2023年12月25日

自分が登った山の『日本百名山』を読む(九州編)

97.阿蘇山
 いつもの歴史・文学語りは頼山陽から。頼山陽は1818年から1年間をかけて九州を周遊していて,阿蘇山も訪れたようだ。私事になるが,この間に長崎に旅行して訪れた料亭花月(当時は遊郭)に頼山陽は三ヶ月ほど滞在していたらしい。九州周遊の約四分の一をかけて滞在していたということになり,やはり長崎は学ぶものも遊ぶものも多かったのだろう。調べてみると大分(当時は豊後)の耶馬溪を命名したのも頼山陽と伝わっているそうで,豊後では広瀬淡窓とも会っており,わずか1年で吸収に残した足跡は多い。閑話休題,その他に『日本書紀』に早くも記述があることや,夏目漱石の『二百十日』の舞台であることが語られている。後者は存在自体を知らなかったのだが,夏目漱石は本作品に先立って阿蘇山に登っているらしい。作中の人物は登山に失敗しているのだが。
 実に深田はいざ阿蘇山に登ろうとしたが,「駅前に騒々しく群がる観光客を見ただけで,私はあやうく登山意欲を喪失しそうになった」となったのはいかにも彼らしい。観光客を避けて登ったのが大観峰だったとのことだが,面白いのは結局翌日「雑鬧に我慢して,観光バスで坦々とした舗装道路を登り,世界一と称するロープウェイに乗って労せずして噴火口の上縁へ到着した」と書いていることで,深田に雑踏を我慢しても見たいと思わせた阿蘇山の貫禄勝ちという趣がある。次に阿蘇山に行った際には「ここが深田に雑踏を我慢させた風景か」という感慨を持って眺望を確認したい。なお,そこからさらに山深くに入るとさすがに観光客が消え,中岳から見た稜線は霧氷に覆われていたそうだ(登ったのは早春)。なお,現在はロープウェイは運行を停止しており,バスが代行輸送を行っている。


98.霧島山
 1行目は,令和の御代からするとさすがに隔世の感がある「紀元節を復活するかどうか,二月十一日が近づく毎に問題になっている。」である。戦後直後の雰囲気が漂う。そこからしばらく高千穂峰の話題となり,「頂上には,有名な天の逆鉾が立っていた。」私はここにまだ登山を本格的に始めたばかりの頃に行ったが,装備が足りずに挫折した。いつか再挑戦したい。なお,深田は「もっともその逆鉾の史的価値についてはいろいろな論があった」「古代のものでないことだけは事実である」としているが,深田の執筆当時にはレプリカであることが確実ではなかったのだろうか。ついでに言うと坂本龍馬が引き抜いたという逸話を書いていないのは少し意外であった。深田が高千穂峰に登ったのは昭和14年,つまり皇紀2599年のことで,記念事業的に立派な登山道が整備されつつあったそうだ。1939年はまだ登山道を整備する余裕があった。
 深田は高千穂峰の前に韓国岳や獅子戸岳,中岳,新燃岳を登ってきたそうだが,現在では入山規制がかかっていてその半数は登れない。特に新燃岳は21世紀に入ってから断続的に噴火していて,向こう数十年は登れそうにない。興味深いことに,これら韓国岳などについての深田の記述は「それぞれの山頂から倦くほど高千穂の美しい峰を眺めた」の1行で終わっている。その後は再び高千穂峰の記述に戻り,なんとそのまま霧島山の章が終わるのだ。つまり,霧島山についての記述の9割は高千穂峰に費やされていると言ってよい。これは百名山としての大峰山の主峰が八経ヶ岳ではなく山上ヶ岳であるのと同じ理屈で,百名山としての霧島山の主峰は韓国岳ではなく高千穂峰ということになりそうだ。これに則るなら私はまだ霧島山を制覇していないことになる。困ったな……
 その高千穂峰についてだが,「日本の右傾時代には,不敬の心を抱いて高千穂峰に登ることも許されなかったが,今はそういう強制的な精神の束縛もなく」登れるようになったことを言祝いで山行記録を締めくくっていた。最後まで昭和の戦後直後の雰囲気が漂う章であった。


99.開聞岳
 日中戦争に出征していた深田が1946年に上海から復員した時,船から最初に見えた日本の風景が開聞岳だったそうだ。それは印象に残ったことだろう。開聞岳の名前の由来や歴史については,以前は「ひらきき」であったことや『延喜式』や『日本三代実録』に記録があること,9世紀の二度の噴火等,一通り触れている。
 深田は登ったのは戦前のことだったそうだが,すでに登山道は螺旋状に山を巻いていたようで,深田もこの工夫を褒めている。中腹ぐらいまでは密林で,上の方は灌木地帯で眺望がある点や,四周の風景に接することができる点も戦前と現在で変わらないようだ。山頂からの眺めは抜群であるが,南方の遠い島々だけは天候の加減で見えなかったことを嘆いている。奇しくも私が登ったのも12月で,やはり南方だけは見通しが悪かった。そういうものなのかもしれない。  

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2023年12月24日

自分が登った山の『日本百名山』を読む(中国・四国編)

92.大山
 伯耆大山。「伝説的に言えば,大山はわが国で最も古い山の一つである」からいつもの歴史語りが始まり,大山寺が僧兵を擁して暴れていたことや,『暗夜行路』の最後の場面であることまできっちり言及している。山容について言及する部分では,「だいたい中国地方には目立った山が少ない。その中でひとり大山が図抜けて高く,秀麗な容を持っている」から始まり,けっこうな紙幅を費やして中国地方から選出した百名山がこの一座しかない理由を説明するかのごとく中国山地をけなしている。もっとも本人があとがきで氷ノ山が候補に入っていたことを書いているし,二百名山ではその氷ノ山・蒜山・三瓶山が入っているから,中国山地も惜しいところで一座だけになった。そう考えると,大山のページではちょっと中国山地をけなしすぎている印象である。
 大山の山容について言及するなら外せないのが,見る角度によって山容が大きく異なるという点である。深田もこれには驚いていて,西からは出雲富士と呼ばれるほどに整っているのに,別角度から見ると山頂が深く崩落していてむしろ鋭く切れ落ちている。深田も書いている通り,その壁面の美しさが伯耆大山の持ち味の一つだと思う。
  
93.剣山
 四国剣山。「わが国の山名で駒についで多いのは剣である」,そしてそのほとんどは山の形から来た名前であるが「四国の剣山だけは違う」。私もこれは以前から疑問であったし,登ったけど結局わからなかった。深田は調べて「安徳天皇の御剣を山頂に埋め,これを御神体としたから」という理由を挙げている。もちろん壇ノ浦で沈んだことと矛盾するが,地元の寺(円福寺)に残る言い伝えでは,平国盛(教経)が我が子と偽って壇ノ浦から安徳天皇を連れ出し,その際に草薙の剣も持ち出した。しかし平家再興ならぬまま安徳天皇が夭折したため,ご遺言に従って宝剣を奉納した……という矛盾を解消するための伝承が追加されているらしい。四国剣山は公式サイトの電波がかなり飛んでいるのだが,その原因の一端をここに見た気がした。深田も「日本歴史で平家没落ほどロマンティックな色彩を帯びたものはない」と書いているが,ついでに日ユ同祖論まで呼び寄せることはなかっただろうに。
 四国剣山は山容が丸みを帯びている上に現在ではリフトが運行しているから,百名山ではトップクラスに登りやすい山である。一方で麓までのアクセス性があまり良くないのだが,深田が登った当時は輪をかけてそうだったようで,祖谷川沿いを延々と歩かされて「あまりに長い」と愚痴をこぼしている。歴史と風格ある百名山としては珍しく,深田が「人里から剣山を仰ぐ事は出来ないのであろう。それほど奥深い山と言える」と書いている通り,標高もさしてあるわけでもないのに,よく古くからの信仰の山となったものだ。一歩間違えれば大台ケ原や美ヶ原のような扱いだったのではないか。そうならなかったのはやはり平家の落ち武者伝説の影響はありそうで,この際胡散臭いのは仕方がないと割り切らなければいけないのかもしれない。
 

94.石鎚山
 歴史・文学語りは,山部赤人や西行法師が「伊予の高嶺」と詠んでいて和歌の題材となっていたことや,『日本霊異記』には早くも名前が挙がっていること,役行者が登ったらしいことを語っている。なお,山部赤人は道後温泉でその歌を詠ったのだが,実際には松山から石鎚山が見えないので別の山の可能性もあるとのこと。
 石鎚山といえば長大な四本の鎖が有名であるが,深田の記述は意外にもあっさりしていて,ほぼ「上に行くほど鎖は長くなり,急峻さも増してくる」と書いているのみである。そういえば試しの鎖は言及がなかった。一の鎖以降の三本は少なくとも1779年に掛け替えた記録が残っており,江戸時代中期頃からあったようだ(現地の看板には江戸時代初期に最初に掛けられたと説明がある)。試しの鎖については調べてみたところ昭和7年に掛け替えた記録があるようなので,少なくともそれ以前からあったのだろう。深田が登った当時にはまだ存在していなかったわけではなさそうであるが,記述から漏れた理由はなぜか。
 深田は天狗岳まで登った後に下山してバスで帰ったそうで,バスの車中から石鎚山を仰ぎ見て「今日,あの頂上に立ったとは思えない,遥かな崇高な姿であった」と述懐している。これは登山が好きな人なら大いに同意できる感慨で,下山した後の帰路で山を仰ぎ見るたびに,さっきまであそこにいたとは信じられないと思ってしまう。人は半日で意外と歩けるものなのだとか,人類文明の領域である麓と自然の只中である山頂との対比等で感情が湧き出てくるのである。  
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2023年12月21日

自分が登った山の『日本百名山』を読む(北陸・関西編)

88.荒島岳
 深田は石川県大聖寺(現在は加賀市)の出身だが,「母が福井市の出だった関係から,中学(旧制)は隣県の福井中学へ入った」。そのため,荒島岳は深田が中学生の頃から知っていた山だが,実は長らく登っておらず,初めて登ったのは『日本百名山』の執筆から数年前とのことであるから1950年代のことだろう。荒島岳は深田が故郷の山だから選出されたのだと言われがちだが,実は大して登っていない山だったりする。とはいえ,実は深田自身が「もし一つの県から一つの代表的な山を選ぶとしたら,という考えが前から私にあった」として,そこから荒島岳と能郷白山で悩み,荒島岳を県代表とした……と全く隠す気が無く書いている。直接明言した文ではないが,福井県から一つも百名山を選出しないわけにはいかなかったと解釈しうる。
 ちょっと面白いのは,中学の頃から麓から立派な山容だと眺めていたことが長々と述べられた後,しかしながら「千五百米程度の山へ登るために,わざわざ越前の奥まで出かける余裕はなかった」などと最近まで登らなかった言い訳を述べ,然る後に突然,上述の県代表論を語り始める。それで4ページ中のほぼ3ページを使っていて,いつもの山名や歴史・信仰についての語りが全くない。例によって山行記録は最後の半ページのみで,眺望では白山が神々しいほど美しかったと述べている。私が登った感想としてもその点には同意するが,深田がしきりに言う麓から見た山容の良さや品格はあまり感じられなかった。『日本百名山』の本項を読んだ結果,やはり故郷びいきで県代表として選出したという疑念は晴れなかったどころか,深まってしまった。


89.伊吹山
 伊吹山の章は東海道線の車窓から見えることから始まり,いつもの文学・歴史語りが始まる。当然ヤマトタケルの伝説に触れているが,「その伝えから頂上に日本武尊の石像が立っているが,尊にお気の毒なくらいみっともない作りなのは残念である」と書かれている。私もその石像を頂上で見ているが,確かにあれは残念なヤマトタケルの像で,深田が登った頃からいて直されていないことに少し驚いた。いつから立っているのか気になるが,1分で調べた範囲ではわからなかった。大体のことは褒める深田が「みっともない作り」と言うレベルの石像,さすがに作り直したほうがいいのではと思うが,少なくとも60年以上は経っているわけで,残念な姿のまま文化財になってしまった感もある。(追記)調べてくれた人がいた。大正元年11月21日に開眼供養が執り行われたとのこと。立って110年以上も立っているようだ。
 当然,スキー場にもセメント工場にも言及がある。もちろん伊吹山を騒がしくするものとして文句を言っている。深田は「頂上に密集しているたくさんの小屋を見ただけでも,夏期の繁盛ぶりが察しられる」と書いているが,現在の伊吹山山頂で経営している小屋は5軒で,当時はこれより多かったのか同じなのかが気になるところ。なお,伊吹山ドライブウェイが通って誰でも山頂まで行けるようになったのは1965年のこと,『日本百名山』発刊の翌年のことで,執筆当時にはまだ計画すら無かったか,全く触れていない。さらに騒がしくなってしまうので,深田には厭わしい出来事か。
 山頂からは「元亀天正の世」の古戦場として姉川・賤ヶ岳・関ケ原が見える他,鈴鹿山脈,琵琶湖と比叡山等も見えるが,深田が第一に見たのは白山だったようだ。伊吹山から白山はけっこう見えにくかったような覚えがあるが,それでも白山を探してしまう辺りに深田の白山への愛がある。ひょっとして荒島岳を選出したのは白山が一番綺麗に見えるという一点だけで他は後付なのでは……


90.大台ケ原
 大台ケ原は大峰山と違い,明治になってから開かれた山である。人が踏み入ってからの歴史が浅い山なので深田は何を書くのかと思ったら,享保六年に蘭学者の野呂元丈が薬草採取のために登った記録があるというのを引いていた。探してみれば登った人がいるものだ。
 大台ケ原の特徴といえば年間4,000mm超の降水量であるが,深田も「大台ケ原に登って雨に遇わなかったら,よほど精進のよい人と言われる。」と書いている。その後,深田自身は「素晴らしい天気に恵まれた」と書いているのだが,深田さんはそんなに精進のよい人でしたっけ……? 深田自身も自覚があって「精進がよかったからではなく,選んだ季節が雨期を外れていたからであろう」と書いている。私自身が登った時も快晴に恵まれたので,どうも精進がよいかどうかは関係がなさそうだ。なお,「精進の(が)よい」でググるとほぼ大台ケ原についてのページしか出てこなかった(いずれも『日本百名山』からの引用)。現在では「精進のよい」という語はほぼ大台ケ原の天気についてしか使われない言葉と言っていい。
 深田は大台ケ原の山頂について「秀ヶ岳」と書いているのだが,現在の呼び名は「日出ヶ岳」である。ググるとこれまた『日本百名山』からの引用記事ばかりが見つかり,旧名なのか別称なのか,深田の誤記なのか調べはつかなかった。あまり誤記には思えないので旧名のような気はする。
 大台ケ原の牛石ヶ原には神武天皇の銅像が立っていて,これが雰囲気に合わず異常に浮いているのだが,1928年設置と古く,当然深田も見ていて一応存在に触れているが,感想は特に書いていなかった。伊吹山のヤマトタケルもそうだが,少なくとも私は神話の由来があるからと言って雰囲気に合わない像を立てるべきではないと思う。しかもこの神武天皇は記紀で大台ケ原に登ったとされているわけではなく,伝説・神話としてさえも信憑性が薄い。まあ立てたのが神道系の新興宗教の開祖なので突拍子のなさについては仕方がないのかもしれない。
 深田は大台ケ原に二度登っていて,二度目は大台ヶ原ドライブウェイが通っていたから1961年以降の登山である。行きはこれを利用したそうだが,帰りは(おそらく喧騒を嫌って)大杉谷から下山したそうだ。美しい渓谷で知られる長い登山道であるが,深田に「渓谷の美しさは日本中で屈指といっていい」とまで言わせている。興味はあったが,やはり計画を立てるべきか。


91.大峰山
 私が深田久弥の『日本百名山』に本格的な興味を抱いたのは,大峰山に登った時である。下山後に宿泊した洞川温泉のあたらしや旅館で,廊下に深田久弥の色紙が飾ってあり,同行者と「何か縁があるのかな」と話していたところ,仲居さんに「深田さんはここに泊まって山上ヶ岳に登られたのですよ」と返された。その後,夕飯の牡丹鍋に舌鼓を打っていると,古株の従業員が話しかけてきて,深田久弥の思い出話を聞かせてもらい,なんと深田の宿帳まで見せてもらい,「深田は山上ヶ岳こそ大峰山だと考えていた。八経ヶ岳はただの最高峰でしかない」と熱弁を聞いた。これが非常に印象に残ったのであった。あたらしや旅館は深田が泊まった宿であることを全然アピールしていないのだが,もったいないのでもっと宣伝すべきだと思う。
 
 閑話休題。日本人の登山としては最古の山なだけあって書けることが多すぎるためか,歴史パートは役行者が開山したことから書き始めて存外すぐに終わる。その中で確かに「(山上ヶ岳が)大峰山の代表と見なしていいだろう」と書いている。ただし,修験道の道場としての大峰山は山脈全域であって,特定のピークではないことも強調していた。
 山行記録について,深田は「泉州山岳会の仲西政一郎さんの案内で大峰山を訪れた」と書き始める。あたらしや旅館の宿帳にはこの仲西政一郎氏の署名もあり,確かに二人で泊まっていたのが確認できる。私は宿帳を見てから『日本百名山』を読んだので順番が逆になってしまったが,『日本百名山』を読んでから宿帳を見た方が感動するだろうと思う。なお,この仲西政一郎氏は父親も当人も修験者(山伏)であった筋金入りの登山家であり,関西の登山ガイドを多数執筆したことでも知られる。
 そうして深田は洞川温泉を出発して山上ヶ岳に登り,「女人不許入」の石標から入って洞辻茶屋,「西の覗き」と見て山頂の宿坊に泊まった。翌日に山頂を踏んだ後に南下し,大普賢岳・行者還岳・弥山と縦走して,八経ヶ岳の山頂から下山している。確かに山上ヶ岳以外の記述は淡白であった。なお,修験道としての縦走路はまだ南に続いていたが,「私はその最高峰を踏んだことに満足して山を下った」そうなので,深田の本質は登山家であって修験者ではないのである。  
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2023年12月15日

自分が登った山の『日本百名山』を読む(金峰・瑞牆・木曽駒・北岳)

68.金峰山
 荻生徂徠が金峰山に言及して「最も険しく」「天を刺すもの,金峰山なり」と述べていると引用しつつ,「漢文口調の誇張であって,甲府盆地から仰ぐ金峰山は決して嶮峻といった感じではなく,むしろ柔和で優美である」と評している。これは深田の意見に賛成で,金峰山は2599mの高峰ながら周囲の山も高く(『日本百名山』では2595m),山塊の中心にいるどっしりとした山である。荻生徂徠は誇張したというより,何を見てそう述べたのか,そちらの方が気になってしまう。著書の『峡中紀行』は一応甲斐国を巡って書かれたものらしいので,実地に踏み入れているはずである。
 荻生徂徠への指摘はまだ続く。彼は金峰山の名前の由来について「頂上はみな黄金の地であって」「登山者は下山に際してワラジを脱いではだしで帰らねばならない」としているそうなのだが,金峰山は大峰山の別称からとられた名前であって蔵王権現信仰に由来するというのが正しく,深田久弥も当然このことを指摘している。なんというか,荻生徂徠,『峡中紀行』については相当に雑なことしか書いておらず全く信憑性が無い。江戸中期の知識人なら金峰山の名前の由来くらいは日本仏教史の基礎知識として知っていて然るべきはずで,荻生徂徠の教養に疑問を持ってしまった。他の本でも適当こいてない? 大丈夫?
 例によって深田自身の山行記録は短いが,関東大震災の翌年に登ったというから1924年,一高の生徒だったとのことである。若くて経験が浅い上に一人旅であったから,長距離登山を散々迷いながらこなしたのがわかる記録になっている。それにしても当時は昇仙峡から登ったそうで(そもそも甲府から昇仙峡も歩いている),地図で確認してもらえばわかるが,尋常じゃなく遠い。当然,富士見平にも大弛峠にも言及はない。


69.瑞牆山
 特徴的な山名であるので,山名蘊蓄が長い。昔の人の命名は笊や槍などシンプルであるから「昔の人はこんな凝った名前をつけない」。そこで深田は瑞牆山の由来を熱心に調べたが,結局わからなかったため,深田にしては珍しく憶測で書いている。山が三つ連なっていることから三繋ぎ(みつなぎ),そこから転じて「みずがき」の音となり,最後に風流な漢字が当てられたのではないかという。それに対し北杜市のホームページは瑞牆山の岩峰群が神社の周囲の垣根(つまり玉垣)に見立てられ,そこから転じたものではないかとする説を唱えている。その他にも説がいくつかあり,真相はわからない。ともあれ深田は「由来はどうあれ,瑞牆という名は私は大へん好きである」と気に入っている。
 瑞牆山は金峰山に比べると記録に乏しいが,深田は金峰山を見つけた修験者が瑞牆山を見逃すはずがないとして,実際には瑞牆山も古くから知られていたのではないかとも推測している。これは私も同感で,深田や私でなくとも巨岩があったら大体修験者がいる印象は登山者なら誰しも持っているのではないだろうか。言われてみると記録に乏しい方が不思議である。また,深田は瑞牆山の美点として「岩峰が樹林帯と混合しているところ」を挙げており,これにも強く同意する。樹林帯から突き出るように岩峰が伸びているのが美しいのである。
 なお,瑞牆山の登山道は当時と現在でほぼ変わらない経路であったようだが,それでも富士見平の名前は出てこなかった。深田が書き落としているだけか,『日本百名山』出版後に命名された比較的新しい地名ということか,どちらか。


74.木曽駒ヶ岳
 とりあえず山名の由来から入るいつもの構成。駒ケ岳という単純な名前ではあるが,意外と様々な説があるらしい。深田が言う通り,「それらよりも,岩や残雪によって山肌に駒の形が現れるという説」が最もそれっぽい。深田はそれ以外に,日本は古来山脈を竜に見立ててきたが,「竜は駒に通じる」ので,それを由来とするのではないかという説も押している。木曽駒ヶ岳は雨乞い祈祷が盛んであった山であるから,あながち外れてもいないのかもしれない。
 木曽駒ヶ岳はロープウェーが無かった時代でも比較的登りやすい3000m級だったようで,江戸時代から高遠藩による調査登山の記録が残っており,庶民にも集団登山の文化が及んでいた。このため1913年には麓の小学校が教職員と小学生合わせて37名の集団登山を行い,暴風雨に遭って遭難し,8月であったにもかかわらず校長以下11名が凍死するという事件まで起きたことを紹介している。長野県の義務教育課程には学校行事で集団登山の風習があることは聞いていたが,1913年からあることにも,こんな事件があっても続いたことにも驚きである。いや,小学生に3000m級の山を麓から登らすな。例によって山行は短く,4ページ目の半ページも使っていないが,四方の眺望の絶景を褒め称えている。


80.北岳
 「日本で一番高い山は富士山であることは誰でも知っているが,第二の高峰はと訊くと,知らない人が多い」という書き出しで始まる。深田もこのネタが現在まで擦られ続け,むしろ北岳が有名になってしまったとは思うまい。なお,『日本百名山』では北岳が3192mとなっているが,現在では3193mである。北岳は現在でも隆起が続いていて,年間約4mmずつ標高が高くなっている。100年で40cmとするとなかなかのペースであり,西暦4000年頃には3200mの大台に乗っているかもしれない。
 深田は北岳も白峰三山として意外と歴史があることに触れた上で,にもかかわらず「あまり人に知られていないのは,一つにはこの山が謙虚だからである」と擬人化して説明している。確かに「奇矯な形態で,その存在を誇ろうとするところもない」。高潔な気品があるとして,「富士山の大通俗に対して,こちらは哲人的である」と褒めちぎっている。深田は本音では富士山よりも北岳の方が好きなのだろう。
 それだけに,夜叉神峠から広河原までの車道が完成し,難易度が大きく下がって簡単に登れるようになったことについて,「喜ぶべきか,悲しむべきか,私は後者である」と率直に述べている。その広河原から登った身として言えば,いや広河原からでも十分に険しかったし,北岳まで来てしまうような人はもう深田の言うところの大衆とは言えまい。富士山や天城山などに比べれば,まだまだ全然神秘性が剥ぎ取られていないのが北岳だと思うのだが,どうだろうか。  
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2023年12月14日

自分が登った山の『日本百名山』を読む(雲取・大菩薩・富士山・天城)

66.雲取山
 深田久弥は都会の喧騒が嫌いすぎて,「煤煙とコンクリートの壁とネオンサインのみがいたずらにふえて行く東京都に,原生林に覆われた雲取山のあることは誇っていい」とよくわからない褒め方をしている。また「雲取山は東京から一番近く,一番深山らしい気分のある二千米峰だけあって,高尾山や箱根などのハイキング的登山では物足りなくなった一が,次に目ざす恰好な山になっている」とする。これは現代でも変わっていない。かく言う私も初めて山小屋に泊まったのはこの雲取山だった。一方で,「一番やさしい普通のコースは,三峰神社までケーブルカーであがって,それから尾根伝いに,白岩山を経て達するものであろう」としている。現在では鴨沢から登っていくのが一番楽だと思われるので,当時は鴨沢ルートが荒れていたものと思われる。奥多摩を手に入れた東京都が,過保護気味に登山道を整備するとは,深田も予想していなかっただろう。それでハイキング気分の登山客が増えるのは深田の望むところでは無かっただろうが,雲取山については難易度の問題で現代でも深山の雰囲気を保っているように思う。なにせ登山道でクトゥルフ神話が打ち捨てられている程度には深山である。
 ついでにどうでもいいことに気づいたが,深田久弥は竈門炭治郎とほぼ同時代人で,約4歳差で炭治郎が年上と推定される。炭治郎が鬼殺隊解散後に故郷に戻ったとしたら,学生時代の深田久弥とすれ違っているかもしれない。創作物と現実を混同するのはやめよう。
 深田は三条の湯に前泊し,そこから登り始めて「山の家」(後の雲取山荘)で一泊,それから富田新道(「山の家」の主人富田氏が開いた新道)で下山したとのこと。富田新道は知らなかったので調べてみたら,現在では登る人がほとんどいない道のようで,スタートから2時間も林道歩きが続く。それは絶えるわけだ……それが使われていたということは,前出の三峰からのルートが一番易しいと言われていることも合わせるに,当時はよほど鴨沢ルートが勧められない状態だったということか。非常に意外であるが,どの程度荒れていたのか気になる。


70.大菩薩嶺
 小説『大菩薩峠』は1913年から1941年にかけて連載された。大菩薩嶺もその影響で人気が高まっていくことになるが,深田曰く1923年に登った際には他の登山者に全く出会わなかったという。『大菩薩峠』で大菩薩峠が舞台だったのは最序盤のみであるが,1925年に作者の中里介山が大菩薩峠を訪れているそうなので,そこから人気が出たということだろうか。深田自身は喧騒が嫌いなので,この件はあまり紙幅を割いていない。比較的有名な話であるが,深田は今の大菩薩峠は『大菩薩峠』が舞台とする幕末当時の場所から少し南にずれていることにちゃんと触れている。一点補足すると,真の大菩薩峠は現在「賽の河原」と呼ばれていて,大菩薩峠から大菩薩嶺に向かうと自然と通る。また,樋口一葉が『ゆく雲』で大菩薩嶺の名を挙げていて,文学史上,中里介山よりもかなり早いことを指摘しているのは文人としての深田久弥の面目躍如だろう。
 大菩薩嶺は非常に難易度が低い山であるが,昭和の初期からそうだったようで,深田は「初心者にとってまことに恰好な山」「東京から日帰りができる」「安全なコースが開かれている」と記している。元は青梅街道が通っていたわけであるから,街道の中では難所だったとはいえ,ハイキングコースとして見れば自然と易しいという話になるか。
 深田は登山道入り口に雲峰寺という国宝の寺院があると記しているが,残念ながら現在はさらに近くに登山道入り口ができたため,わざわざ雲峰寺に寄る登山客は少なかろう。実は私は図らずも下山時に雲峰寺に立ち寄っているのだが,がんばって寄るほどの価値があるかと問われると微妙であると思う。また,雲峰寺の建物群は重要文化財である。国宝ではない。これには少し事情があり,戦前は国宝と重文の区別がなかったので全て国が指定する文化財は全て国宝だったのだが,戦後に文化財保護法が制定されて,旧国宝は改めて国宝と重文に分けて指定された。これは1949年のことなので,深田が『日本百名山』を執筆するよりも前の出来事なのだが……調べずに戦前の記憶に頼って書いたか。『日本百名山』では珍しい明らかなミスだ。


72.富士山
 饒舌で4ページに文章を収めるのに苦労していそうな深田にしては珍しく,冒頭「この日本一の山について今さら何を言う必要があるだろう」から始まっている。と言いつつも,役行者小角に都良香に山部赤人,松尾芭蕉に池大雅に葛飾北斎を引いて歴史を語り,紀行文『日本百名山』としての役割を果たしている。「一夏に数万の登山者のあることも世界一だろう」と書いているが,コロナ前は約20万人に達していた。まさに「これほど民衆的な山も稀である。というよりも国民的な山なのである」。
 深田は富士山の特殊性を「富士山ほど一国を代表し,国民の精神的資産となった山はほかにないだろう」「おそらくこれほど多く語られ,歌われ,描かれた山は,世界にもないだろう」として,もっぱら日本人の精神的土壌になったことについて紙幅を費やしている。実際に富士山はその価値が認められて文化遺産として世界遺産となったのだった。それだけ卑俗的な山ということになるが,深田は「結局その偉大な通俗姓に甲(かぶと)を脱がざるを得ない」と降伏している。俗世を嫌う深田にここまで言わせる富士山はやはり別格である。ただし,深田はとうとう富士山のページでは自らの山行について一言も言及がなかった。歴史や文学を語って紙幅を消費しきっただけかもしれないが,深読みするなら,実はやはり世俗にまみれすぎていて富士山のことはそれほど好きではないのかもしれない。


73.天城山
 深田は天城山について,戦前は要塞地帯だったために地図が無かったことや,信州や甲州の山に比べて惹かれなかったことから,長らく興味が持てなかったことを吐露している。しかも,終戦後に地図が出るや否や世俗に染まっていきそうなことを危惧している。それで最初の1ページが終わり,2ページ目で伊豆半島が活発な火山活動で形成されたことに触れ,3ページで早々に山行記録に入ってしまう。……あれ,『伊豆の踊り子』や『天城越え』(松本清張)は? 下田街道は? 歴史や文学にほとんど触れていない点で他の山と一線を画している。
 山行記録も山に入るまでが長く,3ページ目は概ね伊豆半島や大室山の感想であるから,実質的に4ページ目だけである。しかも深田が登ったのは12月下旬,ひたすら寒かったようで,早々に下山して温泉に入ったことで終わっている。また,「天城のいいことの一つは,見晴らしである」としているが,現在の天城山は樹林帯に埋没していて,万二郎岳や万三郎岳はあまり眺望が良くない。
 実は私自身も天城山を登って百名山にたる良さが無いという感想を持ったのだが,読んでみると深田もそこまで思い入れがあって百名山に入れたようには全く思われず,いわゆる当落線上の三十座の一つに違いなかろう。百名山からクビでいいのでは。  
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2023年12月12日

自分が登った山の『日本百名山』を読む(長野県編)

43.浅間山
 浅間山が常に煙を吐いていることが強調されているが,現在では言うほど煙を吐いていない。とりわけ私が登った時には全く煙が出ていなかった。もっとも,だから噴火警戒レベルが下がっていて前掛山まで登れたのではあるが,深田が登った当時はどれだけ煙が出ていようがきっちり登頂できたのだろう。おおらかというか人命が軽い。なお,深田が浅間山に登ったのは高校1年生の時だったとのことで,案の定「絶頂の火口壁で噴煙に襲われて逃げまどった」と述懐している。挿絵の登山地図には前掛山の表記が無い。浅間山に直接登れた当時は,前掛山に登る人はいなかったということか。
 また当時は峰の茶屋(軽井沢側)から登るのが一般的だったところ,深田は小諸から登ったとのことである。現在では峰の茶屋からの登山道は封鎖されていて,小諸側か嬬恋村からしか登ることができない。私が登ったのも小諸側からであるが,天狗温泉浅間山荘で一泊してからの登山であった。深田が登った当時はまだそこに旅館がなく,小諸市街から「夜をかけて」登ったようなので大変である。調べてみると,あそこに浅間山荘が建ったのは1957年のことで,深田が高校1年生の時には存在していない。


60.御嶽
 他の霊山が一般登山に飲み込まれたのに対して,御嶽山だけは宗教登山の風俗を濃厚に保っていることを強調しているのは,いかにも深田らしい記述である。これは数十年後の現在では評価が難しい。御嶽も随分と一般登山者が増えていて,深田が言う一般登山者が「疎外感のような感じ」ということは完全に無くなっている。それでも他の山に比べると信仰篤く,宗教色が残っているようにも思われる。深田は御嶽の宗教的モニュメントの多さを指摘していて,これは2014年の噴火も乗り越えて,今なお残っている。というよりも石碑の多さが御嶽山をまだ信仰の山たらしめている最後の砦と言えるかもしれない。あるいは逆に,そうした膨大な石碑が生み出す一種異様な雰囲気自体か観光の対象と化していて,やはり信仰は観光に飲み込まれているとも言えよう。
 深田が登った当時と現在の最大の違いはやはり2014年の噴火である。浅間山や磐梯山など他の火山では噴火に言及があるが,御嶽山のページでは一切言及がない。どころか御嶽が火山であること自体に言及がない。なにせその頃の御嶽山は死火山と思われていて(死火山という概念自体が21世紀には滅んでいる),御嶽山の小規模な活動が見られたのは1979年のことであった。2014年の大噴火は当時の登山家にとって青天の霹靂であり,だからこそ大きな被害が出たのである。死後40年以上も経ってからの出来事であるから言及できるはずがないことはわかっていても,微妙な違和感がぬぐえない。もうこれほど牧歌的に御嶽を語ることができなくなったわけで,『日本百名山』で最も時の流れを感じるのはこの御嶽の部分かもしれない。


61.美ヶ原
 古来の日本で高原を愛する趣味はなく,もっぱら西洋趣味として導入されたが,それに最も適合するのが美ヶ原であるという。確かに修験にも向かず酪農の生業もなかった日本人は高原を扱いにくかったのかもしれない。深田はここで西洋趣味としての高原の事例としてセガンティーニの絵を引いており,ここは昭和の文人らしい。実際に美ヶ原は名前負けしない高原としての美しさを持ち,私も行ってみて驚いた。命名の勝利である。当然このような名前が古くからあったわけではなく,昭和になってからとのことで,深田が訪れたのは命名されてからさほど時間が経っていない時期であった。何しろ美しの塔が建つ(1954年)よりも前のことであり,それだけに深田は全く他の登山者と会わずに高原を独占したそうだ。その後すぐさま世俗化してしまったため,『日本百名山』執筆当時の美ヶ原の様子を嘆いている。私は深田と違って世俗化にこだわりはないが,人っ子一人いない美ヶ原を歩く気持ち良さについては羨ましくなった。


62.霧ヶ峰
 深田は戦前に一夏を霧ヶ峰の山小屋に逗留して過ごしており,隣の部屋に小林秀雄がいたことを述懐している。天気が良ければ二人で歩き回ったそうだ。小林秀雄の登場は谷川岳に続いて二度目である。深田は霧ヶ峰について,登る山ではないが「遊ぶ山」としては最高だと評している。それだけに霧ヶ峰は蘊蓄よりも山行記録が長い珍しいページになっている。車山や八島湿原はもちろんのこと,霧ヶ峰の山行記録は細かな地名にも触れていて詳細である。
 霧ヶ峰は美ヶ原と違って歴史が古く,旧御射山で源頼朝が狩猟を催した記録があることに触れている。深田はそこで「大昔の土器のかけらを拾うことができた」そうなのだが,実際に旧御射山は鎌倉時代の遺跡が発見された。発掘調査が進む前だったので簡単に拾うことができたのだろう。また旧御射山を散策中に諏訪明神を祀った小さな祠を見つけたと述べているが,その小さな祠は現存している。まさかあんな小さな社で深田の追体験をしていたとは思わなかった。


63.蓼科山
 『日本三代実録』にも登場する古い山であり,文人,特に『アララギ』の詩人に好まれ,斎藤茂吉らに詠まれていたことが紹介されている。立科,諏訪富士,飯盛山,高井山,女の神山と様々な呼び名があるが,富士山に似た円錐形の形に由来しているものが多いとのこと。深田は直接触れていないが,蓼科という名前自体,蓼(立)は切り立っていること,科は階段の意味でやはり円錐形に由来している。
 個人的には蓼科というとビジンサマの印象が強いのだが,何にでも言及する深田ながらこれには言及が無かった。怪異には興味が薄かったか。ついでに言うと蓼科や八ヶ岳の長野県側は縄文時代の遺跡が多数見つかっているが,八ヶ岳のページを含めてそれにも言及がない。調べてみると,戦前から発掘が進んでいたのは尖石遺跡のみで,他の遺跡は1950年代以降が多かった。とすると,深田には蓼科や八ヶ岳に縄文のイメージが無かったと思われる。
 例によって当人の山行記録は短く,最後の1ページのみ。北側斜面の蓼科牧場から登っている。現在の蓼科山登山は南側斜面が主流であるが,偶然にも私も北側から登った。やはり「頂上は一風変わっている」として,「大きな石がゴロゴロころがっているだけの円形の台地で,中央に石の祠が一つ有り」とのことなので,あの独特の景観は60年以上前から変わっていないようである。ここでも小さな祠は私が見たものと同一と思われ,ああいうタイプの小さな祠は意外と耐久力があり,数十年単位で残るものらしい。小さな祠に一々言及する深田のおかげで検証できている。  
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2023年12月11日

自分が登った山の『日本百名山』を読む(北関東編)

30.谷川岳
 最初の話題は当然,遭難死者である。『日本百名山』が書かれた昭和30年代ではまだ二百数十人だったようだが,2023年現在は800人を優に超えている。調べみると,ちょうど昭和30〜40年代に最も死者が出ており,しかもその多くが一ノ倉沢の登攀と積雪期での凍死である。21世紀に入ってからは危機意識の高まり,装備の改良等により死者が大きく減っている(それでも年に2,3人ずつの死者が出ている)。百名山ブームが死者を増やしたとあっては深田もやりきれない。
 深田が紹介していて面白かったのは,山名に関するエピソードである。実は真の谷川岳はトマの耳でもオキの耳でもなく俎瑤噺討个譴觧海任△辰が,国土地理院の前身にあたる機関が5万分の1地図を作った際に,それまで谷川富士・薬師岳と呼ばれていた両耳を指して谷川岳と記載し,それが定着してしまったのだという。その俎瑤呂匹海砲△襪里とYAMAPの地図で調べてみると,トマの耳からかなり西に位置し,現在では登山道が点線(バリエーションルート扱い)になっていた。訪れる人もほとんどいないのだろう,山行記録を探して読んでみると藪こぎの痩せ尾根であった。なかなか後世への影響が大きいミスであるが,俎瑤鷲弦發1886mとオキの耳より約90m低く,天神峠から一ノ倉岳に続く谷川連峰からは少し外れた場所に位置しているから,こちらが主峰と言われても納得しがたい。国家機関が勘違いしたのもやむを得ないように思われた。仮にミスが無かったとしても将来的に両耳が主峰扱いされるようになっていったのではないか。
 自らの山行記録として,深田は1933年に小林秀雄を連れて谷川岳に登った思い出を書いている。二人の関係を全く知らなかったので調べてみると,東京帝大の一学年違いで深田は1926年に文学部哲学科,小林は1925年に仏文科に入学している。雑誌『文學界』を小林が立ち上げると深田は編集委員に誘われているし,谷川岳以外に八甲田山・霧ヶ峰・鳳凰三山・鹿島槍ヶ岳・八ヶ岳も二人で登っているから相当に親しい。なお,登山中の小林秀雄は深田の指示に従順だったそうで,小林秀雄は中学生時代に雲取山に登って遭難しており,それがトラウマになっているのが理由だろうと論じたブログも見つかった。まあそうでなくとも登山中に先達の指示に従わないと普通に死ぬから,小林も従順になるだろうが,従順な小林秀雄の姿はどうも想像できない。


36.男体山
 深田は男体山について,縁起に紙幅を割いている。胡乱なものが多い日本の山の開山記録において,「一番実証性のあるのは,日光の男体山である」という書き出しで始め,4ページ中の丸2ページを費やしている。782年,勝道という修行僧が登頂に成功したことが空海により『性霊集』に書かれており,その記述がかなり詳しいので,深田も紹介したくなったのだろう。日本に近代登山の概念が導入されたのは明治になってからであるが,空海によれば勝道は登頂に成功して「一たびは喜び,一たびは悲しみ,心魂持し難し。」と感じたようである。深田が指摘するように,これは近代登山的な精神だろう。
 元の名前は二荒山であり,補陀落が由来であろうことを紹介した後,短く自らの山行を書いているが,登ったのは1942年のことらしい。思い切り戦時中である。「非常に急峻で,湖畔から頂上までひたすら登りづくめ」との評である。確かに登りづくめなのだが,他の百名山と比べて相対的に急峻かというとそこまでではないと思われ,また当時と今で登山道が変わっていないとも思われるので,ここは深田久弥の感覚がわからない。


37.奥白根山(日光白根山)
 まず驚いたのは,深田が日光白根山について「注目する人は極めて少ない」と書いていることである。当時は人気が無かったのか。また「日光側から登る人が大部分であるが」と書いているのも現代とは異なる。深田は上野(群馬)側に史跡が多いことに注目して,こちらが表口だったのだろうが,現在では廃れてしまったと指摘している。それがスキー場ができてロープウェーができて,すっかり群馬側から登るのが主流になろうとは,深田も想像していなかった。
 深田自身は日光側から登っていて,珍しくも山行記録が4ページ中2ページと長い。山頂付近について「どこを最高点とすべきか判じ難い」とし,火口跡が多く,「岩石の小丘が複雑に錯綜している」。「その丘の一つに貧弱な小祠があって,白根権現が祀ってある」とあり,山頂の様相もこの小祠も,私も見覚えがある。下山は群馬側に進み,「七味平という気持ちのいい小草原まで下ると」という記述があるが,七味平は現在では七色平と呼ばれている。名前が変わったのか誤植か判断がつかないが,なんとなく誤植ではないかと思う。しかも現在は言うほど平でもなくほぼ樹林帯になっているから,日光白根山の群馬側は深田が登った時とは相当景色が違うのではないか。
 余談になるが,自分が初めて『日本百名山』を読んだのは日光白根山登山の際に泊まった丸沼高原のペンションの蔵書であった。ワインで酔った頭でも意外と気楽に読めたことで,日光白根山登山とともに印象に残った。


44.筑波山
 深田久弥が標高1500m以上という縛りを破って入れた山の一つ。しかも深田が嫌った世俗化した観光地の山である。それを押してでも百名山に入れたのは,深田曰く「歴史の古いこと」であるという。なにせ『常陸風土記』に記録がある。そこには富士山をディスりつつ筑波山は雪が降らないことを称揚するエピソードが書かれているらしいのがちょっと面白い。筑波山は登りやすすぎるためか,古くから宗教登山ではなく庶民による遊楽登山の対象であり,女性は筑波山で男性から結婚を申し込まれる風習まであったようだ。だから世俗的なのは当たり前……というのが深田の立てている理路である。なるほど,であれば現在の筑波山が格好のデートスポットになっているのは歴史的に正しい。
 また,深田は東京から筑波山が見えたことを挙げ,関東平野という単位で考えれば筑波山は案外高い独立峰であると指摘している。しかし,現在の東京から筑波山を見るのは難しい。深田が大学生だった頃とは何か条件が変わっているのだろうか。高層ビルは間違いなく増えているが,空気が汚れているかどうかは少し疑わしい。  
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2023年12月10日

自分が登った山の『日本百名山』を読む(東北地方編)

書籍全体の書評を書いたので,個別の山の記事についての感想はこちらに書いていく。主には勉強になったメモと,深田の感想と自分の感想の違い,時代の違いによる差分について。数字は深田自身によるナンバリングである。


10.岩木山
 深田は1930年頃に,嶽温泉から登って岩木山神社の方向に下った。私が登った時は霧が出ていて山頂からの眺望が死んでいたのだが,深田が登った時も雨混じりの曇天で眺望は全く得られなかったとのこと。さらに,私も岩木山神社の方向に下ったのだが,大きめの石が転がる沢筋で,斜度の割には疲れる道であった。これは約95年前の深田も同様であったらしく,ほとんど弱音を書かない深田にしては珍しく「ガクンガクン膝こぶしの痛くなるような下りが続いて」と書いている。岩木山神社への下山路はほぼ100年間そのままらしい。山頂でも下山路でもほぼ同じ体験と感想で,読んでいて笑ってしまった。これもまた『日本百名山』を読む楽しみであろう。最後に深田は下山の最後の方を「スキーで飛ばしたらさぞいいだろうと思いながら」下りていったそうだが,さすがに先見の明がある。こうなると,私は旅行計画を立てるのがぎりぎりだったために嶽温泉に入りそびれたのだが,入って深田の追体験をしておくべきだったと後悔している。


11.八甲田山
 山の名前の由来は,八つの峰と多くの湿地(田)を有することからとのこと。続いて八甲田雪中行軍遭難事件について言及しているが,これは短く終わった。深田が訪れた当時はまだ国立公園に指定される前で,閑散としていたらしい。十和田八幡平国立公園の指定はかなり古く,1936年のことであるから,深田が登ったのは岩木山と同じタイミングか。眺望や湿原の素晴らしさについては同意しかない。この山も深田にしては珍しく登山の難易度に触れており,「酸ヶ湯から女子供でも楽に登ることができる」とある。私も八甲田山の大岳から酸ヶ湯に下ったが,意外と斜度があってそこまで楽な登山道ではなかったように思われた。というよりも落石防止を中心にかなり整備して歩きやすくしていたのが見てとれたので,深田が登った当時はもっと登りにくかったのではないかと思う。上記の岩木山の通りで,他の紀行文を見ても深田の難易度の感覚は現代人とそれほど違わないことが多いので,この八甲田山の評価はよくわからない。
 深田は登山中に偶然,八甲田の主と呼ぶべき登山者に遭遇していて,「この名物男は,いつも軍装をして……右肩にラッパ……頂上では陸軍のラッパ曲を吹く」とあるから,相当な面白じいさんだったらしい。1930年頃で八十歳とのことだから,1850年頃の生まれか。実は私も八甲田山に登った際,何百回と八甲田山に登っているという地元の方に話しかけられて,山頂で少し話を聞いた。八甲田山にはそういう名物男が存在する伝統でもあるのだろうか。
 深田は「大岳に登ったら,帰りはぜひ反対側の井戸岳を経て毛無岱に下ることをお勧めしたい。これほど美しい高原は滅多にない」と書いている。私はむしろ井戸岳を経て大岳に登り,その後は酸ヶ湯に下りたので毛無岱は経由しなかった。深田の時代は酸ヶ湯から登っていくから井戸岳や毛無岱はむしろ下山で寄る場所であったのだろうが,現代ではロープウェー山頂駅から井戸岳を経て大岳に向かうのが一般的であるから,向きが逆になっている影響はありそうだ。なお,深田はここでも「スキー場としての八甲田山は今後栄える一途であろう」と書いているが,スキー場のためにロープウェーができ,ロープウェーのために登山路が逆向きになることまでは想像がつかなかったか。


12.八幡平
 冒頭で「十和田湖へ行く人数に比べて,八幡平はずっと少ない」と書かれている。八幡平については先行する紀行文が少ない,とも。そこから八幡平は随分とメジャーな観光地になった。というよりも深田久弥レベルの人がその印象だったのに,八甲田山や十和田湖とくくられて突然1936年に国立公園になったのだから,そちらの方が不思議である。名称の伝承については,八幡太郎義家が由来であることに触れつつ「もちろん信ずるに足りない」とばっさりである(もちろん坂上田村麻呂説も否定している)。深田は割りとドライで,伝承を調べるのが好きな一方,割りと正直にばっさり行く傾向が強い。八幡平が開かれた理由として温泉が挙げられており,地図中には藤七温泉も記載されていた。私は泊まったことがあるが,あの温泉は昭和の初期からあったのか……調べてみると開業が昭和5年とのことで,深田が八幡平を訪れた当時は開業してすぐのことだったのだろう。もっとも深田自身は蒸ノ湯と後生掛に入っていったようだ。
 深田はこの山でもスキーについて触れていて,最初に八幡平を訪れた理由がスキーだったと述べている。このまま整備が続けば「今後スキーのパラダイスになりそうである」とまで述べており,深田はスキー百名山も書こうと思えば書けたのではないか。なお,当然ドラゴンアイについての言及はない。ドラゴンアイは10年ほど前に私が行った時にもまだ話題になっていなかったので,本当に極最近観光名所に変わったのではないか。


20.吾妻山
 吾妻山といえば山域が広く,かつ中心が存在しないであるが,深田も「これほど茫洋としてつかみどころがない山もあるまい」と冒頭で書いている。例によって早々にスキーの話を始めるが,ここではアクセスの良い東吾妻にばかりスキーヤーが集まって,広い山域に目が向けられていないことを批判的に取り上げている。深田にとってのスキーとはバックカントリーだったのだろう。ついでに磐梯吾妻スカイラインが通ってにわかが増え,「我々はいよいよ山奥深く逃げ込むよりほかはない」と嘆いている。
 山名の由来について,珍しくも深田をもってして調べがつかず,山域に家形山があるからそれが変じて「東屋」となり現在の字が当てられた……という自説を唱えている。それでは現代視点で答え合わせをするかとインターネットの力を借りたところ,山と溪谷オンラインに同じ説が載っていた。これとは別に『角川日本地名大辞典』も深田と同じ説を採っているというページも見つけたので,深田の説はかなり強そうである。なお,吾妻山という名前の山は日本全国に点在していて,広島・島根県境の吾妻山は「イザナギがイザナミを偲んで『我が妻』と呼びかけた」説を採っていた。さすがは島根県の山である。群馬県の四阿山もヤマトタケルがやはり妻を偲んだことを由来としていて,ここから類推するなら福島の吾妻山も誰かしらが妻を偲んでいても不思議ではない。深田自身は,少なくともヤマトタケル説について「それは附会であって,やはり東屋からきたと見る方が適切」と退けている。
 最後に,西吾妻山については「稜線というより広大な高原」としつつ,いたく感動していた。また「一人の登山者とも出会わなかった」「まだリフトなど全くなかった頃である」としているが,リフトができたところで,西吾妻山はメジャーにはならなかった。喧騒を嫌う深田にとっては良かったことかもしれない。

 
21.安達太良山
 当然引用される『智恵子抄』。引用と論評のため,この安達太良山は定形を破って6ページに渡っている。山行の記録もやや長い。岳温泉から登っているが,冬場は岳温泉がスキーで混雑することに言及している。隙あらばスキー。途中でくろがね小屋に言及があり,岳温泉の源泉であることが示される。私はくろがね小屋に寄らなかったのだが(老朽化による建替工事で休止中),深田久弥が言及するほど歴史の古い山小屋だったとは。しかし調べてみると開業が1953年とのことなので,深田が訪れたのはそれ以降ということになる。深田が東北の山々に頻繁に登っていたのは1930年代のことのようなので,安達太良山だけ新しいのは意外である。
 深田は山頂付近で「鉄梯子のかかった岩場を登ると」と書いているが,言うほど大きな梯子がかかっていた覚えがない。迂回可能な小さな梯子ならかかっていたと思うが……。あの岩場の登山道が当時と大きく変わっているのだろうか。事前に読んでから登っていたら写真を撮っていたのだが,惜しい。なお,この山頂の岩場について,平らな山頂付近からぽこっと飛び出ているように見えることから深田は「乳首山」と呼ぶとも紹介していた。ググると乳首山という通称が残っていることが確認できるものの(たとえばこのページで梯子も確認できる),自分が安達太良山に行ったときには現地でそういう呼称を全く見かけなかった。ちょっとセンシティブなこの呼び名は滅んでいっているのだろうと思う。


22.磐梯山
 1888年の大爆発から紀行文は始まっている。その上で磐梯山の山容は裏磐梯よりも表磐梯の方が美しいという。その山容の紹介が含まれていることから,磐梯山もまた例外的に6ページに渡っている。深田にとって磐梯山の山容はそれだけ重要であった。山名は「岩」と「梯(はし)」から,噴火口の岩壁に由来しているのではないかとしている。登山記録も表から登っていて,とすると当然のようにスキーにも言及がある。弘法清水で裏磐梯からの登山道と合流して人が増え,登山者のゴミが散らばっていることに苦言を呈していた。当時の登山者のマナーよ……。帰りはその裏磐梯に下っていているが,やはり観光客の多さが気に食わないらしい。最後は「シムメトリーよりもデフォルメを好む傾向を近代的とすれば,たしかに磐梯の(磐梯山と猪苗代湖しかない)表よりも(変化に富む)裏にそれがある」と詩的な表現で締めている。この評価は当たっていて,裏磐梯の方が栄えているのだから,現代人の好みは60年経っても変わっていない。  
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2023年12月09日

書評:深田久弥『日本百名山』

 『日本百名山』について,深田久弥自身はあくまで自分が登ったことがある山から選んだこと,深田久弥の選定であって日本の登山家の決定版的に選んだわけではないことを強調しているが,結果として日本百名山は神聖視されている。日本百名山の選定に対する不満としては,
・深田久弥が喧騒を嫌ったために過度に観光地化した山は外された(御在所岳など)
・深田久弥が登っていないために選ばれなかった(石狩岳など)
・標高が1500mよりも低い山は,筑波山・天城山・伊吹山・開聞岳の例外を除いて一律外された(比叡山など)
・選定が東日本,特に北アルプスと北関東に偏っていて西日本からの選出が少ない(蒜山・氷ノ山など)
辺りがよく聞かれるところで,これらの批判自体は当てはまっている。私自身,低山が外されたことについては疑問に思う。しかし,刊行から60年を経て,結局深田の百名山に代わる権威は出現しなかった。深田自身は神聖視を拒否し,困惑していたのだから皮肉なものだ。これらの批判はあっても,結局のところ選定が多くの登山好きにとって妥当性の高いものであったのだろう。

 私自身は元々散歩・散策は好きで,また寺社仏閣巡りも好きであったから,その延長線上で登山を始めた。なにせ登山の最初の大きな目標は投入堂であったし,二番目の目標は富士山の浅間大社奥宮であった。これらを達成してもなお登山を続けているのは,結局のところ登山自体の魅力に惚れ込んだからである。どこに登るかを決める上で日本百名山は指標として大きな役割を果たしていて,私と深田の好みは少しずれているが,それでも結果的に大当たりの山であることが多い。選定されるような山は多様な魅力を持っているということだろう。また,因果が逆転しているが,自治体や観光業者が日本百名山の選定に沿って整備を進めたため,選ばれた山の魅力が増したことも理由として挙げられよう。これもまた喧騒を嫌った深田には申し訳ない事態であるが。
 これらを踏まえて『日本百名山』を読んでみると,確かに本人はこれを神聖視されても困るだろうなと思う。元が雑誌での連載であったため,ほとんどの山は1座に4ページ(一部は6ページ)という紙幅であり,非常に短い。さらに山の名前の由来や信仰の歴史,麓までの紀行文がほとんどを占め,自らの山行記録は4ページのうちの最後の1ページまたは半ページに過ぎない。山の名前の由来や信仰の歴史はよく調べてあって勉強になるが,自らの山行記録は短すぎて物足りない。また,難易度への言及はほぼ全く無く,登山ガイドとしては片手落ちである。深田としては難易度を気にするような層が読むことを想定していなかったのであろう。代わって意外と紙幅を費やしているのがアクセス性や世俗さで,これは喧騒を嫌った深田の好みをよく示している。

 刊行から60年経った今,あえて原著を読む意味はどこにあるか。原著から離れて日本百名山の選定だけが独り歩きしがちな現状,その選定基準に疑問を持たれることも増えているのだから,疑問を解消するなら原著を読むのが最も適している。特に登ったことのある山について読むと,確かに深田の基準ならこれを百名山に入れるのだろうと納得することがほとんどである。深田は読者に自身の百名山を選んでみることを勧めているから,原著の記述はその参考にもなるだろう。また,刊行が60年も前であり,前述の通り百名山に選定されたことで開発が進んだ山も多いため,それぞれの山の状況は大きく変わっている。その差分を探しながら読むのも面白い。現代でも読まれるべき古典的名著である。
 なお,本書で一番面白いのは後書きである。まず,幕末の画家の谷文晁が日本の名山を選抜して『日本名山図会』を描いているが低山が多く,しかも日本アルプスから選ばれているのは立山・御嶽・木曽駒ヶ岳の三座だけであるが,これは時代の制約から言って無理もないと指摘している。その上で,昭和の自分にはその制約が無いというのを百名山執筆の最初の動機として挙げており,これは割りと意外であった。選定の基準として山の品格・山の歴史性・山の個性の3つを重視したことや,七十座くらいまではすぱっと決まったが残りは断腸の思いで選別したことが語られ,そのぎりぎり落選にした山々も挙げられている。どれが当落線上の三十座に当たるのか,考えながら読むのも面白いだろう。そしてこれだけ悩んで選定したにもかかわらず,あとがきの最後に「一番好きな山は最近に行ってきた山」とか書いてしまうあたりに,深田の本書に対する良い意味での適当さが読み取れよう。

日本百名山(新潮文庫)
深田 久弥
新潮社
2016-07-29

  
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2023年10月30日

登山記録15(四国剣山,石鎚山,飯能アルプス)

No.36 四国剣山
〔標高〕1,955m
〔標高差〕約530m(リフト利用で200m)
〔百名山認定〕百名山
〔ヤマノススメ〕未登場
〔県のグレーディング〕ー
〔私的な難易度と感想〕2A(1A)

No.37 石鎚山
〔標高〕1,982m
〔標高差〕約700m
〔百名山認定〕百名山
〔ヤマノススメ〕17巻
〔県のグレーディング〕3B
〔私的な難易度と感想〕2B(鎖を登るなら2D)
四国剣山と石鎚山は別に旅行記を書いているのでそちらで。整理のためのナンバリングだけしておく。


No.38 飯能アルプス
〔標高〕640m
〔標高差〕約510m(累計は1160m)
〔百名山認定〕ー
〔ヤマノススメ〕7巻
〔県のグレーディング〕ー
〔私的な難易度と感想〕3A+
埼玉県飯能市の,西武秩父線沿い南側の山嶺をつないだトレイルルート。自治体がさほど気合を入れて整備していたわけではないところに,『ヤマノススメ』等で取り上げられたために知名度が上昇し,遭難者が多発する代表的な登山道の悪名を得てしまった。埼玉県は元々,登山道の整備の未熟さが際立つ県であったから急激な知名度の上昇についていけなかったことが原因と思われる。2022年,YAMAPから名指しで日本一道に迷いやすい登山道に認定されるに至り,その後,YAMAP協力の下でヤケクソ気味の整備がなされたと聞いたので,2023年1月に子の権現への初詣を兼ねて登ってみることにした。

登ってみた感想としてはまさに事前の噂通りで,見るからに近年直した跡だらけで笑ってしまった。と同時に,今までここにこの真新しい看板が無かったのだとしたら,それは遭難者が多発しただろうなという推測が立つ場所も多かった。典型的なところでこれ。こんなの標識がなければ誰だってまっすぐ行く。



ともあれ看板が激増した結果として,かえって埼玉県にありがちな迷路的登山道が解消されており、埼玉県の中では武甲山に次いで登りやすい山になったのではないかと思う。なお,登った後に実際に『ヤマノススメ』サードシーズン(2018年放送)を見ると,今と全く看板の場所や新しさが違って面白いので,これから登る人には勧めておきたい。

一方で,天覚山と子ノ権現山頂以外はほぼ眺望がなく,後は途中の石灰岩の鉱山があるくらいで,ずっと見どころもなく杉林を歩くことになるためメンタルを削られる。ただし,飯能アルプスはまだいたるところで木を切り倒すチェーンソーの音が聞こえ,鉱山からも重機の音が聞こえ,猟犬注意の看板も立っている。飯能アルプスはまだまだ経済的に観光以外が生きている山なのだ。観光的要素を求めるほうが間違っているのだろう。


登山道は小刻みなアップダウンが多く,最高標高が640mしかないのに獲得標高は1200m近いというアンバランスである。技術的な難易度は低く,岩場は栃屋ノ頭付近に多少ある程度で,A+にするかB-にするか迷うところ。西武秩父線沿いをずっと進むのでエスケープルートが多く,手軽に筋力を鍛える修行には良いと思われる。トレラン勢も多かった。総じて,ヤマノススメ聖地巡礼か,ヤケクソ整備を見に行くか,修行と割り切るなら登る価値があるというくらいで,強く勧める登山ではない。  
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2023年02月25日

登山記録14(蓼科山)

No.35 蓼科山
〔標高〕2,530m
〔標高差〕約620m
〔百名山認定〕百名山
〔ヤマノススメ〕15巻
〔県のグレーディング〕2B
〔私的な難易度と感想〕2C
標高2,500m超のほぼ単独峰ながら七合目まで自動車道が通っているため,総歩行時間が4時間〜4時間半くらいで登れてしまう,比較的手軽な百名山。北側と南側の2つの登山道があり,コースタイムに大差は無いものの,スタート地点の標高で比べると北側は1905m,南側は1723mであるから獲得標高差はちょっと差がある。それでコースタイムにあまり差が無いということは南側の方がさくさく登れる道ということかもしれない。眺望はどちらのルートも良いようで,我々は北側から登ったが,女神湖が終始綺麗に見え,山頂が近くなると白樺湖や美ヶ原まで見通せる。我々が登った時は紅葉の時期であって,眼下に広がる紅色は見ごたえがあった。南側から登った場合は八ヶ岳が綺麗に見えるようなので,こちらの方が希少かもしれない。いずれにせよ山頂の眺望は素晴らしく,それこそ八ヶ岳も見えるし浅間山も見えた。やはりここまで2時間しかかからないというのは他の百名山と比べた時のアドバンテージである。眺望でなくとも,火山なのに立派な樹林帯を持っていて良い樹林歩きになり,森林限界を超える山頂付近になると一転して巨大な軽石しかない荒涼とした岩石地帯に切り替わる。ちょうど男体山が近いか。

また,北側の方が日陰になりやすく,夏場は良さそうだが,秋は積雪が早いので注意が必要。我々は11月頭に登ったがすでに完全に積雪していて,お守りで持っていった軽アイゼンを装着する羽目になった。難易度はそうでなくとも割と高く,県のグレーディングではBになっているから油断していたら,斜度がかなり急で途中からはずっと岩場と鎖場が続く。これは南側だともう少し楽だったのかはちょっと気になっている。少なくとも北側ルートの難易度はCレベルでBではない。



なお,この下山後には時間が微妙に余ったので白樺湖まで行って温泉に入り,北欧料理のガムラスタンという店に行ったが,ここが大変に美味であった。以下のTwitterに書いた通りではあるが,店主に「ラーションが飾ってありますけど、お好きなんですか?」と尋ねたところ,スウェーデン現地まで行っていたガチ勢で,店に飾ってある皿などを見ながらしばし談笑してしまった。私もラーションは好きなので,店主に同好の士との会話を提供できていたなら嬉しい。



また,このガムラスタンを探している間に中ッ原縄文公園を訪れていた。ここは貴重な土偶「仮面の女神」が発掘された場所で,それを記念して4本の御柱を建てちゃう辺りに茅野市民(というよりも諏訪文化圏の人々)に根付いた精神性を感じる。小さな公園にいきなり巨大な柱が4本建っているのだから異様である。おそらく税金で普通に建てようとしても理屈が立たずに通らなかったのであろう,「縄文時代からこの地の人々は御柱を建てていた可能性がある」と取ってつけたような学術的根拠が説明されていたのでさらに笑ってしまった。また,このGooglemap上の中ッ原縄文公園のクチコミによると,御柱を建てる際にテンションの上がりすぎた茅野市長が柱に登ってしまい,お付きの方に怒られていたというエピソードもあるらしい。周辺の話も含めて最高に面白いコンテンツなので,近くを通られたらぜひ立ち寄ってほしい。さらにその後,茅野駅で特急待ちをしている間に,茅野駅での工事中に何の変哲もないただの丸い大石が発掘されたので,ありがたがって飾ってしまったという大石が展示されていたのでこれも見に行った。この茅野市の姿勢,大好きだ。



最後に一応触れておくと,『ヤマノススメ』では15巻に登場する。あおいたちもやはり岩場の量に驚いていた。また強風に煽られていたが,私が登った時はそうでもなく。また,あおいたちは山頂が曇っていて眺望がゼロ,「自然相手だからこういうこともある」と言って下山する珍しい回であった。珍しいながらも,やはり眺望が描かれないと印象に残りにくく,東京の自宅に戻ってから「あれ,そういえば一応聖地巡礼で行ったんだよな?」と再確認する程度には作中での印象が薄い。蓼科山がかわいそうなのでもう一度登ってほしい気も。  
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2022年12月24日

登山記録13(谷川岳,木曽駒ヶ岳)

No.33 谷川岳
〔標高〕1,977m
〔標高差〕約670m
〔百名山認定〕百名山
〔ヤマノススメ〕4巻
〔県のグレーディング〕2B
〔私的な難易度と感想〕2B
『ヤマノススメ』では言わずとしれた聖地オブ聖地。東京から電車で行くと最寄りの駅はモグラ駅として有名な土合駅に到着,長い長い階段を抜けて地上へ。さらに谷川岳ロープウェーの駅に向かって歩いていくと,滑落死した人の慰霊碑が。谷川岳はロッククライミングの聖地でもあるが,そのために日本で最も人が死んでいる山でもある。幸いにして登山道はそこまで険しくない。ロープウェーで一気に標高1300mまで登る。このロープウェー頂上の天神平の時点ですでに景色は絶景である。これだけ見て帰っても十分に面白いだろう。特に私が行った10月中旬は紅葉の盛りで人出も多かった。天神平からはさらにリフトを使って高度を稼ぐことができるが,ピークハントが目的の場合はやや遠回りになり,リフトは大して高度を稼げないので,よほど体力をケチりたい場合以外は普通に登るのを勧める。

難易度は群馬県のグレーディング通り2Bが妥当で,2B-でもいいかなと思う。意外と急登が多く,ザレている箇所もある。岩場もあるが四足にならない程度。ロープウェーで標高を稼げるのでコースタイム4時間半なので短く,Bの入門編として良さげ。標高はその雄大さに比して2000mを割っており,登山中の高度感も薄く,むしろこの標高でよくこの雄大さが出せるなと思うと不思議ですらある。谷川岳自身が格好良い山容である上に,眺望が良く周囲の山脈も見渡せる。風格があるとはこのことか。『ヤマノススメ』で最大の(あるいは飯能に次ぐ)聖地に選ばれたのは,登ると納得がいく。難点を述べると,よく整備されているが,降水(雪)量が多い山なので木材の補強は多くが腐敗して死んでいた。泥が多くて登山靴がかなり汚れる。また前述の通り人気の山なので,富士山ほどではないが渋滞が発生する。それも加味した登山計画が必要だろう。



No.34 木曽駒ヶ岳・宝剣岳
〔標高〕2,956m
〔標高差〕約400m
〔百名山認定〕百名山
〔ヤマノススメ〕5・6巻
〔県のグレーディング〕2B
〔私的な難易度と感想〕2B(1C+)
お手軽に標高3,000m級に登れる山としては乗鞍岳と並んで名前が挙げられる。しかし,県のグレーディングでは2Bとなっているので何かあるのかなと思っていたら,標高の高さ自体が難易度の原因であった。いかに整備されていて足場が安定していても、3,000mはそれだけで空気が薄くて過酷である。ともあれロープウェーで一気に標高2,612mまで上がれるのはありがたく,到着した千畳敷カールだけでも十分に見応えがあり,眺望も良い。ここも千畳敷カールだけ見て帰るのでも十分に観光になるだろう。前述の通り,千畳敷カールはそこまでの険しさがなく,よく整備されていて歩きやすい。標高が低ければ難易度はA相当になるだろう。

多くの人が行くバリエーションルートの宝剣岳は,ハイシーズンだったこともあってか山岳救助隊の方が入り口でスタンバイしていて,登山者がヘルメットをかぶっているか確認していた(私はもちろんヘルメットをかぶっていた)。お手軽すぎてそれだけ挑戦者が多いということだろう。実際に私が登った時も,自分のことを棚に上げて言うなら,危なっかしい人が多くて見ていて怖かった。もちろん自分自身も怖かった。コースタイムが1時間未満でなければ確実に途中で棄権していた。足場はしっかりしているし,かなり太く持ちやすい鎖が張られているから,手を離さなければ死なないとわかっていても,手を離したらヘルメットがあろうが確実に死ぬだろうなという鎖場がけっこう長い。宝剣岳を切り離して評価するなら1C+というところだろう。山頂の眺望は抜群に良いが,木曽駒ヶ岳の山頂と大きく違うかと言われると……なので,腕試し目的以外で登る価値は大して無いと思う。

そういえば『ヤマノススメ』ではどうだったかなと思って確認してみたら,あおいたち4人ともノーヘルで宝剣岳に登っていた。あおいはこれが(富士山を除く)3,000m級初挑戦で本格的な鎖場も初挑戦であり,無謀というか,作者の埼玉県の女子高生に対する感覚が狂っていく契機がこの宝剣岳だったのだ。また,この5・6巻が書かれたのはもう10年近く前であり,当時はまだ牧歌的だったということも言えそう。今『ヤマノススメ』で宝剣岳に登っていたら,まず間違いなくヘルメットをしていただろう。

写真は同行者のブログに多く挙がっているので,そちらも参照してほしい。
  
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2022年12月17日

登山記録12(東京都最高峰シリーズ,東京タワー)

No.30 東京タワー
〔標高?〕150m
〔標高差?〕約125m(階段600段)
〔百名山認定〕無し
〔ヤマノススメ〕18巻
〔県のグレーディング〕ー
〔私的な難易度と感想〕
実は階段で登れることで有名な東京タワー。入り口で登り階段認定証がもらえる。階段は600段あり,屋外なので防風対策は必要。公式サイトには約12〜13分程度と書いてあるが,これはやや早いペースじゃないかと思う。『ヤマノススメ』では「20分もかからないくらい」とあり,普通に歩くと15分くらいの印象。道中は東京タワーに関するクイズと,なぜかポッキー&プリッツクイズが踊り場に設置されていて飽きさせない作り。私は去年の12月という時期外れのしかも夜に行ったが,登っている人がそれなりにいて,そこから推測すると良い季節の昼は人が多いのでは。



No.31 愛宕山(港区)
〔標高〕約25.7m
〔標高差〕約9m
〔百名山認定〕無し
〔ヤマノススメ〕20巻
〔県のグレーディング〕ー
〔私的な難易度と感想〕1A
東京都23区の非人工物かつ山としての……といういろいろな条件付の最高峰。正面の階段は「出世の階段」と呼ばれ,出世のご利益があるとされている。『ヤマノススメ』では,ひなたがあっさり登っていたのに対してあおいは登るのに苦労していた……まあ,あおいちゃんは出世と無縁そうだからね……。おまけにひなたは大学受験が上手くいくようにお祈りしていたが,あおいは何も考えていなかった。私もこの階段で登ったがけっこう急で,登りよりも下りの方が怖かった。山頂は愛宕神社と居酒屋があり,登ったのが2021年の12月だったので居酒屋では忘年会が行われていた。スーツ姿だったので,涼みに出てきた人に「あ,お疲れ様です」と忘年会の参加者と間違われたのが印象に残っている。なお,急な階段を登りたくない人は別にもっと緩い坂があり,ついでに言うとエレベーターでも登れる。急な階段を登らないと出世できない人もいれば,エレベーターで出世をカットできる人もいるということで,人生を象徴している(と,この山について書いた人は全員同じことを書いていそう)。当然ながら山頂からの眺望はあまり無い。



No.32 箱根山(新宿区)
〔標高〕約44.6m
〔標高差〕約22m
〔百名山認定〕無し
〔ヤマノススメ〕22巻
〔県のグレーディング〕ー
〔私的な難易度と感想〕1A
戸山公園の中にある築山。人工的に盛り土した山を含めた場合の山手線内側の最高峰になるのだが,23区内の最高”地点”ではない。最高地点は山でもなんでもない練馬区西端の路上らしい。戸山公園の中なだけあって樹木に囲まれており眺望は全く無い。非常に登りやすく,麓どころか最寄りの地下鉄の駅から10分弱で登頂できる。港区愛宕山の出世の階段の方が難易度が高いくらい。『ヤマノススメ』では22巻で,かえでと小春がナイトハイクで登っていた。私も同様に仕事の退勤後に寄ったので夜中であったのだが,暗いのもあってあまりにも何も見えなくて虚無感がすごかった。愛宕山と違って他の登山客(?)も見なかったし。なお,登頂後に公園内のサービスセンターに行くと登頂証明書がもらえるのだが,私が登ったのが夜中だったので当然閉まっていてもらえなかった(『ヤマノススメ』では小春がわざわざ二回目を登りに行ってもらっていた)。愛宕山に比べると登頂証明書以外の面白みに欠けるので,ネタで登るなら愛宕山かな……

  
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2022年06月17日

登山記録11(岩殿山,高水三山)

No.28 岩殿山
〔標高〕634m
〔標高差〕約280m
〔百名山認定〕無し
〔ヤマノススメ〕15巻
〔県のグレーディング〕1A
〔私的な難易度と感想〕2C
大月駅を下車したら目の前に見える巨大な岩がある。それが岩殿山である。山梨県のグレーディングは1Aになっているが,これは東側から登って下りた場合であって参考にならない。普通は登りか下りのどちらかで西側のルートを通ってぐるっと一周するのだが,西側のルートがC程度の技術を要求されるので,なめてかかると普通に事故ると思う。西側ルートは例えて言うなら瑞牆山と同程度には厳しい。東側ルートも登山口が3つほどあるが,そのうち2つは崩落により通行禁止で,一番駅から遠い畑倉登山口からしか入れない。ただし,一番手前の丸山公園口は「ふれあいの館」という名のビジターセンターがあり(このふれあいの館までしか登れないのだが),ふれあいの館にそこそこ豪華な『ヤマノススメ』コーナーがあって,しろ先生直筆の色紙まで置いてあった。

そうそう,大月駅すぐの観光案内所で立派な『ヤマノススメ』聖地巡礼マップが配布されているので,聖地巡礼目的ならもらってくるべきだろう。また,登頂を確認できる写真を撮って下山後に観光案内所に行くと記念ポストカードももらえる。アニメ化していない割にやけにコラボが多いと思ったら,数年前に大規模に登山道が崩落した際,復旧のための寄付金集め等に『ヤマノススメ』がかかわっていたようだ。その名残もありコラボが続いていて,調べてみたら登頂記念グッズは復旧途中の2019年11月からやっているキャンペーンだった。なくなり次第終了なのに2年半経過してまだ続いているということは,それほど知られていないし登頂もされていないようである。もらっておいてなんだが,良いグッズなのにまだ終了していなかったことに悲しくなってしまったので,ぜひともアニメ4期には岩殿山を出してあげて集客に協力してほしい(原作が15巻で登場とかなり遠いので無理かな……)。なにせ,その『ヤマノススメ』であおいとその父親が通った登山道はまだ復旧していなくて登ることができないのだから。

岩殿山は一応,戦国時代の城址で,小山田信茂の居城であった。現在の山頂には何も残っていないが,西側ルートの痩せ尾根の名前「稚児落とし」が落城時のエピソードに由来する。城から逃げようとした女性が,子供を抱きかかえたままの逃亡は不可能だと判断して,この痩せ尾根で子供を投げ捨てていったらしい……しかし,崖の上から落とされた子供が実は生き延びていて麓の集落で育てられたという逸話も残っていて,悲劇としては中途半端である。現実の稚児落としを通ってみると,ここから落とされたら普通に死ぬだろうし,生きていた方がエピソードとしては強いので,そちらをクローズアップした命名をすべきだったようなという感想を抱いてしまった。ともあれ,険しいだけあって「稚児落とし」は非常に見応えがある絶景である。眺望は快晴なら富士山が見えるそうなのだが,我々が行ったときには見えず。それでも稚児落としの巨大な岩盤と眼下の大月市だけで十分な見ごたえがある。



あとは瑣事だが,大月市は海も無いのにここが桃太郎伝説の地であると無茶な観光売り込みを図っていて,曰く岩殿山には鬼が住んでいたのだとか。ただし,鬼自体は山賊と考えれば荒唐無稽ではなく,東側の中腹には多数の洞窟があり,小山田氏が築城する前なら確かに山賊の一団が潜んでいてもおかしくはなかったであろう。また,こうした洞窟はいかにも信仰の対象になりそうだなと思ったら,説明書きに懸造の寺院の跡があったということが書いてあって,この意味でも洞窟の多さが岩殿山の特徴の一つと言えそうである。

下山後には近くにあるということで猿橋を見に行った。日本三大奇橋の一つとされるが,日本三大〇〇にありがちなことで,3つが不安定らしい。この猿橋は幸いにも確定している2つのうちの1つである(もう1つは山口県岩国市の錦帯橋とのこと)。しかしながら我々がここに行った目的は,猿橋が東方風神録の3面道中の背景になっているからであった。実際に猿橋から見る桂川の渓流は恐ろしく綺麗で,紅葉の時期なら死ぬほどの絶景と言っても過言ではないと容易に想像できた。ここは必ずもう一度来よう。




No.29 高水三山
〔標高〕793m(岩茸石山)
〔標高差〕約550m(軍畑駅から)
〔百名山認定〕無し
〔ヤマノススメ〕16巻
〔県のグレーディング〕無し
〔私的な難易度と感想〕2A
奥多摩入門編として名高い高水三山。序盤はすすきの野原,中盤以降はずっと杉林が続く典型的な奥多摩の山で,眺望も山頂以外はあまり無い。じゃあ何が楽しいのかというと,3つのピークをくくっているだけあって稜線歩きが長く,稜線歩きはまあまあ気持ちいい。整備が極めて行き届いていて,多少の急登と木の根道があって転倒するリスクはあるにせよ,命の危険は全くない。トイレや水場も多い。奥多摩の山としては比較的”手前”の立地で,御岳山と並んで行きやすい。ついでに奥多摩名物,突然出てくる鉄塔や小さな寺社仏閣が存在しているのも奥多摩入門編らしさがある。もろもろを考慮すると,確かに安全にトレッキングができて高尾山や筑波山よりは骨がある絶妙なチョイスになる。かく言う私も高尾山の次に登ったのがここだった。コースタイムは5時間弱で少し長く,本当に初心者だけで行く場合はそこだけ注意が必要か。あとは人気の山なのと他の山と縦走しやすい立地もあって,天気が良ければ常に混雑している印象。

『ヤマノススメ』では16巻に登場し,あおいとほのかが2人で登頂。双眼鏡を持ってきて山頂から東京方面を眺めていたが,次の話から富士山登頂が始まってしまうので非常に印象が薄い。なんというか,登らせるタイミングを見失って無理やりここに入れた雰囲気が漂う。人気の山なのに扱いがぞんざいであるが,実際に私自身も登った印象が薄い。繰り返しになるが,奥高尾縦走路以外の奥多摩に登ったことがないくらいの人なら入門編的に挑んでみてもいいだろうが,そうでないなら特にお勧めしない。  
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2022年06月05日

登山記録10(荒船山,浅間山)

No.26 荒船山
〔標高〕1422m(1356m)
〔標高差〕約360m(290m)
〔百名山認定〕二百名山
〔ヤマノススメ〕9巻
〔県のグレーディング〕2B
〔私的な難易度と感想〕2A+
長野県と群馬県の県境,名前の通りに遠景で見ると船の形をしている山。形の通りで前面に切り立った崖があって山頂は非常に広い平面になっている。では登るのが困難かというと2A+にした通り,背面側(北側)から,内山峠からの登山は緩く,ちょっとした岩場が一箇所ある以外は難点が無く,初心者でもまずまず普通に登れるだろう。県のグレーディングは2Bになっているが,あれはその一箇所の岩場を考慮してのものと思われる。Aに下げようとする群馬県と長野県の必死の努力が見える整備状況であった。標準コースタイムは5時間強。我々は4時間弱で踏破した。

山頂は平坦すぎて厳密にはどこが山頂なのか全くわからず,ピークどこだよと言いながら5分ほどさまよってしまった。山頂は森林に覆われていて小川も流れており,なかなか雰囲気が良い。一部に森林が切られた展望台があり,そこから見える浅間山が非常に美しく,翌日に登る予定であったこともあって満足感があった。なお,荒船山の山頂は1356mとなっているがこれはこの本体の標高であって,舳先からわずかに離れた別の山(経塚山)の方が1422mとわずかに高い。ピークハント気分はこちらに登って味わうとよいだろう。経塚山は眺望がないので,ピークハント目的でないなら登る必要はまったくない。その他,我々の登山行については,詳しくは同行者がブログで詳しく書いているのでそちらを参照してほしい。



なお,船の舳先に当たる南側,つまり崖側から登るルートも一応あるが,当然ながらに難易度が高い。なにせ県のグレーディングに載ってない(登る人が多いと想定されていない)。YAMAP等の写真を見ると垂直に登る鎖場等があり,普通にDかDに近いCはありそう。また,『ヤマノススメ』では9巻で登場した。あおい・ひなた・ほのかの3人で登る(ここながいない珍しいパターン)。ほのかの兄が初めて登場した回で,その意味で印象深い。


No.27 浅間山(前掛山)
〔標高〕2524m(2568m)
〔標高差〕約1110m(浅間山荘登山口から)
〔百名山認定〕百名山
〔ヤマノススメ〕13巻
〔県のグレーディング〕4B
〔私的な難易度と感想〕3B
荒船山の翌日に登山。前日は浅間山荘温泉に宿泊。上掲の同行者のブログの通り,『レッド』の山本直樹の色紙が飾ってあって笑った。なお,実際のあさま山荘事件が起きたあさま山荘は全く別の場所である。閑話休題,浅間山は外輪山が二重にあって,浅間山の本体は噴火警戒のため直接登ることができず,内側の外輪山の山頂の前掛山が実質的なピークとなっている。その前掛山に登る登山道は大きく分けて2つある。2つの外輪山の間の谷間から登っていくのが浅間山荘登山口ルート。外側の外輪山(黒斑山)を乗り越えていく車坂峠(高峰高原)ルートである。今回の我々は宿泊地からわかる通り,前者のルートを使った。登りの前半は左側に黒斑山,右側に前掛山が見え,荒涼とした火山に挟まれる珍しい風景で面白かった。また,並走する沢の水が赤く,前日に入った浅間山荘の温泉の色そのままで,匂いが温泉地らしい強い硫黄臭なのも含めて面白かった。

前半はそこまで斜度のない普通の登山道でここまでならA+でもいいくらいだったが,前掛山は火山らしい小石が転がるザレた道で斜度もあり,ここに来て難易度Bを実感した。しかし,前掛山の中腹からは北側の,つまり嬬恋村の方向に開けていて眺望が楽しめる。前掛山山頂からは浅間山本体の山頂が見えるが,まあ見える以上の意味は無い。コースタイムは7時間半。我々は6時間で下山。4Bにあるような長さではないと思う。



『ヤマノススメ』では13巻で登場。本巻が発売された2017年頃では現在よりも入山規制が強く,前掛山すら登れなかったために黒斑山が事実上のピーク扱いだった模様で,あおいとほのかの2人で黒斑山に登っている。……今気づいたのだが,我々の登ったルートと全く重なっていない。まあでも,そのために改めて黒斑山に登りにいかなくてもいいかな……

なお,同行者の旅行記にある通り,下山後に行った布引観音(「牛に引かれて善光寺参り」で有名な寺院)の懸造建築が非常に良かった。またそこで飼われている名物猫が極めて人に慣れていて,ちょっと撫でるとすぐに喉がゴロゴロなりだしたので気分が良かった。お勧め。  
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2022年04月28日

登山記録9(鋸山,丹沢大山,大持山)

No.23 鋸山
〔標高〕329m
〔標高差〕325m
〔百名山認定〕無し
〔ヤマノススメ〕13巻
〔県のグレーディング〕無し
〔私的な難易度と感想〕2A+
石切場として長期間開発されていたため,人工的な奇観が生まれたことで有名な山。千葉県は最高標高が沖縄県よりも低い(408m)県であるため,329mでも千葉県内ではそれなりに標高が高い部類に入る。登山道は浜金谷駅側からと保田駅側からに大きく分かれているが,浜金谷駅側から登るのが主流。保田駅側からは鋸山中腹に建てられた大規模寺院の日本寺がある。なお,保田駅近隣の寿司屋で「保田駅側が本来の日本寺の表参道なのだから,こちらから登るべき」と主張された。しかし,登山としては保田駅側よりも浜金谷駅側から登った方が面白いので,日本寺自体が目的というわけでもなければ浜金谷駅側から登るべきだろう。

浜金谷駅から登るとさらに道が2つに分かれ,比較的緩い車力道と関東ふれあいの道に分かれる。ついでにロープウェーも通っている。私は関東ふれあいの道から登ったが,車力道の方が観光名所が豊富なのでこちらから登った方がよさそう。関東ふれあいの道は道中の眺望が良いが,それは合流後にも見られるのであまりメリットがない。ロープウェーも山頂駅からの登山道が険しいのであまり意味がなさげ。ちょうど合流地点(標高180m)くらいからは石切場跡になっていて,非常に見応えがある。

コースタイムは3時間半くらいで難所も特に無く,石切場付近はすべて階段で舗装されている。しかし,階段の傾斜が急でアップダウンもかなり激しいため,獲得標高は標高差の倍の600mくらいになるから,それほど楽な登山ではない。スニーカーで十分登れるが,運動不足なら太ももの筋肉の心配はした方がいい。なお,標高300m地点に展望台があって,東京湾が一望できる(上掲Twitterの3枚目)。そこから奥に山頂があるが,登山道が特に面白みがないし眺望も無いので,ピークハント目的でなければ行く意味がない。展望台で引き返して問題ない。なお,下山してから気づいたのだが『ヤマノススメ』でのひなたとここなはこの展望台で引き返しており,しろ先生が「山頂はむっちゃ地味」と補足していた。聖地巡礼の意味でも山頂は行かなくてよさそう。

展望台から保田駅側に下山すると日本寺に入る。拝観料をとられるが,回避しようとすると大きく迂回することになるので注意が必要(関東ふれあいの道の正規ルートがこの迂回路で,おそらく関東ふれあいの道の事実上の通行料が発生するのを避けるためにこの迂回路が設定されたものと思われる)。日本寺は大規模な石窟寺院で見応えがあるから,よほど拝観料をとられたくない場合以外は迂回しなくてよい。ただし,この日本寺は創建が18世紀末で,しかもそこから長く放置され,戦後の高度経済成長期になってから大規模な造営が進んだため歴史が浅く,権威付けのために胡散臭いエピソードを山ほど盛っているのが一周回って面白い。開山からして聖武天皇の勅詔と実際の18世紀末から1000年以上盛っていて,空海や良弁が修行に来たことになっている。一番笑ったのは源頼朝が植えたとされるソテツ(樹齢800年)。当時は実際には開山してないのだから寄った可能性は極めて低いだろう。

下山後は漁港が近いだけあって美味しい寿司屋があるから探してみてほしい。アジが名産らしい。鋸山の数少ない欠点は東京からちょっと遠いことで,内房線の本数がそれほど多くないので旅行は計画的に。『ヤマノススメ』では飯能から行っているわけだけど,よく日帰りしたな。


No.24 丹沢大山
〔標高〕1252m
〔標高差〕850m(ケーブルカー麓駅から)
〔百名山認定〕三百名山
〔ヤマノススメ〕14巻
〔県のグレーディング〕無し
〔私的な難易度と感想〕2A
丹沢の入門編,気軽に行ける観光地。コースタイムはケーブルカーを使わなかった場合で4時間半ほど,ケーブルカーを使うと1時間くらい減る。整備は極めて行き届いていて高尾山並だが,標高差の大きさを見ればわかる通りに階段や登山道はそれなりに急で体力は必要。眺望はケーブルカーだけで行ける中腹の阿夫利神社が一番良いので,眺望を楽しむだけなら登山不要。麓は信仰の山らしく豆腐屋と,猪鍋屋が多い。私が行った時は豆腐屋に寄ったが,次に丹沢に行った時は猪鍋を食べたい。




No.25 大持山(ウノタワ)
〔標高〕1294m
〔標高差〕930m
〔百名山認定〕無し
〔ヤマノススメ〕10巻
〔県のグレーディング〕無し
〔私的な難易度と感想〕3B-
天気が曇りそうだったので眺望を期待しなくていい山ということでここをチョイス。しかし,実際にはこの日は快晴でもったいないことをした。『ヤマノススメ』の聖地ということでもなければまず選ばない山であるが,実際に登山として面白かったかと言われると微妙である。足元だけで言えばスニーカーでも登れるレベルだが,道の整備がひどくて完全に野に帰っていた箇所もあり,急坂や突発通行止めも多くて登山慣れは必要と感じた。完全に封鎖されている登山道も多くて,2022年春現在で言えば名郷バス停から鳥首峠を通るルートか,武甲山側から下ってくるルートの2つ以外は通行禁止である(したがってリンクを貼ったサイトのルートはそのまま通れない)。その鳥首峠を通るルートもボロボロで,これだけひどいのは関八州見晴台以来であったから,やはり原因は埼玉県の整備にありそう。武甲山は整っていたのでやる気がないわけではないと思いたい。なお,『ヤマノススメ』ではあおいとひなたが積雪期にチェーンスパイクを履いてあっさり登っていたが,あおいの体力でチェーンスパイクであの急坂は無理だと思う。原作の不自然ポイントを発見できたのは,残念聖地巡礼の数少ない収穫であった。

目的のウノタワは「鵜の田沼」とも書くように山中に突然沼の跡地らしき広場が出現する。観光名所になりうるかと言われるとそこまで広いわけではなく,単に広場という以外に特徴も無いから厳しい。そこから50分登ったところに大持山のピークがある。眺望がそれほどあるわけではないのでピークハント目的か,武甲山まで縦走する目的以外で立ち寄る意味は無いだろう。……そもそも大持山を登る人はアニメ未登場の聖地に登ってしまうような奇特な『ヤマノススメ』原作オタクか,埼玉県の山を全部制覇しようとしている極まったハイカーのいずれかだけだろうから無用な助言だろうが。



なお,名郷バス停から行くルートでは,リンクを貼ったサイトにもある通り,白岩集落という廃村を通り抜ける形になる。私は本物の廃村を間近で見るのは初めてであったので,けっこう印象深かった。また,武甲山との競争に負けたらしき石灰岩の露天掘りの廃鉱と廃工場もあって,こちらも面白かった。むしろこれらを見に行く目的で大持山登山を計画すべきかもしれない。  
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2022年03月23日

登山記録8(雲取山,大菩薩嶺)

No.21 雲取山
〔標高〕2017m
〔標高差〕1480m(鴨沢から)
〔百名山認定〕百名山
〔ヤマノススメ〕12巻
〔県のグレーディング〕5B
〔私的な難易度と感想〕6B
2018年の夏,富士山の前哨戦として登頂……したら富士山よりも辛かったという。東京都の最高峰にして東京都・埼玉県・山梨県の県境。山頂には三県の標識があるが,東京都の標柱だけ非常に豪華で,東京都最高峰たる威厳と東京都の資金力を誇っている。対して富士山などを擁する山梨県の標柱はやる気がない。

コースタイムは鴨沢から登って6時間半,三条の湯経由でお祭に下って7時間ちょうど。合わせて13時間ほどになるので,富士山とほぼ同じである。しかし,岩場の量がそこそこ多いことや補給ポイントの少なさ等を加味すると,富士山よりも厳しいのではないかと思う。『ヤマノススメ』でも二度目の富士山の前哨戦としてあおいたちが挑戦しているが,登りは雨が振っている上にテント泊をしているので,尚更富士山より厳しかったのではないか(実際にひなたは「富士山より全然きついよねこのルート」と言っている)。滑落して死ぬような場面はほぼ無いが,ただただ長くてしんどい。山梨県によるグレーディング5Bだが,少なくとも富士山と同じ6Bが妥当だろう。

なお,私と頬付は夏場に登ったため麓の鴨沢は早朝の時点ですでに35度,ちょっと登っても全然気温が下がっていかず,大量に持ってきた水をすごい勢いで消費した。おまけに15時過ぎにはあまりに早い夕立に遭い,登山で初めてゴアテックスのアウターのお世話になった。しかし,その夕立の直前にかわりばえのしない杉林を歩いていた途中,落ちていたビニール袋を調べたら『ラヴクラフト全集』を見つけてしまったのがこの時の登山のハイライトである。山中で頬付と二人で爆笑していた。この経験はまず間違いなく一生忘れない。雲取山は魔界。そりゃ炭治郎くんも鬼舞辻無惨に襲われることくらいあるよね。



登山道の8割は奥多摩にありがちな杉林で眺望が死んでいるが,七ツ石山を過ぎた辺りからは樹木が減って多少は開けてくる。山頂付近は良い眺望で楽しい。が,同時にその辺りから道が険しくなり,岩場も出現する。残りの体力には注意が必要。



あとは雲取山と言えば平将門の迷走ルートとして話題になったことがある。鴨沢から七ツ石山に寄る登山道で登ると,これらの看板は全て確認できる。むちゃくちゃなストーリー展開がけっこう面白い。
・登山中にこんな立て看板を読まされたらこれはもう登らざるを得ないよ、というお話「楽しそう(笑)」「考えたな」(Togetter)

我々の登頂の際は富士山に先立って山小屋を経験しておくという目的があったので雲取山荘に宿泊。その日は酷暑だったためか人が少なく部屋は頬付と2人であったが,普通は他のグループと合わせて4・5人で一部屋らしい。環境は良かった。下山路では三条の湯に寄った。濃いアルカリ性の鉱泉で面白かった。



総合すると,あまりに長い登山道だが,その長さを楽しむ登山ではあろうか。『鬼滅の刃』の竈門炭治郎の出身地として聖地巡礼するには,初心者には厳しい山だが,体力に自身があるなら挑戦してみてほしい。


No.22 大菩薩嶺
〔標高〕2056m
〔標高差〕470m(上日川峠から),1160m(裂石登山口から)
〔百名山認定〕百名山
〔ヤマノススメ〕13巻
〔県のグレーディング〕2A
〔私的な難易度と感想〕2A(裂石登山口からなら3A+)
小説『大菩薩峠』で有名な山……なのだが,私は未読である。また,現在の(また小説内で)大菩薩峠とされている場所は歴史的な大菩薩峠ではないらしい。ともあれ,バスで標高1500m超まで行けてしまうので,非常に楽な登山ができる。大菩薩峠はバス停からすぐ,1時間20分ほどで着き,かなり眺望が良い。



山頂は峠から30分ほど歩くと着くが,こちらは逆に眺望が無い。ピークハントに興味が無ければ峠から少し進んだ賽の河原を観光してすぐに帰ってもいいだろう。上日川峠ルートの欠点はバスが土日にしか走っていないことと,バスが混んでいることくらいしかない。



私が行った時は上日川峠に戻ると早くなりすぎてつまらないということで,逆側の裂石登山口から下山することにした。こちらは楽すぎず,普通の登山道であった。コースタイムは3時間ほど。眺望は無いが,森林浴はまずまず気持ちいい。特に面白みは無いが,後述するような事情からこちらから降りるのも良いだろう。裂石登山口から下りると,すぐそこに雲峰寺という寺があり,武田氏縁の宝物殿がなかなか面白かった。また,裂石登山口からJR塩山駅に向かってバスに乗ると途中に塩山温泉があり,ここの宏池荘が強アルカリ性の温泉で非常に良かった。源泉が約25度でちょうどよく,40度ほどに加温された浴槽と源泉かけ流しの浴槽があるので,交互に入ることを勧められるが,確かにそれが気持ちいい。建物の外観が古く風貌がちょっと怪しいが,気にせずに入るべし。温泉を出たら最後に塩山駅か甲府駅でほうとうを食べて帰れば,綺麗に一日が終わるのでお勧め。  
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2022年03月06日

登山記録7(美ヶ原,武甲山)

No.19 美ヶ原
〔標高〕2034m
〔標高差〕620m(三城いこいの広場から),100m(道の駅から)
〔百名山認定〕百名山
〔ヤマノススメ〕11巻(のおまけ)
〔県のグレーディング〕2B
〔私的な難易度と感想〕3A+(道の駅からなら1A)
「美ヶ原」とは大仰なネーミングだと思いきや,全く名前負けしていない。山域がだだっ広く,東半分は名前の通りの美しい草原が広がっている。見よ,この圧倒的な光景。

この草原の最東端が道の駅になっているので,まじめに登山するのが億劫なら高低差100mのここまで自家用車で行くことができる。また,そこからは山頂すぐそこまでバスも出ているので,極端に言えばほとんど歩かずに山頂の「王ヶ頭」まで行ける(したがって難易度は1A)。もちろん,草原の真ん中を割るように通してあるトレッキングコースを歩くのはとても気持ちいい。コースの分岐に「塩くれ場」,すなわち牛が塩をなめに来る岩場があるように,草原には時期が良ければ牧場の牛が闊歩している。私が行ったのが晩秋なのですでに寒く,牛は牛舎から出てきてくれなかった。山頂の王ヶ頭には電波塔が並び立っていて,人によっては自然破壊に見えるだろうが,私を含めた多数派の感想は偉容を誇っていて面白いというものだろう。



王ヶ頭から西に進むと,美ヶ原の最西端「王ヶ鼻」にたどり着く。ここは王ヶ頭よりも草原から突き出ているために270度の大パノラマで眺望はこちらの方が良いが,王ヶ頭でも十分な眺望ではあるので,体力と相談してここまで行くか決めるとよい。また王ヶ鼻は謎の石像群が並んでいて,ここも昔は修験道の場だったことを忍ばせる。

登山道はいずれも王ヶ頭・王ヶ鼻に向かって西南方向から伸びている。難易度は長野県の公式グレーディングだと2Bになっていたが,実際に登った感覚としてはBにするほどの難易度が無い。多摩の低山にありそうな感じの,よく整備された登りやすい登山道で,登り慣れている人ならさして苦労せずに登頂できるだろう。ただし,登山道はそこそこ長く,美ヶ原高原が広大であるので,ちゃんと登って高原もそこそこ回ると6時間前後のコースタイムになる。今度は逆に公式グレーディングが"2"になっていたのだが,これは"3"相当だろう。公式グレーディングがこれだけ当てにならない山は珍しい。魅力的で離れがたい光景が続くからこそ時間の余裕を持って回りたい山である。なお,あまり宣伝されていないが,美ヶ原の南面麓,登山道付近の森林が「長野県民の森」に指定されていて,森林の多い長野県の中でもそう指定されているだけのことはあり,見事な森だった。美ヶ原を登ったなら,ぜひここも訪れてほしい(下のツイートの4枚目が県民の森)。



ところで,『ヤマノススメ』で美ヶ原って出てきたっけ? と思った方がいたら鋭い。11巻の単行本のおまけで,黒崎家が訪れていて,王ヶ頭ホテルに泊まったという描写が出てくるだけである。この際に,ほのかが夜にホテルを抜け出して夜景を眺めているのだが,行ったのが真冬で-20度とのこと。これは作者の実体験らしく,その時の写真がたまにTwitterに上がっている。




No.20 武甲山
〔標高〕1304m
〔標高差〕1000m(横瀬駅から),780m(登山口から)
〔百名山認定〕二百名山
〔ヤマノススメ〕12巻
〔県のグレーディング〕無し
〔私的な難易度と感想〕3A+(登山口からなら2A+)
埼玉県の誇るピラミッド。登山道は西武秩父線の横瀬駅から登る道と秩父鉄道の浦山口駅から登る道があるが,2021年11月時点で崩落していて通行止めとなっていた。復旧するまでは横瀬駅側から登るしかないが,横瀬駅から登山口までがかなり遠く,1時間半はかかる。登山口の駐車場はそれなりに広いので,自家用車で行けるならそれに越したことはない。私が行った時は横瀬駅から歩いたが,これはこれで面白かったので一度なら歩いてもいいだろう。武甲山がピラミッド,人工物らしい形状になっているのは古くからの石灰の石切場となっているためで,横瀬駅から登山道までの道の両側はびっしりとセメント工場が立ち並んでいる。『ヤマノススメ』でもこの工場群が推されていて,「眺めながら登山道に向かうのも一興」と評されていた。大人の社会科見学だなーと思っていたら,登山口にあるカフェで地元の人に話しを聞いたところ,実際に工場見学はよく開かれているらしい。道に石灰が厚く積もっていて真っ白だったのにも笑ったが,石灰等を吸った処理水が火山や温泉でよく見る色に染まっていたのが一番笑った。



しかしまあ,歩かないに越したことはないので,浦山口駅からのルートが早々に復旧されないならバスを引くのを西武鉄道さんにお願いしたい。登山口にあるカフェのLOGMOGは良い店で,そこそこ長い登山道のため,ここで最後の腹ごしらえをしておきたい。看板ヤギがかわいい。さて,登山道はさして面白みがなく極普通で,道に迷うこともない。埼玉県にしてはよく整備されているのは,登る人が多いためか,県外でも知られているためか。他の山とのあまりの整備具合のギャップに少し驚いた(その気合を少し関八州見晴台なり棒ノ嶺なりに分けてほしい)。道中の眺望は奥多摩・秩父にありがちな杉林が続き,ほぼ死んでいる。同じ石灰の山でも伊吹山は森林が死んでいたのに,こちらはよく育つものだ。この違いは伊吹山と違い,武甲山は北側斜面のみが石灰岩質で,南側斜面は普通の玄武岩だからとのこと。登山道は南側から伸びている。北側斜面は見ればわかる通り,ダイナマイトで発破しまくっているので普通に危険だから登山道がない。コースタイムは自家用車使用の登山口から4時間,横瀬駅から全部歩いて7時間弱。浦山口駅からのルートも7時間ほどかかるようなので,労力はさほど変わらなそう。

山頂からの眺望は絶景の一言で,このために登る価値あり。山容一発ネタの山じゃなかった。眼下に採石場・麓のセメント工場群がよく見え,中景には秩父市街,奥の方に本庄市,前橋市が見える。



下山後の温泉は武甲温泉がある。総合してコンテンツ力がそこそこ高く,『あの花』聖地巡礼,秩父市観光等と合わせて一度は登る価値がある山だろう(なお当方『あの花』未視聴)。  
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2022年02月14日

登山記録6(御岳山/日の出山,鎌倉アルプス)

No.16・17 御岳山/日の出山
〔標高〕929m(御岳山)/902m(日の出山)
〔標高差〕(御岳山山頂まで)御嶽駅から約700m,ケーブルカー麓の滝本駅から約530m,ケーブルカー終点の御岳山駅から約90m/(日の出山)御岳山駅から約60m,二俣尾駅から約670m
〔百名山認定〕無し
〔ヤマノススメ〕10巻
〔県のグレーディング〕無し
〔私的な難易度と感想〕ケーブルカー使用で1A,ロックガーデン回って2A+,麓から歩いて3A,日の出山を縦走して4A+
難易度を細かく分けたが,バリエーションルートが極めて多いためである。御嶽駅からケーブルカーまでは普通の車道で,歩道が狭い場所があって通りがかかる車がけっこう怖いので,大人しくバスに乗った方が良い。登山道も,道中に歴史を語るキャプションがあったりケーブルカーの真下をくぐれたりで楽しみが無いわけではないが,最後まで完全舗装路で登山道としての面白みはゼロに近い。ケーブルカー自体が観光名所になっているので,これも普通にケーブルカーに乗るのを勧める。山頂にいる騎馬武者像は通り掛かる人皆に「誰この人?」と言われていたので笑ってしまったが,この人は畠山重忠である。2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」で大活躍するはずなので,ぜひともこれを機会に名前を覚えていってほしい。神社はかなり立派で,古い宿坊が並ぶ門前町が生きているのも良く,またここからでもそれなりに眺望が良い。



それでは全く登山ではないのではないかと思われるかもしれないが,御岳山は山頂の奥にロックガーデンという観光名所があり,これをぐるっと一周回ると2時間程度かかる。また,こちらは舗装されておらず,決して難度は高くないが登山している感じは十分にする。このロックガーデンは開発開始されたのがなんと昭和10年と,都内の登山道としては極めて古いもので,バブルの資金に任せて開発した感のある三頭山の都民の森とは好対照な,自然の地形をそのまま活かした登山道であった。名前の通りで大小様々な岩石が川沿いにゴロゴロしており,二本の滝も立派である。なお,道中に天狗岩という巨岩があって鎖場をつたって登れるが,登っても特に大したことはないので登らなくていい。



御岳山は他の山への中継地でもあって,『ヤマノススメ』ルートをなぞって日の出山に行くもよし,二百名山の大岳山に行くもよしで,むしろバス・ケーブルカーを使わないと時間が足りない。たとえば御岳山をケーブルカーを使わず登り,ロックガーデンを回った上で日の出山を縦走して二俣尾駅に下山すると,YAMAPのコースタイムで8時間かかる。ケーブルカーを使えば1時間減らせる。その日の出山であるが,名前の通り奥多摩山塊の最も東方に位置していて,東方に完全に開けている。そのため絶景も絶景で,日の出山の山頂からはスカイツリーまでくっきり見えた。位置関係がわかる人なら驚くだろう。標高はわずかに900mで低いのだが,位置が良いと,低平な関東平野はここまで見渡せるのだなと感動した。



スマホのカメラの写真では全くわからないので,一眼レフのデジカメを持った友人を連れていきたいところ。日の出山からの下山路もバリエーションに富んでいて,今回私は青梅線の御嶽駅から3つ手前の二俣尾駅に降りていくルートをとったが,通っている人が全然いないのか,東京都の登山道にしては少し荒れていて枯葉も積もっていた。おそらく一番メジャーなのはつるつる温泉に降りていくルートで,つるつる温泉からは武蔵五日市駅行のバスが出ている。急激に下るのでコースタイムが短い上に,つるつる温泉がアルカリ性の温泉でここに浸かって帰れるのがすばらしい。私も次回はそうしたい。もう一つ,武蔵五日市駅に直行する金毘羅尾根ルートで,がっつり歩きたい人が多そうなYAMAPだとこのルートの記録も多かった。総じて,手軽さもあってもう二度三度と登りたい山である。



No.18 鎌倉アルプス
〔標高〕195m(太平山)
〔標高差〕鎌倉駅から約185m
〔百名山認定〕無し
〔ヤマノススメ〕11巻
〔県のグレーディング〕無し
〔私的な難易度と感想〕1A+
ご存じの通り山に囲まれている鎌倉の,その山をめぐるコース。北鎌倉駅から出発して明月院または建長寺の脇を通って山の中に入り,最高峰の太平山を目指す。下山路は海に向かって歩いて瑞泉寺の境内に出る。その後は町中に出て永福寺跡,鎌倉宮,法華堂跡,鶴岡八幡宮を通って鎌倉駅でゴール。『ヤマノススメ』ではその後に海まで歩いたようだ。コースタイムは登山道が2時間ほどで町中も含めると3時間弱。登山道は基本的に楽だが,わずかに鎖場・岩場があるので注意したい。登山道として挑むというよりも,鎌倉の普通の観光を一通りしたことがあって行くべき場所が少なくなってきたら歩いてみてもよいだろう。私が歩いた時は鎌倉の史跡に詳しいKousyouさんに連れて行ってもらったので,道中で細かい史跡を紹介してもらえて非常に楽しかった。「鎌倉やぐら群」と呼ばれる小規模墳墓について少し調べてから行くとより楽しめるかもしれない。  
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2022年01月19日

登山記録5(関八州見晴台,伊吹山)

No.14 関八州見晴台
〔標高〕771m
〔標高差〕530m
〔百名山認定〕無し
〔ヤマノススメ〕8巻
〔県のグレーディング〕無し
〔私的な難易度と感想〕2B-
『ヤマノススメ』聖地巡礼以外の目的がほぼ無い,自分としては珍しい登山。結論から言えば『ヤマノススメ』聖地巡礼目的以外なら登らなくていい。登山道は極普通で,樹林帯歩きや稜線歩きはぼちぼち楽しいが,それなら別の山でいい。肝心の眺望は,立地と名前からすると360度の絶景が広がっていそうなものだが,実際には山頂には樹林が生い茂っていて,せいぜい120度というところで関八州は全く見渡せない看板倒れになっている。また整備がひどく,YAMAPと方位磁針を頼りにしないと普通に迷っていた。YAMAPや「山と高原地図」では通行可能になっていた道が通行止めになっていたり(それも更新が間に合っていないだけと言えるような様子でもなく),何よりも下記のつぶやきの通り看板の案内が普通に間違っているのは大問題であろう。山頂でシルバーツアーの方々が「めちゃくちゃ道に迷って薮漕いできた」と話していたのも印象的で,そういうことも起きるよなと。

難易度は単純な技術だけで言えばA+でもいいくらいに易しいが,上述のような無駄に高く求められるルートファインディング能力やそれに伴うスケジュール管理能力,最悪の場合の藪漕ぎへの対応力から言ってB-とした。なお,本山は高山不動という不動明王を祀った寺院と不動三滝なる三つの滝が名物であるが,滝は枯れていたり小規模だったりで見どころにはなりえず,見に行くにはかなりの遠回りを強いられるので行かなくていい。高山不動の建物はまずまず立派で寄る価値があるが,キャプションがかすれていて読めないなど,ここでも不整備が目立った。いろいろな意味で残念な山である。そう思って『ヤマノススメ』8巻を読んでみると,この山はあおいが山頂でコーヒーを淹れる回であって山はメインではなく,滝に寄っていなかった。さもありなん。


No.15 伊吹山
〔標高〕1377m
〔標高差〕1160m
〔百名山認定〕百名山
〔ヤマノススメ〕9巻
〔県のグレーディング〕無し
〔私的な難易度と感想〕3B
高山ばかりという批判もある日本百名山だが,1500m以下で入っているものは4座しかなく,伊吹山はそのうちの1座である……ということが登山口の簡易ビジターセンターで熱心に説明されていた。確かに標高は1500mに満たないが,琵琶湖の湖岸から少し内陸に入っただけの場所からスタートするので登山口の標高は220mしかなく,獲得標高は1200m近いから普通にけっこうな長丁場になる。登山道における最大の敵は日射で,土壌が石灰岩質であるために火山かと思うほどに樹林が発達しておらず,山の南西方向から登っていくため登山中は常に日光に照らされる。日焼け止めを入念に塗っておかないと,まさかの日焼けでリタイアということになりかねないだろう。また,石灰岩の小石・浮き石が散らばっていて転びやすく,八合目以降は岩場もある。コースタイムも6〜7時間とそこそこ長い。この辺りの注意点を勘案すると3Bでよいだろう。『ヤマノススメ』ではあおいが楽に登っているが,いつもの詐欺である。あおいが富士山に苦労する程度の体力という設定,常にどっかに飛んでくだよなこの漫画……

眺望は道中からしてずっと良く,正面には山頂が,振り向けば琵琶湖が常に見える。登山道の両側は斜面に色とりどりの草花の合間に石灰石の白石が転がっていて,これがよく映えている。花の百名山にも認定されているのは伊達ではない。鳶が飛んでいるのも趣深く,山頂の山小屋には「鳶と鷹は身体のサイズ以外に違いがない」という説明があるほど鳶の数が多い。個人的には山頂まで続く登山道がけっこう好き。1枚目が4合目からの山頂,2枚目は中腹からの琵琶湖,3枚目は8合目付近の登山道で,石灰岩の様子がよくわかるだろう。
伊吹山登山道伊吹山中腹伊吹山8合目

山頂の眺望は絶景で,登山道の方向を見れば琵琶湖の対岸まで見え,90度ほど東に目を向ければ関ヶ原である。日本史が好きなら東西両軍の配置が目に浮かんで感動することだろう。なお,その関が原方向から山頂に向かって伊吹山ドライブウェイが伸びていて,九合目まで自家用車またはバスで来ることができるので,登山をする体力・時間が無ければこちらで山頂まで来るのもよいだろう。また,山頂には大きな山小屋があって,昼食や土産物が豊富に準備されている。観光としては記紀神話に登場し,ヤマトタケルが白猪と戦っている(しかも白猪が勝っている)ことがアピールされている。ヤマトタケルの巨大な像もあれば白猪の像もあった。その辺りの面白さも含めてさすがは日本百名山であり,難易度のちょうど良さも含めて私は大好きな山である。  
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2021年12月20日

登山記録4(奥高尾縦走路)

初回はこちら。各項目の説明は初回を参照のこと。


No.11・12・13 奥高尾縦走路(陣馬山・景信山・小仏城山)
〔標高〕855m(陣馬山)・727m(景信山)・670m(小仏城山)
〔標高差〕640m(陣馬山,栃谷尾根ルート),530m(陣馬山,陣馬高原ルート)
〔百名山認定〕無し
〔ヤマノススメ〕8巻
〔県のグレーディング〕無し
〔私的な難易度と感想〕全部合わせて4A
陣場山から明王峠・景信山・小仏峠・小仏城山と抜けて高尾山から下山する縦走路。山を4つ登頂する割には難易度が低く,お手軽に日帰り縦走を体験できる。いずれの山も極めてよく整備されていて,まず迷うことも躓いて転ぶこともない。最初の陣馬山がやや険しく,特に栃谷尾根ルートは難易度に似合わない急登であるので少しだけ気をつけた方がいいかもしれない。なお,栃谷尾根ルートは出発地点がJR藤野駅でバスが不要である代わりに登頂まで3時間15分かかり,陣馬高原ルートは駅からのバスがけっこう長い代わりに1時間50分と登山時間を大きく圧縮できる。栃谷尾根ルートは登山道入り口がややわかりづらいので,こちらから登る場合は注意されたい。陣馬山の山頂といえば巨大な白馬像で,これは1960年代後半に京王電鉄が建てたもので特に深い意味は無いようだ。眺望は「天気が良ければ富士山が見える」という触れ込みで,私が登った時にも確かに見えたが……これは誇大広告気味なような。あとは『ヤマノススメ』でも食べられている通り,陣馬山山頂の山小屋で売られているきのこ汁はけっこう美味しい。聖地巡礼目的でなくても食べるとよい。

陣馬山眺望陣馬山の白い馬像陣馬山きのこ汁



陣馬山から40分で明王峠,そこから30分で堂所山,そこからさらに1時間歩くと景信山に着く。陣馬山とは逆の関東平野側に開けているので,樹林帯の切れ目から東京方面の市街地が見える。ここもきのこ汁が名物なのだが,私が行ったタイミングでは売店が閉まっていた。オフシーズンなので仕方がない。陣馬山に比べると正直魅力に欠ける。

景信山眺望


景信山から40分で小仏峠。ここは古来利用されていた甲斐路の交通の要衝で,武田信玄が北条氏と戦ったときにここを越えている(これが滝山城から八王子城に防衛拠点を移す契機となった)。江戸時代には甲州道中が通り,明治時代には天皇が行幸し,現在ではJR中央線と高速道路(中央自動車道)が付近を通っている。そのため,小仏峠からは中央自動車道がよく見え,その音もする。これはこれで1つの景観だろう。「明治天皇小佛峠御小休所阯」なる,小休止しただけにしては仰々しい石碑も立っている。

明治天皇小休止の碑


最後に小仏峠から25分で小仏城山,そこから1時間ほどで高尾山に着く。小仏城山以降は木道になり,整備が極まっている。逆に言って高尾山登山口から小仏城山までは革靴でも登山可能。栃谷尾根登山口から登って高尾山6号路で下山したとして,総行程9時間,距離にして18km超,5つのピークを越えるの長丁場になるが,まともな登りは最初の陣馬山のみで残りは小刻みなアップダウンに過ぎないから膝への負担は少なく,それに比して達成感はある。
  
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2021年12月11日

登山記録3(瑞牆山・金峰山),あと『ヤマノススメサードシーズン』について

初回はこちら。各項目の説明は初回を参照のこと。長くなったので今回は2座だけ。YAMAPのヤマノススメ巡礼マップ(瑞牆山・金峰山)も参照のこと。

No.9 瑞牆山
〔標高〕2230m
〔標高差〕750m(瑞牆山荘から)
〔百名山認定〕百名山
〔ヤマノススメ〕7巻・アニメ3期
〔県のグレーディング〕2C
〔私的な難易度と感想〕2C ※ 下記を参照のこと
自分が初めて本格的に挑んだ難易度Cの山。ただし,岩が頑丈でしっかりしているし,切り立った痩せ尾根があるわけでもない。コースタイムは瑞牆山荘からで4時間50分。富士見平でテント泊するなら3時間20分になるから,旅程も短くてあっという間に山頂に着いてしまうから,体力もそれほど必要としない。と削っていくと残ったものから推測がつく通り,この山の難易度は純粋にアスレチック的・ロッククライミング的テクニックに偏っている。コースタイムのうち最後の1時間は岩場と鎖場とハシゴしかない。要するにこういう感じの道が延々と続く。ボルダリング完全未経験で,当時はまだ三点支持? なにそれおいしいの? というレベルだった私は2・3箇所足をかける場所がわからなくて途中で帰ろうかと思った。今ならもう少し楽に登れるかもしれない。ともあれ,テクニック理由で登頂未達になりかけたのは登山を始めて5年ほどの現在でも瑞牆山が最初で最後である。逆に言えば,その辺の経験やセンスがある人にとっては軽い山で,難易度Bの山よりも簡単に感じるかもしれない。同様の理由で,ロッククライミングのつもりで行くと逆に物足りないだろう。

瑞牆山道中


麓から見上げた山容も威容なら山頂からの眺望も威容で,切り立った奇岩による山水画の世界を楽しむことができる。次の写真は麓からのものだが,この光景だけでも瑞牆山は価値が高い。

瑞牆山の山容


その他の注意点としては,人気の山で登山者が多い割に山頂が狭い。山頂で昼食休憩を考えているなら早めの時間帯に行った方がいいだろう。あと岩壁をよじ登っていく関係で道が非常に狭いので,難易度が高い箇所で詰まると自分が原因で渋滞が発生するのも注意が必要。発生させた張本人が言うのだから間違いない。なお,YAMAPにはヤマノススメ聖地巡礼用MAPが用意されていて,我々もこれを利用して登った。それにしても,これを「きつい登りだけど何とか平気」と言いつつあっさり登ったあおいはアスレチック能力はかなり高い。少なくとも私より高い。そうそう,原作通りに富士見平でキャンプするのも悪くないだろうが,瑞牆山荘は山小屋とは思えないほど設備が良い。なにせ風呂までついている。夕飯もローストビーフが出てきて驚いた。お勧め。


No.10 金峰山
〔標高〕2599m
〔標高差〕1120m(瑞牆山荘から)
〔百名山認定〕百名山
〔ヤマノススメ〕7巻・アニメ3期
〔県のグレーディング〕4C(瑞牆山荘から)・2B(大弛峠から)
〔私的な難易度と感想〕4C ※ 下記を参照のこと
瑞牆山のお隣の山にして,奥秩父の盟主,第二の高峰。山梨県民は「きんぷさん」,長野県民は「きんぽうさん」と読むらしい。自分が2021年までに登った山の中では最高難易度。コースタイム7時間30分(行きが4時間)で標高差1120m,1時間に300m上がらないということからわかる通り,急登は多くない。特に行きの前半2時間ほど,「大日岩」という名所の少し手前まではただの樹林帯が続く。ところが後半が難易度のCたる所以で,鎖場からの鎖場,特に「砂払いの頭」「千代の吹上」という名所以降は基本的に痩せ尾根と崖が続く。ちょうどこの辺りで森林限界を超えるので,視界に岩と空しかない世界になることもあって異世界感が強い。ただし,岩場・鎖場は瑞牆山ほどには厳しくなくて私でも詰まった場所はなかったし,また合間に普通の山道が入る。どちらかというと痩せ尾根の方が危険度が高い。『ヤマノススメ』作中で楓さんが「森林限界を超えたら気持ちのいい稜線歩きが続くから,そこまでがんばりましょう!」と言うのだが,それ自体は正しいのだけども,むしろ稜線歩きの方が緊張するので気持ちは休まらない。

金峰山道中


確かこれが千代の吹上付近だったと思うが……改めて見ても画面の右側おかしいやろ。技術的に登れない箇所は出てこないけど滑落して死ぬ可能性があるのはこちらという点で瑞牆山とは好対照であると思う。私的には体力は割りと余裕があったが,この気の抜けない難所が断続的に続くために精神が削られた。山頂は,本来なら富士山も見える絶景なのだが我々が登った時は完全に霧の中であった。それで痩せ尾根が余計に怖かったところもあるかもしれない。後でこの時の同行者に後に「トラウマになっていて過大に怖がっているのでは」と言われたことがあり,それはなくもないと自分でも思う。ただ,それはそれとして,『ヤマノススメ』聖地巡礼勢のサイトや同人誌を読むに割りと皆苦戦しており,あおいとひなた同様に山頂未達の人も見かける。少なくとも現状のアニメ版『ヤマノススメ』聖地巡礼では最難関なのは間違いないと言える(原作だと石鎚山に負けるが,あそこはあおいとひなたが登っていないので例外とすると,原作でも最難関か)。

そんな金峰山であるので,原作7巻でひなたが膝が痛むと言いだして,あおいが付き添って途中で下山に切り替えたのは判断として正しい。描写を見るに,上述の通りに難易度が上がり始める頃の大日岩付近で引き返したのだろう。ところが,アニメ版ではひなたが膝が痛いことを打ち明けるのがもうかなり山頂に近い「砂払いの頭」に変わっているので,実はかなり不自然なことになっている。上述の通りの難易度であるので,あおいがひなたの分のザックも背負いながらここから下山できてしまうのは,それまでのあおいの登山能力との乖離が激しくなってしまうのだ。しかしながら,これが愛のなせる技なんだなと脳内補完しながら,あのカップルはこんな危険箇所で仲直りしていちゃついてたんだなという思いを馳せながら登ると,聖地巡礼としては極めて楽しめるのではないかと思う。我々も「12話のあのシーン,この岩の上だったのかよwwwww」と爆笑しながら下山していたので,疲労の割には非常に楽しかった良い印象の方が強い。これは登って現地で見ないと実感として理解できないと思われるので,正しく聖地巡礼の意味があり,最も巡礼の価値がある山でもある。この意味で原作信者は3期アニメの改変に対して切れていい。『ヤマノススメ』に存在しているのかは知らないが。あと,息を切らしていないどころか楓さんよりも体力残ってそうな感じで完走したここなちゃんは一体。

『ヤマノススメ』ではあおいとひなたが登頂していないためか描写されていなかったが,金峰山の山頂から少しだけ下りたところにある金峰山小屋の名物が鍋焼きうどんである。これが恐ろしい登山道で疲弊した体力と精神を回復させるから,ぜひとも昼飯はここで。あとこの山小屋の犬がかわいい。

金峰山小屋の鍋焼きうどん金峰山小屋の犬


ところでこの金峰山は登山道が大きく分けて2ルートあり,1つは『ヤマノススメ』と同様に1泊2日で瑞牆山と縦走する,瑞牆山荘を拠点として西側から登るもの。もう1つは正反対の東側,大弛峠から登るものである。前者は既述の通り4Cと高難度だが,後者は地方自治体グレーディングで2Bとなっているから,おそらくさして苦労せず登れてしまうのだと思われる。個人的にはトラウマの払拭と眺望のリベンジを兼ねて,今度は大弛峠から登ってみたい。  
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2021年12月04日

登山記録2(霧ヶ峰・棒ノ嶺・地蔵岳・筑波山)

初回はこちら。各項目の説明は初回を参照のこと。

霧ヶ峰高原No.5 霧ヶ峰(車山)
〔標高〕1,925m
〔標高差〕車山の麓からで125m,八島ヶ原湿原からで約300m
〔百名山認定〕百名山
〔ヤマノススメ〕4巻・アニメ2期
〔県のグレーディング〕3A(一番長いコースの場合)
〔私的な難易度と感想〕3A
旅行記をすでに書いているので,詳しくはそちらで……と思ったら当時に登山的なことは何も書いていなかった。霧ヶ峰は高原であるので登山可能な領域はかなり広く,東西に長い。最西端は八島ヶ原湿原,最東端が最高地点の車山山頂である。八島ヶ原湿原から出発して車山の方向へ歩いていくか,車山の麓の車山肩駐車場から出発して先に山頂を制覇し,その後八島ヶ原湿原に向かって歩いていくか,どちらかが一般的なコースになるだろう。どちらのスタート地点へも豊富にバスが出ている。道はよく整備されていて難易度は高尾山以下だが,八島ヶ原湿原から車山山頂まで全部歩くと5時間超になり,かなり長いのでルート取りは注意が必要。景観は,ある年齢層以上の人なら思わずWindowsXPと言ってしまうこと請け合いの草原が広がっている。なお,景色を楽しむだけならヴィーナスラインで外周を車で走る方が良いというのは禁句である。


(『ヤマノススメ』順で行くと本来なら次は谷川岳になるが,雪山登山であったため難易度が測れないので省略。2022年の夏秋で登ると思う。)


PIC000137No.6 棒ノ嶺(棒ノ折山)
〔標高〕969m
〔標高差〕白谷沢登山口からで640m,さわらびの湯からで700m
〔百名山認定〕無し
〔ヤマノススメ〕5巻
〔県のグレーディング〕無し
〔私的な難易度と感想〕2B
初めて他人を誘って登った山として,私的には印象深い。飯能駅からバスに乗って名栗湖まで,そこからが登山。名栗湖自体がなかなか景観が良い。登りは手軽に沢登りできるのが特徴で,登山道は涼やかである。白谷沢登山道の前半は沢登りになっていて,それほど滑って転ぶ危険無く沢登りが楽しめる。高尾山6号路の次はここだろう。一方,沢以外の登山道はけっこう荒れていてやや登りにくい。道中けっこう「ここは本当に道なのか?」というような場所があって困惑した。同行の埼玉県出身者に聞いたところ「埼玉県民は山梨県民や長野県民とはまた違った山の民なので,登山道が荒れていても大して気にしないところがある。『ヤマノススメ』見てればわかるでしょ?」という非常に説得力のある説明をされて納得するしかなかった。山頂からの眺望はそこまで良くない。棒ノ嶺で画像検索をすると道中の沢登りの写真ばかりで山頂からの眺望が少ないところからも察してほしい。ここはあくまで沢登りとちょっと荒れた登山道を楽しむ山なのであって,眺望を期待する山ではないのだろう。難易度はそこら辺を考慮してB,コースタイムは4時間40分。下山後は登山口付近にあるさわらびの湯で汗を流すのが鉄板。地元の特産品と『ヤマノススメ』グッズが売っている。


赤城山地蔵岳No.7 地蔵岳(赤城山)
〔標高〕1674m
〔標高差〕約310m
〔百名山認定〕無し(赤城山は百名山)
〔ヤマノススメ〕5巻・アニメ3期
〔県のグレーディング〕無し
〔私的な難易度と感想〕1A+
『ヤマノススメ』が表紙のMAPが限定配布されていたので,こういう機会でも無いと登らない山だと思って急遽登山に行った。取り立てて特徴は無い登山道で,登りやすくも登りづらくもなく。コースタイムは1時間45分ほど。本来は大沼が一望できて眺望が良いのだが,私が登った時は霧が出ていてあまり見えなかった。『ヤマノススメ』でも雨が降っていて眺望が死んでいたので,聖地巡礼としては正しかったのかもしれないが……。写真の通り,山頂には複数の電波塔が建っていて,これが特徴になっている。霧中の電波塔が意外と映えていたのが救いか。しかし,『ヤマノススメ』聖地巡礼目的ではないなら特にお勧めするような山ではなく,やはり普通に赤城山最高峰の黒檜山に登るべきだろう。そんなことよりも麓の駐車場のドリフト痕がとんでもないことになっていて,そちらの記憶の方が強い。まだまだそういう文化が残っていて,その聖地なのだなぁ。黒檜山もそのうち登りに行きたい。下山後,アニメ版でここながぐんまちゃんに出会う赤城神社にも行ったが,アニメ放映当時と異なり,名物らしき朱塗りの長い橋は通行禁止になっていたので少し残念である(2019年6月時点)。『ヤマノススメ』で同時にあおいとほのかが行っていた伊香保温泉については別記事参照。


(5巻登場の木曽駒ヶ岳は未踏)


筑波山夜景No.8 筑波山(ナイトハイク)
〔標高〕877m
〔標高差〕約350m(おたつ石コース,ロープウェー不使用)
〔百名山認定〕百名山
〔ヤマノススメ〕6巻・アニメ3期
〔県のグレーディング〕無し
〔私的な難易度と感想〕1A
『ヤマノススメ』での登場があおいとひなたのナイトデート……もといナイトハイクであったので,私も友人たちとナイトハイクを決行した。ライトは富士山の時に使用したかなり強いやつを持っていったので,暗くて困ることは特に無かった。登山道はよく整備されている上に,観光スポットが多く,コースタイムは女体山山頂までで70分。そこから男体山まで足を伸ばしても25分増えるだけとかなり短いため飽きずに登山を楽しむことができる。男体山よりも女体山の方が標高が高いのはあまり見ないと思われる。女体山山頂からの眺望は良く,ナイトハイクだったために関東平野の夜景が綺麗であった。スマホのカメラなので多分全然伝わっていないのが惜しい。これは確かにデートスポットになりますわ。ケーブルカーやロープウェーを使えば全く登山せずに済むという点でも勧めやすい。普通に登るにしても下山はケーブルカーかロープウェーでよいと思う。なお,我々もケーブルカーで下山したのだが,その後の時間調整をミスして長時間バス停で待ちぼうけを食らう羽目になるはずだったところ,ケーブルカー付近のお店にお勤めの方に声をかけていただいて駅に近いバス停まで送ってもらったということがあった。茨城県民の心は温かい。それはそれとして,ケーブルカーとバスの乗り換え時間がシビアなのは間違いなく,観光地の割りには注意して計画を立てた方が良さそう。乗り放題パスを作っているのだから,公共交通機関同士で少し調整してほしい。  
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2021年11月20日

登山記録(高尾山・天覧山・三ツ峠山・富士山)

5・6年前から趣味の1つに加わったはいいが大してブログに書いてなかったために溜まりこんだ登山系の旅行記と,好きなのに全く感想を書いていない『ヤマノススメ』の漫画&アニメの感想,そして既存の登山難度グレーディングに対する注文をどう処理しようか迷った挙げ句,まとめて処理すべく,登山記録をつけていくことにした。記録の順番に迷ったが,『ヤマノススメ』の聖地巡礼として行ったところをまず原作登場順に記録し,次に未登場の山を北から順に書き,尽きたところからは時系列とすることにした。また,1記事につき4・5座程度として,ストックのある35座程度が消化し終わるまでは2・3週間ごとに投稿し,尽きてからは1シーズンごとに投稿することにした。

紹介形式であるが,まず山のステータスを書いて,後ろに登山の感想などを付していくことにする。山の名前には何かしらの情報サイトへのリンクを張っておいた。

〔標高と標高差〕
文字通りの標高と,自分が登った際のスタート地点とのおおまかな標高差。
〔百名山認定〕
日本百名山・二百名山・三百名山・花の百名山・新百名山に入っている場合はそれをここに記載。重複しているものは左に書いたものを優先。
〔ヤマノススメ〕
『ヤマノススメ』の原作またはアニメに登場している場合はここに話数を記載。なお,私が登山を始めた契機は寺社仏閣巡りの延長線上で,投入堂と浅間大社奥宮が当初の目的であり,『ヤマノススメ』は後付だったりする。天覧山・富士山・谷川岳・金峰山以外はそれ目的というよりも偶然重なっていたという意味合いの方が強い。ヤマノススメの聖地巡礼については次のサイトが参考になる。
・ヤマノススメ聖地巡礼 全山行一覧(クレコ)
〔県のグレーディング〕
都道府県が認定している難易度グレーディングがある場合はここに記載。これには少し補足説明が要るだろう。登山ブームによる無謀登山が増えたことを受けて,近年は長野県や山梨県が中心となって地方自治体が難易度の目安を発表している。たとえば長野県はこれ。他の都道府県にもリンクが張られている通り,参加している県は年々増えており,5年前くらいは8つだったと思うのだが,現在は11まで増えた。非常に有用なのでできれば全県で実施してほしい(埼玉県のお前のことだぞ)。なにせ百名山でさえまだ67座しかカバーされていない。このグレーディングの基準は2つあり,数字とアルファベットで表示される。数字の1〜10は体力度で,実際には細かな計算があるが,大雑把に言えば数字が1増えると2.0〜2.5時間くらい歩行時間が増える。アルファベットは技術などの難易度で,
A:初心者向け。ほぼ階段か土の斜面しかなく,ほとんどがスニーカーで登れる。
B:多少の岩場・鎖場・痩せ尾根・沢登り等の危険箇所が登場。登山装備が必要になるが,滑落しても死ぬ危険性は低い。
C:中級者向け。危険箇所がBよりも増え,滑落したら明らかに死ぬ箇所が出てくる。
D・E:上級者向け。
となっている。
〔私的な難易度と感想〕(写真がある場合は写真)
実は上述のグレーディングはA〜Eの5段階でつけている関係で,特にA・Bはそれぞれの中での幅が広く,比較すると同グレーディングとは思えない事例が散見される。また,アスレチック的な技術・ルートファインディング能力・日照や補給への対策等の難度を一本化して評価したものであるため,特にA〜CはこのうちのどれのせいでAではなくてB・Cなのかがわかりにくいという欠点がある。そこで本記録では私自身の経験とネット上の他者の登山記録等から,A・B・CをさらにA・A+・B-・B・B+・Cの6段階に分け,その上でB-以上はA+以下ではない理由を付すことにした。なお,D以上の山は私自身が登れる気が全くしないため,本記事にはそもそも登場しない。というよりもD以上を登れる人はB以下の細かい難易度の差なんて大して気にせんでしょ(偏見)。以下は一例。


No.1 高尾山
〔標高〕599m
〔標高差〕約400m
〔百名山認定〕花の百名山
〔ヤマノススメ〕1巻・アニメ1期
〔県のグレーディング〕2A
〔私的な難易度と感想〕2A(1号路)・2A+(6号路,稲荷山)
皆大好き高尾山。スニーカーでも,何なら革靴でも登れる山として有名。私も1号路・6号路・稲荷山ルートで4回くらい登った。1号路は寺院沿いということもあって整備されているというよりも石段が続くが,1号路は石段がかえってきつい。純粋な膝への負担だけで言えば6号路よりもきついと思う。ただ,観光地としては優れているので,6号路で登って1号路で下るのがよい。『ヤマノススメ』は正反対に1号路から登って6号路から下りているのだが,その6号路の途中であおい・ひなたがここなと出会っている。6号路と稲荷山ルートはどちらも1号路に比べるとちゃんとした登山路であるが,私は6号路を進める。6号路は樹林歩きが気持ちよく,簡単な沢登りがあって,これが結構楽しいからだ。沢登りがあるのでA+とした。滑って転ばないように気をつけよう。これに比べると稲荷山ルートはちょっと見どころに欠けるかなと思う。ただし眺望は稲荷山ルートの方が良い。



天覧山No.2 天覧山・多峯主山
〔標高〕197m・291m
〔標高差〕天覧山で約80m
〔百名山認定〕認定なし
〔ヤマノススメ〕1巻・アニメ1期,3巻・アニメ2期
〔県のグレーディング〕無し
〔私的な難易度と感想〕1A
完全に『ヤマノススメ』の聖地巡礼のためだけに登った珍しい山。天覧山は1883年に天皇がここから練兵を視察したことからこの名前がついた。その天覧山は1Aというか,完全に散歩である。15分もあれば重文に登頂可能。景色は写真の通りなかなか良く,飯能の市街地が一望できる。飯能市が誇るのも,『ヤマノススメ』の作品最初の山に選ばれるのもよくわかるところ。1つ奥の多峯主山(とうのすやま)になると少しちゃんとした登山になるが,それでも高尾山6号路よりは楽で,天覧山からは30分弱で着く。樹林歩きとしてはまずまず楽しいし,山頂からの眺望もあるが,聖地巡礼が目的でないならしいて行かなくていいかなと。なお,天覧山麓にある飯能市博物館が無料の割にコンテンツが充実していて,飯能市の歴史や自然がよくわかるのでお勧め。また,多峯主山からの下山はピストンで天覧山に戻った方がいい。そのまま反対側に下山すると市街地から大きく外れることになり,正直に言って見どころが薄い。


こんな感じで続きます。
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Posted by dg_law at 00:21Comments(2)