がつかない。教員のどなたかが「専門分野ではないけど大好き」だったりするのだろうか。

最後に,その他に個別に興味深い作品を取り上げておく。まず,古代ギリシアの《エルギン=マーブル》。これは2022年に出題され,例の企画で難問に分類した。この他に,教科書・資料集にあまり載っていない作品を直接出題したために難問判定が下されたのはベラスケスの《ブレダの開城》で,2012年の出題。これは作品を知らないとベラスケスかルーベンスかの判断は不可能だろう。とはいえ作品がマイナーすぎて難問になったのはこれらと後述するコルビュジェの合わせて3つだけで,この特徴的な西洋美術史の出題からの難問は比較的少ないと言える。アンドレイ=ルブリョフは15世紀前半に活躍したロシアの代表的なイコン画家であるが,タルコフスキーが映画化したことの方が有名かもしれない。

ユディト=レイステルは17世紀のオランダで活躍した女性画家で,2022年の問題に登場した。この年の文化構想学部のこの大問のテーマが女性画家であったためで,ヴィジェ・ルブランとベルト=モリゾも同様に2022年である。この大問は解いていて面白かったので,またこういう出題を期待したい。なお,ユディト=レイステルの作品は2018年の上野の森美術館のフェルメール展で来日しているので,本ブログの読者でも見たことがある人が意外と多いのではないか。ロマン主義の掲載が少ないのは前述の通りだが,にもかかわらずカスパー=ダーヴィト=フリードリヒが出ているのはちょっと嬉しい。2021年の文化構想学部の掲載で,出題は「この画家は文学史上のハイネと同じ様式に分類されている」というヒント付でロマン主義を問うものであった。言うまでもなくフリードリヒ単体では範囲外なので,詩人ハイネのヒントがなければ難問であった。《雲海を見下ろす散策者(雲海の上の旅人)》は『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』のパッケージ絵のアレ。

ディエゴ=リベラはメキシコ壁画運動の画家で,受験世界史ではシケイロスの方が見るから非常に珍しい。メキシコ壁画運動は以前は範囲外だったのだが,慶應大があまりにもシケイロスを出題したために教科書に掲載されるようになり,範囲内になってしまった。このディエゴ=リベラが出題された時も「ディエゴ=リベラやシケイロスが壁画運動を展開した国はどこか」という出題であった。岡本太郎が2018年の文学部,ディエゴ=リベラが2019年の文化構想学部の掲載なので,この2年間は早稲田大の一部で局所的なメキシコ壁画運動ブームだったのだろう。コルビュジェは2017年の出題で,2016年に国立西洋美術館が世界遺産になったことを受けての時事問題である。厳密に言えば範囲外だと思われるが,時事ネタだからセーフにするかどうか悩み,結局収録にしたという経緯があったのを覚えている。正答率がどの程度だったかは今でも気になっている。  
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2022年03月20日

2022受験世界史悪問・難問・奇問集 その3(国立大)

昨日の続き。本日の国立大でラスト。名古屋大が大きく報道されていた出題ミスを含む3つ,京大1つ。おまけで一橋大のレジェンドシリーズの解説を付した。千葉大と東京外大は未入手である。

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2022年03月19日

2022受験世界史悪問・難問・奇問集 その2(早稲田大)

昨日の続き。本日は早稲田大の残りをお届けする。

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2022年03月18日

2022受験世界史悪問・難問・奇問集 その1(慶應大・早稲田大途中まで)

今年も無事に公開に至ることができた。協力してくれる方々に感謝を申し上げたい。自分自身も例年より忙しさがやわらいだ2月で,少し書きやすかった。なお,3巻が発売しているので,2020年以前をまとめて読みたい方はこちらをお読みください。




<収録の基準と分類>
基準は例年とほぼ同じである。

出題ミス:どこをどうあがいても言い訳できない問題。解答不能,もしくは複数正解が認められるもの。
悪問:厳格に言えば出題ミスとみなしうる,国語的にしか解答が出せない問題。
→ 歴史的知識及び一般常識から「明確に」判断を下せず,作問者の心情を読み取らせるものは,世界史の問題ではない上に現代文の試験としても悪問である。
奇問:出題の意図が見えない,ないし意図は見えるが空回りしている問題。主に,歴史的知識及び一般常識から解答が導き出せないもの。
難問:一応歴史の問題ではあるが,受験世界史の範囲を大きく逸脱し,一般の受験生には根拠ある解答がまったく不可能な問題。本記事で言及する「受験世界史の範囲」は,「山川の『用語集』に頻度,任發いいらとりあえず記載があるもの」とした。


<総評>
昨年は17個と近年まれに見る少なさであったが,今年は30個に増加した。増加した理由であるが,まず昨年は文科省から高校の休校等への対応として入試を易しくするよう指示を出していて,これに対応した慶應大がそれなりに易しく,結果的に難問や悪問が少なかった。しかし,今年はそのような指示が無かったので元に戻り,特に法学部は2・3年前並のひどい状況になってしまった。また,早稲田大は(世界史のみならず他の教科・科目を含めて)出題が荒れ気味で,難しかったとか日本語が変とかいうよりも単純に校正ミスやら詰めの甘さやらでの問題不成立が多かった印象である。特に教育学部は,国語で爆発炎上していたが,世界史も同様に第三者の校正・検討がされていないと思しき出題ミスが多かった。新型コロナウイルス感染症対策で大学も疲弊しているのかもしれない。


以下,本編。

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2022年03月08日

布銭の研究には期待したい

・世界最古の貨幣鋳造所が見つかる、2600年前、中国(NATIONAL GEOGRAPHIC)
→ 春秋時代の晋,紀元前600年頃の布銭とのこと。中国では紀元前400年頃からの戦国時代ではこうした青銅貨幣が普及するが,紀元前600年頃というとそこからかなり遡るので古い。しかもその戦国時代の布銭とあまり形が変わらないように見える。記事中にもある通り,現在の金属貨幣で確認できる最古のものは紀元前600年頃の小アジア,リディア王国のエレクトロン貨とされているので,今回の布銭が実証されればそれに並ぶ世界最古の金属貨幣ということになる。しかもあちらは金銀合金で打刻貨幣だが,こちらは青銅貨幣の鋳造なので,材質も製造過程が違うということになって面白い。また記事中にある通り,エレクトロン貨の鋳造は打刻貨幣よりも少し後になるので,鋳造としては中国の方が古いという可能性も出てくる。以上のような理由からこれは世間で思われているよりも大きな発見に発展する可能性があり,高校世界史の教科書が書き換わるレベルのもので,これはぜひとも研究の進展を待ちたい。


・「普通なんですが…」ネットを騒がせる“眼科の愛新覚羅先生”が明かす、やっぱり凄い“わが半生”(文春オンライン)
→ 日本育ちだと思っていたのだけど,留学生だった。ご先祖をたどっていくと順治帝にあたり,一族は八旗の出身とのこと。記事中にもある通り,日本でたとえるなら江戸幕府の家光か家綱くらいのタイミングで生まれた分家の小さな親藩大名の子孫くらいのポジションだろうか。もっとも,徳川家は愛新覚羅家に比べると二代将軍以降からの分家が少なく,けっこう宗家が途絶えて分家から養子を迎えていたりするので比較が難しい。現に徳川家光の次子の綱重は分家(甲府藩)になるはずだったが,綱重の息子の家重が宗家の養子となって6代将軍に就任している。
→ 3ページめに出てくる学会でアメリカに行ったときのエピソードが強すぎるw。「「亡命なのか?」「大使館に伝えなくて大丈夫か?」みたいなことを真顔で尋ねられる」ことがある人は決して普通ではない。


・つい人に話したくなる 聖書考古学 第3回 家は洞穴!? 飼葉おけは石!?(月刊いのちのことば)
→ 半年くらい前のTwitterで「イエス・キリストは馬小屋で生まれたのかどうか」が議論になっていて,調べた時に一番参考になったページ。他の信頼できる書き手のページでも同じ説明があったので,これが現在最も信頼できる学説なのだと思われる。
→ イエスが馬小屋で生まれていないとすると外典にある洞窟が信憑できる説ということになるが,飼い葉桶がなぜ洞窟に? という謎はそもそも住居や家畜小屋(馬が飼われている可能性は低い)が当時は洞窟の中にあった,家畜は人間の近くで飼われていて小屋がそこまできれいに分かれていないという説明で解決する。本家の欧米のキリスト教徒も家畜小屋を描いちゃうことも考えると,日本人が別に家畜小屋で覚えていても別に深刻な問題にはならないのではないか。
→ 家畜小屋と馬小屋を峻別すべきかどうかは難しいところで,たとえば聖徳太子の出生伝説との混同を避けさせたいなら確かに峻別すべきなのだろう。しかしながら,21世紀の日本人には家畜小屋と馬小屋を区別しろと言われてもそもそも違いが全くわからない(馬小屋は家畜小屋の一種でしかないのでは?)わけで,あまり気にしない方が良さそうにも思う。  
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2022年03月03日

受験世界史(地歴公民)の論述問題とは何か

どちらかというと指導者層,または受験が終わった社会人向けの話題である(もちろん高校生・受験生が読んでもよい)と前置きした上で。

受験世界史(社会科,地歴公民)で論述問題が課されるのはなぜか。文章作成能力なら国語や小論文で問えばよいので,地歴公民は全て純粋な知識問題でよいのではないかというのはたまに聞かれる主張である。しかし,それらでは測れない能力があるからこそ,地歴公民にも論述問題はある。ここでは世界史に絞って解説する。本論が世間の議論に資することを期待して。


1.事件や歴史用語を説明させる問題
論述問題として最も多いのは,「◯◯について△△字以内で説明しなさい」というパターンで,○○には特定の事件や歴史用語が入る。たとえば,

エンコミエンダ制について説明しなさい(60字程度)。

これは実際に今年の慶應大・経済学部で出た問題を少し改変したものであるが,解答は以下。

「スペインがアメリカ大陸の植民者に対して現地の統治を委ね,キリスト教への改宗を条件に,先住民を労働力として使用するのを認めた制度。」(64字)

誰が解答しても概ね同じような解答になるし,知識があれば書ける。こんなのは別に語句記述問題なり選択問題なりでよいのではないか? と思われた方もいるだろう。しかし,これにはちゃんとした意味がある。受験生は,というよりも多くの人間は文章の作成を忌避する傾向があるので,問う内容が同じものを論述問題にした途端に白紙解答が急増する傾向があるのだ。したがって,文章作成に抵抗がある人間を振り落とすという効果のためだけでも,論述問題を課す意義はある。この意味で,共通テスト導入の際に現れた「共通テストには短い字数のものでかまわないし,どの教科でもよいから,何かしらの論述問題を入れるべき」という主張は理解できる(現実的困難を横に置いておけば)。ゆえに「50字や100字の短い字数では思考力は測れない」等という反論は,その通りではあれども,かえって現実が見えていない。そして,新規に提示された文章から読み取った内容で論述させるのではなく,あらかじめ自分の記憶の中にある知識から文章を作成されることは,国語では問いづらい。地歴公民ならばやりやすい。

そして,この種の問題でも,思考力が必要になるようにひねることはできる。字数を調整するか,要件を追加してやればよい。すると情報の取捨選択能力やより高度な国語力を新たに問うことができるようになる。たとえば上述の問題,慶應大・経済学部の指定は実際には以下の通りであった。

資料aの波線部αに関連して,エンコミエンダとはどのような制度か。説明しなさい。(40字程度)
(編註:資料aではエンコミエンダがフィリピンでも行われていたことが提示されている。波線部は「エンコミエンダ」)

つまり,上の解答から20字程度は削りつつ,問題文で提示された新規の情報も加味しなければならない。すると,エンコミエンダ制の核は植民者が先住民を恣意的に扱う権利を得たことにあるから,ここは死守する必要がある。この観点から言えば「統治を委託されたこと」と「労働力として用いるのを認められたこと」は同義であるから,片方だけ残せば問題ない。「キリスト教への改宗を条件に」は,エンコミエンダ制が世界史において取り上げられる理由の特徴であるから削れない。逆に「アメリカ大陸の」は問題文で提示された新規の情報に反するから,必ず削る必要がある。それでもまだ20字は削れないので,日本語も工夫の必要がある。結果的に解答は

「スペインが植民者に対して,キリスト教への改宗を条件に,先住民の使役を認めた制度。」(40字)

くらいになるだろう。末尾にはもちろん「統治を委託する」方を残してもいい。一見すると上述の設定とほぼ同じに見えて,なかなか高度な作業を求められていることがおわかりいただけるだろうか。こういうのを良い論述問題という。特に用語の説明文のどこに重きがあるかを見抜くのは,歴史の流れや背景を想起する必要がある,大仰に言えばその用語が教科書に載っている意義を認知している必要がある。自分がなぜその用語を覚えさせられたのか自覚するから,これはメタ認知的な話でもあるのだ。逆に作る側は,どうやったら解答者に重要性の勘案をさせられるかを意識する必要がある。


2.時系列や空間・ジャンル跳躍を整理させる問題
この種の問いは辞書の引き写し・要約では対応できなくなる。時空間概念のある「歴史」という科目の真骨頂であるかもしれない。また今年実際に出た問題から選ぶと,九州大の問題。

イスラーム世界のトルコ人の活動が,9世紀から10世紀にかけてどのように推移したか,その過程について,つぎの語句を全て用いて100字以内で説明しなさい。(サーマーン朝,ガズナ朝,アッバース朝)

定番のテーマなので,進学校・塾・予備校に通っていたなら書き慣れているだろう。しかし,教科書を読み込んできただけだとなかなか手ごわい。もちろん解答に必要な情報は主要5冊ならいずれも掲載されているが,本文にそのまま書いているわけではない。したがって,必要な情報は自分で再構成する必要がある。本問は必要な王朝がほぼ全て提示されているだけ易しいし優しいが,これが東大・阪大あたりになるとノーヒントになる。解答としてはマムルークとカラハン朝を自力で想起して,適所で使えるかが重要。

「9世紀にアッバース朝がトルコ人をマムルークとして活用し,これを強化したサーマーン朝の下で改宗が進んだ。10世紀に中央アジアのカラハン朝や,後にインドに進出したガズナ朝といったトルコ系王朝が自立した。」(98字)

本問はまだ与しやすい。必要な情報が全て近接した数ページに収まっているし,前述の通り定番のテーマなので事前に類題を解いておくという対応が可能である。世界史が苦手な受験生なら,一種の公式としてこのフレーズを脳内にたたきこんでおくという対応さえ可能だろう。したがって,より高度な能力を測るなら問題を変える必要があるが,その改変は容易である。時間または空間を引き延ばせば難易度が跳ね上がる。世界史の教科書は数百ページに及ぶ。しかも世界史は地域が乱れ飛ぶ。古代オリエントの次にギリシア・ローマが出てきて,中東とヨーロッパ史が6世紀くらいまで進んだかと思えば,次のページで前23世紀のインダス文明に飛ぶ。このインドがまた7世紀くらいまで進んだら,次はまた仰韶文化まで戻り,中国史が唐末まで進むと……という繰り返しである。日本史はまだしも一直線だが,こちらの場合は政治史・外交史・社会経済史・文化史でループするから,学習者が受ける印象は似たようなものだろう。

中央アジアも例外ではない。その良い事例は,やはり今年の東大の問題である。問題文が極めて長いので適当に省略するが(全文読みたい方はこちらへ),

(前段略)「以上のことを踏まえて,8世紀から19世紀までの時期におけるトルキスタンの歴史的展開を記述せよ。次の8つの語句をそれぞれ必ず一度は用い,その語句に下線を引くこと(アンカラの戦い,カラハン朝,乾隆帝,宋,トルコ=イスラーム文化,バーブル,ブハラ・ヒヴァ両ハン国,ホラズム朝)」(600字)

これは前出の九州大のものと比べ対象の時間が長く,難易度が非常に高い。1200年はあまりにも長い。教科書の章立てで言えば,山川『詳説世界史』全16章のうち5章分にまたがり,該当する情報がある教科書本文を全て抜粋すれば,優に数千字を越えるだろうし,それは数十ページずつ離れている。まずその全てを想起するだけでも大変だが,これを600字まで圧縮しなければならない。ここで必要なのは情報の重要性を勘案した上での取捨選択能力であるから,前出の種類の問題と同様にメタ認知的能力である。たとえば本問,「アンカラの戦い」が指定語句であるが,トルキスタンの歴史には直接関係がない。これは西トルキスタンから出てきたティムールが西アジアに進出した文脈で消化するしかないわけで,とすると相手側の情報はオスマン帝国であることを明示してもよいが,バヤジット1世は相対的に余分な情報になるから書くだけ字数の無駄になる。「宋」も西遼の成立の文脈で処理するしかないが,本問の文脈では徽宗なり耶律大石なりの名前は重要性が高くなく,ナイマンの西遼征服も事情として細かすぎるから加点される可能性は高くない……等の判断事項がある。

さて,読者諸氏はここに基準が2つ働いていることにお気づきだろうか。バヤジット1世も徽宗も世界史上疑う余地のない重要人物であるが,本問の要件から遠いために弾かれる。逆にナイマンは本問の要件には沿っているが,“他の事項に比べて”世界史上の重要性そのものが低いから不要と判断される。つまりここには二種類の網がある。現代文では前者の網しか用意できないし,そもそも網ですくい取られる不要な情報も試験の中にしか用意できないから,漁場そのものがどうしても狭くなる。尋常でなく広大な海を提示して,かつ網を二種類張るのは地歴公民科目の方が得意であるのは,ここまでの説明で理解されるだろう。また,記号問題は事実の正誤を問うのには適しているが,重要性の勘案は不得意である。ここにも論述問題の必要性がある。

ここで説明を終わらせてもいいが,さらに言えば「乾隆帝」の語句が指定されている意味にも言及しておこう。これは乾隆帝の征服時点では藩部であったのにイリ事件後に直轄領になる(あるいは支配が強化される)ことを書けということを示唆していて,暗にはその後の東トルキスタンの運命を想起せよということである。それが(21世紀まで引き伸ばした際の)トルキスタンの歴史的展開の”結末”であるのだから,19世紀末に起きたその前兆は,問題の要件に完全に沿うどころか要求の本命である。というように「乾隆帝」は漢字をど忘れした受験生のためのヒントではなく,ここに優しさは無い。受験生に求められている能力はこれがヒントではなく伏線であるという作問者の創意に気づくことでもあって,繰り返しになるが,やはりメタ認知的能力である。さらにメタなことを言えば,現在の新疆の状況に思いを馳せてほしいという作問者が込めたメッセージにまで考えが及ぶと本問は解きやすい。東大受験生にはここまでのメタのメタを読む注意力と読解力が求められるのだから,大変なものだ(他人事)。

ここでは時間を広くとる事例を挙げたが,同様に空間を広くとってもいい。たとえば東大は過去に「13〜14世紀のユーラシアの東西交流」を問うて,膨大な空間を記述させた。これも教科書的には配置がバラバラである。あるいはジャンルを跳躍させる論述問題もある。税制を媒介させれば政治史と経済史が交わるし,宗教を媒介させれば政治史と社会史が結びつきやすい。高校生は政治史は政治史として,社会経済史はそれとして通して習うので,跳躍されると混乱する。これらでも膨大な関連事項から関連性の高い事項だけを取捨選択する力を問うことができる。


3.用語説明でも時系列でもないものを問う問題,(擬似的な)比較の問題
ちょっと特殊な問題である。正確な知識があることは前提で,特定の時代や地域の様相・風潮を答えさせたり,ド直球に歴史的意義を聞いたりする。1・2のパターンよりも難度は高い。これも今年の問題を引用することにして,阪大から。

資料3が示す事件の背景には,フランスが最終的に軍事的な介入を断念したという事情もあった。その理由を,当時のフランスの内政・外政の状況を踏まえて説明しなさい。(100字以内)
(編註:資料3は1804年のハイチ独立の際にハイチ人が発表した外交文書)

ハイチ独立は当然教科書に書いてある。ナポレオンの事績もある。しかし,その関連というと書いていない。ゆえに,習った内容を想起して自分で介入が断念された事情を考えなければならない。2の時系列を追うパターンは十分に習熟した受験生なら関連事象を書ききれないほど想起できる。ゆえに重要性を勘案した取捨選択の必要が出てくるが,本問は何を想起したらいいのか,何が関連事象なのかを考えるところから始まる。必要な思考回路が違うのである。本問の場合は年号を手がかりにアミアンの和約の破棄と第一帝政の樹立による第三回対仏大同盟の結成,長期化する革命戦争,1803年のルイジアナ売却を想起して,フランスの軍事的困難・財政難・西半球からの退潮に結び付けることになる。知識は標準的なものしか必要がないが,阪大受験生を相手にするにふさわしい,高度な思考力が問われていると思う。ここに来てメタ認知的ではないのはちょっと面白い。なお,この種の問題の欠点は作問者に多大な力量が求められてしまう点で,自分の大学の受験生の知識や思考力を見誤ったり,自分が専門領域としない分野から作問したりすると,良問が超難問に様変わりし,最悪の場合は破綻して解答不能になる。そのような事例は『絶対に解けない受験世界史』シリーズで多数取り上げている通り。

比較の問題も面白い。たとえば今年の京大の問題。

民主政アテネと共和政ローマでは,成人男性市民が一定の政治参加を果たしたとされるが,両者には大きな違いが存在した。両者の違いに留意しつつ,アテネについてはペルシア戦争以降,ローマについては前4世紀と前3世紀を対象に,国政の中心を担った機関とその構成員の実態を,300字以内で説明せよ。

民主政アテネも共和政ローマもよく学習するところであるが,教科書上では比較されていない。したがってその相違点は自力で探すことになる。しかも,この比較はあまりにも頻出であるので進学校・塾・予備校では間違いなく練習させられてきているものだが,紋切り型の解答をされるのを避けるために「その構成員の実態」という見慣れぬ要件を付しているのが面白い。直接民主政の徹底と寡頭政の維持という解答から一歩踏み出して,社会の流動性の違いに言及できるかどうかは,間違いなく高度な思考力が問われているだろう。ところでこれ作問者はおそらくサウスでリバーな先生……の後継者の方ですよね。



以上,見てきたように,受験世界史の論述は出題のパターンが多岐に渡り,様々なタイプの思考力を問うことが可能である。またそのうちの多くが重要性を勘案する力,メタ認知的能力に結びついていることも理解されよう。大学の教員の方々には作問の参考になればこんなに嬉しいことはなく,受験からはすでに離れている方々には,入試問題はこうやって作られているのかという参考になれば幸いである。また受験生には(この記事を最後まで読んだ人は極少数であろうが),本記事自体がメタ認知的能力の向上に役立つなら望外の喜びである。  
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2021年12月14日

ゴヤとマネという様式分類上の困難を高校世界史でどう扱うか

久しぶりの高校世界史深掘りシリーズ。

言うまでもなく,様式史とは同時代または後世の人間による整理である。ゆえに画家個人を必ずどれかの様式に入れないといけないわけではない。実際に,どうにも分類しがたい画家は存在する。しかし,専門家や好事家はともかく,一般教養や高校世界史のレベルだと,有名な画家をどこかしらのグループに入れることが要請される。この画家は一人一派なので型にはまらないのです,という説明を通すのは難しい(なぜ難しいのかわからないという人はすでに世間の知的水準や感覚から遊離している自覚を持つべし)。どこのグループにも入らない理由の説明をしようものなら,世の中には一般教養として求められるものが無数にあるのだから,込み入った事情を把握するくらいなら別のものを学んだほうが効率がいい,という反応をされてしまうのが常である。これは知っていてほしいと思う側にも望ましくない状況で本末転倒である。だから,一般教養や高校世界史のレベルの大画家は,何かしらの様式に無理矢理押し込めてしまうか,マイナー視されることは覚悟の上で押し通すか,いずれかしかない。

この一人一派になりがちな大画家の代表例が,ゴヤとマネである。共通しているのはどちらも「近代絵画の父」という呼称があることで,これ自体,彼らが通常の様式史に当てはめにくいことをよく表している。「近代絵画」という言葉は指す範囲がとてもファジーで,ゴヤを「父」と呼ぶ場合はロマン主義以降が,マネをそう呼ぶ場合は印象派以降が「近代絵画」なのだろう。それこそ,その了解がある人たちの間ではそんなファジーな「近代絵画」でも通るだろうが,世間様はそれを許してはくれまい。

特に高校世界史では,政治史や社会経済史に比べると文化史は明らかな「おまけ」である。ただでさえ限られている教科書の紙幅を「おまけ」に大きく割くわけにいかないから,そもそも込み入った説明ができる文章を書けないという事情もある。では,高校世界史上の扱いとともにゴヤとマネを見ていこう。使うのはいつもの世界史Bの受験用の教科書5冊と,山川の『世界史用語集』『詳説世界史研究』,それと今回は美術史の話題なので山川・浜島・帝国書院の3冊の資料集にも登場してもらった。


〔ゴヤ〕
ゴヤはスペインの宮廷画家であったから旧時代のロココ様式の要素もあるし,同時に新時代のロマン主義を切り開いたという要素もある。彼が画業の前半に多く描いていた王族や貴族の肖像画はロココ様式である。一方で,《1808年5月3日》《我が子を食らうサトゥルヌス》はロマン主義的な作品と言えよう。その意味では《巨人》もロマン主義的で良い作品だったのだが,これはゴヤが作者ではないと否定されたため,ゴヤの分類を難しくしたと思われる。さらに《裸のマハ》はクールベや,まさにマネの《オランピア》の先取りであって,確かに「近代絵画の先駆的肖像画」とでもごまかしたくなる。あえて言えば写実主義的だろうか。

さて,こういう困った時は,様式とは時代精神を表す言葉でもあるので当時の流行を参照し,「ちょっと画風が外れるけど時代が同じだから」という理由でそこに押し込めてしまうという技も無いわけではない。しかし,ゴヤが活躍した18世紀末から19世紀初頭は新古典主義の時代にあたるので,今度はそれがロココ様式でもロマン主義でもないという問題が浮上する。ロココ様式は飽きられつつあり,ロマン主義はまだ勃興途上なのだ。

加えて,高校世界史では別の困った事情も交錯する。高校世界史では,ロマン主義美術の中心地はフランスと教えられるため,実質的にドラクロワ以外はいなかったことにされがちなのだ。少し美術史に詳しい人,上述の好事家に当たるような人たちなら「あれ,ターナーは? フリードリヒは?」と気づくと思うが,ターナーは『新世界史』以外に記載がなく,用語集は未収録である。フリードリヒも『詳説世界史研究』にのみ記載あり。このような状況なので,ターナーやフリードリヒを差し置いて,明確なロマン主義というわけでもないゴヤを「実はスペインにもロマン主義美術がありました,てへ☆」と今更説明を書き換えて加えるわけにもいかない。どうしようもない状況になってしまっている。

これを高校世界史の教科書ではどう処理しているか。これがかなりの反則技で,多くの教科書はゴヤはなるべく政治史で登場させて文化史の俎上に載せていないのである。ナポレオンの半島戦争の文脈の挿絵で《1808年5月3日》を掲載して,ナショナリズムの芽生えを描いた画家とすることで,様式の分類を回避してしまうのだ。

実際の教科書5冊の様子は以下の通り。反則技で回避した教科書が多数派である。
【上述の反則技で回避】
・山川『詳説世界史』
・東京書籍『世界史』
・実教出版『世界史』

【掲載なし】
・山川『新世界史』:教科書のどこにも掲載なし。
【文化史上で扱う:一人一派】
・帝国書院『新詳世界史』:ゴヤは「その他 近代絵画の祖」と説明。

参考書5冊の場合は以下。教科書に比べると,まっとうに文化史で扱おうとしている。
【掲載なし】
・山川『詳説世界史研究』:まさかの掲載なし。政治史のところにすら出てこない。こうなると逆にロマン主義にフリードリヒを載せているのは恐れ多い。もちろんカスパー=ダーヴィト=フリードリヒは西洋美術史上に燦然と輝く一線級の画家であるが,さすがにゴヤを差し置いて日本人の教養であるべきとは思わない。
【文化史で扱う:様式分類は割愛】
・山川『用語集』:様式を「その他」としているわけではなく,説明文で一切触れていない。用語の配列を見ても置きどころがないから仕方なく19世紀美術の冒頭,新古典主義のダヴィドの手前に置いたという感じで,明らかに扱いに困っている。ところで用語集はゴヤの教科書掲載頻度をとしていたのだが,上述の通りの5冊だけ見ても4冊に掲載がある。どの教科書での掲載を見落としたのか。
・山川『世界史図録』:特に説明無し。
【文化史で扱う:ロココ様式に配置】
・浜島書店『新詳世界史図説』:「後期ロココ美術」と記載。
【文化史で扱う:ロマン主義に配置】
・帝国書院『タペストリー』



〔マネ〕
こちらは拙著『絶対に解けない受験世界史3』で扱っているので,その説明を引用しよう。

「印象派という集団はわかりやすいようで捉えにくい集団で,創始者をマネと断定してよいかどうかは議論がある。美術史上のマネの功績は,当時の西洋美術の最大の権威であったフランスの官展に,伝統的な手法から逸脱した作品で挑戦し,かつそれが一定程度世間に認められたという点にある。そしてこれにモネやルノワールが追随した。マネはそうした前衛芸術を志す若者集団の敬意を集め,慕われた長老格の人物であった。一方で,マネは印象派集団の主催する展覧会,いわゆる「印象派展」に出品したことが一度も無く,画風も他の印象派・ポスト印象派の画家とは異なっていて,人間関係を考慮しなければ印象派には含める必要がなくなる。少なくとも,生前の本人が印象派を名乗ったことはない。

よって,1860 〜 70 年代に出現した前衛的な画家集団を,密接な人間関係込みで「印象派集団」と括るのであれば,マネを印象派の創始者としてもあながち間違いではない。一方で,「印象派とは,印象派展に出品したことがある人物である」という厳格な定義をとった場合や,筆触分割や戸外制作などの技術的・画風上の特徴を重視する場合は,マネは創始者であるどころか,印象派に含まれないということになる(この場合の創始者はモネになるだろう)。ここは意見の分かれるところであり,印象派をどう定義するかによってマネが印象派に含まれるか否かが変わるというのが共通認識と言っていい。」(引用終わり)


実際に《オランピア》に印象派の特徴である筆触分割・光のゆらめきがあるかと言われれば無いわけで,マネを印象派から外したがる人の意見は理解できる。しかし,後続の印象派画家たちとの密接な関係や,マーケット上ではモネやルノワール同様に異常な高額で取引されていて明らかに同グループとして扱われているという現実など,画風以外を考慮して印象派に入れるべきという保守的な意見もわかる。ゴヤのように画業のみでの判断で様式分類が変わるわけではないから,かえって話がややこしい。

高校世界史でマネについてのさらなる問題点は,ゴヤは政治史上の“出来事”としてごまかすことができるが,マネは政治史の文脈で処理するのが難しい(《皇帝マクシミリアンの処刑》を無理矢理使うという手段がなくはないが)ということがある。反則技は使えない。さて,実際にどうなっているのか。

主要教科書5冊の扱いは以下の通り。山川は2冊とも掲載なし,その他の出版社は保守的な姿勢が強い。
【掲載なし】
・山川『詳説世界史』
・山川『新世界史』

【印象派に分類】
・東京書籍『世界史』
・実教出版『世界史』
・帝国書院『新詳世界史』


参考書5冊は以下の通り。参考書の方が柔軟なのはゴヤと同じ。

【掲載なし】
・山川『詳説世界史研究』:ゴヤと同じく,まさかの掲載なし。『詳説世界史研究』の文化史はやたらと詳しかったり教科書未満の説明だったりでピーキーすぎる。
【印象派に分類】
・浜島書店『新詳世界史図説』
・帝国書院『タペストリー』:
「「近代絵画の祖」として印象派の先駆者と見なされる」と注釈。
【様式分類せず】
・山川『用語集』:「近代絵画の父」「印象派の父」「マネ自身は印象派に加わっていない」と説明。短いながらも実直で良い。ただ,高校生に理解できる説明かと言われると,どうか。
・山川『世界史図録』:特に説明無し。ゴヤと扱いをあわせている。

正直に言ってしまえばマネのいない近代西洋美術の説明は成立しないのであるから,山川の教科書2冊には不満である。教科書を執筆する側(今回の場合は削る側と言った方が正しそうだが)にも事情があるのはここまで本記事で述べてきた通りだ。しかしながら,反則技が使えないなら載せないというのは潔すぎやしないか。削るくらいならいっそ印象派として載せてしまった方がまだよいのかな,というのが個人的な感想である。もちろん異論はあると思うし,たとえば昨今の用語削減の流れを考えれば理由はどうあれ減るに越したことはない等。これから議論が蓄積されていくべきであろう。あとは……マネが印象派の画家であるのを自明として入試問題を作るのだけは避けてほしい,というのを全国の(西洋美術史が専門外の)大学教員へのメッセージとして本記事を締めておく。  
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2021年09月20日

受験世界史悪問・難問・奇問集〔特別編〕明治大・情報コミュニケーション学部がひどすぎる件について

『絶対に解けない受験世界史3』の発売記念記事。例年3月にやっている受験世界史悪問・難問・奇問集により,ここ数年の慶應大・法学部の世界史が極悪であることは知られていると思う。しかしながら,あの企画は3月頭までに入手できる試験問題の数が限られているという物理的な制約と,私自身が解いて分析して解答解説を付して友人たちに校正してもらうという時間的な制約により,主要国公立大と早慶上智までしか記事化できていない。それゆえに,それ以外の大学のものは『絶対に解けない受験世界史』の方で初公開という流れになっている。したがって,2・3巻を読んでくれた読者の方はご存じのことだと思うのだが,実のところ近年の私大の世界史の入試問題では明治大の情報コミュニケーション学部も慶應大・法学部に張ってひどい。あまりにもひどいので,ちょっと掘り深めてみることにした。

一番わかりやすい例として,本書に収録される問題の数で見てみるとよい。もちろん,本来であれば各入試日程の配点が違うので単純な比較は難しい。満点や設問ごとの配点により,収録対象の問題の重みが変わってくるためである。極端な事例を上げれば,一橋大は試験に3問の論述問題しかなく,100点満点とすると1問約33.3点である(実際には一橋大は学部により満点が110点や160点など変動する)。これは100点満点で50問,1問の配点が2点の慶應大・法学部の問題よりも約16.7倍の悪影響があるということになる。しかし,こと慶應大・法学部と明治大・情コミュは比較しやすい。慶應大・法学部と明治大・情コミュはどちらも100点満点で50問,1問の配点が2点で完全に同じなのだ。まあ,慶應大・法学部は英語・小論文・世界史の配点が200:100:100なのに対し,明治大・情コミュは100:100:100なので,総合点で見ると慶應大・法学部の方が合格に対する影響はやや小さい。

以上を前提に,両日程と,比較対象として早稲田大・教育学部を載せる。早稲田大・教育学部も1問1点の50問,英・国・世は1:1:1で配点上の形式が明治大・情コミュとほぼ同じである。
慶應・法と明治大・情コミュ比較


ご覧の通り,早稲田大・教育学部は入試1回で50問中約1.67問が収録対象になっていて,早慶上智の各日程も概ね1日程あたり1.5〜2.0問くらいなので標準的な収録数である(1.0問を割っているのは慶大・経済と早大・文化構想のみ)。MARCHだともう少し少なくて,明治大と法政大以外の大学は1.0を割っている日程の方が多い。とはいえ,前述の通り満点等が違うので参考値だと考えてほしい。してみると5.0を超えているのは異常に高いのはわかるだろう。他日程と比較しなくとも50問中平均して5問は悪問・難問・奇問・出題ミスがあるのだから1割が死んでいるのは異常とも言える。1割も捨て問では試験として成立していない。

さらに,明治大・情コミュのヤバさは収録される問題の「種別」にある。多くの方にはご存じの通り,本企画では収録される対象の問題を難問・奇問・悪問・出題ミスに分類している。難問・奇問と,悪問・出題ミスは性質が異なる。前者の2つは試験科目が「高校世界史」であることに目をつむれば瑕疵無く成立している。それでも私が難問や奇問を本企画の収録対象としているのは「高校世界史」であることに目をつむるのは問題があるからであり,具体的に言えば
・高校課程の学習内容を試す入試において「世界史」の看板を掲げておきながら,看板から外れた出題をするのは端的に言って詐欺である
・正答率が極端に低い出題は入試の本旨である選抜性を低下させる
・高校世界史から外れるような細かい知識は出題者自身も詳しく知らない事項である可能性が高くなり,悪問や出題ミスを併発するリスクが高まる(実際に多い)
の3つが理由である。しかし,他の高校世界史範囲内の事項よりも学部での学習に必要な事項がある,その知識がある人に学部生になってほしいと考えているなら,作問者視点では難問・奇問を出題するメリットがある。一方で悪問・出題ミスには何のメリットも無いから,両者はこの点で異なり,したがって難問・奇問は悪問・出題ミスに比べると悪質性は低いと考えることもできる。上述のようなメリットとデメリットを天秤にかけて,メリットの方が大きいはずだと思うだけの強い信念が出題者にあるのだろう。慶應大・法学部の作問者たちはそうした強い信念を持っているのだと思われる。それは私も理解する。許容はしないが。

そこで,上記の表から「難問・奇問」の枠を削除して再計算すると,こうなる。
慶應・法と明治大・情コミュ比較2

ご覧の通り,慶應大・法学部の収録数は早稲田大の教育学部並に下がる。一方,明治大・情コミュの収録数はほとんど下がっていない。明治大・情コミュの収録対象問題は,多くが悪問・出題ミスだからである。要するに明治大・情コミュは信念を持って難問を出題しているから収録数が多いわけではなく,単に作問が杜撰だから収録数が多いのだ。

悪問や出題ミスも,ある程度出てきてしまうのはしょうがない。大学教員からすると機会の少ない慣れない作業であり,数人で多重チェックしてもすり抜けるヒューマンエラーはある。だから数年に1問くらい悪問や出題ミスがあるのは仕方がないことだ。たとえば明治大の同偏差値帯の大学で,やはり1日程50問(150点満点)で構成されている関西学院大は丁寧な作問や入試についての情報公開で知られるが,それでも2016〜21年の6年間の平均で1年・1日程あたり約0.28個の悪問・出題ミスがある。この辺が限界なのだろうと思う。ひるがえってその10倍以上,50問中に平均して3問は出題ミスかそれに準ずる問題がある,その状況が6年続いていて改善の兆しが全く見られないというのは,常識的に考えて組織自体に問題があると言わざるを得ない。明治大・情コミュは作問チームを抜本的に見直した方がいいんじゃないですかね。どういう形態でやっているのかは知らんけど。もうちょっと入試にお金と人と時間をかけた方がいいと思いますよ。


最後に2・3巻に収録した問題から,いくつかの具体例を提示しておく。ここからは情コミュの入試問題は受験生とのコミュニケーションをとる気が全く見られないということが読み取れてしまう。情報ディスコミュニケーション学部に改名してはどうか。

〔2019年〕
51.明治大 情報コミュニケーション学部(4つめ)
<種別>悪問

<問題>4 問10 下線部(10)「アメリカでの同時多発テロの後,アメリカ軍を中心にアフガニスタンとイラクに対する攻撃」に関する記述として適切ではないものを次の 銑い里覆から一つ選び,その番号を解答欄にマークしなさい。

 ‘瓜多発テロ事件では, 4機の旅客機がハイジャックされ,ニューヨークの貿易センタービルに2機が衝突,ワシントンの国防総省ビルに1機が衝突し,ピッツバーグで1機が墜落した。この事件は標的となったアメリカの激しい反発を引き起こし,アメリカによる対テロ戦争が開始された。
◆.▲瓮螢のブッシュ大統領は,アフガニスタンのターリバーン政権の保護下にあるアル=カーイダを同時多発テロ事件の実行組織とした。そして,同盟国の支援を受けてアフガニスタンに対する軍事行動を起こし,ターリバーン政権を崩壊させた。
 アル=カーイダは,サウジアラビア出身のビン=ラーディンが率いるイスラーム急進派組織であり, パレスチナでイスラエル軍と戦った義勇兵を主体に構成された。
ぁ2003年,アメリカとイギリスはイラクに侵攻し,サダム=フセイン政権を崩壊させた。戦後イラクは米英軍を中心にした占領統治下に置かれ,日本も復興支援のために自衛隊を派遣した。

<解答解説>
◆Νい論喫検はアル=カーイダの主体はアフガン紛争時の義勇兵(ムジャヒッディーン)の系譜であるから誤文。作題者の想定する正解もこれだろう。審議の対象は,如最後の1機が墜落したのはピッツバーグから100km近く離れたシャンクスヴィルである。確かに名の知られた最も近い大都市というとピッツバーグになるものの,さすがにこれだけ距離があってピッツバーグと言い切るのは無理がある。たとえば,これが通るのであれば前橋や水戸を東京と言い張るのも可能になる,と言えばその無理さが伝わるだろうか。せめて「ピッツバーグ近郊」か「郊外」だろう。なんでこんな間違いを,と思って各種教材を読んでみたら,これもあっさりと見つかり,山川の『用語集』の「同時多発テロ事件」の説明文も同様の表現になっていた。したがって出題ミスとまでは踏み込まず,分類は悪問とした。しかし,これは『用語集』を盲信せず,作題者が念のため確認すべきものではないか。作問者だって2001年当時に生きていた年代と思われ,『用語集』を読んだら「あれ,4機目ってそんな大都市に落ちてたっけ」と違和感を覚えるべきところだろう。
(追加コメント)
3巻には書かなかったが,本問について校正者の1人から「茨城空港さん……」というコメントがあって笑ってしまったという裏話を披露しておく。(茨城空港は海外向け呼称をTokyo Ibaraki International Airportにするのはどうかという議論があった。最終的にIbaraki International Airportに落ち着いた。)


〔2017年〕
44.明治大 情報コミュニケーション学部(7つめ)
<種別>出題ミス・難問・奇問

<問題>2 問4 下線部(4)「鎖国」についての記述として適切でないものを次の 銑い里覆から一つ選び,その番号を解答欄にマークしなさい。

 ‘狙邁塙が推進した朱印船貿易は,海外貿易の許可証として朱印を押した文書をもつ貿易船によって,江戸幕府による鎖国政策が行われるまで続けられた。
◆‘本と中国のあいだの銀と生糸の貿易は16から17世紀にかけてさかんになり,大きな利益をあげた。中国人と日本人だけではなく,ポルトガル人,オランダ人もまたその利益をめぐってしのぎを削った。
 徳川家康が江戸幕府を開いた後に,統治の基礎固めの目的のためにキリスト教が禁止され,貿易の統制が行われた。日本人の海外渡航の禁止と長崎出島での清とオランダ以外の外国との交易を認めないという,徹底した鎖国状態は1630年代に開始された。
ぁ〆森饐態の例外的な外交としては朝鮮通信使が挙げられる。これは李氏朝鮮が織田信長に派遣した使節であり,江戸時代以降は天皇が即位するたびに祝賀を兼ねて来日,交渉を行った。

<解答解説>
 Ν△論喫検いおそらく作問者の想定する正解で,朝鮮通信使が織田信長に派遣されたことはない。また,天皇の代替わりではなく,将軍の代替わりが朝鮮通信使来日のタイミングである。

残ったは,正文のつもりで作られたと思われるのだが,問題だらけである。まず,1630年代に清は中国を支配していないので,“開始され”ようがない。清の中国本土への進出は1644年からである。ここは清を「中国」にしておくべきであった。次に,日朝貿易のことを無視している。江戸時代の貿易はいわゆる「四つの窓口」として整理するのが一般的な解釈であり,長崎での中国とオランダとの貿易以外に,北海道和人地でのアイヌとの交易,琉球との貿易,対馬を介した日朝貿易が存在した。アイヌは国ではないとしても,琉球と朝鮮を無視する道理はない。というか,自分でい法嶌森饐態の例外的な外交としては朝鮮通信使が挙げられる」と書いているのだが……まさか,朝鮮通信使は来て国交はあっても交易はしていなかった,と誤解していないだろうか。さらに,オランダ商館を出島に移したのは1641年であるから1630年代ではない。確かに徹底した鎖国政策の開始は1630年代に始まるが,オランダ商館の平戸から長崎への移動は鎖国完成の最後の最後に行われた政策なのである。とどめに,清の商人との交易地は出島ではない。そもそも1680年代までは明清交代の混乱や清側の強力な海禁政策により,日本への来航は少なかった。ゆえに,中国人商人の来航は長崎一港に制限されていたものの,長崎市内での行動は無制限であった。しかし,1680年代に清の海禁が緩和されたことを受けて中国人商人の来航が増加し,同時に密貿易が増えたため,江戸幕府は貿易統制の強化を決断し,長崎郊外に唐人屋敷を設置して,中国人商人を集住させた。これが幕末の開国まで続く。

以上のように,はあまりにも問題点が多すぎて,全く意味不明な文になっている。しかもこのも『詳説世界史研究』の本文を元に作られているのだが,なぜかここだけ完全コピペではなく大幅な改変が入っていて,そのせいで誤文になっている。おそらくこの分野の専門家ではなく,事実関係をよく知らないままに改変したのであろう。この問題を作った人は,世界史ではなく高校日本史を学習し直した方がいいし,何なら中学の日本史からやった方がいい。今時は「四つの窓口」くらい中学の日本史でも学習する。なお,『赤本』はについての指摘は無く,大学当局の訂正表にも記載がない。そんなバカな。
(追加コメント)
明治大・情コミュの悪問を象徴する問題。特に2017年は一事が万事こんな感じだったので読むだけで苦痛だった。せめて中学の日本史の内容でミスを出すのはマジでゴミなのでやめような。


〔2016年〕 ※ 2巻収録
38.明治大 情報コミュニケーション学部(4つめ)
<種別>悪問(出題ミスに近い)

<問題>5 (イ)以下のA 〜 F に関する記述の中で,適切ではない文章の記号 銑い魏鯏欄にマークしなさい。
B 2009年4月アメリカ合衆国のオバマ大統領はプラハで演説を行い,核兵器廃絶を呼びかけた。

 .熟△崩壊した後,今でもカザフスタンとベラルーシには核兵器が置かれたままになっている。
◆\こΔ任漏吠軸錣世韻任覆他の大量破壊兵器の軍縮への取り組みもあり,1993年にはすでに化学兵器禁止条約が締結されていた。
 1990年代には核兵器保有国が増加し,インドやパキスタンが核兵器を持つに至った。
ぁ…名鑛軸錣侶浬未了例として,1997年に対人地雷兵器全面禁止条約が調印されたことが挙げられる。

<解答解説>
,蓮ぅΕライナ・ベラルーシ・カザフスタンは核兵器を廃棄しているので誤文である。作題者の想定した正解はこれであろう。◆Νい論喫犬波楼脇癲焚蹴慂軸鏘愡濔鯡鵑搬仗傭詫詈軸鐐缶牟愡濔鯡鵑陵儻貊孤囘戮呂匹舛蕕皚◆法審議の対象はで,インドの核保有は1974年であるからこれも誤文である。個人的な判断では,本問は複数正解の出題ミスにあたる。ただし,抜け穴がある。インドは公式には1974年の核実験は核兵器によるものと認めておらず,「平和的核爆発」と主張しており,核実験のコードネームもSmiling Buddhaであった。なめてんのか。ブッダが草葉の陰で泣いているというか,20世紀後半のインド国内にいたれっきとした仏教徒はごく少数であったことも考えると,本当に仏教をバカにした話でしかない。

公的なインドの核兵器保有宣言は確かに1998年であるが,これを(政治的態度の表明として)信用しているのは,インドの民族主義者を除けば極左(というよりも旧ソ連の信奉者)だけである。1974年核実験の技術提供はソ連である。情報コミュニケーション学部の受験生は,出題者のこうした偏った思想信条を察するというコミュニケーション能力まで問われていると言えよう。
(追加コメント)
こういう思想信条を試す問題だけは出したらダメだと思うのだよな。現実的にはそこで困る受験生が極少数だったとしても。  
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2021年08月13日

『絶対に解けない受験世界史3(大学入試問題問題シリーズ3)』が出ます

出版社による告知記事はこちら。




すでにAmazon,honto等で発売中です。シリーズ存続のためにもご購入いただけると幸いです。

以下は2巻同様に,本書の紹介をFAQ形式で。

よくわかる! 『絶対に解けない受験世界史3 ―悪問・難問・奇問・出題ミス集』FAQ

Q.目的や内容は前巻までと同じなの?
A.全く同じです。大学入試における悪問や超難問,出題ミスを収録・解説した本です。本気で難しくて解けない問題から,日本語の崩壊した問題,単なる誤植,笑える問題,珍しい問題など,多岐にわたって収録しています。
1.入試問題作成の杜撰さを世の中に訴えること
2.出題ミスの事例を集めて,出題者へ提供すること
3.悪問を笑い飛ばして当時の受験生の無念を供養すること
4.世の中の世界史マニアに難問を提供すること
を主な目的としています。以下,1・2巻と同じQ&Aは省略。


Q.収録範囲は?
A.2017年の私大その他,2018〜20年の全大学です。2017年の早慶上智・国公立大は2巻の収録です。また2021年度の問題は含まれていませんのでご注意を。


Q.本巻の収録範囲の印象は?
A.本シリーズでさんざん批判してきた成果が出ているのか,近年は日本語が崩壊していて文章の意味がとれない系統の悪問や,意味が二通りに解釈できるために解答が出せない系統の悪問,歴史の問題とは見なしがたい奇問は随分と減った印象です。一方で,超難問や杜撰な作問ミスは減っていないどころか再び増えていると思います。何なんでしょうね。共通テスト対応で余裕が無かったのかも。


Q.今回はどんな問題が収録されてるの? 見どころは?
A.1・2巻同様に,帯に入れた例題は以下のような様子です。下の4つは悪問というわけではなく面白かったので〔番外編〕扱いで収録した問題です。やはり最大のヒット作はブレグジットですね。

・「ビ」が「ピ」になる等、頻発するOCRミス (該当複数)
・大学が発表した公式解答例が文字数オーバー(島根県立大 2020年)
・ブレグジット直後にイギリスを「EU現加盟国」(早稲田大・教育学部 2020年)
・正解が前の試験時間の英語の設問に書いてあった(慶應大・商学部 2019年)
・設問と無関係な事実誤認に基づく反原発運動を押し売り(専修大・全学統一日程 2020年)
・ヒット曲『デスパシート』出題するも歌詞覚えていれば解答可能(慶應大・商学部 2019年)
・解答選択肢で「アンコール=ワットの修復・保存に上智大学は協力している」とPR(上智大 2019年)

その他ですと,以下のような問題が見どころかと思います。

・頻発する女性参政権獲得運動・女性解放運動に絡む難問&出題ミス(該当多数)
・上智大の地図問題・正誤判定との最終決戦(2020年)
・「上京竜泉府」と「平城京」,広いのはどっち?(2020年 中京大)
・初の収録,東京大学(2019年)
・タイムスリップして歴史を書き換えないと解答が出せない論述問題(2019年 信州大)
・2001年9月11日,ハイジャックされた旅客機が墜落したのはニューヨークの貿易センタービルとペンタゴンと,他はどこ?(2019年 明治大・情コミュ)
・「赤十字の入った白衣」を着用した騎士団はどこ?(2019年 立教大・文学部)

こうして振り返ってみると新しい年度の方が目立つ問題が多かったような。大学・学部別で言うと明治大の情報コミュニケーション学部が毎年圧倒的にひどい。どのくらいひどいかというと収録数で慶應大・法学部に張ってしまう。あまりにもひどいので,宣伝を兼ねて一部ブログで扱ってもよいかなと考えています。大学・学部別という点で言えば,出題ミスが出た時にしっかり謝って訂正している大学とガン無視を決め込む大学がありますね。そこにも注目して読むと面白いかもしれません。


問題以外ではコラム2の「大学入学共通テストの導入騒動の記録」は割と広い人に興味を持ってもらえるかなと思います。共通テスト狂騒曲はすでに論文や新聞記事等で盛んに論じられていますが,当初の改革で挙がっていた全項目と,それぞれに対して誰がどういう理由で反対し,ほぼ全ての項目が頓挫していったのかを私なりにコンパクトにまとめてみました。英語四技能と記述式以外の項目にも触れているのはそれなりに珍しいのではないかと思います。世界史に興味がなくとも,共通テストの騒動に興味があれば,ここだけでも読んでもらえると幸いです。


Q.今回の書き下ろしの割合は?
A.3分の2くらいが書き下ろしです。ブログ版を熟読された方でも楽しめると思います。


Q.またしてもめちゃくちゃ分厚いんだけど……
A.ぶっちゃけた話をすると,本当は2019年か20年中に発売する予定でした。しかし,私や出版社のパブリブ側が忙しかったりして2019年を逃し,その段階でパブリブの濱崎さんと「2020年度はセンター試験が最後の年で,上智大の最後の年でもあって切れ目として良いので,2020年度まで入れて分厚い3巻を出しましょう」という話になりました。その矢先に2020年はCOVID-19でいろいろとそれどころではなくなり,時が流れていって2021年に突入。しかしこれ以上原稿を溜め込むわけにもいかず,いろいろな意味で割と無理して放出したのが本巻だったりします。時機を逃さなかったり切れ目を気にしたりしなければ,この3分の2くらいの厚さの3巻が2019年または2020年中に発売されていたのかも。


Q.間に日本史版とか現代文版とか挟めなかったの?
A.いやほんとどこかに他教科・他科目の著者いないですかね。


Q.電子書籍化の予定は?
A.パブリブさんに相談はしました。


Q.今回も正誤表を作るの?
A.作ります。この記事に正誤表を作る&重版がかかった際に直す予定ですので,見つけたら教えていただけると幸いです。

<訂正表>
・p.43 上から11行目,「記載あるが」は「記載があるが」。「が」の脱字。
・p.51 解説の上から5行目,「選択肢3」は「選択肢2」の誤り。
・p.71 上から1行目 「予想していなったかところ」→「予想していなかったところ」
・p.102 20番の学習院大の(4)の選択肢い痢嵒瓠廚蓮嵜検廚慮蹐蝓
・p.146 下から6行目 「第3代カリフのウマル」は当然「第2代」の誤り。
・p.142 56番の解説の1行目 「タブリーズはアゼルバイジャン」は,地域名としては誤りではないが,現在の国境線で言えばアゼルバイジャンではなくイランの北西部に位置する。誤解を招く表現になっていたので訂正。
・p.147 上から2行目 「放棄」は「蜂起」の誤り。
・p.191 97番の解説の3行目「リマ」は「ラパス」の誤り。
・p.194 下から3行目 「月氏により滅ぼされた」は「大月氏により滅ぼされた」の誤り。
・p.202 ヒンディー語の項目のタイトル文 「ペルシア語にヒンディー語の語彙を取り入れたもの」ではない → 「ヒンディー語にペルシア語の語彙を取り入れたもの」ではない
・p.227 5番の慶應大・法学部の問題の選択肢[02]国民の不滴が高まった  → 国民の不満が高まった
・p.242 17番の早稲田大・人間科学部の問題の選択肢a 議会では議会の請願が提出されたが → 議会では権利の請願が提出されたが
・p.260 高崎経済大の問題の「問2」は「問3」の誤り。
・p.291 33番の設問中の選択肢が漢字の「工」になってしまっているが,もちろんカタカナの「エ」が正しい
・p.434 34番の法政大2/12実施の問題の選択肢「i ジギスムント3世」は「l ジギスムント3世」(小文字のL)が正しい。
・p.505 29番の解説中: 『ヴィルヘルム=マイスターの修行時代』→『ヴィルヘルム=マイスターの修業時代』
・p.523 最後の行:「し。」の抜け。「指摘なし。」が正しい。  
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2021年07月27日

最近読んだもの・買ったもの(マリー・アントワネット関連作品2つ)

・『傾国の仕立て屋ローズ・ベルタン』1〜5巻。
→ 王妃マリー・アントワネット付のモード商となり,ルイ16世治世下のフランスのファッションの中心にいた人物マリー・ジャンヌ・ベルタンの伝記的な作品。
→ 主人公のベルタンは「仕事しよ」が口癖の有能なワーカホリックで,内に男性社会への反発・ファッションへの激しい情熱・強い功名心を持った女性として描かれている。この点では典型的な,ともすれば陳腐な領域に入るかもしれない,前近代の女性の立身出世物と言えよう。ただし,かなり出世欲が強い人物として描かれているのはやや珍しいか。
→ 主人公はあくまでベルタンであるが,同時期に活躍した髪結師レオナール・オーティエとは名コンビを組んでいて,ベルタンの出世に一役買う重要人物としてデュ・バリー夫人や,もう一人の主人公たるマリー・アントワネットも登場して,徐々に歴史の歯車が動いていく。ちょっと面白いのは作者すら予想していなかったことに,シャルトル公爵夫人(後のオルレアン公フィリップ・エガリテの妻)が主要登場人物に浮上していて,物語を上手く動かしているのは既存のマリー・アントワネット物にはなかなか見られない光景か。そもそも史実ではシャルトル公爵夫人こそがベルタンの出世を助けた人物であるようなのだが,本作では当初それをデュ・バリー夫人にやらせようとしていたようであった。しかし,宮廷でベルタンを助ける役がデュ・バリー夫人の一人だけでは足りなくなって,そこを史実に助けてもらっている形なのだろう。ベルタンの個人史としてはまだまだ序盤を扱っている段階の本作であるが,だからこそというべきか,デュ・バリー夫人とシャルトル公爵夫人のインパクトが非常に強い。(作中の時代が1774年4月まで来ているのでもうすぐデュ・バリー夫人は引退なのだが)
→ 政治史やマリー・アントワネット周りの物語は概ね史実通りに進んでいて,マリー・アントワネットを扱ったものとしては定番の「王女メディアのタピスリー事件」「結婚証明書にインクの染み事件」「挨拶戦争」等の事件も扱われているが,そこにファッションを織り込んでくるのが本作の創作性の発露と言えよう。たとえば「挨拶戦争」の解決にもベルタンのアイデアが入り込むのだが,これがなかなか面白い。どういう解決なのか気になった方は本作の読者に向いている。
→ また,大筋ではない部分では改変が多いようで,『乙女戦争』同様に単行本で改変部分の補足説明が多めに入っている。私も詳しくない時代・分野であるので,読者としてありがたい。なお,最大の史実改変はベルタンの容姿で,実際のご本人はあまり美しくなかったようであるが,本作のベルタンは派手さはない美人くらいの容姿で,シャルトル公に口説かれていたりもする。ここは漫画の「顔」である主人公なので仕方のない部分か。
→ ファッション漫画としての出来は正直わからないが,歴史漫画としての本作はいまのところ非常に面白い。5巻時点でやっと1774年4月,まだベルタンとマリー・アントワネットが会ってすらいない。このペースで行くなら完結は早くとも15巻くらいにはなると思われ,そこまで連載が持つことを切に願う……普通にけっこう売れているようなので,そこまで心配しなくてもよさそうだが。





・『悪役令嬢に転生したはずがマリー・アントワネットでした』1・2巻。
→ タイトル通りの作品。言われてみると,史実で最も有名な悪役令嬢である。
→ 転生物あるあるの歴史知識豊かな人が転生したかと思いきやそうではなく,フランス革命で処刑された程度の知識しか持たない(18世紀のフランスを「中世」だと思っている)現代人の女性が転生しているのが本作の特徴である。彼女は当然処刑エンドを避けるべく行動するも,上手く行かなかったり努力が明後日の方向だったり,「現代人しぐさ」でとんでもない言動をしてしまったりする。その結果として1巻から早々に「挨拶戦争」を1年ほど前倒しで解決することになったりしたが,これが吉と出るか凶と出るか,作者のみぞ知る。そもそも史実を知っている人間からすると「革命に至っちゃってもヴァレンヌ逃亡事件でへまをこかなければ,多分死なないよ」ってアドバイスしてあげたくなる程度には,本作の主人公は必死である。
→ そういうわけで早々に史実改変が入るので,史実に忠実も何も無いのだが,歴史に詳しくない現代人が転生したら確かにこうなるし,その結果の史実はこう変わっちゃうだろうなという納得感は強く,史実改変は上手いと思う。単行本2巻時点ではまだ1774年5月でルイ15世が死に,ルイ16世の即位が決まったところであるが,この先にどういう改変が入るのか,特に本作がアメリカ独立戦争をどう扱うのかが非常に気になっている。
→ 偶然にもマリー・アントワネットを扱った作品が2つ並走しているわけだが,ルイ15世やルイ16世,シャルトル公,デュ・バリー夫人,ルイ15世の娘未婚三人組,ノワイユ夫人あたりは本作も『ローズ・ベルタン』もほぼ全く変わっておらず,共通点になっているのが面白い。記録が多く残っていて創作の余地が無いという事情もあろうが,彼らのキャラが濃すぎて改変の必要もないのだろうなとも思った。逆にショワズール公のキャラは全然違うし,『ローズ・ベルタン』では重要人物になっているシャルトル公爵夫人は本作では全く登場しない。また,『ローズ・ベルタン』では第一回ポーランド分割は扱われないが,本作では単行本2巻で墺仏関係の重大事件として扱われる。扱う歴史的事件の差異の比較も面白いところだろう。
→ そういうわけで個人的には楽しく読んでいて今後の展開が気になりまくっているのだけれども,近隣のいくつかの本屋やオタク系ショップで未入荷で,結局そこそこ大きい本屋で買ったので続刊するかどうかを心配している。とりあえずここで宣伝しておきたい。


  
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2021年06月06日

「甲申政変」と「甲申事変」は,歴史総合ではどちらが主流か

1884年に朝鮮王朝で起きた開化派によるクーデタ未遂事件を,甲申政変または甲申事変と呼ぶ。この呼称の揺らぎはどちらの方が正しいとかではない。ではないのだが,なぜだか高校世界史では「甲申政変」,高校日本史では「甲申事変」と呼ぶのがデファクトスタンダードになっている。それとは少し話がずれるのだが,以下のそれぞれのGoogle検索結果数も面白い。(全て2021年6月5日現在)
「"甲申政変"」 約360,000 件
「"甲申事変"」 約41,500 件
「"甲申政変" "世界史"」 約 11,300 件
「"甲申政変" "日本史"」 約 4,830 件
「"甲申事変" "世界史"」 約 4,000 件
「"甲申事変" "日本史"」 約 6,270 件
つまり,一般的には「甲申政変」 の方がメジャーであるが,「日本史」と組み合わせた時に限って「甲申事変」の方が多く使われているということだ。なぜこのような違いが生じたのかはそれ自体興味深いが,私には調べる手段を思いつかないので,どなたか興味関心と時間と気力がある方にお願いしたいところ。

それはそれとして,これまで分かれていてもさしたる問題はなかった。なぜなら世界史の入試問題を作る人も世界史の受験生も当然「甲申政変」で覚えているし,逆もまた然りで,2つの用法が交錯することが無かったためである。しかし,来年度の2022年度から話が変わる。世界史と日本史の近現代史部分だけを融合させた「歴史総合」なる新科目が高校の地歴課程に登場するからである。では,歴史総合ではどちらの表記にあわせることになるのか。どちらの表記も積極的に採用する理由もなければ不採用にする理由もないだけに,難しい。しいて言えばGoogle検索結果の示す通り,甲申政変の方が一般に定着した言い方であるのでこちらを優先すべきという消極的な理由か,執筆者が日本史畑なので甲申政変を選ぶかくらいしか思いつかない。各教科書執筆者・編集者の皆さんもさぞかし……さして悩まずに適当にどちらか選んだに違いない。まさかこんな非生産的なことで会議はしていないだろう。私だってその立場なら深く考えずに甲申政変にする。

そういうどうでもいい状況だからこそ,かえって歴史総合の各教科書がどちらを採用したのかが気になって,調べてきてしまった。現在は教科書展示会をやっているので(たとえば文京区),歴史総合の教科書は自由に閲覧が可能である。以下,各教科書をざっと読んだ簡潔な感想とともに紹介する。ちゃんと読むのは来年4月でいいやと思っているので,本当にざっとしか読んでいないのでご注意を。歴史総合の教科書一覧は,文科省が発表している次の資料の13ページめから(ノンブルは4)。
・高等学校用教科書目録(令和4年度使用)
ついでに各教科書会社のHPにリンクを張っておいたので,参照してほしい。いずれの教科書も資料集と見まがうくらい資料・図版が掲載されていて,これからの時代はそういう区別が無意味になるかもしれない。そうそう,多くの教科書でQRコードが貼られていて,NHK 等の動画に即座に飛べるようになっていたのも新しいなと思った。あとは地理総合・公共も含めて多くの教科書がSDGsに強く言及していたのも特筆すべき点だろう。

【東京書籍】
・『新選歴史総合』:甲申事変
・『詳解歴史総合』:甲申事変

→ 『新選』は非受験用,『詳解』は受験用で,厚み以外にはあまり差がない。2冊以上出しているメーカーはいずれも同様の構成。日:世の割合はやや世界史が厚めな印象だが,「甲申事変」だった。『新選』の方はざっと見ただけでもハム語族どころかスーダン語族が載っていたり,モンテネグロの主要宗教がスンナ派になっていたりしたので検定をやり直した方がいいと思う。『詳解』は流石にしっかりとしていた。普通に使える良いものだと思う。他のメーカーの教科書が世界史と日本史のページをくっきり分ける傾向が強かったのに対して,ここは混ぜ込んでいたのが特徴的。たとえばミドハト憲法と大日本帝国憲法を同一ページに記述するなど,歴史総合という科目の特性を考えればこれは効果的だろう。


【実教出版】
・『歴史総合』:甲申政変
・『詳述歴史総合』:甲申政変

→ 無印が非受験用,『詳述』が受験用。どちらも悪くないオーソドックスな作りで,逆に言って際立った特徴もなかった印象。日・世の割合が五分五分。


【清水書院】
・『私たちの歴史総合』:甲申政変
→ 既存の課程で日本史はA・Bともに出しているが世界史はAのみ,基本的に非受験用の教科書に特化したメーカーであるが,『私たち』もやはり非受験用。今回の12冊で最も薄い。というよりもペラい。でも歴史総合の履修内容として必要なものはちゃんと入っていて,制限の中でよくこれだけ破綻なく省略し得たなという意味で,今回の12冊が示す教科書の多様性の現れとして良いと思う。非受験用としてはこの厚さの方がむしろ適正なのかもしれない。また,てっきり日本史に偏った内容かと思いきや日・世のバランスはとれていて,表記も「甲申政変」だったのでちょっと驚いた。


【帝国書院】
・『明解歴史総合』:甲申政変
→ 既存の課程で世界史A・Bしか出版していないメーカーであり,予想通り世界史が厚めの記述。また,歴史総合は近現代のみを扱う科目であるところ,前近代の記述がかなり分厚く,続けて世界史探究の教科書もよろしくねというメッセージ性が強い。


【山川出版社】
・『歴史総合 近代から現代へ』:政変・事変を併記
・『現代の歴史総合』:甲申政変
・『わたしたちの歴史総合』:用語を出さず「親日派のクーデタ」と表記
→ 大正義山川出版社は強気の3冊。紹介pdfの3冊のフォントの違いが教科書の性格をそのまま示していて笑える。『近代から現代へ』が受験用で,これは帝国書院のもの同様に前近代が分厚く,本編の近現代も太字の用語が多い。受験用としては最適解だと思うが,分厚すぎてちょっと心配になる。甲申政変・事変については唯一の併記で,このバランス感覚よ。『現代の』はチャレンジングな1冊で,最も資料集との融合が激しいのがこれ。資料の量が異常に多く,私は割と好き。最後の『わたしたちの』が非受験用で,大変ポップなつくりになっている。甲申政変は未収録。しかし,これが山川さんの出した非受験用への解答とするとなかなか趣深い。用語はここまで削れるのだという決意と,これからの歴史教育は受験を考えないなら(あるいは受験を考えたとしても)かくあるべしという意見表明と受け取った。ともあれ,山川さんは3冊で甲申政変・事変への対応が異なり,思わぬ面白い結果が得られた。


【第一学習社】
・『歴史総合』:甲申政変
・『新歴史総合』:甲申政変

→ 既存の課程では日本史Aと世界史Aしか出していないので,今回もてっきり非受験用1冊だけかと思いきや,ここに来て受験用を1冊用意してその市場に参戦してきた。無印が受験用,『新』が非受験用。ただし,やはり経験不足なのか,無印はちょっと中途半端な印象を受けた。もうちょっと分厚くてもいいのでは。『新』の方は山川の『現代の』と同様に資料集にかなり寄っていて,悪くない。『新』はてっきり「言及なし」かと思いきや,本文ではなく欄外の年表に「甲申政変」と記述あり。


【明成社】
・『私たちの歴史総合』:甲申事変
→ なんというか,教科書執筆陣を見て察してください。既存の課程では日本史Bのみの出版で,歴史総合には興味がないかと思いきや参戦してきた。中身はやはり日本史が濃いめ。目次の右端のコラム一覧を見ると雰囲気がよくわかると思う。昔の日本人はすごかったアピールが非常に強い。あと,案の定だが南京事件に「実態や人数は様々な議論がある」と注釈を入れていたことはこの場で報告しておく。この流れからもわかる通り,表記はやはり「事変」を選択。


〔まとめと感想〕
12冊中,甲申政変が7冊,甲申事変が3冊,併記が1冊,言及なしが1冊。もうちょっと割れるかなと思っていたので,甲申政変がマジョリティという結果になったのは予想外であった。また,併記がもうちょっと多いかなと思っていたが,山川の1冊のみ。前述の通り,山川の3冊の対応の違いが見られただけでも今回の調査には収穫があったと思っていて,甲申政変・事変は割と良い目の付け所だったのかなと思う。他にも「この用語,世界史・日本史でデファクトスタンダードが異なってるのでは」というものがあれば,また調べに行くかもしれない(し,面倒になって来年4月の正式購入待ちにするかもしれない)。


〔余談〕
本記事執筆を並行して,Twitterでアンケートをとっていた。

前述の通りの法則であるので,これはちょっと予想外の結果である。てっきり50:0:0:50に近い数字になると思われたので。日本史だと甲申政変で習わないことは示されたが,世界史は甲申事変優位で別れている。私のTLの年齢層は私に近いと思われるので15〜25年前の世界史の教科書は「事変」だったのだろうか。TLで当時の教材を持っていた人が調べてくれたが,少なくとも山川は「政変」で,私の記憶も山川は「政変」であった。ありうるとしたら,当時の東京書籍あたりが「事変」だった可能性はある(現在の東京書籍の教科書を調べたら「政変」だったので,この仮定が正しいならどこかでデファクトスタンダードに寄せたということになる)。  
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2021年04月27日

治水以外の有名人を挙げてもらった方が楽しめるのかも

地域特有の偉人っているよな(増田)
→ 小学校の生活科・社会で習うやつ。親が転勤族で小学校中学年と高学年で別の小学校に通っていたりすると,純粋な地元民と話が噛み合わなくなるやつ。地元の川の治水の情報が多く,日本の国土開発といえば治水が第一ということに思いが至ったりする。東三河だとやはり豊川放水路のことを習うらしい(ところで私はあれをずっと戦前の建設だと思っていたのだが1965年完成というのを引っ越して随分経ってから知った)。富山県民は,偉人ではないが神通川(イタイイタイ病)・常願寺川・黒部ダムの話は多かった記憶。面白いのは,デ・レーケがおそらく「郷土の英雄」と思われている節があることである。あの人は日本全国の河川で治水を指導しているので,どちらかというと全国レベルに近いだろう。富山でも「日本の川は滝」発言と常願寺川治水事業のために出てくる。
→ そういう話を横に置いておくと,東三河の郷土の英雄というと鳥居強右衛門になるだろう。地元民でなく知っていたら戦国時代にそこそこ詳しい人ということだと思う。
→ なお,増田の本文に登場する佐倉惣五郎は代表越訴型一揆の伝説的な義民として有名で,高校日本史で登場するので間違いなく全国レベルの有名人である。ただし,佐倉惣五郎は実在はしているが直訴があったかどうかは危ぶまれており,あくまで「伝説的な義民」として習うことには注意されたい。


・「川ではない。滝だ」実は別人 明治の技師デ・レイケ発言 論争決着か (北日本新聞)
・「川ではない。滝だ!」と言われた本当の川は…滑川の母なる早月川-1-
→ デ・レーケつながりで。幼少期に富山県で育った人なら誰でも習う,富山県の川の急流なることを象徴する言葉「(常願寺川を指して)これは川ではない,滝だ」は,実際にはデ・レーケが言っていないということが明らかになって,真なる出典が論争の的になっていた。この度,別のお雇い外国人であるオランダ人技師ローウェンホルスト・ムルデルによる,常願寺川ではなく早月川についての発言ということが判明して決着がついたとのこと。早月川は常願寺川よりもさらにひどい急流のようなので,滝と言われても仕方がない。私はてっきり日本人の発言がデ・レーケに帰せられたというオチだと思っていたので,別のお雇い外国人が出てきたことに驚いた。真相は意外と俗説から近かった。農林水産省もHPを加筆してほしい。
→ また,富山県民はこの「川ではない,滝だ」発言を山と海の距離が極めて短い県のアイデンティティとして誇りに思っている節があり,おそらくこの発言がちゃんと富山県の河川を指したものであることがはっきりして安堵した人が多かろうと思う。
・ローウェンホルスト・ムルデル(Wikipedia)
→ こうしてみると,この人もデ・レーケに負けじ劣らず日本全国の河川や港湾を整備して回っていて,十分な偉人であるように思われる。デ・レーケとの差はどこでついてしまったのか,これはこれで興味深い。デ・レーケは木曽三川分流工事があまりにも偉業だったからだろうか。
  
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2021年03月28日

高校世界史での「董仲舒」と「五経博士」の扱いについて

高校世界史深掘りシリーズ。「前漢の武帝の時に,董仲舒の献策によって五経博士が設置され,儒学が実質的に官学化された」という説明は,受験世界史で昔からなされてきた。しかし,この説明には専門家から疑義が提出されている。五経博士の設置は班固の『漢書』が典拠となっているが,すでに儒学が官学化されている後漢代の視点からの歴史書となっているので,儒学官学の時代を長く見せようという班固の意図が働いていて,信憑性が低い。現在の歴史学では,武帝代に存在が確認できる博士は『詩経』『書経』『春秋』に限られること,五経博士がそろうのは早くても武帝の三代後の宣帝期であることが指摘されている。儒学の官学化の時期は「官学化(国教化)」の定義の揺れとともに議論があるが,儒学の官学化が完成した時期は前漢末から後漢前期に求められている。武帝代はそうした動きが始まった時期には違いないものの,完成した時期としては支持されていない。全体として言ってしまえば,これらは武帝代を聖域化したかった班固による捏造であり,董仲舒は便利に使われたということだ。ただし,中国思想史の上では董仲舒は災異説を唱える等,重要な地位を占めていることに違いはない。参考文献はいろいろあるが,手っ取り早いものとして『漢帝国―400年の興亡』(渡邉義浩,中公新書,2019年)を挙げておく。
漢帝国―400年の興亡 (中公新書)
渡邉義浩
中央公論新社
2019-09-13



してみると,高校世界史上はどうすべきか。私見では,無駄な用語を減らす観点から言えば,また王莽の簒奪を過剰な儒教への傾倒よりも外戚の専横の文脈で処理する傾向が強いことを踏まえて,「董仲舒」と「五経博士」は教科書から削っていいという判断になるだろう。特に董仲舒は「舒」の字が一般に使用される漢字でなく,この漢字を暗記させるために高校生に少なくない負担がかかっていると感じている。一方,儒学の官学化についてはその後の中国史への影響を考えると削除はできず,「武帝代が出発点であった」とぼかすか,逆に「王莽が簒奪に利用したのを経て重要性が高まり,光武帝代までに完成した」として武帝の事績から外すか,いずれかが妥当であろうと思う。

以上を前提として,現行の教科書・用語集の表現を確認する。いつもの5冊+山川の『用語集』と『詳説世界史研究』。

【儒学の官学化は武帝代/五経博士には言及しない】
山川『詳説世界史』『新世界史』:
 「武帝の時代には,董仲舒の提案により儒学が官学とされ(中略)儒学の主要な経典として五経が定められ」
 「(五経は)時期により相違があるが,一般に『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』をいう。」 
※ 両教科書は一言一句同じ文言。また,五経博士には一切言及無し。
→ 良く言えば堅牢,悪く言えば保守的な山川としては不思議な感じのする折衷案で,董仲舒の提案という記述は残しつつ,五経博士には一切言及しないという姿勢。


【儒学の官学化は武帝代/五経博士にも言及する】
東京書籍:
 「董仲舒などの儒家の意見を採用して国家体制の維持に努めた。このため儒家の思想は,国教(儒教)の地位を獲得し,その教えは国家の正当な学問(儒学)として発達した。」
 「武帝は董仲舒のすすめにより,『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』の5書(五経)を重要な経典と定め,それらの教授を主宰する五経博士を置いた。」
帝国書院:
 「漢の支配が安定する中で,皇帝権力を正当化する天命思想をもち,上下の秩序を重んじる儒家思想がしだいに支配層に受け入れられるようになった。武帝の時期に,董仲舒ら儒家官僚の勧めで官学とされた儒教は,やがて新代にかけて定着し,以後2000年近くにわたって王朝を支える政治思想となった。」
 「五経博士…五経を教授する学官」「五経…最重要の経書『詩経』『書経』『易経』『春秋』『礼記』」
→ 記述が古いまま放置されているパターン。これは完全にまずい。

山川『用語集』:(丸数字は用語集頻度)
 董仲舒А崋学の官学化などを武帝に献言した前漢の儒学者。(中略)儒学を皇帝の支配の正統化に役立てる学問に体系化した。」
 儒学А嵒霙襪里箸董仲舒の建言により官学とされて以降,中国の皇帝制度を支える政治思想となった」
 五経ァ崋学の経典として漢代に定められた五書。一般に,『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』を指す。」
 五経博士「五経の解釈と教授をおこなう官職。董仲舒の建言により,武帝のとき設置された。」
→ 山川の内部対立再び。教科書2冊の配慮をぶち壊す記述である。どうでもいいが「建言」と「献言」が混在していて,使い分けているようにも見えない。


【儒学の官学化・国教化は武帝代〜前漢末/五経博士に言及する】
山川『詳説世界史研究』:
 「儒教が中国で国教の地位を獲得していくのも武帝期以降のことであり,一般に董仲舒の献策により武帝が五経博士をおいて儒学が官学となったとされている。五経の内容は時代とともに変わることがあるが,主としてこの時代に重視されたのは『詩経』『書経』『儀礼』(もしくは『礼記』)『春秋』『易経』である。もっとも,武帝自身は儒教の教えに従順であったわけではなく(中略)前漢後半の100年を通じて儒教はしだいに皇帝権力にも浸透していった。とくに第10代の元帝は,父親の宣帝が「家を滅ぼす」と心配したほど熱心な儒教の崇拝者となった。」
 「武帝の死から半世紀が過ぎて社会の疲弊が露わになってくると,儒家に期待が集まるようになり,儒家から宰相になる者が増えた。」
→ 官学化と国教化を区別した上で,儒学が官学化したのは武帝期だが,儒教が国教化したのは前漢末ということを言いたいのだと思うが,ちょっとわかりにくいというか,高校生に理解できる文章ではないと思う。ただ,説明としては面白い。一方,五経博士の設置については教科書より用語集の表現に近く,まずい内容。


【儒教の国教化は前漢末以降/五経博士には異論をつける】
実教出版:
 「武帝が董仲舒を信任して五経博士をおき,郷挙里選を実施すると,儒家思想をもつ官僚がしだいに勢力をもつようになった。前漢末ごろから儒学が人民統治の基本となり,やがて国教(国家の正統的教学)として儒教が成立した。」
 「儒教の成立時期については,前漢末,王莽期,光武帝期などの諸説がある。」
 「五経とは,一般に『詩経』『書経』『易経』『礼記』『春秋』の五つの儒家の根本的な経典をさす。ただし,武帝期にこれら五経すべての博士を設置したことには異論もある。」
→ 儒教とは宗教化した儒学であると定義した上で,成立を前漢末以降に置いている。また官学化という言葉を用いていない。これは独自性が高い上に特にわかりにくくもなく,優れた記述と言える。五経博士については,おそらく見識ある人が正確な情報に基づいて教科書を執筆したが,編集側から「受験対策として五経博士を入れてほしい」と懇願され,苦肉の策で「異論もある」と入れたのではないか。


【余談】
ところで,五経の並びが各教科書で微妙に違うのにお気づきだろうか。
1.山川『詳説』『新』『用語集』・東京書籍
             :『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』
2.山川『詳説世界史研究』:『詩経』『書経』『儀礼』(もしくは『礼記』)『春秋』『易経』
3.帝国書院       :『詩経』『書経』『易経』『春秋』『礼記』
4.実教出版       :『詩経』『書経』『易経』『礼記』『春秋』

1の並びが一番オーソドックスで,伝統的な並び順である。2・3・4の並びはあまり見ない。ただ,私が高校の時に覚えた順序は3だった気がするのだが,多分に語呂の問題である気がする。特に『詳説世界史研究』が理由なく順序を動かすとは考えにくいので,2・3・4の並びについて何か知っている人いれば教えてほしい。簡単に調べた範囲ではWikipedia等の出典の怪しいところにしか順序の理由は見当たらなかった。


【まとめと感想】
実教出版の記述が最も良く,比較にならないほど優れている。そして実教出版がこう書いてくれていることで,五経博士や董仲舒を出題している入試問題に対して疑義を申し立てることが可能になった。ありがたいことだ。実のところ私自身,五経博士についての異説は聞きかじっていながらも,深くは知らなかったし,教科書がこうなっているというのも知らなかったから,意識して調査していなかった。過去何年分か,目立つ大学に絞って再調査の必要があるかもしれない。たとえば今年の6番(早稲田大の法学部)の問題の,料択肢は,この点でも不備がある。これは私の反省点である。

次点を無理に挙げるなら山川の『詳説世界史』と『新世界史』になろう。不透明なら書かないほうがよいという方針は悪いことではなく,用語集頻度を下げて入試に出にくくするという副次的な効果もある。五経博士を完全に抹消したのは英断だろう。まずいのは東京書籍と帝国書院の教科書で,経済に強い東京書籍と,派手な新説に強い帝国書院であるが,かえってこういう古典的な分野には弱い印象が強まる結果となった。こういうところでも気を抜かずに情報の更新をしてほしい。  
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2021年03月27日

2021受験世界史悪問・難問・奇問集(国立大編)の落ち穂拾い

先週公開した記事の,追加調査や読者の反応を経た補足。それほど大した内容ではないが,それなりの分量になってしまったので補足しておく。

1.共通テスト第2日程
まんま同じ地図が収録されている日本語論文がある(が論文名は忘れた)という読者の指摘があった。それが事実なら,問題文の「『パン=ヨーロッパ論』所収の地図を加工したもの」は大学入試センター自身が加工したようにしか読めないので,問題文が誤読させる文になっていて良くない。また,普通に考えると出典表記が必要である。名古屋大が前に『興亡の世界史』所収の地図を出典不掲載のまま利用したのと同じで,引用の条件を満たしていない。入試問題は著作者に事前に許諾を得ないまま著作物を利用することが可能だが,引用の条件は守る必要がある。私自身がその論文を確認しているわけではないので濡れ衣の可能性があるから,現時点ではあくまで可能性として指摘しておく。


3.東京外国語大
指摘そびれ。ドイツ語の原文にせよ問題文の和訳にせよ,西暦1796年2月9日と同日の嘉慶元年1月1日に譲位が行われたかのように読めるが,清朝の改元は踰年改元であるので,乾隆帝はこの日に譲位したわけではない。実際に乾隆帝の譲位は西暦1795年10月15日。つまり原文も2つのミスがある。もうどうしようもない。


4.一橋大
ついでにゲーテやその周辺情報が教科書でどの程度載っているのか調べてみた。例によってlivedoorブログはExcelで作成した表を直接貼り付けられないので,図での表示になるのはご容赦願いたい。

ゲーテ教科書調査


一橋大のあの問題にまともに対抗しうるだけの情報があるのは実教出版の教科書だけではないかと思う。次点だと古典主義の説明を省いている東京書籍がかえって都合が良い。しかし,大多数が使っていると思われる山川の『詳説』と帝国書院の説明だとゲーテは完全に古典主義の人なので,情報が足りないどころか誤誘導にすらなっている。かろうじて用語集の説明が割とまともなのが救いか。あと,『詩と真実』第三部の引用部分の周辺を読んでみたものの,結局『ゲーテとその時代』で入手できた知識以上のことは書いていなかった。この問題のために『詩と真実』岩波文庫の4冊,『ゲーテとその時代』に『文化と経済』と合計6冊買ったのだが,まだ解決に至っていない。


7.大阪大
まず指摘そびれ。麒麟を引いている人物は飼育係(馬丁)であって,正式な朝貢使ではない。朝貢使に付随する人物にあたるので,厳密に言えばそもそも「使節」ではない。絵に「使節」は映っていないと考えるとその時点で解答不能の出題ミスになる。とはいえこれはちょっとかわいそうな解釈で,ここでいう使節とは朝貢使の随員・私的な下僕,留学生や朝貢品の人夫などを広く含めたものであろうから,その意味でならこの飼育係も「使節」であろう。しかし,この指摘そびれを書いていて気づいてしまったのだが,問題文の情報および調べてみた範囲の情報で言えば,この飼育係はキリンを受け取った後に中国側が用意した人物であるという可能性が捨てきれず,この場合は「使節」の定義をどう拡張したところで当てはまらない。問題文が解答不能な出題をしているということで出題ミスになる。

もう一つ,これは完全に余談だが,阪大の文学部の美術史の教授が,國華賞を受賞していた。國華賞は日本・東洋美術を対象とした美術史学の研究に対して与えられる最高権威の賞である。その論文の内容が「香雪美術館にある《レパント戦闘図屏風》で描かれている戦闘の場面は,レパントの海戦ではなく別の戦闘なのではないか」というもので,阪大があの入試問題を出した年度に,2014年の千葉大の問題にかかわる論文が阪大の教員が受賞したというのは奇遇というほかない。それにしても,場面がレパントの海戦ではない可能性が生じるなら,あの千葉大の問題は完全に崩壊したことになる。7年前にはまだレパントの海戦で疑いを持たれていなかったから,そこを当てこするのはかわいそうなところで私もするつもりは全く無いが,学術的調査が不十分で定説のない作品を大学入試で出題するのは避けるべきということを改めて実証する機会になったということは強調しておきたい。

私は本企画抜きで興味がある内容であるので,大学図書館に入れるようになったら上述のパン=ヨーロッパについての論文とともに探して読んでみます。やっと予約すれば入れるようになったらしいので。  
Posted by dg_law at 17:06Comments(2)

2021年03月20日

2021受験世界史悪問・難問・奇問集 その2(共通テスト・国公立大編)

昨日の続き。今年は共通テストと阪大・一橋大の計3問のせいで公開が1週間遅れ,おまけを作る気力が消滅したと言っても過言ではない。何なら一橋大の方はまだ原稿が完成しておらず,後に追記するか別記事を立てる可能性がある。解説が非常に長くなったので,心して読んでほしい。

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Posted by dg_law at 19:30Comments(20)

2021年03月19日

2021受験世界史悪問・難問・奇問集 その1(慶應大・早稲田大)

今年も無事に公開に至ることができた。協力してくれる方々に感謝を申し上げたい。

<収録の基準と分類>
基準は例年とほぼ同じである。

出題ミス:どこをどうあがいても言い訳できない問題。解答不能,もしくは複数正解が認められるもの。
悪問:厳格に言えば出題ミスとみなしうる,国語的にしか解答が出せない問題。
→ 歴史的知識及び一般常識から「明確に」判断を下せず,作題者の心情を読み取らせるものは,世界史の問題ではない上に現代文の試験としても悪問である。
奇問:出題の意図が見えない,ないし意図は見えるが空回りしている問題。主に,歴史的知識及び一般常識から解答が導き出せないもの。
難問:一応歴史の問題ではあるが,受験世界史の範囲を大きく逸脱し,一般の受験生には根拠ある解答がまったく不可能な問題。本記事で言及する「受験世界史の範囲」は,「山川の『用語集』に頻度,任發いいらとりあえず記載があるもの」とした。


<総評>
例年だと上智+早慶で40〜45個くらいになるところ,今年はなんと17個に収まった。半分以下である。上智は0個だったので,本年は項目自体を立てていない。その影響もあって例年は3記事構成であるが,本年は2記事で済んでいる。減少した理由はいくつかあるが,明確な順に以下の3つが挙げられる。

1.例年だと上智6+慶應4+早稲田9の19日程あったのに対し,上智は2日程を残して撤退し,小論文や総合問題を主体とする入試に変わった。残った2日程も国立型の論述主体であり,極度の悪問が出づらい形式になった。早稲田は国際教養と政経学部が撤退した。結果として2021年は上智2+慶應4+早稲田7=13日程となった。要するに早慶上智の日程数が約2/3になったので,それらの悪問・難問の数が約2/3まで減るのは自然な流れである。
2.実は事前に文科省から「今年の受験生は高校が休校で学習が進んでいないから,入試問題は手加減しろよ」というお達しが出ていた。意外にも慶應がこれに従ってかなり易しくなったので,法学部以外は収録対象問題0問だった(なお法)。これにより慶應は例年4日程あわせて12〜13個の収録があったが,今年は5個だけであり,慶應だけで比較するなら完全に半分以下になった。ただし,早稲田はこのお達しをほぼ無視した様子。上智は前述の通り,入試制度そのものの変化の影響の方が大きいので,お達しは影響していない。
3.単純に早慶ともに作問側が巧妙になっていて,グレーゾーンからの出題は目立った印象。

しかしながら国立大は上述の文科省のお達しを完全に無視しているところが多く,本企画への収録が無い(つまりちゃんと高校世界史範囲を考えて作っている)東大や北海道大等も含めて,私の感触では難易度は全然下がっていなかった。正直に従った慶應大がバカを見た感じが。国公立大とは一体。

以下,本編。

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Posted by dg_law at 19:23Comments(27)

2021年02月09日

ロッキード事件とNPT批准がクロスするのは面白い

・ノモンハン 大戦の起点と終止符(朝日新聞)
→ 様々な史料も挙げつつビジュアルも見やすく,ノモンハン事件について深く掘り下げた充実の内容。一読の価値がある。むやみに戦線を広げたはいいが物資が足りず,おまけにドイツと歩調が合わずに停戦,おまけにスターリンに不信感を植え付けて日ソ中立条約破棄の布石になったという。関東軍や陸軍指導部の無責任体制もひどい。戦闘そのものは被害を見るに意外と善戦していたことが明らかになっているが,双方の余力を考えると痛み分けというには厳しい。


・NPT批准、天皇発言で「議長やる気に」 メモで裏付け(朝日新聞)
→ これは天皇の示唆がいい方向に作用した現象だが,立憲君主としての振る舞いからはやや逸脱しているように思われる。戦後でもこういうのがあったのだというのは不思議な感覚になるところで,一応は大日本帝国憲法でも天皇は直接的な発言を避けるべき立場にあったはずだが,いわゆる田中義一の辞任しかり「御聖断」しかり戦前は天皇の意向が出てしまう体制だったのだろう。その名残としての本件を見るに,昭和天皇は戦前と戦後を貫き通す存在であると改めて思った。
→ ところで,1968年発効のNPTについて,日本は署名が1970年,批准が1976年とかなり出遅れていたのだが,そういえばその理由を知らないなと思って調べてみると,非核保有国に対する安全保障とIAEAの査察が技術の漏洩になるという疑念,米ソの核軍縮への不信感の3点で自民党・外務省内部でも揉めていたし,野党からの反対も大きかったようだ。1972年のSALT気猟結,1973年のパリ和平協定とデタントに向かっていた時期ではあったが,冷戦中の緊張感を感じる話ではある。しかしながら,日本の批准の最後の決め手になったのが昭和天皇の意向とロッキード事件でそれどころではなくなったからというのは,こう,国際的な緊張感に釣り合わない国内事情で歴史の面白さとやるせなさを同時に感じる話ではある(ロッキード事件の発覚が2月,批准が6月)。


・女性同士の愛を描く――歴史に埋もれかけた英ビクトリア朝の絵画(CNN)
→ この画家のことは知らなかったが,画風は完全にラファエル前派で,記事中の経歴を読んでもそれは裏付けられる。とすると歴史画を主体としたのは理解できるところで,あとの題材選択はやはり本人の出自(ユダヤ人)や性的指向によるものなのだろう。晩年の画風は象徴主義に近いし,実際に象徴主義の詩人とはつながりがあったようだから,西洋美術史全体の様式の変遷に影響を与えているだろうし,ジェンダー美術史が発展するにつれて扱いが重要な画家になっていきそう。
→ サムネにもなっている「ミティリニの庭園のサッフォーとエリンナ」は,弊ブログでも取り上げた傑作短編漫画の『うたえ! エーリンナ』の主人公のエーリンナである。ミティリニはレスボス島の主要部の地名。サッポーはともかくエーリンナが描かれることは稀なので少し驚いた。


・江戸時代のスイカはどのようにカットしていたのかというお話(太田記念美術館)
→ 非常に面白い話なのだけれども,「当時描かれた絵を見れば,当時の人々の風習がわかる」と早とちりされると美術史学の危機なので注意は促しておきたい。画家は描写の美しさを優先して嘘を描く。また貴族や富裕層はしばしば趣味として当時普通ではなかった格好や趣味を行う(たとえば近世の西欧貴族は絵画の中だと古代や中世の服装に扮するーーそれも当時の雑な考証の下に)。だから,絵画作品から当時の風習を読み解いた場合に,研究者の精査抜きに信用するのは怖い。
→ 本記事の場合は,あまり疑うに足る状況の作品群ではないのと,記事中に「江戸時代のスイカの切り方については、あくまでいくつかの浮世絵を眺めた上での印象にしか過ぎません。しっかりとした調査はまだしておりませんので、何か情報がありましたらご教示下さい。」とあるのでかえって信頼できるのだが,微力ながら私もこれは言い添えておきたくなった。  
Posted by dg_law at 12:00Comments(0)

2021年01月28日

高校世界史上で「大ジンバブエ」と「モノモタパ王国」をどう扱うか

高校世界史深掘りシリーズ。現在のジンバブエ共和国には,その国名の由来となった大ジンバブエ(グレート・ジンバブエ)遺跡がある(見たことがない人のためにGooglemapにリンクを張っておく。ストリートビューで中を見ることができてけっこう面白い)。大規模な石壁に囲まれた都市遺跡であるが,この都市を建設したのは誰かというのは長年論争があった。19世紀後半から20世紀前半にかけては「サハラ以南の黒人にこのような都市を建設できるはずがない」という偏見からフェニキア人などの非黒人建設説が唱えられていたが,20世紀半ばにはさすがに否定され,現地のショナ人のモノモタパ王国(ムタパ王国)が建設したという説が有力になった。

しかし,現在ではこの説も否定された。というのもモノモタパ王国の存続年代が以前は11〜19世紀とされていたが,これは支配階級の部族や栄えた地域の変化を無視して,ザンベジ川とリンポポ川に挟まれた領域に存在した全ての王国をひっくるめて「モノモタパ王国」と見なしていたためである。研究の進展により実際には,最初に成立した大国家がマプングブエ国(11世紀後半〜13世紀),次に発展したのが大ジンバブエ(13〜15世紀末),そしてトルワ王国(15世紀半ば〜17世紀)と続き,最後に登場するのがモノモタパ王国(15世紀半ば〜18世紀初頭)と分かれていた。このうちポルトガルと密な接触を持ったのはモノモタパ王国だけである。つまり,モノモタパ王国の存続年代を11〜19世紀としていたのは,北宋以降の中国をまとめて「清」と呼ぶくらいの乱暴さであったということだ。この時代区分からもわかる通り,大ジンバブエの建設と繁栄の年代は13〜14世紀,トートロジー気味ながら(都市の)大ジンバブエの建設者は(国としての)大ジンバブエというところまで絞られている。このあたりは講談社現代新書『新書アフリカ史 改訂新版』で詳細に説明されているので,ご興味のある方はそちらを参照されたい。


さて,いつもの教科書調査に行く前に,もう一つ触れておかなければならないことがある。高校世界史上のサハラ以南のアフリカ史はどうしたって周辺史の扱いを免れない。大概の場合,モノモタパ王国も大ジンバブエも「イスラーム史」の章で扱われる――ショナ人の多くはムスリムではなかったにもかかわらず。それでも周辺史という概念を打破しようという動きは見られ,近年ではイスラーム史から切り離した章立てをして,その章でモノモタパ王国と大ジンバブエを扱うという構成をとる教科書も現れてきた。

しかしながら,イスラーム史から切り離す章立てが唯一の正解かは疑問が残る。イスラーム史から独立したアフリカ史は教える項目が少なすぎて,他の章に比べると圧倒的に薄い章になってしまい,かえって扱いづらいのである。しかもアフリカ史というくくりにした場合,西アフリカのガーナ王国,北東アフリカのスーダン・エチオピア,南東アフリカの大ジンバブエ・モノモタパ王国をまとめて教えることになるので,地域も時代も遠く隔たっているものを無理矢理まとめる形になり,高校生の理解を妨げることになる。しかも他地域と文脈がちぎれた状態になるので,王朝の興亡が「点」になりやすい。

一方,イスラーム史にくっつけてしまう既存のやり方はこうした欠点が無い。また,エチオピアやモノモタパ王国はイスラーム化しなかった例外事例であるので,かえって高校生の頭に残りやすいという逆説的な効果が現れる。イスラーム史の付属物として扱うのは,倫理的な問題点を許容してでもアフリカ史の理解を深めさせるという実益があるのだ。(同様の現象は南北アメリカ文明を独自の章でやるか大航海時代に入れ込んでしまうかという問題で発生する……長くなるのでこれはまた別の機会に。)


以上の内容を前提として,高校世界史Bの教科書5冊と山川用語集,山川『詳説世界史研究』の7冊を比較した。なお,いつも無視している残りの非受験用の世界史B教科書2冊であるが,今回に至ってはそもそもモノモタパ王国・大ジンバブエ遺跡ともに掲載がなく,比較しようがないことを付記しておく。モノモタパ王国はともかく,世界史の教科書として大ジンバブエが登場しないのはどうなんですかね……非受験用とかそういう問題ではない気が。

《アフリカ史はイスラーム史の章で扱う/大ジンバブエの建設者は曖昧》
・山川『詳説世界史』:本文では「ザンベジ川の南では11世紀頃から,金や象牙の輸出と綿布の輸入によるインド洋交易によってモノモタパ王国などの国々が栄えた。この地域の繁栄ぶりはジンバブエの遺跡によく示されている。」また大ジンバブエの写真を示し,そのキャプションで「『石の家』を意味する巨大な石造建築遺跡群。写真は18世紀に建設された神殿で,煉瓦上の石材を積み重ね,整然とした外観を呈している。」
→ かろうじて大ジンバブエの建設者をモノモタパ王国と断定していないが,そうとも読める微妙な表現。モノモタパ王国の存続年代が11世紀以降になっているのは怪しい。建設者をぼかすレトリックとしては面白い文章で,思わず笑ってしまった。こういうの嫌いじゃない。また,大ジンバブエの建設年代はほぼ13〜14世紀であるはずで,わざわざ例外的な18世紀の神殿の写真を持ってくる意図もわからない。
・山川『用語集』:モノモタパ王国の項目「11〜19世紀 ショナ人が建設した王国」・大ジンバブエ遺跡の項目「13〜15世紀に最盛期を迎えた。」
→ 『詳説世界史』と同じで,大ジンバブエの建設者はぼかしている。モノモタパ王国の存続年代は旧説によっている。


《アフリカ史はイスラーム史の章で扱う/大ジンバブエの建設者はモノモタパ王国》
・山川『詳説世界史研究』:「ザンベジ川の南では,11世紀頃から,金や象牙の輸出と綿布の輸入によるインド洋交易によってモノモタパ王国(11〜19世紀)などの国々が栄えた。王国は15世紀頃に最盛期を迎えたが,その繁栄ぶりは,インドのガラス玉や中国の陶磁器が出土するジンバブエの石造遺跡によく示されている。」
→ これは完全にアウト。せめて教科書や用語集のようにごまかしてほしかったところ。


《アフリカ史は独自の章を設ける/大ジンバブエの建設者はモノモタパ王国ではない》
・山川『新世界史』:「ザンベジ川とその南のリンポポ川の流域には,12〜13世紀にマプングブエ,15〜17世紀にはモノモタパ王国が成立した。近くで産出される金の交易で豊かになった有力者は,丘の上に石造の壁にかこまれた大きな館を建設した。13〜14世紀に同じ地域に成立するジンバブエは,人口1万8000の大都市で,石で大きな首長の家や城壁が建てられた。その遺跡からは,中国製の陶器・綿布・貨幣や各種銅製品などが発見され,ジンバブエが遠隊地交易の拠点となっていたことがわかる。」
→ 章立てについて補足しておくと,「アフリカと南北アメリカ」という章題で,前近代のこれらの地域の歴史を扱っている。説明は全教科書で最も詳細で,成立年代からモノモタパ王国とは別の勢力が建設したことがわかるようになっている。ところで,マプングブエを載せているのは山川『新世界史』が唯一で……これはあれじゃな,慶應大の法学部がそのうち出題するやつじゃな。できれば掲載する用語は減らすように配慮してほしいところ。
・東京書籍:本文では「ザンベジ川とリンポポ川に挟まれた地域では, 11世紀ごろからバントゥー系のショナ人が都市文化を形成し, 13世紀にはグレート=ジンバブエ(大ジンバブエ)が栄えた。15世紀になるとモノモタパ王国が成立し,金の輸出をはじめとするインド洋交易によって繁栄した。」また本文の外のコラムで,大ジンバブエが19世紀の歴史学において非黒人が建設したと議論されていたこと,それが人種差別的な思想によるものであったことが指摘されている。
→ 今回最も良いのは東京書籍だと思う。章立ては「アフリカ,オセアニア,古アメリカ」というくくり。簡潔に必要事項をまとめている説明で,人種差別が学問をねじまげていた事例を扱うコラムは共通テストの方向性を考えても重要だろう。
・帝国書院:「アフリカ南東部では,バントゥー系言語を話す人々がジンバブエの石造建築群を築き,農業や牧牛を基盤として金交易で栄えたが,15世紀末に衰退した。その後に成立したモノモタパ王国は19世紀まで金と象牙の交易を行った。」
→ こちらも概ね問題ない説明。しいて言えば,ザンベジ川の名前を本文中に出してほしかったかも。章立ては「サハラ砂漠以南のアフリカ」だけの完全単独の章で,いかにも倫理的な問題を気にする帝国書院っぽい。


《アフリカ史は独自の章を設けるが,大ジンバブエはイスラーム史の章で扱う/大ジンバブエの建設者はモノモタパ王国》
・実教出版:「ザンベジ川流域には,ジンバブエと呼ばれる巨大な石造建築群がつくられ,遺跡からイランや中国製の陶器が発見されたことは,ムスリム商人との交易を物語る。ジンバブエを中心としたモノモタパ王国は,15世紀以降に金を産出し,インド洋交易で栄えた。」
→ 一番よくわからない教科書。「アフリカ史」は南北アメリカとくっつけて章立てしている一方で,その章ではガーナ王国とクシュ王国・アクスム王国までしか扱わない(これにより,ただでさえ薄いアフリカ史がさらに薄くなってわずか1ページ弱で終わっている)。そして,ザンベジ川・リンポポ川流域は結局イスラーム史の付属物という扱いになっている。しかも旧説によった説明で,ジンバブエがモノモタパ王国の中心都市という扱いになっている。


【まとめと感想】
一番良いと思ったのは東京書籍で,次点が帝国書院である。山川『新世界史』はちょっと説明が過剰で,高校生が読むことを考えるならもう少し短くまとめてほしい。あとマプングブエは出題される前に削ってくれ。決定的にまずいのは実教出版と山川『詳説世界史研究』で,特に後者は『新世界史』の記述と見比べた時の見劣りが甚だしく,早急な改善を求めたい。それ以外の山川『詳説世界史』と『用語集』は態度を決めかねているのが見苦しいので,決定的なまずさは無いがリライトしてほしい。

以上を眺めてわかる通り,実教出版の裏切りを除くと,やはりアフリカ史をイスラーム史から切り離している教科書の方が新説に敏感で,意欲はこういうところに如実に出てしまう。しかし,本来であれば章立てに関する意欲と,積極的に新説に切り替える意欲は全くの別物であるはずで,あくまで個人的な意見として,アフリカ史をイスラーム史の付属物としつつも説明は正確という教科書が1冊くらいはあってよいのではないかと思った。  
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2021年01月18日

高校世界史の教科書で「ニューディール」をいかに扱うか

高校世界史深掘りシリーズ。一般にフランクリン=ローズヴェルト政権がとったニューディール(政策)はアメリカ経済を回復させ,世界恐慌からの回復を実現したというイメージを持たれていると思われる。実際にはアメリカは1937年の秋頃に再度不況に突入し,1938年には二番底を経験している。ニューディールは議会と司法の抵抗により当初の想定よりも小規模でしか実現されず,十分な効果を発揮することができなかった。司法の抵抗としてはNIRAの違憲判決が有名であろう。議会は共和党はもちろん,民主党も南部の保守派が強く抵抗した。ちょうど民主党がリベラル旋回の途上にあって,伝統的な民主党の党員と亀裂が生じていた時期と重なっていたというのは見過ごされがちであるかもしれない。結局,アメリカが世界恐慌からの完全な脱却に成功したのは第二次世界大戦による軍需拡大の貢献が大きい。

しかし,ではニューディールの歴史的意義が過大評価されているかというと,そうとは思われない。アメリカが第二次世界大戦で「民主主義の兵器廠」たりえたのは,ニューディールによって国家アメリカの民主主義が国民の高い信頼を勝ち得ていたからであり,また政府の経済計画能力を向上させていたという前提条件を達成していたからである。福祉国家と総力戦体制は政府の指導力と政府への信頼の両面において密接な関係があり,ヨーロッパでは第一次世界大戦が福祉国家を生んだと指摘されている。アメリカでは逆に,ニューディールによる社会福祉政策が第二次世界大戦時のアメリカを生んだということになる。ニューディールは「民主主義」にも「兵器廠」にも必要であった。

さて,以上の内容を高校世界史でどう扱うかは判断の分かれるところになる。これは研究の進展で事実や解釈が変わったということではなく,どこに力点を置いて扱うかという話になるからだ。政治史や「大きな物語」を重視する目線で言えば,ニューディールが「民主主義の兵器廠」に直結したことを教えられれば十分であるから, 1937年の二番底は瑣事でしかなく,高校生に無用な暗記事項を増やすノイズですらある。一方,経済史を重視し,景気循環は現代でも重要な社会現象であってその対策の歴史は現代的な強い意義を持つと見なす立場に立てば,むしろ1937年の二番底は教えるべき必要事項になる。教える事項が増える分は,別の時代の事項を減らして対応すればよい。

実際に,各社の教科書でもここは記述が割れている。ということで,いつもの5冊+用語集+山川『詳説世界史研究』の記述を比較する。なお,ドル=ブロックが国際経済を悪化させてファシズム諸国の台頭を誘引した点はいずれの教科書にも言及があったことを念のため付記しておく。


《1937年の二番底には薄く触れる/歴史的意義は民主主義面に言及》
・山川『詳説世界史』:「これら一連の経済復興の効果は限られていたが,国民の不安を軽減し,ファシズム諸国に対抗して民主主義をまもった意義は大きかった。」
・山川『新世界史』:「アメリカ経済が29年の水準に戻ったのは41〜42年頃のことであったが,アメリカ国民は国民生活に安定をもたらそうとした新たな連邦政府のあり方を強く支持した。」
→ 山川出版社の2冊は,‘麋崢譴修里發里砲録┐譴覆いニューディールの景気回復は限定的だったことには触れる,⇔鮖謀意義では民主主義への貢献を重視するという方針で一貫していた。山川出版社らしい堅牢でバランスのとれた記述であり,特に『詳説世界史』は好印象。
・帝国書院:「それでも恐慌は克服されなかったが,企業間競争の公正さと労働者の権利保護が促進されたため,議会制民主主義への信頼が失われず,アメリカはファシズム化からまぬかれることになった。」
→ 帝国書院の記述も山川の2冊に近い。割と山川と意見が合わない帝国書院なので,ここまで記述が近いのは珍しい。本題ではないが「まぬかれる」という表現に筆者のこだわりを感じる。

《1937年の二番底には薄く触れる/歴史的意義は民主主義面・軍需面に言及》
・山川『詳説世界史研究』:「当初の経済復興効果は小さかった。(中略)このような矢継ぎ早の恐慌対策を打ち出したにもかかわらず,その景気回復効果は小さく,1934年春になっても,約1,000万人の失業者が存在した。」「また,経済効果は小さかったが,社会保障法を成立させて貧困層の不満を緩和させるなど,ファシズム諸国に対抗して民主政治の擁護に成功した意義は大きかった。」
「39年にヨーロッパで戦争が勃発すると,大規模な軍備拡張を開始するとともに,41年には武器貸与法を制定して,イギリスなどの連合国側への支援を開始した。この軍需生産の拡大により,アメリカ経済は量的に急成長を遂げただけでなく,航空機・石油化学・原子力・コンピュータなどの先端部門での技術革新にも成功し,戦後世界で覇権を確立する経済基盤を整備することになった。」
さらにコラムでスタインベックの『怒りの葡萄』を取り上げ,ニューディールが西部の小農民まで行き渡っていないこと,自作農だけを救済する性格であったことを指摘。
→ 『詳説世界史研究』はさすがに記述が重厚で,ニューディールの持つ(ブロック経済と合わせて)「アメリカンファースト」という側面や,『怒りの葡萄』を引用しての都市部・中間層重視の政策であったという側面の指摘まであった。『詳説世界史研究』は検定教科書ではないので制限が無いため十分な説明をしやすいのは確かだが,それにしてもこれは気合いが入っている。

《1937年の二番底に触れる/歴史的意義は軍需面に言及》
・東京書籍:「こうした政策の結果,景気が回復したが,1937年にふたたび恐慌にみまわれると,彼は財政支出による有効需要拡大政策をとり,軍需産業の拡大にものりだした。」
→ 社会経済史に特化した東京書籍らしい記述。1937年の年号を出し,その脱出のために財政出動を増やし,結果的に軍需産業に手を付けることになった流れは簡明に描いているが,民主主義への影響は言及が無い。

《1937年の二番底には触れない/歴史的意義にも触れない》
・実教出版:特に記述無し(ニューディールの内容説明のみ)
→ 驚きの記述無し。もちろんニューディールの内容(NIRAやAAA)はちゃんと説明しているものの,アメリカはそのまま順調に回復した印象を受ける文章。
・山川『用語集』:「ニューディール」「フランクリン=ローズヴェルト」他,いずれの項目でも,二番底にも歴史的意義にも言及無し。前者はともかく,歴史的意義の説明は教科書でという役割分担だろうか。しかし,他のトピックでは辞書という本分をはみ出て教科書的な言及してしまうことが多い『用語集』が,ニューディールだけ抑制的な記述というのも不自然である。


【まとめと感想】
私見では,山川の『詳説世界史』『新世界史』と帝国書院の教科書の記述が好印象である。東京書籍は民主主義への言及があれば完璧だっただけに惜しいが,1冊くらい軍需への言及に偏っていてもよいし,それが東京書籍というのは非常に「らしい」。『詳説世界史研究』は饒舌すぎ,これは教科書でなく参考書だから許されている厚さである。内容が薄かったのは実教出版の教科書と山川『用語集』で,歴史的意義への言及が民主主義にも軍需にも無いのには驚いた。山川『用語集』はまだしも辞書だからという言い訳がきくが,教科書でこれはまずかろう。もっとも,実教出版はその後の第二次世界大戦,特にアジア・太平洋戦争の記述が非常に分厚いので,20世紀前半という大枠で見ると,世界恐慌よりも大戦にウェイトを置きたかったから世界恐慌は短く済ませたかったのかもしれない。  
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2020年10月19日

高校世界史でいかにリシュリューと三部会停止を記述するか

高校世界史深掘りシリーズの小ネタ。ルイ13世の宰相といえばリシュリューであるが,ルイ13世の在位年1610〜43年,リシュリューの宰相就任は1624年である(1642年に在任のまま死去)。つまり,ルイ13世とリシュリューのコンビが組まれたのは,ルイ13世の治世33年の後半,約18年ほどであった。ルイ13世は即位時点で9歳であり,母后マリー・ド・メディシスが実権を握っていた。そのマリー・ド・メディシスが,1614-15年の(全国)三部会に聖職者代表として出席・活躍したリシュリューに目をつけて登用した。その後,ルイ13世は長じて母の専横を嫌って親政を開始したが,それでも母の寵臣だったリシュリューは追放せず,どころか宰相に引き上げた。リシュリューはマリー・ド・メディシスの寵愛ではなく,その才覚によって宮廷に留まったと言えよう。

リシュリューの事績は多岐にわたるが,高校世界史上,その一つとして挙げられるのが三部会の停止である(以後,本稿で扱い三部会は全て全国三部会のみを指す)。三部会は国内諸身分の代表を招集して,国王の課す新税について協議させ,承認を得る機関であった。諸身分の同意を得たという形で新税を課すことで国民の不満を減らすという意図があったが,王権が強化されたことで有無を言わせない徴税が可能になれば,三部会の招集は必要がなくなる。リシュリューは王権を強化する目的で1614-15年の三部会を最後として開催を停止し,次に三部会が開かれたのはその約174年後の,フランス革命勃発時のことであった……と簡単にまとめようとすると,実はちょっとした史実の誤りが紛れ込むことになる。実は,リシュリューは(全国)三部会を停止・廃止する具体的な法令を出しておらず,三部会という制度そのものに手を付けたことはない。制度としては残っていたからこそ,約174年後に再開する機運が巡ってきたということである。

リシュリューは王権の強化政策を進めて,三部会の開催を認めなかった。そう,リシュリューは三部会の開催を停止したというよりは,開催させなかったのだ。ルイ14世の治世でも同じように後継の宰相マザランが強権で貴族勢力を押さえ込み,三部会が必要そうな場面であっても開催しなかったため,それがフランスの伝統として定着していった。その意味で,リシュリューが三部会を開催しない伝統を形成したと言いうるだろう。しかしながら,「開催しない伝統を形成した」という回りくどい言い回しでは,高校生は理解しづらい。そこで高校世界史では,誤解含みになることはあきらめて「リシュリューが三部会の開催を停止した」とまとめてしまうことになる。私もこのまとめ方はある程度しょうがないと思う。

一方,入試問題の正誤判定でそういう文が出てきたら審議の対象になる。入試問題に求められる厳密さは高校世界史の標準よりも厳しい。これは教科書も同様である。教科書は誤った史実を記述できない。しょうがないからという理屈で高校世界史的な嘘が許されるのは参考書であって,そこが教科書と参考書の身分による大きな違いであると思う。

そういうわけで教科書は,
・リシュリューが王権強化の政策をとったことを必ず盛り込む。
・三部会の不開催は,歴代の君主・宰相の王権強化の過程で生じたというニュアンスを出す。
・ただし,リシュリューが三部会停止の主語になってはいけない。
の3つの制約を全て守って,かつできるだけ簡略に記述しなければならない。これは非常に厳しい。こういう制約が厳しい部分は,教科書執筆者・編集者の腕の見せどころになると考えられる。というわけで,実際の記述を確認してみたのが以下の通り。対象はいつもの5冊+山川用語集・『詳説世界史研究』。


《リシュリューが”開かなかった”とそのまま書く》
・山川『詳説世界史』:「ルイ13世の宰相リシュリューは,王権に抵抗する貴族やユグノーをおさえて三部会を開かず,国際政治では……」
・山川『詳説世界史研究』:「彼(編註:ルイ13世)のもとで宰相となったリシュリュー枢機卿は,王権に抵抗する貴族やユグノーをおさえて王権の強化を進めた。リシュリューは地方当地のために王直任の役人(アンタンダン)を派遣し,王権を制約する身分制議会の全国三部会は,14年に招集されたものを最後に開かれなくなった。」
→ どちらもリシュリューが”開かなかった”とは言ったが,”停止した”とは言っていない。事実そのままの記述ではあり,あまり工夫があるとは言いがたい。そこは授業中の教師の説明で補足してもらうということなのかもしれない。ともあれ,3つの制約は全て守られているし,『詳説世界史』の記述は非常に短くまとまっている。
→ 逆に,珍しくも『詳説世界史研究』の書き方はスマートでなく,文の途中で主語が変わっていてちょっとわかりにくいし,1614年の開催が最後と言われると1789年の三部会は? ってなるし,記述がやや危うい気も。


《順当に主語をルイ13世にしてしまう》
・山川『新世界史』:「17世紀初頭,フランス最大の課題は,ユグノー戦争期以来の宗教対立を解消し,国王の政府の権威を確立することにあったが,これに取り組んだのがルイ13世と宰相リシュリューであった。ルイは貴族の私的軍事力を解体し,さらに一部貴族の反乱を鎮圧する一方で,官僚である地方長官を全国に派遣した。また王権を制約していた全国三部会を1614年を最後に停止した。」
・帝国書院:「ついで即位したルイ13世は,1615年以降は三部会の招集を停止し,1624年,リシュリューを宰相にして財政の改革をはかった。」
→ 山川『新世界史』は全てルイ13世を主語として処理してしまい,リシュリューはその補助としている。帝国書院の方はルイ13世とリシュリューの事績を明確に分けて記述し,三部会の招集停止はルイ13世を主語にしている。これらは史実の記述としては正確であり,しかも王権強化の過程で不開催になったというニュアンスもちゃんと出ている。しかしながら,リシュリューの事績が矮小化されていて,かえって全体像が見えづらくなっているという欠点もある。リシュリュー抜きのルイ13世自身がそこまで有能で王権強化に熱心だったかというと疑問で,やはり三部会停止を除けば主語がリシュリューであるべきだ。3つの制約の1つめが完全に守られているとは言いがたい。


《三部会は脚注で処理する》
・東京書籍:本文は「ルイ13世の時代になると,宰相リシュリューが大貴族やユグノーをおさえて王権の強化に努め……」として,高等法院につけた脚注で「三部会は1615年の解散以後開かれなくなると,王令審査権をよりどころに王権の強化に抵抗した」と言及。
・実教出版:本文は「ルイ13世の時代には,宰相リシュリューが王権に反抗する大貴族やユグノーをおさえ……」として,高等法院につけた脚注で「三部会が1615年からひらかれなくなると,王令登録権をよりどころに,王権に対する貴族の抵抗の拠点となった」と言及。また,リシュリューでコラムを作っていて「1614年の三部会で聖職者身分の代表となったのを機に,政界入りした」と言及。
→ どちらも三部会の招集停止を高等法院に付した脚注に飛ばして処理している。これは私にはできない発想で,異なる2つの出版社が共通してこの処理にしているのは面白い。山川の『詳説世界史』以外は古い版を収集していないのでわからないのだが,どちらが先にこの処理を思いついたのか(どちらがこれを真似たのか)はちょっと気になる。情報を持っている人がいたらください。
→ 閑話休題。リシュリューが王権強化の主役だったことが伝わる本文になっていて,かつ三部会停止が王権強化の過程のニュアンスに乗っていて,三部会停止がリシュリューの事績になっていないから,3つの制約が守られている。意外とこれが最適解の処理かも。


【まとめと感想】
山川『詳説世界史』の記述は簡素すぎる気はするが,逆に言えば最小限の字数でよくまとまっていると思う。逆に『詳説世界史研究』は饒舌すぎてかえってわかりにくい。ルイ13世を主語にした2冊は,リシュリューの立場があやふやでちょっと彼がかわいそう。脚注に飛ばしている2冊は見事な工夫と言えよう。そう,こういう面倒なものの説明は本文に入れなくてよいのだ。

なお,山川『用語集』はリシュリューの項目の説明で,三部会停止を彼の事績として挙げていない。そして別に「三部会招集停止」の項目を立てていて,そちらでもリシュリューには触れておらず,相互に言及しない形をとっている。これは用語集が辞書だからこそできることであり,辞書には辞書の記述上のアドバンテージがあるということだろう。  
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2020年09月11日

パブリブ出版物・献本物の書評(『ピエ・ノワール列伝』・『亡命ハンガリー人列伝』・『重慶マニア』)

パブリブから献本された書籍の書評その2。『ドイツ植民地研究』は分厚すぎて今読んでいるところ。『旧ドイツ領全史』は受け取ったばかりでまだ開いてないので,この2冊はしばらくお待ち下さい。つながりが深い2冊でもあるし。


・『ピエ・ノワール列伝』
初見時にワインの話かな? と思ったのは内緒だ。ピエ・ノワールはアルジェリアを中心とするマグレブがフランスから独立する前後の時期に,フランスに移住した植民地生まれ・育ちのフランス人の総称である。ピエ・ノワール自体は「黒い靴」の意味だが,それがこの人々を差すようになった経緯は不詳とのこと(本書の冒頭で説明がある)。本書はピエ・ノワールの中から有名人をピックアップして紹介している。代表例を挙げていくと,アルチュセール,ジャック・アタリ,アルベール・カミュ,ジャック・デリダ,イヴ・サン=ローラン,ジュスト・フォンテーヌ,メランション,ジャン・レノなど。ジュスト・フォンテーヌは全くそんなイメージが無かったのでちょっと驚いた。サッカーといえばジダンが入ってないと思った人もいそうだが,彼はベルベル人の家系でかつ2世なのでピエ・ノワールの定義に入っていない。とはいえピエ・ノワールの指す範囲は曖昧かつ複雑なようで,本書でも紙幅をとって説明されている。

本書は286ページあるが一人あたりはおおよそ1〜2ページ,つまり膨大な数の人物が紹介されている。特に芸能人はカバー率が高い。正直に言って私には全く興味がわかない人の紹介も多かったが,逆に言えばそれだけ広くピエ・ノワールがフランス社会に入り込んで活躍していると言えるだろう。その意味で,欲を言えばもうちょっと人数を絞って一人一人を深く紹介してもらえると,ピエ・ノワール初心者にはありがたかったかも。人物紹介以外だと本書はコラムが充実していて,本書を読むような人なら誰でも気になる「アルジェリア(独立)戦争」「フランスの核実験」「ピエ・ノワールの投票行動」等は面白かった。ド・ゴールに裏切られたという”記憶”から国民戦線への投票する人が多いとは,まさに歴史が現代政治を動かしている。






・『亡命ハンガリー人列伝』
こちらはハンガリー人の亡命者を紹介したもの。ピエ・ノワールと違って亡命者を輩出してきた歴史が長いため,18世紀のラーコーツィ・フェレンツ2世に始まり,1956年ハンガリー反ソ暴動による亡命者まで続く。ただし,本書では「なんらかの事情で国外に出ることを余儀なくされた者,または自発的意志で外国に移住した者」を列伝としてまとめているので,厳密に言えば亡命者以外の収録も多い。亡命の波は大きく五度あり,1848年革命・19世紀末の経済的移民・一次大戦敗戦後の混乱・戦間期(主にユダヤ系)・1956年である。本書はこれに沿って紹介が進む。

これもざっと有名人を挙げていくとコッシュート,ヘルツル・テオドール,クン・ベーラ,ホルティ,カール・ポランニー,カール・マンハイム,バルトーク,ロバート・キャパ,フォン・ノイマン,プシュカーシュ(マジック・マジャール),ジョージ・ソロス,ピーター・フランクルといった面々。時代が広く,亡命・移住しているという事情からかさすがに有名人が多く,業績をあまり把握していなくとも名前くらいは聞いたことがある,という人々が多いのではないか。ただし本書もやはり人物一人に長くても6ページ,短いと1ページで,人物紹介としてはやや短い印象があった。カール・ポランニーやプシュカーシュが4ページというのはちょっと寂しく,やはり人物数を絞ってもよかったのではないかとはちょっと思った。とはいえ,これだけボリューミーであるので,亡命者の列伝から自然と近現代ハンガリー史を追うことができる構成となっており,これまたこれだけ多くの著名人が国外に出ていかざるをえなかった歴史をよくよく噛みしめることができよう。





・『重慶マニア』
重い本2冊からいきなり軽めの本に飛ぶのだが(とはいえ本書もネタが軽いだけで219ページもある),中国は重慶市に絞った,非常にマニアックな紹介本である。『ウクライナファンブック』等と同様に地理・観光・料理・文化・歴史など様々な観点から重慶を紹介していくのだが,これまでのパブリブの本とは異なって,圧倒的に観光に重点が置かれている。これは筆者が学者ではないという属性の違いによるところが大きいと思われるが,重慶という都市ピンポイントであって広がりのある国家ではないだけに,この方針は当たっている。というか,とことん無駄にマニアックを突き詰めるのはパブリブの出版方針に一番マッチしているかもしれない。

やはり目を引くのは重慶という都市の広大さ,激しい高低差,異様に生えている高層ビル群が生んだ奇景の数々であり,フルカラーで書籍の冒頭でふんだんに紹介されている。あとはやはり四川料理で,紹介される数々の火鍋に,重慶に行ったらスイーツだけ食って過ごす覚悟を決めた(私は唐辛子をこの世から滅ぼしたいくらい辛いものが食べられない)。このページ赤すぎないですかね……

重慶市といえば一つの市としては異様に広く,北海道よりも広い。三国志で有名な白帝城も重慶市に含まれる。その他に歴史ネタといえば,日中戦争期の中華民国首都であったり,改革開放政策前の重工業都市であったりとやはり近現代史の話が多い。本書では「民国時代の史跡は,国共内戦の影響で大体廃墟になっている」とあったが,写真で紹介されているものを見る限りむしろよく残っている印象を受けた。わずか8年間の首都時代に使われていたソ連大使館の建物が別の施設に転用されて残っているのはなかなか大したものだ。日本とのつながりでは,重慶爆撃の他に,私も知らなかったのだが租界(それも列強唯一の)があったらしい。まあ,日中戦争開戦で閉鎖になり,史跡は現在立ち入り禁止らしいのだが。本書は最後に重慶渡航のためのアドバイスがまとめられているのだが,まさか出版直後に世界がこんなことになろうとは,全く予想だにしないところであった。


  
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2020年09月10日

パブリブ出版物・献本物の書評(『第二帝国』・『タタールスタンファンブック』・『ウクライナ・ファンブック』)

パブリブから歴史系・地域紹介系の書籍が出版されると献本が来るのだが,長らく積ん読にしてしまっていた。さすがに不義理だなと思って重い腰を上げ,巣ごもり期間にまとめて読んだので,紹介しておく。まず以下の3冊。


・『第二帝国』(上・下)
タイトルの通り,ドイツ帝国のあらゆる側面を著述した本。政治・経済だけではなく食生活やスポーツ・衣服にも切り込んでいくのはいかにも伸井太一著・パブリブの出版物という感じ。ニベアが生まれたのも,アスピリンが生まれてバイエル製薬が躍進したのも,黄禍論がはやる一方で柔道が入ったのも第二帝国の時代である。アフリカ植民地もちらっと触れられているが,この2年後にそれ単体の書籍が出ることになろうとは誰も考えていなかったのであった。

個人的な話をすると,下巻の少なくない紙幅が記念碑に割かれているのが嬉しかった。ドイツ帝国は記念碑の帝国でやたらめったら記念碑・記念堂を建てている。それというのも無理やり武力統一したので国民意識を醸成していく必要があり,何かに付けて記念碑が建てられるようになった。ドイツ美術とナショナリズムの関連性は学生時代によく読んでいたところなので,いろいろと思い出しながら読んでいた(なお,純美術史的に言えば記念碑の大半は国家事業で様々な思惑が絡むがゆえに平凡になりやすい,というのが一般的な評価)。本書内ではドイツ帝国と後の第三帝国や現在のドイツとのつながりについて触れられているが,下巻最後のページがドイツ帝国におけるハーケンクロイツの扱いとなっているのはいかにも収まりが良い。






・『タタールスタンファンブック』
ロシア連邦内にあるタタールスタン共和国をクローズアップし,これまたありとあらゆる観点を取り上げて紹介している本。「それどこだよ」という人も多かろうと思うが,そういう人でもわかるような紹介から入って,地理・観光・言語・歴史・文化・社会・生活と進んでいく。受験世界史をやった人なら,イヴァン4世によって滅ぼされたカザン=ハン国のあったところ,と言えば意外とわかるかもしれない。あとは日本とのつながりで言えば,代々木ジャーミーの前身を建てた人物がタタール人だったりする。

私自身全然知らない場所だったので,目新しい情報が多かった。極私的に言えばまたしても美術の話になるが,シーシキンの出身地でシーシキン博物館もあるというのがちょっと驚いた。タタールスタンの主要な言語といえば当然タタール語……と言いたいところだが,実際にはやはりロシア語にかなり押されていて,「当局にタタール語の間違いを指摘したら賞金」という制度があるほど,というのを読んで思わず笑ってしまった。少数言語の苦悩が忍ばれる。なお,タタール語オリンピックというものも開催されていて,本書の著者たちも優勝している。大統領は二言語話者(ロシア語とタタール語)という条件があるのもユニークで,他に言語能力が国家元首や行政府の長の条件になっている国ってあるのだろうかと気になったりした。

タタールスタン共和国はロシア連邦内ではかなり強い自治権を有している国ではあるが,プーチン強権体制にはかなり苦労している様子で,またやはりタタール人とロシア人の間に亀裂もあるようで,それらをオブラートに包んで解説している現代政治の章もなかなかおもしろい。あんな立地でよくがんばってるなと思ったら,石油がわんさか出ていてロシア経済を支えていた。なるほど。






・『ウクライナ・ファンブック』
タタールスタンの次はウクライナである。こちらの方が国としては随分メジャーであるが,じゃあロシアとの違いが言えますか? と言われると難しい。本書もつくりは同じで,地理・観光・生活・料理・文化・言語・宗教・歴史・政治・経済と様々な観点からウクライナに切り込んでいく。地理・観光の章がかなり凝っていて,キーウ(キエフ)やリヴィウ・オデーサ(オデッサ)・ハルキウ(ハリコフ)以外の地域が詳しく紹介されているのが大変に良かった。オデッサと聞いても3機のドムしか頭に浮かんでこない(私のような)人でもしっかり学べるので安心してほしい。

ウクライナ縁の日本人といえばやはり大鵬で,本書でもきっちり触れられていた。他にもスポーツ選手と言えばシェウチェンコ,セルヒー・ブブカあたりは懐かしいと思う人が多かろう。料理もボルシチ,キエフ風カツレツことチキン・キーウは有名で,歴史もコサックに負うところは多い(ちなみに海燕のキエフ風カツレツはめちゃくちゃ美味い)。ウクライナ語もイメージと違ってロシア語とかなり違う。また,ロシア語話者であっても2014年以降のロシアの侵略が全く支持されていないという世論調査の結果もあり,言語・文化と国家の相違の事例として興味深い。そう説明されていくとロシアとの違いがわかってきて,疑問もほぐれてくる。

歴史といえば,本書の帯にもあるように「う,暗いな」と思わざるをえないものがウクライナにはあるが,それもしっかりと説明されている。ウクライナの民族性として被害者意識が強すぎて鼻につくとか言われたりもするが,まあこんだけボコボコにされ続ければそうもなるよな,と。そうそう,あとがきに「編集の濱崎さんから『ウクライナ,明るいな』という書名を提案されて議論が紛糾した」とあって笑ってしまった。私としても大恩ある濱崎さんではあるが,私も「明るいな! う,暗いな……」は帯に回して正解だったと思います。


  
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2020年09月07日

高校世界史上で,ロシアの農奴解放令をどう説明・評価するか

高校世界史深掘りシリーズ。まずは前置きとして,各国で産業革命が進んだ時期をその国の「産業革命期」と呼ぶ。その国で機械を用いた工場が広がり始めてから,主要な工業分野で手工業が駆逐されるまでの期間のことである。並行して国土の主要幹線を鉄道が網羅し,都市化が進み,GDP内の割合や就労者数で工業が農業を追い抜くといった現象が起き,産業革命期の終わりを「産業革命の完成」とも呼ぶ。歴史上で最初に産業革命が始まったイギリスの場合,産業革命期は1770年代〜1840年代とされ,1851年の第1回万国博覧会が産業革命の完成の象徴と言われるのはそうした事情による。

イギリスに次いで産業革命が始まった国家群がベルギー・フランス・アメリカで,やや遅れてドイツ地域である。これらの地域は産業革命期が1830年代〜1860年代(ドイツがそれぞれ10年ほど遅れる)とされる。そう,アメリカとドイツは後発資本主義国と言われることがあるが,それはイギリスと対比した時の話であって,19世紀の欧米諸国全体で見れば全く遅れていない。またドイツ・アメリカは1870年代以降の第二次産業革命の影響が大きかったので,この第一次産業革命が目立たないというイメージの問題はあるだろう。

そして,正しく後発資本主義国なのがロシアと日本である。日本の産業革命期は1870〜1900年代で,つまり明治政府の殖産興業政策から日露戦争頃まで(日本で工業生産額が農業生産額を超えるのは第一次世界大戦中)。ロシアは1860年〜1890年代で,農奴解放令に代表されるアレクサンドル2世による「大改革」によって始まり,シベリア鉄道の敷設に代表されるウィッテの工業化政策によって完成したと見なされている。なお,オランダ・オーストリア・イタリアについては高校世界史上で触れられないが,これらの国々はロシアに近いか,ちょっとだけ早いくらいだったりする。日露が列強の中で極端に遅れていたというわけでもないのだ。なお,これらの国々の始期と完成の事情も深掘りすると面白いのだが(オランダの例外さとか),今回の本題じゃないので割愛する(気力があったら別記事にするかも)。


さて,今回の本題はこのロシアの「大改革」と農奴解放令である。前述の通り,ロシアの産業革命の開始が1860年代のことで,これがアレクサンドル2世の「大改革」に起因するものというのは間違いない。アレクサンドル2世の「大改革」は農奴解放令以外にも,ゼムストヴォ(民政を担った地方自治機関)の設置,企業設立や鉄道敷設の支援策,通貨改革等の多様な改革が行われていて,総体としては文字通りの「大改革」であった。そしてまた「大改革」の中心が1861年の農奴解放令にあるのも間違いない。しかし,1861年の農奴解放令と産業革命に直接的な影響関係を認めるかどうかは別問題になる。

なぜこれが焦点になるかというと,2つの理由がある。1つは単純に,これが産業革命と労働力の関係を分析する上で重要な論点になっているからである(その意味で本稿は農業革命の記事の続編なのだ!)。産業革命が起きるために必要な条件は,資源・労働力・資本・市場の4つである。ロシアの場合,資源はあったが,残りが無い。この点で,奴隷や農奴という存在は足かせになる。彼らは職業選択の自由がなく農業に縛られているので工業労働力にはなりえず,購買力が無いので国内市場にもなりえない。ゆえに,産業革命には奴隷解放や農奴解放が必要になる。ではロシアの農奴解放令は産業革命にとって重要だったのでは?……と思われるかもしれないが,高校世界史でも必ず触れられるように,この時の農奴解放はその不十分さがしばしば強調される。すなわち,
・人格的な自由権は無償で解放,耕地の譲渡は有償
・耕地の地価は高額で,ほとんどの農民は年賦支払いを選択
・年賦の支払いは,ミール(農村共同体)を単位とする連帯責任制
・年賦の支払いが終わるまで,ミール所属の農民は居住・職業選択の自由が制限される
という条件であった。ここから,農奴は人格的に解放されても土地に縛り付けられていたというのがわかると思う。こうした制限は,他の「大改革」によって大きく開花するはずだったロシアの産業革命の足を引っ張ったという評価が根強い。一方で,ロシアの農業は従来自給自足的であったのに年賦の支払いは現金であったため,農閑期の農民が近隣の都市・工場へ出稼ぎに行くことが盛んになった。この出稼ぎの労働やそれによる現金収入は,国内に労働力と国内市場を提供した。専業の工業労働者を供給できたわけではなかったので制度としては不十分であったが,農民人口が膨大であったがために,走り始めの工業には十分な労働力になりえたという評価もある。

もう1つは,高校世界史の特殊事情がかかわっている。高校世界史は用語主義で,かちっとした用語が無いと事象自体がなかったことにされがちな上に,制度史偏重の傾向がある。それゆえに農奴解放令以外の「大改革」の内容は,ほぼ全く触れられることがなく,どうしても「大改革」とは農奴解放令だけを指すことになってしまっている。結果として「農奴解放令”が”,ロシア産業革命の出発点になった」かどうかが,教科書記述上の焦点になる。これに対して「いや,「大改革」が産業革命の出発点になったと,ちゃんと記述すればいいだけでは?」というツッコミを入れたくなる気持ちはわかるのだが,ともかく現状の高校世界史はあまりそうなっていない。また,前述のように産業革命と労働力の問題はイギリス農業革命やフランスの産業革命等と合わせて世界史上の一大テーマであるので,この特殊事情がそこまで悪さをしているとは思われない。

というわけで,実際に各教科書がどう記述しているか確認してみよう。比較するのはいつもの5冊+山川の用語集(・詳説世界史研究)。なお,いずれの教科書にも上述のような農奴解放令の内容の説明はあり,差もほとんどなかったので以下の説明では特に触れない。


《「大改革」への言及が無いor希薄,農奴解放令による産業革命への影響を認めず》
・山川『詳説世界史』:「大改革」については「クリミア戦争後,ロシアは国内改革に専念し」とあるのみで,農奴解放令以外の改革内容には全く触れず。農奴解放令と産業革命の関係には一切言及なし,どころか,ロシアの産業革命についての言及自体が1890年代にならないと登場しない。これ,ロシアの産業革命の”開始”が1890年代という誤解を与えかねないので普通にまずいのでは。


《「大改革」への言及が無いor希薄,農奴解放令による産業革命への影響は認める》
・東京書籍『世界史B』:「大改革」については「一連の改革が行われ」とあるのみ。一方,農奴解放令については「ミール(農村共同体)を統治の末端に組みこみ,他方で,工場労働者を創出しようとする政策であった」と説明されていて,やや詳しい。ただし,目的という形での言及であって,この目的が成功したかどうかの記述がないので片手落ちである。また,山川『詳説』と同様に「ロシアや日本では19世紀末から,国策による産業革命が推進された」という説明になっているが,ロシアはともかく日本の殖産興業がなかったことになっているのは普通に中学日本史と矛盾をきたさないか。
・帝国書院『新詳世界史』:「大改革」については「自由主義的改革に取り組んだ」という記述のみ。一方,農奴解放令については「これにより自由な労働力が多数創出された結果,工業化と資本主義化への道が開かれた」という記述になっていて,これはかなり練られた良い説明になっていると思う。後段で「ロシアは,フランスなどの外国資本の導入により,1880年代に工業化が進んだ」と記述されているので,始期と完成期が明確に違うとわかる(1890年代でなく80年代になっているのがちょっと引っかかるが)。

《「大改革」への言及が有り,農奴解放令による産業革命への影響を認める》
・実教出版『世界史B』:一応ここに分類したが,「大改革」という用語を出しているだけで,内容の説明は無い。農奴解放令については積極的に意義を認めていて,「農奴が解放されて自由労働力が創出されたことで,ロシアでも工業化と資本主義化が進むこととなった」と記述。ただし,煮え切らない記述よりは断然良いが,積極的な評価を与えすぎではないかと思われ,「道が開かれた」という抑制的な記述にとどめた帝国書院との差異が気になるところ。また,後段で「ロシアは19世紀末に産業革命に突入し」とも記述しており,矛盾してない???と首をひねってしまった。ついでに別ページには「ロシアは農奴解放令後の1880年代から(産業革命が推進され)」とあり,この教科書で勉強した受験生は,結局ロシアの工業化が始まったのは1860年代なのか80・90年代なのかがわからないと思う。
・山川『用語集』:「大改革」は立項されていないものの,農奴解放令の項目の説明の中で言及されていて,農奴解放令以外の具体例も挙げられ,「「大改革」は近代的社会制度を導入する契機となった」という評価を与えているのは非常に良い。しかし,そこまでやるのであれば素直に「大改革」を立項すべきではないかと思う。というよりも『新世界史』と実教出版に記述があるのだから,本来であれば用語集頻度△芭項されていて然るべきでは。また,産業革命と農奴解放令の関係性については農奴解放令の項目ではなく,ロシアの産業革命の項目で言及があるのだが,「1861年の農奴解放令のよる労働力創出,94年の露仏同盟完成後のフランス資本の導入,国家の保護などにより,1890年代に産業革命が進んだ」という不思議な記述になっており,逆に言えば農奴解放令は30年間は効果が無かったってこと???と混乱する。

《「大改革」への言及が有るが,農奴解放令による産業革命への影響は認めない》
・山川『新世界史』:「ロシア「大改革」」というコラムが用意されていて,大々的に取り上げられている。「大改革」の内容としてゼムストヴォの設置にも言及している(そのせいでゼムストヴォが難関私大で問われてしまうわけだが)。一方,農奴解放令については概要の説明にとどまっていて,産業革命との関係は言及を避けている。要するに『新世界史』の筆者は「大改革」と産業革命の関係なら言及する価値があるが,農奴解放令単体には無いと考えているようだ。これはこれで筋が通っている。
・山川『詳説世界史研究』:さすがに「大改革」はゼムストヴォの設置を含めてかなり詳しい言及がある。一方,農奴解放令と産業革命の関係は「農奴制が産業革命さらには経済発展を阻んでいるという認識が広まり」という迂遠な説明にとどまっている。また「村団(※ミールのこと)は国家機構の最末端組織と位置づけられ,農村は国家に直接組み込まれた」という記述もあり,農奴解放令の説明としては明らかにこちらに重点が置かれている。要するに農奴解放令は国民国家建設のために発令されたものであって経済は主目的ではない,という立場を採っていると言える。


【まとめと感想】
今回は帝国書院の記述が最も良く,山川『新世界史』も悪くない。東京書籍は「目的」として書いてしまっているのが謎で,もったいない。同様に実教出版は踏み込みすぎているきらいがあるのと,産業革命の始期の記述の矛盾が惜しい。山川『詳説世界史』は無味乾燥な記述になっていて,しかも産業革命の始期が不明瞭なのは実教出版と同様に良くない。山川『用語集』は農奴解放令の説明は良いが,産業革命の時期の記述がやはりまずい。

今回は旧説・新説の対立ではなく,歴史学でいう評価の段階での意見対立が主題であったが,優れた記述があったのは新説好きの帝国書院であった。『新世界史』はゼムストヴォを載せているくらいなので近代ロシア史に詳しく,良い記述になっているのは想像がついていたところ。一方,残りの4冊は残念というか,山川『詳説』・東京書籍・実教出版・山川『用語集』の4冊はロシア産業革命の始期の記述が雑すぎて問題が大きい。これは改善してほしい。山川は例によって「大改革」に言及するのは『新世界史』と『用語集』,しないのが『詳説』という分業体制だったりするのだろうか。今回については共倒れになっている感覚の方が強い。  
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2020年07月30日

「イギリス農業革命」の記事の落ち穂拾い

はてブでめちゃくちゃ反応があって,「この記事そんなに伸びる要素あったっけかな」と思いつつ,ブコメを読んでいくつか記事の補足をしておく。

>骨肥料の誕生と刃物産業の関わりの伝承はナイフ好きには分かりやすいがほとんどの人にはわかりにくい。
骨肥料と刃物産業の関わりの逸話はこれに記載がある。このコメントは,本記事に「農業革命とは,狭義には農業技術の革新である。細かく言えば農具の改良や土壌改良手法の確立等もあいまって全般的に改良されたようなのだが」と書いたのを補足していくれていて助かる。実際に骨粉を撒いての土壌改良は18世紀の農業技術の革新の一つで,19世紀に骨粉が供給していたのはリンと特定されて,帝国主義時代の欧米諸国はリン鉱石と「海鳥の糞」を求めて世界中を駆け回ることになる。

それはそれとして,牛骨の利用というと個人的にはやはりボーンチャイナを連想するところで,18世紀のイギリス人の牛骨活用がすごい。


>一方日本史では肥料の変遷を割と細かく教える印象があるなあと
これは思った。刈敷→草木灰→下肥(・畜糞)→金肥と変遷するのを習うのに,世界史は全然やらない。各地域の農業をそこまで深追いする必要はないとして,窒素・リンの発見から化学肥料の登場くらいはやってもよいと思わなくもない。ところで,金肥のうちの干鰯も言ってみれば「魚骨粉」ではあって,牛骨の利用とは不思議と似通うところはあるなと思った。


> 窒素肥料はハーバーボッシュ法で上書きされるから……(震え声)
本人に聞いたところ,世界人口の急増に影響を与えた発見としては,近代農業の出発点に過ぎないノーフォーク農法よりも,その後の化学肥料の発展の方が大きいのではないか,という指摘とのこと。これはこれで一理あり。その意味ではハーバー・ボッシュ法が高校世界史で登場しない,化学肥料が登場するのは「緑の革命」までお預け(しかも緑の革命は用語集頻度,任曚椣靴錣譴覆ぁ砲箸いΔ里魯丱薀鵐垢悪い。近年の高校世界史の用語削減運動も考慮すると,追加でハーバー・ボッシュ法か化学肥料のどちらかくらいは追加で入れましょうとも言いづらく,かと言って産業革命との縁が切れたとしても混合農業の出発点としては歴史的意義が残る輪作農法をバーターで消しましょうとも言いづらく,なんとも難しい。

>ハーバーボッシュ法による人口爆発の前史としてノーフォーク農法による窒素固定があったというのは普通に興味深いし世界史を学ぶ醍醐味でしょう
こういうコメントもあったわけで,ノーフォーク農法からハーバー・ボッシュ法までつなげて教えられると本当は一番良いのだろうけども……


>高校教師が社会科の教科書一式を持ったまま異世界転移して知識チートするなろう作品がいくつかあってもいいと思う
確かに主人公が現代日本にある有用な知識を多く持っている理由付けとしては便利そう。ただ,一歩間違えると「じゃがいもで何でも解決!」みたいな薄っぺらいストーリーになりそう……


> “ノーフォーク農法” ははーんFork(ピッチフォーク)を使わない農法で四輪作を実現したからno-forkなんやなとブコメしようとしたところNorfolkで無事死亡
個人的にはこういうダジャレ大好きです。


> 1820→1850の人口増加はポテト飢饉でアイルランド難民が大量流入したの原因の一つだったりしねえのかな。1840年から10年間の欧州ではアイルランドだけ150万人くらい人口減ってるんだよね。
良いところに気づいているけど,ジャガイモ飢饉で減少したアイルランド人口のうち,100万人以上は死亡,100万人以上はアメリカ合衆国に移住したとされていて,イギリスへの移住はこの二つに比べると多くない。


>移民を無視して良いなら都市と農村それぞれの自然増加率がわかれば社会増加率もわかりそうだけど、この時代だと難しいのかな(自然増加率が同じ前提なら移動後の子孫も含めて300万人程度の移動があったと推定される)。
人口歴史学の実証的な研究では間違いなくあると思う。下手したら「○○州の△△村出身のウィリアムさんは,20歳で村を出てバーミンガムに移住し,現地で別の村から来たメアリーさんと22歳の時に結婚,ヘンリー・リチャード・アンの三人の子供に恵まれたが,35歳で亡くなった」という個人レベルで動向を追う研究がありそう。それはそれとして言うなら,近世の大都市はロンドンでも江戸でもそうだがだいたい住環境が劣悪で,めちゃくちゃ平均寿命が短いので,自然増加率が農村と同じということはまずありえない。基本的に農村の自然増加率が高く,都市は社会増加率が高いと考えて間違いない。  
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2020年07月27日

イギリス農業革命と産業革命を,高校世界史でどう説明するか

高校世界史深掘りシリーズ。またしても経済史になるが,こういうネタは経済史の方が拾いやすいというのはある。18世紀後半から19世紀前半にかけて,イギリスでは産業革命が起きているが,その前段階として農業革命も起きている。

農業革命とは,狭義には農業技術の革新である。細かく言えば農具の改良や土壌改良手法の確立等もあいまって全般的に改良されたようなのだが,高校世界史上でも取り上げられる最大の革新は,三圃制農業が四輪作農法(ノーフォーク農法)に切り替わったことであった。すなわち,輪作の周期に窒素固定を行うマメ科の植物(の根粒菌)を入れることで地力の回復を早めつつ,家畜用作物も生産することができるようになった。これによって休耕地が消滅し,穀物が増産され,同時に畜産物の肥育も容易になった。近代的混合農業の始まりである。

こうした農法の切り替わりは農村のあり方に波及することになる。イギリスの農村ではそれまで,自作農たちの耕地を共有地として,共有地に柵を設けない開放耕地制と,それによる共同体的・集団的農業が営まれていた。しかし,ノーフォーク農法が伝播すると,この新農法を導入したい一部の有力農民は,地主と組んで耕地を”柵で囲い込み”,他の農民を耕地から追い出して大農場を形成した。これにより開放耕地制と共同体的農業は崩壊し,多くの自作農は失地農民となる。一方,有力農民は農業資本家に転身し,地主から大農場を借り受けて企業的に経営し,地主と利潤を分かち合うようになった。この柵の設置による農地の集積を第2次囲い込みと呼び,企業的農場経営の誕生を農業の資本主義化と呼ぶ。広義の農業革命は,この第2次囲い込みと農業の資本主義化を含む。コトバンクにあった画像が非常にわかりやすかったのでリンクしておく。第2次囲い込みを図示すると,まさにこうなるだろう。


さて,この「第二次囲い込みによって生じた失地農民はどこに行ったのか」というのが今回の論点である。従来の説では「失地農民は都市に移動して工業労働者となり,産業革命に労働力を供給した」とされてきた。事実として,産業革命期(18世紀後半〜19世紀前半)のイギリスは全人口に占める農村人口の割合は減少し,都市人口の割合が高まっている。都市化が急速に進んだのが統計から読み取れるのである。

しかし,近年ではこの失地農民移動説は半ば否定されている。まず,農業革命期のイギリスは食糧の増産と輸入が進んだことで飢饉が激減し,人口爆発が起きている。1750年頃に約600万人だったイングランドの全人口は,1800年頃に約860万人,1820年頃のうちに1200万人を超え,1850年頃には1600万人を突破していたというのだから増え方が尋常ではない。このうちの農村人口は,1750年頃には約260万人,1800年頃には約310万人,1850年頃には約380万人と見積もられているから,なんと農業革命期には農村人口も増加している。旧説の通りなら,減少していなければおかしいはずである。理屈があわない。ただし,計算してみるとわかるが,全人口に占める農村人口”の割合”は急減していて,都市化自体は間違いなく生じていることもわかる。

しかし,失地農民が都市に移動したわけではないのなら,2つの疑問点が生じることになる。まず,失地農民はどこに行ったのか。次に,失地農民が工業労働力に転化したわけではないのなら,産業革命の労働力はどこから供給されたのか。

これを解く鍵となるものとして,農業革命は一人あたり・土地面積あたりの生産量を向上させているものの,道具が機械化したわけではないという意外と見落とされがちだった点が指摘される。つまり,農業革命では農作業は手作業のままで,農村の労働需要が減らなかったのである。したがって,失地農民の大半が都市に移住したとするなら農村は労働力不足に陥るはずであるが,歴史上そういった現象は起きていない。すなわち近年支持されている学説では,まず「失地農民はどこに行ったのか」という問いについては「そのまま農村に残って,農業に従事する賃金労働者になった」という解答が,そして「産業革命の労働力はどこから供給されたのか」という問いに対しては「起きた人口爆発による増加分が,そのまま工業労働力になった」という解答が出されている。農村では長男が父からそのまま農業労働者の仕事を引き継ぎ,就労機会の無かった農家の次男坊・三男坊が都市に移住し,彼らが工場に就職したのだ。農業革命で増産された食糧は都市に供給されて,都市化を支えることになった。


しかし,実はさらにこれをひっくり返す議論がある。農業革命で食糧が増産されたとして,人口の増加に本当に直結するか,という点を疑うのである。確かに,増産した食糧を国内消費せず,輸出にまわしてもよいわけである。何より食糧増産に比例して人口が増加すれば一人あたりの収入は増加しない,マルサスの罠を考えれば減少すら起こりうる。人はパンのみによって生きるにあらず。事実,マルサスの罠による一人あたりの収入の減少は,前近代社会の人口抑制要素として働いてきた。食糧増産が即座に人口増加を呼んだという推論自体が短絡的なのである。

では人口増加が起きた理由は何か。それは産業革命によってGDPが上昇し,就労機会が大きく増加したことそのものに求められる。前近代の工業はエネルギー源が水力と森林(薪)にしか求められなかったために,拡張性が低く,それほどGDPに寄与してこなかった。産業革命は化石エネルギーを採用したことでこれを突破し,工業部門が多くの労働力を養うことできるようになった。産業革命の労働力を創出する人口増加を達成した要因は,産業革命そのものであるという身も蓋もないトートロジー的な理屈が成り立ってしまうのだ。この観点で言えば,農業革命は都市人口の増加によって生まれた新たな食料需要に引っ張られて産業革命と並走したということはできるが,必ずしも産業革命の前提として必要な現象だったとまでは言えなくなってしまう。極論,農業革命は偶然にも時期が少し先行したに過ぎず,都市化による穀物需要増が生じなければ大きな歴史的意義を持たなかったとさえ言えるだろう。この議論では,農業革命により生じた失地農民の行き先はさしたる論点にはならない。


では,現行の高校世界史の教科書・用語集はいずれの説をとっているだろうか。いつもの5冊と山川の用語集を比較検討してみよう。

《新説寄りの両論併記》
・東京書籍:「西ヨーロッパでは,18世紀前半には休耕地を設けない輪作法など新農法が普及して農業生産力が増大し,家畜の品種改良ともあいまって食糧事情は好転した(農業革命)。(中略)こうした好条件のなかで,ヨーロッパ諸国の人口は持続的な増加局面に入った。人口の増加が穀物の需要を高めると,イギリスでは,大地主が村の共用地や小作地を囲いこんで大農場とし(第2次囲いこみ),市場向けの大規模な穀物生産が発展した。小農や小作農は自分たちの農地や仕事を失い,大農場で農業労働者となるか,都市へ移住して工業化を支える工場労働者となった。(中略)農村の余剰人口が工業労働力を準備する一方,マニュファクチュアによる時計工業などの飛躍的な発展が,精密な機械をつくる技術を用意した。
(欄外)18世紀には三圃制をやめ,根菜や牧草栽培で家畜をふやし,畜糞を肥料として穀物増産につなげる新農法(ノーフォーク農法)がすすみ,農機具も改良された。」
→ 経済に特化した教科書の面目躍如たる説明量と正確さである。一応は両論併記としたが,ほぼ新説に沿った説明になっている。特記事項としては,農業革命の定義が狭義の技術革新のみになっている。

・実教出版:「18世紀には,市場向け穀物増産を目的とした第2次囲いこみが大規模に行われ(注1),土地を失った農民が,人口増加のために仕事のない農民などとともに都市に流入して工業労働者となった。
(注1)この第二次囲い込みによって,休耕地をなくして牧草栽培で家畜を増やし,その糞を肥料として穀物増産を図る新農法(ノーフォーク農法)が普及して,農業生産が飛躍的に発展した(農業革命)。その結果,資本をもつ地主が農業労働者を雇って市場向け穀物生産をおこなう資本主義的大農場経営が確立し,独立自営農民の大部分は没落して労働者となった。」
→ 東京書籍に比べると表現が簡素だが,問題はないだろう。東京書籍の説明は情報量が多すぎるので,これくらい簡素な方が受験生は読みやすいかもしれない。また,ここも東京書籍と同じで農業革命の定義は狭義のものを採用しているのが興味深い。


《両論併記にしたかったのかな???》
・山川『詳説世界史』:「市場向け生産をめざす農業が発達し,産業革命期に急増する都市人口を支えた。大地主は中小農民の土地や村の共同地をあわせて大規模な農地をつくり(第2次囲い込み),すすんだ技術をもった農業資本家にこれを貸し出して経営させた(農業革命)。土地を失った農民は,農業労働者や都市の工業労働者となった。」
→ この記述はぐちゃぐちゃでひどいし,短すぎる。多分,元々は旧説をベースとした説明で,後から新説に対応するために「産業革命期に急増した都市人口を支えた」という説明を追加したものと思われるが,結果としてとんでもないことになっている。以下に理由を列挙しておく。あきらめてゼロベースで書き直すのを推奨したい。
○注を含めて,農業技術の革新・輪作農法の説明を一切していない。
○産業革命が先行して,農業革命は後発で起きたという時系列に読めてしまう。
○文脈が切れているせいで,農業革命が技術革新を含まず,第2次囲い込みと農業の資本主義化のみを指すように読める。また第2次囲い込みも含まず,農業の資本主義化のみを指しているようにも読める。

・山川『用語集』:農業革命「18世紀のイギリスにおける,農業技術や農業経営方式の変革。イギリスでは人口増加と穀物不足への対応が課題となったことから新たな農法が開発され,(中略)囲い込みにより土地を失った農民の多数が都市に流入して工場労働者となり産業革命を進展させた。」
→ 教科書の『詳説』ほど変ではないが,そのためにかえって旧説の印象が強い説明になっている。農業革命の定義が広義を採用していて,正確なのは好印象。


《旧説:失地農民移動説のみを採用???》
・帝国書院:「生産の中心が農業から工業に移り(注2),各地に商工業都市が生まれた。
(注2)第1次囲い込み(第1次農業革命)が,耕地を囲い込んで,牧場化を目指したのとは違って,17世紀以降の囲い込みは,改良された農法(ノーフォーク農法)を採用して穀物栽培の効率を上げることを目的とした。これを第2次囲い込み(第2次農業革命)という。囲い込みにより共有地がなくなったため,土地をもたない農民は家畜の放牧や燃料を得ることができず,自立した生活が難しくなり,多くは賃金労働者にならざるをえなかった。」
→ 新説大好きの帝国書院には珍しく,全然気合の入っていない記述内容で驚いた。記述の大半が注に回されていて,本文は1行しかない。注を読んでも農業革命と産業革命の関連は読み取りづらい。また帝国書院の記述も第2次囲い込みだけを指して農業革命と定義しているが,農業技術革新と農業の資本主義化はどこに……? 
→ ついでに言うと,「第1次/第2次農業革命」という言い回しは独特すぎて,ともすれば危うい。獲得経済から生産経済への転換を「(原始の)農業革命」と言ったりするので(『サピエンス全史』のいう農業革命はこちらのこと),ただでさえ用語の使い分けが面倒なので余分なことをするのはやめてほしい。そもそも第1次囲い込みは目的が牧羊なのだから"農業"革命ではないのでは? 


《産業革命自体が人口増加を生んだ説のみを採用》
・山川『新世界史』:「農村部では,輪作を中心とする新しい農法が導入されて生産性が高まったため,農業経営者が地主から土地を借りて営む市場向け穀物生産が広まるとともに,新農法の導入を容易にするための土地の集約(第2次囲い込み)が議会主導ですすめられた(農業革命)。
(中略)産業革命前の社会では,水力(水車)や木材(薪)がもちいられていた。そこでは,効率のよいエネルギー源が少ないため,人口が増加すると,効率の低いエネルギー源を利用せざるをえなくなり,生産費用が上昇して賃金の低下や物価の上昇が生じ,結果として人口の増加が抑制されるというメカニズムが働いていた。ところが,産業革命の過程で蒸気機関が発明され,当時としては無尽蔵な量が存在していた石炭などの化石燃料が利用できるようになると,人口が増えてエネルギー源の必要量が増加しても,効率の低いエネルギー源を利用する必要がなくなったため,人口の増加が賃金の上昇や物価の低下と両立可能になった。」
→ 本記事にわざわざ3つめの説を載せた理由はこれである。引用が長くなりすぎるので割愛したが,この前段で農業革命と産業革命が”並立して”語られているのも面白い。この説明は高校世界史の多様性を示すものとして貴重であり,個人的にはよくやってくれたと敬意を評したい。ただし,入試問題はほぼ旧説・新説から出るという実用面から言えば,教科書として死んでいる。どうせ発行部数が極端に少なくて受験生にはほとんど読まれていないから,開き直ったのかもしれない。
→ なお,5冊の教科書では唯一,広義の農業革命を採用していて,農業技術革新・農業の資本主義化・第2次囲い込みを全て含む正確な説明になっている。これも高く評価したい。


【まとめと感想】
今回は東京書籍の記述が最も良く,実教出版の記述も高校の教員が授業で補足するのを前提にすれば特に問題ないと思う。山川の『新世界史』は上述の通りで,個人的にはその潔さを買いたいが,それ以上の評価は難しい。一方,残りの2冊はどうしたんだよとしか言いようがない。君たちそれぞれ堅牢さと新説採用が売りじゃなかったの? 

もう一つ意外だったのは農業革命の定義がばらばらだったことで,広義と狭義に分かれているのは仕方がないと思える範囲だが,広義を採用して正確な説明をしている教科書がよりによって『新世界史』のみというのは厳しい。例によって『新世界史』・『用語集』と『詳説』で仲間割れが発生しているが,今回の仲間割れは流石に直してほしい。世界史が大好きな受験生は割と山川『詳説』と東京書籍・帝国書院,山川『用語集』の4冊を併用して勉強しているイメージがあるが,こと農業革命については大混乱なのでは。

最後に,山川は『詳説』も『新世界史』もノーフォーク農法の説明を徹底して避けている。事実,用語集の頻度は農業革命はА丙蚤腓А砲覆里紡个掘ぅ痢璽侫ーク農法はしかない。つまり,ノーフォーク農法を高校世界史で扱うべきか否かについて,教科書間で意見が割れているということである。以下は私見になるが,「ノーフォーク」という固有名詞は不要だと思うが輪作農法の説明自体は必要であると考えている。なぜなら,高校世界史とは現代の社会の姿を描くために必要な知識・理解を学ぶための科目という側面があり,ノーフォーク農法は現代のヨーロッパで行われている混合農業の出発点だからである。他科目との関連性で言えば,混合農業は地理Bで学習するし,マメ科植物と根粒菌は生物基礎で学習するので,その関連性が切れるのも惜しい(世界史履修者が生物基礎を履修しているとは限らないけど)。現代の人口爆発が窒素肥料に支えられていることを踏まえても輪作農法の用語に現代的価値は十分にあると思うのだが,どうも窒素肥料が軽視されている気がしてならないのである。  
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2020年07月16日

16世紀の「価格革命」を高校世界史教科書でどう説明するか

高校世界史深堀りシリーズ。16世紀の西欧では,その世紀を通じて長期的・持続的な物価騰貴が生じ,最終的に約3〜4倍まで上昇した。これを価格革命と呼ぶ。100年間で3〜4倍では革命と呼ぶには随分と緩やかな物価騰貴であるように思われるが,この物価騰貴はその速度で歴史に残ったわけではなく,様々な影響をもたらしたがゆえに命名されたものである。その影響を高校世界史の内容に沿って列挙してみよう。

 ‥時の封建領主は永代的な固定地代を農民から徴収していたため,物価騰貴に追随できず,相対的に経済的に困窮することになった。
◆‥時の西欧の主要産業の一つに銀鉱山の経営があったが,価格革命は銀価格の下落をもたらしたため,多くの鉱山に一時的な経営破綻をもたらした。これにより没落した名家としてアウクスブルクのフッガー家が有名である。
 持続的なインフレが投機ブームを生んだ。かつ,同時期の商業革命の影響により主な投機先が英仏蘭であったため,これらの地域が近世の商工業の先進地域となる基盤が生じた。
ぁ,海硫然奮很燭賄豌い任牢砲笋だったために,特に農産物において物価に大きな東西格差が生まれた。結果として東欧は西欧向けの穀物生産に特化して,経済的に従属的な地位に自主的に転落していくことになった。

かくのごとく価格革命は歴史的な意義が極めて大きいため,高校世界史での扱いも極めて大きく,入試でも頻繁に出題される。一方,価格革命は発生した原因が確定していないという面白い現象でもある。現在のところ有力な学説は2つある。

・アメリカ大陸から大量に銀が流入したことに原因を求める説
= 比較的古い学説。銀貨は当時の西欧の主要な通貨であったため,スペインは征服したアメリカ大陸で多くの銀山を発見し,採掘した銀を持ち帰って銀貨に鋳造した。当時のスペインはオスマン帝国・フランス・ルター派等と絶え間なく戦争を続けていたため,軍事費という形で銀貨が西欧中にばらまかれた。流通する貨幣量が増えたのだから,貨幣数量説から言ってインフレが発生するのは当然である,とする説。
・西欧の人口増加に原因を求める説
= 比較的新しい学説。西欧の人口は,1340年代のペストの大流行を契機に16世紀に入るまでの間は減少するか停滞するかであった。しかし,16世紀に気候が温暖化すると急速に回復・増加し,それに伴って穀物需要が増加した。そして穀物に引っ張られる形で諸物価も騰貴し,16世紀の100年間は人口増加との両輪でインフレ・スパイラルが続くことになった,とする説。

前者の貨幣数量説的な説明(以下煩雑なので貨幣数量説と表記)は,なんと16世紀当時にはすでに唱えられていたという伝統があり,かのアダム=スミスやケインズ等の歴史上の経済学者たちが支持し,研究に蓄積がある。ただし,貨幣数量説は1950年代以降に本格的な検証が始まり,たとえば「17世紀にもアメリカ大陸からの銀の流入が続いているが,インフレは止まっている」といったように多面的に批判されている。近年では後者の説を取る川北稔に「近年にいたってあますところなく批判され,本来の形を喪失している」とまで言われている。ただし,完全に否定されてきったかというとそうでもなく,「全面的には採用されないけど,影響をゼロに見積もるのは多分無理」というような空気である。一方,後者の人口増加原因説は,工業製品よりも農産物の価格が先行して上昇したことに支えられている。しかし,これはこれで史料の制約もあって単独での立証は難しいようだ。そもそも単独で説明するのではなく,両説が複合して起きたのではないか,という論もある。詳しく知りたい方は,各々でCiNiiで論文探して読んでください。

さて,本稿は価格革命の原因を探りたいわけではなく,どちらを取るかの意思を表明したいわけでもなく,こうした「学界で割れている学説の高校世界史における取り扱い」の研究が目的である。というわけで,いつもの教科書5冊と用語集の比較。なお,歴史的意義についてはほぼいずれの教科書も Ν・い砲録┐譴討い拭△詫儻貊犬里澆傍載あり。

《貨幣数量説的な説明のみを掲載》
・山川『詳説世界史』:「ラテンアメリカの銀山から大量の銀が流入し,ヨーロッパの物価は2〜3倍に上昇した。この物価騰貴は価格革命と呼ばれ」
・東京書籍:「アメリカ大陸から大量の銀が流入して,価格革命と呼ばれる物価騰貴が起こった」
→ 山川の『詳説』は良くも悪くも保守的なので,納得の記述。経済史で先進的な記述の多い東京書籍はちょっと意外。

《人口増加原因説のみを掲載》
・帝国書院:「16世紀のヨーロッパでは人口が増加し,食料や土地の価格が上がり,激しい物価上昇(インフレーション)が起こった。これは価格革命と呼ばれ」
→ 川北先生が執筆陣にいる教科書なので……また,新説大好き帝国書院の性格がそのまま現れたとも言える。

《両論併記》
・山川『新世界史』:「人口が大きく増え,これが生産全般を刺激した一方で,新大陸の銀の流入もあって生産増と価格上昇(価格革命)が両立していた」
・実教出版:「アメリカ銀の大量流入と人口増加により,物価が大幅に上昇した(価格革命)」
(参考)山川「用語集」:「銀の大量流入により起こった」としつつ,「人口増加が価格革命のより直接的な原因とする説もある」と補足。
→ 山川は仲間割れ。『新世界史』の説明は面白いが,高校生が読むにはちょっと固い気も。実教出版の説明は簡素ではあるが,適切な表記であると思う。


【感想】
やはり現状においては両論併記で複合的な原因とするのが最も穏当であり,実教出版の説明が一番優れていると思われた……とだけ最初書いていたのだが「説明不足では」という指摘を受けて再考するに,確かに簡素すぎて高校生が一読しただけでは意味がとれないだろう。ただし,実教出版の教科書は本文外で小麦価格の推移のグラフを載せて補足している点と,帝国書院を除けば他の教科書も結局因果関係を説明しきれていない点を踏まえると,両論併記をしている時点で現状ではやはり相対的に優れていると言っていいとは思う。高校教科書は紙幅が極めて限られているので,どうしても長くなる貨幣数量説の本格的な説明は難しく,そこは教科書を使って教える高校教員の役割になる。その意味で,帝国書院の記述は短い字数で人口増加原因説の因果関係を示すことができていて,これはこれで良い記述であると評価しうる。かえすがえすも両論併記していない点だけが惜しい(ここまで7/16の19時頃に追記)。

山川の仲間割れは面白い。仲間割れというよりも,『詳説』はとにかく堅牢に,『新世界史』は執筆者の好きなように書かせるスタイル,「用語集」で詳細に補足説明,という3冊で分業をしていると言った方がいいかもしれない。東京書籍が両論併記していないのは,その経済史で他の追随を許さないというスタイルからすると,ちょっと残念である。逆に帝国書院はその性格がそのまま出ていて,期待通りの記述ではあった。一応,帝国書院も資料集(タペストリー)では両論併記であったから,これも山川と同じで,イデオロギーを教科書で示しつつも,受験対応の観点から資料集では現実に即した対応という分業体制なのかもしれない。

これは全くの余談だが,パラドゲーの『EU』シリーズは貴金属鉱山を所有していると自国の貨幣がインフレするというシステムがあるが,これは価格革命を再現するために実装されていると思われ,パラドは明確に貨幣数量説をとっているということになる。しかし,上述の通りに人口増加説も有力になってきているので,そろそろこのシステムを廃棄してもいいのでは。  
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2020年06月12日

高校世界史における中世・近世の「琉球王国」問題

久々の高校世界史深堀りシリーズ。先日Twitterでこんなアンケートを取った。回答してくれた方々はありがとうございます。



正解は万国津梁の鐘の制作年が1458年なので,一番上の「1429年〜16世紀前半」が正しい。実際に琉球王国の最盛期はこの時期であるというのが一般的な認識であろう。後述の理由から正解者は少ないだろうと思っていたのでそこはあまり驚きがなかったのだが,こんなに綺麗に解答が割れたのは予想外だった。琉球王国の盛衰については,Call of Histroryさんの次の記事が詳しい。

・琉球王国の興隆と衰退を中心に十六世紀東アジア貿易と島津-琉球外交略史(Call of History)

この記事にもある通り,琉球王国の繁栄の源泉は明朝との朝貢貿易を生かした中継貿易にあった。明朝の海禁政策下(民間貿易の原則禁止)において,海外需要の高かった中国の特産品(絹織物と生糸・陶磁器等)を朝貢貿易の形で大量に獲得し,転売した。代わって日本(硫黄や刀剣類)・朝鮮・東南アジア(香辛料・香木)から特産品を集めて朝貢を通じて中国に献上し,その見返りとしてまた大量の下賜を得る……琉球王国はこの繰り返しで莫大な収益を上げていた。こうした中国産品と諸外国の特産品の交換センターとなっていた琉球の生業を中継貿易と呼び,その繁栄の誇りを記したものが首里城正殿の鐘,その銘文から通称「万国津梁の鐘」と呼ばれているものだ。

しかし,こうした琉球王国の黄金期は16世紀初頭から状況の変化により崩れ去っていくことになる。明朝の国力が衰えたために海禁政策が弛緩し,東シナ海では後期倭寇による密貿易が活発になっていった。朝貢に頼らず,抜け道で中国産品が手に入るのであれば,琉球を頼る必要はなくなる。さらにポルトガルを筆頭にヨーロッパ船が出現し,高い航海能力と軍事力でこの密貿易に参入していった。1565年頃からは明朝自身が厳格な海禁政策を諦めて緩和し,民間貿易を黙認する方針に切り替えていった。こうして琉球は国際貿易の独占的地位から追い落とされ,1570年には東南アジアとの交易が途絶える。そうして琉球は日中間のみの中継地に変わり,その矢先に1609年の島津氏による侵攻と日中両属体制がある。



さて,なぜ突然こんな話を始めたかというと,2020年の東大の世界史の入試問題でこれに関連する事項が問われたからである。ありがたいことに最近は公式が問題を発表してくれている(pdf注意,p.14-15)。

第1問,問題の要旨は「15〜19世紀末までの冊封体制のあり方と近代における変容」で,追加の条件として事例のうちベトナムと朝鮮を中心にすること,6つの指定語句を必ず使うこと,そして史料A〜Cに論拠の形で必ず言及することの3つがある。問題全体の解説は本記事の本旨ではないので省くが,このうち最後の「史料を論拠として使わせる」のは東大入試で初めての試みであった。このうち史料Aは朝鮮王朝の小中華意識の論拠に,史料Bはベトナムの阮朝がフランスの侵略を受けた時期であってもなお冊封体制を遵守しようとしたことの論拠に使える。そして史料Cは万国津梁の鐘の銘文である。この銘文に見覚えがある受験生は少なかろうが,これは知識を試しているものではない。むしろ知らなくても,一読して琉球王国の最盛期の中継貿易を描写したものと気付けるかどうかを試しているのだ。あまりにも理念先行だった明朝前半の冊封体制が生んだ特異点として琉球王国があり,その論拠に用意されたのが史料Cである。琉球王国の衰退は,理念先行だった明朝の冊封体制が現実的な形に落ち着いていく歴史の一端であり,上手く使えば解答上のアクセントになる。


しかし,この入試問題は思わぬ受験世界史の盲点を掘り起こすことになる。受験生も教える側も大して琉球王国の中継貿易に詳しくないということである。東大入試の分析は需要が大きいので大手の予備校からすでに様々なデータが出ているが,それらを参照するに,受験生の多くは1609年の日中両属以降を琉球王国の最盛期と捉え,史料Cをその論拠に用いたということが推測されている(予備校各社の分析が間違いでなければ)。Twitterアンケートでいうと上から三番目である。作題者もここで躓かれるというのは想定外だったのではないか。

どころか,指導者側が発表しているネット上の解答でもこの史料Cは受験生と同じ誤りを犯したものが多く,むしろ三大予備校の解答以外では正しく使えているものの方が少ないと思われる(一つだけ名指ししておくと,東進さんは解答が修正されており,公開直後は上述の間違いをしていた)。これは大変な手抜きである。受験生が間違えるのはしょうがない。しかし,受験会場の外ではどれだけでも調べようがある。あるいは,調べた上で,16世紀半ば以前・以後の差異が本問の解答上必要であると認識しなかった可能性もある。

冒頭のTwitter上のアンケートはこの受験生の解答状況や塾・予備校の解答速報と,普通の大人との差異があるかどうかを調べたかったのでとらせてもらったものだ。結果はさして変わらないということが判明して有意義であった。なお,普通の大人として,このアンケートに誤答するのは誇れないにせよそこまで恥じるべきものでもない。ちょっと奇妙な仮定になるが,仮に高校以降に得た知識を脳内から消去して,義務教育レベルの歴史の知識とイメージだけで回答しろと言われたら,私も一番上はちょっと選べない(上から二番目を選ぶと思う)。一般教養の問題としては割と難しい部類に入るのではないか。


このような状況を前にして,そういえばそもそも高校世界史の教科書・用語集・資料集の表現はどうなっているのだろうかということが気になりだした。義務教育の段階では触れないか,触れても薄いと思われるので,高校世界史でやらないのなら,1609年以前以後の判断は受験生には不可能である。同時に本問も,例の企画で言うところの「範囲外の難問」ということになり,無理な要求だったということになる。

ということでいつもの比較である……のだが,実は面白みの無い結果に終わった。受験用世界史Bの教科書5冊のうち,山川の『新世界史』を除く4冊はほぼ横並びで同じ記述であったからだ。以下に一応書き並べる。(非受験用Bの2冊とAは需要があるなら後で調べて追記します)

【山川出版社『詳説世界史』】
◯「琉球が15世紀に明との朝貢貿易を活用した中継貿易で繁栄した」という記述あり。
◯一方,衰退過程については記述なし。次に登場するのは島津氏の侵攻。

【山川出版社『新世界史』】
◯本文の記述は概ね『詳説』と同じ。
◯ただし,コラムで「琉球とマラッカ」の枠が大きくとられていて,琉球もマラッカもポルトガルの出現や明の朝貢体制の弛緩で衰退したことが詳述されている。このコラム中でポルトガルや後期倭寇の出現は,海上交易に軍事力が必要になる時代の到来だったこと,そして「琉球やマラッカのような小国は,そのなかで自立して生きていくのが困難だった」と指摘しており,これは名文と言っていい。

【東京書籍『世界史B』】
◯概ねは山川の『詳説』と同じ。
◯15世紀の繁栄の記述は詳しく,「那覇港に多くの福建系中国人が移住」「那覇は首里の外港として繁栄」という記述もある。
◯コラムで「江戸幕府は,琉球を通じて明との国交回復を図った」という記述があり,このコラムは面白い。

【実教出版『世界史B』】
◯これも盛衰の記述は概ねは山川の『詳説』と同じ。日本史の記述がかなり厚いことに特徴がある教科書なだけに,やや意外である。
◯一応,教科書上15〜17世紀のユーラシアを「第二次大交易時代」と定義した上で,「その前半の主役は,琉球とマラッカ」という書き方をしているから,後半には主役ではなかったという読みは一応可能である。明示的とは言えないが。

【帝国書院『新詳世界史』】
◯こういう時に新鮮な記述が多い帝国書院ではあるが,今回は山川『詳説』と大差の無い内容。
◯那覇港と福建系中国人に言及がある点は東京書籍に似ている。


この状況を加味して東大の問題に戻ると,史料Cを15世紀の琉球王国の中継貿易の論拠として使うことを要求するのは,範囲内の出題として適正と言えよう。それ自体はいずれの教科書にも記述があるのだから。しかし,教科書が琉球王国の衰退を明示していないために,1609年を過ぎても琉球はまだ15世紀と同じ繁栄をしているという勘違いが受験生に広がっていたというのは,教科書執筆者の皆さんも,東大の作題者の方も,全くの想定外だったのではないだろうか。各教科書会社には,琉球の衰退にも触れるのをお勧めしたい。

ここで一種の種明かしになるのだが,この東大世界史の第1問の作題者は川島真氏と推定されており,川島先生は東京書籍『世界史B』の執筆者の一人である。ただし,実際に彼が書いたのは近現代の東アジア史の部分と思われ,前近代は佐川英治氏が書いたと推測される。自分の専門領域以外の部分にどの程度かかわれるかは教科書会社によって異なるらしいのでなんとも言えないが,少なくとも東京書籍の琉球の15世紀の繁栄の詳しい記述を読むに,「史料Cを用意してあげれば,琉球王国の繁栄へのヒントは十分だろう」と判断するのは納得できる。もっとも,上述のような勘違いが蔓延しているなんてことは想定していなかっただろうが。

また,教科書の記述がこうなのであれば,受験生の側にも過失があると言わざるをえないと思う。教科書を”素直に”読むというのは学ぶ者の態度として重要であり,素直な理解があれば,解答作成中に「そういえば16世紀の琉球王国って習った覚えがない」ということに気づき,知らないことは解答に書かないことにすれば,史料Cと島津氏の侵攻を結びつけるという愚行には至らないはずである。

なお,もののついでで日本史も調べてみたが,世界史と記述に大差は無かった。資料集のレベルだと万国津梁の鐘の銘文が記載されていたり,東南アジアとの貿易は1570年を最後に途絶したという説明がされていたりするものもあったので,そこまで見れば世界史よりややマシな状況かもしれない。現代史における沖縄県の立場を考えると,記述が薄いのは日本史の方が問題なのではないか。
  
Posted by dg_law at 13:30Comments(11)

2020年03月19日

2020受験世界史悪問・難問・奇問集(おまけ)

以下はおまけ。良問と思った問題か,紹介・コメントしたくなった問題,コメントしておいた方がいい問題を並べておいた。書くのが遅れた分,ちょっと長めに。


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2020年03月15日

2020受験世界史悪問・難問・奇問集 その3(国立大)

本日はセンター試験と国立大(全部名古屋大)。おまけは間に合わなかったので、別日に更新します。みどころはやはりセンター試験で,かなり真面目に論じているので是非とも読んで意見が欲しい。

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Posted by dg_law at 17:00Comments(13)

2020年03月14日

2020受験世界史悪問・難問・奇問集 その2(早稲田大)

本日は早稲田大。見どころは22番の教育学部の問題と,30番の政経学部の問題。どちらも受験世界史に残る問題となったと思う,それぞれ違う意味で。


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2020年03月13日

2020受験世界史悪問・難問・奇問集 その1(上智大・慶應大)

今年も無事に公開に至ることができた。協力してくれる方々に感謝を申し上げたい。今年は通常の校正者以外の手も借りないといけなくなるような問題もなく,比較的スムーズに進行した。

<収録の基準と分類>
基準は例年とほぼ同じである。

出題ミス:どこをどうあがいても言い訳できない問題。解答不能,もしくは複数正解が認められるもの。
悪問:厳格に言えば出題ミスとみなしうる,国語的にしか解答が出せない問題。
→ 歴史的知識及び一般常識から「明確に」判断を下せず,作題者の心情を読み取らせるものは,世界史の問題ではない上に現代文の試験としても悪問である。
奇問:出題の意図が見えない,ないし意図は見えるが空回りしている問題。主に,歴史的知識及び一般常識から解答が導き出せないもの。
難問:一応歴史の問題ではあるが,受験世界史の範囲を大きく逸脱し,一般の受験生には根拠ある解答がまったく不可能な問題。本記事で言及する「受験世界史の範囲」は,「山川の『用語集』に頻度,任發いいらとりあえず記載があるもの」とした。


<総評>
早慶上智の総数は2019年の37個から激増して50個となった。実は2017〜19年は40個を割っていて,特定のいくつかの学部を除くと慎重に作っている体制が見受けられ,本企画も社会に微力ながら貢献したかなと思っていたのだが,今年は見事に反発した。後述するが,これには予想される要因がある。

2020年の最大のトピックは,上智大のほぼ全日程と,早稲田大の政経学部・国際教養学部の世界史入試が今年で最後であること以外に挙げようがない。そう,最後だった上智大と早稲田の政経がすごかった(国教はおとなしかった)。数が跳ね上がった要因はこれで,思いついた問題をとにかく詰め込んだという印象を受けた。「最後かもしれないだろ,全部(受験生に)伝えておきたかったんだ」という熱いメッセージを感じる。FF10かな?

とはいえ,ワーストの日程を挙げると慶應の法学部になり,慶應は13個のうち9つが法学部であった。早稲田の政経学部も6つと多かったが,良問もあって全体的な印象は悪くない。しかし,慶應の法学部は端から端まで問題が工夫がない&つまらない&難しいの地獄で,収録しなかった問題も含めて印象は極めて悪い。しかも慶應大の法学部は2017・2019・2020年と直近4年で3度ワーストの日程になっていて,私大最悪の地位を早稲田の社学から完全に奪い取った。おめでとう。

なお,それはそれとして今年のスターは早稲田大・教育学部である(2日目に公開)。今年にしかできない見事な出題ミスをやってくれたので,ご確認願いたい。また,昨年に引き続き,早慶上智のいずれも公式解答例を公開していたのだが,上智ではそれによる新たな問題も発生した。これもご確認願えればと思う。国立は一橋大がおとなしく,収録はセンター試験と名古屋大だけとなった。センターの出題ミスはかなり真面目に論じている。


以下,上智大と慶應大。上智の最後の汚い花火っぷりと(特に7番),慶應・法学部の地獄のロードをお楽しみあれ。

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Posted by dg_law at 18:00Comments(27)

2020年03月03日

2020年東大・日本史の第3問についての考察

例の企画(執筆中)に先立ちまして,日本史の問題を個別にちょっとだけ取り扱う。日本史であるということ以上に難問でも悪問でもないというのと,これは単体で扱ったほうが面白いと判断したためである。単に小ネタというのもあるけど。

そういうわけで,今年の東大の日本史の第3問。問題を打ち直すのはさすがに面倒なので問題はリンクでご勘弁願いたい。問題自体はさして難しくないというか,東大の日本史らしい史料読解問題。Aは史料(1)・(2)・(4)から,実務は幕府担当で,名目上は日本の統治者である天皇の朝廷が儀式面を執り行ったということが読み取れる。(4)は朝廷が実務を担当しようとしたら実力不足で失敗した事例として読めばよい。江戸幕府は「武家政権はあくまで実力を認められて朝廷から統治を委任されている」という自意識が強く,それを何かに付けてアピールする癖があるというテーマは東大の日本史が好むところで,過去問を少なくとも10年分くらいは解いてきていることが期待される受験生には,模試も含めて飽きるほど見たテーマであろう。

で,Bの方。こちらも史料(1)・(3)・(5)を読むと,中国の科学の導入→漢訳洋書(蘭書)の導入→直接蘭書を輸入・翻訳と三段階に移り変わっていくのがわかる。漢訳を挟むよりも直接翻訳した方が正確な情報であるから,学問上その方が適していると考えるのは自然なことだ。つまり,これは科学的正確性を求めて学問の導入元が動いていく話,としてまとめることができる。(4)については,(3)にあるような西洋の学問由来の改暦を嫌った勢力の横槍が入った事例であり,同時に(4)の時代の段階ですでに漢訳洋書の知識は広く普及し始めていたことも示しているが,それらが読み取れなくても解答は作れるだろう。あとは「幕府の学問に対する政策とその影響」という要求通りに享保の改革における洋書の輸入緩和・実学(蘭学)奨励を盛り込めば十分な解答が完成する。実際,どこの予備校の解答もこんな感じであるし,作問者の想定する正解もこれで間違いないだろう。


……というのはあまりにも普通すぎる話で,本ブログで取り上げるからにはここで終わらない。というよりも本ブログの読者であれば,「元の暦」=授時暦の時点でピンと来たかもしれない。東大が地歴2科目を課していて,実際には日本史・地理という組み合わせの受験生はそれほど多くないことを踏まえると,受験生が世界史の知識を援用して解答を作ってくることは十分に想定されうるわけだ。そして,世界史の知識をもって本問を見ると少し違うテーマと解答が浮かび上がってくる。まず,以前に本ブログでも論じたことがあるように授時暦はイスラーム天文学の影響下にある太陰太陽暦である。そうして(1)を見直すと,世界史の熟練者ならもう1つ,とんでもないことが書いてあるのに気づくはずだ。そう,しれっと書いてある「明で作られた世界地図」。これは「坤輿万国全図」のことなので制作したのはイエズス会士のマテオ=リッチである。ちなみに,日本最古の地球儀を製作したのは渋川春海で,参照したのはやはり「坤輿万国全図」だったりする。

とすると,これは(1)の意味が全く変わってくる。実は渋川春海が参照した情報の時点ですでに純粋な中国科学ではなく,広く言って非中国圏に由来する科学である。とはいえ授時暦を作ったのは中国人の郭守敬であるというのは当然留意すべきだが,同様に結局中国人自身が優秀すぎる授時暦を持て余して大統暦という改悪を行ったという事実もまた留意すべきだろう。こうしたことから,(1)と(3)は非中国圏科学の漢訳による間接的な摂取という点であまり差異が無くなってしまう。差分はスピード感である。授時暦の制作は渋川春海から見て約400年前,「坤輿万国全図」にしても約80年前になる。授時暦は古くから知られていたし,「坤輿万国全図」は江戸幕府の初期には輸入されたとされているので,いずれも渋川春海が活用した時点で古びた情報になっていた(それでも正確性が評価されていた授時暦はオーパーツか何かかな?)。一方,享保年間に輸入が緩和された漢訳洋書はもう少しタイムラグが無い。(3)に出てくる『天経或問』は,さすがに全く知らなかったので調べてみたら,中国で書かれたのが1675年のことだそうなので,1730年の輸入となると55年まで縮まる。さらに別の事例を挙げると,『暦算全書』なる書物は1723年に清朝で刊行,1726年には輸入されているので,漢訳から輸入までのタイムラグはほぼ消滅している。こうなるともう漢訳を挟まず直接訳した方が,中国人の翻訳を待つ間のタイムラグさえも消滅するので手っ取り早い。ついでに言えば,18世紀前半には雍正帝が中国におけるキリスト教布教を全面禁止してしまって,清朝の西洋科学摂取が鈍くなっていく時期になるので,もう漢訳洋書には期待しづらいという時代の変化もあった。


そう,世界史的な観点からこのBの解答を出そうとすると,科学的正確性を求めて学問の導入元が動いていく話ではなく,世界最先端の科学にキャッチアップする速度が上がっていく話に様変わりしてしまうのだ。実際,受験生には世界史・日本史の両方の知識がある以上,このような解答を作ってきても不思議ではないように思われる。「坤輿万国全図」のことに気づいてしまったら,解答の1行目に「当初の改暦は中国の科学に依拠したが」なんて書きづらくなってしまうだろう。東大の採点はそこまで拾って採点してくれるとは思うが,前述の通り,当初から正解として想定していたとも考えづらく,ちょっと驚いているのではないか。

なお,もう解答には関係ないことを前提に話を広げるなら,授時暦の13世紀と18世紀の間には西欧の17世紀科学革命が挟まっていることや,前述の清朝の宗教政策の変化,オランダの長崎貿易を含んだ国際貿易政策の変化等,本問には世界史にかかわるフックが多く潜んでいる。高校日本史と世界史の融合が目指されている昨今の情勢ではあるが,本問はその面白さと,同時にそれを大学人が行う難しさを伝えているように思われる。  
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2020年02月01日

『物語 オーストリアの歴史』のまずい点について簡潔に




山之内克子先生は『ハプスブルクの文化革命』が大変な名著で,『物語 オーストリアの歴史』も面白く読んだ。ドイツの美術史をやっていた人間としては,アンゲリカ・カウフマンに触れてくれたのは,本書がオーストリア各州の地方史の集成であることを考えると当然であるとはいえ,大変に嬉しかった。

・SNSの時代に本を書くということ・・・新書「ヒトラーの時代」に思う(yoshiko Yamanouchi|note)
→ その上で言うと,この説明はちょっと受け入れがたい。そのTwitter上で指摘されていたように,「一次史料との兼ね合い等の事情から,本書では「オスマン・トルコ」で統一する」と冒頭に注意書きを入れておけば解決した話であり,そうしなかった以上は著者・編集者側の落ち度であろう。どちらかというと,そうした注意は編集者が払うべきであるので編集者の過失の方が大きい。なので,このnoteで「校閲のレベルが高かった」と言われても,「オスマン・トルコには注釈が必要ないですか?」という指摘を入れられなかったという推測が成り立つために説得力が薄い。あるいは校閲からそういう指摘があっても先生ご自身が無視したかいずれかになるのだから,その場合は余計にまずい。

……というのが実はちゃんと読了する前までの感想で,本書はそれ以外にも用語の使い方等でまずい点が見られ,このnoteの記事の言い分はかなり苦しいと思う。オスマン・トルコ以外にも言い方が古いor勘違いしていると思われる箇所が散見される。用語の不統一もある。むしろオスマン・トルコ以外にあまり指摘されていないのが意外なくらい。自分では確証が無いものと,単なる校正ミスも含めると,自分が気づいたのは以下の通り。

p.19,73他 アウスブルク → アウスブルク
p.36 ヤン・ソビエキ → ヤン・ソビエ
p.72-73 マジャールとマジャールが混在。
p.72 遊牧民”族”という言い方はとがめるほどじゃないがやや気になる
p.79 サポヤイ・ヤノーシュ → サポヤイ・ヤーノシュ
   ※ 私はハンガリー語に詳しくないので,ヤノーシュでも問題ない可能性もある。発音記号やforvoで聞いた限りで,少なくとも現代ハンガリー語ではヤーノシュ。
p.152 オットカール・プシェミスル
   → このままでもいいが,オットカールがドイツ語なのにプシェミスルがチェコ語なのはやや違和感ある。オットカールはオタカルの方がいいのでは。
p.185 皇太子フランツ・フェルディナント → 帝位継承者フランツ・フェルディナント
   ※ ドイツ語で皇太子(Kronprinz)と帝位継承者(Thronfolger)は別の単語であるから,専門家はきっちり訳し分ける傾向が強いように思う。私自身はさしてこだわりが無いが。


アウクスブルク等は先生ご自身が指摘されて直さないということが絶対に無いものであるから,校閲から漏れてしまったのだろう。それだけに,中公新書の校閲は本当に機能していたの? という疑念はどうしてもわいてしまう。そして一点だけ,こうした用語の古さが認識に影響を与えていると思われる点がある。p.408。

>「トルコ軍がふたたびウィーン盆地に宿営を貼るのは,それからおよそ一世紀半後,1683年になってからのことだった。このとき,第19代皇帝メフメト4世の治世下,すでにオスマントルコ帝国は斜陽の時代を迎えようとしていた。国勢回復の最後のチャンスを宿敵ハプスブルク家との戦争に見出そうとした大宰相カラ・ムスタファは,同年3月,15万人の兵を擁してアドリアノープルから西進を開始したのだった」

解説するまでもない気もするが念のため,「斜陽の時代を迎えつつあった」のは当時の帝国の内実やその後の展開を知っている現代人の認識としてまだ誤りとは言い切れないが,当時の人間の認識として第二次ウィーン包囲が国勢回復の最後のチャンスだったというのは誤りと言っていいだろう。なにせ第二次ウィーン包囲の直前がオスマン帝国の最大領域で,まだ押せ押せで各地に侵攻していた時期なのである。詳しくは同じく中公新書から出ている『オスマン帝国』(小笠原弘幸,2018年)を参照のこと。





内容が大変に面白いだけにこうした細々とした指摘をしなければならないのは残念である(そう,これらの指摘のほとんどは細々としている!)。言うまでもないが人間に校正ミスはつきもので,どんなに注意しても大人数をかけてもなくならないものはなくならない。私も単著を出しているのでそれは重々知っているから,よほどのもの以外は気にしないようにしている。だからこそ,そういうのを”多くの人に気にさせてしまう”,着火点としての「オスマン・トルコ」の表記は対処すべきものであった。改めてそう思ったのでこの記事を書いた次第である。  
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2019年04月29日

世界史用語集から消滅した用語ver.2019

山川出版社の『世界史用語集』はほぼ毎年出版されているが,大規模な改編があった場合は改版,ミクロな改編しかなかった場合は増刷という使い分けをしている。ただし,正確に言えば改版は刷数をリセットして第1版に戻すということをやっているので,改版ではなく再出版になるのだが,まあそこは置いといて。改版になるのは学習指導要領が変わったタイミングになることが多いが,そうでなくともたまに改版している。ちなみに,第1刷のみタイトルが『世界史用語集』で,第2刷以降は『世界史用語集 改訂版』という書名になるという小ネタがある。書店では最新版以外が売っていることはまずないが,Amazon等で注文する際はタイトルと発行年をちゃんと見ないと無駄に古いものを買うことになるので注意が必要だ。たとえば現行の『世界史用語集』は2014年に刊行,『世界史用語集 改訂版』は2018年12月刊行である。

さて,その2018年12月に出版された現行で最新の用語集も,学習指導要領が変わったわけではないので増刷扱いだったのだが,実は改版扱いにしてもよかったくらい,けっこう中身が変わっていた。特に目立ったのが収録用語の減少と1用語あたりの説明の増加で,あまりにも減っていたので気になって何が減ったのかリストアップしてみた。これを以下に示す。また,逆に増えた用語も少数ではあるが存在しているので,これもリストアップした。全体として,
◯無駄に立項されていた用語を削除した
◯近年の入試にないと思われる用語を削除した
という方針であったことが読み取れる。前者はたとえば「任那」と「加羅」が並列しているのは明らかに無駄であったのを,「加羅」のみ立項して任那を項目としては削除し,加羅の説明文内で任那に触れる形に変えた,というような形である。下のリストで「◯◯に吸収」と注記しているものはこのパターン。これは用語集としては小さいながらも改善で,支持したい。なぜなら,受験世界史においては立項されているかどうかに大きなウェイトがあり,立項されている用語を問うのは完全なホワイトだが,項目内の説明文でしか触れられていない固有名詞を問うのは,範囲外とは言われないにしても過剰に細かいと指摘されうる行為になるからだ。そうでなくとも,あまり細かく項目が分けられていて,しかもほぼ同じ説明が連続で並んでいるのは辞書としての利便性が低い。

ただし,今回の改訂は難関私大には逆に悪用される恐れはあり,「用語集には立項されていないが,説明文にはあるからセーフ」「用語集では一切触れられていないが,記載のある教科書があるからセーフ」というような範囲内と範囲外のグレーゾーンをうろうろしやすくなってしまったのは確かで,2020年の入試で注視する必要がある。

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2019年03月17日

2019受験世界史悪問・難問・奇問集 その3(国公立大)+おまけ

その2から。国公立大とおまけ。おまけは『新世界史』の用語特集。

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2019年03月16日

2019受験世界史悪問・難問・奇問集 その2(慶應大の残り・早稲田大)

その1から。2019年の早慶上智でワーストの慶大法学部と,早稲田大。

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2019年03月15日

2019受験世界史悪問・難問・奇問集 その1(上智大・慶應大の途中まで)

今年も無事に公開に至ることができた。協力してくれる方々に感謝を申し上げたい。まあ,事情が複雑すぎて解説を書くのが追いつかなかったものが今回は2問ほどあるのだが……

・収録の基準と分類
基準は例年とほぼ同じである。

出題ミス:どこをどうあがいても言い訳できない問題。解答不能,もしくは複数正解が認められるもの。
悪問:厳格に言えば出題ミスとみなしうる,国語的にしか解答が出せない問題。
→ 歴史的知識及び一般常識から「明確に」判断を下せず,作題者の心情を読み取らせるものは,世界史の問題ではない上に現代文の試験としても悪問である。
奇問:出題の意図が見えない,ないし意図は見えるが空回りしている問題。主に,歴史的知識及び一般常識から解答が導き出せないもの。
難問:一応歴史の問題ではあるが,受験世界史の範囲を大きく逸脱し,一般の受験生には根拠ある解答がまったく不可能な問題。本記事で言及する「受験世界史の範囲」は,「山川の『用語集』に頻度,任發いいらとりあえず記載があるもの」とした。


総評
早慶上智の総数は2018年の36個とほぼ同数の37個となった。ただし,昨年との大きな違いが2つ挙げられる。まず,この37個のうち8つを慶應大法学部が占めているという点で,慶應大は特定の学部だけ火を噴くという現象があって,たとえば2017年の法学部・2016年の商学部がそれに当たる。しかも慶大が多い年は早稲田大が比較的少なくて総数の帳尻があってしまうという。実は示し合わせてるんですかね。実際に大学別に比較すると上智が10→9,早稲田が19→16,慶應が7→12となっている。

もう1つは教科書からのコピペが目立ったことである。確かに教科書からコピペしておけば「教科書にもこう書いてあるし」と言い訳が立つ。しかし,これは大きな問題が3つある。まずは当然,本当にそれで著作権的にOKなのかということ。次に,教科書だってミスはあるし,正誤判定問題に使う文は,ある意味で教科書より厳しい水準である必要が出てくるが,おそらくコピペする人にはその自覚が無いということ。これは今回いくつかの実例を載せているので,参照されたい。3つ目に,特定の教科書からコピペした場合,その教科書を読んでいる受験生にしか解けない可能性が出てくるということ。しかも,それを自覚的にやっている可能性が高いから悪質である。本企画では散々言っているが,現実的に受験生が複数の教科書を読みこなすことには限界があるし,金銭的負担を押し付けることになる可能性もある。発行部数の少ない教科書になると地方では入手不可能性すら出てくるから,地域格差の問題まである。そのハードルの上げ方は教育者として本当に適切か,ご再考願いたい。

今年の大きな受験業界の動きとして,大学による公式解答発表が大きく進んだというのがある。早慶上智がそろって公式解答発表に踏み切ったので,私は非常に驚いている。早稲田は学部にもよるがけっこうすんなり出題ミスを認めるし,こういうところで先進的な面があるからあまり驚かなかったが,慶應と上智がやるとは思っていなかった。こちらとしては検証が非常に楽になるので,歓迎したい。


以下,上智大と慶應大の途中まで。なお,上智1番が解説を書くのにかかった時間から言えば今回で最大なので,最初からクライマックスだったりする。
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2019年02月26日

世界史上の諸君主の出題頻度グレーディング:番外編・アメリカ大統領

米帝の君主なので番外編ではないと言えなくもない(ぐるぐる目)

基準はこれまでと同様に以下の通り。

A:基礎知識。センター試験世界史B以上の入試を受けるなら知ってないとダメ。
B:国立二次・MARCH以上の私大を受けるなら必要。
B-:教科書に載っていて用語集頻度もそれなりに高いが,便宜上掲載されているという色彩が強く,実際には入試にはほとんど出ない。ネルウァが好例。
C:高校世界史範囲内・外のグレーゾーン。用語集頻度が低いか掲載されていないもの,または旧課程では範囲内だったもの等,早慶上智対策としてなら見るもの。
D:高校世界史範囲外だが,早慶上智でなら見たことがある。満点が欲しいなら覚えてもいい(が当然推奨しない)。
E:完全な高校世界史範囲外で,早慶上智ですら10年に1回未満のレベルでしか見たことがない。

視認性を高めるために,グレーディングのアルファベットに沿って☆を付した。Aなら6個,Eなら1個である。ズレがあったら☆の数の方が間違いなのでアルファベットの方を信じてほしい。意外と思われそうな人は赤で表示した。また,感覚には個人差があるので☆半分くらいは異論があると思われる。特に綿密にデータを収集してデジタルな判断をしたわけではないので,DとEの差については多く異論がありそうだが,そこはご寛恕いただきたい。以下,本編。


《建国〜19世紀前半》
大統領名グレーディング
ワシントン     A☆☆☆☆☆☆
ジョン=アダムズ  D☆☆
ジェファソン    A☆☆☆☆☆☆
マディソン     D☆☆
モンロー      A☆☆☆☆☆☆
J.Q.アダムズ    E
ジャクソン     A☆☆☆☆☆☆
ビューレン     E
W.ハリソン     E
タイラー      E
ポーク       E

本当は次のテイラーまでが19世紀前半なのだが,切れ目が悪いのでこうさせてもらった。ワシントンとジェファソンは当然のA。ワシントンは当たり前すぎて聞かれないかと思いきや,独立戦争時の植民地軍総司令官という角度で出ることがある。ジェファソンは全大統領で最も出題頻度が高いと思われる。アダムズは両方とも出てるのをほとんど見たことがない。一応第2代の方だけDにしておいた。マディソンはどこかの私大で米英戦争時の大統領で見た記憶があったような。モンローは当然モンロー宣言。フロリダ買収とミズーリ協定も彼の時代だが,こちらで聞くことはめったに無い。ジャクソンは男性白人普通選挙の普及と先住民強制移住法でよく出題される。そこから後ろはマイナー。ポークはテキサス併合・オレゴン併合・米墨戦争の大統領だが,全く見たことがない。


《19世紀後半》
大統領名グレーディング
テイラー     E
フィルモア    C☆☆☆
ピアース     E
ブキャナン    E
リンカン     A☆☆☆☆☆☆
A.ジョンソン   E
グラント     C☆☆☆
ヘイズ      E
ガーフィールド  E
アーサー     E
クリーヴランド  E
B.ハリソン    E

比較的マイナーな大統領が続く。B以上だとリンカンの次はマッキンリーまで出てこないし,リンカンは常識として知っているので,ほとんどの受験生からするとアメリカ大統領を全く覚えなくていい時期というイメージだろう。フィルモアは誰だよと思う人と,有名人じゃんと思う人で綺麗に分かれそう。ペリーが持ってきた親書の署名がこの人で,むしろ日本史では頻出(B以上にはなる)。A.ジョンソンはアラスカ買収,南北戦争の戦後処理の大統領だが入試には出ない。この人が南部に融和的すぎて黒人解放が中途半端になったのはアメリカ史としてはそれなりに重要だろうが,高校世界史で扱うものではないと思うのでEで妥当だろう。リー将軍で用語集頻度 グラントは南北戦争の説明文に出てくるのみ。一応CにしておいたがDでもよく,無理に覚えるものではないと思う。


《20世紀前半》
大統領名グレーディング
マッキンリー         A☆☆☆☆☆☆
セオドア=ローズヴェルト   A☆☆☆☆☆☆
タフト            B☆☆☆☆☆
ウッドロー=ウィルソン    A☆☆☆☆☆☆
ハーディング         B☆☆☆☆☆
クーリッジ          C☆☆☆
フーヴァー          A☆☆☆☆☆☆
フランクリン=ローズヴェルト A☆☆☆☆☆☆
トルーマン          A☆☆☆☆☆☆

激動の20世紀前半。最低でもCと全体的に頻出で,またさる方が四選したせいで人数自体が少ない。最初の二人は頻出。マッキンリーは米西戦争で出すか,セオドアの業績に混ぜ込んで誤文にする。セオドアは棍棒外交かパナマ運河かポーツマス条約か。タフトは1グレード下がるが,下がり方がちょうどよく,Bの代表例と言えるだろう。ドル外交で聞くのが普通。桂・タフト協定で聞く大学はさすがに稀。ウィルソンは言うまでもなし。黄金の20年代の二人は意外にも評価が難しい。ハーディングは一定以上の大学だとワシントン会議の主催で頻出だが,実は用語集頻度が△靴ない。クーリッジの方がで高いが,実際の入試でクーリッジが問われるのは難関私大にほぼ限られる。用語集頻度と出題頻度が比例しない良い例であると同時に,どうせハーディングとフーヴァーを覚えないといけないから間が空いていると気持ち悪いという理由で実質的な扱いはBランクという不思議な人でもある。最後3人は言うまでもなかろう。


《20世紀後半〜》
大統領名グレーディング
アイゼンハワー B-☆☆☆☆
ケネディ    A☆☆☆☆☆☆
L.ジョンソン  A☆☆☆☆☆☆
ニクソン    A☆☆☆☆☆☆
フォード    D☆☆
カーター    B☆☆☆☆☆
レーガン    A☆☆☆☆☆☆
ブッシュ(父) A☆☆☆☆☆☆
クリントン   B☆☆☆☆☆
ブッシュ(子) A☆☆☆☆☆☆
オバマ     A☆☆☆☆☆☆
トランプ    ???

おそらく予想通り過ぎて盛り上がりに欠ける。アイゼンハワーは意外と聞き所がない。ノルマンディー上陸作戦かジュネーヴ4巨頭会談か。キューバとの断交で聞くのは勘弁してほしい。フォードさんはね……うん……用語集未収録です。ただ,マイナー界のメジャーなので,出題されたら(聞き方にもよるが)意外と正答率高そう。カーターは一応Bにしたし,私大・国立二次組は覚えるところだろうが,出題頻度はそう高くない。レーガン・ブッシュ(父)はどっちがINF全廃条約でどっちがマルタ会談だっけ? となるやつ。レーガノミクスで問われることは少ない。

クリントン以降はまだ歴史的評価が定まっていないから出題があまりない,という感じ。クリントンは現状だとBでよいだろうが,遠くない未来にCに下がりそう。NAFTA成立・セルビア空爆・オスロ合意とあるものの,それぞれ「クリントンが」というイメージの無さが足を引っ張り,現状でもセットで問われることがあまりないためである。一応オスロ合意に関連しての出題は見覚えがある。ブッシュ(子)は今年の慶應・経済で「悪の枢軸」演説で問われていたが,あれはレアケース。911事件・アフガン侵攻・イラク戦争があるのでおそらく出題され続ける。オバマは「核なき世界」演説で過去に二度出題があり(2013年慶應大・2016年明治大),それ以外だと初の黒人大統領&キューバとの国交回復が間違いなく高校世界史に載るので,おそらく今後も出題され続け,Aのままと思われる。


あとはFGOのサーヴァントな。私がFGOを全くやっていないので,本当にやるなら補助が必要かな。
  
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2019年02月11日

世界史上の諸君主の出題頻度グレーディング:中国王朝編(五代〜清)

五代から清まで。おまけとして中華民国以降。

基準はこれまでと同様に以下の通り。

A:基礎知識。センター試験世界史B以上の入試を受けるなら知ってないとダメ。
B:国立二次・MARCH以上の私大を受けるなら必要。
B-:教科書に載っていて用語集頻度もそれなりに高いが,便宜上掲載されているという色彩が強く,実際には入試にはほとんど出ない。ネルウァが好例。
C:高校世界史範囲内・外のグレーゾーン。用語集頻度が低いか掲載されていないもの,または旧課程では範囲内だったもの等,早慶上智対策としてなら見るもの。
D:高校世界史範囲外だが,早慶上智でなら見たことがある。満点が欲しいなら覚えてもいい(が当然推奨しない)。
E:完全な高校世界史範囲外で,早慶上智ですら10年に1回未満のレベルでしか見たことがない。

視認性を高めるために,グレーディングのアルファベットに沿って☆を付した。Aなら6個,Eなら1個である。ズレがあったら☆の数の方が間違いなのでアルファベットの方を信じてほしい。意外と思われそうな人は赤で表示した。また,感覚には個人差があるので☆半分くらいは異論があると思われる。特に綿密にデータを収集してデジタルな判断をしたわけではないので,DとEの差については多く異論がありそうだが,そこはご寛恕いただきたい。また,中国王朝に特別のルールとして,当然Eと思われる人物は省略した他,D以下しかいない王朝は王朝名自体を出さずに省略した。でなければ煩雑になりすぎる。以下,本編。


《五代・北宋・南宋》
君主名グレーディング
朱全忠     A☆☆☆☆☆☆
石敬瑭     C☆☆☆
趙匡胤(太祖) A☆☆☆☆☆☆
太宗      B-☆☆☆☆
真宗      D☆☆
神宗      B☆☆☆☆☆
徽宗      A☆☆☆☆☆☆
欽宗      B-☆☆☆☆
高宗      A☆☆☆☆☆☆

朱全忠はまあ。一問一答で問われた際に朱温と答えてもバツにはならないと思うが,趣味以上の意味はない。石敬瑭はDでもいいかも。五代で唯一Eではないのは,燕雲十六州割譲のため。2018年の入試で彼を含めた五代建国者の多くの出自が突厥沙陀であったことが名古屋大で問われ,我々の度肝を抜いた。用語集の片隅に書いてあるので正式収録とはしなかったが,国立大であるし正式収録でもよかったかも。太宗は北宋の領土を完成させた人物で,用語集頻度ァい靴も趙匡胤とのひっかけ問題が作りやすそうな人物であるが,不思議と入試では見ない。こうしてみるとまだまだ意地悪な問題の種は潜んでいるものだ。真宗は澶淵の盟の時の皇帝だが,出題は極めて稀。神宗は唐の徳宗と同様,普通は王安石の方を聞く。とはいえ,唐の徳宗よりは出題頻度が高い。欽宗も普通は徽宗の方を聞く。「徽」の字は非常に厄介で受験生に嫌われるところ。南宋は高宗の一人だけ。


《遼・金・元》
君主名グレーディング
耶律阿保機(太祖)A☆☆☆☆☆☆
耶律堯骨(太宗) E
聖宗       D☆☆
耶律大石     A☆☆☆☆☆☆
完顔阿骨打    A☆☆☆☆☆☆
チンギス=ハン A☆☆☆☆☆☆
オゴタイ=ハン A☆☆☆☆☆☆
グユク=ハン  C☆☆☆
モンケ=ハン  B☆☆☆☆☆
フビライ=ハン A☆☆☆☆☆☆
仁宗      D☆☆

遼の耶律堯骨は燕雲十六州を得た時の皇帝だが,入試で見たことはない。聖宗は澶淵の盟の時の皇帝。恐ろしいことに,耶律堯骨も聖宗も旧課程では範囲内だった。やはり旧課程は何でも載せすぎである。金は完顔阿骨打一人。なお,省略したが西夏も李元昊一人である。

元に移り,チンギス・オゴタイ(オゴデイ)・フビライ(クビライ)は説明不要だろう。モンケはフラグ(フレグ)の西アジア派遣と,ルブルックとの謁見で出題があるが,センターレベルかというと疑問。そして3代のグユクはこの5人で唯一用語集に項目が立っていない。出題もプラノ=カルピニに謁見した以外のものを見たことがない。まあ,在位短いし。プラノ=カルピニはワールシュタットの戦いの後にモンゴル帝国の内情を探りに行った人だから1240年代,ルブルックはルイ9世のエジプト遠征が失敗に終わった後にイスラーム勢力挟撃の交渉に行った人だから1250年代,と理屈で区別がつくようになれば熟練した受験生である。仁宗は科挙復活の時の皇帝。


《明》
君主名グレーディング
朱元璋(洪武帝) A☆☆☆☆☆☆
建文帝      B☆☆☆☆☆
永楽帝(朱棣)  A☆☆☆☆☆☆
正統帝(英宗)  A☆☆☆☆☆☆
万暦帝(神宗)  B☆☆☆☆☆
崇禎帝      B☆☆☆☆☆

全体的に説明不要感。出題頻度が圧倒的に高いのは永楽帝で,鄭和を派遣した人物という聞き方が多いか。『四書大全』『五経大全』が清の編纂事業とどっちだったっけ? とよく混ざってしまうのが受験生の困りどころ。正統帝は皇帝が捕まったシリーズとしてウァレリアヌスと同様に不名誉な登場をする。もっとも,正統帝は戻ってきているが。出題頻度も正統帝の方が高い。代宗は南宋の高宗みたいに受取拒否すればよかったのにね。万暦帝は壬辰・丁酉の倭乱,万暦赤絵,張居正の補佐・一条鞭法の全国化と聞き方がいろいろあるが,センターレベルと言えるほどには重要視されない。崇禎帝は中国史に通暁している人ほど不思議に思われそう。実際に本人の用語集頻度こそ,世,『崇禎暦書』が頻出なせいで結局名前を覚えないといけない人扱いである。そういう意味では,東西交渉史の比重の上昇に思わぬ形で乗った人とも言えるかも。


《清》
君主名グレーディング
ヌルハチ    A☆☆☆☆☆☆
ホンタイジ   A☆☆☆☆☆☆
順治帝     B☆☆☆☆☆
康熙帝     A☆☆☆☆☆☆
雍正帝     A☆☆☆☆☆☆
乾隆帝     A☆☆☆☆☆☆
嘉慶帝     D☆☆
道光帝     C☆☆☆
咸豊帝     C☆☆☆
同治帝     A☆☆☆☆☆☆
光緒帝     A☆☆☆☆☆☆
宣統帝(溥儀) A☆☆☆☆☆☆

実はEが一人もいない唯一の王朝。やはり近代になると歴史が激動になるし,他の国と比較すると皇帝が前に出てきていたり,元号が歴史用語に含まれていたりするのが大きいのだろう。ヌルハチは建国者だが,ひねりを効かせたい大学は八旗の創始者で聞く。ホンタイジは事績がいろいろあるが,朝鮮の征服が最も聞きやすい。順治帝は乾隆帝までの6人だと出題頻度が1ランク下がる。実は用語集頻度が,靴ないのだが,私も今そのことに気づいたくらい,皆そんなイメージが無いと思う。そこから3人は説明不要だろう。康熙帝については,近年だとブーヴェが仕えた人という聞き方を見かけるが,これも東西交渉史の比重の上昇の一環か。

嘉慶帝はアマーストに会わなかった人という出題しか見ない。人に一人会わなかったせいで世界史に名を残すことになるとは,本人も全く考えていなかっただろう。清の皇帝では最も出題頻度が低く,唯一用語集に項目が立っていない。道光帝・咸豊帝は早慶上智対策枠。どちらも用語集頻度 F閏D襪蓮崙閏の中興」,光緒帝は変法運動と(本人がかかわっていない)「光緒新政」,宣統帝は言うまでもなく,という感じで締め。


以下はおまけ。中華民国以後の主要な政治家。例によってEは省略。

《中華民国(1949年まで)》
君主名グレーディング
孫文   A☆☆☆☆☆☆
袁世凱  A☆☆☆☆☆☆
段祺瑞  C☆☆☆
呉佩孚  D☆☆
馮国璋  D☆☆
張作霖  A☆☆☆☆☆☆
蔣介石  A☆☆☆☆☆☆

Aの人たちは説明不要だろう。軍閥の方々は,高校世界史範囲を無視するような大学だと以前は結構見かけたが,近年はそれらの大学でも出なくなった。その中で,安徽派の段祺瑞は西原借款に関連して世界史よりも日本史で頻出というちょっと変わった事例。一方,直隷派の馮国璋は旧課程なら範囲内だったが,現行では脱落。同じく直隷派の呉佩孚は一応用語集に収録されているのでCにしようかとも思ったが,入試では本当に見かけないので例外的にDにした。なんでこの人教科書に載ってるんだろう……出題頻度・高校世界史における重要性のどちらから考えても不要なような。その他の馮玉祥・曹錕等も用語集の説明文や資料集に載っているものの,近年の入試ではまず見ないのでDかEかのどちらかということで無視してかまわないと思う。


《中華人民共和国》
君主名グレーディング
毛沢東  A☆☆☆☆☆☆
劉少奇  A☆☆☆☆☆☆
華国鋒  B☆☆☆☆☆
小平  A☆☆☆☆☆☆
李先念  E
楊尚昆  E
胡耀邦  D☆☆
趙紫陽  C☆☆☆
江沢民  B☆☆☆☆☆
胡錦濤  B-☆☆☆☆
習近平  ???

最高指導者または国家主席就任者。国家主席代行は省略したが,そもそも宋慶齢以外全員E,宋慶齢のみC(用語集頻度,能仟蠅鮓たことがある)。首相も周恩来はA,残りはDかEである(朱鎔基と温家宝は旧課程では範囲内だった)。意外とデコボコしているのが面白い。華国鋒は用語集頻度△粒笋砲呂茲出題されている印象で,BかCか迷いどころ。ただ,この人を教えないと四人組の排斥自体も小平がやったかのような歴史になってしまうので,その意味で必要か。小平は頻出。毛沢東と周恩来なんて誰でも知っているからかえって出題しづらいのに対し,センターレベルや中堅以下の私大だと使い勝手が良いのだと思う。

李先念と楊尚昆は出題を見たことが全く無い。私自身全く知らない。胡耀邦は現行だと範囲外。趙紫陽は早慶上智対策枠。江沢民は私大ならたまに出ているが,用語集頻度Δ箸い高さに比べると出題頻度は低い。胡錦濤も用語集頻度イ世,まだ世界史的な評価が固まっていないということだろう,入試ではほぼ見ないのでB-とした。今後の歴史情勢によっては江沢民ともどもCやDに下がっていくかも。習近平はそもそもまだ教科書に入っていない。今年や来年によほどの大事件を彼が起こさない限り,5年は後になるのではないか。


本シリーズは基本的にここで終わりである。次回は番外編としてアメリカ大統領編。次次回は気力があったら番外編その2としてFGO登場サーヴァントをやるかやらないか。  
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2019年02月10日

世界史上の諸君主の出題頻度グレーディング:中国王朝編(先秦〜唐)

これは元からやろうかなと思っていたところに要望も受けたものであるが,Eだらけになるのは目に見えていたのでどんどんばっさり切っていこうと思う。

基準はこれまでと同様に以下の通り。

A:基礎知識。センター試験世界史B以上の入試を受けるなら知ってないとダメ。
B:国立二次・MARCH以上の私大を受けるなら必要。
B-:教科書に載っていて用語集頻度もそれなりに高いが,便宜上掲載されているという色彩が強く,実際には入試にはほとんど出ない。ネルウァが好例。
C:高校世界史範囲内・外のグレーゾーン。用語集頻度が低いか掲載されていないもの,または旧課程では範囲内だったもの等,早慶上智対策としてなら見るもの。
D:高校世界史範囲外だが,早慶上智でなら見たことがある。満点が欲しいなら覚えてもいい(が当然推奨しない)。
E:完全な高校世界史範囲外で,早慶上智ですら10年に1回未満のレベルでしか見たことがない。

視認性を高めるために,グレーディングのアルファベットに沿って☆を付した。Aなら6個,Eなら1個である。ズレがあったら☆の数の方が間違いなのでアルファベットの方を信じてほしい。意外と思われそうな人は赤で表示した。また,感覚には個人差があるので☆半分くらいは異論があると思われる。特に綿密にデータを収集してデジタルな判断をしたわけではないので,DとEの差については多く異論がありそうだが,そこはご寛恕いただきたい。また,中国王朝に特別のルールとして,当然Eと思われる人物は省略した他,D以下しかいない王朝は王朝名自体を出さずに省略した。でなければ煩雑になりすぎる。以下,本編。


《三皇五帝・夏・殷・西周》
君主名グレーディング
堯  C☆☆☆
舜  C☆☆☆
  C☆☆☆
桀王 E
湯王 D☆☆
紂王 D☆☆
武王 C☆☆☆

堯・舜・禹の用語集頻度はと意外と高い。しかし,用語集頻度の割に入試では見ない。堯は用語集頻度を顧みなければDにしてもいいくらい。その中で禹は例外的に,なんと京大で出たことがある。正答率は低かったのではないか。夏王朝については君主がどうとかいうことよりも,いつ二里頭遺跡が高校世界史に入ってくるのかという議論をした方が有意義な気はする。殷・西周の君主は入試にほぼ一切でない。あとから調べたら,何年か1回くらいはどこかしらの私大で出ていたので,D〜Cに修正。


《春秋戦国・秦》
君主名グレーディング
斉の桓公     B☆☆☆☆☆
晋の文公     C☆☆☆
その他の春秋五覇 D☆☆
秦の孝公     C☆☆☆
秦の始皇帝    A☆☆☆☆☆☆

斉の桓公は通常の世界史学習で唯一まともに覚える春秋五覇の代表例。晋の文公は一応用語集頻度がい世,入試ではめったに見ず,早慶上智対策枠に下がる。もっとも,残りの宋の襄公やら呉王夫差やら越王勾践やらになるとほぼ全く出ない。中国史マニアの立命館大でさえ,数十年単位で遡らないと出てこないのではないか。商鞅を採用した秦の孝公は,旧課程だとBの位置付けくらいあったのだが,現行ではなんと用語集未収録。それに伴って難関私大以外では全く見なくなった。これは理由がわからない。確かに削っていいなら削りたい人名ではあったが,他にもっと優先的に削っていい人名があると思うし,考公がいなくなったことで戦国時代の君主が誰一人出てこなくなったので,現行で言えばバランスが悪い。始皇帝は中国王朝で初めてのA。センター止まりなら,ここまで覚える人がいない形になる。胡亥と子嬰は書くまでもなくE。


《前漢・新・後漢》
君主名グレーディング
劉邦(高祖) A☆☆☆☆☆☆
文帝     D☆☆
景帝     C☆☆☆
武帝     A☆☆☆☆☆☆
王莽     A☆☆☆☆☆☆
光武帝    A☆☆☆☆☆☆
明帝     D☆☆
桓帝     D☆☆
霊帝     D☆☆
献帝     D☆☆

高祖と武帝・王莽・光武帝は当然の評価(「莽」の字は正確なものが出ない点ご容赦を)。それ以外は補足が必要だろう。景帝は呉楚七国の乱の時の皇帝で稀に聞かれる。後漢に移って,明帝は伝説上の仏教伝来がこの人の時。桓帝は党錮の禁,霊帝は黄巾の乱,献帝は三国志関連。まあ,三国志マニアの悪乗りのような入試問題で稀ではあるが見かける。言うまでもなく例の企画の収録対象。


《三国・西晋・五胡十六国・南北朝》
君主名グレーディング
曹操(武帝)  A☆☆☆☆☆☆
曹丕(文帝)  B☆☆☆☆☆
劉備      B-☆☆☆☆
劉禅      E
孫権      B-☆☆☆☆
司馬懿     D☆☆
司馬炎(武帝) B☆☆☆☆☆
司馬睿     A☆☆☆☆☆☆
劉裕(宋武帝) C☆☆☆
蕭衍(梁武帝) D☆☆
道武帝(北魏) D☆☆
太武帝     A☆☆☆☆☆☆
孝文帝     A☆☆☆☆☆☆
宇文泰     D☆☆
高歓      D☆☆

曹操と曹丕の区別は,三国志マニア以外の世界史選択者には意外と鬼門。曹丕は魏の建国者で聞かない場合,九品中正の制定がほとんど。劉備と孫権は用語集頻度は最大値のГ世,入試ではあまり見ない。ローマ五賢帝に次ぐB-の典型例。聞き方が難しいのか。司馬懿は出題されるイメージがあるかもしれないが,そもそも範囲外だったりするのは,三国志マニアには意外な事実であろう。司馬一族で一番問われるのは司馬睿。このために「睿」の書き取りをさせられる受験生はかわいそうである。劉裕もマイナーだが,以前に京大で問われて,禹ほどではないが驚いた覚えがある。おそらく正答率は低かった。梁の武帝はおもしろ人物ではあるが,出題頻度では息子の昭明太子には圧倒的に負けている。なお,宇宙大将軍こと侯景はD。2014年に明治大の法学部で出題されたのが,私の知る限り唯一の事例(拙著2巻のp.382)。北魏の太武帝・孝文帝は圧倒的出題頻度。廃仏も漢化政策も強い。宇文泰はどこかで出たのを見たことがあった気がしたが,拙著の収録問題には見当たらなかった。さらに古いか,正解の選択肢ではなかったか。


《隋・唐》
君主名グレーディング
楊堅(文帝)  A☆☆☆☆☆☆
煬帝      A☆☆☆☆☆☆
李淵(高祖)  A☆☆☆☆☆☆
李世民(太宗) A☆☆☆☆☆☆
高宗      A☆☆☆☆☆☆
武則天     A☆☆☆☆☆☆
中宗      C☆☆☆
睿宗      E
玄宗      A☆☆☆☆☆☆
肅宗      C☆☆☆
徳宗      C☆☆☆
武宗      B☆☆☆☆☆

楊堅は隋の建国者で聞くのは当たり前すぎるので,科挙の創始者で問われることの方が多い。唐は,何は無くとも武則天までは全員覚える。高宗は唐の最大版図。中宗は用語集頻度△世,入試で出るのは稀。これも用語集頻度を気にしなければDにしていい。睿宗は全く見たことなし。玄宗は当然のAとして,肅宗は安史の乱の鎮圧者としてたまに問われる印象(玄宗と間違えさせたいようだ)。徳宗は宰相の楊炎が両税法を施行した時の皇帝だが,多くの出題者は楊炎の方を聞く。武宗は会昌の廃仏で意外と出題頻度が高い。
  
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2019年02月03日

世界史上の諸君主の出題頻度グレーディング:オスマン皇帝編

要望を受けて。本シリーズでは唯一の中東圏からのお題になるか。

基準はこれまでと同様に以下の通り。

A:基礎知識。センター試験世界史B以上の入試を受けるなら知ってないとダメ。
B:国立二次・MARCH以上の私大を受けるなら必要。
B-:教科書に載っていて用語集頻度もそれなりに高いが,便宜上掲載されているという色彩が強く,実際には入試にはほとんど出ない。ネルウァが好例。
C:高校世界史範囲内・外のグレーゾーン。用語集頻度が低いか掲載されていないもの,または旧課程では範囲内だったもの等,早慶上智対策としてなら見るもの。
D:高校世界史範囲外だが,早慶上智でなら見たことがある。満点が欲しいなら覚えてもいい(が当然推奨しない)。
E:完全な高校世界史範囲外で,早慶上智ですら10年に1回未満のレベルでしか見たことがない。

視認性を高めるために,グレーディングのアルファベットに沿って☆を付した。Aなら6個,Eなら1個である。ズレがあったら☆の数の方が間違いなのでアルファベットの方を信じてほしい。意外と思われそうな人は赤で表示した。また,感覚には個人差があるので☆半分くらいは異論があると思われる。特に綿密にデータを収集してデジタルな判断をしたわけではないので,DとEの差については多く異論がありそうだが,そこはご寛恕いただきたい。以下,本編。


《建国気〜帝国初期》
君主名グレーディング
オスマン1世  D☆☆
オルハン    E
ムラト1世   C☆☆☆
バヤジット1世 A☆☆☆☆☆☆
メフメト1世  E
ムラト2世   E

オスマン1世は旧課程なら用語集に記載があったが,「オスマン帝国の創始者がオスマン1世は当たり前すぎる」ということで当時から大して出題がなかった。なお,旧課程まではオスマン=ベイという表記。オルハンはこういう人って高校世界史のレベルだと評価されないよね,というやつの典型。ムラト1世はエディルネへの遷都とコソヴォの戦いでたまに言及がある。CにするかDにするか微妙なところ。バヤジット1世はニコポリスの戦いでもアンカラの戦いでも言及があり,こちらは頻出。再建に尽力したメフメト1世は入試には出ない。ムラト2世も同様。


《拡大期〜最盛期》
君主名グレーディング
メフメト2世  A☆☆☆☆☆☆
バヤジット2世 E
セリム1世   B☆☆☆☆☆
スレイマン1世 A☆☆☆☆☆☆
セリム2世   C☆☆☆
ムラト2世   E

帝国の拡大期と最盛期はやはり頻出の人物が多い。その中で征服者ことメフメト2世,壮麗者ことスレイマン1世は群を抜く。冷酷者セリム1世は用語集頻度は最大のГ世,この二人に比べるとやはりランクが1つ下がるか。センターレベルの常識かというと,私にはそういう印象はない。無いのだが,チャルディラーンの戦いとマムルーク朝滅亡の歴史的重要性を考えると,センター試験で出なくとも国立二次・MARCH以上の私大では出る今の地位は妥当と思う。セリム2世は旧課程よりも現行の方が頻出というレアケース。10年以上前に高校世界史をやった人だと知らなくてもおかしくない。スレイマン1世時代に実質的に始まっていたカピチュレーションが法制化されたのがセリム2世ということで,カピチュレーションの施行がスレイマン1世からセリム2世で教えられるようになった。加えてレパントの海戦で負けたのもセリム2世ということで,それまでの無名から一転して知名度が急上昇し,グレーディングがEからCにまで駆け上がった。ともあれ,用語集頻度は,靴ないのだが,レアケース故か入試ではそれなりによく名前を見かける。


《停滞期(16世紀後半〜17世紀)》
君主名グレーディング
ムラト3世   E
メフメト3世  E
アフメト1世  E
ムスタファ1世 E
オスマン2世  E
ムラト4世   E
イブラヒム   E
メフメト4世  E
スレイマン2世 E
アフメト2世  E
ムスタファ2世 E

明の後半を彷彿とさせるような暗君と短命の連続で,これで国が傾かずに停滞で済んだのは優れた官僚制の賜物である。よく国力が圧倒的であったから衰退が第二次ウィーン包囲まで明るみにでなかった,あるいはそもそも衰退していないというような言い方がされることもあるが,悪名高い徴税請負制の導入とそれに伴う地方の荒廃,イェニチェリ軍団の弛緩と既得権益化,中間団体の成長による専制国家から絶対王政的な社団国家への変質と,見かけの巨体に比して内実が伴わなくなっていったのが,この17世紀の約100年間だったと言える。特にこの17世紀にはヨーロッパ諸国が「17世紀の危機」に耐えて経済的にも軍事的にも飛躍的な成長を遂げていたのも,相対的に言えば手痛い現象であった。メフメト4世の治世下,大宰相を務めるキョプリュリュ家がオスマン帝国の最大領土を達成したのは内実が伴っていた最後のタイミングであり,そのわずか11年後に第二次ウィーン包囲と大トルコ戦争が起きてしまうのである。ここの11人はいずれも入試で見たことがない。ものの見事に全員Eで,かえって清々しい。


《チューリップ時代〜本格的な衰退の始まり(18世紀)》
君主名グレーディング
アフメト3世     C☆☆☆
マフムト1世     E
オスマン3世     E
ムスタファ3世    E
アブデュルハミト1世 E

この時期の前半は,わずかではあれ勝利や領土の奪還があり,カルロヴィッツ条約直後の惨状と比較するとまだ国勢が回復した時期と言える。「チューリップ時代」と呼ばれるような西欧文化の導入や,逆にヨーロッパの生活革命を受けたコーヒーや綿花の増産・輸出が上手く回っていたのが18世紀前半・半ばのオスマン帝国であった。アフメト3世はその「チューリップ時代」を始めたスルタンとして旧課程までは用語集頻度△波楼脇發世辰燭,現行課程では外れた。CかDか迷ったが,一応Cとしておこう。こうした中興状態が崩れたのがムスタファ3世の時に始まった露土戦争,アブデュルハミト1世の時のキュチュク=カイナルジャ条約による講和であった。大トルコ戦争の時でさえ無かった一方的な大敗を喫して黒海北岸を失い,賠償金を課せられ,衰退の坂道を転がり落ちていくことになる。なお,スルタン=カリフ制のスタートはこのアブデュルハミト1世の時だが,彼の名前は入試で全く出ない。


《苦難の改革(19世紀前半・半ば)》
君主名グレーディング
セリム3世      C☆☆☆
ムスタファ4世    E
マフムト2世     C☆☆☆
アブデュルメジト1世 A☆☆☆☆☆☆

度重なるロシアへの敗戦を受けて改革が始まるが,非欧米圏の近代化がそう易々と進まないことを,先陣を切って世界に知らしめていった時期。セリム3世はイェニチェリに代わる親衛隊としてニザーム・ジェディード(新式軍隊)を組織したが,イェニチェリにより暗殺される。なお,ニザーム・ジェディードは英語のnew orderに当たり,実際にはセリムは英仏を模した財政軍事国家を目指す軍にとどまらない大規模な改革を目指していたとされる。ムスタファ4世はイェニチェリに担ぎ上げられて即位したが,ニザーム・ジェディード軍の逆襲を受けて1年で廃位となった。このニザーム・ジェディードの支持で即位したマフムト2世がイェニチェリの廃止に踏み切り,セリム3世の改革を継承・拡大させた。セリム3世とマフムト2世の二人は早慶上智ではたまに出る印象で,受験生時代に私大対策をしていたかどうかで印象が全く異なるのではないか。

アブデュルメジト1世は即位直後にギュルハネ勅令を発してタンジマートの開始を宣言し,クリミア戦争にも勝利した。スレイマン1世以来,約300年ぶりのセンターレベルの人。しかし,実際のところの改革はセリム3世ないしマフムト2世の段階ですでに大規模に始まっており,ギュルハネ勅令も急死しなければマフムト2世の下で発布される予定だったとされる。そこまでアブデュルメジト1世の名前に重要な意味があるかというと疑問である。それはそれとして,旧課程では「アブデュル=メジト1世」という表記だったのが,現行ではダブルハイフンが消滅した。これはアブデュルハミト2世も同じ。


《滅亡(19世紀後半〜20世紀前半)》
君主名グレーディング
アブデュルアジズ   E
ムラト5世      E
アブデュルハミト2世 A☆☆☆☆☆☆
メフメト5世     E
メフメト6世     E

アブデュルハミト2世はミドハト憲法の制定と停止,アフガーニーの招聘とパン=イスラーム主義による国家統合,青年トルコ革命後の退位と頻出事項が多い。スレイマン1世・メフメト2世と並んで頻出トップ3。以降はスルタンではなく青年トルコ政府が表に出てくるようになるので,影が薄いままオスマン帝国が滅亡する。メフメト6世は受験世界史名物「最初と最後の人」に反して入試で出ない。

なお,このオスマン帝国末期のオスマン主義(立憲主義多民族国家志向),パン=イスラーム主義,パン=トルコ主義,トルコ民族主義という潮流の変遷・角逐は面白いところながら長らく入試ではあまり出ていなかったが,2018年度京大の300字論述で出題されて,受験世界史業界ではちょっとした話題になった。東大でも近々出るんじゃないかと私は警戒している。

ちなみに,その後も名目上の帝位請求者・オスマン家家長は存続しており,2009年にオスマン帝国皇族として最後に生まれたエルトゥールル2世が亡くなった際には多少話題になった。現在はアリー2世だそうで。
  
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2018年12月23日

世界史上の諸君主の出題頻度グレーディング:ドイツ皇帝・ロシア皇帝編

タイトルが長くなりすぎるので省略したが,ドイツ皇帝はブランデンブルク=プロイセンを含む事実上のホーエンツォレルン家のグレーディング。ロシア皇帝はモスクワ大公国を含む。

基準はこれまでと同様に以下の通り。

A:基礎知識。センター試験世界史B以上の入試を受けるなら知ってないとダメ。
B:国立二次・MARCH以上の私大を受けるなら必要。
B-:教科書に載っていて用語集頻度もそれなりに高いが,便宜上掲載されているという色彩が強く,実際には入試にはほとんど出ない。ネルウァが好例。
C:高校世界史範囲内・外のグレーゾーン。用語集頻度が低いか掲載されていないもの,または旧課程では範囲内だったもの等,早慶上智対策としてなら見るもの。
D:高校世界史範囲外だが,早慶上智でなら見たことがある。満点が欲しいなら覚えてもいい(が当然推奨しない)。
E:完全な高校世界史範囲外で,早慶上智ですら10年に1回未満のレベルでしか見たことがない。

視認性を高めるために,グレーディングのアルファベットに沿って☆を付した。Aなら6個,Eなら1個である。ズレがあったら☆の数の方が間違いなのでアルファベットの方を信じてほしい。意外と思われそうな人は赤で表示した。また,感覚には個人差があるので☆半分くらいは異論があると思われる。特に綿密にデータを収集してデジタルな判断をしたわけではないので,DとEの差については多く異論がありそうだが,そこはご寛恕いただきたい。以下,本編。


《大選帝侯〜フリードリヒ2世》
君主名グレーディング
フリードリヒ=ヴィルヘルム大選帝侯 D☆☆
フリードリヒ1世          D☆☆
フリードリヒ=ヴィルヘルム1世   B-☆☆☆☆
フリードリヒ2世          A☆☆☆☆☆☆

フリードリヒ=ヴィルヘルム大選帝侯は早慶上智で稀に見かける。ドイツ史ではなく世界史という尺度で考えると,同じような立ち位置のフィリップ2世などに比べると確かにインパクトが薄い。初代プロイセン国王フリードリヒ1世は一つ前の課程まで頻度,波楼脇發世辰燭,最新課程はとうとう消滅した。もっとも,旧課程時代でも大選帝侯レベルの出題頻度だったが。フリードリヒ=ヴィルヘルム兵隊王は用語集頻度イ世,これも実際の出題頻度は低い。というよりもこんなに教科書に載っていることに驚いた。てっきり,箸△と。こういうのがあるから用語集頻度も絶対視できない。フリードリヒ2世は当然の結果。有名すぎてかえって聞かれない,ナポレオン1世やヴィクトリア女王と同じ枠という気もするが。


《フランス革命戦争〜ドイツ帝国崩壊》
君主名グレーディング
フリードリヒ=ヴィルヘルム2世 D☆☆
フリードリヒ=ヴィルヘルム3世 D☆☆
フリードリヒ=ヴィルヘルム4世 D☆☆
ヴィルヘルム1世        A☆☆☆☆☆☆
フリードリヒ3世        E
ヴィルヘルム2世        A☆☆☆☆☆☆

フリードリヒ=ヴィルヘルム2世はピルニッツ宣言の実行者で稀に出る。フリードリヒ=ヴィルヘルム3世は在位期間が長く,ナポレオン戦争・ティルジット条約・ウィーン議定書・七月革命と重大事件を経験しているものの,本人の影は非常に薄い。実際に動いたのはシュタインやハルデンベルク,グナイゼナウやシャルンホルストであるから,国王を教えることはないということであろう(なお,軍人の2人も範囲外)。フリードリヒ=ヴィルヘルム4世も1848年革命時の国王で,フランクフルト国民議会で戴冠を要請されて拒否したりプロイセン欽定憲法を発布したりした人だが,入試で見ない。もちろん出てくれなくて全くかまわないのだが,前2人以上に見ないのはちょっと不思議かも。ヴィルヘルム1世・2世は当然のAとして,フリードリヒ3世は存在自体知らない人が多そう。ヴィルヘルム2世は実は第3代皇帝なのだ。後の展開を考えると,フリードリヒ3世が長生きしていたら歴史は大きく変わっていたと思われ,大変惜しい。



《リューリク朝〜ロマノフ朝前夜》
君主名グレーディング
イヴァン3世    A☆☆☆☆☆☆
ヴァシーリー3世  E
イヴァン4世    A☆☆☆☆☆☆
フョードル1世   E
ボリス=ゴドゥノフ E
動乱時代全員    E

ここからロシア。イヴァン3世とイヴァン4世はどちらもセンターレベルでしかも紛らわしく,受験生に嫌われる判別の筆頭。イヴァン3世が非公式にツァーリ称号を使用開始,イヴァン4世がそれを公式化と経緯がやや込み入っているのも嫌なところ。フョードル1世はリューリク朝最後のツァーリ。そして動乱時代は入試に全く出ないどころか,そもそも高校世界史で扱わない。おそらく,イヴァン3世からしてロマノフ朝と勘違いしている受験生はおそらくかなり多い。


《ロマノフ朝(17世紀)》
君主名グレーディング
ミハイル=ロマノフ B-☆☆☆☆
アレクセイ     E
フョードル3世   E
イヴァン5世    E
ピョートル1世   A☆☆☆☆☆☆

初代は謎に出題される法則から外れ,ミハイル=ロマノフはめったに入試で出ないが,用語集頻度はい任△襦まさにローマの五賢帝と同様に,便宜的に載せられているのだろう。第2代アレクセイはツァーリの帝権を安定化させてピョートル大帝につなげ,ステンカ=ラージンの反乱を鎮圧し,大洪水時代のポーランドに侵攻してキエフを獲得した人物でもあるのだが,課程をさかのぼってさえ高校世界史に出てこない。このくらい業績があれば範囲外ではあれCやDになりそうなところ,Eでとどまるのは英仏独と違う雰囲気がする。なお,ステンカ=ラージンはBくらいの出題頻度があるのに,大洪水時代はDかEという格差も謎ポイント。マルクス主義的に民衆反乱が重視されていた時代の名残だろうか。ピョートル大帝は言うまでもなくA。


《ロマノフ朝(18世紀)》
君主名グレーディング
エカチェリーナ1世 E
ピョートル2世   E
アンナ       E
イヴァン6世    E
エリザヴェータ   E
ピョートル3世   E
エカチェリーナ2世 A☆☆☆☆☆☆
パーヴェル1世   E

ピョートル大帝死後の混乱期は全員E。エリザヴェータはその混乱を収めて,七年戦争に参戦した女帝(ペチコートの陰謀の一人)だが,入試ではほぼ見ず,DかEか微妙なところ。その講和の原因となったピョートル3世も同じく。エカチェリーナ2世は当然のA。こうして見るとロシア皇帝は非常にメリハリがある。


《ロマノフ朝(19〜20世紀)》
君主名グレーディング
アレクサンドル1世 B☆☆☆☆☆
ニコライ1世    A☆☆☆☆☆☆
アレクサンドル2世 A☆☆☆☆☆☆
アレクサンドル3世 D☆☆
ニコライ2世    A☆☆☆☆☆☆

アレクサンドル3世の仲間外れ感。実際,受験生はアレクサンドルとニコライが交互に出てくると覚えるので,おそらく存在自体を認識されていない。アレクサンドル1世は神聖同盟の提唱者として聞かれることが最も多い。ニコライ1世はデカブリストの乱とクリミア戦争で頻出。アレクサンドル2世は農奴解放令と露土戦争・ベルリン会議で頻出。アレクサンドル3世は露仏同盟締結にシベリア鉄道着工という大きな事績があり,ポグロムの激化という事件もあるが,なぜだか無視される。最後のニコライ2世は言うまでもなし。


残りのオスマン帝国・アメリカ大統領・中華王朝は年明けに。  
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2018年12月22日

バジパイ元首相の訃報記事に関連していろいろ

バジパイ元首相が死去、93歳 インドの核保有を主導(CNN)
→ 現在のインドの政権与党であるインド人民党の創設者にして,1998年核実験の実行者。今のインドに多大な影響を残したのだが,不思議と知名度が低く,高校世界史でも未登場である。私自身,それほど大きな印象が無い。これは「インド人民党」の側に大きな意味があって,誰が党首であってもそれほど変わりはないという歴史的評価なのかもしれない。

インド人民党自体については,国民会議派の腐敗を掣肘したという点で歴史的意義があるものの,それがなぜああしたヒンドゥー至上主義という形で現れてしまったのかは興味深い。独立運動においてある程度大同団結を訴えざるを得なかった国民会議派に比して,堂々と多数派の支持を訴えやすかったという構図はあろうか。

ところで,考えてみると,独立運動の指導者層がいた政治組織が,独立後に(独裁期間を経つつも)現在の議会制民主主義の有力政党に軟着陸した事例というのが世界史上意外と少なく,自分でちょっと驚いた。台湾の国民党やメキシコの制度的革命党,本邦の自民党は近いところがあるが「独立」ではないし,ベトナム共産党やシンガポールの人民行動党のように一党独裁になった事例は論外。インドネシア国民党のようにスハルト独裁時代に埋もれてしまったところが多く,ビルマのタキン党やパキスタンのムスリム連盟,エジプトのワフド党もこのパターン……と消していくとインド以外でぱっと思いついたのはマレーシア,トルコ,イスラエル,ボツワナ,南ア(アフリカ民族会議)くらいであった。アフリカは正直に言って全く詳しくないので,探せばまだあるかもしれない。野党への転落経験は健全な民主主義として当然としても,泡沫政党化や消滅というのはあまりにも寂しい。


ところで(2つめ),記事中の「インドの核保有に道を開いた指導者」には違和感がある。確かにインドが正式に核保有を認めたのはこのタイミングだが,実際には1974年に事実上の核保有を達成している。これを1998年が正式と見なしてしまうのは著しくインド政府に寄った見解となり,よろしくない。気になって他の日本語メディアの訃報記事を読んでみたが,朝日新聞と産経新聞は「24年ぶりの核実験」,日経新聞とAFPは「核保有宣言」とちゃんと持って回った言い回しになっており,こんならしからぬチョンボをしているのは概ねCNNだけであった。最近英語力に全く自信がないので英語記事を比較するのは他人に任せたいところだが,とりあえずBBCはきっちりと24年ぶりと触れていた。CNNの英語版の記事もリンクしておく。どうもこちらでもストレートな物言いになっているような気が。自明だから削ったようにも……うーん。

ちなみに,世界史の入試でもこのインドの核保有年による悪問があり,『絶対に解けない受験世界史2』のp.185(2016年の明治大)に収録されているので気になる人は是非(宣伝)。  
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2018年12月09日

世界史上の諸君主の出題頻度グレーディング:ローマ教皇編

要望と自分なりの目標を鑑み,今回はローマ教皇編。残りはホーエンツォレルン家・ロシア皇帝・オスマン皇帝・アメリカ大統領まではやる予定。困っているのは中華王朝。非常に多いのだが,ローマ教皇と同様にEは省略にすれば何とかなるか? 基準はこれまでと同様に以下の通り。

A:基礎知識。センター試験世界史B以上の入試を受けるなら知ってないとダメ。
B:国立二次・MARCH以上の私大を受けるなら必要。
B-:教科書に載っていて用語集頻度もそれなりに高いが,便宜上掲載されているという色彩が強く,実際には入試にはほとんど出ない。ネルウァが好例。
C:高校世界史範囲内・外のグレーゾーン。用語集頻度が低いか掲載されていないもの,または旧課程では範囲内だったもの等,早慶上智対策としてなら見るもの。
D:高校世界史範囲外だが,早慶上智でなら見たことがある。満点が欲しいなら覚えてもいい(が当然推奨しない)。
E:完全な高校世界史範囲外で,早慶上智ですら10年に1回未満のレベルでしか見たことがない。

視認性を高めるために,グレーディングのアルファベットに沿って☆を付した。Aなら6個,Eなら1個である。ズレがあったら☆の数の方が間違いなのでアルファベットの方を信じてほしい。意外と思われそうな人は赤で表示した。また,感覚には個人差があるので☆半分くらいは異論があると思われる。特に綿密にデータを収集してデジタルな判断をしたわけではないので,DとEの差については多く異論がありそうだが,そこはご寛恕いただきたい。

なお,ローマ教皇は高齢になってからの即位が多い&初期は地位が安定していなかった関係で数が多すぎるため,グレーディングがEでありかつインパクトの薄い人物は大幅にカットした。対立教皇も極力カットした。結果的に全266代+対立教皇のうち,ここに示したのは25人程度になる。先に結論じみたことを書いておくと,ローマ教皇は異様にCになった人物が多く,おそらく全君主の中で難関私大対策とそれ以外の落差が激しい。旧課程には載っていたが現行課程で消えた割合も高く,というよりもローマ教皇を覚えるのが昔は教養だったのだという西洋中心主義的なものを感じた。以下,本編。


《最初期・中世前半(1〜10世紀)》
君主名グレーディング
ペテロ       A☆☆☆☆☆☆
レオ1世      C☆☆☆
グレゴリウス1世  B☆☆☆☆☆
レオ3世      A☆☆☆☆☆☆
ヨハネス12世    C☆☆☆

最初期は登場する人が少なすぎて,最初の1000年で該当者は5人のみ。ペテロは説明不要。レオ1世はアッティラを説得してローマを劫略から救った人物。カルケドン公会議の主要参加者の一人でもある。CにするかDにするか迷ってCにしたが,早慶上智対策ではよく教えられている印象。個人的にはそれでも覚えなくていいと思う。驚くべきことに旧課程では範囲内だった。かたやグレゴリウス1世はこの間の音楽史についての指摘であったところだが,用語集は「聖歌の作成」とばっちり表記。ただ,最近の入試でグレゴリオ聖歌から引っ張っているものはほとんど見ず,ゲルマン人への布教の強化で出題される。レオ3世は当然のA。ヨハネス12世はオットー1世にローマ皇帝の帝冠を授けた教皇。稀にオットー1世じゃなくてこちらの名前が聞かれる。用語集には項目がなく,オットー1世の説明文にのみ登場するので範囲内というにはグレーゾーン。レオ1世に比べるとまだ出題頻度があるか。


《叙任権闘争〜教皇権の絶頂期(11〜13世紀)》
君主名グレーディング
レオ9世      D☆☆
グレゴリウス7世  A☆☆☆☆☆☆
ウルバヌス2世   A☆☆☆☆☆☆
カリクストゥス2世 C☆☆☆
インノケンティウス3世  A☆☆☆☆☆☆
インノケンティウス4世  C☆☆☆

盛期なだけあって,キャラの濃い連中が並ぶ。レオ9世は1054年の教会東西分裂の時の教皇であり,後のグレゴリウス7世を引き立てて教会改革の先鞭をつけた人物とされる。入試で出題されたところは見たことがないが,稀に載せている参考書があるので,私の知らないところで出ているのかもしれない。念のためDにしておいた。グレゴリウス7世は,ひょっとして一番出題頻度の高いローマ教皇なのでは。ウルバヌス2世とどっちかな。カリクストゥス2世(シクストゥス2世)はヴォルムス協約の時のローマ教皇。これぞ難関私大対策というような人。国立大受験生は覚えてなくても不思議ではない(例外は一橋大受験生)。インノケンティウス4世は3世の誤植では? と思われがちなのを利用して出題される人。プラノ・カルピニをモンゴル帝国に派遣した人物である。この人も旧課程では範囲内だったが,現行課程では消えた。こうして見ると,十字軍の提唱者は意外に入試に出ていない(1回と4回だけ)ということがわかる。


《中世末期(14〜15世紀)》
君主名グレーディング
ボニファティウス8世 A☆☆☆☆☆☆
クレメンス5世    C☆☆☆
グレゴリウス11世   D☆☆
マルティヌス5世   D☆☆

衰退期も負けじ劣らず,キャラが濃い。憤死ってなんだよ,と日本中の高校生に言われてしまうボニファティウス8世からスタート。クレメンス5世は「教皇のバビロン捕囚」の最初の教皇。この人もCにするかDにするか迷うところで,例によって用語集の項目にないが教皇のバビロン捕囚の説明文に出てくる&旧課程では範囲内。グレゴリウス11世は大シスマ(教皇の並立)の契機となった,アヴィニヨンからローマに帰還したローマ教皇。マルティヌス5世はコンスタンツ公会議で一本化された時の最初の教皇。最近だと『乙女戦争』ですごい悪人面で描かれていたのが印象深い。


《ルネサンス・宗教改革期(15世紀末〜16世紀)》
君主名グレーディング
アレクサンデル6世 C☆☆☆
ユリウス2世    C☆☆☆
レオ10世      B☆☆☆☆☆
クレメンス7世   D☆☆
パウルス3世    D☆☆
グレゴリウス13世 D☆☆

アレクサンデル6世はチェーザレ=ボルジアの父親,イタリア戦争勃発時の教皇。入試ではこれらではなく教皇子午線で出る。ユリウス2世はボルジア家を追い落として即位したライバルのローヴェレ家出身。サン=ピエトロ大聖堂の再建を本格化させ,ブラマンテを起用した人物。Cに分類した中では,なぜだか比較的出題頻度が高く,割とBに近いと思われる。例によって用語集には項目なく,サン=ピエトロ大聖堂の説明文に登場。レオ10世はメディチ家出身,贖宥状の販売開始によって「九十五箇条の論題」を突きつけられた人。クレメンス7世もメディチ家出身。ローマ劫略の時のローマ教皇。同様に用語集に項目なし,ローマ劫略の説明文にいる。前3人に比べると出題頻度は低い。パウルス3世はトリエント公会議を開催した教皇で,ヘンリ8世を破門した人,イエズス会を認可した人でもある。現行の用語集にはどこにも載っていないが,旧課程では驚きの範囲内。旧課程,本当にローマ教皇を掲載しすぎでは。ここの5人は在位期間の極めて短い2人を挟んでほぼ連続した在位年代であり,いかにこの辺りの密度が濃いかわかる。最後に,少しだけ時期が離れたグレゴリウス13世は16世紀後半の教皇で,グレゴリウス暦の制定者。天正遣欧少年使節に会ったのもこの人。グレゴリウス暦の用語集頻度が,靴ない上に,その説明文にのみ登場するだけである。入試でもめったに出ず,「グレゴリウス暦」の名称から想像がついてしまうから出題しにくいのだろう。


《その後(17世紀〜)》
君主名グレーディング
ピウス7世    D☆☆
ピウス9世    E
ピウス11世    E
ヨハネ=パウロ2世 C☆☆☆

以後,ローマ教皇は高校世界史にほとんど出てこなくなる。あまりにも出てこないのでEを2人ほど掲載した。次の教皇は200年飛ぶ(典礼問題の時のクレメンス11世とか出題されてそうでそうでもない)。ピウス7世はフランスとコンコルダートを結び,ナポレオンの戴冠式に呼ばれた教皇。かの有名な絵画で所在なさげにしている人である。用語集に項目なし,コンコルダートの説明に登場。ピウス9世は1848年革命で一時ローマから逃れ,その後イタリア統一戦争で教皇領が消滅した時の教皇。実は同一人物である。ピウス11世はラテラノ条約の時の教皇。そして最後を飾るヨハネ=パウロ2世,実は範囲外という衝撃。旧課程にもいない。これなぜなんでしょうね。もっとも入試ではいつ出てもおかしくないのでグレーディングはCにしておく。


  
Posted by dg_law at 23:00Comments(2)